きっかけは黄燐の冒険話だ。 ――飛行機に乗って空を飛んだのよ! とっても楽しかったわ! ――雪山のチェンバーでね、大きな雪男と戦ったわ! ――ずるい。 聞き手にまわっていた、黒燐は口はへの字に曲げてぽつりと呟いた。 ――黄燐だけ、ずるい。僕もー! な、わけで二人は遊びに行くことにした。 場所はいくつかの候補はあったが、せっかくなので壱番世界を選んだ。 黄燐と黒燐の二人にとってはまだまだ未知の世界だが、滅多なことでは危険はなく、遊ぶところもいっぱいあるのが決め手だった。 壱番世界の友人たちにあれこれと情報を聞き、なにをしようかとわくわくしながら二人で計画をたてていると、あっという間に当日になってしまった。 幸いにも遊びに行く日は晴れていた。 絵具を水で薄めたような青い空に、千切れた雲が心地よさそうに泳いでいる。 「わぁ!」 「ビルがいっぱいね!」 いつもはゆったりとした着物に、単目模様の布で顔を隠しているが、さすがにそれでは目立つので黄燐は着物だけ。黒燐はリリイに作ってもらった浴衣姿だ。 「じゃ、はぐれないためにも手を繋いで行こうか。黄燐」 「ええ!」 二人は手をとって楽しげにビルが無造作に立ち並ぶなかを歩き出した。 二人が訪れたのは、比較的新しいオフィスビルが立ち並びながらも少し歩けば昔ながらの佃煮屋があるという不思議な一角。 まずは周囲を見てまわろうと考えて、通りを目的もなくてくてくと歩いていると 「見て見て! 黄燐、あれ、神輿だよ」 「本当だわ!」 黒燐が指差す方向には子供や大人たちが色鮮やかな青い半被姿でお神輿をゆっくりと進め、朗々とした声で祈りの言葉らしいものを口にしながら和気藹藹と進む。その行列を二人は目を細めて見つめた。 「僕たちのところと似たようなものってこの世界にもあるんだね!」 「そうね! お祭りがあるならちょっと寄っていきたいけど」 「うーん、……少しだけついて行っちゃう?」 「ちょっとだけね!」 二人は顔を見合わせて頷きあい、のろのろと進むお神輿の後ろについて行く。どうせ行く方向は同じならちょっとくらい…… 「あれ? 知らない子だ」 「金髪だー」 「外人さん?」 こっそりとついて行くつもりだったが二人はあっさりと見つかった。 とくに黄燐の金色の髪は目立った。 「はろー?」 「えーと、まいねーみず?」 困惑した子供たちやその保護者らしい大人たちがたどたどしくも声をかけてくるのに黄燐はくすりっと口元に笑みを浮かべた。 「大丈夫、わかるわ」 「へぇ。外人さんなのに日本語うまいね」 「そっちの子も、外人さん?」 「僕? 僕は……うん。そう、今日は二人でお祭りを見に来たの」 黒燐が話しを合わせる。 「せっかく外人さんが来たんだし、よかったら何か食べていく?」 「え、いいの?」 黄燐と黒燐の瞳が期待にきらきらと輝く。 「ほら、もう神社だよ! 出店もあるし」 「やきそばあるよ!」 「串焼きも!」 外人の子どもと思っているのか、人々の対応は優しい。 黄燐と黒燐は互いに顔を見合わせた。 ――ちょっと違うけど、 ――せっかくだから。 と目で話しあい、 「いただきます!」 「まーす!」 人々の好意をありがたくいただくことにした。 ★ ★ ★ やきそばと串焼きで小腹を満たしたあと、二人は地元の人に有名な観光地の場所を聞きだし、意気揚揚と進むのだが しかし、 「ここが観光地? 違うわよね?」 「迷った?」 真っ直ぐのあと、二つ目の信号を右に曲がればいいと教えられたけど……どうやら曲がるところを間違えたらしい。 行けども行けども並ぶのは大きなビルばかり。 「どうする戻る?」 「うーん、あたし、前から壱番世界の電気製品って気になっていたのよね。ほら、ここ、電気製品のお店よ!」 「あ、それ僕も、せっかくだし見ていく?」 「ねっ!」 二人はひと口サイズの羊羹を山のように大きくしたような青色のビルに勢いよく乗りこんだ。 ビルは三階立てで、それぞれのフロアで違うものを扱っているらしい。 入ったとたんに、目がちかちかするほどの光と人、さらにはいくつもの音が洪水のように二人の五感を刺激した。 「わー」 「すごいわね……」 こういうときは、あたしががんばらなくちゃ! 黒燐よりも数段旅の経験のある黄燐ははりきった。 「行ってみましょ」 「うん」 とてとて。 真っ直ぐに廊下を歩き、左右を見回すと商品が陳列されている。 どれも二人が知らないものばかりだ。 「これ、なんだろう?」 「ぱそ、こん? そういえば、持ってる人がいるわよね? なんかぴかぴかしてる? へんな形ね」 ノートパソコンを見て二人は首を傾げる。 「あっちにもパソコンってあるよ、黄燐」 黒燐が指差すのはデスクトップパソコン。 「なにが違うのかしら?」 「うーん」 思わず二人揃って腕組みをして首を傾げる。 そもそもパソコンがなんなのかわからないのだから、その二つの用途の違いが理解できるはずがない。 「あら、ゲームでもする?」 女店員が二人に気がついてにこやかに声をかけてきた。 「ゲーム?」 女店員はにこにこと笑ってマウスを操作する。二人の目は画面に釘付けになった。 驚くことに画面のなかにある小さな矢印が動いているのだ。それが不思議な青色に四つの色彩を閉じ込めた丸いボールを押すと、なにか不思議な文字がぱっといっぱい出てくる。 「黄燐、これ、なんだかわかる?」 「……わからないけど、すごいわね」 さっぱりわからないまま二人は女店員が出してくれたゲーム画面――パソコンに備え付けられているソリティアが開始されたのにびっくりする。 「どうぞ。操作方法わかるかな? マウスを使えばいいからね?」 「まうす?」 「この鼠みたいなのじゃない?」 黄燐がマウスを指差す。 「よし、やってみましょ」 「うん」 まったくゲームルールはわかってないが何事もチャレンジ――!。 「えーと、どう動かすのかしら?」 「この鼠さんを机につけたまま、あ、動いてるよ」 「次は、これをどこに置けばいいのかしら? この空欄のなかかしら? えい」 「あ、なんか動いた」 「すごいわね」 「どういうからくりだろう?」 感心しながらも見よう見真似なりに健闘した――結局ゲームルールも知らない状態で挑むなど無謀であった。 見事に負けてしまった。 画面に「敗北」の文字が浮かぶと二人してがっくりと肩を落とすが、その顔は好奇心に輝いていた。 「負けたのは悔しいけど、面白かったわ」 黄燐の言葉に黒燐も頷く。 「うん! こんど、あっちに行ってみよう」 「そうね」 とてとてとて。 二人が行ったのはテレビコーナー。 そこで二人は愕然とした。 「ひと?」 「はこ?」 テレビ――小さな箱のなかに人が入って何事かしゃべっているのだ。 「黄燐、見て、これうっぺらいよ!」 「え、ええ!」 黒燐がテレビの後ろに回り込んでテレビが薄いことを指摘したのに黄燐はますます混乱した。 中に人がはいっているのに、それが薄い……なかの人はさぞや苦しいはず、なのに健気にもニュースを伝えます、と仕事をしているのはなんとも健気だ。それとも修行だろうか? けど、なんの? 以前、黄燐はテレビを使って『げーむ』をやったことはあるが、こんな映像は見なかった。 もしかしてこれって壱番世界の拷問なのかしら? 「これが壱番世界の科学ってこと?」 「なのかしら? ご、ごうもんじゃないわよね」 「……」 「……」 二人は押し黙って真剣な顔で見つめ合う。 とそこに通りかかった客の一人がリモコンをとると、ぴっとボタンを押す。とたんに画面が切り替わり、二人はびくっと震えあがった。画面のなかから叫び声があがる「きさまをころしてやる!」真っ白い仮面をかぶった男がチェーンソーをかまえて襲いかかってきたのに、黒燐があまりの恐怖に硬直する。黄燐はとっさの判断で、黒燐の手をぎゅうと握りしめて猛ダッシュ、その場から逃げた。 「やっぱりあれは新手の拷問なのよ。じろじろ見たから、怒った凶暴な罪人が襲いかかってきたんだわ!」 今まで数限りない体験はしてきたが、これほど完全な不意打ちで襲われたのははじめてだ。 ――不覚。 店を飛び出し、更にでたらめに走り続けて息が切れた二人はよろよろと立ち止まる。 「こ、こわかった」 「うん」 「壱番世界ってこわいのね」 「そうだね」 二人は顔を見合わせてはぁとため息をつく。 「どうしよう、ここから」 「んー……あ、見て、黄燐、なんかかわいい絵がか描いてあるよ。この店」 「なんの店かしら?」 屋根は緑、壁には可愛いらしいうさぎやらねこのキャラクターがにこにこと笑ってアイスを食べているイラストが飾られている。 店の自動ドアを――これもまた馴染みのないもので観察していたが、出てきた女子高生が食べているアイスが二人の心を鷲掴みした。 白い丸、緑の丸、黒い丸……三段重ねのアイス。 ほのかに甘い香りが、鼻につく。 先ほどまで走って喉も乾いたし、甘いものも……ほしい。 「行ってみよう」 「そうね」 さっそく自動ドアをくぐり――はさまれやしいかとどきどきしながら潜り抜けると、カウンターの透明な硝子越しに配列されたアイス、アイス、アイス……二人はじっと見つめる。 「なにになさいますか?」 赤と白の制服を着た店員が愛想良く声をかけてきたのに二人は黙って顔を見合わるとごぞごぞと懐から黄色と紺色のガマ口の財布を取り出す。 「これで」 「いくつアイス、載せれますか?」 二人が真剣な顔で問うと店員は微笑んだ。 「二段重ねできますよ?」 「じゃあ、それをお願い! あたしは、このオレンジと緑の!」 「僕は、この黒色と……このつぶつぶのはいった白」 店員が二人からお金を受け取ってさっそくアイスを用意してくれた。持つところもさくさくの御菓子ですべて食べられるという優れ物だ。 受け取った二人は目をきらきらとさて、はやく食べたくて店を出る。 「食べながら観光しよっか」 「そうね、あ」 ぐらりと黄燐の体が前のりに崩れた。 「危ない」 黒燐が黄燐の手を掴んで、支える。が、ぐしゃっと黄燐の足元にアイスが落ちた。まだひと口も舐めてないのに。 「……」 「……」 黄燐は黙ったまま足元に落ちたアイスを見つめて、微動だにしない。よほどにショックだったらしく泣くことも怒ることも出来ない。 「黄燐、よかったら、僕の食べる?」 「……いいの?」 じと目で黄燐が黒燐を見つめる。 「いいよ! スプーンもついてるから、これで食べて! あのね、この白いつぶつぶの、なめたらしわしわってするんだよ」 「本当? た、食べる!」 二人は仲良くアイスを分け合って食べた。 アイスを食べながら大きなタワーに昇って景色を楽しみ、巨大ビルに設置されたテレビに映された映像に圧倒され……あっちこっちを回って、気がついたら太陽は沈み出していた。 夕飯にははやいが、それでも小腹がすく時刻。 ロストレイルに乗りたくても、まだ時間があるのに 「あたし、ここ、食べてみかったの」 黄燐が指差したのは壱番世界の人間ならよく利用するティクアスト可能なバーガー屋だ。 早速なかに入るとさんざん迷って、夕飯が食べれなくならないようにと大きいポテトフライを一つ、飲み物は黄燐がコーラ、黒燐がお茶を購入し、窓際の席に腰かける。 「ねえ、気になっていたんだけど」 「なに? んー、あまくて、しゅわしゅわで、おいしい!」 「黄燐。何で君は子どもの姿なの?」 「学生だった頃、図書館で加茂計斗って人が書いた『天人族の成長研究報告書』を読んだからよ」 コーラを飲みながら平然と告げられた名に、油ぽいポテトフライを口に運んでいた黒燐は吹いた。思わずポテトフライが器官にはいって大変に苦しい事態に陥る。 「ちょ、大丈夫?」 「ん、うん。……飲みこむの失敗しただけだから」 なぜ、こんな反応をするのか。簡単――黄燐は知らないが黒燐こそ加茂計斗本人である。 「あの人って奇妙な人よね。研究していたこともそうだけど、内容も。だってあたしが読んだ本では「遊びによる記録」とかあって、えんえんと遊びのことが書いてあったわ」 「遊びたかったんだよ」 お茶をちゅるちゅると飲みつつ黒燐は答える。 「いたずら百選とかあったのよね」 「楽しかったんだよ」 「けど、お父さんのお洋服にかえるをいっぱいいれるのはいただけないわ」 「……きっと本人もそれについてはあとあとすごく反省したと思う」 ふぅと黒燐は遠い目で返す。 「なんだか親身に言い返してない?」 「なんとなく、他人とは思えなくて」 「ふぅん。けど、アレって本当なのかしら。あたし、大人だと思うんだけれど」 黄燐がどこかつまらなさそうに呟いて、コーラを啜る。その目に宿るものがなんなのか黒燐は知っている。けれど告げない、言わない、ただ黙って微笑む。 「黒燐?」 茜色の日差しに照らされた黒燐の優しい笑みに黄燐は怪訝な顔をする。 「これおいしいね」 二人の間に生まれた緊張を孕んだ空気は、黒燐がこっそりと隠し持つ針でつつかれて、知らぬ間に空気は抜けて、萎んでゆく。残るのはゆるゆるとした形のないもの。それに名をつけることは黄燐には出来なくて、黒燐は知っているのに黙っていて。 大人のふりをしたい少女と、子供のふりをした大人。 「そろそろ行きましょうか」 「うん」 二人はトレイを返して、手をとって薄い闇のカーテンがひかれる街中を歩き出す。 歩く二人の影が伸びて尾をひく。 「大きな影ね」 「ほんとだ!」 ロストレイルに乗り込み、楽しかったと語り合い、ターミナルに戻るとバイバイと手をふりあって家に帰る。お風呂に入ると、あたたかな湯船に浸かって、いろいろなものを洗い流して、お布団にもぐりこみ、 ――おやすみなさい。と、祈るように囁いて目を閉じる。 また、明日。
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