オープニング

 ホロ少年がその噂を聞いたのは一週間前のことだった。

 ――なんでも斬ることの叶う剣を無償でくれる男がいる
 それもその剣は空気のように軽く、ひとふりでどんな頑丈な鎧も真っ二つに切ってしまう。剣術が下手なやつでも持てば最強になれる
 と。
 まるで夢物語だが、ホロはそれに縋った。なぜなら彼には負けたくない相手がいた。
 弟分のユーラだ。
 一つ年下のユーラはホロと同じく農家の生まれで二人そろって将来は騎士になることにあこがれていた。
 二人はいつも木の棒を剣に見立てて勝負をしては、ホロが勝っていた。
 今年で十五歳。
 二人はそろってさる騎士の屋敷に住みこみの弟子入りをし、修行に明け暮れた。
 雇い主の騎士が自分の従者を決めると告げ、選ばれたのはユーラだった。
 ショックだった。
 だが、ホロは気がついていた。ユーラの剣の技が上達していることを、自分よりも強くなっていることに。
 表向きは従者になったユーラを褒め、喜んだが内心は深い妬みと怒りを覚えていた。それは焦りだったのかもしれない。
 ホロには力が必要だった。
 ユーラよりも強くいるための。
 その酒場に行くと茶色の不思議な衣服を着た男が微笑んだ。
「いい目をしている、絶望と怒りを孕んだ目だ。十本のうちの最後はおまえさんにやろう。さぁ、好きに斬るといい」
 受け取った刀は鞘から抜くと、美しく輝いていた。
 斬りたい。
 試しに屋敷の庭の木を斬ってみた。簡単に木は真っ二つに切れ、倒れた。
 ああ、力を手に入れた。手に入れたんだ。
「ホロ、今のは……!」
「ユーラ、俺は力を手に入れたんだよ」
 酔った笑みをホロは浮かべた。誰よりも大切で、誰よりも憎い友人へ

 ゆらりっと少年の手のなかの剣が輝いた。

 ☆ ☆ ☆

 酒場にどかどかと武装した男たちが入ってくるとカウンター席にいた真っ赤なドレス、真っ赤なウェーブが波打つ長い髪の片腕のない女とその横には着物姿の男を取り囲んだ。
 二人は昼間だというのに自分たちの周りの酒瓶の壁を作っていた。
「てめぇの連れの持つ剣、渡してもらおうか! 俺のおじきをぶっころして奪った剣! あの美しい剣をかえしなぁ」
「アン? 矢部の刀のこと? 返せって、あれはもともとはニケたちのもんだい。あははは、怖いや。すごーく、ぎらぎらした目ぇしてるぅ」
 ニケは微笑んで立ち上がる。
「踊ってあげる」
 ひらりと彼女の片足があがったとき、男はなにが起こったのかわからないまま、命を奪われた。
 顔の骨を砕かれ、男が倒れるのに周りが驚愕する。
「あれ、死んじゃったよー、つまんなーい、靴も赤く染まんないしぃ」
「ニケは強いからなぁ。どれ自分も」
 自分に剣を向けた男の懐に矢部が飛び込むと、左手に持つ槌で、打った。
 パァン―― 一撃に――ぱきり。
 音ともに剣が砕かれる。
「そんな、昨日、手入れをしたばか――」
 再び赤い女の片足があがり、男の首がゴキッと音をたててへし折られた。
「すまんねぇ、自分、武器モンはすべて壊せるんよ」
「にゃはははは、矢部とニケの二人はさいきょーなんだーい」

 騒然とする酒場で矢部とニケはのんきに欠伸を交わし、飲みかけの酒瓶を手に取る。
「今回は隠密やいうたのに、どないしよかねぇ。これやと、あの厄介な敵さん、くるやろか。いややねぇ」
「ん、なんでー? 面白い奴らじゃないの?」
「自分は、戦いは好かん。この組織も正直好かんからかねぇ。好かんやつらのために血はみとぅない」
「……矢部、裏切る? んー、その場合さ、ニケ、矢部を殺さないといけないんだよね。矢部の能力は厄介だからぁ、敵になる場合は殺しておけってさー」
「アハハハ、正直やねぇ。ニケ」
 矢部は悲しげに微笑むとニケの頭を撫でた。
「んー、けど、けどさぁ、そいつらがきてもニケと矢部で倒しちゃおう!」
「ハハハ、ニケは怖いねぇ。まぁ、そろそろ最後の一本、回収にいこか。いくら敵さんでも自分の刀、壊せんと思うが……欠点あるからなぁ。それを突かれんといいんやけど」

 ☆ ☆ ☆

「ヴォロスで世界樹旅団どもがまたなにかしているらしい」
 忌々しげに本を片手に持った黒猫にゃんこ――三十代の男性の姿をした黒が依頼を簡潔に説明する。
「その刀は空気のように軽く、ふれば風のように素早くすべてを切ってしまうそうだ。そしてどんな攻撃も傷一つ、刃零れ一つしない」
 まさかに最強の刃。しかし、たいした力もない者がそんな力を手に入れたら最後、力に飲み込まれ、破滅するしかない。
 ばらまかれた十本の刀のうち九本は友人、知人……親しい、けれど所有者がなにかしら想っていた相手を殺していったそうだ。
「愛情や憎しみや、そんなものを刀は刺激し、最悪な結末へと向かわせちまう。九本の刀のうち三本は、村一つ分の人間を殺しちまってる」
 しかし妙なことに、その刀をばらまいた張本人たちが回収しているのだという。
 十本のうち九本はすでに使用者は殺され、その刀は回収された。
問題は十本目――黒はホロ少年と、彼が今から作り上げようとしている悲劇について語った。
嫉みから友人を殺し、絶望から屋敷の人々を、怒りから自分すら殺してしまう未来。
「この悲劇を未然に防いでくれ。そして、なんで旅団どもがこんなことをしているのか不明なぶん、一番いいのは刀の破壊だ。刀として使えない状態にすれば上等だ! 出来れば回収された九本も一緒に……ただし、この刀は旅団が作ったもので難しいかもしれんが頼んだぞ?」

品目シナリオ 管理番号1514
クリエイター北野東眞(wdpb9025)
クリエイターコメント 今回はホロ少年が友人・ユーラと向かいあうところに駆けつけるところからスタートすることになります。
説得、戦闘、その他……とにかくホロ少年を止めること。最悪、力技でもねじ伏せることも考えておいてください。
 ただし、そこにはニケと矢部が刀の回収のためにやってくるでしょう。
 こちらのペアにしても説得、戦闘、また情報を引き出すなど(今回の事件の目的について聞くのもいいかもしれません)……いろいろとお考えください。
 ニケは好戦的で、足技使いです。接近戦となると苦戦するかもしれません。
 矢部はニケよりも厄介です。彼に接近戦を挑んだ場合、武器(トラベルギア含む)の使用が下手したらシナリオ内は不可能になる場合があります。最悪、丸腰で戦うことになりかねません。

ただし矢部は戦いも、旅団の組織も嫌いなようであまり積極的ではない模様です。

 また刀についてですが、通常攻撃では破壊されません。トラベルギアの攻撃にも耐えるほどの耐久性を持ちます。ただし、絶対に破壊できないわけではありません、弱点が存在しています。そこを突けば刀は使用不可能な状態になります。

参加者
セダン・イームズ(czwb2483)コンダクター 女 20歳 使用人…だろうか?
エルエム・メール(ctrc7005)ツーリスト 女 15歳 武闘家/バトルダンサー
川原 撫子(cuee7619)コンダクター 女 21歳 アルバイター兼冒険者見習い?
天倉 彗(cpen1536)コンダクター 女 22歳 銃使い
坂上 健(czzp3547)コンダクター 男 18歳 覚醒時:武器ヲタク高校生、現在:警察官

ノベル

 殺せ。
 すべてを殺してしまえ。

 それが少年に与えられた、唯一の救い。そのための力は今や少年の手のなかで鈍く輝き、無言で方法を教えていた。
「ホロ」
 街で迷子になってしまった幼い子のような声をあげるユーラをホロは無感動に見つめ、剣を両手に持つと慣れた動きで上段に構えた。
「ホロ」
 絶望の黒に彩られた声もホロを止めることはなかった。剣が振り下ろされるのに時間はさしてかからなかった。人が瞬きする程度の一瞬。
 冷たい突風が、ホロの視界を奪い取る。
「うおおおおおお」
 まるで荒れ狂う白馬のような突撃をホロはさっと後ろへと飛び、避けた。
「――っ」
それでもまだ吹き荒れる風に目を開けることは難しい。空気の振動に誰かが自分へと迫ってくることを剣が教えてくれた。
「――邪魔だ」
 ホロは片手に剣を持つと、薙ぐ。
 剣の刃は目に見えぬ風を一瞬にして叩き切り、はっきりとした視界をホロに与えた。そこに立つのは白衣の青年――坂上健。ユーラを庇うように抱きしめた川原撫子。その前に立つ美しい立ち姿に剣を構えた男装のセダン・イームズ、氷のような冷ややかな眼差しの天倉彗、ピンクの髪を二つに結んだエルエム・メール。

「風すら斬るのか」
 セダンが僅かに眉を寄せ呟く。手に持つバスターソードに力をこめる。宝玉が若葉の萌える色を放ち、再び風を起こそうとタイミングを計る。
 ホロの持つ剣はとても軽いはず。ならば強風を起こし吹き飛ばせれば……それの考えは多少、楽天的だったと反省する必要があった。
 剣はしっかりと持ち主の両手に握られ、離れる気配はない。まるで腕力以上のものをもってして持ち主と繋がっているかのように。
「セダン!」
「……ああ」
 健の声にセダンは応じる。
 もう一度、セダンが風を起こし、健が接触する――その隙を二人は伺った。
「あんたたちは……邪魔をするのか」
 ホロの見開かれた瞳に翳りが落ちる。
「その剣、使わないほうがいい」
 ぽつりと彗が呟く。武器を持たず、一見、無防備な姿だが、武術を学んだ者ならばわかる隙のなさ、怜悧な刃のような目がホロをたじろがせた。
「奪いにきたの?」
「そうよ」
 彗はホロから目を逸らさず言い返す。
「ホロ! お前、その剣でなにをするつもりだったんだ……ユーラに勝てないから、殺すのか」
 健は真っ直ぐにホロを見つめた。
「騎士になりたいって気持ちはわかる! コイツが居なくなれば騎士になれるかもしれないかもっていう気持ちも! でもそれで相手を殺してどうするんだ? 従者になれなかったら今度は騎士を殺すのか? 否定されたら村人を? みんな殺していくのか? 最後は一人ぼっちだぜ」
 健は熱く自分の思いをホロにぶつけた。出来ればホロの意志で剣を捨ててほしかった。今ここで、夢をあきらめなければ、その強さがきっとホロを変えてくれる。
ホロの瞳は虚ろで、健の声を聞いているのか、いないのか、まるでわからない。
「その剣を捨てろ、それはお前を地獄に誘うだけだ! 真面目に練習を続ければ他の騎士の従者にだってなれる可能性が――」
 ふっと剣が、動く
「健!」
 セダンが前に出る。ほぼ同時に彗が二丁の銃を手にとった。
 剣の刃が真っ直ぐに伸び、健に襲いかかる。
セダンのバスターソードが刃を受け、彗の容赦のない銃弾が飛ぶ。ホロの身は後ろへと逃げ、剣が舞うように素早く動き、放たれた銃弾を叩き斬った。
「……面白いことをするのね」
 彗は予想外の防御にやや面食らったとともに――彼女のなかにある戦闘を好む心が、銃弾を叩き落とした剣に滾った。
 ホロは無表情に剣を上段に構える。
「死んでくれ」
 殺意を湛えた目は、先ほどよりも更なる深淵に落ちたように思える。
「ホロ、どうしてだよ。そうやっていやなものができたら叩き落としていくのかよ! そんなの意味がないだろう……」
 健の訴えにホロは泣き笑いの表情を浮かべた。
「じゃあさ……夢を諦める場合は、どうすればいいんだよ」
 ぽつりと呟かれた声はあまりにも小さく、祈りのようであったし、一筋の涙のようでもあった。

「ああ、そうだ。全部、全部、諦められなかった。捨てられなかった。それがなくなったら、今までの俺の人生をすべて俺が否定することになる。からっぽになる。だから……死ねぇ!」
 ホロは剣を持ったまま前へと踊り出た。
その攻撃をセダンはバスターソードで受けた。
 剣と剣が混じり合い、火花が散る。
 その剣は恐ろしく、強く、しなやかであった。
「うおおおおっ!」
 咆哮に剣が応える如く、押す力が増していく。
「くっ……」
 セダンが後ろへとじりじりと押され る。
「セダン……どいて」
 冷静な声にセダンは押し返す力を緩めて、後ろへと飛びのいた。突然のことだったのにホロの身が無防備に前に転がる。その隙を狙って彗が撃つ。剣がどれだけ優れ、持ち手の力も強めようとも、生身の人間には必ず隙が出来る。
戦いにおいて集中力の欠如とはすなわち死。
 それも不意打ちにつぐ不意打ちならば絶好のチャンス。
 二発の銃弾が宙を走り、ホロの胴を狙う。ホロが素早く剣を持ち直して防御をとった。一発の弾丸を剣は見事に弾いたが、二発目――わざとタイミングをずらして放ったそれはホロの胴を掠め、紅い血を流させることに成功した。
 彗は続けざまに撃つ態勢にはいる。
「あなたは人を殺すために剣術を学んだの?」
 淡々と、深い森の奥にある泉の様な声で彗は告げる。諭すわけではない、ただ真実を真実として、優しさなど一切なく、投げつけた。
「武器に使われるようでは騎士になれないでしょうね……あなたもわかっているでしょう」
 ホロは刃を見つめる。まだ人を殺していない銀の輝きを放つそれに対して持ち手であるホロの手の皮膚は切れて血に染まっていた。無理をしすぎたのだ。彗の放った弾丸を短距離で受けて叩き落とすなど、達人の域に達した者でも難しい技をまだ十代の、少しばかり剣術が出来るホロでは本来、出来るはずがないのだ。
 剣がいくら強くとも、それに持ち手が追いついていないことは明白であった。
「わかっているよ」
 またホロは告げる。
「言っただろう……夢が叶うまで、努力しつづけなきゃいけないの?」
 ホロは漏らす言葉には内心の激しい葛藤が窺えた。
「ホロ、お前」
 健は顔を歪めた。自分がとんでもないことをホロに向けて言ってしまったのかもしれないと気がついたからだ。
 ホロは騎士になりたくてたまらなくて、その剣を手にして、ユーラを斬ろうとしたのだと思った。けど、もしかしたら、それは少しばかり違うのかもしれない。
 ホロは諦めたくなくて、けれど自分に才能がないことがわかってしまっていて、だから辛くて、苦しくて。子供のようにただ夢を無邪気に抱いて生きていくことは出来ないから。
「ホロ」
 健はひび割れた硝子のような声で呟く。

 撫子とエルエムはユーラを屋敷のなかに避難させた。そしてしばらくは誰もここから外へと出ないでほしいと事情を説明して内側から鍵をかけてもらった。
屋敷のドアを閉めるとき、蒼白の顔のユーラはエルエムと撫子の服にしがみついた。
「ホロは、ホロは、大丈夫なんでしょうか」
「ユーラ君」
 撫子が笑顔を作った。気軽に大丈夫とは言えず、無言で紙のように白く震える拳に手を重ねて、力強く頷いた。必ず、助けてあげるという意味をこめて。
「エルが、ほろほろに本当の強さを見せてあげる!」
 エルエムがにこりと微笑んだ。
「だからユーラは、ユーラにできる最善をするんだよ」
「はい!」
 二人の言葉に力強く頷いたユーラは、すぐにドアを閉めた。このあと彼は彼で屋敷のなかの者たちを守るために奮闘することだろう。
「行くよ」
「うん! ……あ、あれ、見て、エルエムちゃん」
 撫子は屋敷の鋳鉄製の門扉の前に佇む赤いドレスの女と着物の男を見つけた。


「ホロ」
 健は言葉を探した。今、目の前にいる少年の叫びが、胸に、心に、まるで見えない刃となって突き刺さった。
 諦めたくないほどに好きなものを好きなままで生きていきたいと願っても、現実はそれを寛容してくれない。
 時間という制限、選択という決断が生きるために迫られる。
「だから?」
 彗の声はやはりどこまでも静かで、なにもかもを凍てつかせるほどに冷酷だった。それは一種の優しさともとれるかもしれない。憐れも、同情もそこにはないのだから。
「あなたはその剣をとって、なにがしたいの」
 ホロは言葉を無くした。
「夢をあきらめるのがつらい、か」
 セダンは一呼吸おいて、
「だが、それで人を傷つけていいという理由にはならない。ましてや殺す理由にも……それはただ幼い子供の理論だ。好きなものが出来て、それに打ち込んだのなら、そのケリも自分でつけるものだ」
 すっとバスターソードを構えた。
「二人とも……」
 健はセダンや彗ほどに割り切れない。甘いといわれるかもしれないが、ホロの迷いが、辛さがわかるというとおこがましいが、共感してしまうのだ。

「おや、困ったねぇ、大勢の人がおるよ」
「にゃははは、本当だ」
 重々しい雰囲気にはまったく似つかわしくない軽やかな声――渋い男性のものと、甲高い女性のもの。
 その場にいる全員の視線がそちらへと向いた。
「あ、あんたは」
 ホロは瞠目し、震える声を漏らした。
 大輪を思わせる全身が赤で統一された女――ニケ。
その横にいるのは茶色の着物をわざと崩し着した――矢部。
「おや、まだ人を一人たりとも殺しておらんのかい。こりゃあ、見込み違いだったかねぇ」
 矢部が呑気な声を漏らし、顎を撫でる。
「もう、矢部! やるきなーい! ちょっとヤル気だせ! ニケだってがんばってるのに!」
「あのなぁ、自分、鍛冶師やで? なにをどうがんばるん?」
「う、それは」
 ニケが口を一文字に結び、むすっとした顔をするのに矢部はけらけらと笑った。
「ま、名乗っておきましょうか? 自分は矢部。この子はニケ。……その刀、その子に渡した人間や。そして回収しにきたんやけど、大人しく渡してくれんか?」
「ふざけるな!」
 健が吼えた。
「あんたたちがこの子に、こんなものを渡したのかよ!」
「そうだよー! けどさ、渡したのは私たちでも使うのはその子の自由じゃない? 白衣くん?」
 たんっ! 地面を蹴ってニケが大きく飛ぶ。セダンと彗が攻撃にはいる間もなく、ニケは健の前に着地した。
 甘い花の香りをまき散らしてニケは片手を健の首にまわし、しなだれる。肉体がぴったりとくっつき、顔があと数センチで触れ合ってしまいそうな距離に健は混乱した。
 悲しいかな男というものは女に弱い。たとえそれが敵でも。それも美人で、肉体も魅惑的な上、こうも無遠慮にくっつけられては健康な男子として戸惑ってしまうのは仕方がないことだ。
こいつは敵だ、と心の中で呪文を繰り返し、健は必死に平常心を保とうとした。
「んー、ちょびっとだらしなさそうなところ似てるかなぁ」
 ますますニケは健に顔を近づけてくる。あまりの無防備さに健はあやうく現在の危機的状況にかかわらず、魂と体が乖離しそうになった。
「に、似てるって、だ、だれさまに?」
「ニケのだーりぃんに! うちのは医者なんだよね、君、武器いっぱいもってるけど、医者じゃないの?」
「……し、しがない、理工系の大学生デスっ!」
 自分でも情けないと思うが、声が裏返ってしまった。
「なぁんだ、ま、だーりんのはずないか。じゃあ、」
 ニケはさっさと健から身を離す。
「――死、ね」
 ひらり、と空気が揺れた。健の目に赤い色が迫ってくる。

「――健!」
 怒気を孕んだ声が危ういバランスの上にある緊張を破壊した。強風が吹きだし、ニケの背中が僅かに揺らいだ。それに合わせて破裂音が轟く。
 セダンの風に合わせて彗の放った二発の弾丸。それはニケの体を貫くはずだった。しかし、片腕とは思えないバランスの良さを発揮したニケは地面ぎりぎりまで体を屈んで銃弾を避けると、身体を起こして素早くステップを踏み、健から距離をとったところでくるりと振り返る。
「失敗、失敗。ひどーい。いきなりだもん! ……死ぬところだったわ」
 赤い唇が笑い声をあげ、セダンと彗を見た。
「仲間を誘惑しないでもらおうか。健は初心なんだ」
「……ばかそうな女ね」
 殺気立つ四つの目にニケはにやにやと笑い続ける。
矢部は一線をひいたところに佇み、様子をうかがっていた。その瞳は静かな夜に浮かぶ月光のように冴え冴えと、破滅へと向かう少年も、今から死闘を繰り広げようとする仲間すら置いた遠いところに存在していた。

「止めなさいってば! 水流攻撃&目潰しっ」
 勢いのよい水が矢部とニケ、健とホロに狙いを定めて噴射された。
 撫子のトラベルギアによる攻撃だ。矢部は尻餅をつき、健とホロも巻き込まれた。唯一ニケだけが赤い髪の先を濡らすだけでことなきを得たが、周囲は白い泡と水に満たされ、ひどい有様となった。
「わーお、こわーい。じゃ、反撃は……あっ!」  
 ニケが飛躍したのに、撫子の背後からピンク色の矢――エルエムが細い足を延ばし、槍のように飛び蹴りを放つ。
 ニケとエルエムの足が宙でぶつかりあい、弾きあう。
 二人は宙で回転して、地面へと着地した。
「エルは話すのとかすごく苦手なんだよね、だから、ほろほろ!」
 エルエムはきっと倒れているホロを睨みつけた。
「本当の強さ、エルが見せてあげる!」
 太陽のような輝きに満ちた笑顔でエルエムは言い放つと、ニケを睨みつけた。腰を落とし、いつでも蹴りを放てる態勢にはいる。
「ふーん、本当の強さね、この子、そんなもの望んでるのかな? あんたは私に勝つ気なの?」
 格闘家であるエルエムは先ほどの一撃で相手の力量をある程度は見抜いていた。悔しいが、このニケという女は強い。自分よりも格上だ。
ホロに啖呵をきった手前、自分の頭で考えて、力で勝ってみせる。なにより格闘家としてのエルエムの闘争心にニケは火をつけた。
「みんな、手を出さないでね! エルの戦いなんだから!」
 エルエムは地面を蹴り飛ぶ。素早く相手の懐に入り、足払い。相手が片腕しかないなら、バランスさえ失えば――エルエルは足技使いとして、その弱点を心得ていた。足技は攻撃にはいるときが最も無防備になる。
その弱点をエルエムは自分の小柄さと力のなさをカバーすることも含めてスピードに重きを置いてきた。
相手も足技なら、それ以上のスピードでいけば――! 
 蹴りと、ともに舞布を巻きつけた拳を放つ。リーチはこれで埋まるはず。
 と、ニケは大きくその身を回転させた。エルエムの放った足に片手を置くと驚くほどのバランスの良さを使い、さらに飛んでエルエムの腕に片手一本で移動すると蹴りを――なんとエルエムの肉体を足場にして二発続けて放ってきた。
「!」
 顔面に食らう寸前でニケの足をなんとか避けるが、首に痛みを覚えた。ニケの足がなんと後頭部を打ち、ぐいっと力任せに引き寄せられる。前のりに崩れる無防備な状態のエルエムの肩にニケは足を置いて飛ぶ。
「どかーん!」
ニケはひらりと宙を舞い、エルエムの脳天に狙いを定めて踵落としを放つ。
ほとんど本能的危機感からエルエムはすぐさまに己の身を包む不要な衣服を脱ぎ捨て、ラピッドスタイルになると前へと走って逃げた。ニケの足は地面に振り下ろされ、めきっと音をたてて、地面にひびがはいった。
おおよそ一分にも見たいな攻防戦。
エルエムはすぐにニケに向き合い、その足元を見てぞっと全身の肌が泡立つのを感じた。もし逃げるのが遅れたら確実に死んでいた。
「あれ、うーん、じゃあ、次は外さないね!」
 全身をかけめぐる恐怖をエルエムは確かに感じた。

「強さ」
 ぽつりとホロは呟いた。その手にはまだ剣が握られたままだ。
「まだ、離せないのか」
 健の声にホロは深い闇の底の瞳で頷いた。
「……なら、俺と戦ってくれ」
「え」
「エルエムじゃないけど、俺も、きっと言葉だとまた失敗すると思う。だから俺と戦ってくれ、ホロ。その剣を捨てれないっていうなら、俺と戦って、負けたら、諦めてくれ」
 それは夢を捨てろと言っているのと同じことだ。
 健はセダンや彗のようにきっぱりと言葉で言い切ることが出来ない。
今まで生きてきたなかで多くのものを諦めてきたが、健自身がまだ夢を、未熟なりに人の役に立ちたいと思う気持ちを捨てきれないでいる。まだ一番大切なものは諦めたことはない。ホロはその一番大切なものを失おうとしている。
 諦めるな、といってやりたい。だが、そうしたら彼は最悪な結末を迎えることになる。それを避けるためにも健は決意した。
「どうだ?」
「……いいよ」
 ホロの声は諦念と哀惜が混じり、沈んでいた。
「よし、セダン、彗、旅団のこと頼む! あと、手、出すなよ!」
 健が叫ぶとセダンと彗は承諾の意味をこめて同時に肩を竦めた。
「さ、戦おう。ホロ!」

「熱血やね、けど、ええんかい? あのお兄さん、危ないやないやろか」
「呑気だな。私と彗、それに撫子を一人で相手することになるんだぞ」
「堪忍してや、自分は戦闘は嫌いや」
 まだ地面に泡まみれの姿で座って目を擦る矢部の姿をセダンは見降ろして眉を顰めた。
「お前、違うな? あの頭の悪そうな女と殺意もやる気も桁違いだ……低いという意味でな。ま、そっちもこちらと同じく寄せ集め集団のようだからな、変なことでもないか」
「うん、まぁ、ここにはニケの連れあいとしてきたのもあるけんね」
「だからって」撫子は腰に手をあてると、すたすたと矢部に近づき、胸倉を掴むとすー、はーと深呼吸をひとつ。大きく頭を振り下ろした。ごん! すばらしい音がする頭突きだった。
撫子も額を赤くして、痛みに顔をしかめたが、矢部も相当に痛かったらしく、あたたっと声を漏らして額を押さえる。
「ニケちゃんが心配でも、戦わないの!」
「おー、目がさめる一撃やったよ。水の攻撃といい……とりあえず立とうか。よっこいしょっと」
 彗は目を眇めた。
「あの剣を作ったのはあなた?」
「そうや」
「……ここに来る前に聞いたわ。九本もあるそうね……それも?」
「ああ、十本、刀をばらまいて、回収していった……あれが残りの一本や」
 彗は露骨に訝しげな顔をした。
「あなたは何のために武器を作るの」
「なに、とは? 鍛冶師は武器を作るもんやろ」
「……あんな刀を作って、戦いが好かない? よく言うわね」
「彗さん」
 思わず撫子が割ってはいった。この矢部のやる気のなさは、もしかしたらハンスと同じく、本当はしたくてこんなことをしているのではないのかもしれない。だったら、あまり責めてはかわいそうだ。
痛烈な皮肉を浴びても当の矢部は顔色一つ変えない。むしろ、逆に不思議そうな顔をした。
「鍛冶師は作るだけ、与えるだけ。それを使う者がどうしようと責任をとれというのはそれこそ無茶なことやないかね、お嬢さん」
「……僕も聞きたいことがある。悪意を溜めた剣を集めて、なにをするつもりだ? 世界樹とやらに関係あるのか?」
「いや、ぜんぜんあらへん。今回のは……ちょっと仲間のため、かねぇ」
「仲間?」
 セダンの問いに矢部はしゃべりすぎたと判断したのか口を噤んで首を横にふるばかり。
「矢部さんでいいんですよね、私は、撫子……矢部さんは、ニケちゃんのこと心配でついてきてるだけだって、思ったの。戦いが嫌いなら、少し離れるのとかどうかな? 私、出来れば矢部さんを浚いたいって思う。だってニケちゃんは強いみたいだし」
ちらりとエルエムと戦うニケを見て撫子は、力強く頷いた。
「こんなおじさんになって娘さんに口説かれるとは嬉しいね」
「冗談じゃないよ! 困ってる人は素直に助けを求めるべきなの! 男とか女とか年上とか年下とか関係なく、手を伸ばせば掴んでくれる人が絶対いるんだから!」
 撫子の言葉に矢部は破顔すると、ぽんぽんと撫子の頭を撫でた。
「ええ子やね、うん、ええ子や。自分、あんたみたいな子、好きやで。けど、ニケのことは心配しとらん。あれは、強い。それに、あれが今まで旅をしてきたのは、自分の良人を探してのことやしね」
 なぁ、と矢部は軽い口調で続ける。
「昔話を知っておるか? 昔な、悪い鬼に捕まった娘がおってな、数年後に、徳のある坊様がその娘さんが川で洗濯してるのを見つけていうんや。一緒に村に帰りましょうって」
 撫子は目を瞬かせる。その話と今の状況の関係がまったく検討つかない。
「けど、娘はいうた。川で洗濯ものの最中です、帰れませんって……なんでやと思う?」
「それは……えっと、なんで、かな」
「娘にとってはそれが日常やからや。どんなにいやなことでも続けていれば、それから逃れることはようできんなる。お嬢さん、あんたの申し出はそういうことや。自分はずいぶん、長いこと、あそこにおって、いろんな人を殺してきた、いろんなもんを犠牲にしてきた。今更、どの面さげて自分だけ安全なところにいくん? それこそ鬼畜外道やないか」
 淡々と矢部は笑って告げる言葉に撫子は俯いて拳を握りしめた。
「お前のいいたいことはわかった。……前から気になっていたんだが、お前達の中からどこかの世界に再帰属した、というやつはいるのか? ……そもそも、ロストナンバーは再帰属が可能、ということを知っているのか」
 セダンの問いに撫子と彗も息を飲んだ。
再帰属出来るか、出来ないか、知っているのか、いないのか、それはある意味、大いなる疑問。
六つの目に見つめられて、矢部は微笑んだ。 
「この場合の答えは両方とも――イエスやね」

 ホロの力量は先ほどの戦いで、健は理解していた。彼が向かってくるタイミングを計り、自分はわざとずらして走り出した。ホロが剣を振り下ろしたとき、健は懐に隠していた閃光手榴弾を放ち、視覚を奪いとることに成功すると続いて催涙手榴弾を放った。そのとき、一瞬だけ、躊躇った。ずるい方法で勝とうとしている。ホロ自身はそこまで強くはない。だが、真正面からの戦いではあの剣を相手にするのは接近戦に秀でているトンファーでも厄介すぎる。
ホロの夢を俺は潰そうとしている。だが、このままでいいはずがない。胸のなかに湧き上がる葛藤と戦いながらトンファーを構えて、ホロに向けて駆けた。
「うおおおっ!」
 くぐもった声をあげて健はホロの腕を強打し、催眠スプレーを放った。ホロの体が反れるとき、鉄版入りの軍靴で蹴りあげた。
 剣が、ホロの手から落ちる。
 健はスプレーを投げ捨て、ホロの右頬にパンチを放った。
「……っ」
 地面に倒されたホロは涙でぐちょぐちょの顔で健を睨みつけた。夢を破壊され者の憎悪の目だ。強烈で眩暈すら覚える。それでも健は容赦しなかった。潰すなら、とことんまでやる必要があった。
「この剣は約束どおり俺がもらう」
「っ……」
 泣き咽るホロを健は今すぐに抱きしめてやりたかった。それをぐった耐えて、剣を握りしめる。こんなものがあるから。剣を睨みつけたあと、健は顔をあげた。 
「ホロ、見ろよ、お前のために戦ってるやつがいるんだ、お前はそれをみろ! 強さがなんなのか良く知っておけよ!」

「あっけない終わりやな。所詮は、人を殺せん子供の夢か……自分の刀はよう斬れる。名刀っていうのはな、使い手の力量、そして鍛冶師の力量が同じではじめて出来上がる。やないと、ああして刀に振り回される、ただの妖刀にしかならん」
 矢部はホロを一度顎で示したあと悲しげな顔をした。
「自分はただ自分の刀を使う者を探しとる。過去に一人だけおったけど、その人は隠居してしまってね……自分の刀を使っている、その光景をまたみたい。そのために別の件もあるが刀をばらまくことにした。自分の意思でな、誰かのせいにするつもりはあらへん」
「……不愉快だわ」
 ぽつりと彗が吐き捨てた。
「あなたたち旅団のしていることはどれも気に食わないし、不愉快だわ」
「そうさね。選択はいろいろとあっても、これを選んだのは自分らや。なんとでもいえばええ。気に食わんなら、全力で潰せばええ……自分は覚悟しとる。さて、しゃべりすぎたね。自分もちょいとがんばろうかねぇ」
「矢部さん」
 撫子が弱弱しい声で呼ぶのに矢部は笑ったままセダンに歩み寄った。
「フィー!」
 セダンは相棒の名を呼ぶ。実は健が戦っているとき、彗に一つの可能性を聞き、鞘をとるように命令しておいたのだ。フィーは小さな体で懸命にセダンに走る。
 それよりもはやく矢部がセダンとの間合いをつめてきた。咄嗟にバスターソードで応戦するが、すぐさに自分の失敗に気が付いた。
 矢部の手は流れるようにバスターソードの上へと滑る。
「ごめんな?」
 悪気など少しも感じさせぬ笑みで矢部の懐から取り出された槌が剣と柄を繋げる細い部分を打つ。重い衝撃をセダンの両手は受け止め、膝を震わせてその場に崩れた。
「なっ」
「武器は壊しておらんが、持ち主そのものに衝撃を伝えておいた。しばらくは動けんからおとなしゅうしとき。さて、二人目」
「……なんでもきれる刀……鞘は切れないかと思ったけど」
 セダンが動けぬ今、フィーは判断に迷い、主の目が真っ直ぐに彗を見つめたのに黒塗りの鞘を彗に託した。
 託された彗は鞘を構えて、矢部と対峙する。
「うん、いい線いっとる。けど、残念、鞘は所詮は受け皿、壊れてもかまへん……投げ武器はそれが投げれなきゃ意味がないわな」
 しゅ! 風を切って、黒い鉄の刃が彗の銃の、トリガーに突き刺さる。
「さて、三人目……撫子はん、悪いけど、ちょいと人質、なってくれんかね? あのままやと、あんたの仲間、死ぬよ?」

 戦う赤と淡いピンクの二人を健とホロは見つめていた。
「エルエム!」
 健が叫んだ。どれだけエルエムが傷ついても、その姿を見届けようと決めていた。これがエルエムの戦いだから。
 健の横にいるホロは恐怖に顔を歪めた。
「どうして止めないの、平気なの?」
「平気じゃないさ!」
 押し殺した声で健は叫んだ。握りしめすぎた拳からは血が滴り落ちていた。
「エルエムの強さ、なんでああまでして戦っているのかわかるか、自分を信じているから。負け姿でもなんでも、自分自身を裏切ったらそれこそ最後なんだ」
「自分を裏切る」
「ホロ、諦めるってことも強さなんだ……かっこいいと俺は思う」

「はぁ、はぁ……っ」
 エルエムは息を荒く、ニケを睨みつけた。スピードなら幸いにもエルエムのほうが勝っていたが、間合いにはいろうとするのをニケは常に最低限の動きで牽制し続けた。
 無駄がなく、かつ一番効率いい方法でエルエムの動きを叩き潰していく。
(だめだ。スピードだけに頼ってちゃ、これがエルの一番だけど、相手だってはやい。それに強い)
 下唇を噛みしめてエルエムは真っ直ぐにニケを睨みつける。
 つい、弱気になっちゃった。エルらしくない!
「足技がすごくても、それ以上に間合いをつめたら一緒だもん!」
 エルエムは地面を蹴った。風すら追いつけぬ速さでニケの一撃をかいくぐり、迫る。片手に持つ舞布で自分とニケの腰をしっかりと縛り付けた。
「なっ!」
 エルエムは勝利を確信して微笑む。
「これで足技は膝までしか使えない! エルには拳がある!」
 ニケは片腕しかなく、今までの戦いでパンチは使ってなかった。
 エルエムはパンチを何度と繰り出し、ニケの顔面を強打した。たとえ女でも、いや、今はただのファイターとして、攻撃の手を緩めなかった。と、いきなり、ごりっと拳に今までとは違う感触がした。
「……お礼をいうわ。あんたのおかげで……真っ赤に染まったから!」
 右拳がヒットした顔でニケはニヒルに笑う。いきなりエルエムの脚に、ニケの脚が絡み付き、バランスを失って地面に叩きつけられた。顔面に頭突きが落とされた。
「かはっ!」
 ニケはエルエムの上に乗った状態で、決して逃げられないように足を締めつける。
「私は別にスピード技でも、足技でも、優れてるわけじゃないの。私の強さは、この極限状態で発揮される防御力!」
 めきめきめと、信じられないほどの重みがエルエムの全身に押し寄せ、肉が引き裂かれるような痛みに見舞われた。
「……エルは、エルは、あんたなんかに負けない! あんたたちになんか!」
 強さは絆を作り出す。
 エルエムの世界では戦いは当たり前で、そこには常に勝ち負けが存在した。
 強さを求めて自分で懸命に考えて、負けることでまた積み上げ、戦友を、宿敵を――言葉ではない力で結ばれたシンプルな信頼を作り出す。
エルエムが戦うのは目立ちたいとう純粋な気持ち。けど、戦うことが大好きなのはそうした言葉にできない素敵なものを今までの人生で培ってきたから。
 だから自分の強さをホロに見せると決めた。
 本当の自分が作った強さの素晴らしさを、たとえ負けても、作り上げるものがあることを。
 正直、ニケと戦い、この容赦のない強さに恐怖は抱いた。だが、それを振り払い、エルエムは戦った。
自分のために。自分を信じて、最後まで抵抗をやめないと決めたのだ。
 勝てない――だったら最高にかっこいい負け姿にしてみせる! ――腑がいない負け姿は自分が許さない。
「私は、だーりんに会うんだ。もう一度! そのためだったらどんなものでも犠牲にしてもいい! 私は踊り続けると決めた! そう、戦い続けるってね!」
 強烈な感情のぶつかりあいだった。エルエムの思いを強烈な赤が噛みつく、喰らっていく。
 エルエムにとって負けられない戦いは、ニケにとっても負けられない戦いなのだ。
「負けたといいなさい」
「いうもんか! っ……!」
「なら、このまま全身の骨をへし折ってあげる!」

「エルエム!」
 これ以上は危険だ。健は思わず走り出そうとしたとき
「ニケ、やめ」
 静かな声にニケは顔をあげた。撫子の首に腕をまわし、頭に片手を乗せた矢部が微笑んでいた。
「人質、とらしてもろたわ。健さんいうたな、刀、返してもらおうか」
「そっちこそ、エルエムを離せよ。この刀、折るぜ?」
「……あんたの体重をかけたところで、それは折れんよ。あんたに選ぶ路は一つしかない。刀を渡すことや」
 健は剣に自分の全体重をかけて折ろうとしたが、矢部が言うようにびくともしない。
 人質になっている撫子が困ったような視線を向けるのに健は躊躇いがちに剣を矢部の足元に投げた。矢部は撫子を解放し、剣を拾いあげた。
「誰も斬っとらんが、うん、夢の破れた味がしとるからまぁええやろう……さ、その子を離してあげ。死んでしまうよ」
 ニケは気を失ったエルエムの拘束から解かれるとするりと立ち上がった。
「ずいぶんと悠長にしたわね。矢部……試したわけ? 私が、裏切るか」
「ああ、試した。時間を稼いで、あんたが、寝返るかどうか。あんたの目的は別に人殺しせんでもええからな」
 ニケが牙を剥いた肉食獣の顔をしたが、それも一瞬、すぐに無表情になった。
「いいわ。今回は許してあげる。……行くわよ」
「ああ、おおきに。ニケ」
 赤いドレスが去っていく背に着物の男が続いて消えた。

クリエイターコメント 参加、ありがとうございました。

 今回は苦しい戦いになりました。
 みなさま一人、ひとりが選んだ行動はどれも最善であったと思います。
 みなさまのおかげでホロは強さに気がつけたはずです。
 矢部とニケ、そして集められた剣については今後のシナリオでまたお目にかかるでしょう。
公開日時2011-12-05(月) 21:20

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル