夕暮れ。 世界は茜色に染まっている。 知り合いの探偵から借り受けた探偵事務所に黒いスーツに片目には札をはりつけた情報屋が旅人たちと向き合っていた。暴霊事件があったので、その解決を依頼してきたのだ。「では、いつものようにお願いしますね。すぐに依頼主がくるように」 ドアが開いて依頼主が来たかと、情報屋が顔をあげた、それは一瞬の隙をついてやってきた。銀の首輪が情報屋の首を捕えた。その首輪には金の長い鎖がついており、その先に……同じく銀の首輪をされた一人の青年が立っていた。 約一メートルほどの鎖によって結ばれた両者は無言で見つめ合った。そして口を開いたのは黒いスーツに身を包ませたあどけない表情の青年のほうだった。「お久しぶりです。フッキ様。はじめまして、みなさま、依頼主の代理人です。申し訳ありませんが、依頼内容の変更をお願いします。 私の名前はアサギといいます。ハオ家の道具です。 依頼主からの伝言は以下の通りです……『今回はこちらから仕掛ける』。私とフッキ様を繋ぐ鎖は術によってある条件が満たされない場合は解けないようになってますので、無駄な抵抗はおやめてください」 アサギは小首を傾げて微笑んだ。「依頼内容ですが、皆さまには今から私がご案内するホテルに向かっていただきます。そのホテルの地下にあるパーティ会場にはおおよそ百人の人間がいますが、彼らが人質です。あなたがたが規定の時間内にホテルに入らなければハオ家の開発した感染型ウィルス【シェンヤ】によって死亡するようになっています。そして、私ですが、術によって施された時限爆弾が爆破、約一キロ範囲のものを屠るようになっています」「……つまりは、お前たちに従わなくてはどっちみち死ぬということか」情報屋が睨みつけると、アサギは頷いた。「みなさまの勝利条件はハオ家の術者が施した術を破ることです。それによってホテルのウィルス、フッキ様の呪縛も解除されます。ただし、この術には時間が設けられております。夜が開けるまで。正確には十時間。それを越えた場合、感染ウィルスにかかった者は死に、私の体内爆弾も爆破するようになっています。……以上で、御質問はないでしょうか? 今から、質問のタイムとなっております。私は術によって真実のみを話すように、となってますので偽りは申しません。そしてみなさまが知りたいことは全てお話するようになっています。ただし、いくつかの禁止事項がありますので、その場合は口を噤ませていただきます。そこはご容赦ください」「では聞くが、どんな術をホテルに施した。術者は誰だ」「……術者はカンレ様。ホテルに施した術は蟲毒です。人間を使った……ウィルス【シェンヤ】は、人の理性を奪い取り、凶暴化させます。それによってホテル内にいる者は殺し合いをすることになります。最後に一人だけ生き残り、その者を贄としてさらなる強力な術を使うことを目的としています。また、みなさまがホテルにはいったときから、この術は開始・発動することになっています」「つまりは、俺たちが術の発動スイッチということか?」 アサギはそこではじめて表情らしい表情を浮かべて――眉を顰めて頷いた。「そうなります。また、これはホテルすべてを満たすウィルスですが、みなさまには特別処置がとられています。それが私です。私自身には霊力、戦闘能力はありませんが、特殊能力として他者の霊力増幅・術の広範囲化・無効化の効力がございます。 この鎖には【シェンヤ】を九時間のみ、私のこの説明を聞いた方のみ無効化するようにプログラムされています。ですから、みなさまはウィルスに感染しても今から九時間以内は理性を保つことができます。ただし、夜明けの一時間前になれば理性を無くしますのでご注意ください。ホテルにいる人間はすべてが理性なくし、みなさまを襲うようになってます。むろん、襲われれば殺しても構いません。ホテルにはいったときから、みなさまはホテルに仕掛けられた術である蟲毒の生贄の一つとして数えさせてさせていただいてます」「つまりは、それは大掛かりな術を使うための生贄ということか? では、それによってどんな術を使う……っ!」 情報屋の口からすぅと血が漏れ、ごほごほと咳き込んだ。「質問をして、私が真実を答えた場合は、フッキ様の肉体の一部を代価としていただくようになります。みなさまが勝利した場合はこれらの代価はお返ししますが、敗北した場合はすべていただくようになります……そして第二の術についての質問ですが、それは禁止事項のため私はお答えできません。ただし、フッキ様が言われた通り、この蟲毒は巨大な術を使うための一つの過程です」 情報屋は血を吐きだしつくすと、乱暴に拳でそれを拭い去り、アサギと向きあった。「では質問を変える。この術を破る条件は? そして方法は?」「ホテル全体を蟲毒にしている禁呪を破壊することです。禁呪は全部で三つ存在します。……禁呪の二つはカンレ様のツキガミのシバァとカァリが所持しています。……残る一つについては禁止事項となっていますのでお答えできません」 情報屋の顔が血の気を失い青ざめた。「シバァと、カァリ? ……あの血まみれ姉妹か」「はい。……みなさまにはツキガミについてご説明しましょう。ハオ家には術者を守る戦闘兵器であるツキガミを所持している者がおります。彼らは元々は人が持つ道具であったものに術を施し、人型にしたものです。そしてこれらは人の業が強ければ強いほどに強くなります。今回のシバァとカァリは夫を呪い殺した女が術の道具として使っていた杭と槌を人型にしたものです。ハオ家でも群を抜いた戦闘能力を所持する有名な姉妹です」「お前は今まで明かした以外の術以外、なにがかけられている」「あとは一つだけ。私は真実の目と耳の術がかけられています。みなさまの行動、声は私の目と耳を通して私から伝わる情報はすべてカンレ様には真実として伝わります。もし困るというのでしたらホテルに入った地点で私のことは殺していただいても構いません。私はみなさまにゲェムを楽しんでいただくための誘導を申し使っているだけですから」 アサギは微笑んだ。その顔が沈みはじめる夕日によって照らされる。「もう一つ伝言です。『お前たちの無力を知るがいい』……では、ゲェムを開始しましょう。ホテルには、太陽が沈みきる前に訪れてください」
「ハル」 リーリス・キャロンの呼びかけに情報屋は肩を震わせた。 それは情報屋と名乗る彼が一度は捨て、もう二度と使わないとした名の切れはしだったからだ。 「そう呼ぶの、だめ? けど、ハルはお兄ちゃんに似てる。……お兄ちゃんはね、リーリスを庇って死んじゃったの。だから、今度はリーリスがハルを守りたいの」 己を見上げる赤い瞳に情報屋は困ったような顔をして頷く。するとリーリスは嬉しそうに笑って子猫のように情報屋の腕にしがみついた 「……なかなか物騒な事をやってくれるでござるな、ハオ家とは」 雪峰時光が刀に手を置いて呟いた。 「たった一人の者を殺すために、何百人も犠牲にするとは」 時光の視線を受けてアサギは飄々と笑った。 「敵であればどんなものであれ、始末するのがハオ家の決まりとなっています。裏切り者には死を、敵には破滅を、絶望を」 むしろ、その口調からは罪悪感などというものは一切感じられず、時光の怒りを煽ろうとしている節すらあった。 そんなものを相手にするほどに時光は愚かではなく、情報屋へと同情に満ちた視線を向けた。 「情報屋殿、投げやりにならないようにするでござるよ。貴殿が死んだ時に泣く者もいるでござろう」 「……はい。ありがとうございます」 「聞いてて思ったけど、すごい理不尽! アサギはいやじゃないわけ! あ、これ、質問じゃないからね!」 エルエム・メールが怒りを燃やした瞳でアサギに噛みつく。アサギは瞠目して首を不思議そうに傾げる。 「自分は、ハオ家の道具ですから、ハオ家のきまりには従います。それ以上に必要なことがありますか?」 「……うっわ、むかつく! こいつ嫌い! カンレってやつも、自分で殴りにこないとか、エルの一番嫌いなタイプだね!」 アサギの態度に心底、腹を立てて、エルエムは腰に手をあてて吐き捨てる。 「まぁ落ち着いて。ホテルに行く前に、アサギにいくつか質問したいんだけど……」 この事態に比較的落ち着いている篠宮紗弓がちらりと情報屋に視線を向けた。 質問をする、ということは、代価として情報屋の肉体が失われるということだ。いくらリスクが高い取引とはいえ、このまま情報もなく敵のいる場所へと行くことは無謀だ。 しかし、紗弓は、ここで質問を使用することに危惧を抱いていた。ひきだせる情報に対して代価が多すぎて情報屋が死に至るのではないかという危険性がないか、という心配がある。 「あ、質問するなら、待って! ハル……かがんで?」 リーリスの言葉に情報屋は怪訝な顔をしたまま屈みこんだ。するっとリーリスの手が情報屋の札で覆われた顔――失われた片目に触れる。 情報屋が驚いて後ろへと身をひくと、失った目を覆っていた札が剥がれおち、赤い眸が現れる。 リーリスはその様子ににこにこと笑っているが、片方の目は閉じられている。リーリスは何のためらいもなく自分の眼球を情報屋へと与えたのだ。 「リーリス嬢! これは……なんてことを! あなたの片目が……!」 「いいの。これはなおるから。……それに、だって少しでもハルの負担を軽くしたかったの。血肉の方が普通の呪具より強いもの……だから術の終着点を私にしたの」 「けど、そんなことをしたら、リーリスちゃん、あなたが」 紗弓が心配げに見つめるとリーリスは平然と笑った。 「大丈夫よ。術に介入した形だから、私の精気がハルの失われる内臓のかわりになるようにしたから」 リーリスが赤い片目でアサギを見つめた。 「試しに質問してみて、大丈夫だから」 「……わかったわ。質問に対して対価が多すぎるということはないの?」 紗弓の言葉にアサギは首を横に振った。 「絶対にありえません。術というものは対価分に相応しいものしか与えることはできません。……リーリス様の介入で、術の代価が少しばかり変化したようですね」 アサギはそのときはじめて忌々しいげに目でリーリスを見下ろした。 それにリーリスは赤い瞳に勝ち誇った色を湛えて、情報屋に向きなおる。 「ハル、平気?」 「ええ、おかげさまで……ただ質問をしすぎるとリーリス嬢の肉体に悪影響が出る恐れがありますので、どうか手短くにしてください」 情報屋の言葉に紗弓が頷く。 「質問だけど、他のみんなはなにかある?」 リーリスのおかげで質問をすることに躊躇いはなくなったとはいえ、負担はかかっているのだ。出来る限り質問は少なく、かつ効率よく情報は引き出したほうがいい。 「私から質問! たぶん、これはとっても大切なことだよ。爆弾についてなの。いいかな?」 「爆弾のこと……そうね、リーリスちゃんが質問をしてみて」 リーリスがアサギを見上げる。 「アサギは自分が死んでもいいっていうけど、もしアサギが死んだら、爆弾はどうなるの? 解除してくれる人はいるの?」 「私が死んだ場合は、爆弾は解除されません。これの解除は私個人でできるようになっています。みなさんをホテルに連れていくことが叶わない場合、またみなさまに殺された場合は爆発するという選択肢しか残っていません」 つまりは、アサギを殺すことは爆弾のスイッチをいれると同じことになるのだ。彼が敵である自分たちに囲まれて余裕綽綽な理由がここでようやくわかった。 「他に質問はみんなはあるかしら?」 「エルはとくにないよ」 「拙者も、お任せするでござる」 エルエムと時光の言葉に紗弓は頷き、アサギに向き直った。 「ホテルの場所は教えてもらえないの? あなたに案内されない方法はないのかしら? あと、案内したあなたをホテルから出すことは出来るのかしら?」 「ホテルの場所についてですが、私は、ただこの身を使って案内するだけです。建物には術によって、私が案内しない限りはわからないようになっていますし、ホテルに入ったあと、私を外に出すということは術で不可能になります」 「ホテルにかかった呪いを支えている物は三つといったけど、それは呪具なのかしら? そして、今の、私たちがここにいる地点で、ホテルに三つは存在するの」 「呪具という言い方は正しいでしょう。ただし形、存在については教えることはできません。そして二つ目についてですが、いいえ」 「なにそれ! 外にあるの!」 エルエムが叫ぶとアサギは首を横にふって質問の続きをつけくわえた。 「ただし、今の地点では、です。ゲェムは常に公平に進みます」 紗弓の眉がぴくりと動きはしたが、それ以上の変化を顔に出すこともなく、さらには深く聞くことは避けた。 わざと話題を変えるように紗弓はリーリスに視線を向ける。 「……リーリスちゃんは平気? 出来ればシバァとカァリについても聞きたいんだけど……情報屋は何か知っていることはある? この二体について」 紗弓が気遣わしげに視線を向けるとリーリスはにこりと笑って頷く。その横にいる情報屋にしてもリーリスのおかげで顔色は落ち着いている。 「俺が知る限り……二人は、接近戦を得意とするタイプだったと、それも殺された人間の死体は何か重いもので叩きつけられたようにひしゃげていた、としか」 「そう、それだけあれば十分だわ」 紗弓が満足するのに、アサギは首を傾げた。 「質問は以上でよろしいのですか? 問われれば答えますが、ホテルにはいるとうるさくなりますので、ここでしか落ち着いて質問はできないかもしれませんよ」 「知りたいことはすべて知ったわ。御心配なく」 紗弓のぴしゃりとした声にアサギは頷いた。 「では、よろしければ、ホテルに御案内しますよ」 外に出ると、太陽は沈みはじめ、空は深い絶望を集めたような闇が広がろうとしていた。 ★ ★ ★ アサギが口にしたように、建物のなかにはいるまで、そこがどこにあるのか誰にもわかりしなかった。 人通りのある道を歩き、どこかの建物を目指している、ということまでわかったが、ドアをくぐってなかにはいるところの記憶は曖昧で、唐突に「ホテルのなか」にいたのだ。 突然視界にあらわれたホテルのロビー。 赤絨毯が敷かれ、天井にはシャンデリア、その下にはソファが置かれ、奥側にはレストランもあるようだ。入ってきた入り口には右手には受付カウンター……確かに金をふんだんに使った高級ホテルは、着飾った人の姿から笑いあい、実に和やかだ。 ロビーを眺めたあと振り返れば、透明な硝子のドアはあった。 エルエムが駆けよってドアノブに手をかけて押しても、引いても微動だにしない。 「開かない!」 「術で封印をされたのです。このゲェムが終わるまではなかにいる者は外には出れず、外にいる者はなかにはいれないようにしているんです」 と、アサギは静かに説明すると目を細めた 「そろそろ、ウィルスがかかりますよ」 「む……みなの様子がおかしいでござる」 時光が腰の刀に手を置いた。 今まで笑いあっていた人々が突然と力なく項垂れる。 ふらふらとまるで出来の悪い操り人形と化した人々のなかから声があがった。 「あはははははははははは」 それが合図だった。 彼らは突然と殴り合いをはじめたのだ。それも先ほどまで仲良く笑いあっていた同士で。 血を流し、床に倒し、襲いかかり、それでも笑っている。 「うははははははははははは!」 カウンターにいたホテルマンが飛び出すと、六人へと向かって吼えて突撃してきた。 「させぬ!」 時光が鋭い声を発して、睨みつける。 居竦――目に殺意を宿し、睨んだ相手を金縛りとする技だ。理性を無くし、ただの獣のような彼らでも、否、理性がないからこそ本能的の恐怖が勝って動かなくなったのに、素早くリーリスが前へと進み出る。 リーリスは片目でここにいる者たちを一瞥すると、優雅に笑った。 「動くな」 凛とした声に、突然と殺し合いをしていた者たちが動きをとめて、ぼんやりとリーリスへと呆けた視線を向ける。 「お前たちは立ち続けるだけの私の人形」 リーリスの魅了の言葉に彼らはその言葉のままに動かなくなった。それを満足げに見届けてリーリスはくると振りかえる。 「これで殺し合いはしないよ。私が魅了したから、その間はみんな私の言うことを聞くから!」 「どれくらい持つのかしら?」 紗弓が訝しげに尋ねるとリーリスは、んーと首を横に傾げた。 「たぶん、夜明けまでは大丈夫。人数が多いけど、なんとかなるよ。いまのでここにいる人たちほとんど動かなくさせたから」 「すごーい! やるじゃん!」 エルエムがはしゃいだ声をあげる。 「よし、このまま誰も死なずに、むかつくやつをぶん殴ってやるんだから! あんたもぶん殴るからね!」 アサギは肩を竦めた。 「それは楽しみにしてます。エルエム様……このホテルの電気類については作動しているのでエレベーターでの移動はできるようになっています」 アサギは目の前で行われるはずの殺し合いが阻止されたのになんら示さず、自分のこの場での役目――案内を続行しようとする。 「一つ、拙者から質問をしてもいいでござるか」 と、時光が口を開いた。 「なんでしょうか? 時光様」 「このホテルの中で、拙者達の他にウィルスを無効化している存在の場所を教えてほしいでござる」 「……二か所までなら教え出来ます」 「うっそー、教えてくれるの!」 エルエムが声をあげた。まさか、敵のところまで案内しろといわれてアサギがそれに応じるとは思いもしなかったのだ。 「一つは、ここにいる私。もう一つは、六階の廊下にはシバァ、カァリがいます。ただし、ツキガミは己で移動できるので、この情報が古いという可能性もありますのでご容赦くださいませ」 その答えに、行くところと、するべきことは決まった。 時間短縮のため、ロビーの右手にあるエレベーターを使っての移動をすることになった。 エレベーターがやってくるまでの僅かな待ち時間。 リーリスは情報屋の服をくいくいと引っ張った。 「ハル、あのね、私のあげた目、ハルなら使いこなさせるよ。魔術の痕跡を読むことができるようになるから、なにかのときは活用して」 「リーリス嬢、これが終わったら、この目はちゃんとお返ししますから」 「気にしなくていいのに」 唇を尖らせてリーリスの頭を情報屋は笑って撫でた。 「リーリスちゃん、ちょっといいかしら?」 と、紗弓の声にリーリスは首を軽く傾げる。 「なぁに?」 「あのね」 紗弓は身を屈めてリーリスの耳元に囁きかける。 自分が感じている、このホテルにある壊すべき魔具の三つ目の可能性を。――それは、アサギから聞きだした情報、そしてこんな大掛かりのことをしでかすハオ家の術者の性格から考えて――すなわち、三つ目は情報屋本人ではないかということだ。 情報屋もまた、過去にはハオ家に属し、その肉体は魔具となるための術が施されている。自分も知らずに術に使われている可能性――ここに彼を無理をしても連れてこようとしていることから考えても可能性は高い。なによりも情報屋であると自分たちも迂闊に手を出せない。 告げられたのにリーリスは赤い眸を僅かに細めたあと無言で頷いた。 「内緒話ですか?」 アサギが二人のやりとりに突然と声をかけてきた。 「そう、女同士の内緒話なの」 リーリスは屈託なく笑う。 「興味深いですね、教えてくださいよ。みなさんに情報を提供しているのですし、こちらもいろいろと知っても不公平はないですよね?」 「うーん、どうしようかなぁ」 リーリスは可愛らしく首を傾げると、ちょうど、ちーんとエレベーターが到着したベルが鳴った。 「いいよ。教えてあげる。たとえば、アサギが三番目ってことはないのかなってこと」 リーリスはにこにこと笑ってそれだけいうと、エレベーターに乗り込む。アサギはその背に暗い視線を向けるのを、紗弓は黙って観察した。自分の考えが正しいのか、間違っているのか、知るために。 ★ ★ ★ ホテルの六階にエレベーターが到着すると、時光とエルエムが先に出た。 「エルエムちゃん、時光くん、私は出来る限り、術者を探したいんだけどいいかしら? 風と使い魔たちを使えば見つけられると思うわ」 それは戦闘には積極的に参加できないということだ。やや心苦しい面持ちで紗弓が見つめると、エルエムは笑って胸を叩いた。 「戦うのはエルと時光に任せてよ! それに考えたんだけど」ここでエルエムはアサギの耳を気にして――ここで術者に聞かれて逃げられるわけにはいかない。「襲われることもない、監視できる場所にいるんじゃないかな。アサギが見てるにしてもエルたちがふた手にわかれるとも思っていたはずだし」 「……そうね」 廊下まで歩いていくと、エルエムが戦士とものへと変わる。その視線の先に二つの人影が存在した。 「おや、はやいね。アサギのやつが答えたのかい」 「おぬしたちが……?」 時光が怪訝な顔をする。 それもそうだ。目の前に立つのは十歳くらいの、スカート姿の少女――見た目だけをいうならばあどけなさすら感じさせる。しかし、その片手には長い鉄の棒の先に人の顔ほどのある鉄の塊をつけたハンマーを所有していた。 その傍らには筋肉質なショートカットの女が立っている。 「剣士のほうは私がもらうよ」 「ええ、カァリ姉さま」 カァリと言われたハンマーを持つ少女が時光の間合いに入り込む。 「むっ」 カァリがハンマーを振りかざすのに、時光の風斬を鞘から抜きとり、受け止めた。ずる、ずるっと後ろへ、後ろへと押されてゆく。 「時光!」 エルエムが助けようとしたとき、前方からパンチが放たれた。 「お前の相手は私だよ!」 「はぁああ!」 時光は、己にのしかかる重さを、押し戻す。 後ろへと押し返されたカァリが舌打ちとともに時光から距離をとるのに、今度は時光が斬り込む番であった。 「あんたがシバァ?」 エルエムはパンチを難なく避けて、もう一人の敵を睨みつける。 「そうさ。かわいいお嬢ちゃん。踊り子かい? だったら来る場所を間違えてるんじゃないのかい?」 「それはエルの踊りを見てからいうことね! あんたの太い足じゃあ、踊りなんて踊れそうないけどね!」 「はっ、このアマがぁ!」 シバァが飛びかかるのに、エルエムがすぐさまに戦いの態勢をとった。 時光は刀を一度鞘のなかへと仕舞うと、前へと進み出る。間合いを詰める、詰める、そして抜く。 鞘から解き放たれた刀はまるで獣のように顔を出す。 何にも止められぬ速さで、速く、速く。 どこまでも伸びる、伸びる、伸びる。 カァリが慌てて後ろへと逃げたが、直前まで鞘のなかにあった刃は、しなやかな鞭のようにカァリの腕を切り落とした。 さらには持っていたハンマーも真っ二つに切れて使いものにならなくなったのに、カァリは忌々しげにハンマーを床に捨てると、なんの迷いもなく背を向けて走り出した。 突然の逃亡だった。 だが、その理由はすぐにわかった。時間を稼ごうとしているのだ。 「待て!」 追いかける時光。 廊下の角でカァリは足を止め、踵返す。と、殴りかかってきた。 その不意打ちに受け身を取り損ね、腹に受けると、壁まで飛ばされ、時光が痛みに呻き、崩れる。 「しねぇ!」 カァリが片腕を高くあげ、振りおろそうとした。このまま拳が落ちればただではすまない。時光が刀を強く握りしめ、ふりあげる。 その勝負は一瞬だった。――風斬が宙をしなやかに走り――斬! カァリが僅かに動きを鈍らせたとき、時光の風斬が、彼女の肉体を真っ二つに斬った。 カァリは時光との戦いに夢中で、その背後にリーリスが立っていたことる気が付かなかった。リーリスの眸に力があり、それが己の動きを鈍らせるなどとも思いもしなかったのだ。 「あ、ああ、……ます、たぁ」 二つに叩き切れたカァリの肉体は薄れ、血文字の施された真っ二つに叩き切られたハンマーがその場に残された。 シバァの動きは、素早さが武器であるエルエムから見れば遅くその攻撃を避けることはなんら難しいことではなかった。 身を屈めて、エルエムは舞う。 手を床につくと、柔軟な下半身を動かし、シバァの顔に狙いを定めて、飛び蹴りを放つ。 ――きまった。 威力のあるキックを顔に受けたならばひとたまりもない。――はずだが、シバァは立っていた。 さらには笑う余裕すらある。 ぎょっとエルエムはシバァから飛び離れるが、そのとき、片足に何かかたいものを蹴ったときに覚える痛みが走った。 シバァを蹴った足がじりじりと痛むのだ。 「なに、こいつ……!」 もう一度、容赦のないキックを放つ。今度もまた顔を狙ったが、シバァはそれを片手で受け止めると、エルエムを捕えた。 「おらよっ」 力をこめてエルエムの体は投げ飛ばされ、さらには容赦のない拳が見舞われ、壁へと叩きつけられた。 「きゃあ! ……くっ!」 「私の正体は鉄なんだよ。鉄の杭! 打たれるためにいるのさ! あんたの体はハンマーにしちゃひよわすぎね!」 シバァはエルエムに襲いかかろうとしたとき、紗弓の使い魔である銀月が間にわりこんだ。 銀月は牙を剥き、氷の刃を放つ。シバァの体は、それでは傷つかないが打撃に後ろへと飛ぶ。その隙をついてエルエムは立ち上がる。 「これならどう!」 本当は術者が出てくるまで温存しておくつもりだったが、ここで負けるわけにはいかない。エルエムは衣服の一部を脱ぎする。 「コスチューム、ラピッドスタイル!」 エルエムは床を蹴って、身軽になると天井ぎりぎりまで飛び、足に虹の舞布を巻きつけると、蹴りを放つ。 落下による重みと腰に捻りをくわえ、さらに攻撃力を増した増すキックが、それがシバァの顔面に落ちる。 「!」 エルエムの蹴りにシバァの身は後ろへと吹っ飛び、廊下の端まで吹っ飛ばされる。 「がぁ、あ、ああ」 シバァは仰向けに転がると苦しげに何度も咳き込み、憎々しげにエルエムを睨みつける視線を、戦士としてエルエムは静かに受け止める。 「は、油断したね。巨大ハンマーになりやがった……ます、たぁ……ごめんなさい……」 シバァであったものは、その姿を赤い血文字が施された鉄の杭へと変え、真っ二つに砕け散った。 「……見つけ出したわ!」 紗弓が叫んだ。 ★ ★ ★ エルエムの予想通り――紗弓が見つけた術者の居場所はホテルのロビーの奥に存在する、ホテルの監視カメラのモニタが見える部屋だった。 ノートで連絡し、ロビーで合流した。 ロビーではうー、うー、うーとリーリスの魅力によって動きを封じられた人々が聞く者の心を不安と恐怖にかきたてるような苦しみの声をあげている。 苦しげな人々を横目に紗弓が先行するについていきながらリーリスは情報屋を見上げた。 「ハル、キララを出すこと、できる?」 「キララを?」 リーリスの問いに情報屋は眉間を寄せた。 「きっと外にも術者がいると思うの。そいつを倒すことも考えなくちゃだめだよ。だって、これが蟲毒なら、最後の贄はハルか術者本人だと思うの。私はここに残って人が殺されないようにするから、その間に外の術者を捕まえにいって」 「リーリス嬢、あなたの仮説があっていたら、そうさせていただきます。あなたを信じています」 ロビーのカウンターを抜け、その奥の部屋へと入と、そこには階段があり、地下へと降りることができた。 長い階段を下りた先に黒い扉がある。 紗弓がみなを見つめて頷くと、ドアを蹴り開ける。 いくつもの監視モニタを背に、床に描かれた魔法陣の上に一人の女が立っていた。 「とうとう来たのね。ツキガミたちも倒されたけど、三つ目はわかっているのかしら」 余裕綽綽な術者に、紗弓は口元に笑みを浮かべた。 「今から、その居所をあなたに聞くのよ」 「私が黙って捕まると思っているの?」 カンレが動こうとしたとき、時光が入り口横にある額縁にかかった絵を投げてカンレの注意が逸らされたのに、エルエムが素早く後ろにまわりこんで羽交い締めする。 「っ! 話すと思うの? この私が!」 吼えるカンレに紗弓は黙って近づくと、精神感応の術を施そうとした。それにカンレは夢中で暴れ立てた。 取り押さえるのには時光もくわわり、二人かかりで押さえつけたのに紗弓が魔法を施す。カンレはハオ家の術者だけはありはじめは強い抵抗をしめしたが、それも徐々に弱まっていったが、突然とカレンが何かを吐きだした。 血と、噛みちぎられた舌だ。 「舌を噛み切った!」 それはカンレの最後の抵抗だった。 敵に情報を流すくらいならば舌を噛み切り、己の声を封じるという。 「……っ!」 紗弓は険しい顔をして、カンレを睨みつけ、魔法の力を強めた。 「リーリスちゃん、悪いけど手伝って」 「うん!」 紗弓とリーリスの二人がかりに、カレンはぐったりと項垂れるのに紗弓は魔法がかかったのを確信した。 「三つ目はどこ!」 虚ろとカンレが顔をあげ、目が、紗弓を見つめ、宙を彷徨う。 カンレの眸が、じっとある一点を見つめた。 その場にいた者たちの視線がそちらへと向く。――アサギは微笑んだ。 「役立たず」 とたんに、カンレの体が大きく震えあがり、全身の皮膚が裂けて倒れた。 「これは……!」 と、時光が目を見開く。 「カンレ様もまたウィルスにかかっていたんです。作戦が失敗した場合、自動的に死ぬようにと……私はハオ家の道具、そして、術などは使えませんが、特殊体質として霊力の増幅・術の広範囲化・無効化がある、と。そうです。私がここに入ることで、ここのホテルの術は作動するようになっていたんです。 可能性を疑ったときはさすがにひんやりとしましたが、幸い邪魔はなかったので術は完成しました。そして、発動することも叶います」 「そんなことさせないわよ!」 紗弓が叫び、鋭い風の刃が、アサギの身を引き裂き、その右腕に――赤い血文字を見つけだした。 風の刃はなんの躊躇いもなく、アサギの、腕を根元から斬り落とすと、ずたずたに切り裂いた。 「私たちの勝ちよ!」 挑むように紗弓はアサギを見つめる。 「お見事。ですが、ここにある術はすでに作動しているんです」 片腕を失ってもなおアサギは笑っていた。そして、抵抗する情報屋を鎖によってひきずって魔法陣の中央へと歩いた。 「この魔法陣は、一度だけ空間を行き来するのもの……みなさまの倒したハオ家の術者、ツキガミ、私の体質もあわせれば二人くらいは移動することは可能なんですよ。本当はここにいる者たちを殺し、あなたがたをハオ家へと連れていくつもりでしたが、まぁいいでしょう」 魔法陣が輝き始める。 「ハル!」 リーリスが叫び、手を伸ばす。しかし、それは届くことはなかった。 「お前たちの無力を思い知るがいい」 その言葉を残して、アサギは情報屋と共にその姿を消し去った。
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