ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。 希望の階（きざはし）・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。●ご案内このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか？このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが見つけたいもの（「美味しい魚が食べられるお店」など）・それを見つけるための方法・目的のものを見つけた場合の反応や行動などを書くようにして下さい。「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。
少ない陸地に並ぶ街並みは雑然としていて、纏まりが無い分そこに住む者達が様々である事を知らせる。波音と共に聞こえるのは、市場で売り込みをする呼び込みや港を離れる水夫達を見送る声だろうか。 「……こうして見ると、なかなか乱雑な都市のようですね。これなら、退屈せずに済みそうです」 変わらずひとつであるのは、無限に広がる海くらいだろう。ジャンクヘヴンの街並みを眺めながら、ファレル・アップルジャックはクス、と小さく笑みを零して呟く。 護衛船の到着まで、まだ時間がある。船が来る時まで希望の階の街並みに目を細め、歩を進めた。 騒がしい市場を横切り、そこから路地の方に曲がる。陽光がよく当たる先程の道行きよりも、幾分か薄暗くあまり良さそうな雰囲気は感じない。けれどもそれは承知していた事であり、身に染み付いた慣れで意にも介さず周囲へ視線を廻らせる。 「さて……この辺りだと聞いたのですが」 話を聞いた限りはそうだった筈だが、大雑把な位置しか聞いていない事と陽のあたる所から外れた路地では些か分かり難い。土地勘があるという訳でも無く、ただ探し歩くだけではそれだけで時間を無駄に浪費してしまうだろう。 ファレルは一度周囲を見渡して誰も居ない事を確認してから、一箇所に空気の分子を固める。目には見えないそれを踏み台にして近場の建物の床ではない平面を足掛かりとし、この辺りを見通せそうな所の屋上まで駆け上がる。吹き付けて来た潮風が、屋上の竿に干された洗濯物の白いシーツとファレル自身の茶髪を揺らした。 何処よりも高い、という訳ではないが眼下一帯を見下ろすには充分。街の上方から、目的の場所を探す。 「ああ……恐らくは、あの建物ですね」 上から見下ろしても、分かり辛い一角。申し訳程度でしかない薄汚れた看板と、あまり柄の宜しく無さそうな男達が出入りしているのが見えた。 多分間違いないだろう、と見切りを付け、ファレルは建物の屋上から飛び降りる。当然の事ながら、そのまま飛び降りただけでは単なる自殺行為。着地する足元の地面に空気を集め、クッションのようにして衝撃を和らげた。 着地で舞い散る塵は気にしない。緊張など無縁のまま、目的の場所へと入っていく。 そこは、荒くれ者の船乗り御用達の酒場。陽のあたる通りにある酒場とは違い給仕の娘などおらず、カウンターには無骨という印象が似合うマスターが静かに佇んでいる。まだ明るい時間帯の所為でもあるのだろうか、照明も無く天井のシーリングファンが乾いた音を立てて回っていた。 テーブル席には着かず、向かうのはカウンターの方。旅人の外套という加護はあるが、大衆向けの場所ではないからだろう。常連でもない余所者は嫌でも目立つ。歓迎ではない視線を受けながら、出入り口に最も近いカウンター席に腰掛ける。 「マスター、スコッチを一杯」 突き刺さるような注視の数々には気付いていない振りを通し、短く注文を頼む。言葉に酒場のマスターはファレルの方を一瞥したものの何も言わず、黙って注文の用意をし始めた。 頼んだものは大して時間が要るようなものではない。僅かな時を待っていると、テーブル席の方からファレルの方へ数人の男が近付いて来た。 「オイオイ迷子かぁ？」 「ここはガキがスコッチなんぞを飲みに来る場所じゃねぇよ」 「子供は大人しくミルクでも飲んでな！」 男達の顔に覚えはない。単に絡んで来ただけといった低俗な笑い声を右から左に流しながら、ファレルは僅かに口唇を弧に形作る。 「クス……心外ですねえ。私は大人ですよ」 言葉だけなら、まだ虚栄とでも思われたかもしれない。だが、動揺も無い静謐な表情が強がりではないという事を物語る。 柄の悪い男達に少々凄まれただけでも、軟弱な者ならば慌てて逃げ出してしまうだろう。事実、男達もそう思っていたようで予想とは違う反応に面喰らったような表情をしていた。 このくらいで驚くようでは。思うが、それとは別の言葉をファレルは差し出す。 「そう――少なくとも、昼間から酒を飲んで管を巻き、年下の男に因縁をつけるような男達と違って、ね」 微かに振り返った紫の瞳が鋭く男達を射抜く。ふ、と漏らした息に然したる意味を持たせた心算は無かったが、絡んで来た男達を逆上させるには充分過ぎた。 「てめぇ！」 ガタリ、と傍のカウンターが揺れ、男の内一人がファレルに掴み掛かろうとする。 ただ感情に任せただけの動き。読むには容易い、とファレルはギリギリまで機を待ち、男の手が胸倉に届く寸前に自身が掴み掛かろうとする男の腕を左手で掴む。そこで男の動きは止まるが、それだけでは終わらせずに同じく絡んで来た別の男の方を一瞥。その男が何かしらの反応をするよりも早く、ファレルは掴んでいた男の腕を唐突なタイミングで離すと同時に無防備な膝元を蹴り、其方に飛ばす。それを予想していなかった二人の男は互いに身を衝突させる羽目になり、どちらも床と仲良くなる結果に終わる。 あまり丈夫でないらしい床板が軋む音を聞きながら、ファレルは最後に残った男を見遣った。腰元に手を遣る男の脇腹には、素早く展開させていたトラベルギアの小銃を突き付けていた。 「……何か？」 台詞自体は問い掛けだが、含める意味は問い掛けなどではない。 此処でナイフなり凶器を取り出してやり合うようなら――後は、言葉ではなく本能が察するだろう。 まるで時が止まったように硬直が続いた後、ファレルはそっと銃口を押し付けていた所から離す。そこで緊張は一気に緩み、男達は最初の態度も何処へやらそそくさと酒場を出て行った。 「……やれやれ、酒を飲みに来た心算が害虫退治になってしまいました。まあ、奉仕活動のようなものだと思っておきましょうか」 落とした呟きは淡々とした響きさえ持つ。トラベルギアをパスホルダーに収納し、何事も無かったかのように振る舞う。 絡まれる事態になるとは想定していなかった。ただ、その後は対処も含めて予想出来ていた。他愛も無いが、暇潰しにはなっただろうかと思考を浮かべる。 「……そろそろ待ち合わせ場所に行きましょうか。マスター、御邪魔しましたね」 先程の事の所為で注文が流れたも同然だが、時間は時間。席を立ち、緩やかな足取りで酒場を出ていく。出て行く間際にマスターが低い声で放った「気にするな」という声を背で受け取った後、今度は普通に足で市場の方へ出向く。 酒場での一悶着はあったが、それは収穫というには少々無粋過ぎる。このままではつまらないだろう、と思った所でふと目に付いたのは市場で売り出されている果実の店棚だった。 「この果物を一つ」 店棚に並ぶ果実を一つ手に取り、店主に料金を払って再び歩みながらファレルは買った果物に目を落とす。 見慣れない果実。実は固くも軟らかくも無く、甘く芳醇な香りが手にするだけでも鼻腔に届いた。 この依頼が終わって０世界に戻ったら、ブルーインブルーでの御土産として持って行こう。見るからに甘い芳香を放つ果実に、彼女は金の髪を揺らして喜んでくれるだろうか。 そうであれば良い、とファレルは待ち合わせの場所に向かいながら、活気溢れるジャンクヘヴンの様子にまた一つ、クス、と笑みを零す。 「……それにしても、此処は退屈のしない街ですねえ」 その独白は、今も忙しなく生活を営む人々の声の中に溶けて流れていった。 了
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