クリエイター櫻井文規(wogu2578)
管理番号1156-22854 オファー日2013-03-15(金) 00:52

オファーPC 森山 天童(craf2831)ツーリスト 男 32歳 鞍馬の黒天狗

<ノベル>

 煙管から立ち昇る紫煙が一筋、ゆうらり揺れて宙に融けていく。その消え行く様をぼうやりと見つめながら、天童は紫の双眸を二度ばかりゆるりと瞬いた。
 香を焚き付けた藤色の羽織で細身の体躯を包み、背を壁に押し当てて、しどけなく胡座を組んで座った姿勢のままに、天童はわずかに視線を移ろわせる。
 黒ずみ、湿気を吸いあげた板張りの床。紫檀を合わせた床柱は、当然ながら容易く破けることのない分厚さをもっている。畳三枚分ほどの広さしかない空間の向こう、同じく紫檀を用い造られた木戸が視界を塞ぐ。
 床柱や木戸の肌には数多の引掻き傷があり、その傷の中には白々とした小さな貝殻のようなものが紛れ込んでいる。検めるまでもなく、それらが十指の先にあった爪であることも容易に知れた。 木戸の向こうはおろか、外界の風景を窺うことすら適うことのない密閉された空間の中、あるのは皿の上で溶けて塊と化している蝋燭ばかり。昼とも夜とも知れぬ、流れの見えぬ時間の移ろいの中、蝋の減ってゆくのばかりがそれを知らせていた。
 天童には覚えがある。この空間とは馴染みを得たことがあるのだ。
 ゆうらり揺らぎ消えていく紫煙。その昇る先を見つめつつ、天童は小さなため息を落とす。
 黒羽は穢れの依り代だ。
 禁忌の象徴ともされているそれを背に伸ばし生まれた天童は、鞍馬の黒天狗と称され、忌むべきものとして扱われていた。故に長く座敷牢に繋がれ、その一切の自由を封じられていたのだ。さほど広くもない牢の中、繋がれた初めの内は飽きもせずに暗澹の中彷徨った。されどそれも消えゆく蝋の数を重ねる内、あるいは牢のどこにも抜け出す余地の無いのを幾度となく検め重ねる内に、諦念と自嘲とがない交ぜとなり、思考は当面の答を見出すに至ったのだろう。
 壁に背を預け、揺らぐことをすらしない暗闇を、果たしてどれだけの時間、こうして見つめ続けていただろう。目蓋を伏せてもなお、難を覚えるまでもなく歩き移ろうことも出来る。どの壁のどの位置に如何なる傷が残されているのかすらも記憶していた。
 けれど今、天童を包む闇は万全たる暗礁の底に沈んではいない。蝋に点された炎の朱が、一層妖しげな火影を描き揺れている。吐き出す紫煙は火影の中で波を打ち、その向こうに閉ざされたままの木戸に薄い絵をしるしていた。
 ゆうらりゆらりと立ち昇り消えていく煙の流れに逆らい、天童は視線を己の足元へ落とす。見れば足首には細い糸を幾本も合わせて綴り織られた布で出来た赤い紐が結ばれている。常であれば左手の薬指に巻き結んでいるそれと同じ物。それが何故に足首に巻かれ結ばれているのか――そのようなこと、考慮するまでもない。
 知れたこと。
 煙管を口に運びつつ、天童はひどく冷静な頭で思う。
 ――まァ、ほんにええ加減、たいぎな夢やわなァ
 紫煙を吐き出すついで、独り言をごちた。応えなどあろうはずもない。筋であれば、座敷牢には牢番がいるはずなのだ。牢番を務める者の中には、戯れに話し相手を担ってくれる者もいる。しかしこの――幾度となく繰り返し見てきたことのある生々しい夢の中では、天童の声に応じてくれる者などあろうはずもないのだ。
 目を瞑り、淀む空気の重みを感じる。愉しい記憶などひとつもあろうはずのないこの場所に再び囚われる夢を重ね見るのは、己の深い底、知らず、それを望んでいるからなのだろうか。考えるとほんのわずかな怖気が首筋を伝う。
 
 目を伏せたまま、それでも五感は冴えたまま。鼻先で踊るのは消えゆく紫煙の匂い。そうして、その耳が、遠く近く、こちらへ近付いてくる何者かの気配を捉えた。紫色の双眸を開き視線を木戸の向こうに投げる。そこには朱の紬を身につけた童子がひとり、立っていた。
 童子の顔は天狗の面に隠され、覗き見ることは出来ない。けれど天童には眼前に立つ童子が何者なのかを解することが出来る。
 壁に背を預け、煙管を口に運びながら、天童は童子を見据えた。
「何したはるの」
 声をかける。
 童子は弾かれたように木戸に両手をつき、面の下、くぐもった声でまくしたてた。
「はよう、はよう逃げや!」
「逃げるやて? なんでですのん」
「ごっつうもんが来るよって」
「ごっつぅもんて何ですのん。たいぎぃこと言わんと、はよいねや」
「あきまへんのやて! う、うぁあああ」
 童子はうめき声を残し、茶色の髪をかきむしりながら紫煙の向こうに消えていく。
 天童は童子の姿が消えた後もぼうやりと木戸の向こうを見据えたままだ。煙管をふかし、紫煙を吐き出す。ゆうらりゆらりと煙が広がった。
 その煙の向こう、再び何者かが床を軋ませる気配があった。天童は空ろな視線を投げやり、検める。そうしてわずかに目を見開いた。
 そこにいたのは黒地に濃赤の彼岸花を描いた袖を羽織った青年――天童だった。
 木戸の向こう、黒地を纏う天童はどかりと胡坐で座る。懐から取り出したのは天童が手にしているのと同じ煙管だ。葉を詰め、火を点ける。ほどなく、黒い天童もまた紫煙の筋を吐き出した。
「ごめんやすな」
 黒い天童が口許を歪める。天童もまた同じように頬を歪め、壁を離れ膝を摺りながら木戸に寄った。
「おいでやす」
「カカカ」
「ヒャヒャヒャ」
 木戸を挟み、白い天童と黒い天童が額を合わせる。
「酒でもどうえ」
「いやぁ! おおきにやで」
 黒い天童が徳利と盃とを差し伸べた。朱塗りの盃を受け取って、注がれる古酒の黄金色が波を打つのを見つめる。次いで、相手が手にした盃に古酒を注ぎ返し、互いの顔を見据えた後に同じ動作で盃を空けた。同じ顔、同じ所作。違和は纏う袖だけだ。盃を置き、膝の上に肘を置いて頬杖をつくり、天童は天童に問う。
「で? 何しに来はりましたの」
「何ちゅうこともありゃしませんわな」
 天童は羽織を脱ぎ、無造作に放りやる。それから再び顔をこちらに寄せて、情のこもらぬ笑みを満面にたたえて口を開けた。
「うっとこを殺しに来ましたわ」
「さよか」
 応え、天童もまた袖を脱いで放りやる。もはやどちらがどちらの天童であったのか、互いですらも見分けはつかない。
「死ぬんやな」
「かんにんやで」
「カカカカ」
「ヒヒャハハ」
 互いの顔を見合わせ、引き攣れたような笑いを落とす。次の瞬間、ふたりの天童は童子に木戸に掌底を打った。
 紫煙が一帯を満たし、木戸は失せる。障壁のなくなった空間で改めて互いの顔を見合わせたふたりの天童は、打った掌をそのまま返し、互いの袂を深く握りしめた。
 
 牢の中に淀む闇は、深い沼の底に沈む泥のように動かない。時の移ろいからも見放されたこの場所で、歪んだふたつの心が互いの喉を狙って牙を剥く。広がる黒翼が泥を斬る。髪をわし掴み、爪は肌を破り、牙は脈打つ管を深々と貫く。鮮血が霧を描き、強く踏み抜く床板は軋みを張り上げる。けれど天童はどちらも愉悦を満面に浮かべ、引き攣れたような笑いを漏らしながら、瞬きすらも忘れていた。
 
 この牢は絶望を具現したものだった。
 救済など得られようはずもない場所だった。死ぬことすらも赦されぬ場所だった。
 名前を呼ばれることもないままに、いつしか己の名に関する憶えすらもおぼろになり、現と夢との境すらも判別出来なくなっていた。自由というものの存在すらも知らないままに、いつしか己が置かれている状況こそが常態なのだと把握するようになった。
 ――ただ、呼べば応えてくれる、そんな相手があればと、幾度か強く想ったことがある。ふたりの天童はどちらもそれを認識している。けれど、元々の天童が白と黒のどちらであったのか――それはどちらにも判らない。
 袖を脱ぎ、差異を外してしまった今となっては、果たしてどちらの天童がどちらであったのかすらもあやふやになってしまった。
 否、――どうでもいいのだ、そんな差異など。

「死に水や」
「おおきにな」
 互いの黒翼をむしり、散る羽の中、児戯のように笑いあいながら盃を交わす。互いが互いの盃に古酒を注ぎ、血で染まった互いの額を押し合わせながら引き攣れたように笑った。そうして酒を干し終えると、再び深い泥の中に沈むための戯れが始まる。
 
 黒い羽が、流れのない空気の中でゆうらりゆらりと舞い上がる。
 禍因を宿すとされる黒翼。禍そのものとも称されたそれが夢のように舞い散る中、果たしてどれだけの時間が過ぎたのだろうか。
 天童が振り上げた手刀が天童の喉笛を貫き、その背に伸びる禍を力任せに毟り削る。引き抜かれたその場所からは鉄の臭気を放つ鮮血が噴き上げられた。天童の顔が一瞬で赤に染まる。空気が湿り気を帯びた。削られた羽は噴き上げられた血によって重みを得て床に散る。その羽を踏みつけながら、天童は臥した天童を見下ろした。
 喉に風穴を開けた天童はわずかの間白目を剥いて痙攣したが、それでもやがて血泡を吐く口に歪んだ笑みを浮かべ、声を放つ代わりにひゅうひゅうと空気を漏らす。そうしてやがて満足そうな色を浮かべ、そのままかたりと事切れた。
 残された天童は血にまみれた身体を重たげに引きずって、木戸があった位置の向こうの壁に背を預けて腰を落とす。視界の中、死した己の姿が映っていた。苛立たしげに舌打ちをして、煙管に葉を詰めなおしてから火を点ける。深く吸い、深く吐く。紫煙はゆうらりゆらりと立ち昇り、再び深い泥の底へと舞い戻った静寂の中、広がっていった。
 ――あの天童は自由を得たのだ。
 死は現からの解放だ。彼岸の先にあるものこそが真の自由。例えそれが先のない無であったとしても。
 考えながら、幾度も幾度も煙管を口にする。
 ――無、やて?
 この牢の内にあっても、それは何ら変わりのないものだろう。
 
 煙が揺れる。闇の中に溶けて消える。
 天童は目を瞑る。夢の終わりを待ちわびながら。

 
 首元に香の気配を覚え、天童はゆっくりと目蓋を開けた。それが藤色の羽織に焚きつけた香の匂いだと検めてから、袂から煙管を取り出し、口に運ぶ。紫煙が筋を描いて立ち昇る。ゆうらりゆらりと波を打つ。
 黒ずみ、湿気を吸い上げた板張りの床。紫檀を合わせた床柱。畳三枚ほどの広さをもった空間。――天童はぼうやりとする頭を抱え、意識を起こすために煙管をふかした。
 ――ああ、またこの夢か
 考えながらぼうやりと目を伏せる。

 遠く近く、こちらへ向かってくる何者かの気配を感じた。
 

クリエイターコメントこのたびはプラノベオファー、まことにありがとうございました。長らくお時間いただいてしまい、申し訳ありません。気長にお待ちいただけましたこと、深く感謝申し上げます。

えーとですね。うーん。
プレイングを拝読したときには正直かなり迷いました。ものすごく好みな内容でしたし、ものすごく書きたい! という思いもあったのですが、同時に、自分が思い描くこの映像を、果たして自分の筆力で描写できるものかどうかと。
数日ほど悩みましたが、やはりどうしても書いてみたいという欲求が勝りまして、至る現在でございます。
アレンジ化とのお言葉に甘えさせてもいただきましたが、もしも走りすぎでしたら申し訳ありません。書き手はものすごく楽しく書かせていただきました。ありがとうございます。読み手様にも、少しでもお楽しみいただけましたらさいわいです。

それでは、またのご縁、心よりお待ちしております。
公開日時2013-07-01(月) 22:00

 

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