オープニング

 薬都ヴァイシャのはずれに、その昔に打ち捨てられ、廃墟と化した小さな城がある。
 いにしえの時代には魔導師たちの研究施設として使われていたということだが、定かではない。
 崩れかけた煉瓦にびっしりと、冬薔薇の蔦が絡む。城を取り囲むように群生しているのは《銀の鍵草》と呼ばれる、不可思議な色と形状の雑草だ。
 尖塔の中の一室には、所狭しと薬草が積まれ、調合用の鉢と天秤が並ぶ。割れた窓から吹きこむ寒風に耐えながら、少女はたったひとりで、薬の調合を続けていた。

 今年の冬薔薇は、この地域一帯に、流行病をもたらす毒の花粉を運んでくる。
 病名だけは美しい《薔薇ペスト》。罹患したものは高熱のあまり全身が濃い薔薇色に染まり、徐々に衰弱し、やがては——
 珍しい薬草の群生地であり、すぐれた薬品の調合技術を持つヴァイシャの民でさえ、誰も薔薇ベストの特効薬を見いだしていない。

 数日前のことだ。少女の姉が、この病に倒れたのは。
 少女は特効薬調合の手がかりを探してさまよい、この城にたどり着いたのだ。

 もう、どれくらい寝てないだろう?
 もう、どのくらい食べてないだろう?
 
 だけど、だいじょうぶ。
 わたしは、この城で《竜刻》を見つけた。
 小さな小さな欠片だけれど、竜刻がわたしに、疲れ知らずの力を与えてくれる。
 寝なくても食べなくても、だいじょうぶ。

 もう少し。もう少しよ。
 待ってて、お姉さま。だいじょうぶ。わたしに、まかせて。
 この薬が完成すれば、薔薇ペストなんてすぐに治っちゃうんだから。
 わたしが、お姉さまを助けてあげるから。

  *  *  *

「新しく発見されたばかりの竜刻が、暴走しそうなんです。ほんの小さな欠片なので、被害領域は狭いのですが、それでも城ひとつくらいは消滅してしまうでしょう」
 憂鬱そうな表情で、無名の司書は『導きの書』を広げる。
「発見者及び現所有者は、薬都ヴァイシャの太守の娘、フローラちゃん14歳。……ちょっと、この案件は厄介かも知れませんね。フローラちゃんは、流行病の特効薬を調合しようと不眠不休で頑張ってて、竜刻はそんな彼女の精神的支えになっているようなので。どう説明すれば、手放してくれるものか……」
 何とかしてこの「封印のタグ」を貼り付けて暴走を止め、竜刻を回収していただきたいんですが……、と、司書はため息をつく。「封印のタグ」とは、世界図書館が開発した、竜刻の魔力を安定させることができる荷札状のアイテムである。
「だいじょぶだいじょぶ。何とかなるなる」
 能天気にそう言ったのは、バードカフェ「クリスタル・パレス」のギャルソン、シオン・ユングだった。
 強引な接客営業をするシラサギとして悪名高い彼は、常々、冒険に行きたがっており、今回真っ先に名乗りを上げたのである。
「そんな口先だけの『大丈夫』に、ひとは追いつめられるものなんですよッ。あーあ、オラオラ営業のサギ師ひとりじゃ不安だなぁ」
「サギ師いうな。これでも一応、出身世界では薬師の修業をしてたんだぞ」
「そうなんですか? じゃあシオンくん、薔薇ペストの特効薬作成を手伝ってあげられる?」
「いやぁー、おれがマスターしてんのは、すり傷・切り傷・頭痛・腹痛の薬なんで」
「うわー、使えない……。誰か他に、行ってくれるひといないかなぁ……」

  *  *  *

 わたしは、何も、持っていない。
 エレオノーラお姉さまのような、大輪の花に似た美貌も、小鳥のような澄んだ歌声も、機知に富んだ会話も、誰からも愛される笑顔も。

 だから。
 だから。
 こんなことしか、できないから。

 ——ああ、つかれた。
 眠い。
 おなかが、すいた。

 だけど、
 がんばらなくちゃ。

 たすけて、なんて、いえない。

品目シナリオ 管理番号241
クリエイター神無月まりばな(wwyt8985)
クリエイターコメントこんにちは、神無月まりばなです。
そんなわけで、竜刻が暴走する前に「封印のタグ」を用い、かつ、回収していただきたく思います。
思い詰めてしまうタイプのフローラを納得させるには、「自分をいたわることも必要だよ」という、あたたかなアプローチが有効かも知れません。

【薔薇ペスト特効薬のヒント】
フローラは、冬薔薇の花粉が飛び交う環境にずっといながらも、薔薇ペストに罹患する気配がありません。そして現場に赴く皆様も、この流行病に罹る心配はないでしょう。
どうしてだと、思いますか?
(竜刻は関係ありません)

それでは、無名の司書、世界図書館にてお待ちしております。

参加者
バジル(cuxt3806)ツーリスト 男 26歳 人形
一ノ瀬 夏也(cssy5275)コンダクター 女 25歳 フリーカメラマン
瑠縷(cuza9653)ツーリスト 女 24歳 花嫁
神喰 日向(cyvt1721)ツーリスト その他 16歳 夢喰
虚空(cudz6872)コンダクター 男 35歳 忍べていないシノビ、蓮見沢家のオカン

ノベル

ACT.1■いざ来ませ、異世界の救い主よ

 そう——わかってるの。
 わたしは自分をごまかしている。
 絶望から無理に目をそらし、わたしこそがお姉さまにとってのメサイア——救世主なのだと言い聞かせて。
 なんて愚かしい。わたしはこんなに無力なのに。
 奇跡なんて起きない。
 竜はとうに滅び、竜刻という残滓が残るばかり。
 わかっている。
 こんなものに頼ろうと思う心こそが罪。
 だって、わたしは知っているもの。
 竜刻の力を過信した魔道師たちの末路を。

(……ああ、もう、だめ)
 冷え切った床石は、氷のような鋭い冷たさを伝えてくる。足首は痺れて震え、立っているのがやっとだ。かじかんだ手に何度も息を吹きかけて、指はようやく、動く。
 かしゃん、と、澄んだ音が響いた。調合に使用していた硝子棒を取り落としてしまったのだ。
 視界が揺らぐ。
 身体が、ゆっくりと傾いた。

  * * *

「出発前に、用意して欲しいものがあるのだが」
 世界図書館の要請に応じたバジルは、赤いボタンの目を司書に向ける。綿を詰めた細い身体、口は縫い糸。静かな知性をたたえた、ゴシックテイストの兎の人形である。
「おそらくフローラは、疲労と寒さと空腹と睡眠不足が重なって、相当に消耗しているはずだ。保温性の高い柔らかな毛布を何枚かと、空腹時に摂取しても負担にならないような、消化の良い食べ物を見つくろってもらいたい。私は食事を摂らないので、よくわからないのだ」
「了解いたしました、バジルさん」
 無名の司書は大きく頷いた。
「こんなこともあろうかと、いろいろ準備させていただいてます。壱番世界の厳寒の極地シベリア産マザグース羽毛を使用したゴールドラベル付き最高級羽毛布団と優しい肌触りのカシミヤ100%毛布、温めたミルクに蜂蜜をたらしたもの、栄養価が高く消化吸収の良い半熟卵などなど。あ、ミルクはですね岩手県産のオーガニックミルクで蜂蜜はタスマニア島のレザーウッドの花から採れたもので半熟卵は高知県産の有機農法こだわり自然卵を不肖わたくし腕によりをかけてとろ〜り美味しい煮卵にいたしまして」
 司書は延々と、素材の蘊蓄話をし続ける。放っておくとロストレイル発車時刻に間に合わなくなりそうだ。
「そうだな、蜂蜜というのはいい考えだ」
 脱線しかけた長話を、あるべき軌道に戻してくれたのは、虚空だった。
「すぐに体内に取り込まれてエネルギー源になるから、疲労回復には最適だ。半熟卵も悪くない」
 しなやかな長身にシャープな顔だち、はっと目を惹く銀髪と蒼い瞳。意匠化された蓮花の刺青が左腕を覆っているのも印象的だ。目立ちすぎる『シノビ』の男前ぶりに、サングラスの奥の司書の目がハート型に変わる。
「んま。虚空さんもそう思いますっ? 私たち気が合いますね。どうぞこれ、『封印のタグ』です」
「料理方面だけなら、そうかもな。ただ、あんたにゃ悪いが、俺は竜刻なんてどうでもいいんだ。フローラが追いつめられてるのが気になるだけで」
 封印のタグの保管を押しつけられて、虚空は苦笑する。素晴らしい家事能力を持つ彼は、保温容器に入れたホットチョコレートと、焼きたてのシフォンケーキを持参していた。各種ベリー類と生クリームも別添えに用意した豪華版である。何かお腹に入れて少し休んだあとは、甘いものも食べたくなるだろうという配慮だった。
「フローラさんを少しでも早く、ゆっくりさせてあげたいですわね。努力する女の子は、大好きですわ」
 瑠縷が、淑やかな声で同調する。ふわりと、白いヴェールが揺れた。
 華麗なウエディングドレスに身を包んだ最強の花嫁は、自身の薔薇のブーケを見つめる。
「毒の花粉を中和できる何かが、きっとありますわ。美しい薔薇が隠し持っているのは棘だけで十分ですもの」 
「そうね。フローラがそんなに頑張っているのなら、特効薬を作る手助けをしたい。竜刻の話をするのは、彼女の信頼を得てからにしたほうがいいと思うわ」
 私も、温かいお茶を持ってきたのよ、と、愛用の一眼レフを小脇に抱えた一ノ瀬夏也は、もう片方の手の大荷物を見やる。
「お弁当もたくさん作ってきたわ。みんなの分もあるから、あとで一緒に食べましょう。いい仕事するには、しっかり食事しないとね!」
 とびきり元気で明るい新人カメラマンの、さわやかなポジティブシンキングぶりに、シオンがささっとすり寄って懐く。
「手作り弁当はいいよな、うんうん。なぁ夏也姉さん、お菓子は? 行きと帰りの座席で食べれるやつ」
「もちろんお菓子もあるわよ。みんなの好みがわからないから、いろんなのを持ってきちゃった」
「やったー!」
「こら、役立たずが贅沢いうんじゃありません。シオンくんは皆さまの荷物をお持ちしなさい」
 はしゃぐシオンの首根っこを引っつかまえて、司書は、毛布と羽毛布団その他いっさいの持参品をまとめ、えいやっと背負わせる。雪山登山のシェルパ状態の大荷物になった。
 神喰日向が、あちこち跳ねた癖の強い金髪をぽりりと掻いた。ムーンストーンのペンダントが、胸元で光る。
「オレはそういうの、何も持ってこなかったなー」
 少しつり上がり気味の金の瞳を細め、日向はぶっきらぼうに言った。ゆうに200歳は超えている彼だが、あどけなさの残る端正な顔立ちは、まだまだやんちゃな少年に見える。
「……でも、その城ん中、すげー寒いんだよな? オレのそばにいると、少しあったかくなるから……」
「おおっ、日向!」
 シオンが荷物を背負ったまま、日向の肩にがしっと両手を置いた。
「おれは今すごく、おまえに萌えた!」
「は?」
 日向が頭上にクエスチョンマークをいくつも浮かべたとき、シャッター音がした。
「いいシーンね」
 夏也のポラロイドカメラだった。一眼レフとは別に携帯している、彼女の旅の友である。

 出来たての写真は、知らない人が見たら妄想が暴走しそうな、無駄に耽美な画像だった。
 日向が困惑したところで、一同はホームに向かう。

  * * *

(……ユークリッドさま……)
 いにしえの魔道師の名を、少女は呼んだ。
 焦点を失った少双眸に、暮れなずむ空が映る。
 宙に浮かぶ城の、幻が見える。
(ごめんなさい)
 ユークリッド・ヴァイシャ。かつてこの街を薬都とした若き魔道師。その末裔であることが、誇りであったものを。
(わたしは、禁を犯し、竜刻を所有しています)

 フローラの身体が、あわや床石に叩きつけられようとした、その瞬間。

 ——奇跡は、起こった。

「おっと、あぶねぇ」
 目にも留まらぬ素早さで、倒れかけた少女を抱きとめたのは、銀の髪のシノビ。
「顔色が蒼白だ。かなり衰弱しているようだな。身体を温めないと」
 長い腕を駆使してカシミヤの毛布を広げ、すっぽりと包み込んでから抱え上げたのは、兎の形の不思議な人形。
「この部屋にベッドはありませんのね。何か、寝台になりそうなもの……」
「作りつけの石の長椅子があるわ。羽毛布団を敷けばばっちりよ」
 固く冷たい石づくりの長椅子を極上のベッドに変えてくれたのは、純白のウエディングドレス姿の花嫁と、すがすがしい声音が少し姉を連想させる女性。
「あのさー。ミをコにして働くのはあんたの自由だけど、それであんたが倒れたら元も子も無くね?」
 まぁ飲めよ、と、つっけんどんに、蜂蜜入りの温かなミルクを差し出してくれたのは、金髪金瞳の少年。

「あなたがたは——誰? どうしてわたしの名前を」
 もっともな質問に、一同は顔を見合わせる。
 口を開いたのは、虚空だった。
「俺たちはただの旅人だ。あんたが助けを求めていたんで、ここに来た。それだけだ」

ACT.2■あなたのためにできること

 寝台に腰掛けて毛布にくるまり、フローラは勧められるままにミルクを飲み干した。
「……おいしい」
 血の気を失った頬に、少しずつ少しずつ、赤味が戻ってくる。
 いつもひっそりと誰かの陰になっていそうな、地味でおとなしげな少女である。決して美少女というわけではないが、清楚な雰囲気は感じが良い。
「フローラさん」
 瑠縷はもう一枚、その華奢な身体に毛布をはおらせた。
「……あなたは、もう随分と根を詰めて作業をしていらっしゃったのでは? 少し休まれてはいかが?」
「もっと何か食べる? フローラは何が好き? 甘いものがいいのならシフォンケーキがあるわ」
 夏也は、持参の食べ物や飲み物を、紙皿と紙コップに少しずつ取り分けた。
 フローラの顔をのぞき込み、にこりと笑う。
「眠るのなら肩を貸すわ。子守歌つきよ」
「……お姉さま……」
「え?」 
「いいえ、何でもないの」
 ほう、と、大きく息を吐き、しかしフローラは暖かな毛布から抜けだして、立ち上がった。
 もう何も口にはせず、眠るでもなく。
「ありがとう。でもこれで、十分です」
 ひとりひとりと目を合わせ、フローラは深々と礼をする。薬都ヴァイシャの太守の姫らしい、きちんとした作法で。
「わたしが倒れる寸前に支えてくださった、あなたは?」
「虚空だ」
「わたしを毛布でくるんでくださった、あなたは?」
「——バジル」
「石の長椅子を柔らかな寝台に変えてくださった、あなたがたは?」
「夏也よ」
「瑠縷ですわ」
「蜂蜜入りのミルクを飲ませてくださった、あなたは?」
「……日向でいい」
「虚空さん。バジルさん。夏也さん。瑠縷さん。皆さんは、たまたまわたしなどに親切にしてくださいましたが、何か事情があって、この廃墟にいらしたんでしょう? もしかしたら、結婚式の最中に大事なひとが倒れて、薔薇ペストの特効薬を探してここに……?」 
 花嫁姿の瑠縷を見て、そう思ったらしい。瑠縷は穏やかに、フローラに問う。
「もしそうだとしたら、どうなさるおつもりですの?」
「大切なひとを救いたい気持ちは、よくわかるから……」
 懸命に虚勢を張っていたフローラの態度が崩れ、急に弱々しくなる。やはり、まだ本調子ではないのだ。
「……やっぱり、休んでなんかいられない。一刻も早く特効薬を作らないとお姉さまが……お姉さま……」
 ふらつく足取りでテーブルに歩み寄り、調合を続けようとする。だが、その手つきはおぼつかず、作業の手順は危なっかしい。
 日向が制止する。
「なあフローラ。あんたはさ、誰の為におねーさんを助けたいの?」
「だれの、ため……?」
 フローラは大きく目を見張る。思わぬことを問われたという顔で。
 その肩に、バジルは手を置いた。兎の人形は、静謐な『箱庭』の情景を感じさせる声で語る。
「私にも大切な人がいる。彼女が幸せであることが、私にとっての幸せでもある——たとえばお前の姉が、お前を助けようとして根を詰め、疲労に倒れたらどう思う?」
「そんな……、そんなこと……、わたしなんかのために、お姉さまがそんな……」
「お前が健やかでいることも、姉を救うことに繋がるのではないか?」
 バジルを見つめ、フローラは、ことん、と、調合用の鉢を作業台に置いてから、うつむく。
 これ以上作業をさせまいと、日向はその手から鉢を遠ざけた。
「誰かのために頑張るのってさ、そんな悪くねーことだと思うんだよ。でも、今のあんたのやってることって、ちょっと違うんじゃね? だって、あんたに無理させて自分が助かったとしても、おねーさん嬉しくねーだろ。人間てそーゆーもんじゃねーの?」
「……そう、かしら……」
 フローラの心が揺れ動いているのを見て取った虚空は、もう一度、少女の身体をカシミヤの毛布で包んだ。
 軽々と横抱きにする。
「お前の姉さんはお前が苦しむことなんて望まねえ——なんて、綺麗事に聞こえるか? 俺は単純に、お前のそんな姿を見るのが嫌なだけだ」
「……でも……」
 フローラは抗ったが、虚空はそのまま、少女を寝台に戻した。
「お前が救いてえって思うような姉さんなら、お前のことを大事にしてくれてるんだろう。だったらお前は、姉さんが元気になった時、一番に喜ばなきゃいけねえんだ」
「無理をしないで。自分を大事にするのは、自分を大切に思ってくれる人を大事にすることでもあるのよ」
 夏也がそっと手を伸ばし、フローラの頭を撫でる。少女の瞳に、涙が浮かんだ。
「……わかるけど、わかってるけど……。わたし、小さいころから、何をやっても要領が悪くて、いつもお姉さまに庇ってもらってて……。でも何故か、薬作りだけは上手くできたから、それだけはみんなから褒められたの。だから……、だから……、薬を調合しなくっちゃ……。他に何もないんだもの。お姉さまのためにできることが思いつかないんだもの……」
「己が無力を呪うしかない苦しみなら、俺にも判る。何ものにも代え難い、世界のひとつやふたつ犠牲にしてもかまわねえと思ってる、大事な大事な主人がいるんでな」
 フローラをじっと見つめる虚空の瞳に、ふと過去がよぎる。
 異母兄たちに虐待される主人を救うこともできず、三十年もの間、憎悪の炎を燃やして生きてきた虚しさを——
 そして、救い手は——メサイアは、本当は誰であったかを。
 
 フローラはしばらく、両手で顔を覆って泣き続けた。

「お前は寝ずに、食べずに、疲れを抱えながらも薬を作ろうとする意志を持っている。強迫観念などではなく、心から姉を想っているはずだ」
 少女の嗚咽が少し落ち着いてから、バジルは言葉を発した。日向が歩み寄る。
「あんたさー、自分がおねーさんみたく綺麗じゃなくて何の取り柄もないみたいに言ってるけど。あんた、可愛いじゃん」
「……え?」
「だって、ひとのために頑張れるやつが、可愛くないわけねーだろ?」
「……あの。わたし……」
 少女の頬が、ぽうと、美しい桜色に染まった。
「そんなこと言われたの、初めてで……。その……」
 フローラは照れて頬を押さえている。少し、涙は乾いたようだ。
 それまで、皆さんのお邪魔にならぬよう、荷物の整理をしたり、羽毛布団の埃を払ったりしていたシオンが、こんなときだけしゃしゃり出る。
「うまいなあ日向」
「何が?」
「おれさあ、ここんとこ『クリスタル・パレス』での指名が激減して、自分の接客技法に行き詰まりを感じててさぁ。オラオラ営業にも限界があるってことだよな。今後の営業方針の転換と接客スキルの向上にむけて、大いに参考にさせてもらうよ。さんきゅー!」
「だから何が……?」
「うん。いいシーンだわ」
 夏也が、ポロライドカメラのシャッターを切った。
 出来上がった写真を、フローラに見せる。寝台を囲む一同のすがたが、そこには写っていた。
「ね? あなたはひとりじゃないのよ? みんながついてるわ」
「さあ、休め。お前はひとりではない。そしてお前ひとりのものでもない」
 バジルの言葉に、瑠縷が頷く。
「シオンさんは自己紹介もしていませんが、実は優秀な薬師ですの。フローラさんがお休みになってる間、調合の下作業を進めておけると思いますわ。もちろんわたくしたちもお手伝いいたしますけれど」
「へ? あの、瑠縷姉さん。優秀ってそんなご無体な。おれがマスターしてんのは、すり傷・切り傷・頭痛・腹痛の」
「……シオンさんは優秀でいらっしゃいますから、フローラさんはゆっくりなさっても大丈夫ですわよね……?」
「う、うん」
 最強の花嫁が放つ空気をお読みになってオーラに気圧されて、シオンはかくかくと何度も頷いた。
「ハイ、仰るとおりです。めちゃくちゃ優秀です。まかせてオッケーです」
「もしも、わたくしたちで手に負えなければ、そのときは遠慮なく叩き起こしますわ。でも今は——お眠りになって」
 
ACT.3■空中廃墟

 フローラはようやく僅かに笑顔を見せ、横になって目を閉じた。
 すぐに、規則正しい寝息を立てはじめる。
「よほど、お疲れになってたのですわね」
 瑠縷が、布団をそっとかけ直す。
「——ところで」
 虚空は腕を組み、室内に目を走らせた。鉢と天秤、薬草の束が並べられた調合台の片隅に、小さな骨の欠片のようなものが置かれている。おそらくはそれが竜刻なのだろうが、虚空の視線はそこは留まらず、窓際に向かう。
「ちょっと、気になったことがある。皆も気づいてるかも知れねえが」
 みっしりと絡んだ薔薇の蔓が、割れた窓硝子を縫って室内にまで侵入しつつある。虚空が注視しているものが何であるか、瑠縷もみとめた。
「冬薔薇——ですわね。この城に蔦を巡らせ、今が盛りと咲き誇る《薔薇ペスト》の根源」
「ああ。どうも解せねえんだ。このとおり窓は割れてて毒の花粉も浴び放題になっちまってるところに、フローラは何日もいた。飲まず食わずで身体も弱ってる。なのに」
「フローラは《薔薇ペスト》に罹患していない。それは何故か、と、いうことだな。あとで本人に心当たりを確認してみてもいいが——その前に」
 バジルは、割れた硝子の隙間から身を乗り出した。
 ヴォロスの動植物種は変化に富んでいる。その豊かさとバリエーションは数限りない。そしてヴァイシャはことに、豊富な薬草に恵まれた土地柄である。
 しかし、この城の周り一帯に群生しているのは、冬薔薇を除けば、ただ一種の植物だけなのだ。
 細い茎と葉の隙間に、鍵のかたちをした銀の花がいくつも咲いた、鍵束を連想させる形状である。尖塔の窓から見下ろした光景は、まるでこの城が、銀の鍵束の海に囲まれているようだ。
「《銀の鍵草》とかいってたっけ」
 日向もまた、バジルの横から外を眺める。
「これってさ、ここにしか生えてねーのかな? だったら、ひょっとするんじゃねー?」
「銀の鍵草に、冬薔薇の花粉の毒を中和する働きがあるんじゃないかってことね。花粉、花、葉……とにかく調べてみましょうよ! 採取してくるわ」
 行動の早い夏也は、納得するなり部屋を飛び出す。
「おれが行くよ、夏也姉さん」
 シオンが、その後を追いかけようとしたとき。

 ——ぐらり、と、
 城が、揺れた。

「何?」
 異変に駆け戻った夏也は見た。
 調合台のうえで、何かが光を放っているのを。
 まるで小さな星が、そこにあるかのように。
「竜刻が……」
 瑠縷が息を呑む。
 光は徐々に強くなり、目まぐるしい点滅を始めた。
「暴走が始まりかけてる、つーこと? だったら早く」
「今なら間に合う。虚空。封印のタグを」

 日向とバジルが同時に言い、虚空はタグを取り出して——
「……何度も言うが、俺は竜刻なんざどうでもいい。ただなぁ……、暴れるんじゃねえよ、フローラが起きちまうだろうが」

 封印は、なされた。

ACT.4■竜のいない大地で

「竜刻を所有することは、都市国家ヴァイシャでは禁じられているんです。新しく発見した場合は、しかるべき手続きを取って国外へ手放さなければならない。太守の娘という立場にありながら、わたしはそうしませんでした。皆さんに預けられるのならば、それが一番だと思います」
 十分な休息を取ったのち、フローラは目を覚ました。
 体力は回復し、気持ちも落ち着いている。頃や良しと一同は事情を話し、フローラはそれを受け入れた。
 そして今度はフローラが、この城のいわれと、そもそものヴァイシャの成り立ちについて話し始めたのだった。

 かつてこの城は、空中高く浮かんでいた。
 大いなる竜刻の力によって。
 竜刻を駆使し、その力を広くしめしたのは、研究施設でもある城に集った魔道師たちだった。
 民たちは浮遊する城に恐れおののき、魔導師らを神のように崇めた。
 やがて、魔導師らは自らの力を過信し、おごり高ぶり——非道な研究に手を染めはじめた。
 腐敗し、堕落していく魔導師たちのなかでただひとり、ユークリッド・ヴァイシャだけはそれを良しとしなかった。

 支配するつもりが、支配されていた。
 使役していたつもりが、使役されていた。
 大いなる力であるがゆえの、諸刃の刃。
 彼はある日、竜刻を持ち出して、浮遊城を地に落とした。
 そして竜刻を、粉々に破壊したのだ。
 
 ユークリッドは標榜した。竜刻に頼らない都市づくりをしようと。
 そして、ヴァイシャの民は、竜刻を所有しないことを選択したのだ。
 この街は、彼の名を冠した都市国家「ヴァイシャ」として成立し、やがて、製薬技法に長けた街として「薬都」の名を轟かす。

「なるほどな。ここは竜刻の放棄を選んだ街ってことか。思い切ったな。……お前もな、フローラ・ヴァイシャ」
 封印のタグが貼られた竜刻を、虚空は、そこらの小石でもあるかのように投げ上げ、受け止める。
「竜は滅んだが、お前たちは生きてるじゃねぇか。いつだって、今を生きてるやつのほうが強いんだ」

  * * *

 今。
 フローラは、旅人たちと共に、特効薬調合を再開している。
《銀の鍵草》を調べてみたところ、皆が気づいたとおり、その花粉に有効成分があることが判明したのだ。
 日向の提案で、街の各所には、鉢に植え替えた鍵草が置かれることになった。
 特効薬を量産できるまでの、予防と感染拡大防止のための措置である。

 ほどなく、特効薬は完成するだろう。
 そして、病の癒えたエレオノーラは、大輪の薔薇のような微笑みを浮かべ、妹を抱きしめるに違いない。

 
 ——Fin.
(ありがとうございました)

クリエイターコメントバジルさま。
一ノ瀬夏也さま。
瑠縷さま。
神喰日向さま。
虚空さま。

大変、お待たせいたしました!
このたびは、ヴォロスへ赴いてくださり、ありがとうございました。
竜刻回収よりも、まずはフローラを気遣ってくださった皆さまに胸を打たれ、私もあたたかな気持ちになりました。
あきらめかけた瞬間に起こった奇跡。ですがそれは、竜刻の力ではなく、旅人の助力によるものです。
薔薇ペストが癒えたエレオノーラは、妹が少し大人びていることに気づくことでしょう。
ロストナンバーの皆さまに、今一度感謝申し上げます。

今回、プレイング外の台詞や行動が多めになっております。
バジルさまだったら、夏也さまだったら、瑠縷さまだったら、日向さまだったら、虚空さまだったら、こんなときにはこう仰り、こう感じ、こう行動するだろうなと、思い切り妄想させていただいた結果です。
皆さまの魅力的なイメージに、少しでも添えていることを願ってやみません。

またご一緒に、冒険旅行に赴く日を楽しみにしております。
公開日時2010-02-22(月) 18:00

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル