「震動、補足した」「成功?」「現地に設置していた発信機の反応が消えた。おそらく、衝撃波で破損したか、熱で溶解したんだと思う」 そこは、お世辞にも立派な施設とは言えなかった。 ここは、コルカタから離れた位置にある彼ら《雑種同盟》の隠れ家。 基本的に犬族の世界でも、猫族の世界でも、居住施設はすべて地下に作られている。 空気のない地上に気密キャンピングカーを持ち出して生活するのは、物凄く変わり者の犬族か、ちょっと変わり者の猫族くらいだ。 犬族は基本的に集団で生活するので一匹で過ごす時間が好きな者も変わり者と言える。 猫族は基本的に一人で生活するので、一人になりたい場所を好む者がいること自体はそれほど珍しくない。ただ、窓にヒビが入っただけで空気がなくなって死んでしまうような危険な場所に赴いて生活したい、などというのは、やっぱり正常ではない。 地下施設のひとつが吹き飛んだ。 原因は核による攻撃だ。 そして実行勢力は《雑種同盟》で、動機は純血種への反乱。 あと一時間もすれば世界中にこの最悪なニュースが流れて悲嘆に暮れ、一日もすれば国の上層部で対応委員会が設置され、一週間もすれば犯人捜索に乗り出し、一ヶ月もすれば元の平和な日々が戻ってくるだろう。 そして一年もすれば過去の歴史になる。 分かりきった流れに、猫のカーリはひとつ欠伸をした。 この騒動の直接的実行犯は彼。 コードネーム『カーリ』本名は忘れた。 三毛の毛並みを舌でぺろぺろと繕うと、やがてモニタの映像に興味をなくしたか疑神のアイザックに自分の身体を持ち上げさせ、成功に酔う部屋を後にした。 隣の部屋では医務室だとか、解毒剤だとか騒いでいる。 雑種同盟に入ろうとした若者が、試練を行ったのだろう。 古い伝統を忌み嫌う同盟が「タマネギが入ったカレーを食する事で仲間となる」などという新たな伝統を作ったことには苦笑するしかない。 辛さで舌がやられたか、タマネギの猛毒に苦しんでいるか。 未来を担ったかも知れない若者には気の毒なことだ、と彼は呟いた。 疑神、この世界の古代神の姿を模したロボットの総称である。 猫族は神を模し、自らに「神の恩恵」を要求する。 猫族にとって神は自らに恩恵をもたらす者であり、求めよ、さらば与えられん、という感覚だ。 カーリの生まれるはるか昔から、使役するロボットは神の姿をしているものが最も効率が良いとされているのが何よりの証拠だろう。 それを見て眉を潜める頭の固い犬族の観点からすると「神」の姿を模したものなど、恐れ多くて使えない。 とは言え、この地下組織《雑種同盟》の若者であれば、犬族であっても疑神を使うことにためらないはないし、猫族であっても貧困のために疑神を持つことができないため、台車にマニピュレータを一本つけただけのロボットを使っているものもいる。 犬族から見れば、雑種風情が恐れ多くも神の姿を模したロボットを使役するなど、世間の目が怖いにも程があるし、純血の猫族から見れば疑神も持てぬ貧乏猫と目の端で嘲笑われる。 すべては己が雑種だから。誇り高き各一族の純血ではないから、である。 経典によると、かつて神を使役する事に長けた猫は純血種が多かったという。 これを犬族の神学者はバカバカしくも「神は純血種を愛する」と翻訳していた。 雑種にも神の愛は注がれることは間違いがないが、純血ほどに等しくは注がれない。 神は犬族、猫族を共に愛されており、それについての経典も膨大な数が存在しているが、その大半は今でも豪族である柴犬族、ブル族、あるいはアメショ族、三毛族などを対象にしたものであり、雑種のために書かれた書物はすべてが十把一絡であったという。 猫の学者の見解とは大きく違う。 猫の神学者の見解は「純血種は神のコントロールに長けていた」に尽きるのだ。 ――神は死んだ。 少なくとも無神論者の一派はそう思っている。 猫のカーリも無神論者の一派であり、強硬派の雑種同盟で小隊長の役職にあった。 犬族の重要人物を狙った核攻撃を行った小隊の長だ。 自責の念はある。 おそらく少なくない数の同胞、雑種の血を流しただろう。 だが、その犠牲のおかげで、純血種の差別によりさらに多くの同胞の血が流れる惨劇は食い止められた。 ふと、カーリの無線が鳴り出す。 彼は尻尾を振りながら、疑神に無線を受信するよう命じた。「カーリ、ランガナーヤキから連絡が入った。音声を回す」 ランガナーヤキはあちこちで折衝役を行っており、猫族の中枢にいる商人だ。 噂によると「神」との交渉もランガナーヤキを仲介しているという。 ざざっとノイズが走ると、受話器からランガナーヤキの声が漏れてきた。 通話ではなく音声メッセージというところか。『やぁ、友人諸君。今回の騒動の前後、シュリニバーサとその友人の犬族の前に現れたという《神》が、アメショ族の長に挨拶に行くらしい。これで猫族の中でアメショ族の地位がまた高まるな。私としては面白くないが、友人である君たちも面白くないのではないか、と思ってね。経典によれば純血種を相手に神の支配権を争うのは雑種側に不利だろう?』 ぶつっと音声が途切れた。 言いたいことはそれだけ。 ランガナーヤキにとってはアメショ一門の発言力が高まるような事は避けたいし、雑種同盟にとっては『《神》が本物であれ、ニセモノであれ、雑種同盟から見れば面白い自体ではない』という現実。 カーリは疑神のアイザックに己の身体を運ばせる。 控え室にではなく、アメショ族の都市へ向けたマスドライバーへ。=======================================「ぷ、ぷろとこーる、おーぷん。いんぷっと、みっしおん、とう、ぽりす:くりすなー。ぷるぽせ、みーてぃんぐ。あさいん、ロストナンバー」 おもいっきり棒読みしつつ、エミリエが頭を抱えている。 読んでいるものは導きの書ではなく、世界司書の宇治喜撰(ウチュウセン)241673より託された依頼の内容が書かれたメモだった。 手が足りないというので、エミリエもまた依頼の公布を引き受けている。 ただし、エミリエには分からない言葉で書いてあるらしく、彼女はとっても困っている。 結局、しばらく悩んだ彼女は宇治喜撰(ウチュウセン)241673から受け取ったメモをポケットにしまいこんだ。「と、とにかく!」 思いっきり纏め上げる。「コルカタって町にある、アメショ族っていう猫さん達の所へ行って、そこの族長さんにご挨拶してください。で、親善大使として世界図書館への協力をお願いしてください!」===================================== アメショ族の館は何十体もの疑神が働き、チリひとつない壮麗さだった。 人払いを済ませた事に『なっている』部屋の中で、ロストナンバーの前に老猫が座する。「なるほどなぁ、話は分かったが……。なに、我々、猫族。……とは言わぬまでも、アメショ族だけでも意見が分かれておるのじゃよ。おぬしらが本当に神か? 神ではないにしろ、信用に足る相手なのか?」 体長40cmに満たぬ老猫はぺろりと口元を舐め、再び静かにロストナンバー達を見据えた。※このシナリオは高幡信WRの「軌道隊の誉れ【二月下弦】」と同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる複数参加はご遠慮下さい。
●コルカタへ フォンブラウン市の遺跡からリニアの駅まではさながら大名行列のようであった。 これでもか! と詰め掛けた犬族の熱烈な歓迎とは裏腹に、猫族の方は二匹だけ。 本来、猫は好奇心が強い。 伝説の「神」が降臨し、アメショ族の長と会談を行うなどというビッグイベントを見ないわけにはいかなかった。 例えば、湿気が多かったり、ちょっとお腹が空いていたり、毛並みの調子が良くなかったり、道中にぴこぴこ動く何かを発見したり、ただ何となく気が向かないというような重大なイベントがない限りは確実に見聞に来るだろう。 つまりはまぁ、――猫なりの気紛れだった。 「猫と犬の世界ね」 周囲を見渡して、ぽつりとレオナの一言。 この世界の支配者は犬と猫。 案内役の猫がちらちらと送ってくる視線に対し、彼女は「何?」とばかりに首をかしげた。 「あんた。猫族かい? でっかいね」 「あたしは猫に近いけど、別物よ。アタシはレオナ。レオナ・レオ・レオパルド。よろしくですわ」 「はい、よろしく。神様のお供となると、猫もでっかくなるんだねぇ」 案内役の彼が評した通り、レオナは豹である。 いわば猫の仲間であるからか、案内役もレオナを選んで最初に話しかけたようだ。 「会談までに連れてってほしいところがあれば、連れてけって言われてるけど、行くかい?」 案内役が一同を見渡す。 挙手したのはコレットだった。 人間の基準ではかなりの美少女になるだろう。 案内役の猫から見ても、赤と金の対比で揺れる髪は魅力的だった。 具体的には、毛がふるふると揺れているので、思わず飛びつきたくなるという点。 「あのね、公園に行きたいの。よく、壱番世界で公園に集まっているネコさんたちがいるでしょう? あのネコさんたちがどんな会話をしているか、すごく気になってたの」 「壱番世界? まぁいいや。猫集会ね。そこらへんの公園でいいかな?」 「うん!」 「私も混ぜてくださいって頼んで入って行ってみようかなぁ。仲間にいれてくれるかなぁ」 にこにこ、にこにこ、と笑顔が隠しきれないようだ。 「……あー。確かに男共がいたら、コロっといくわね」 苦笑交じりに呟いたのはセルヒ。 ひとしきり彼女の笑顔を堪能すると、セルヒは案内役の猫に声を向けた。 「ここの文化を調べたいの、図書館はあるかしら?」 「へーい。あいてますからご自由にお使いください。そろそろ行きやしょうか」 案内役が暢気に声をあげる。 一行はアメショ族の町、コルカタへのリニアに乗り込んだ。 ●公園で 「あまり一人でおおっぴらに出歩かない方がいい。一応、私たちの立場は大使だ。危険かも知れない」 「うう。やめた方がいいかな。猫集会、行きたいの……」 しゅんとへこんだ姿に、ハーデはため息をついた。 そして妥協案を模索する。 「……わかった。護衛する」 ありがとう! と笑顔に戻ったコレットの後について公園に入ると、公園のあちこちから視線が突き刺さった。 猫集会の現場。 参加者たちが一斉にこちらを見つめていたが、やがて関心を失い、視線は去る。 彼らの話し声にコレットは耳を済ませた。 壱番世界では「にゃあ」という声しかわからないが、今日はかつおぶしや、またたびトークができるかも知れない。 広場のあちこちにいる猫に、コレットは恐る恐る口を開く。 「にゃ、こんばんはですにゃあ」 受け入れて貰えないのか、とどきどきし始めた頃、公園のあちらこちらから「にゃあ」という鳴き声が聞こえてきた。 意味は――。 『見ない顔だねー』 『旅人さん? それともお引越しさん?』 『あれ、新入り?』 コレットの顔がぱぁっと輝く。 ――受け入れてもらえたかも! 「はじめましてにゃあ。今日の猫会議の議題は何ですかにゃあ?」 『議題?』 『いつも通りかなー』 『発情してるなら、奥へ行きなよ。顔が見たいなら、そこらへんに座ってちらちらしてればいいよ』 「は、はつじょ……」 コレットは白い顔をピンクに染めて俯く。 なるほど、耳を澄ませば――。 ――ちょっと、健全な青少年にはよろしくない声が聞こえてくる。 コレットが俯いたので、それまで控えていたハーデが一歩前に出た。 「この中で『神』に詳しい猫はいるか?」 広場の猫達はちらちらとお互いを伺う。 やがて、一匹の猫がハーデの足元に近寄り、首筋をすりすりと彼女のカカトにこすりつけた。 「……あ、ハーデさん。いいなー」 コレットの呟きに視線で応え、ハーデはその猫の頭に手を置く。 うにゃん、と猫は目を細めた。 「神について知っていることを教えて欲しい」 そう告げるとハーデは目を閉じた。 強制的な精神感応である。 目を閉じ、意識を猫と同調させる。 猫の意識はハーデのゆらゆら揺れる髪紐に持っていかれており、非常に読み取りにくい。 二分もそうしていただろうか。 大きな息をひとつ吐いて、ハーデは猫から手を離した。 「なるほど。猫族の考える神というのがよくわかった。……コレット?」 呼びかけに返事がなく、彼女の姿も見えない。 ハーデがゆっくりと周囲を見渡すと、土管の影から彼女の白い服がちらりと覗いた。 「そうだにゃあ。マグネシウムの取りすぎはよくないにゃあ」 『マグネシウムってなにー?』 『にゃー』 にゃあと合唱のように鳴く猫の中心で、頭と膝に仔猫を乗せ、いつのまにかすっかり馴染んでいる。 ごろごろと鼻先や首筋を擦り付けてくる猫の頭を撫で、楽しそうに微笑むコレットの傍まで近づくと、ハーデは「そろそろ行こう」と告げた。 コレットが立ち上がるとそのカカトに、やはり猫たちが群がる。 かわいいなぁと名残惜しそうにその姿を見つめる彼女に、ハーデが呟く。 「猫の、神に対する基本的な考え方を理解した」 「どんなのだった?」 「人型。そこらへんにいる疑神の姿と同じ。――猫にとって、神は万能の力を持って猫に『奉仕するもの』私達の神の概念とは違う。神は猫に食事を出し、撫で、寝床を提供し、撫で、遊び相手となり、撫で、ぬくもりをあたえ、撫で、撫で、撫で、……猫族にとって、神は『それがあたりまえ』の存在だ」 「そ、そうなの?」 自分の服と同じ白い毛並みの猫を抱え上げ、抱きしめる。 すりすりと擦り寄ってくる姿は非常に愛らしい。 「要するに『撫でろ』『愛でろ』と命令する対象だ。その毛をこすりつける行為は『これは自分のものだ』という主張。マーキングだ」 ハーデの言葉にコレットは自分の腕の中の仔猫を眺める。 小さな姿で必死にコレットの体温を求める姿は非常に愛らしい。 ハーデの言葉と、目の前の天使のような仔猫の仕草。 ふたつのキーワードを頭の中に並べ、コレットは少し考え込む。 やがて、仔猫の頭を撫でるとコレットは複雑な表情で口を開いた。 「あのね。猫好きの友達がね『猫の奴隷になれて幸せ』って言ってたの。猫さんが気紛れなのって壱番世界もそうだよね。ここの猫が特別なんじゃなくて、猫ってそもそもそういう生き物なのかなーって」 腕の中でうにゃうにゃと動くかわいい生き物。 「……コレット。撫でろ、って言ってるぞ」 思わず腕の中を見つめると、小首をかしげた猫がこちらを見つめていた。 円らな瞳の、小さくて、白くて、かわいい生き物が、撫でろ、と言っているのだ。 「わたし、なでるっ!」 コレットはぎゅーっとその猫を胸に抱きしめた。 ●市民図書館で 『――と言うわけで、こちらは猫と遊ぶべく鋭意奮闘中です。そちらはいい感じにモフってますか?』 トラベラーズノートに書き込むと、セルヒは再び文献の山に視線を戻した。 書物の山をの横、床に座り込んだレオナは目を細める。 「猫とはいえ『人間並みの知能を解している』って話ですわね。ま、あたしたちも、似たような存在ですけどね」 そう言ってごろりと横になったレオナの腹部にセルヒの手があてられた。 もふ。もふ。 「……なにかしら?」 「このおなか、枕にして寝てもいいかしら?」 セルヒの言葉に、無言で立ち上がったレオナは本棚の上へと躍り上がった。 あら、フラれちゃった。とセルヒが微笑む。 上へと逃げ出したレオナの姿に、セルヒはぼそりと呟いた。 「豹って美猫だと思うの。猫族的にはこっちの方が神様というか食物連鎖的に上位じゃないかしら?」 ふと、セルヒの脳裏に神学論の一説が浮かんだ。 それは神の存在について議論するものではなく、もっと原始的なもの。 湧き上がるアイディアにセルヒは思わず書架の本を見渡した。 ここにある文献は大半が口述筆記ものであるらしい。 猫族の知識階層が、いかに猫が有能かを妄想・誇大広告たっぷりに語り、疑神がそれを書き写す様がなんとなく想像できる。 それが証拠に、時代が新しいほど、神は都合良く、便利で、有能で、心地よい存在として記載されている。 本来の神の記憶が薄れ、猫族の願望の色が濃くなっていく過程は非常に興味深い。 先ほど、この都合の良い記憶の改竄には、史学者の願望が入っているに違いない、とセルヒは結論づけた。 その証拠に年代を遡ると、本当に神が万能であるなら、何故早く我々を撫でに来ないのか、という論説が主流となっている。 さらに、さらに古代の書物となると、今度は神自身が書いたといわれる猫賛歌のような書物まであるらしい。 ただ、そういった書物は「一般的な言語」と多少かけ離れているらしく、チケットの能力では解読する事は難しい。セルヒはため息をついた。 が、その瞳は探究心に燃え上がっている。 「考古学者の血が騒ぐわ。文献だけじゃちょっと物足りないわね。さて、そもそも、神が空想の産物、あるいはそれに類似した伝説に近い存在である場合。――これは壱番世界の例ね――。神はこういうものだ、という定義は薄いの。壱番世界には色々な形の神がいるでしょ。逆に神がありふれた世界群では生々しい記述が多い」 そして、ここの文献によると、この世界の神のイメージは人間の姿に統一されている。 「その理論で行くと、この世界は、神が本当に存在するパターンよ。何故かって!? 知能のある生命が神を作る場合、まず自分の姿に似せて神を形作るのよ。文明の初期に於いて、自分より強力な動物や自然現象を神格化する例は多々あるけれど、必ず、自分達の姿を投影した神が存在するの。自分達が霊長だと誇示するために。だけど、この世界の支配者は犬と猫であるにも関わらず、神は人間型。犬や猫そのものあるいは犬や猫と人が合体したような神の姿が存在しない。犬族は元々が獣人型っていうのもあるけれど、なら、獣人と人間の中間的な神がいてもいいわ。言ってて想像つかないけれどね。でも、これは神話として実体が歪められるほどの遠い昔ではないことを示しているの。何がって?『神』と決別した時代がよ」 ふわぁ、とレオナがあくびをひとつ。 その僅かな音でセルヒはふっと我に返った。 「この図書館、いい資料になるかも知れないわ」 ぱたりと本を閉じる。 貸出手続きをどうすればいいのか、と周囲を見渡してみるが、図書館から本を借りるためには市民である必要があるらしい。 この資料を持ちかえるにはどうしたものか、とセルヒは腕を組んだ。 ●会見の間で 町の中心部。 白亜の豪邸、というにはやや物足りないが、それでも猫の身からは十分な広さがある。 綺麗に掃除しつくされた部屋の中央にはやたら大きなクッションが置かれ、もこもこの毛皮をまとった疑神が鎮座していた。 その膝の上に、でっぷりと脂肪を蓄えたアメリカンショートヘア種の老猫が香箱座りでロストナンバー四名を迎える。 「ようこそコルカタへ。アメショ一族の長。ナイドゥじゃ」 「はじめまして、ナイドゥさん。アメショ族、先代の長には先日、お世話になりました」 最初に進み出てふかぶかと礼を行ったのはセルヒ。 うむ、という長の返事にスマイルで応じた。 彼女の後ろには、コレット。 その左右をハーデとレオナが固めている。 いざという時、生身のコンダクターであるコレットを護るための布陣である。 これは同時に、コレットの身分を高く見せるための作戦でもあった。 戦略にはまったか、あるいは誰でも良いのか、ナイドゥはコレットを見て目を細める。 「おお。神よ。真に疑神と同じ姿をしておるわ。いや、疑神が神の姿をしておるのかの」 長、ナイドゥは傍に控えた疑神をロストナンバーの横に並べ、そっくりだとか、ここは違うとか感想を述べた。 ひとしきり長の好奇心に付き合った後、ハーデが一歩前に歩み出て、言葉を紡ぐ。 「我々、世界図書館は公平と交渉を重んじる。世界政府構想や今回のテロ行為など、今後猫族が犬族と交渉する様々な事象に関して、貴方方が一方的な不利益を受けることの無いよう尽力すると約束しよう。その代わり、この地での情報収集に便宜を図っていただきたい」 「まぁ、悩み事があるなら、あたしたちに頼んでくれればいいと思うわ。ここは『持ちつ、持たれつ』という感じですわね」 ハーデの言葉に、レオナが補足する。 「うむ。わしらに恩恵を与えることを許す。神よ、よく戻ってきてくれた。しかし、そちらの神は伝説とは異なる姿じゃのう。どちらかというと猫族か? どこの氏族だ?」 視線の先はレオナ。 その問いを予測していたのだろう、回答はハーデが続けて口にした。 「貴方方にアメショ族や三毛族があるように、我々にも種族がある。我々も貴方がたが神と呼ぶ種族の一つだ」 次いでレオナが長を見つめる。 「そして正確には、あたしたちは犬族や猫族の夢想する「神」そのものではないわ。あなたたちが、神と呼ぶ種族というだけ。なかには、アタシのように、彼らのような形とは違う姿をしている者が現れることもあるわよ。それが、世界図書館」 よくわからんのー、と長はあくびをした。 猫族のあくびは眠気を抑えるためではなく、意識を集中するための仕草である。 老猫は真剣に思考を開始しているのだ。 「ともあれ。神と同じ種族であれば、神と同じ力があるのじゃろう?」 「力?」 「うむ……」 老猫は重々しく頷いた。 威厳を伴った声で、アメショ族の長として彼は命ずる。 「わしを撫でるのじゃ」 なんかもう、当然じゃないかと言わんばかりにごろりと転がる。 疑神の膝から太った体がこぼれおち、地面に敷いた絨毯の上で横向きに倒れた。 ほらほら、と催促するようににゃんにゃんと鳴かれ、覚悟を決めたコレットが長の腹をなでまわす。 「おお。感触の心地よさに、疑神とは雲泥の差が……。お、おお。にゃんにゃん。にゃー!」 公園の仔猫よろしく、毛並みを撫で回された長はゴロゴロと喉を鳴らす。 不意に物音がした。 ――がさり。 ぴくり、と最初に動いたのはレオナの耳だった。 唐突にぴんと耳が立ち、目つきが険しく周囲を伺う。 同時に長もコレットの手の下で、くるりと器用に体を回転させ、ふーっと毛を逆立てる。 「侵入者か。このアメショ族の中枢に乗り込んでくるとは、命知らずな……にゃ、にゃん。ごろごろごろ。こ、これ。いつまで撫でておるか……。にゃー」 「あ。ごめんなさい。つい……、ふかふかしてて思ったより気持ちよかったの」 いまいち緊張感のないコレットと裏腹に、レオナの体が弾かれたバネのように飛び出す。 程なくして廊下の先で格闘音がする。 どたばたどたばたにゃあにゃあどたばたにゃあ。 ふー、ふにゃー。しゃー。にゃあ。どたどたどた。 鳴き声と物音が交錯した。 「そっちへ行ったわ」 不意にレオナの声がし、それから程なくして一匹の猫が転がり込んできた。 数体の疑神がそれに続く。 ハーデがぶんと腕をふる。彼女は室内で暴れまわる猫と長老の間に直線ができないように立つと、すっと目を細め、その動きを観察する。 わたわた、とあわてているのはコレット。 「えと、ネコさんの気を逸らせるようなもの……。あ、そだ! ネズミさん!」 そう呟くとコレットが羽ペンを手にする。 それは彼女のトラベルギア。 涙で描く、というわけではないが、床にさらさらとかわいいアニメ風のねずみを描き出した。 途端、その絵が起き上がり、ぷるぷると身震いすると、ねずみが室内を走り始める。 『ちょろちょろとすばしっこく逃げ回る拳大のなにか』は、猫にとってこの上なく狩猟本能をそそるもの。 室内を駆け回り続けた俊敏の暗殺猫、カーリの首筋あたりをちりちりと刺激する本能の誘惑。 「にゃー!」 「うにゃーっ!」 がしがしっ、と二匹の猫がコレットの描き出したねずみの絵を捕らえようと必死に手をばたつかせている。 「こ、こんなに効いちゃうんだ」 思いつきの行動が予想以上の成果をあげた。 コレットはねずみにじゃれつく二匹の猫の姿をどうしたものか、と見守る。 「……え、二匹?」 コレットが首をかしげた時、ステップインの要領で踏み込んだハーデのつま先が、一匹の猫のいる場所を思い切り蹴り抜いた。 カーリはその一撃をまともに受けて弾かれる。 「……わ」 「殺気があったからな。これでも手加減した」 驚くコレットに言い聞かせるようにハーデは言葉を紡ぐ。 同時に室内の疑神を光の線が走り、千々に切り裂き、あちこちで切断された疑神の回路が火花を散らす、砕かれたボディパーツががしゃりと音を立て床に倒れこんだ。 カーリはといえば、咄嗟に空中で体勢を整え、飛ばされた先の壁に激突する事態を免れる。 それでも威力は殺しきれなかったようで、よろよろと立ち上がったカーリの首根っこをハーデの手がやすやすと掴みあげた。 首をつままれると猫は弱い。 抵抗のないカーリの身体を撫で、ケガが致命傷ではない事を確認すると、床にしゃがんだハーデはその膝にカーリの身体を寝転がらせる。 「神を憎んで直接襲う、その姿勢は好ましい……私にはな」 「……あれ、ハーデさん。今、微笑ってなかった?」 「気のせいだ」 コレットに目を向けず、ハーデはどこから取り出したのか、膝の上の猫にブラシをかける。 あまり手がかけられていなかったのだろう、ブラシに毛が幾筋も絡みついた。 「……ハーデさん。そのブラシ、どこから出したの?」 「持ってきた。こんなこともあろうかと」 つまり、猫にブラッシングしようかなぁって思ったのか、と想像し、コレットはくすくすと微笑んだ。 うにゃー。 絵のねずみにじゃれていたもう一匹の猫は、今でもねずみを追い掛け回して室内を走り回っている。 つまり、まぁ、アメショ族の長老殿だ。 こちらもねずみにパンチをお見舞いしたところで、レオナに首筋をくわえられ、もちあげられる。 ふるふると揺らし、強制的に座布団の上まで運んで座らせた。 しばらく、ふーふーと息を荒げていた長老だったが、やがてあくびをひとつ。 「暗殺者か。……雑種同盟、この三味線野郎め」と悪態をついた。 唐突に。 ぱんぱんと手が打ち鳴らされる。 音に反応して振り向いた一同の視線の先で、一段高いところに進み出たセルヒがこほんと咳払いをした。 その姿を見て「あちらの神はせっかちそうじゃのう」とナイドゥが呟く。 「はい授業の時間よ、その「神」っていうのからはじめるわ。まず、私達が神か? 難しいけど私達の定義では神は万能よ、私達は万能の神ではないの。私は何者で、何処から来て、何処へ行くのか。これに答えるのは難しいからね。個人的にここらへん、とても興味深い神学的課題だけど、政治と宗教は混合するとややこしいのよね。で、定義が私達と違う場合なのだけれど」 黒板に。 いや、ただの壁にどこからか取り出したチョークで「神」と書き、その上から大きくクエスチョンマークを打つ。 「定義、と、いうかね。図書館で調べた限りの犬猫神学的には神=創造主=人間? だとしても、この世界の人間ではない私はやはり神ではないでしょう」 神の上にクエスチョンマーク。 さらにその上から大きくバツを描く。 「……ふわぁ」 この欠伸はレオナのもの。 難しいことは任せたわよ、とばかりにセルヒの行動を見守っている。 ハーデも今は沈黙を護っており、コレットはハーデの膝で失神しているカーリの容態が気になるようだった。 「で、次ね。私達は別に神としてあなた方を従える気はありません。でも、信頼関係を築きたいとも思っている。そこで、仲良くしよう! という提案をしたいの。はい、コレットさん。こういう関係を何と呼ぶかしら?」 「は、はい」 唐突に名を呼ばれ、コレットがあわてて反応する。 「え、ええと。……お友達?」 「はい、よくできました」 そう言って軽く手を叩くセルヒ。 なんとなく照れくさくって、コレットはえへへとはにかんだ。 「ナイドゥさん。私達、友達になりましょう。うん、犬、猫、人間、お互いの差異を認め合って、気が向いた時には遊んで、困った事が起きたら助け合いましょ。小難しい政治の話も突き詰めればそういう事じゃない?」 いつのまにか、壁に大きく「友達」とチョークで大書きしてあった。 「犬族のところにも使節団が向かっています。前回、私達が訪れた時から随分と政情不安定でキナ臭いのは知っているけれど、世界図書館が仲介しますので、みんな一緒に仲良くしましょう」 犬族の方に送ったトラベラーズノートに返信がないのはやや気になるも、セルヒは友達、という言葉を強調して使用した。 「あと、もう少し種族として社会的発展をして下さい。具体的には犬猫間の統一政府なり安全保障機関なり国際法なり作って下さい。犬猫レベルの思考で核爆弾振り回すとか怖すぎ。この政治に関する知識の提供、つまり社会科のお勉強ね。これに関しては喜んで協力するわ。幸い犬側特使には政治のプロがいるしね」 今頃は犬族の方でも交渉が進んでいることだろう。と見当をつける。 しばらく黙って聞いていたナイドゥは、ようやく口を開けるとばかりににゃあと鳴いた。 「なるほど。いや、犬族と協力するというのはやぶさかではないのじゃ。あいつらも業突く張りで我侭じゃからの。われわれと平和的な関係を築くというなら、猫族。少なくともアメショ族は喜んで受け入れるとも」 長老ナイドゥは穏やかに微笑む。 彼の頭にすっと手を伸ばし、ハーデは深く息をついた。 「……猫にとって『対等な関係』というのは、奉仕されて当然、提供されて当然という関係らしい。知能は人間並みだが、本能というか思考の根本は猫そのものだな」 ハーデがぼそりと呟いたのは、長老に対して行った精神感応の結果だった。 「ナイドゥ殿。全てを我々が行なわなければ問題が解決しないと言うのは、アメショ族の能力を見縊っている事になる。我々は貴方方の能力を高く評価している。能力を信頼し評価するが故に交渉と奉仕の提案を行っている。神が猫族に奉仕するのは能力を含めた真価を認めるからだ。我々の期待を裏切らないでいただきたい」 「えー」 「えー、ではない」 猫の本能、というより考え方の根本は、他者の奉仕はあって当然である。 猫族同士であっても、基本的にお互いに奉仕を求め合う。 お互いに奉仕を求め合った結果として、それは対等の立場となっていた。 だが、猫は本当に友に接するのと同じ感覚で、人間や犬族に奉仕を求めている。 今回の提案を受ける意図も「黙っていればロストナンバーがやってくれるだろう」以外の予定はない。 ハーデがそこまで説明すると、セルヒは頭に手をあてて顔を伏せた。 「やりがいのある生徒たちだわ。って、何、ほんとにこの犬猫たち、この程度の感覚で核攻撃とかやったの? 怖すぎるわ」と嘆息する。 うにゃあ、とハーデの膝でカーリが鳴いた。 起き上がり、飛びずさろうとする彼の姿をハーデが押さえ込む。 とっさに彼女は顔をあげ、ナイドゥの瞳を覗き込んだ。 ナイドゥはナイドゥで、その動きに瞳孔を大きく開いている。 「反対勢力がいるみたいだが」 「その三味線野郎かの」 「犬の大神官が死に、他にも多数の犬猫が死傷した。この猫のように、統一政府に反対している者や神の出現を喜ばない者に心当たりがあれば教えていただきたい。今後の交渉の一助になる」 「そいつは《雑種同盟》の者じゃろ。どこの氏族のものとも思えん」 ハーデの問いにナイドゥは嫌そうに応える。 その説明によると、雑種が寄り集まったゲリラ部隊というか、レジスタンスというか。 正規の社会に属すことなく、暴力で身を立てる、ただのならず者集団である、という見解だった。 「あ、あの」 おずおずとコレットが挙手する。 「なんじゃ」 「あのですね。あなたたちの言う『神』と言うのが、与えるだけの存在であるなら……。やっぱり私たちは『神』ではありません。なぜなら、私たちは求めるものがあるからです」 ちらりとハーデの膝のカーリを見る。 取引として、これは有利な材料のはずだ。 会談という雰囲気上、ここは精一杯の勇気を振り絞るところだが、なんとなく目の前にいるのが猫なので、コレットは言葉を噛まずに済んだ。 「世界図書館からの使者に対して、便宜を図ってもらえませんか。その代わり、私たちは……。雑種同盟からの攻撃から、あなたたちを守ります」 「攻撃から守る?」 「うん。核の攻撃から、イヌさんやネコさんを助けて……。今後は、雑種同盟の犬さんや猫さんともお話をして。そうして、この世界を、どんな種族でも共存していける世界にしていけたら、いいなあ。って思うの」 にっこりとコレットが笑顔を浮かべる。 とりあえずこの子は殺さないで逃がしてあげてください、とハーデに爪を切られるカーリの頭を撫でると、うにゃあと声が帰ってきた。 「ふむ。確かに……、神が活動するのも手助けがあれば容易い。犬族や雑種同盟と和平を結ぶ手伝いが必要とあれば、できることはさせてもらう。安全の保証ともうひとつ」 きらり、とナイドゥの目が光った。 「定期的に尋ねてくるがいい。毛繕いを所望する」 「……はーい」 やっぱり猫は猫である、という事のようだ。 猫を撫で放題、と考えれば、これは世界図書館のロストナンバーにもメリットがある。もふもふ成分の補充的な意味で。 ロストナンバーはこの要求に快く応じるのだった。 会談が始まって十と数分。 レオナは一匹で、アメショ族の邸宅を歩いていた。 各所で警備員や家人が見ているモニターからは、ざわざわと喧騒が響いており、緊急、というテロップが赤字で流れている。 「犬族の長のところへ行った方たちは、成功するのかしら? と思っていたのだけれど……」 一人呟く。 それに応えるかのように、画面ではチャウチャウ族のレポーターがマイクにがなりたてていた。 「……猫族の鷹派が……アヴァターラが……。……戦局は芳しくなく……。……臨時ニュースです! ご覧ください。神様が、神様が犬族を救ってくれるようです。これがカメラが捕らえた映像です!」 画面に映るのは白銀の美麗な戦闘機。 そして犬族の多足式戦車の数々。 『ロストナンバーとして武力介入しますっ!』という音声が何度も再放送され、神様たちは犬族の味方をして猫族の攻撃を退けてくれた、と喧伝されていた。 ひとつの真実は、双方の理屈で解釈される。 猫族の世界もまた、猫族の理屈で事件を咀嚼し、飲み下すのだった。
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