▼昼、広い草原にて ふわふわと浮かぶ島々にはたくさんのアニモフたちが住んでおり、それぞれが楽しい遊びに興じている。 そして心持ち、他の島の住人より等身が高めのアニモフが多いこの島では、とある遊びが大流行しているのだった。「やったー! 今日は俺の勝ちだぜ、アニキ!」「くそ、ジャンプが失敗したな……」 空のように澄んだ青色の毛並みをした犬型のアニモフが、ぴょんぴょんと嬉しそうに体をいっぱいに使って飛び跳ねた。芝生の葉がぱさりと小さく周囲に散る。 その姿をくやしそうに見ているのは、同じ犬型のアニモフ。ただしこちらは、毛並みが茶色っぽい赤色をしている。 そんな二人の足元には〝星〟があった。よくイラストに描かれるような、角が丸っこくディフォルメ化された〝星〟があるのだ。それがふよふよと、地面から少し離れたところで浮いている。 今この島で流行しているのが、この星型の不思議な乗り物を使った遊び〝コメット・レース〟なのだ。 すべては、とある日に空から星が降ってきたことからはじまる。 広々とした丘に、キラキラと輝く星が無数にあるのを、近くを散歩していたアニモフが見つけた。 星は、金属のように冷たくはなく、むしろ人肌(アニモフ肌)のように不思議な温かみがあった。適度な硬さと弾力性を備え、柔らかな光を放って明滅する。指でつまめるくらいのものから、二人がかりで運ばなくてはいけないくらいのものまで、サイズは様々。 アニモフたちは当初、この星を「願いがかなう幸せのお守り」として扱い、各々が自宅に持ち帰って部屋のインテリアとしていた。しかしとあるアニモフが、「星に乗って空を飛べたらいいのに」と思いながら星に寄りかかったところ、星がふわりと浮き始めたというのだ。 そのことは島中へ瞬く間に広まって、皆がこの不思議な星を調べ始めた。 調査の結果分かったことは、「星に触れて念じると、星は宙に浮いて動き出す」「速く飛べと願えば願うほど速くなる」「ただし飛ぶには、触れてる対象から元気を分けてもらう必要がある」「星は喋らないが心はあるらしく、ブラシやモップでこすってあげると喜ぶ」といったことだった。 そうしたことが分かると、この星の乗り物を使った遊びが、アニモフたちの間で大流行。島全体で、この遊びに取り組むようになったのだ。理由は「楽しそうだから」という、アニモフらしい単純明快な、分かりやすくまっすぐな答えだったりする。 そんなわけで、この双子の青と赤の犬アニモフも、この星に乗る遊びに精を出していたのだった。 コースを決めて、足で引いたラインからスタートし、同じように引いたゴールまで以下に早くたどり着くかを競う。この遊びは「流れ星に乗って空を飛ぶ」ということから「コメット・レース」と名づけられ、アニモフたちの間ではこの遊びに興じることを「コメる」なんて言っている。「調整はカンペキだ! 明日の大会は俺が優勝だぜっ。へへへ、わりぃなアニキ」「これはあくまで練習だろ。本番で力を出せなきゃ、意味はないんだ」 へへん、と偉そうに鼻息も荒く、胸を張る青犬アニモフ。 だが兄と呼ばれる赤犬アニモフは、そんな弟の態度にも落ち着いた様子で応える。彼が腰を下ろして両手につかんだコメットはミニタイプと呼ばれるもので、大きめのバッグならば収納できそうなくらいのサイズ。両足を星の上に乗せて宙を滑るように走るので、イメージはスケートボードやサーフィンに近くなる。片足で地面や障害物を蹴って、速度や進路を調整できることもあり、テクニカルな滑空をするのに適したコメットだ。 反して弟の青犬アニモフが使うのは、兄のものより何倍も大きなコメット。自分の背丈と同じほどの大きさで、こちらはまたがったり座ったりするビッグタイプ。大きさゆえか細かい挙動は苦手とするが、最高速度はミニタイプより大きく、どんな場所でもあまり速度を落とさずに飛んでゆける。というのもコメットには心があり、なるべくきれいな場所を飛びたいと思っているようで、泥の上などでは速度が低下してしまうのだ。そういった意味では、このビッグタイプのコメットはパワー型の力強い走りを得意とすると言える。「なーに負け惜しみ言ってんだよ。練習で勝ったんだから、大会でも俺が勝つに決まってんだろ」「分かってないな。大会で本気を出してこそ、真のコメット・ライダー(※:コメットに乗ってレースする者たちの総称)なんだぜ」「ぐぐぐ……いちいちムカつくこと言いやがって」 直情的で素直な青犬アニモフは、兄の態度が気に入らない。拳をぎりぎりと握りながら、ぶーと頬を膨らませる。 赤犬アニモフは肩をすくめると、己のコメットを大切そうに抱えて、その場から歩き出す。「あ、どこ行くんだよアニキ?」「明日に備えて、体力の温存とコメットの調整だよ。飛ぶのにだって体力使うし、おまえみたいに扱いが雑じゃないんでね」 赤犬アニモフは、弟を振り返りもせず答えた。ひらひらと適当に手を振りながら、一足先に自宅へと戻っていく。「へん、言ってやがれ。明日、ぎゃふんと言わせてやっからな」 立ち去る兄の背中に、あっかんべーをする青犬アニモフ。ひとしきり兄の背に向けて顔芸をしたあと、己の大型コメットにそっとを手を触れる。真剣な表情で、彼はコメットを見つめる。「いいか、俺とお前でアニキに勝つんだ。もちろん、他のやつらにもだ。明日はよろしく頼むぜ」 コメットは決して喋らない。でもコメットは全身から淡く優しい光をぽわんと放って、その言葉に応えるような様子を見せた。へへへ、と鼻先をかきながら得意げな表情をする青犬アニモフ。「よっしゃ、それじゃあ特訓の続きだ! 俺はまだまだコメれる。だからやろうぜ、おまえ!」 両手でひょいとコメットを抱える。己の背丈と同じくらいの見た目に反して、それほど重くはないのだ。青犬アニモフはスタートラインに戻るため、ぱたぱたと草原を駆けていく。 明日はコメット・レースの大会。各々が自慢のコメットを持ち寄って、決められたコースを疾走していく。多くのライダーが集結し、一番を決めるため奮闘するのだ。 その大会に乗じて、空をふよふよと浮かぶ雲型の観客席も用意される。加えて、スタート会場やコースの各エリアには出店も設置、建物にも装飾をしたりとお祭り騒ぎになる。 島全体が、わくわくとした空気に包まれていた。▼世界図書館にて「――というわけで、その不思議な星の乗り物を使ったレースがどんなものか、調べてきて欲しいんだっ」 エミリエが元気良く今回の依頼を口にする。後ろで二つに束ねた桃色の髪が、ぴょこんと軽やかに跳ねた。「星……えぇと、コメットって言うみたい。流れ星って意味らしいよ。それに乗って、周辺地域の決められたコースをいくつかたどって、競争するんだって。1等賞になると、記念のカップと粗品としてお菓子の詰め合わせがもらえるの。あ、コメットは貸し出しもしてくれるみたいで、飛び入りでレースに参加するのもOKだって――っと、そうそうっ」 何かを思い出したようにつぶやくと、エミリエはぽむ、と両手を重ねた。「星になんて乗ったことないよ! ってひとはたくさんいると思うけど、運転、て言うのかな。それとも操縦? ともかく、星に乗るのは簡単なことみたいだよ。だって、飛んで! 曲がって! って思うだけで、そのとおりに進んでいくんだもん。大丈夫、きっと誰でも安心して楽しく、レースができると思うよ。もしぶつかったりしちゃっても、大きな怪我はしないように不思議な安全装置がついてるみたい。だから、怪我とかそういうことは心配しなくていいよ」 エミリエはそこまで話すと、「それとね、それとね」と付け加えてくる。説明のたびに身振り手振りを加えて、一生懸命に冒険者たちへ内容を伝えようとする。「レース参加はちょっと……ってひとは、観客席で応援するだけでも楽しめると思うよ。コースは3つあって、島の各所に作られたコースを巡っていく感じかなぁ。各コースでは、レースの様子がよく見えるよう〝空をふよふよーって浮かんでる雲〟を観客席に使うんだって。ひとつの雲に、4~5人は乗れるんじゃないかなぁ。きっと眺めもいいと思うから、ついでにモフトピアのメルヘンチックな景色を楽しんでくるのも、いいんじゃないかな?」 と、エミリエは頬に両手をそえると、はぁ――と残念そうなため息を漏らす。唇を尖らせて「あぁ、空の上から観光できるなんてうらやましいなぁ、気持ち良さそぉ……」とつぶやいた。 エミリエはしばし感慨にふけっていたが、はっと我を取り戻すと、こほん。咳払いひとつ。ちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめながら、すました顔で説明を続ける。「レ、レースに参加するひとは、走るコースごとの情報はよく確認しておいた方がいいと思うよ。どんな場所でどんな走り方をするかが、きっと勝敗に関わってくるはずだから」 危険が少なそうな場所でおっかなびっくり走行していては、順位は落ちるばかりだろう。道の狭いような場所で危なっかしく走っていれば、操作を誤ることもあるだろう。そのあたりの策を練るのもまた、ひとつの楽しみなはず――そうエミリエは語る。 ただ、害をなす相手と命がけで戦闘をするわけではないから、トラベルギアはきっと思うような効果を発揮することはないかもしれない――ということは、冒険者たちに伝えた。「応援側にまわるひとは、何か食べ物や飲み物を持っていくのもいいんじゃないかなぁ。他のアニモフたちと分け合うのもいいし、レースは頑張ったけれど入賞できなかったひとを励ますためでもいいし。レースの後は参加した人も疲れてるだろうから、皆でねぎらってあげるのもいいかもね」 レースは参加すること自体も楽しいが、見ている側だからこそ味わえる面白さもあるはずだ。手に汗握るレースの状況を、広い目で眺められるのは観客の特権なのだから。「表向きは調査ってことになってるけど、そう肩の力は入れなくてもいいよ。モフトピアの不思議な世界、めーいっぱいに楽しんできてね! お土産話、楽しみにしてるからっ」 花のように愛らしい笑みを向けて、エミリエは冒険者たちを送り出した。 さぁ、白熱のレースが幕を開ける!
▼レース前、スタート地点周辺会場にて 今日は待ちに待ったコメットレースの開催日。 レースの開催を手伝うスタッフ・アニモフもいっぱいだ。朝も早くから開催を告げる花火をぱんぱんとあげて、レースの実行を伝える。それを聞いた観客アニモフたちが、白熱のレースをこの目で見ようとたくさん集まってくる。レースのスタート地点となる『まったり原っぱ』の会場周辺は、愛くるしいアニモフの群れでてんやわんや。 (何だか本当に、夢の国に来たみたい) 生きてる小さなぬいぐるみみたいなアニモフたちで、会場はごった返している。藤堂鈴羽(トウドウ・スズハ)はどこかほんわかとした気持ちで、その光景を眺めていた。自分の腰より少し高いか低いくらいのアニモフたちが、懸命に手や旗を振って観客を誘導したり、様々な大きさのコメットを抱えて準備に奔走している様子は、何だか微笑ましい。平和で穏やかな、それでいて活気のある情景に、鈴羽の口元も自然とゆるくなる。 「おや、旅人さんかね。あなたもレースに?」 そんな鈴羽に話しかけてきたのは、一匹の犬アニモフ。毛並みが白く、ちょっと腰が曲がっているところからすると、おじいちゃんのようだ。 「こんにちわ。――いえ、参加はしないの。コメット、だったかしら。なんだかかっこよくて、面白そうだし、ものすごく興味を魅かれるのだけれど……」 鈴羽は視線を上に転じた。おじいちゃんアニモフも釣られて見上げる。そこには、もこもことしながら浮かぶ雲がいくつも浮いていた。上にはスタッフのアニモフが乗っている。ゆったりとした速度で雲は広場に着地し、スタッフの誘導にしたがって観客たちが順番に並んでいく。 「あの、空を浮かぶ雲にも興味があって。雲に乗るなんて楽しそうだし、眺めも良さそうだもの。今回は雲に乗って、上から観戦することにするわ」 「ほっほっほ、そうかね。わしもね、双子の孫がレースに参加すると聞いて見に来たのじゃよ。せっかくじゃ、一緒の雲で観戦でもせんかね?」 「まぁ、本当? 私でよろしければご一緒させてください、おじいさん。そういえば、お孫さんって?」 「うむ、赤と青の毛並みをした、やんちゃな奴らでのぅ――」 そんな風に世間話をしながら、二人は雲の観客席に搭乗すべく、長蛇の列の中に歩を進めていった。 * ▼レース前、コメット整備場にて 急造ではあるが、木の骨組を使い、大きな大きな布のシーツを使って設置されたそのテントは、かなりの大人数を収容できるほどの規模になっている。 コメットに乗ってレースに参加するライダーたちはそこに集い、レースに向けての調整を行っているのだ。 そんな中にいる、一匹の猫。と言っても、彼はアニモフではない。彼の名はアルド・ヴェルクアベル。るんるんと上機嫌に、スタッフから借りたモップで己のコメットをごしごしと丁寧にこすっている。 「レース、レース! むふふ、まさか星に乗れるなんて思ってなかったから、今からすごく楽しみだよ! どんなレースになるのかなぁ。ふふふのふ」 どきどき、わくわくとした気持ちで彼の心はいっぱいだ。先ほど、スタッフの引率のもとでやったコメットの練習も、思っていたよりうまくいった。 「星に乗れるなんてメルヘンチック! しかもレースときたらエキサイト! あぁもう、心が躍っちゃうね!」 ついつい、コメットをモップでこする力も強くなる。それが良い意味での刺激となったのか、アルドのコメットはぽぅと淡く光を放って、大人しく磨かれていた。 * 「うん、決めた!」 そこから少し離れた、同じ整備場。学校の制服に身を包んでいる日和坂綾(ヒワサカ・アヤ)は、借りたコメットを両手で抱え、熱く語りかけていた。 「よぉし、キミのあだ名は〝ミニミ〟だよ。私は日和坂綾って言うの。今日はヨロシクね、ミニミ?」 にこー、と朗らかな笑みをコメットに向ける。そして、どんなに自分が早く走りたいか、どれだけマジメに優勝を狙っているのか、熱くあつ~くミニミに言葉を投げかける。 コメットは別に目や口があるわけでもないが、ひとの言葉や気遣いを感じ取る性質を持つ。名前をつけられて嬉しいのか、少女の情熱的な思いが充分に届いたのか。コメットのミニミは何度かあたたかい光を放って、少女に応えた。 そんな様子を見つめている相棒は、フォックスフォームのエンエン。少女の背負ったミニリュックから、ちょこんと顔だけを出している状態だ。レース中にどこかへ吹っ飛んでしまうのを防ぐためである。 エンエンの視線に気が付いて、綾は首だけで後ろを振り返りながら、指先で相棒の鼻をこすぐってあげた。 「う~ん、有利ってだけならオウルフォームなんだろうけどさ。フォックスフォームでないエンエンは、もうエンエンじゃないんだよねぇ」 たとえ自由にフォームを変えられるとしても、綾にとっては今のフォックスフォームが愛着のある姿なのだ。他のフォームになっているエンエンが想像できず、おかしそうな苦笑いを漏らす。 「さ、それじゃ行こっか。エンエン、ミニミ!」 綾はコメットを大事そうに両手で抱えると、小走りで整備場を後にする。 * 「俺はアイザワ・ユウって言うんだ」 「アタシはレオナ・レオ・レオパルド。レオナって呼んで」 サーフィンタイプのコメットを抱えて歩くのは、コンダクターの相沢優。その足元を歩くのは、かなり大型な体格をしたメスの豹(ひょう)の、レオナ・レオ・レオパルドだ。人間のように手が自在に使えるわけではないので、レオナのコメットは横を歩くスタッフのアニモフに持ってもらっている。星の上に身体ごと乗っかるようなタイプの、ビッグタイプのコメットだ。 「それにしても、コメットって不思議なものがあるなんて、さすがモフトピア! すごく楽しそうだよ。しかもみんなでレースときた」 「あら。随分と、はしゃいでいるのね?」 「はは、ついついテンションも高くなるさ。こんな不思議体験なんて、モフトピアくらいでしかできないからな!」 青年らしく成熟している優も、子どもの頃に夢見たような幻想の世界を目にすれば、童心に帰るということだろう。やや興奮した様子で、くっと拳を握った。 「ふふ、そうね。なんだかみんな、ふわふわもこもこって感じだわ。知り合いのワーブはひどい目にあったと言ってたけれど、それは例外みたいね」 「ふぅん、知り合いのひとがねぇ。そう言えば、他にロストナンバーの人は来てないのかな――って、あれは綾、か?」 優が、他の冒険者たちもいないものかと、アニモフでごった返すコメット整備場を見渡していると、ふと目に入った姿があった。日和坂綾だ。というか、大多数をアニモフが占めるこの会場で、冒険者の姿はとても目立つのだ。 視線を感じたのか、綾も優の存在に気づいた。ぱっ、と弾んだ表情を向けてくる。ぶんぶんと勢い良く手を振って「やっは~、ユウ!」と嬉しそうに声を上げ、綾は二人のもとに駆け寄ってきた。過去に冒険を共にしたこともある綾と優は、簡単に挨拶を交わす。 「アナタ、綾さんね?」 「そうだけど……あなたは?」 綾が首をかしげ、不思議そうな表情で豹のレオナを見下ろす。 「アタシはレオナ。綾さん、ワーブがお世話になったわね」 「あ。ワーブさんの知り合いなの?」 「えぇ、そうなの。話は聞いてるわ」 レオナは薄く微笑むと、仲間が世話になったとのことで頭を垂れた。別に大丈夫ですよっ、と気さくそうに綾はひらひらと軽く手を振って返す。そんなやり取りを眺めていた優は(世間は狭いもんだな)なんて微笑ましく思っていた。 * そうした参加者たちの邂逅(かいこう)を挟みつつ、レース開始の時は近づいていく。スタート地点に、各々のコメットに搭乗したライダーたちが集結していく。 そしてスタートの時間。一時の静寂が会場を包んだ後、レースの開始を告げるラッパが鳴らされて。 その刹那(せつな)に沸きあがる会場の熱気と共に、コメットレースは開幕した! * ▼レース中、観客席にて 「何だか、ふしぎ。ふふ」 わたあめみたいに、もこもこした雲。でもこうして何人ものアニモフや自分を乗せていても崩れることがない、不思議な雲。触るとふんわりとした弾力があり、指先がゆっくりと沈んでいく。離せばゆったりと元の大きさに戻る。上質なソファーのようだ、と鈴羽は思った。 「えぇと、最初のコースは……」 渡されたパンフレットを広げてみる。コースについての情報が分かりやすく書いてある紙で、参加するライダーには渡されないものだ。最初のコースは『まったり原っぱ』という名前らしい。 「――このコースは、危険がほとんどない安全コースなので、スピードを出しても大丈夫。疾走走法が正解。安全に走ると順位は中ほど。近道は探そうにも見当たらないので、順位は下降するでしょう――って書いてあるわね。選手のみんなはどんな感じ、なのかしら」 鈴羽はレースの様子を、上空から見下ろしてみる。トップグループを走るライダーは、アニモフよりも自分と同じロストナンバーの仲間たちが多いみたいだ。彼ら、彼女らは激しく、疾走走法で勝負の火花を散らしている。 「わぁ、すごい勝負! みんな、頑張ってほしいな」 鈴羽はわくわくしながら、レースを見守る。 * ▼爆走、まったり原っぱ! 「よっ、と――うわ、ほんとに楽しいな、これ!」 まるで宙に浮くスケートボードに乗るみたいに、小型のコメットを走らせて先頭集団を走っている優は、もう気持ちが高揚しっ放しだ。 なだらかなコースとは言え、石や土のでこぼこなどの障害物が、レースを妨害する。しかしそれを物ともせず、うまく体重やバランスをコントロールして、優は風のように疾走していた。 「おぅっとと、危ない!」 カーブを抜けた直後、ぼっこりと地面が膨れている箇所がある。コメットから片足を離すととっさに地面を蹴り、曲がる角度を調整。土煙をあげながら、優のコメットはきらきらと光の粒子を後方に残し、でこぼこを華麗に避けて飛んだ。 「よっし! もっと、もっとだ! もっとスピードアップッ! いけぇっ!」 風と一体化して、軽やかに駆けていくこの感触がたまらない。スピードを出せば出すほど、その高揚感がより盛り上がっていく。速さがもたらす恍惚感にひたりながら、優は星と一緒にコースを突き進んでいた。 「待ってぇ~い! ユウーッ!」 そうしてスピード狂な感触に酔いしれていると、聞き覚えのある声が後方から投げかけられた。優は前方に危険がないことを確かめると、さっと後方を振り返る。そこには同じミニタイプのコメットに搭乗し、後ろから怒涛の勢いで食いついてくる綾の姿があった。 「げ、綾! さっきまで大分後ろにいなかったか?」 「へっへーん、最初のほうは準備運動! ここからが本番だもんね!」 「同じ冒険をしたよしみはあるが、ここではライバルだ。手加減はしないぞ」 「私もそのつもりっ。望むところだよ!」 あっという間に隣についた綾とそのコメット。優も負けていられないと地面を蹴飛ばして、少しでも速度を稼ごうとする。綾もそれにならって片足で地面を蹴り、優のコメットに喰らいつく。リュックから顔を出しているエンエンが、応援してくれるかのようにこんこんと鳴いた。 「うん、分かってるよ、エンエン。――よーっし。行っくよ~、ミニミ! ここでかっ飛ばさなくて、いつ飛ばすっ。行っけぇ~!」 綾が飛ばした言葉に反応して、綾のコメットのミニミが、一層強い光を放った。ぎゅんと一気に速度を上げて、直線のコースを爆走していく。あっという間に綾のコメットが、優の前方を陣取る。二人の差は見る見るうちに広がっていく。 (あいつ……コメットに名前、つけてるのか) ノリノリなテンションでばく進していく綾の後姿を、優はどこかしっとりとした静かな気持ちで見つめていた。先ほどまで燃えるに燃えていた気持ちが、急にその勢いを弱めたようだった。 今回のコメットは、レンタルである。自分で持っているわけでもなく、これから自分の所有物になるわけでもない、借り物なのだ。一度限りの邂逅。一度限りの協力関係。しかも自分たちはロストナンバーで、今回の調査が終われば帰還する。それと同時に、そこで出会った者は自分たちとの思い出を忘れるのだ。 ――旅人の足跡。旅を終えて帰還したロストナンバーのことを、現地の者は高確率で忘れる。チケットから得られる、冒険を円滑にするための恩恵のひとつだ。 それから考えれば、ただでさえ借り物であるコメットに名前をつけるなんて、意味がないように思える。 (でも、本当にそうか?) 優は、身体や感覚の先はレースへと向け、前方を行く綾のコメットを追いかけるようにしている。そんな一方で、深い思考に心をゆだねている。 レース前の整備のとき。受け取ったコメットに「よろしくな」と声をかけて、ごしごしと布やモップでこすってあげた。そうすると、コメットはうずうずと小刻みに動いて、淡い光を放った。そう、コメットは喋らないが、きちんと心がある。言葉を返せずとも、言葉によるコミュニケーションを理解しているのだ。 そんな思考をする。ふと足元のコメットを見下ろす。コメットは何も言わない。 「……ごめんな、綾みたいに君を気遣ってあげられなくて」 少し申し訳なさそうに、優はコメットにつぶやいた。 「いま、すぐに考えてやることはできないけど……そうだ、レースが終わったら名前、つけてあげようか」 ――うんっ! 「え?」 脳裏に、幼い子どもの声が響いたように思えて。優は思わず、口端から言葉にならない声を漏らした。 優の足元のコメットが、一時強い光で明滅する。星の後部から吐き出され、飛んだ軌跡に残す光の粉が、どばっと溢れんばかりに量を増す。地面数十センチくらいしか浮いていなかったコメットは、少しコースを見上げられるくらいの高さにまで、跳ねるように飛び上がる。優は思わずバランスを崩しそうになるが、両腕を左右に広げ、身体を危なっかしく動かして、バランスを保つ。 突如浮き上がった優のコメットは、障害物や前方走者などをことごとく乗り越えていく。そんな優のコメットの疾走を、下からぽかんと見上げるアニモフや綾の表情が、何だか優には気持ちよかった。 「綾、お先に失礼するぞーっ!」 「え、あ、ちょ、ちょっとぉ! 何それ、どうやったらそんなに飛べるの~っ!」 「君に教えてもらったのさ! じゃ、そーゆーことで」 「意味わーかーんーなーい~っ!」 大声でそんなやり取りをしながら、優のコメットは綾の上方を駆け抜けていった。 * ▼レース中、観客席にて 「いやぁ、すごかったのぅ。あんなに高く飛ぶコメットは始めてみたぞい」 「えぇ、まるで本当に流れ星のよう。素敵だったわ」 まったり原っぱでのレースが終わり、次のコースへ向けて雲型観客席がふよふよと進んでいる。鈴羽は隣に座るおじいちゃん犬アニモフと、まったりと会話をしていた。 そのうち、ふと鼻の先をかすめた甘い匂いに気が付いて、鈴羽は雲の下をそっとのぞき込んでみた。緑の中に黄土色をした土の道が伸びていた原っぱの景色はなくなっていて、一面が茶色の風景へと様変わりしていた。パンフレットを広げて、コースの説明を読んでみる。 「――ココア沼コースは、曲がりくねった道と点在する池が多くあり、スピードを出すには危険なコース。なので、ここは無難に安全走法で走るのが正解。近道は探せばありそうですが、他の事にかまけていると危ないので、順位は中ほどに。危険を顧みずに疾走してしまうと、池にぽちゃんと落ちるでしょう――かぁ。ココアの池でしょう、汚れが落ちにくそうだわ」 雨が降った帰り道は、泥が跳ねて衣類についてしまうもの。それがココアで、しかもレースともなれば大量に、泥跳ねならぬ〝ココア跳ね〟をしてしまいそうだ。お洗濯が大変そう、と鈴羽は思わず苦笑する。 「皆は、大丈夫かしら」 鈴羽はそわそわしながら、レースを見守る。 * ▼爆走、ココア沼! レースが始まると、多くのアニモフは近道を探そうと躍起になったり、多少のぬかるみなんてスピードでカバーせんとばかりに、爆走したりしていた。 もちろん、他の事で気がそれた者は他のコメットと衝突してしまったり、小刻みなカーブを曲がりきれずに池ポチャしたりする選手が続出。 そんな中、アルドはどこか優雅にコメットを滑らせている。 「最初は後ろの方だったから、慎重すぎたかなーなんて思ったけど……ふふ、読みが当たったね。大成功だ」 アルドはいらずらっぽく、にししと笑った。 審判アニモフに釣りざおで釣って池からあげてもらったり、池に落ちたままココアまみれになっている他の選手たちを軽やかに抜いて、アルドはぐんぐんと順位を上げている。 「これなら、トップ10どころかトップ5くらいには食いつけるかな?」 「あら、ずいぶんと余裕なのね」 「うにゃ?」 ふと横から声がかかったので、アルドはそちらへ顔を向けた。大きなビッグタイプのコメットに寝そべっている、豹のレオナがいた。その姿からは、激しい炎のような熱さと勢いは感じられず、高貴な余裕を醸し出していた。 コメットの上で尻尾をぱたぱたと不定期に動かしながら、レオナは落ち着いた様子で喋りだす。 「どうもこんにちわ」 「うん、こんにちわ。えぇっと、レオナだっけ?」 「そうよ、レオナよ。アナタはアルドさんだったわよね」 「そ、僕はアルド。それより、レオナこそ余裕たっぷりだね。何だか気高い女王様って感じ!」 「あら、お上手だこと。まぁ、熱くなるのもいいけれど、向こう見ずでは池に落ちてしまうしね。そんなことになったら、自慢の毛皮の色が変わってしまうわ。汚れないようにするのも、ひと苦労」 「あはは、それは僕も納得だ! ココアまみれになったら、毛がぶち模様になっちゃうよ」 体毛を持つ者同士、そこへの気遣いについては両者納得のようす。互いの言葉にうなづき返す。 「同じネコ科同士、頑張りましょう。アルドさん」 「まぁ、順位はいいとこまで行ってるし、これ以上頑張り過ぎなくてもいいみたいだけどねー」 アルドはミニタイプのコメットから片足を離し、ぬかるんだ地面を蹴飛ばし、速度を調整する。ふと後方を振り返っても、もう後続の姿は見えない。レース序盤を安全に走っている者は少なかったようだ。後方集団との差は大きいように思える。 「あら、一番でなくていいの?」 「もちろん、目指すは一位さ! でも例えばほら、こんな風に楽しむのもできるってこと!」 差し掛かった急カーブを前方に確認すると、アルドは速度を落とさずにそのままカーブへ突っ込んでいく。コメットの上でやや腰を落とし、膝を曲げて低姿勢になる。左右に伸ばした腕や身体を動かしてバランスを取る。そしてカーブに入った瞬間――。 「あーらよっと!」 アルドは、カーブ直後にあったちょっとした段差に加速したまま突っ込み、吹き飛ぶように飛び跳ねた。コメットが光の粉を飛ばして、宙に跳んだのだ。カーブに沿った弧を描くように、アルドは跳んでいく。両足はコメットにつけたまま、コメットごと宙でくるりと縦に一回転。その後、きれいに着地。そのままカーブを抜けた先のコースを滑っていく。そばの観客席のアニモフたちから、歓声と拍手が飛んだ。 「ふぅん、やるじゃない」 普通に速度を落とし無難な走りをしていたレオナは、アルドがスタイリッシュにカーブを飛んでいく姿を、まぶしそうに見上げた。 「へへ、すごいだろ? ただムキになって一位狙っても、あんまり楽しくないしねっ。ほーら、もういっちょ!」 再び差し掛かったカーブで、アルドはコメットを跳ねあげて宙に飛び、今度はくるくると横回転。観客へアピールするようにトリックを決め、そうしながらも手を振るサービスは忘れない。その度に沸き起こる拍手と観客からの黄色い叫び。何とも言えぬ高揚感と満足感が、アルドを包む。 「それも素敵ね――それじゃ、私は先に行ってるわ」 「え」 淡白にそう言い残すと、レオナはぺしぺしとコメットを小突いて、スピードを上げて前方へと突き進んでいく。何だかショックを受けたアルドの顔をちらりと見たような気もするが、軽やかにスルーだ。 ふと、寝そべっている下のコメットが、僅かにうずいて訴えた。 「あら、また爪が立っていた? ごめんなさいね、これでいつも獲物を狩ってるものだから。ご愛嬌だと思って、勘弁して頂戴」 自然と鋭い爪先が出てしまっていたらしい。レオナは意識して爪を引っ込める。 「それにしても、アナタくらいに大きなコメットがあって助かったわ。私は器用に2本足じゃ立てないもの」 滑るように走っていくコメットの上、そよそよと風を受けて毛並みがそよぐ。 「グランディアやアレクサンダーなら、近道ばかりしそうだけど――」 既知の仲である、虎とライオンの仲間のことを頭の隅で考えた。 「――アタシはアタシのやり方でやるだけ。さ、引き続きよろしく頼むわよ」 ともあれ、もう先頭集団には食い込んでいる。それならば、あと数人を追い抜いて、せっかくならトップに躍り出てしまいたいところだ。同じロストナンバーの綾や優が、この前方を進んでいるはず。スピードを出すように促すと、コメットはぽわんと光を強くして、それに応えるような仕草を見せた。 「ふふ、いい子ね。それじゃあトップを狙っていきましょうか」 * ▼レース中、観客席にて 「あの若い猫の旅人さん、あんなにコメットを上手に扱うとはのぅ。やるもんだわい」 おじいちゃん犬アニモフは、感心した様子でうんうんとうなづいた。 「そうね。こう、レースとは関係ないところで、ああやって〝魅せて〟くれるのは、見ている私たちも楽しめるもの」 鈴羽もにこやかに首肯した。そうしながら、最後のコース説明を見ようと、パンフレットを広げる。 「最後は、ええっと――ショートケーキ洞窟では、落下してくるイチゴなども障害物もあり、安全走法なら無難な順位になるでしょう。コースそのものは、急カーブにさえ注意すれば、あとは直線が多いコースなので、疾走走法も適度に走れます。もしケーキまみれになることを覚悟するなら、ケーキの壁を突き破って近道すると、高順位にランクインすることもできるでしょう――? これって、コースを無視して走ることになってしまわないのかしら?」 鈴羽はパンフレットに目を落としながら、不思議そうに小首をかしげる。 「ほっほっほっ。ここはのぅ。コース自体は、ぐるりと丸く一周するだけのコースなんじゃよ。その広いコース内に、障害物のケーキを置いてあるだけなんじゃ。だから、ケーキの配置をコースそのものの形として勘違いし、ケーキを避けて走ると、とても時間がかかってしまうのじゃ」 「なるほど……奇想天外な発想をすることが、勝利の鍵なのね。ふふ」 おじいちゃんアニモフの説明に耳を傾けながら、鈴羽はほんのりと笑み浮かべる。 「皆は、どんな走りをするのかしら?」 最後のレースだ。鈴羽はどきどきしながら、レースを見守る。 * ▼爆走、ショートケーキ洞窟! 「うおっと!」 巨大なケーキとケーキの谷の間。直線の多いコースを突っ走っている優は、ナナメ前方から転がってきたイチゴを避けようと、スタンスを横に崩し、コメットの進行方向をとっさに変える。すぐ横に2mくらいはある巨大なイチゴがぼすん、と落下した。続いて、今度は拳くらいの大きさのイチゴが無数にころころと落下してきたので、これは避けずそのまま突っ切る。ついでにひとつキャッチして、かぷりと一口かじってみた。瑞々しい味が口いっぱいに広がる。 「ん、おいしいな、これ。エミリエの土産にひとつ持っていこうかな」 「おやつの時間には早いんじゃない?」 イチゴを味わっている優の横を、レオナのビッグタイプ・コメットが颯爽と追い抜いていった。 「ケーキまみれになるのは、毛皮にも良くないわ。かゆくなっちゃうもの。壁に当たらないよう、なるべくスピードで重視で疾走よ。よろしくね、アナタ」 寝そべっているコメットの上から、こつこつと星を小突く。それを受けて、コメットはより一層スピードを上げていく。追い抜くライダーたちへ輝く星の粉を振りまきながら、先頭集団に喰らい付く。 と、不意に横のケーキの壁から飛び出してきた影があって、レオナは驚いた。イチゴの透き通った赤い果汁と、白いクリームにスポンジまみれになったアルドが、ケーキを突き破って前方に躍り出てきたのだ。 「……びっくりしたわ。アルドさん、何をやっているの?」 「いや、僕は甘党でさぁ。こう、あま~いケーキにぶつかっちゃいたい衝動に勝てず……」 アルドは照れくさそうに言いながら、ほっぺに付いたクリームを指ですくって口に入れてなめ取った。ふわっとした感触があったかと思えば、それは一瞬ですぐに溶けてなくなる。口腔内、舌で天井に押し当てる。難なくつぶれて、じわ、と溶ける食感がある。 「うふふ、おいしい。幸せだなぁ……じゃ、また潜っちゃおー♪」 機嫌良さそうにつぶやくと、アルドはつーっと右側にコメットを寄せた。かと思えば、スピードも殺さずにずぶぶとケーキの壁にめり込んでいく。すぐに姿は見えなくなった。 「……」 あっという間に後方に流れてしまったその光景を、レオナは何とも言えない表情で眺めていた。 ふと、自分の腕にケーキのかけらがついているのに気が付く。アルドがケーキの壁にもぐり込んだとき、勢いで飛んできたものの一部だろう。ぺろりとなめてみた。 「おいしいわね」 でもケーキまみれは勘弁したいところ、とレオナは苦笑した。 * 「……どうしよう」 崩れてきたケーキの一角に埋もれてしまった綾は、全身ケーキまみれになりながら這い出てきたのだが。手に抱えるコメットは、痛々しい亀裂が走っていた。綾は切ない表情になって、コメットを抱きしめる。 「ごめんね、ミニミ。ココア池のときだって、最高速で安全に走ろうだなんて、無茶言って……」 立ち尽くす綾を、次々とライダーたちは追い抜いていく。空に浮かぶ雲に乗った審判アニモフが、何事かと近づいてくる。だが綾には、そんな周囲の光景は視界に入らない。 「リタイア、しよっか。これ以上は無茶させられないもん。ありがと、ミニミ。一緒に飛べて、すごく楽しかったよ。ごめんね、ほんとに……ごめん」 にこやかに星へ笑いかける綾の頬を、目から溢れた雫が伝う。それがコメットへと落ちた。 ――すると。 コメットはまぶしい位の光を放って、己を抱きかかえる綾の手からすぽんと離れた。宙にふよふよと浮かび、自分はまだ飛べる、行こうと言わんばかりに、うずうずと小刻みに揺れる。 自分が傷ついてもまだ健気に飛ぼうとするコメットの様子を見て、綾は言葉を失っていた。感動のショックで少しぽかんとしていたが、涙をぬぐうと、きっとした顔で再びコメットに両足を乗せた。 「そうだね。最後だ、最後だもん! ココまで来たら、優勝狙わなきゃウソかもだよねっ!」 外れていたゴーグルを、エンエンが器用にハンカチで綺麗にしてくれていた。それをはめると、前方を見据える。 「終わったらキレイにブラッシングしてあげるから、頑張ろうね、ミニミッ! いよぉっし、行っくよ! ラストランッ!」 信じるコメットに託した想いを受けて、星がより一層強く輝いた。光子を振りまきながら、再びミニミは走り出す。 * レース終盤、最後の直線。 トップ争いは、赤と青の双子の犬アニモフ。そしてケーキまみれになっているアルドの三者間で、激しい火花を散らしていた。 「ア、アニキに負けない、猫のあんたにも負けない! 俺が一位だぜ!」 「お、弟になんか負ける、かっ! ボクが一位って決まってる!」 「こ、ここまで来たんだ、一位は僕がもらう、よ……!」 トップ三者の位置はほぼ平行。しかし連続するレースの影響もあって、さすがに疲労の色がにじんでいた。ぜぃぜぃと肩で息をしている。 ゴールはもう目前だ。誰がトップを獲るのか? そんな緊張と興奮で大盛り上がりの観客席。 だがそれが一層、強くなった。誰かが「後ろだ!」と叫んだ。観客もアルドも双子も、思わず後方を振り返った。 巨大なケーキの上から、斜め上にコメットを跳ね上げて、空を駆けるように上昇していくライダーがいる。日和坂綾だ。ゴーグルが陽の光を弾いて、きらりとまばゆく輝いた。彼女のコメットは三人を上空で追い越し、そして――。 * ▼レース後、ねぎらいパーティにて レースの後、コースの一部だったケーキは、綺麗な部分を切り取って参加者や観客に振舞われていた。 「ふふ。一位は逃したけど、まさか『コメットを上手に乗りこなしたから』って、特別賞がもらえるなんてね。おまけにメダルまで! もう気分は最高だよっ!」 おいしそうにケーキをもぐもぐとほお張るアルド。首から提げたメダルが凛々しくきらんと光る。その横で、鈴羽は口元に手をそえ、くすくすと笑った。 「アルドさん、慌てて食べると喉に詰まらせてしまうわ」 「大丈夫、僕、甘党だから! もう、ケーキもたくさん食べちゃうもんね!」 「レース中にも食べてたくせに、よくまだ腹に入るなぁ……」 ココアにケーキにと、甘ったるい匂いでやられてしまった優は、ちょっとげんなりとした表情だ。アルドはお構いなく、ケーキをひたすら食べ続ける。 「あ、鈴羽さん。水、俺ももらっていい?」 「えぇ、どうぞ」 「アタシもいいかしら? 喉が渇いちゃったわ……ココアだと口の周りに付いちゃうし」 「もちろん、レオナさんもどうぞっ」 鈴羽が、参加者をねぎらうつもりで持ってきたミネラルウォーターは、好評のようだった。鈴羽は明るく様子で優に手渡し、レオナには受け皿を借りてきて、そこに注いであげる。 「それしても、最後は怒涛の追い上げだったなぁ、綾。エミリエにいい土産話ができたよ。イチゴもちょっと貰ったし」 優の手には籠があり、そこには大きなイチゴが溢れんばかりに入っている。 「そういえば、綾さんはどこかしら? 表彰式のあと、姿が見えないけど」 レオナが鼻をひくひくさせながら、周囲を見渡す。 「あぁ、綾ならコメットとお話してるってさ~」 1ホール分のケーキをあっという間に平らげたアルドは、次のケーキに手をかけようとしながらそう言った。 * 「おつかれさま、ミニミ」 パーティの喧騒が遠くにある、ちょっと離れた場所。見晴らしのいい丘の上、夕暮れの光を浴びながら、綾はコメットを抱えて芝生に腰掛けていた。足元ではセクタンのエンエンが、置いたリュックに寄りかかるようにして、すやすやと眠っている。 「ミニミのおかげで、一位になれたよ。ありがとっ」 ぎゅむーと両腕でコメットを抱きしめ、すりすりと愛しげに頬擦りする。ミニミもまたそれに応えるよう、綾に優しく擦り寄る。 審判アニモフから聞いた話では「コメットは傷ついても、休んでいれば直るから心配いらない」とのことだった。ほっとひと安心したものだが、でも無茶をして傷つけてしまったことは事実。頑張ったミニミに応えてあげたくて、今はレンタルの時間ぎりぎりまで存分に可愛がってあげているところだ。 「お別れだけど、私、ミニミのこと忘れないよ。今日の楽しかった思い出は、ずっとずっと忘れないからね!」 お別れなんて言葉を聞くと、ちょっと胸が痛む。でも切なくしょんぼりしているより、笑顔でいたい。そんな想いもあって、綾の表情はにこやかだ。 ――わたしも、わすれないよぅ。 舌足らずで幼い声が脳裏に響いた気がして、綾はぱちくりと瞬きしながらコメットを見下ろした。やがてにこりと朗らかに笑う。ミニミが可愛くて仕方なくて、ぎゅむむーっと強く抱きしめる。 ミニリュックからはみ出ている、勝利の証・ゴールドカップ。夕焼けを反射させて、誇らしげに輝いている。 <おしまい>
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