オープニング

 浅葱色の暖簾が風を帯びて揺れている。
 0世界の一郭にひっそりとたたずむ一軒の長屋にも似た見目のそれは、便宜上、御面屋と呼ばれている。事実、暖簾の奥には平台があり、ヒョットコ面をつけた店主が手掛けたのであろう、様々な面や根付け、それに駄菓子などが雑然と並べられている。それらにはそれぞれに何らかの効力が備わっているらしい。時おり訪れる客人たちがそれらを試し、それぞれに様々なものを”見て”いくのだという。
 けれどその日、暖簾をくぐり中に入った客人たちが見たのは、店主であるヒョットコ面の男ではなく、つるばみ色の単着物に中羽織を合わせた男の姿だった。男は来客の姿を見とめると眼鏡の奥の切れ長の黒い双眸をゆるりと細め笑みを浮かべる。
「やあ、いらっしゃい。ちょうどいいところに来ましたね」
 言って、男は短めに整えた黒髪をさらりと揺らしながら立ち上がる。
 何かあるのかと問うた客人の声にうなずいて、男は畳の上を滑るように歩き、商品の並ぶ平台の端に手をかけた。
「百鬼夜行というものをご存知ですか?」
 言いながら白く細い指を動かす。平台はカタリと音を立てて持ち上がり、細い通路が出来た。お時間があれば、どうぞ。そう言い足しながら客人の足を促すように腕を伸ばす。
「まもなく、奥で酒宴が始まります。ええと……ヒョットコとでも言いましょうか。この一郭は彼が作り出したチェンバーなので、月に一度、この奥にある庭先で満月を見ることが出来るんです」
 畳の間の上に置かれた行灯が仄かな光を落としている。男は畳の上にあがるのを戸惑っているような素振りを見せている客人たちに笑みをみせ、奥の襖に手を伸べた。
「そうだ。僕のことは雨師とでも呼んでください」
 
 訪れた面々を招き入れ、奥へ案内しながら、雨師は安穏とした笑みを浮かべたままに口を開く。
「とはいえ、この数日ほど前から店主は留守にしていまして。彼の知己に世界司書がひとりいましてね。何でも、その司書から気になる予言を聞かされたとかで、取るものも取らずすっ飛んでいきましたよ。店の管理やなんやらは僕にも出来るのでいいんですが、さすがに商品の作製は出来ません。簡単な菓子ぐらいなら僕にも作れますが、面妖な効果を練りこむことも、さすがに」
 平台の上の面や根付け、駄菓子を見やった後に雨師は安穏とした笑みを苦笑いへと変じさせた。

 開かれた襖の向こうには板張りの廊下、そして左右に開かれた障子窓と、その向こうに雨戸があった。雨戸の向こうには広くも狭くもない庭がある。
 廊下の奥には今は不在だというヒョットコ面の私室があると雨師は言う。
「さして面白みもない部屋ですよ。書物がいくつかと、あとは彼の仕事道具ですね。そういったものが適当に置かれていて」
 言った後、雨師は面々を庭に面した畳の部屋に案内する。
 庭先には椿が咲いている。梅やしだれ桜の木もあるが、かろうじて梅がほんのわずかに小さなつぼみをつけているだけだった。
 名も知れないような緑がゆるやかに揺れている。その上にあるのは暗色を広げた空と、そこにぽっかりと浮かぶ月。
 月にかかる雲を仰ぎ、雨師は静かに頬をゆるめた。
「もうじき始まります。……お時間さえよろしければ、ゆっくりなさっていきませんか? 酒も茶も、ジュースの用意もあります。肴も、軽い食事も、甘味もお出しできますよ」



==!注意!==========

このシナリオは北野東眞WRのシナリオ『【砂上の不夜城】茨姫』と同じ時系列の出来事を扱っています。該当シナリオにご参加予定の方はこのシナリオへの参加はご遠慮下さい。

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品目シナリオ 管理番号2470
クリエイター櫻井文規(wogu2578)
クリエイターコメントこのたびは当シナリオに目を通していただき、ありがとうございます。
このシナリオは櫻井オリジナルのソロシナリオ「御面屋」を舞台とした、特に派手な動きのない、要は「酒とか飲んじゃおうぜ!!」といったものとなっております。
ただし、店主はただいま留守にしております。詳しくは北野WRのシナリオ「茨姫」をご参照ください。

とはいえ、こちらは本当に、心情独白とか他PC様との絡みとかを主にするだけの、のんびりとしたシナリオとなっています。
昨年四月に出した「春陰ノ夜話」の第二夜だと思ってくださって問題ありません。OPも流用しています。

・縁側では雨師(うし)と名乗る男が宴席の用意をしています。
散策するのでもよし、彼と雑談しつつ食事をなさるのでも結構です。
・むろん、NPCに絡まず参加者様同士でまったり過ごされるのでもなんら問題はありません。 
・どういう縁故や仕掛けがあるのか、妖怪たちが皆様と酒席を供にするようです。百鬼とは言いますが、実質百鬼は空間的にも無理なので、滞在するのは数人の妖のみとなります。
・お好きな妖怪などのご指名がありましたら記入をお願いいたします。特にない場合には櫻井の独断と偏見で、がしゃどくろとかは出てくると思います。

基本的には本当にフリーダムでまったりとした心情・雑談系のシナリオとなっています。
よろしければ、ふらりとお立ち寄りくださいませ。雨師ともども、ご来店をお待ちしております。

参加者
フェリックス・ノイアルベール(cxpv6901)ツーリスト 男 35歳 ターミナル警察・第一方面本部長
坂上 健(czzp3547)コンダクター 男 18歳 覚醒時:武器ヲタク高校生、現在:警察官
星 美良乃(cuuu7519)コンダクター 女 13歳 中学生
ニノ・ヴェルベーナァ(cmmc2894)ツーリスト 男 24歳 暗殺者/現在は無職

ノベル

 通された畳の間の上に座り、薄い闇に閉ざされた庭先を眺める。雨師は四人を通し終えると、酒や茶の用意をしてきますねと断りを置いた後に席を外した。
 残された四人はまったくの初対面だ。互いの顔を見合わせた後、挨拶や名乗りを口にするタイミングをはかっている者もいる。
 ニノ・ヴェルベーナァは深い青にも似た緑色の双眸をぼんやりと庭に向け、勝手知ったるといった風に足を伸ばしくつろいでいた。
 椿の朱が風をうけ揺れている。これから百鬼夜行――妖怪の群れがここを訪うとは言うが、今はまだなんの気配もない。
 ぼんやりと庭を眺めつつ、ニノはひとりの女の顔を思い浮かべていた。
 この場にはたまたま行きがかり上同席しているに過ぎない。妖怪や百鬼夜行に特別な関心があるわけでもない。ただ、うまい食事にありつけるならそれにこした事はない。
 ――それに。
 ここは御面や根付けを取り扱う場所で、店主は今どこぞへ行って不在だという。ならば、もしかすると土産などひとつぐらい持っていけるのではないだろうか。
 珍しい面を土産に渡せば、ウーは喜んでくれるだろうか。ぼんやり考えながら、ニノは退屈そうにあくびをひとつ。
 ニノから少し離れた場所で、星美良乃は置かれていたテーブルの前にきちんと正座で座り、両目をきらきらと輝かせつつ心を躍らせていた。
 淀みのない黒の双眸。視線はくるくると忙しなく動き、部屋の中や自分以外の三人の顔、雨師が姿を消した方角、庭先。あらゆる場所を興味深く観察する。
 ロストナンバーとして覚醒を迎えてから、まだ日も浅い。そんな美良乃にとって、ターミナルでの生活は興味深いものばかりだ。
 例えば百鬼夜行などというものは小説や漫画の中でしか触れたことのないものだ。妖怪、と聞くと、空恐ろしいものもイメージしてしまうが、悪いイメージはかぶりを振ることで払拭する。
「かわいい妖怪さんがいればいいなあ」
 独り言を落とし、それから視線を移ろわせた。その視線の先、フェリックス・ノイアルベールの姿があった。
 壁に背を預け座りながら、フェリックスは膝の上でころころと丸くなる使い魔のムクを見つめていた。
 ムクは主の膝の上、食卓にキュウリは並ぶだろうか、並んだらいいダスと言いながらそわそわしている。
 美良乃の視線はムクに寄せられているが、ムク自身はそれに気付いていない。フェリックスは美良乃が目を輝かせながらムクを見つめているのを知ってはいるが、悪い気もしない。ゆえに構わず放置している。
 涼やかな青の瞳は、日頃あまり目にする事も少ない和室のそこここをさりげなく観察している。和という文化にはあまり縁がないのだ。ゆえに、ぼうやりとした光を落とす灯篭を抱いた庭先にも、彼の好奇は寄せられる。
 そわそわと落ち着かない使い魔をたしなめながらも、フェリックスの目はやわらかな笑みを浮かべている。
 その位置からわずかに離れた場所で、坂上健もまた少しそわそわと落ち着かなさげに周りを見やる。何しろ、知り合いがまったくいない場に居合わせるという経験が皆無に等しいのだ。わずかに緊張する。
「俺さ、百鬼夜行の付喪神が見てみたかったんだ」
 場に漂う空気を蹴散らすように、健はおもむろに口を開ける。三人の視線が一度に健に注がれた。
「コンダクターの坂上健だ。こいつは相棒のポッポ」
 軽く自己紹介を始めた健の肩の上で、オウルフォームのセクタンがくるりと顔をまわす。ポッポの背を指先で撫でてやりながら、健は人懐こい笑みを浮かべて挨拶を続けた。
「警官志望の大学三年。武器蒐集が趣味、っていうか、まあ武器ヲタだよな。よろしく」
 言って、三人の顔を検める。
「私は美良乃。えっと、いろんな人のお話が聞けたらいいなあって思って」
 応じたのは美良乃。彼女は健の挨拶に笑みを浮かべて言葉を継げた。
「お酒は飲めないけど、お酌ぐらいなら出来るかなあ。あ、この子の名前はまだちゃんと決めてなくて」
 言いながらドングリフォームのセクタンの頭を撫でる。
「それじゃ呼ぶとき不便だろ」
 健が返したのに、美良乃はわずかに思案したような顔をしてから口を開けた。
「ころ太って呼んではいるんだけど、もっといい名前があればなあって思って」
「仮名ってわけだな」
 うなずく健に、美良乃も首肯する。健はころ太の頭を撫でながら笑った。
「よろしくな、ころ太」
 和やかにやり取りを交わすふたりを見ていたフェリックスが声をかける。
「なるほど、話に聞いていた通りのようだな」
「は?」
 フェリックスに顔を向け、健が首をかしげる。フェリックスはかまわずに続けた。
「今の日本人は滅多に和服を着ないそうだな」
「和服? あ、お着物のこと?」
 美良乃が応じる。見れば眼前にいる男はどう見ても西洋貴族のような出で立ちをしている。なるほど、和服という文化が珍しいのかもしれない。
 納得したように手を打って、美良乃は応えを続けた。
「確かに、あんまり着ないかも。お正月とか、お祭りとか……そのぐらい?」
 美良乃の答えにフェリックスはなるほどと首肯するも、残念そうに口を開く。
「折角映える顔立ちをしているのに、もったいないことだ」
「今度また機会があればお見せします」
 返した美良乃に、フェリックスが「楽しみだ」と笑い、目を細ませた。
 と、そこへ
「御面屋の部屋に何枚かあるはずですよ。女性が着るような小袖も確か」
 膳の上に料理をのせ、雨師が部屋に戻ってきた。
 ニノがわずかに顔を持ち上げ、雨師の顔を見る。雨師はニノの視線に気付き、笑みを返した後に美良乃に向き直って言を継いだ。
「着てみますか?」
「え、いいの?」
 弾かれたように腰を持ち上げた美良乃に雨師は笑う。ただし、と言葉を続けて。
「僕が着付けのお手伝いをするわけにはいきませんから、誰か別の……」
 言いかけて視線を庭先へと移ろわせた雨師の言葉を継いで、ニノがわずかに首をかしげた。
「俺、手伝い、無理だよ」
「もちろんです」
 ニノの、ちょっとしたボケ発言にも表情を崩すことなく、雨師は眼鏡の奥で目尻を細める。
「そうですね。彼らに手伝ってもらいましょうか」
「彼ら?」
 雨師の視線を追って、健も庭に目を向けた。
 薄闇に包まれた夜のしじま。空には月が架かっている。雨雲どころか、月を隠す雲ひとつなく晴れ渡った空だ。にも関わらず、降り始めた雨の雫が庭で揺れる草木の葉を叩き出したのだ。
「……ほう」
 フェリックスが頬をゆるめる。その視線の先、薄闇からぬるりと姿を見せたのは、首のない馬にまたがった鬼――夜行だ。夜行の先導に従うように、続いて欠けた茶碗や湯呑、折れた箸。そんな姿をした、こぢんまりとした妖怪たちだ。彼らは自らを叩きながら奇妙な音を奏でつつ、続く妖怪たちの歩みを誘う。
 音もなく降る月光と雨の中、中途半端な賑々しさを伴いながら庭の中をぐるりと周る。美良乃が驚嘆の声をあげ、それから思い出したように縁側へと駆けていった。
 その声に、思い出したように、健もまた縁側へ向かう。その目が捉えているのは百鬼夜行の周りでうろちょろと動くこぢんまりとした、――文献においては付喪神と名されるのであろうそれらだ。
 ただひとり、ニノだけは、現れ始めた百鬼夜行の姿よりも、雨師が運んできた膳の方に興味を向けている。
 膳の上には根菜類の炊き合わせや煮魚といったものがのっていた。雨師はそれらをテーブルの上に並べてから、改めて美良乃に声をかける。
「試してみるなら御面屋の部屋までご案内しますよ。ちょうど、お手伝いできそうな者も現れたようですし」
 声をかけられて美良乃は振り向く。興奮のあまり、今しも庭に降りようとしていたところだった。
「え、い、いいんですか?」
 訊ねてみる。雨師は何ということもなさげにうなずいた。
「それでは行きましょう。雨女、少しいいですか?」
 雨師が庭に向けて呼ばわると、和傘をさした和装の女がこちらに顔を向ける。が、向けられた顔面はつるりとしていて目も口もない。鼻の辺りがわずかに盛り上がっているだけだ。
 雨女は首肯する。草履が土を踏む音がした。その歩みがひとつ進むごとに雨の粒が少しずつ大きさを増していく。
 いわゆるのっぺらぼうの類なのだろう。だが美良乃は怯えるでもなく、食い入るように女を見ていた。女から発せられる雰囲気が、女の美しさを誇示しているようにも思える。
 顔の造形など分からない。それでも。
 縁側に立つ美良乃のすぐ前で足を止めた雨女が美良乃を仰ぐ。
「お初のお目もじでござんすな」
 女の声がして、美良乃は目を瞬かせた。眼前にいる女の、つるりとした顔には、いつの間にか目鼻口が出来ていた。思った通りの美しさだ。艶やかに笑んでいる。
 美良乃は嬉しくなって満面に笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします!」
 丁寧に腰を折って挨拶をする。それから雨師の案内に添い、雨女と共に部屋を後にした。

 先ほどまでキュウリのことばかり話していた使い魔は、今はもう庭の中、妖怪たちの中で戯れている。ふわふわとした真白なムクが、薄闇の中で文字通り転げまわっているのを見るのも悪くない。だが、小僧が携えている豆腐に関心を見せたムクに、それは食さぬようにと注意を促すことも忘れない。
 美良乃を案内し再び姿を消す前に、雨師は「料理や酒は好きなように飲食始めていてください」と言い置いていた。フェリックスはその言葉に甘え、朱塗の杯を手にしている。
 縁側の板張りの上、壁に背を預けて座り、朱塗の杯の中で揺れる酒の水面が上空の月を映しているのも楽しむ。
 和に関する文化との接触経験は少ない。ゆえに、手にしている杯も、和室の構造も、襖や雨戸、雨どい、庭にある灯篭も、余すことなくすべてフェリックスの興味の対象だ。
 小皿に取り分けた肴の味付けも、フェリックスの出身世界においては縁のないものだ。それを口に運ぶために使う箸もまたフェリックスにとっては馴染みのないものではあるのだが、彼はなぜかそれを巧みに使いこなしている。
「お上手ですな」
 不意に声をかけられ、フェリックスが顔を持ち上げる。そこにいたのは杖をついた法師だ。首から下こそ人体のかたちをしてはいるものの、頭部は琵琶のかたちをしている。――琵琶牧々だ。
 フェリックスは眼前に立つ法師の姿の全容を検めた後、法師の言葉が何を示唆しているのかをしばし考える。
 法師は縁側に腰をおろして杖を置き、小さく笑った後に言を続けた。
「外つ国の御方かとお見立て致しますが、いかがか?」
「外つ国? ああ、異国ということか。その通りだが」
 見れば、琵琶のかたちをした頭部にある眼はふたつともかたく閉ざされたままになっている。
「箸使いがお上手だと申し上げたのでございますよ」
 法師はそう言って笑った。琵琶の弦がわずかに震えて音色を奏でる。
「なるほど」
 そういうことかと首肯して、箸を持つ指に視線を落とした。
「書物から得た知識によるものだが。……なるほど」
 巧いと言われれば悪い気はしない。フェリックスは頬をゆるめ、それから改めて法師の姿を確かめる。
「訊ねるが」
「拙僧にですかな?」
「貴様らは普段、どこでどういう生活をしているんだ?」
「はあ」
「身を潜め、静かに暮らしているのか?」
 少なくともターミナルでは、今この庭先に集う妖どもの姿を目にしたことはないはずだ。ならば、日頃はどこかに身を潜めているということか。
 法師は、しかし、フェリックスの問いに対し、やはりわずかに笑ってかぶりを振る。
「拙僧どもはこうして賑やかしで生きておりますとも」
「賑やかし、でか?」
「はい」
「覚醒前も、覚醒してから後も変わらずにか」
「ええ、そりゃあもう」
 法師は笑う。弦が震えて音を鳴らした。あまりにも涼やかなその音を耳にして、フェリックスは問い掛けを重ねるのをやめた。
「貴様、酒は飲むのか」
 言いながら酒の入った徳利と杯とを差し出す。
 法師は笑い、フェリックスが差し伸べた杯を受け取ると、注がれた酒を悠然とあおり、飲み干した。

 案内された部屋も畳敷きの和室だった。
 小さな文机、敷かれた座布団。畳の上には無造作に置かれた帳面や書物。横になるための場所であろうと思しき場所もある。
 雨師が和室の奥へと踏み入っていくのを追いながら、美良乃は逡巡していた。が、雨師は美良乃の戸惑いを一蹴するかのように微笑み、振り向いて手招きをする。
 ――今は不在中の御面屋の部屋だ。
 見れば、畳の上にいくつか、作りかけのものであろうと思われる面が転がっている。それらを踏まないように注意深く歩きながら、美良乃は横目にちらちらと面や帳面を盗み見た。 
「完成品ではないですし、帳面も本も、面に描く狐やら鬼やらのデザイン元になるようなものばかりですよ」
 美良乃の視線に気がついたのか、雨師がゆるゆると笑った。
「それよりも、これをどうぞ。お嫌いでなければですが」
 言いながら差し伸べてきたその小袖は、白金糸を用い織り上げた白生地に彩色染めを施すという、手のかかる技法によって仕立てられたものだった。淡い紫に、春の花を描いたその美しさに、美良乃は思わず目を見張る。
「あの、でもやっぱり勝手に着たら悪いですし」
「大丈夫ですよ。小袖も、仕立てられ放置されたまんまじゃあ、嘆きもしますでしょう。どうぞ袖を通してやってください」
 雨師は微笑みながら小袖を雨女に託し、部屋を後にしていった。

 戻ってきた雨師を呼んで捕まえた健は、酒の肴を作るのを手伝うと申し出て、御面屋の部屋とは逆にある台所へと向かう。
「一升瓶とまんじゅうは持ってきた。でもあんだけの数の妖怪が出てきたんじゃ、酒も肴も足りないよな」
「ええ。お手伝いいただけるのなら助かります」
 言いながら、フェリックスと法師が酒盛りをしている横を通り抜ける。ふたりは楽器の話を交わしているようだ。
 畳敷きの部屋にはニノだけが残り、ひとりでひたすら食事を続けていたが、健と共に台所に移動していく雨師を目にすると、思い出したように顔を上げて口を開ける。
「この家の中、好きに見て回っても、いいのか」
「かまいませんよ」
 ニノの申し出にあっさりうなずき、雨師は手馴れた所作で家にある部屋の位置を大まかに説明していく。
 今ニノがいる和室を出て庭に向かって右手に進み、廊下の突き当たりにある和室が御面屋の部屋。ここにはいま、美良乃と雨女とがいて、美良乃は小袖に着替えているだろうから、しばらく行ってはいけない。御面屋の部屋の前を折れた奥にあるのが雨師の部屋。もっとも時おり訪ねてくるときのみに利用している部屋だ。簡易な着替えの他には何もない。
 庭に向かって左手に進めば台所と風呂、トイレがある。台所を通り過ぎれば”御面屋”の店先へと通じる。
「たったこれだけなんですよ。……興味を引くようなものも、特にはないかもしれません」
 それでも構わなければ、お好きにどうぞ。ゆるゆると笑いながら言い置いて、雨師は健と共に台所へと消えていく。それを追い、庭から入り込んできた付喪神が数体、やはり台所の方に消えていった。
 
 決して広いとは言えない台所に案内された健は、まず食材の確認をしながら、ついてきた付喪神を見やって頬をゆるめた。
「健くんは料理するんですねえ」
 訊ねてきた雨師に、笑みを浮かべたまま顔を向ける。
「まあ、簡単なものぐらいならな」
 応えつつ、目についた食材を手にとって、使っていいかを雨師に確認する。雨師はどれでもご自由にどうぞと返し、自分も新しい品を作るために野菜をいくつか物色していた。
「俺さ、百鬼夜行の付喪神が見てみたかったんだ。武器とか徳利とか杯とかさ。百鬼夜行に連れて行かれずに酒宴が出来る機会なんて普通ないだろ?」
「そうなんですか? もっと見た目にも派手な妖もいますのに」
「そうなんだろうけどな。見た目が派手なのとかは、ターミナルに出入りするようになってから、いろいろ見てきたしな」
「なるほど、確かに」
 うなずく雨師に、健は言葉を続ける。
「気になってたんだ。付喪神の変じ方だが、物から妖怪に変じるっていうのは、どういう経緯を踏むんだろうな」
「ふむ」
「変じ方の差っていうのかな」
「そうですねぇ。健くんが何を知りたいのかはわかりませんが、作られてから百年を経た道具には魂が宿るのだと言われていますね」
 付喪とはすなわち九十九。長い歳月や多種多様を意味する九十九神とは、つまり、多種多様な道具が長い歳月を経て神に至るということを意味している。
「要するに、長い間大切に手入れされ使われてきたものには魂魄が宿り、幸や不幸をもたらすものになる、ということですよ。変じ方の差というものが何を示唆しているのかはわかりませんが」
 雨師の応えに、健は少し不服そうに目を落とした。
 ついてきたのは欠けた茶碗と刃こぼれのした短刀が付喪神に変じたものだった。頭部が大きく、手足が小さい。バランスが悪いせいか、彼らはころころとよく転がっていた。その愛らしさに、健は思わず笑みをこぼす。
「甘いのも食うけど、酒の時は辛いものとかしょっぱいものだよな。大学のゼミとかサークルではよく飲むんだが、妖と飲むのは初めてだしな。使っちゃ駄目な食材なんかがあれば教えてくれ」
 言いながら、鯵の干物を揚げていく準備を整える。
「この干物、二度揚げするんだ。そうすれば骨まで食えるようになるだろ。そしたら目玉焼きと、玉ねぎのみじん切りと、粒コショウ。こいつらを、レタスをしいたフランスパンに挟んで、マヨネーズを」
「申しわけない、健くん。あいにく今はフランスパンがないんですよ」
 雨師の声に、健は顔を上げて目を瞬かせる。
 視線の先、雨師が申し訳無さげに肩をすくめていた。

 許しを得たニノは、さっそくふらりと場を立って廊下に出た。
 庭の中、妖怪たちは一通り揃いぶみなのだろうか。フェリックスの使い魔が楽しげに文字通り飛び回っている。
 御面屋の部屋から出てきた美良乃が気恥かしげに顔を赤くしていた。身につけているのは目を引く美しい織りのなされた小袖だった。
 雨女が美良乃の手を引いて歩いて来る。フェリックスが美良乃の姿を見とめ、やっぱりよく似合うと素直に褒め称えていた。
 ニノもぼんやりと美良乃を見つめた後、御面屋の部屋を指差して言う。
「なんか、あった?」
「え?」
「面白そうなもの、とか」
「え?」
 ニノからの問いに美良乃は首をひねるばかり。ニノはわずかに目を瞬かせ、それからふとフェリックスに顔を向けて問う。
「貴方の連れてる、あの子」
「ん? ああ、ムクのことか」
「ムクって言うのか。……あの子、こういうのは、喜ぶかな」
 言いながら差し出したそれは、葉っぱで作ったリスだった。どういう構造で出来ているのか、シッポを動かすとリスが動いているようにも見える。
「ほう、これは見事だ」
 感心するフェリックスに、ニノは小さく頭を下げた。御面屋の部屋に向けて歩みだす。
「御面屋さんの部屋に行くの?」
 美良乃が問う。その美良乃のかたわらに、先ほどムクに近付いていた豆腐小僧が近寄った。
「うん」
 うなずくと、ニノはそのまま御面屋の部屋へ向かう。
 美良乃とフェリックスはしばしニノの背中を見送っていたが、豆腐小僧と法師に呼ばわれたので、そちらに意識を向け直した。

 御面屋の部屋もまた畳敷き。小さな文机、座布団、作りかけたままの面がいくつか。転がっている帳面や書物。
 ニノは目についた帳面のひとつを手に取ってページをめくる。
 記されていたのは狐や鬼といった類のもののデッサンだ。配色やデザインに関する覚書のようなものなのだろう。
 一通り目を通し終えると文机の上に置いて、また次に目をひいた帳面をめくる。どれも面に関する覚書が記されてあるだけだ。それらをいちいち机の上に戻していきながら、ニノは肩でため息をつく。
 本も一通り手にしてみたが、やはりデザインや配色に関わるものばかりだった。
 次いで、転がっている作りかけの面を手に取る。まだなんのかたちにもなっていない、つるりとした面を角度を違え見てみたが、何ら面白みがあるわけでもない。ニノは面の検分にもすぐに飽きて、次なる探索を始めた。
 文机の上には墨の入った壺や筆がまとめて置かれている。壺を覗き込んでみたが、面白いわけはない。
 ――あわよくば面のひとつも手土産にしていこうかと思っていたのだが。
 特に何もない部屋には用もない。戻って、また適当に食事にでもありつこう。考えながら部屋を後にしようとした、その時。
 ニノは、文机の上部に天袋があるのを見つけた。何ということもなく、軽い気持ちで天袋を開けてみる。
 覗き込んでみるとそこに、一冊の帳面があるのが見えた。

 出来上がった料理を膳にのせ、健と雨師が部屋に戻ってきた。
 フェリックスは法師と火車とで楽器にまつわる話をしている。その周りを付喪神がわらわらと集い、囲んでいた。法師が琵琶を奏すれば、返すようにフェリックスがギラーを弾く。その音にムクも主の膝の上に戻ってきて、真白な両翼を踊るように動かした。
 美良乃は豆腐小僧に豆腐の試食を勧められていたが、小僧が悪いいたずらを思いついたような顔を浮かべているのと、フェリックスからの忠言を受け、試食はどうにか避けている。それよりも身につけた小袖が誰のために用意されたものであるのかが気になって、そわそわと落ち着かない。
 ニノは壁にもたれかかり、見つけた帳面をめくってみるが、そこにしたためられている文字を読むことは出来ずにいた。
「おや、ニノさん、それは?」
 テーブルに料理を置きながら声をかけてきた雨師に、ニノは帳面から顔を持ち上げて首をひねる。
「これ、……読めない」
 言って差し伸べたそれを雨師が受け取る。ぱらぱらとめくり読むのを、健が横から覗き込んでいた。
「達筆っていうんだよな、こういうの」
 健は眉をしかめている。帳面にしたためられている筆文字は、健にも読み取りにくいものだ。
 雨師は苦笑いを浮かべてかぶりを振る。
「いいえ、これはただ彼の文字が汚いだけですよ」
 言いながら数ページを検めて、小さくうなり声をあげた。
「さすがにこれは、御面屋に黙って読み上げるわけにはいきませんね」
「……」
 ニノも雨師に近寄り、帳面を覗きこむ。したためられている文字を解することは出来ないが、雨師の言葉は理解出来る。
 興味をひかれたのか、美良乃も健の後ろから顔を覗かせた。
「これは彼の日記ですよ」
「日記?」
 訊ねたニノに、眼鏡の奥でまなじりを細め、雨師はゆっくりと口を開く。
 フェリックスがつま弾くギターの音。それに合わせ、法師が琵琶を弾く。妖怪たちはその音色に合わせ、都々逸にも似た何かを口々に唄う。

 それは、御面屋が訪ねたインヤンガイでの記述から始まっていた。
 面を作る技術を教示してくれた双児の姉妹との出会い、交流。インヤンガイで過ごした時間は決して長くはなかったようだが、そこで生じた記憶は御面屋にとり、深いものとなって残ることになったようだ。
 雨師は記述の触りを話すだけに留め、深くまでを明かすことはしなかった。ゆえにそこで生じた思い出がどういったものであるのかは分からない。
 ただ、覗き読んでいる美良乃は、帳面にしたためられている文字を解することが出来た。両目が輝き、表情は時に緩み、時に切なげなものへ、くるくると変じる。
「私……この着物」
 やがて帳面を閉じた雨師の後ろ、美良乃が頬を紅潮させながら、身につけている着物を検めた。
「じゃあ、この着物。その彼女のために……しろがねっていうひとのために用意したものだったんだ」
 呟く美良乃の言葉に、ニノは目を瞬く。
「分からないな……分からない。誰、誰かを思う……俺には、ないから」
  
 ギターと琵琶の協奏が終わる。妖怪たちが囃し立ててさらなる演奏を求めた。
 フェリックスは彼らを見やり、法師の言葉を思い出す。
 彼らは覚醒前も覚醒後も何一つ変わることなく、こうして賑やかに集い暮らしているのだという。
 ――かつていた世界で、フェリックスは使い魔を無理矢理に召喚し、使役していた。それはつまり、使い魔を強制的に仲間から引き離して孤独の身にしてしまったことになる。
 しかし、使い魔たちはフェリックスを主と定め、健気に付き従ってくれているのだ。
 思いながら、膝の上でころころと転がっているムクに視線を落とす。ムクはフェリックスの視線に気付くと嬉しそうにすり寄ってきた。
 ムクに対して、使い魔たちに対して罪悪感がないわけではない。いつかムクも、眼前で騒ぐ妖怪たちのように、自分の幸福が見つかればいいと願う。使い魔としてではなく、自由の身として、自分の意思で。
「親分、親分。キュウリが食べたいダス」
 両翼をはためかせながら空腹を訴える使い魔の声に、フェリックスは小さな笑みをこぼす。
「勝手に食ってくればいいだろう」
 フェリックスが放りやった言葉をムクは嬉しそうに受け止めて、テーブルに向かい飛んでいった。
 ニノが作った葉っぱのリスが、ムクの手の中で小さく動いているのを見つめると、フェリックスは再びギターに指を置く。
 妖怪たちが囃し立て始めた。

 帳面を天袋に戻しつつ、雨師はそういえばと思いついたように呟いた。
「御面屋が留守をしてからもう数日経っているんですが、帰ってきませんねえ。何かあったんでしょうか」
 言ってトラベラーズノートを開く。エアメールが届いた形跡はない。
「試しに送ってみたらどうだ」
 健が言うのにうなずいて、雨師は御面屋に向けてメールを送る。

 今、どこで何をしているのか。このメールを見たら返事をよこすように。
 

 ◇   


 遠く、インヤンガイの一郭で、そのエアメールは何ということもなく、ノートの持ち主に着信を報せる。
 男は焦燥しきった顔で、ただうつろに空を仰ぐ。
  

クリエイターコメント余分にお時間をいただいた上にお待たせしてしまいまして、申しわけありませんでした。ひとえに自身のもろもろの管理が届かぬせいです。精進いたします……。お待たせしましたぶんもお楽しみいただけましたらよいのですが。

>フェリックス様
ただお一人だけ心情面の吐露や妖怪との応対態度に関してのご指定をくださった方でした。よって、三名様とは少し距離をとり、お一人だけで妖怪どもとの交流メインで動いていただきました。
使い魔さん、かわいいですね。口調がまたいいです。かわいいです。モフってしたいです。

>健さん
申しわけないです、いただいたプレイングはほとんど活用できませんでした。
まず、料理をするのであればパンなどの食材は持ち込んでいただかないと、和をメインとしたチェンバーですので、ご用意はありません。でも美味しそうなので今度個人的に作ってみようと思います。
また、「あの本」というご指示では、どの本を示すのかが見えません。御面屋も雨師も男性ですので、あるいはエロ本などもあるかもしれませんし。

>美良乃様
プレイングに忠実な描写よりも、より楽しい描写のほうが、的な一文を設定のほうで拝見しましたので、そんな感じで動いていただきました。
四名様中、美良乃様だけに御面屋の手書きプラポエをじかに読んでいただきました。

>ニノ様
お上手なご指定でした。ニノ様の堂々たる探索の結果、御面屋が顔を真っ赤にしてわあわあ暴れだしそうなものを見つけることができました。
雨女の膝枕は描写なしです。狙っている方がいるのであれば、そのお相手様にお願いしてください。
なお、お土産はなしです。ふんどしも見つかりませんでした。生装備のようです。

口調その他、イメージに沿うものであればさいわいです。
御面屋に関しては、遠からずまたシナリオでお目にかかるのではないかと思います。
公開日時2013-03-10(日) 21:10

 

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