オープニング

 ある町に、恋人を待ち続けている女性がいるという。幼いながらも真剣に将来を誓い合った二人を、戦争が呆気なく引き裂いた。少年は徴兵され町を出て、少女は巫女としてその町に残った。何年も何十年も、帰らぬ少年だけを思い続けて……。
 神殿に祭られていた竜刻は、残された少女の強い想いに呼応して力を貸した。彼が戻る町を守り続けるべく張った結界を、より強固な物としたのだ。結果、町は戦火を免れて彼女は巫女としての地位を確固たる物としたが、何より待ち侘びた少年は何故か戻ってこなかった。
 戦争が終わり、徐々に帰還した兵士たちの誰も少年の生死を知らなかった。けれど生きていれば、すぐにも戻ったはずだ。そうすると確かに彼女に誓ったのだから。
 一年経ち、五年経ち、少年の家族さえ彼はもう死んだのだととっくに諦めた。それが今になって、彼は生まれ故郷の町に向かっているらしい。
 町の誰もまだ知らない、神殿で祈り続けている彼女さえ知らない。ただ導きの書が予見した竜刻の暴走は、彼の生還を教える。二人が再会した時、その町が壊滅するとの無慈悲な未来という形で。
「少年──今はもう成人して久しいですが、その彼が巫女と再会する前に竜刻を止めてきて頂けませんか」
 導きの書から視線を上げないまま、依頼を持ってきたやる気がなさそうな司書は言う。
「手っ取り早いのは、竜刻にタグを貼って暴走を防ぐことです。ただその竜刻は、今も結界の補強に使われています。巫女として町を守る以上、彼女もそう易々と手放してはくれないでしょう」
 戻ってくるのが待ち人だと確たる証拠があれば渡してくれるかもしれませんが、と独り言のように呟いた司書は小さく息を吐いて話を進める。
「本人から戻ると連絡があるではなく、そうであれば姿を見ないことには彼女も納得しないでしょう。竜刻は神石として祭られているようですし、巫女たる彼女は離れられないようです。竜刻が暴走しない形での再会を手伝ってくださるか、」
 若しくは、と淡々とした声が続ける。
「二人が二度と会えないように、画策してきてください」
 そんなと非難めいた声が上がったことに司書は僅かだけ顔を上げ、再び導きの書に戻す。
「二人が会わなければ暴走はしません、それなら竜刻は神石としてそのまま置いておけます。町のためにはそのほうがいいのかもしれません」
 どちらを選択して頂いても構いませんと、感情を交えない様子で司書は書を閉じた。
「とりあえず、彼が町に向かっているのは確かです。どうして今まで連絡かなかったのか、今になって戻ってくるのかは分かっていません。会って暴走するということは、巫女がそれだけ動揺する事態が待っている可能性もあります」
 ややこしい事態に巻き込まれるくらいなら会わせないほうがいいのかもしれませんねと、司書はどこか苦く呟いて深く頭を下げた。
「とりあえずお願いしたいのは、竜刻が暴走しないこと、です。手段は皆様にお任せしますので、宜しくお願いします」


 言いたいことだけ言って戻っていく司書の背中を見送りながら、ニコ・ニライオは軽く眉根を寄せた。
「せっかく何十年振りに帰ってくる彼氏と会わせない、なんて」
 健気にずーっと待ってたのにひどい話だよねとぼやくように溢したニコに、樹菓がそんなの嫌ですと強く拳を作った。
「会えるところにいるのに……、ようやく再会できるはずの二人を引き裂くことが最良だなんて、私には思えません」
 絶対にと強い主張に、吉備サクラも大きく頷いている。
「二人が無事に会えるよう、橋渡しすればいいんですよね。悲恋になんてさせたくないです」
 本人が戻ってくるって教えて竜刻を貰えばいいんですよと意気込む姿に、黙って聞いていたフェリックス・ノイアベールが静かに口を開いた。
「時間によって生じた溝は、そう簡単に埋まるものではない」
 再会するのが互いにとっての幸せとは限らんだろうの指摘に、反論できる者は誰もない。時間の残酷さも、当事者にしか分からない心の揺れも、全員が承知するところだからだろう。ただ、それでも、と思うのも共有できる心情のはずだ。
 テーブルの上でころころしている使い魔を一瞥したフェリックスは、恋人を待ち続ける女か、と小さく呟いた。
「どちらにしろ手を打たなければ、竜刻は暴走する」
 小さく息を吐き、向かうなら早いほうがいいと立ち上がるフェリックスにニコもうんと頷いた。
「女の子が悲しんだまま、話を終わらせたくないよね」
 一度は引き裂かれた二人が再び出会える未来があるのなら、それに手を貸す依頼と思えば悪くない。



 自分はどこに向かっているのだろうと、どこへともなく足を向けながら彼はぼんやりと考える。
 とても永く永く眠っていたのだと、彼を拾ってくれた女性が言った。もう起きないのじゃないかと思ったと笑顔で言われ、助けてくれたことに感謝はしつつも激しい違和感を覚えた。
 違う。違う、ここじゃない。自分がいるべきはここではない、この女性の側ではない。
 日増しに募る焦燥感に駆り立てられるようにして、歩けるようになるなり彼はそこを飛び出した。けれど、向かうべき場所が分からない。誰の元に帰りたがっているのかも分からない。違うのだという思い込みに似た確信に突き動かされるまま、足を動かすだけ。
 頭が痛い。喉が詰まる。発作的に泣きそうになるほど、誰かに会いたい。でも誰だか分からない。けど、会いたい。会いたい。
「──、──」
 呼ぶべき名前が分からない。呼ばれる名前も分からない。みっともなく泣きじゃくり、蹲っていれば誰かが迎えに来てくれないだろうか。子供の頃のように小さく膝を抱えて、もう歩けないと泣いていれば手を伸ばして負ぶってくれないだろうか。彼が彼女にそうしてきたように……。
 考え、はっとして足を止める。
 ああ、そうだ。彼女はずっと側にいた。自分が必ず守るからと、泣きべそをかく頬を何度も拭ってキスしては宥めた。最後の日も、そう。俯いた彼女の落とした涙が、胸に下げていた石に当たって……、
「──、──」
 頭が痛い。割れそうに痛い。もう少しで思い出せそうなのに、また記憶が遠く沈んでいく。
 でも、行かなければ。帰らなければ。彼女が待つ、あの場所へ。覚えていない彼にどんな仕打ちが待っていようとも、永く永く眠っていた間、ずっと待たせていた彼女の元に。
「怒らないで、可愛い──。戻るから。きっと君の元に戻るから……」
 届かない手を伸ばし、届かない声を紡ぐ。
 ああ。名前も分からない、それでも君に会いたい。



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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>

ニコ・ライニオ(cxzh6304)
吉備 サクラ(cnxm1610)
フェリックス・ノイアルベール(cxpv6901)
樹菓(cwcw2489)

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品目企画シナリオ 管理番号2800
クリエイター梶原 おと(wupy9516)
クリエイターコメント戻れなかった理由がベタですみません。
でもそのせいで彼は誰かに連絡することもできず、彷徨うように町に向かっています。
もう後半日ほどで町に辿り着きそうです、捜せば見つけることは簡単だと思います。

巫女は彼の姿を見るまで竜刻を離さないでしょうし、再会するには手放してもらうよう説得が必要です。
彼本人に証明してもらうには記憶がなく、身の立てようがありません。
この状態で二人を上手く会わせられるよう、手を貸して頂けないでしょうか。

皆様が二人に対して何を思い、どちらにどんなアプローチを取られるか教えてください。
会ったほうがいいのか、会わないほうがいいのか、率直なご意見、心情、建前その他諸々、聞かせて頂けますと幸いです。

ではでは、ない記憶を頼りにふらふらしながらお待ちしております。

参加者
ニコ・ライニオ(cxzh6304)ツーリスト 男 20歳 ヒモ
吉備 サクラ(cnxm1610)コンダクター 女 18歳 服飾デザイナー志望
フェリックス・ノイアルベール(cxpv6901)ツーリスト 男 35歳 ターミナル警察・第一方面本部長
樹菓(cwcw2489)ツーリスト 女 16歳 冥府三等書記官→冥府一等書記官補

ノベル

 巫女が今も守り続けるというその町は、戦争時の名残か分厚い外壁に囲まれていた。物々しい門扉はけれど平時は広く開け放たれていて、その傍らに二人の兵士がやる気なく立っている。
 戦争が終わって、既に何十年と経つ。その間ずっと平和が続いているのなら、兵士らの役目は今や不審者の侵入を拒む程度だ。殺気立った緊張感がないのは、町にとってはいいことなのだろう。
「やあ、こんにちは」
 ニコが気安い様子で声をかけると、顔を向けてきた兵士たちは旅の方で? と軽く会釈をした。ニコの隣でサクラが頷き、お仕事大変ですねと言い添えると僅かに空気が緩む。
「なに、この町には強力な結界があってね。俺たちが立っているのは形だけさ」
 どこか自慢げに笑う兵士たちに、ニコがへえと軽く眉を上げた。
「この町には、そんな結界を張れる人がいるのか。それが可愛い女の子なら、是非会ってみたいもんだね」
「ニコさん……」
 またそういう発言をとサクラが冷たく目を据わらせると、ひどいなぁと苦笑したニコは兵士たちに話を振る。
「旅の無事を祈願してもらえるなら、厳しいおっさんより可愛い女の子がいいに決まってる。なぁ?」
 先を行く元気も貰えるってものだと強い主張に、兵士たちも違いないと笑って同意する。
「お嬢さんも、一緒に祈願してもらってくるといい」
「ベルの加護があれば、この先の旅もきっと無事に過ごせるさ」
 せっかく立ち寄ったんだからと神殿の場所を教えてくれる兵士に、ベルさんとサクラが繰り返す。
「その巫女さんのお名前ですか」
「ああ、神殿には何人かの巫女がいるが、神石を守り結界を維持してくれてるのはベルだ。……まぁ、名前を知らずとも一目見ればきっと分かる」
 一番若いのがそうだと含みを持たせて苦く笑った兵士の言葉に、ニコとサクラはちらりと視線を交わした。
「ご親切に、ありがとうございます」
「いやいや。いい旅を」
 軽く手を上げる兵士に見送られ、町に踏み込んだ二人はそっと声を低めた。
「一番若いって、どういうことでしょうね?」
「うーん、どうかな。……とりあえず、名前は連絡しておこうか」
 町に向かっている元少年を探すべく別行動しているフェリックスと樹菓に、ノートを開いて聞いた名前を連絡する。見つけたと報告がないところを見ると、まだ遭遇していないのだろう。
 外見の特徴も分からないのに大丈夫ですかと別れる前にサクラが尋ねていたが、二人とも平気だとあっさり首肯した。
「町に向かって歩いている者を上から探せばいい」
「何人かいらしても、死の気配が最も強い方がそうでしょう。見つけたら足止めはしておきますので、ご安心ください」
 竜刻の処置はお任せしましたと一任して向かった二人なら、きっと首尾よく見つけてくれるだろう。だから万が一巫女が竜刻を手放さずとも、会わせないようにするのは可能なはずだが。
「人にとっては、気が遠くなるような時間だろうに……」
 知らず、ニコはぽつりと呟いた。巫女が待っている時間の長さを思うと、胸が痛い。
 頑なに約束を守り貫く生き方は、美しいと思う。それなのにこのままでは彼女たち自身の行き違いによって約束が果たされないばかりか、帰ってくると信じて守り続けてきた町までが失われるかもしれないなんて……。
 嫌な予想を追い出すように、緩く頭を振る。そうならないように努めるため、彼らはここに来たのだから。
「あ。あそこじゃないですか」
 サクラも思うところがあったのだろう、黙って足を進めていたが見えた神殿らしき建物を指した。
「彼が今まで戻ってこられなかった理由が、……少しでも優しいものだといいけど」
 誰にともなく祈るような呟いたニコは、まだ連絡の入らないノートを持つ手に少しだけ力を込めた。



「方角的には、あちらです」
 死の予感を頼りに樹菓が指した方角に顔を向けて、フェリックスは唐突に翼を広げた。どうやら見えないよう何らかの呪が施されていただけで、彼の背に元からあるようだった。
「面倒だが、神がかり的な衝撃があったほうが話を進め易かろう」
 言って今にも向かいかねないフェリックスに、見つけたらご連絡をとトラベラーズノートを見せる。面倒だなと眉根を寄せた彼は、白いもふもふの球体を投げて寄越した。
「ひどいダス、親分~」
「馬鹿者、ご主人様と呼べ」
 慌てて受け止めた樹菓の手で嘆いた白い塊に、フェリックスはぴしゃりと言い捨てる。樹菓は何度か瞬きをして彼を見上げ、小首を傾げた。
「この可愛らしい白い方は……」
「ムクダス。親分のつかいまダス!」
 手の中で元気よく挨拶をするムクに、樹菓と申しますと掲げ持つようにして頭を下げる。おかしな奴だと小さな呟きに顔を上げると、ふいと顔を逸らしたフェリックスは連絡はそれがすると言い置いてさっさと捜しに向かう。親分~と情けない声を出すムクに、樹菓もはっとして歩き出す。
「空から捜して頂くほうが、効率的でしょう。お寂しいこととは思いますが、しばらくだけ私にお付き合いくださいませ」
 掌に乗せたままにこりと笑いかけると、ムクは目を丸くして嬉しそうに跳ねた。
「しょうがないダス。一緒にいてやるダス」
「ありがとうございます」
 礼を述べると一層嬉しそうにしたムクが張り切って匂いを辿り──実際に嗅いでいるのか、比喩的な表現かまでは分かりかねたが──、樹菓も死の予感を頼りに迷わず進む。誰かの介入がなければ確実に死に至るのだろう、色濃く感じられる気配に知らず眉根が寄る。
 愛する存在と死によって引き裂かれた人々を、長く何度も目の当たりにしてきた。せめてもう一度、一目だけと嘆く声はどれだけ身につまされることか。
 ここの二人は、まだどちらも生きているのに。会わないまま終わらせるのも、会わせてどちらもが喪われるのも嫌だ。竜刻が暴走さえしなければ、会える距離にいるのなら。
「幾らでも、手伝いますから」
 ムクを潰さないように気をつけながらも、知らず力が入る。ぴょんと跳ねたムクに痛かったのかと咄嗟に謝ろうとしたが、見つかったダス! と弾んだ声に顔を上げる。走るような足取りでムクに導かれるまま足を向け、へたり込んでいる男性とそこに傲然と立つフェリックスを見つけた。
「フェリックスさん」
 かけた声に振り返り、少し場所を譲ってくれるので側に寄る。樹菓の手から跳ねて主人の肩に張りついたムクは、剥がされたところで気にした様子もなく今度は足を昇っている。
「な、にが……」
 起きているのかと呆然として呟くのは、既に少年とは到底呼べない年齢に達した男性。おどおどした様子で視線が揺れ、逃げるべきかどうか迷っているように感じる。
「あの町に向かっているのは、この辺りではこれだけだった」
 これで間違いなかろうと確認するようなフェリックスの声に、樹菓も頷く。本人の前で言うのは憚られるが、確かな死の気配が彼を取り巻いている。
 フェリックスは威圧するように翼を広げたまま、男性を見下ろした。
「今更のこのこと、巫女に会いに戻るか」
「……巫女?」
 分からなさそうに繰り返した男性に、フェリックスの片眉が跳ね上がる。まさか人違いだろうかと軽く慌て、樹菓は男性と視線を合わせるべくしゃがみ込んだ。
「あなたは、どこに向かっておられるのですか?」
「どこ……、どこ? 分からない、ただ、帰らないと、」
 帰らないとと繰り返す男性の視線は、樹菓を捉えずに地面を這う。そこに答えが落ちているとでも信じたかのような仕種に、フェリックスが眉を顰めながら腕を組んだ。
「貴様、自分が帰る場所も分からないのか」
「分からない……、分からない。でも、帰らないと。だって、俺を待ってる。あの子が──誰が?」
 フェリックスの問いに答えたというより、独語に近い。痛そうに頭を抱えて、男性は分からないと悲鳴を上げる。
「でも行かないと。帰らないと。約束したんだ。帰るって。あの子に……、誰に!?」
 どこでと、叫ぶような声にふざけた色はない。戸惑ってフェリックスを見上げながら立ち上がった樹菓は、そっと声を低める。
「ひょっとして、記憶が」
 ないのか混濁しているのか、ともあれ正常な状態とは言い難い。この状況で、果たして見つけたと連絡をしてもいいものか……。
 竜刻を暴走させるほど嘆く巫女の姿なら、労せずとも浮かぶ気がした。



 神殿の入り口からそっと中を窺ったサクラは、振り返った少女と目が合った。はじめましてと声をかけると、にこりと笑顔を向けられる。
「ようこそ、旅の方」
 声をかけて近寄ってきた少女に、ニコが旅の安全を祈ってもらいたいんだと答える。
「ベルちゃんって凄い巫女がいるって聞いたんだけど、」
「凄いなんて、恐縮です」
 まるで自分が褒められたように照れる少女は、けれど誰かを呼んでくれる気配もない。しばらくぼやっと眺めていたが、はたと思い当たってまさかとサクラが呟く。
「ひょっとしてベルさんご本人、ですか!?」
「あ。名乗りもせず失礼致しました。この神殿で神石の守を務めます、ベルと申します」
 にこやかに名乗られ、思わずサクラとニコは顔を見合わせた。成る程、一番若いと表現されるはずだ。若いというよりも幼く、待ち続けている年数を微塵も感じさせない。けれど竜刻を守る立場のベルなら、彼女が捜していた当人なのだろう。
『何十年も待ってるって、本当ですか!?』
 思わず振り返って声なく尋ねるが、そのはずだけどと頼りない返事。ニコだって同じく戸惑っているに違いなく、サクラは顔を戻した先にいる年下にしか見えない存在を改めて眺めた。
 竜刻は、時に様々な作用を齎す。巫女が望むまま結界を強化するように、彼女が望んだまま時間を留めることだってやるのではないか……。
「旅の安全祈願でしたら、こちらにどうぞ」
「あ、あの! 実はまだ連れが二人いてっ。連絡を取ってきてもいいですか!?」
「勿論構いません。それでは、お茶の用意でもして参りましょう」
 気を利かせて席を外してくれるベルに感謝しながら急いでトラベラーズノートを広げ、緊急事態発生と綴る。
 ──ベルさんが若いです、ぴちぴちです、十五才くらいの少女です!──
 そちらはどうですかとの尋ねに、フェリックスからの返答は呆気ないほど簡潔だった。
 ──年の頃なら四十前後──
 見つかったのだと安堵する間もなく、予想はしていたけれど突きつけられる現実に打ちひしがれる。後ろでニコが慰める言葉に迷っている間にも、続けて樹菓から情報が寄せられる。
 ──こちらは記憶を失っておられるようです。それが帰れなかった理由かと……──
 そろそろと付け足されたそれに、サクラは思わず頭を抱えた。
「こっちの爆弾だけでも持て余してるのに、そんな特大の爆弾投げ返されたって処理しきれませんーっ!」
 向こうが慌ててくれたら逆に落ち着けるかなって期待したのにーっと嘆くサクラに、正にその状態で落ち着かざるを得ないニコが苦笑する。
「それに関しては、樹菓ちゃんが何か試してくれるみたいじゃん。とりあえずあっちは二人に任せて、僕らもできることをしようよ」
 目先の問題は、と用意してきた封印のタグを見せられてはっとする。
「まずは暴走の阻止、ですねっ」
 暴走が始まっても、十人がかりでタグを貼り付けて止めたとどこかの報告書で読んだ。念のためにゆりりんをデフォタンにして、全員が両手に持って貼り付けたら数があうように用意はしてきたが。その前に止められるなら、それに越したことはない。
 二人が会うこともできずに別れるなんて、絶対に嫌だ。二人が幸せになる努力をする。ハッピーエンドの協力をする。そのために、サクラたちは来た。
 決意も新たにぐっと拳を作って顔を上げると、戻ってきたベルを真っ直ぐに見据えた。
「お祈りをして頂く前に、お話させて頂いてもいいですか?」
「はい、何でしょうか」
 不思議そうにしながらも頷いてくれるベルに、息を整えて口を開く。
「実はここに来る前、メイムで神託の夢を見たんです。その、突然で驚かれるでしょうけど、」
 躊躇って言葉を濁すと、いいお話ではないのですねと寂しそうに確認されて小さく頷いた。
「近く、神石が暴走するみたいなんです。それを防ぐには、このタグを貼るしかなくて」
「──暴走を防ぐということは、神石の力自体を封じるのではありませんか」
 どこか硬くなった声で確認され、ニコがそうなるねと頷くとベルは目に見えて顔を曇らせた。しかしここで引けないと、サクラは身を乗り出させて言葉を重ねる。
「二日だけでいいんです、これを貼らせてもらえませんか。その間、必要なことは何でもお手伝いします、お願いします! 貴女もこの町も、守りたいんです!」
 お願いしますと頭を下げるが、ベルの両手は固く組み合わされたまま。できないと答えない代わり、強く唇を引き結んでいる。
「暴走する可能性を聞かされても、……まだ神石の力は必要かい?」
「私は、この町を守ると約束したんです。カノンが戻ってくる日まで、必ず守ると。神石が力を失えば、私はここを守れない」
 問いかけたニコの顔も見ないまま答えるベルに、サクラは躊躇いがちに頭を上げた。
「戦争が……終わったことは。ご存知、ですか」
「知っています。でも、カノンが戻るまでと約束したんです」
「そのカノンが戻れないのが神石のせい、ってことはないかな?」
 ニコのその問いかけに、ベルは大きく目を開いた。サクラも何度か目を瞬かせていると、僕が聞いた旅人の話だよと前置きされる。
「遠く離れた故郷へ帰ろうとした旅人は、けれど途中で故郷の姿を見失い彷徨うんだ。彼によく分かるようにと町の人が太陽を掲げてくれたんだけど、あまりに眩しく輝く光に紛れて見えなくなってたんだって。太陽が沈んで、ようやく彼は帰り着けたんだ」
 ニコの話に、ベルの視線がふらりと揺れた。自分の胸元を見下ろし、小さな石の嵌った首飾りを見つめる。
「……この石のせいで、町が滅ぶのですか」
「そうさせないために、私たちが来たんです!」
 カノンと呟いて石を両手で包み込み、ベルは膝を抱えるようにしてしゃがんだ。どうしたらいいのと切実な声は小さく、繰り返される名前が胸に痛かった。



 蹲ったまま動かない男性に、樹菓はどう致しましょうとそっと息を吐いた。フェリックスは軽く眉根を寄せ、首飾りを取り上げろと告げる。
「首飾り」
 言われてそうと覗き込み、彼がつけているそれを発見した樹菓がこれで記憶を戻せるのですかと期待したように尋ねてくるので、まさかと肩を竦める。
「それさえ手に入れば、後は睡眠魔法でもかけて転がしておけばいい。その間に巫女の元に赴き、男と会いたければ竜刻を手放せと、」
「どこの悪役ですか!?」
 そもそも眠らせて放置などなりませんと慌てて止めてくる樹菓に、手っ取り早いだろうにと眉を寄せる。
「なら、使い魔に持って行かせるか。竜刻をあちらの二人に渡せば男に会わせてやると、」
「そもそも脅迫するといった発想をお止め頂けませんか!?」
 もう少し穏便な方法でと樹菓がわたわたと主張しているところに、サクラから連絡が入ったと知らせてムクがトラベラーズノートを広げる。そこに巫女が年若いままだと書かれているのを見て、ベルさんが!? と樹菓が上げた声に男性がのろりと顔を上げた。
 何かを探すように視線をふらつかせ、見つけられずに悔しそうに顔を顰め、また俯いてしまう姿に辛気臭いと心中に溢す。ただ何やらざわざわと、落ち着かない空気に溜め息をつく。
(年経ず男を待つ巫女と、記憶をなくしても戻りたがる男、か)
「親分……」
 毛玉を頬に押しつけられたような感覚に、知らず伏せていた目を開ければムクが擦り寄っている。暑苦しいと抓んでぶら下げ、何か思いついたように再びしゃがんで男性を窺っている樹菓に気づいた。
「何かあったか」
「今、ベルさんのお名前に反応されました。これなら《過去読み》を使えば、或いは」
 言ってそちらに集中し始める樹菓の姿をニコたちに伝える間も根気よく男性と向き合っていた樹菓は、しばらくしてようやく立ち上がった。
「……戻りそうなのか」
「はい、多分。失われた記憶の中でも、ベルさんのお姿と約束だけはありましたので」
 幾らか時間はかかりそうですがと心配そうに見下ろす樹菓に、このまま会わせるのも具合が悪かろうと促す。樹菓も小さく頷き、ギアらしき杖を男性に向けた。
「少々乱暴ではありますが、記憶が戻るまでは道に迷って頂きます。町に戻る頃には、思い出せているように……」
 祈るように呟いた樹菓は、杖を戻して見上げてきた。
「この辺りなら危険もないでしょうから、ずっとついている必要はないでしょう。彼が町に辿り着かれるまでに、ベルさんの元に向かいませんか」
 巫女の様子も気になると町のある方角に顔を巡らせて目を細める樹菓に、眠らせたほうが早かろうにと思いながらも抓んだままだったムクを男性に向けて放り投げ、ついていろと短く命じる。
「いやダス、親分と一緒にいたいダス~」
「親分と言うな、愚か者。そもそも主人に逆らう使い魔があるか。その男に異変があれば知らせろ」
 律儀に突っ込んでから命じると、真ん丸い身体をより丸くして抗議しながらも諦めたように男性の頭上を転がっている。それを確かめて踵を返すと、樹菓がくすくすと笑いながらついてくる。
「お可愛らしいですね、ムクさん」
「ただの毛玉だ」
 吐き捨て、早くなりすぎていた歩調を僅かに緩める。後ろをちょこちょことついてくる樹菓を置いていっては、途中で道に迷いかねない。捜しに戻らされるほうが面倒だ、と分からない程度に歩幅を合わせて急ぐ。
 樹菓は何度か後ろを気にしたように振り返っていたが、町に近づくごとに深刻な面立ちになって躊躇いがちに口を開いた。
「ベルさんは、約束を交わした日から何十年も経っているとの自覚はおありでしょうか」
「……さて、な」
 分かっていて分からない振りをしているのか、それとも分からないまま待っているのか。あの頃の自分で迎えたいからと、彼女自身の意思か。
「あの男の記憶が戻ったところで、待ち望んでいた相手とは違う可能性もあるだろうに」
 自分さえ変わらずにいれば、相手も変わらないと思いたいのか。望むのか。
 愚かと切り捨てる気にはなれず、さりとて心情が分かるわけではない。ただ同行した樹菓たちが強く望むまま、二人を会わせたいとする意思を邪魔する気はない。
 記憶を失っても男性が戻りたがっていた町は、もう目の前だ。



「貴様はずっと年も取らず、巫女としてそうしているつもりか?」
 いきなり届いた問いかけに、ニコは慌てて発言者に顔を向ける。声から予測した通りフェリックスで、一緒に戻った樹菓も、ベルの側で根気よく説得を続けていたサクラも、言っちゃったよこの人ー! と突っ込みたげに口を開閉させている。
 不審げに振り返ったベルもさすがに眉根を寄せているが、気にする様子もないフェリックスは右手を開き、触りのいい音を立てて揺れる首飾りを突き出すように見せる。ニコが見る限り、石こそ嵌っていないが彼女がしている物と同じ形に見えた。
「っ、フェリックスさん、いつの間に!」
「この程度の役にも立たんなら、使い魔になどしていない」
 慌てる樹菓にさらりと答えたフェリックスは、カノンに会ったの!? と驚いて立ち上がるベルから隠すように首飾りを手の中に戻した。
「名は知らん。だが、貴様の待ち人だろう」
 どうでもよさそうに答えるフェリックスに向けて、ベルはふらりと足を踏み出した。しかしフェリックスは質問に答えるほうが先だと、傲然とそれを制した。
「質問?」
 分からなさそうに繰り返したベルに、樹菓が噛み砕いて尋ね直す。
「あなたは、カノンさんと約束を交わされた日からどのくらいの時間が経っているか……ご存知ですか」
「時間……、どのくらい」
 どういう意味かと戸惑うベルを見て、ニコは知らず拳を作った。
 人と違う時間を生きているのだと、ニコはもう知っている。何度も二度と会えない別れを繰り返してきた、その度に思い知らされた互いが紡ぐ時間の違い。受け入れるしかないそれを突きつけられる衝撃は、何度経験しても未だ慣れない。ましてや自覚のない彼女を襲うのは、どれほどか……。
「いち、ねん。くらい……?」
 そろそろと答えたベルに、口を開きかけたフェリックスを樹菓が止めている。その間にサクラが、落ち着いて聞いてくださいねと躊躇いがちに続ける。
「戦争が終わって、既に何十年も経っているんです」
「君の待ち人は、──多分あの頃の姿をしていない」
 流れた月日の分だけ変わってると思うとニコが言い添えると、ベルはふらりとよろけて座り込んだ。慌てて貸したニコの手を避けて、視線だけが彷徨っている。
「その姿のままでいる気ならば、会うのは諦めろ」
「フェリックスさん!」
 もう少し言葉をと腕を引く樹菓を相手にせず、フェリックスは自失しているベルに向けて言葉を止めない。
「私がまだ人間だった頃、ある事情で故郷を黙って去らねばならなかった。その間に加齢が止まり、私は普通の人間ではなくなった」
 淡々と話されるそれに、ベルは顔を上げてフェリックスを見つめる。顔色を変えるでなく、声が震えるでもなく、フェリックスは他人事のように続ける。
「五十年ほど経った後、たまたま故郷を訪れた私は幼馴染と再会した。年老いた彼女は、こんな姿を見られるくらいなら会いたくなかったと言い残し、自ら命を絶った。私も思ったよ。彼女を傷つけることになるなら、会わなければよかったと」
 そこで一度言葉を止めたフェリックスは、小さく息を呑んで自分を見上げる巫女に目を眇めた。
「貴様の待ち人は普通の人間だ、年経た姿を見ても貴様は昔と変わらず愛せると誓えるか? 貴様がよくても、相手はどう思うだろうな?」
 突き放すようなフェリックスの問いかけは、ニコにも痛く突き刺さる。ベルは項垂れるようにして俯き、静かに肩を震わせ始めた。
「ベルさん、泣かないでください。近くまでカノンさんが戻ってるんです、泣き顔のままだと心配されますよ」
「っ、でも、何十年も経ってるなら、どうして今までカノンは帰ってきてくれなかったの? 本当は、……本当はもう、カノンは……っ」
 顔を覆って泣き出すベルに、樹菓が違いますと強く否定する。
「戦争で負った傷が原因で、カノンさんはずっと眠っていたんです。最近ようやく目が覚めて、……でも、記憶を失っていたんです」
 樹菓の言葉にはっとして顔を上げたベルは、ぼろぼろと大きな涙の粒を落として嘆きの色を濃くする。もう私のことも分からないのと声を揺らす彼女に、それも違いますと樹菓が首を振った。
「自分の名前も、帰るべき場所も、何もかも失って。それでもカノンさんは、自力でこの近くまで戻ってきたんです。帰らないと。戻らないと、って。あなたと約束した、その一つだけがカノンさんを支えてここまで戻ってこられたんですよ」
「ねぇ、ベルさん、会って話してみませんか。確かに沢山の時間は流れてしまったけれど、会えるんですよ。まだ。お二人は。ゆっくり時間をかけて話し合えば分かり合えるって……、私は、そう思います。思いたいです。だって、好き合ってるんですから」
 そうですよねと柔らかく問いかけるサクラを見上げ、不安げに視線を揺らしたベルに樹菓は笑顔で大きく頷いた。それでもまだ躊躇うベルに、フェリックスが投げるように言う。
「巫女を辞し、元の姿に戻れ。……待ち人に会いたいのだろう」
 それ以外に道はないと断言され、ベルはのろのろとした仕種で首飾りを外した。手に乗せて眺めたまま動けずにいるベルを誰も急かすことができず、ニコはフェリックスからカノンの首飾りを受け取って彼女の側に寄った。
 傍らに膝を突き、同じように手に乗せた首飾りを差し出す。
「交換しようか」
 にこりと笑顔を向けると、弱々しく微笑んだベルが自分の手で首飾りを交換する。それを見てサクラが偉いと抱きつき、樹菓も巻き込んでぎゅうぎゅうと抱き締め合っている。まだ幾らかぎこちなく、泣いているようにも見えるが確かに口許を緩めたベルを見て、うん、とニコも目を細める。
「やっぱり女の子は、ああでなくちゃ」
 未だ帰らぬ待ち人の、それでも近くまでの帰還を聞いて待ち望む。不安と期待の入り混じった空気はどこかくすぐったく、早く愛しい人のところに帰ろうと大事な約束を思い出す。
 後の再会は二人にしてあげようと促そうとしたニコは、フェリックスの姿がないのに気づいて神殿を出た。どこに行ったのかと捜せば近くで一人佇む背中を見つけ、魔法が使われていたような感覚に軽く首を捻る。
「今、魔法を使ったか?」
「……終わったのか」
 顎先で神殿を指してはぐらかすフェリックスに、どうかなと苦く笑う。
「とりあえず竜刻は回収できたけど、」
 言って手にしている竜刻を見て結界はどうなるのだろうと考え、感じ取れるそれが町を訪れた時と変わらないことに気づく。何度か瞬きしてフェリックスを振り返るが、ならば依頼は完了だなとさっさと歩き出している。
「いやいや、まだ女の子が二人とも中にいるじゃん」
「子供の使いでもあるまい。私が先に戻ったところで問題なかろう」
「そう言わないでさ」
 苦笑して引き止め、そういえばと思い出して口を開いた。
「さっきの話、幼馴染の。あれって、」
 尋ねるニコの言葉が途中で途切れたのは、静かな目でフェリックスが振り返ってきたから。何となく口を噤むと、フェリックスは僅かに口の端を持ち上げて顔を戻した。
「作り話だ」
 待ち人が辿り着いたようだぞと続けて歩き出すフェリックスに、おやぶーんと白い塊が近寄っていく。ご主人様と呼べと答えながら振り返らず離れていくフェリックスを眺め、ニコは軽く頬をかいて神殿へと踵を返した。
 二人が会えるようにするまでが、彼らのお仕事。野暮はなしだねと、小さく口の中で呟いた。

クリエイターコメント巫女の説得に尽力くださいまして、ありがとうございました。

無事に竜刻も回収できましたので、二人は引き裂かれることなく再会できそうです。
対面に際しては一悶着くらいはありそうですが、まぁ、その辺は犬も食わないアレなので勝手にやってもらいましょう。
生きて会えるからこそできること。ひとえに皆様のおかげです、二人に成り代わりましてお礼申し上げます。

巫女の説得、元少年へのアプローチも皆様それぞれで、だからこそ予定していたより再会に向けた障害は取り除かれたと思います。
心残りとしましては、両手にタグを持ってばばんと立ちはだかるデフォタン様や、彷徨う野郎の頭で親分~と嘆いていた使い魔様の愛らしい姿を如実に書けなかったことですが。
さすがに配分間違えるにも程があるので、泣く泣く削っておきました。
少しでもお心に副う形でお届けできていれば幸いです。

皆様の優しいお心遣い、きちんと綴れていますように。ありがとうございました。
公開日時2013-07-17(水) 21:10

 

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