ターミナルを軽やかな足取りで進む一人の少女が居た。 サシャ・エルガシャ。 肩より少し上できれいに切りそろえられた髪が彼女の動作に誘われて動く。光を浴びて煌めいている。 年齢だけみればもう女性であるのだろうが、可愛らしい容貌の為か少女と形容する方が似合う。 ヴィクトリア王朝時代のオールワークスメイドとおぼしき衣装がよく似合っている。実際に伯爵家に仕えるメイドであった。 「えぇと」 真っ白のエプロンのポケットに手を入れても目当てのものを探り当てる。 銀細工というほど高級なものでは無いが、鎖だけは見るからに質が違う。小さなサシャの手にすっぽりと収まってしまう小さな懐中時計。カチリと押して盤を開いても、それは以前の様に時を刻むことは無い。 やっぱりだめか。 しょんぼりとうなだれてしまう。 大切に使ってきたが、やはり寿命はある。以前-思い出すのも胸が痛くなるほど昔、お屋敷の時計技師に教わったメンテナンスは欠かさずにしていたが、それも限界なのだろう。 大切な思い出とサシャを繋ぐものだから、じゃあもう仕舞っておきましょう、というのも哀しい。 それに普段の時計も代わりを見つけなければならない。時計と言うものは時間が判ればいいだけで無く、機能と見た目も気にいらなければ非常に使いにくい。 「あ」 そうだ、確か―― ※ 喫茶店兼修理屋があると聞いたことがある。お店の名前は「空猫」。可愛い名前に惹かれていつか行ってみたいとも思っていた場所だ。 なので場所も当然リサーチ済み。 カランコロン、と金属の音が鳴って店員に来客を告げる。 中は思ったより広く、運の良いとこに客も居ない。 「すみません、あの、こちらのお店で大切なものを直してくれるって伺ったんですが……」 そもそも店員が見あたらないし、お客もいないので遠慮なく大きめの声を出して店員に呼びかけた。 「あ、はいはーい、今行きます」 落ち着いた印象を与える優しい男性の声が返ってきた。 奥からでてきたのは身の丈2m近くありそうな獣人だった。 大きな体であるのに全く威圧感が無いのは、その優しい声と穏やかそうな瞳だろう。 「いらっしゃい、でもごめんなさい。店主は今留守なんだ。お茶とお菓子はお出しできるんだけど」 心底申し訳なさそうに、彼は頭をかく。 少し外すにゃって言ったままもう随分立つんだよねぇ……と苦笑する。 修理を請け負うのは店主らしい。彼は店員だが主な担当は接客とお菓子作りだという。 長い間帰ってこない雇い主を怒っている様子は一切無く、困ったように笑っている。 「あ、もし急いで無かったら待っててくれるー? さすがにそろそろ帰ってくると思うんだよねぇ」 ちらりと彼が斜め上を見やる。つられて視線を上げると大きな時計があった。時を刻まなくなった時計とは違い、カチコチと正確に時を知らせてくれる。 「はい。では待たせて頂けますか?」 もちろん、と彼が言い、カウンタ席の椅子を引いてくれた。 獣人の彼はキース・サバインと名乗った。サシャも名乗り握手をする。柔らかな手はまるでキースそのもののようで、大きくて優しい。 椅子を引いてもらうのはメイドであるサシャがしてもらうには縁遠い行為で、些か照れる。もっとも覚醒して以後、そうして貰えることは多いのだが、いつまで経っても慣れるものでは無い。 「ありがとうございます」 「どういたしまして。こちらもどうぞ」 大きな手で丁寧に差し出してくれたトレイには、ほっとする香りの暖かい紅茶と楓の葉を装ったクッキーだった。香りからして、ダージリンだろうか。 「いただきます」 丁寧に、が、慇懃になりすぎないように礼。 柔らかな湯気を漂わせる紅茶の香りに、かつて仕えた屋敷を思い出す。国が国だけに紅茶は身近だった。 一口つけると芳醇な香りが口いっぱいに広がる。からだ中に染み渡り心を染める。 楓のクッキーもかじればメイプルシロップの甘さが包む。 「美味しい!」 「良かった~、それね、俺が作ったんだ」 ほくほくとキースは笑う。 「ワタシも好きです、お菓子作り。あの、差し支えなければレシピ教えて頂いても……?」 お店の商品であるのなら気軽にレシピは聞けないし教えて貰えないだろうが、思い切って尋ねてみた。この味は何度も味わいたい。 お屋敷勤めをしていた頃は、暇を見つけて良くキッチンの下働きから習ったものだ。中流家庭に勤めるオールワークスでは忙しすぎて無理だっただろう。あの優しい伯爵の屋敷は使用人が多かった。 使用人の数は財力の現れである時代だったが、主人はそうでは無かった。当然財力に余裕は十分あったのだが、多くを雇うことで一人一人の負担を減らそうと考えていたようだ。貴族の中では相当な変わり者と評判だったが、屋敷の者たちからはその優しさと見識の深さで例外無く慕われていた。 「君も好きなのー? 嬉しいなぁ」 にこにこと笑ってキースはレシピを教えてくれた。 実はお店用ではなく趣味で作っただけだという。先程奥に居たのはこれを焼いていたからだそうだ。教わったレシピは思いの外簡単で、それでちゃんとこのすばらしい味になるのかと心配になる。 「俺の故郷でね、伝統っていうか、凄く馴染んでるお菓子なんだー」 どんなところ? と聞こうと口を開いたとき、サシャが入店したときと同じ金属音が店内に響く。 妙齢の女性の二人連れで、常連なのだろうか、手際よくキースに注文をかけ、適当な席に座る。 ちょっとごめん、と断りを入れてキースがお茶を淹れ始める。こちらもだいぶ手慣れているとこをみると、ちょくちょく手伝いや留守番をしているのだろうか。 「ワタシもお手伝いします」 来客がきても大人しく座ったまま、というのはどうにも居心地が悪い。 「えっ、いいよいいよ、サシャはお客様なんだから」 カットされたガトーショコラと月のようなエッグタルトを紅茶と一緒に運び終えたキースが慌てて固辞する。 確かに今サシャはお客ではある。ではあるのだが、店主の帰還を待っている間は厳密にはお客では無いようにも思えるのだ。 キースとしては、お客さんを待たせてしまっている、という意識が強いのだろう。さこで更に働いて貰うというのは申し訳ないのだ。別に彼が悪いわけでは一切無いが。 少し会話を交わしただけだが、サシャはとても働き者のようだ。だからこそそういう人にはキースが居る間はのんびりして欲しい、とも思う。 けれど。 女性二人を皮切りに、お客さんがどっと押し寄せてきたのだった。 ※ 「お待たせしました!」 お店のなかが人であふれて、注文を聞くのにも難しいくらいになってしまった。お客の方も混雑ぶりを見てキースを気遣ってくれているが如何せん、人数が多すぎる。 わざわざカウンタに取りに来てくれるのだが、キースの申し訳なさそうな雰囲気にもう我慢ができなかった。 ー動きたいっ! メイドの職業病だろうか。 できあがりを乗せたトレイをさっとキースから奪い、「あ、それこっち」と手を振るお客のところまで素早く運ぶ。 食べ終えて空になったテーブルの片づけはお手のもの。 そういった手間が省けたキースは料理の支度の効率がどんどん上がり、提供できるスピードはぐんぐん上がる。 お店はが満席になれば、あいたお皿を二人で洗う。 キースが洗い、サシャが拭く。積み上げられたお皿をささっと棚に片付ける。 細かい打ち合わせや担当決めなどな全くしていないのに素晴らしいコンビネーションを発揮する。 それをお客達に度々言われたが、先ほど会ったばかりだと言ってもなかなか信じてはもらえず、二人で苦笑する。 そんな中、一組の親子の子供が、じっとキースを見つめていた。まん丸で大きな好き通った瞳に写っているのはキースの太く逞しい腕だった。毛でモフモフしているあたりが気になって仕方ないのだろう。ターミナルに居る限り、キースのような獣人は珍しくはない。 それに気付いたキースは、根っからの子供好きである、お客が落ち着いたということも相まって優しくコショコショと子供の頬を撫でる。 照れたのかくすぐったいのか。 抱かれている母親の胸に笑顔で顔を埋める。なのにすぐチラチラとキースを見る。またキースが撫で返す。その繰り返し。 両親は二人が微笑ましくて仕方ないといった風に笑顔だ。 「これ、どうぞー。作りすぎちゃったからー」 可愛らしくラッピングした手のひらサイズの包みを二つ、手の空いている父親に手渡す。 「あら、そんな申し訳ないわ。お店のものでしょう。お支払いしますから」 テイクアウトできるならもう少し欲しいし、ねぇ? と母親は同意を求めて男性のほうに振り返り、父親も同意する。 「いや、俺達が好きで作ったのなんですよー。楽しくって作りすぎちゃったから、片付けるの、手伝ってくれませんか?」 それはお客が立て込んできて、最初から用意されていた分では足りなくなるかも、と不安になったサシャとキースが隙をみて作ったものだ。 サシャは先ほど教わったばかりのメイプルシロップクッキーを、キースは逆にサシャから聞いたジンジャークッキーを作った。 けれどケーキの注文が多く、何とか最初の分だけで済み、いくらなんでも多すぎる量をどうしようかと悩んでいたので、親子に気を使ったわけでも無かった。 でも、と言いそうな母親を押し退けて子供が先に嬉しそうに父親から包みを奪い取り中身を取り出す。 「ね、この子も喜んでくれてるし」 軽く子供をたしなめた後、両親が再度丁寧にお礼をしてくれる。 自分の作ったもので誰かが喜んでくれるのはとても嬉しい。子供が長い間キースに向けて手を振っていてくれた。 キースも彼が前を向くまで振り返す。 店の中を振り返ると、サシャが子供の集団と遊んでいた。ほかのお客は彼女が見送ってくれたらしい。 そういう意味ではひと段落したが、まだまだ落ち着いては居られないようだ。尤も、そんな落ち着きのなさならば大歓迎なのだ。 ※ 背の高いキースに男の子達がまとわりついて、肩車をねだったり腕にぶらさがったりすろ。子供が数人そんなことしたって何の負担にもならない。順番を守らせることだけが大変だが、ヤンチャな割に子供達は思いの外素直に守る。 サシャは女の子達とお菓子やコイバナに文字通り花を咲かせている。それにサシャの格好にも興味津々だ。子供達から見たらかなり大人であるサシャにやたらと恋愛について聞いている。思い当たる節があるのか、少し頬を染めてしどろもどろになりながらはぐらかす。 やがて男女混合で遊びはじめ、店の時計がかなり時刻が経ったことを告げる。 不満げに帰り支度をする子供達に、作りすぎたクッキーをプレゼントする。とても喜んでくれて、大事そうにバックに仕舞う子、素早く食べてしまって別の子に更に分けてもらおうとする子、様々だった。 「ふー」 「お疲れさまでした」 「サシャこそ。ありがとう、手伝ってくれて。お客さんなのに」 「ううん、ワタシは働いている方が好きだもの」 キースに気を使って言ったわけでは無さそうだ。 店の扉に「休憩中」という札を出してから、のんびりと真ん中のテーブルで新しく淹れた紅茶で一息つく。体中にたゆたっていた心地良い疲労感と紅茶の温もりが混じり合っていく。 「ワタシね、メイドだったんです。お屋敷の人みんないい人で。大変だったけど」 幸せでした、楽しかった、と言えば今がそうでないように錯覚する。 覚醒してからも周りの人に恵まれ、楽しく過ごしているのだ。 なんと言えばよいのか。 思案するサシャの心情を読みとったのか、キースは自分の出身世界について語り出す。 「俺はの故郷ね、狩りや農耕をして暮らす世界だったんだ。科学とかそんなに無かったから、ターミナルにきてからびっくりしたよー」 しかも、と照れくさそうに笑う。 「相性が悪いらしくってさー、うっかり触ると、その、壊しちゃうんだよねぇ……」 なので、店主からオーブン以外触っちゃだめだ!と厳命されているらしい。 オーブンだけ許可されいるのは料理やお菓子づくりには欠かせないからだ。これだけは何とか、辛うじて、ちょっぴりだけ使えるようになった。だがまだ店主は心配しているらしい。 「ああ、だから石焼釜なんですね」 味のある古さを持つ釜を、少し背筋を伸ばしたサシャが見る。 「うん、そうそうー。あれなら故郷に居たときとそんなに変わりないからねぇー」 ニコニコと笑うキースを、サシャはじっとその優しい横顔を見つめる。 エプロンのポケットを上から触ればはっきりと丸い硬質の感触が伝わってくる。 「……懐かしいですか?」 言ってから、何を当たり前のことを聞いたんだろうと恥かしくなって俯く。 しかしキースは全く気にした様子を見せなかった。 「うーん、俺は今が充実してるからなぁー。友達も沢山出来たしねー」 こくりと一口紅茶を含む。 「今も前も、目一杯楽しんでるからさー。懐かしいのは勿論あるよ? でも今は、故郷に帰るつもりはあんまりないなー」 迷いのない、まっすぐでしかっりとしたまなざしは「今」を何より写しているのだろう。 過去を懐かしむことも、未来に思いを馳せることも、いうなればいつだって出来る。けれど、今をちゃんと見据えることは、まさに今しかできない。 「これを直してもらおうと思って」 おもむろにポケットから取り出した懐中時計。銀の鎖はサシャの主人から賜ったものだ。昔使っていたけど、と言ってくれたけど、明らかに新しく用立ててくれたものだ。外国人の血を引くサシャを養子に、とまで言ってくれた慈愛の人だった。 「この時計、同じお屋敷で働いていた庭師さんのお孫さんに頂いたものなんです」 その子とは仲が良かった。年も近かったし身分の差も無かった。ただその子が遠くに行くことになった時、形代だと手渡してくれたのだ。 いまでこそ誰でも気軽に時計を持てるが当時は違った。 ずっと大切にしていた。 覚醒して、周りとは違う時間の流れに生きることになった時、この時計と鎖だけがサシャと元の時間を繋げてくれるようにも思えたから、余計に。 例え今が幸せでも時間に取り残されてしまうのは寂しい。 心のどこかでずっとそう感じていた。 動かなくなった時計。 止まってしまった自分の時間。 けれど。 時計は直せばまた時を刻む。 サシャ自身もー今すぐは無理かもしれない。が、キースのように、しっかりと「今」を見つめたい。 無理をするでなく、けれど明確な心の強さを持つキースのように在りたいと、時計をなぞりながら、キースに微笑んだ。 ※※※ 「今日はありがとうねー。おかげさまで助かったよー」 「どういたしまして! またいつでも呼んで下さいまし」 すっかり時間が経ってしまったのに、店主は全く帰ってこないから、サシャは今日は諦めることにいた。 本来の目的は達成できなかったけれど、少し背筋が伸びた気がした。新しい友達も出来た。子供達と遊べた。大満足だ。 「今度はふつうにお客さんとして来てねー、待ってるからさぁ。 っと、そうだ、これ」 優しく手を取られ、ポンと乗せられたものはラッピングされた包み。 二人で作ったクッキーをわざわざ避けておいてくれたのだろう。 「ありがとうございます」 見上げて礼を言うと、キースも同じように笑っていた。 「では、また」 「うん。気をつけてねー」 帰り道、何度か振り返って手を振ったが、キースの大きな体はなかなか小さくはならなかったのが嬉しかった。 今まではずっと心の奥底にあった「寂しい」という気持ちが、少し解消された気がした。 友達がいる。 思う人たちがいる。 思ってくれる人たちがいる。 それはとても幸せでかけがえのないことで。 この気持ちを今すぐ誰かに伝えたくなる。 そしてこの温もりを共有したいと。 心から、そう思った。
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