公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
食べる、ということに於いて。 生きる、ということに於いて。 キース・サバインは、心優しく穏やかで争いを好まない温和なツーリスト……と手放しで称するには、いささか優秀にすぎる狩人であった。それ故、キースのこころには常に悩みと迷い、そして不安が付き纏っていた。 それらは、狩りをしないでいれば、狩りのことを考えないでいれば、おおむねキースのこころを乱さずに在ってくれた。だがある時、今まで狩り食べるだけの対象であった小さな命が、キースのこころに消えることのないたしかな歯形をつけ、それを目印とするかのように、キースのこころをつけ狙うのだ。 「俺、逃げてることがふたつあるんだぁ」 二つの命題はどこまで逃げても距離を保ち、ひたひたと追ってくる。まるでキースが狩られる側であるかのように。それはキースが目を瞑ったまま、でたらめに逃げ続けている所為なのか。それとも。 「聞いてくれるかい?」 四畳半にも満たない、狭い部屋の中で、キースはきゅうくつそうにソファに腰掛ける。彼のこころはそれでも隠れる場所を探して、小さく縮こまっていた。 ◆ 俺の村はねぇ、狩りと農耕で暮らしている村なんだぁ。子供の頃から皆、狩りをするのが当たり前の村で生まれて育ったんだよぉ。だから俺も、俺の兄さんも狩りをするんだぁ。……うん、俺が逃げてることの一つはねぇ、兄さんのことなんだぁ。 兄さんとは喧嘩もしたことがないんだぁ、兄さんは俺なんかよりうんと優しいんだよぉ。……でも、狩りはあんまりうまくなかったんだぁ。俺たちの村では狩りの腕が何より大事でねぇ、兄さんはいっつも、おとなたちから俺と比べられてたんだぁ。兄さんはほめられないで、俺だけがほめられるんだぁ……兄さんは優しいから、俺の前では何でもないように接してくれるけどもぉ、俺、知ってるんだぁ。ひとりになった兄さんが哀しそうな顔で爪を研いでたんだよぉ。 ほんとうは、食べるためにしかやっちゃいけないことだから、狩りは練習が出来ないんだぁ。だからうまいやつはいっつも狩りに呼ばれて、どんどんうまくなるけど、うまくないやつはそうじゃないんだぁ。呼ばれなくても皆の後ろをついてって、うまいやつの何倍もがんばらないといけないんだぁ。俺、狩りは楽しかったけど、兄さんがひとりで哀しむのはすごく嫌でねぇ、見てられなかったんだぁ……。 俺が村にいなければ、兄さんは誰とも比べられないで済むんじゃないかなぁって思って、だから逃げたかったけど、村を出て、行くあてなんてなかったんだぁ。だから、ロストナンバーになって、村から逃げれて、すごくほっとしたんだぁ。 ……俺、村に帰らないでもいいかなぁ。 このまま、村と、兄さんから逃げてていいかなぁ? ◆ 「兄さんから逃げていいかなぁ?」 キースの大きな身体から発せられる弱々しい声は、格子窓の向こうからどんな言葉が返るのを期待しているのだろう。 「君は、逃げたかったのだろう?」 「うん……でも」 ◆ でも俺、思うんだぁ。一回、兄さんとちゃんと喧嘩すればよかったかもしれないなぁって。うまく喧嘩出来ないと思うんだけどねぇ、兄さんは優しいし、俺は兄さんにひどい言葉を言いたくないからねぇ。でもねぇ、村のおとなとか関係ないところで、ふたりっきりで話をするだけでも、きっと違ってたんじゃないかなぁって思うんだぁ。……そう思えるのは、俺がロストナンバーになったからかなぁ。村から逃げれたからかなぁ。兄さんに、俺の暮らしを話してあげたいよぉ。ここは狩りだけじゃない、俺たちにやれる事が、ほめてもらえる事がたくさんあるからねぇ。 ……でもやっぱり、俺と兄さんは一緒にいたら比べられちゃうのかもしれないねぇ。俺、さっき狩りは楽しかったって言ったけど、あれはちょっと正しくないねぇ。だって、今も楽しいと思うんだよぉ。だから俺、俺がもし狩りが下手だったら……じゃなく、俺が村にいなければ……って思っちゃったんだろうなぁ。 俺は狩りが楽しいんだぁ。村では皆が狩りをするから何も疑わなかったしねぇ。狩りがいい事か悪い事か、考えたことも無かったんだぁ。 壱番世界でねぇ、ロストナンバーの保護に行った事があるんだぁ。それがねぇ、俺が今まで食べる為に、楽しい気持ちで狩ってたうさぎのロストナンバーだったんだよぉ。ロストナンバーだから俺たちの話が通じるだろぉ、だから、話してみたけど、怖がられたんだぁ。 その時まで、生きるために、食べるために狩ることに、何の疑問もなかったんだけどねぇ、ドットの目を見たらねぇ……俺はずっとずっと、とんでもないことをしてきたのかもしれないって思ったんだぁ。俺が今まで狩ってきた生き物たちと、話が出来たんじゃないかってねぇ。それに気づいたら俺、無性に怖くなったんだぁ。 でもねぇ、話が出来ても俺たちは今日から草を食べて生きていけるわけじゃないよねぇ。村にはまだ狩りが出来ない子供や、赤ちゃんを育てるお母さんが沢山いるよねぇ。だから自分の為だけじゃない、村の皆に食べさせる為に狩りをするんだって思おうとしたこともあるんだぁ。それでも、ダメなんだぁ。気がついたら、俺は狩りが楽しくて仕方ないんだぁ。村の皆が待ってるとか、追い詰めてる生き物のこととか、楽しくて何も考えられなくなっちゃうんだぁ。 俺は、悪い事をしてるのかなぁ? 生き物を狩って食べる事は罪なのかなぁ? ◆ 「確かに君は、今日から草を食む生き物にはなれない」 「うん……」 命はめぐる。命はつながる。誰しも、ひとりでは生きていけない。 それはひとりぼっちのうさぎが知っていたこと。 「逃げても構わないと、わたしは思う」 そうすることでキースの命と心が健やかにめぐり、どこか別の世界で次の命につながるのなら、と付け加え、告解を受ける者は静かに言葉を続けた。 「だけど本当に逃げることは、この街に居る限りいつでも出来る」 「……そうだねぇ」 キースの村に住まう者たちは、ちいさな生き物を狩り、その命をもらい自らの命をつなぐ。そうして育ち、老い、いつしか亡骸となった身体は大地に還り、ちいさな生き物たちの糧となる。いのちはそのようにして、めぐりつながっている。キースがそれをするのが、あの村でなければならない理由はきっと無い。 「旅立つ前に、思い描くといい」 「?」 逃げる前に、キースの命を次につなげる場所へと旅立つ前に。 「君がいなくなった村で、君の大好きなお兄さんが笑っているところをね」 哀しむ顔を、見たくなかった。 だがそれは、自分が見たくなかっただけかもしれない。だから、逃げ続けてしまった。自分がいない村に残された兄はどうしているだろうか。このままどこかへ帰属して、兄がいつか自分のことを忘れたときに、兄は笑っていてくれるだろうか。 「……うまく、想像出来ないもんだねぇ」 兄には幸せになってほしかった。その気持ちは今も変わらない。 「うん……俺、もうちょっと考えてみるよぉ」 「そうか」 旅立つことは、いつでも出来るのだから。
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