夕方。ターミナルの一角にある町家風の一戸建てから、コトコトと柔らかく煮込まれている音が響く。 「ふむ、少し味見をしてくれぬかのう?」 天撃は、目の前の鍋から味噌汁をお玉で掬い取り、小皿に入れて橘神 繭人に手渡す。 「熱いから、気をつけるのだぞ」 足元から出ている触手で胡麻を炒ったり、海苔を炭火で炙ったりしているシヴァ=ライラ・ゾンネンディーヴァが、声をかける。それに繭人は「うん」と頷く。 ふうふうと息を吹きかけて冷ましてから、繭人は小皿を口に運ぶ。口の中に、出汁と味噌の香りが広がった。 「うん、美味しいよ」 「味噌が薄いとか、出汁が濃いとか、そういう事はないかのう?」 「繭が美味しいというのだから、大丈夫だ。間違いない」 こくこく、とシヴァが頷く。 「それもそうじゃな。繭が判断したのじゃからのう」 天撃も同じく頷く。繭人は「二人とも」と言って、照れたように苦笑する。 「俺に絶対の信頼を寄せすぎだよ」 「繭だから大丈夫だ」 「繭じゃから大丈夫じゃ」 きっぱりと返す二人に、今一度繭人は「もう」と笑った。 「さて、味噌汁はこれで良いじゃろう。胡麻和えの方は、どうじゃ?」 味噌汁の鍋に蓋をしながら、シヴァに尋ねる。シヴァは炒った胡麻をすり鉢でごりごりと擂りながら、繭人の方を見る。 「ほうれん草はもう切ったか? 繭」 「うん、準備できてるよ」 繭人はそう言って、一口大に切ったほうれん草を差し出す。シヴァはそれを受け取り、すり鉢の中に入れる。 「あとは味をつけてあえたら終了だ」 「魚もいい感じに焼けてるよ」 グリルの中を覗き込みながら、繭人が言う。 「では、豆腐を盛り付けようかのう。シヴァが炙ってくれた海苔が、いい感じになっておるし」 「葱も忘れないようにな」 「鰹節もね」 シヴァと繭人が、口々に言う。 「勿論、分かっておる。万全の状態で、食べたいからのう」 にこやかに天撃が返す。三人とも料理が好きなため、いつも食事の支度は賑やかだ。 シヴァが触手でこまごまとした作業をするのが、傍から見れば奇妙といえば奇妙ではあるのだが、三人ともこれが普通なのだから気にしない。 「焼き魚には、大根おろしもいるよね」 繭人はそう言って、大根を取り出す。 「そうじゃな。はて、すりおろし器はどこじゃったかのう」 きょろきょろと台所を見回す天撃に、シヴァは触手をひょいっと伸ばす。 「ここにあるぞ。私がおろそうか?」 「じゃあ、お願い。俺、焼き魚盛り付けるから」 繭人はにこやかに言って、お皿を取り出す。 「繭に言われたなら、しっかりやらないといけないな」 「おやおや、甘いのう」 微笑交じりに天撃が言う。シヴァはそれに対し、こっくりと頷く。 「繭だからな」 「繭ならば仕方ないのう」 「もう、二人とも」 繭人が恥ずかしそうに、笑う。 三人が盛り付けに各々とりかかっていると、ピー、と米の炊ける音が台所に鳴り響くのだった。 本日の夕飯は、ご飯に味噌汁、焼き魚、ほうれん草の胡麻和え、冷奴という和風の品々だ。繭人の好みに合わせた結果でもある。 「いただきます」 ぱちん、と手を合わせて繭人が言う。それに続き、シヴァと天撃も「いただきます」と口にした。 「うむ、今日も繭のお陰で美味しくできたのう」 「繭のお陰だな」 「三人で一緒に作ったからだよ」 笑い合いつつ、三人は食事を口に運ぶ。 「そういえば、まだ庭にほうれん草ってあるんだよね?」 ほうれん草の胡麻和えを食べながら、繭人が尋ねる。 「あったぞ。どうしたんだ?」 シヴァの問いに、繭人は「うん」と頷く。 「白和えも美味しいんだよなあって思って」 「なら、明日は白和えにするか?」 「うん、そうする」 繭人はそう答えてから「あ」と声をあげる。 「でも、白菜と大根も合ったから、鍋もいいなあ」 考え込む繭人に、天撃は「なあに」と言って笑った。 「どちらも作ればよいだけの事じゃ」 「そうだな。白和えは多めに作って、保存していてもいいのだし」 「じゃあ、そうする」 にっこりと笑う繭人に、シヴァと天撃も目を細める。 「三人で鍋を囲うの、俺、好きなんだ」 繭人はそう言って、二人を見つめる。優しい眼差しで。 初めて三人で食べた食事が、鍋だった事を思い出しながら。 ――ターミナルの片隅で、繭人は震えていた。 はぁはぁと、息遣いが荒い。 儀式の最中だった為、一矢纏わぬ姿だ。 繭人は自らを抱きしめ、ただただ震えていた。何が起こったかも分からない。突如、放り出されてしまったのだ。 「……僕、は……あ、愛され」 目を大きく見開き、上手くかみ合わぬ口で言葉をそれだけ紡いだ。 周りを見ることも無い。見る必要がない。どこにいるのかさえ、今の繭人はどうだって良い事なのだ。 「愛……されて」 目の奥が熱い。じりじりと差す。 ガタガタ震えたままの繭人の前に、足が現れた。 「……おい」 低い声が、繭人にかけられる。 「おい、大丈夫か?」 返事が無い為、声は今一度かけられる。 そこで、ようやく繭人はゆるりと顔を上げた。 そこにいたのは、シヴァ。 「もしかして、ツーリストか? なら、私も……」 「ああああああ!!!!!」 シヴァの言葉が終わらぬうちに、繭人は大声をあげた。 「お、おい、大丈夫か?」 シヴァの問いにも、繭人は悲鳴でしか返さない。 繭人の心を占めていたのは、唯一つ。 ――怖い。 「私は、きみの敵ではない。大丈夫だ」 落ち着かせようと必死になるシヴァだが、繭人の口からは「ひいいい!」という悲鳴しか出てこない。 ふらふらに這い蹲りながらも、その場から逃げようと必死になっている。 「大丈夫だ、大丈夫だから!」 何度もシヴァは繰り返し、手を伸ばす。が、繭人はその手を避けるように身を縮ませる。 「大丈夫……」 ――キィン! 言葉の途中で、今度は剣に遮られた。 「……剣?」 シヴァと繭人の丁度中間の地面に突き刺さる、ぎらりと光る刃を見て、シヴァが眉間に皺を寄せる。 「何をしている?」 静かに、剣の主が言葉を紡いだ。 そちらを見ると、そこには天撃が立っていた。更なる剣を、練成しながら。 「なにをって、私は……」 「その子に、何をしようとしている!」 「え?」 天撃の言葉に、思わずシヴァは聞き返す。 「おのれ、悪漢め。そこになおれ!」 天撃はそう言い、練成した剣を次々とシヴァに向かって放つ。 「ま、待て! 勘違いだ!」 シヴァは放たれた剣を触手で弾きつつ、弁明しようとする。 「何が勘違いだ! ぬしの触手で、裸の少年に、何をしようというのだ!」 「だから、違う!」 シヴァはそう言い、長剣を取り出して剣を受ける。キイン、という剣と剣のぶつかり合う音が響き渡る。 「あ……」 シヴァと天撃の繰り広げる戦いを見て、徐々に繭人は落ち着きつつあった。大きく深呼吸をし、あたりを見渡す。 「ここ、は」 違う、と思った。今まで居た自分の世界と、違う所だと。 続けて、天撃とシヴァを見た。シヴァを見てまだ少し怖いと思ったが、即座に深呼吸をして落ち着く。 「違う」 今度は、口に出して否定する。 シヴァは、繭人が恐れるべき存在ではない。 むしろ、優しく声をかけてくれたのではなかっただろうか。 「……あ、あの!」 勇気を出して、繭人は天撃に声をかける。 「おお、大丈夫か、少年」 「だ、大丈夫、ですけど……」 不安な眼差しをする繭人に、天撃はにっと笑ってみせる。 「なあに、ぬしに指一本たりとも触れさせはせぬ」 天撃はそう言い、再び剣を練成してシヴァに放った。 「だから、違う!」 慌てて、シヴァも触手で応戦する。ざく、と一本斬られてしまった。が、すぐにまた生えてくる。 「中々、奇妙な体質だ」 生えてきた触手を見、天撃は言う。 「奇妙なのは、お互い様だ。剣の練成、そんなに早いとはな」 互いに目線を交わす。天撃の攻撃に、シヴァは防戦しかしていない。事態が飲み込めてないためだ。だが、それでも天撃の剣をうけてはいない。触手一本、斬られただけだ。 「攻撃をしてこないとは……驕りか」 「だから、違う。きみが、誤解をしているからだ」 「何が誤解か。現にこうして、震えている少年がいるではないか!」 再び、天撃が剣を練成する。シヴァは「だから!」と言いながら、攻撃に対して構えを取る。 「……めて」 繭人は、そっと口に出す。が、二人の耳に届かない。 「観念するがいい!」 「私には、何が何やら!」 雨の様に降り注ぐ剣に、シヴァは触手で剣を振り払っていく。 「やめてください」 もう一度、繭人は口に出す。が、やっぱり二人の耳には届かない。 「ほほう、中々やるではないか!」 「やらなければ、またざっくり斬られるからな!」 「やめてください……!」 ついに、うわああん、と繭人は泣き出した。そこでようやく天撃とシヴァは戦いの手を休め、繭人を見る。 「ど、どうした?」 「違うんです、違うんです!」 慌てながら尋ねる天撃に、泣きながら繭人は叫ぶ。 「ごめんなさい、違うんです!」 繭人はそう言い、泣き伏した。シヴァは「そ、そうか」と頷きながらおろおろし、天撃も「そうか」と頷く。 「違うんです、違うんです……!」 繭人は泣きながら何度も何度も繰り返した。 暫く経ち、ようやく繭人が落ち着いた。裸のままでは寒かろうと、シヴァの着ていたスーツの上着を羽織っている。 「……だから言っただろう? 勘違いだと」 シヴァが、静かに天撃に言う。 「そのようじゃのう。すまなかった」 天撃が、ぺこりと頭を下げる。戦闘中とは違う、おっとりとした話し方だ。 「いえ、俺がいけないんです。俺が、その……」 言葉に詰まった繭人に、天撃はぽんぽんと優しく背を叩いてやる。 「大丈夫じゃ。こうして、誤解も解けたのじゃし」 「そうそう、気にしなくていい。きみが大丈夫なら、それでいいのだ」 シヴァが頷きながら言う。繭人は、まだシヴァに対してはびくりと体を震わせているが。 「……ごめんなさい。俺」 「気にしていない。それより、私のジャケットだけではな。ちょっとここで待っていろ、服を買ってくる」 シヴァはそう言って、服を買いにその場を離れる。 「俺、少し怖いんです。その……大人の、男の人が」 「なあに、気にしなくてよい。そう、言っておったじゃろう?」 「うん」 繭人は、答えながらも顔を伏せる。天撃は、暗い顔の繭人を見ながら「ふむ」と何かを考え込む。 「ぬしは、登録しに言った後、どうしたいというのはあるのかのう?」 「どうしたい、と言われても」 天撃の言葉に、繭人は戸惑う。やって来たばかりの異世界で、一体何をどうしたらいいのかなんて、分かるわけがない。 「ならば、わしと一緒に来ぬか? 共に暮らすのも、悪くなかろうて」 「……いいの?」 「勿論だとも。賑やかな生活の方が、楽しいじゃろうて」 天撃がそう言って笑う。そこに、シヴァが「私も」と言いながらぬっと現れる。手には、繭人のための服が入った袋がある。 「私も、その賑やかな生活に入りたいんだが」 「ほほう、参戦と言うわけじゃな」 「いいだろうか?」 シヴァは、繭人の方を見る。繭人は天撃とシヴァを見つめ、こっくりと頷く。 「決まりじゃな。よし、じゃあ服を着て、登録に行くとするかのう」 「その後は、同居の祝宴だ。豪勢な食事を取るのはどうだ?」 「ふむ、悪くない」 天撃とシヴァはそう言って、笑い合う。そして、繭人の方を見つめる。 「わしは、天撃じゃ」 「私は、シヴァ=ライラ・ゾンネンディーヴァ。シヴァで構わん」 二人が自己紹介し、繭人を促す。 「あ……俺は、橘神 繭人……」 「繭人……繭じゃな」 「よろしく、繭」 繭人に、二人が手を差し伸べる。繭人は微笑み、その手をぎゅっと握り返した。 今度は、避けることなく。 目の前の味噌汁を見つめつつ、繭人は思い出す。 結局、時間の関係で登録後に豪勢な祝宴は催される事なく、簡単に食べられるという理由で、その日の食事は鍋となったのだ。 (懐かしいな) 三人で囲んだ鍋を思い返し、繭人はそっと微笑んだ。 「何を笑っておるのじゃ? 繭」 不思議そうな顔をしながら、天撃が尋ねる。 「俺、助けられたのが二人で、本当に良かったと思って」 繭人はそう言って、二人を見つめる。 「俺がこうしてここに居るのも、あの時二人が俺を助けてくれたから。その助けてくれたのが、二人で良かったと思って」 少し照れたように言う繭人に、天撃とシヴァは嬉しそうに微笑み返す。 「縁とは、異で粋なものじゃな」 「確かに。だが、こうして無関係だった三人が、家族のように暮らすのも悪くない」 天撃とシヴァは口々に言う。 「ありがとう」 繭人は二人に礼を言う。天撃とシヴァは何も言わず、ただ繭人の頭をふわりと撫でた。 「さて、デザートにイチゴ大福はどうかのう?」 天撃はそう言いながら、立ち上がる。 「それはいいな。熱い緑茶も添えれば、完璧だ」 シヴァもそう言いつつ、立ち上がる。 「俺、お茶淹れるよ」 続けて繭人も立ち上がる。 「では、三人で片付けとデザートの準備に取り掛かるかのう」 「繭が茶を淹れてくれるそうだから、美味いに違いないな」 「それは違いないのう」 三人は笑いながら、食卓の皿を片付け始める。 三枚ずつの皿を重ね、流しへと持っていく。残された食卓には、三つの湯のみが並んでいる。 繭人は急須を持ち上げ、そっと口を開く。 「天撃さんがいなかったら、俺、こうしてここに居られなかったよ」 ありがとうの気持ちをこめて、天撃の湯飲みに茶を注ぐ。 「ちょっぴり怖いけど……俺、シヴァさんに大事にされてるのは分かってるから」 感謝の気持ちをこめて、シヴァの湯飲みに茶を注ぐ。 「繭、茶の準備はできたかの?」 「うん、もうすぐだよ」 台所から天撃に声をかけられ、繭人は答える。 「イチゴ大福、持って行くぞ」 「分かったよ」 シヴァの声に答え、繭人は自分の湯のみに茶を注ぐ。 「少しだけ……判ってきたかも」 そう呟き、繭人は三つ並んだ湯飲みを見つめる。 ほわほわと浮かぶ白い湯気は、初めて一緒に食べた鍋の時と同じように、暖かそうに立ち昇っているのであった。 <三人暮らしを噛み締めつつ・了>
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