壱番世界で有名な冬の行事、バレンタインデー。国ごとに細かい違いはあるが、思いを寄せる人に愛を告げたり大切な人と特別なときを過ごしたり、友人と甘いお菓子を交換し合ったりする幸せな日だ。 ターミナルの一角にあるカフェでも、バレンタインデーを皆で楽しもうという小さなパーティーが企画されていた。『チョコレート・フォンデュ』という溶かした熱いチョコレートに好みのフルーツや菓子を浸して食べる鍋がある。それを皆で囲もうというのだ。 ターミナルには様々な世界から様々な人々が集まっている。ということは、もちろん食の好みも様々だということだ。 あなたも好みの食材を持ってパーティーに参加してはいかがだろうか? きっと、今まで知らなかった味にめぐり合うことができるだろう。
ターミナルの一角にあるカフェでバレンタインのささやかなパーティーが開かれるというので、何人かのロストナンバーたちが集まっていた。 小さなカフェの名は『ブックハウス・カフェ』、店主が趣味で集めた様々な本を読みながらティータイムを楽しむことができることをウリにしている。 「ツヴァイさんも一緒だなんて、今日は楽しめそうですね」 「俺はコレットがいるってだけで十分楽しいけどな」 「まあ」 金髪の美少女コレット・ネロと、いかにも熱血漢な青年ツヴァイ。交友のある二人はなんとなく互いにもじもじとしながら、カフェの扉を開けた。 「こんにちは」 「今日は皆さんで楽しみましょうね」 先に店で待っていた真朱と青藍が二人を迎えた。店には他にも何人か客が来ていて、それぞれの時間を楽しんでいるようだ。 「ハーイ! 今日はナイスカポー(ナイスカップル)ばっかりネ! ワタシうらやましいアル」 店の置くから甲高い声が聞こえた。どうやら店主のものらしい。二つのお団子がカウンターの奥でぴょこぴょこ動いている。 「ナイスカップルなんて、なぁ、コレット」 「そう見えてしまうのかしら」 「も、もしかして嫌だった?!」 「そ、そんなことないです、全然!」 ツヴァイとコレットは互いに見つめ合ってもじもじしている。 「まぁ、お二人ともお若いですわね」 そんな二人を優しいまなざしで見ながら青藍がからかうように言った。シスターの服に眼鏡といった装いの青藍は落ち着いた雰囲気をまとっていて、それが彼女をやや年齢不詳のようにしている。 「ともかく、あの店長さんでは心配ですから。私たちも手伝いましょう」 深い天鵞絨色の髪を揺らしながら、真朱が椅子から立ち上がる。 「おっと、力仕事なら男の俺に任せてくれよな! コレットもそこで座って待ってな」 「ん? そうですか……」 ツヴァイの申し出に真朱は意味ありげな笑みを浮かべたが、それ以上は何も言おうとしなかった。 「真朱様ったら」 真朱と交友のある青藍もおかしそうに笑いながら、ツヴァイの後を追いかける。 残ったコレットは真朱を見つめて、小さな声で尋ねた。 「もし違ったらごめんなさい、真朱さんってとてもきれいな方だけど、男性ですよね?」 「ええ、よく間違えられるのですよ。あまりにもよくあるのでもう無理に訂正はしないことにしているんです」 そう言って微笑む真朱。確かに彼は線も細く動きも優雅であるため、初対面では女性に間違われることが多いのだろう。ツヴァイも見事に女性と間違えてしまったというわけだ。 「ツヴァイさんが知ったらきっと驚きます。でもちょっとおもしろいし、内緒にしておこうかしら」 コレットが悪戯っぽく肩をすくめて笑うと、真朱もつられて笑った。 「あら、お二人で何のお話ですの?」 たっぷりチョコレートが入った鍋を軽々と運んでくる青藍が、談笑する二人に気付いて間に入ったが、いつものことだと真朱が話すと青藍も納得したようだった。 「か、怪力シスター……」 青藍の後からツヴァイが串やフルーツを載せた皿を運んできた。 「女の子に向かって怪力なんて、失礼ネ! でも青藍はホントに怪力ネ」 ちまちまと歩いてくるチャイナ風の服を着た女の子が、店長らしい。 「さてと、まずはチョコレート・フォンデュの説明だな」 ツヴァイが改まってゴホンと咳をする。 「私、チョコレート・フォンデュは初めてですの。是非教えていただきたいですわ」 「私も初めてなの。チーズフォンデュなら食べたことあるんだけど」 青藍とコレットが興味津々といった表情でツヴァイの説明を求める。 「チョコレート・フォンデュはチョコレートを身体に浴びたのちに、飢えた肉食獣からひたすら逃げ回る過激なイベントなんだぜ!」 がおーっ! と、二人を脅かすように手を広げて言い放ったツヴァイ。 「そんなに恐ろしいイベントでしたの?」 「に、肉食獣ってライオンとか?」 やや警戒してしまった青藍とコレットの肩に優しく手を置く真朱。 「いいえ、冗談ですよ。溶かしたチョコレートに具を浸して食べる、チーズフォンデュと同じ食べ方でいいんですよ」 「もう、ツヴァイさんったら!」 「いや、悪かった。ジョークだよジョーク!」 「女の子を驚かせるなんてなんて男アルか!」 「おお? やんのか店長? 自分だってビビッてたじゃねーか!」 ツヴァイと店長がガウガウやりあっているうちに、真朱が鍋を火にかけてチョコレート・フォンデュの準備をした。茶屋を開いているだけあって、こういうことはとても手際がいい。赤いホーローの鍋の中はたちまちふつふつと溶けたチョコレートで満たされた。 「チョコレート・フォンデュは久しぶりなので楽しみですね。さぁ、皆さんお皿と串をどうぞ」 真朱が各自に皿を配り、準備万端。店長の出番なし。 「食材はとても悩みましたの。確実においしくいただける物を持ってまいりましたわ」 青藍がテーブルの上に並べたのは、色とりどりのグミキャンディーとビスケット、バニラアイス、それにバラとスミレの花。 「花も食えるのか?」 店長とのケンカを終えたツヴァイが不思議そうに花を見る。 「これは食べられる花ですの」 「壱番世界でもお料理に花を使うことがあります。とてもきれいですね」 バラとスミレが乙女心に触れたらしく、コレットが目を輝かせる。 「それから、こちらは少し冒険なのですけれど、噂でおいしいと聞きましたの」 控えめな笑顔で青藍がスルメとさきいかを付け加えた。 「私も色々持って来ましたよ」 真朱が並べた食材は本当に色々な種類があった。まず季節のフルーツを色々。それからドライフルーツ。ナッツ類にクッキー、ビスケット、マシュマロ、バゲット。甘いものだけではなくポテトチップスやおかきといったしょっぱいもの。そして和風の食材、求肥、八つ橋、焼き芋、栗。 「真朱さんに比べると種類は少ないけど、私も持ってきました」 コレットが持ってきた食材は、手作りのクッキーとスポンジケーキ。スポンジケーキは食べやすいように一口大に切ってある。 「苺とかバナナが基本かと思ったんですけど、これならチョコレートに浸けるだけでチョコクッキーやチョコケーキになると思って」 少し恥ずかしそうにコレットが言う。 「じゃあラストは俺だな」 ツヴァイがどっかりとテーブルの上に出したものは、肉! キノコ! そしてニンジンにタマネギッ! かろうじて苺。 「かろうじてって何だよ、普通の味じゃつまんねーからな!」 「そうよね、ツヴァイはチョコレート・スタジアムで優勝したんだもの」 コレットがニコニコと笑顔でフォローする。 「さてと、それじゃあ店長のフェイフェイが味見してやるアル」 今まで黙っていた店長、フェイフェイがよっこらせと体を持ち上げて食材を一通り自分の皿に取った。 「あー、やっぱりチョコレート・フォンデュの基本は苺とバナナアルな! ドライフルーツの濃厚な甘みもいいアル! ナッツというのも、ほう、以外に合うアルな。あ~、マシュマロがお口の中で溶けるアル~」 「ポテトチップスもいいですわね、甘いものにしょっぱいものも合うのですね」 青藍も自分が魅かれた食材から口にする。 「さきいかもなかなかですよ」 真朱がチョコさきいかを口にして青藍に言う。 「これ、モチモチしておいしいです。お菓子ですか?」 コレットが食べて不思議そうにしているのは真朱の用意した求肥。 「それは求肥ですよ。白玉粉で練った餅で、餡を練りこむことで色々な和菓子を作ることが出来るんです」 その一つがこれだと、真朱はコレットに八つ橋を差し出した。 「やっぱコレットの手作りクッキーは美味いな。ケーキも最高だぜ」 ツヴァイは自分が用意した肉や野菜には手をつけずにコレットが用意した手作りのお菓子を具材に食べ、ひたすら感動していた。味もいいが、何よりコレットの手作りというのがツヴァイの心を打ったらしい。 「ありがとう、ツヴァイさん。喜んでくれて嬉しいわ。それから……」 コレットはツヴァイにそっと何かを手渡した。ツヴァイのために用意したミルクチョコレート。 「俺に?」 ツヴァイが改めて聞くと、コレットは恥ずかしそうにうなずいた。 「えっと、俺、俺からは……」 唯一まともな食材、苺。それを串に刺してツヴァイがコレットに手渡した。 「ホワイトデーは期待していいぞッ!」 とりあえず、顔が熱いのは溶けたチョコレートのせいだけではなさそうな二人。 「若いっていいアル。熱気を冷ますにはこれしかないアル」 フェイフェイは遠い目をしながらバニラアイスに溶けたチョコレートをかけてむしゃむしゃと食べた。 「真朱様、召し上がってくださいませんか」 愛の告白ではないが、いつも茶屋で世話になっている真朱に青藍がバラとスミレの花にチョコレートを少しかけて差し出した。 「ありがとうございます。あっさりとした花がとても爽やかでおいしいですよ。それに、菓子は見た目の美しさも大切ですから」 「そう言っていただけるととても嬉しいですわ」 きれいな花を選んで持ってきて、本当によかったと思う青藍。 「そろそろシメのあれにするか」 カフェに立ち寄った人々も飛び入り参加し、食材も少なくなった頃、ツヴァイが不敵な笑みを浮かべて何かを取り出した。 「シメはラーメンで決まりだって、壱番世界の誰かが言ってたぜ!」 そう、ラーメンの袋だ。どうやらラーメンをチョコレートの鍋に入れるつもりらしい。 「チョコレートでラーメンを茹でるのですか? それはさすがに……」 「いいえ青藍様、何事も挑戦です」 そう言い切ると真朱はツヴァイが勝手に茹でたチョコレートラーメンを優雅な手つきですすった。 「ふむ、これは……」 微妙な笑みを浮かべ、真朱は少し首をかしげた。 「美味いか?」 「……」 鍋を挟んで微妙な空気が漂う。なぜか二口目は口にしない真朱。 「うおおおおおおおおおお!!! 不味いアルぅぅ!!!」 静寂を破る悲鳴。チョコレートラーメンを食べたフェイフェイが、キッチンでガペペと言いながら叫んだのだ。 「え? 不味いのか?」 「責任持ってお前が全部食べるアル! 肉と野菜も入れれば立派なラーメンアル! チーズフォンデュの決まりに従うアルッ! パンを鍋に落とした奴には罰ゲームがあるネ! ラーメンを鍋に落としたお前にも罰ゲームアル!」 「そんな罰ゲーム本当にあるのか?」 ツヴァイがチラリとコレットのほうを見る。 「壱番世界ではそういう習慣があるって聞いたことがあるわ」 コレットが悪戯っぽく笑った。ツヴァイは少し青ざめた。 「皆さんはそろそろお茶にしませんか?」 「私も手伝いましょう」 真朱がカップを並べ、コレットは持参の紅茶を淹れた。 皆が紅茶を楽しむ中、ツヴァイはチョコレートラーメンに悪戦苦闘していた。 ゆったりとした時間を楽しんだ後、コレットの提案で皆で後片付けをした。最後まできれいに片付けると、やはり気持ちがいい。ツヴァイは結局一人でラーメンを間食してソファーでぐったりしていた。 「あまりにも冒険がすぎるからですわ。もし腹痛が治らなければ治癒しなければなりませんわね」 心配と呆れが混ざったように言う青藍。コレットも苦笑いだ。ツヴァイの兄や友人にいい土産話ができたことには間違いないが。 「このカフェの伝説になるアル」 まったく呆れ返ったフェイフェイが一言、言い放つ。 なんだか幸せな気分になれる、温かくて甘いチョコレート・フォンデュ。仲間と過ごすバレンタインデーもなかなかいいものではないだろうか。
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