「海……濡れる……お肌がべとべと……」 うっとりと呟くのは、銀髪の世界司書。自ら訪れる事ができない異世界に想いを馳せるのは結構だが、妙に卑猥な言葉ばかりを選んでいるように聞こえるのは気のせいだろうか?「そんな事はありませんよ?」 何故に疑問形?「……お仕事のお話です」 あからさまに誤魔化された気がするが、話がようやく本題へと戻った。 ここに並ぶロストナンバー達は、とある目的を遂行するために集められたのだ。「ブルーインブルー――既に訪れた方もいらっしゃるでしょう。海上交通の発達した異世界です。そこにおいて、とある遺跡の調査をお願いしたいのです」 ブルーインブルーといえば、そのほとんどを海が占める。貴重な陸地に、さらに手つかずの遺跡が?「発見されていなかったり、現地の都市国家には占有するメリットが無かったりと、こういった案件は少なからずあるようです。過去にも相当数の調査が行われていますから」 結果、古代文明の一端を垣間見る事はあったものの、歴史的な大発見には至っていないとの事。 厳然たる事実に思わず落胆しそうになるロストナンバー達であったが、励ますような言葉を口にしたのは、意外にも目の前の世界司書であった。「ですが調べないままでは、可能性は零になってしまいます。何より、こういった仕事での経験は皆様の力となるでしょう」 おぉ、いい事言った!「転んでもタダでは起きない。レッツ・ポジティブシンキング。その心が大事だと聞きました」 そして台無しにした!?「今回の遺跡も、表向きは無人という事になっています。ですが、海魔や海賊の棲み家になっている可能性は否定できませんので、戦闘の準備はしておいて頂いた方が宜しいかと」 小さな無人島の、さらに端っこ。突き出した岩場の上でバランスを取るように、その遺跡はあるらしい。確認されている進入ルートは、波打ち際に口を開いた洞窟から階段状になった通路を上っていくというもの。なかなかに面倒臭そうだ。「それでは、皆様の幸運を祈っております。濡れ濡れのべとべとになりませぬよう、お気をつけ下さいませ」 だから、何故にその表現にこだわる……?● 燦々と降り注ぐ太陽。 今日は風が強いが、現在では作る事のできない巨大なガラスに覆われたこの室内では、鬱陶しい潮風に悩ませる事も無い。 ぐっと、喉が鳴った。「ん~、トロピカ~ル♪」「おやぶーん」「何だよ! 人がバカンスを楽しんでる時によ~」 部下をどやしながらも、その人物は寝そべっていた長椅子から立ち上がり、フルーツジュースの満たされたグラスも一旦脇へ置き、用件を尋ねた。ゆっくりとした動きに合わせ、派手な色彩のシャツが揺れる。フッ、決まった……「そろそろ稼ぎに出やせんか? 海より陸にいる時間の方が長い海賊なんて、格好悪いっスよ」 部屋の入り口に立ったままの部下――というより子分といった風体の男の言葉に、サングラスの奥の瞳がギラリと光る。(こ、殺される!?)「だって、ここ、居心地いいんだもの~」(ザ・駄目人間……!) ごろごろと転がる親分――海賊の頭にあるまじき姿に、子分は絶望的な気持ちで天を仰ぐのだった。あぁ、海が恋しい…… ロストナンバー達と海賊様御一行。 邂逅の時は近い。
●波に揺られて無人島 「ありがとうございましたー」 遥か水平線に浮かぶ船へと帰っていく上陸用の小舟に向けて、ミレーヌ・シャロンは杖を手にしたまま深々と一礼した。その隣では佐藤 壱も、ぶんぶんと大きく手を振って見送っている。 「迎えもよろしくなー」 その声に、島まで同行してくれた船員の一人が器用にバランスを取って立ちながら、同じように手を振って返してきた。 やがてその姿は豆粒程になり、一行の周囲には静寂が訪れる。やはりここは無人島で、自分とその同行者以外に頼れるものは無いのだと、改めて実感する。 「それにしても助かったわ。無料の送迎付きなんてVIP待遇じゃない」 ここまでの船旅を思い出し、小金沢 ジュリエットはほう、と艶のある溜め息を漏らす。船賃もタダならば、食事もタダ。世界図書館とは協力関係にあるジャンクヘブンの太守の粋な計らいなのだが、彼女にとってあれ程の至福の時間はそうない事であろう。 「って、あら? ちょっとあんた、何隠してるのよ?」 ひょい、と片手でつかみ上げると、ポンポコフォームを取っている彼女のセクタンは痛そうに目の端に涙を浮かべながら、観念したように手の中の物を差し出した。 「船で使わせて貰ったタオルじゃない。勝手に持って来たんじゃ、仕方ないわねぇ……貰っちゃいましょ。――グッジョブよ!」 「帰る時にお返しすれば良いの――」 「シャラーップ!!」 至極当然な意見を口にしようとした真朱だったが、殺気じみたジュリエ―― 「名前で呼ぶんなら、そっちもシャラーップ!!」 ……小金沢の言葉に遮られて大人しく口を噤んだ。 「いい? 人生いつ何が起きるか分からないのよ? 『備えあれば憂い無し』って昔の偉い人も言ってるわ。つまりこれは、未来を見据えた尊い備蓄!」 「はあ……」 人差し指を突きつけられながら諭される真朱だが、ぼんやりと相槌を打つしかない。小金沢の表情にイラッとした様子を見て取り、コレット・ネロは慌てて間に割って入った。 「えっと、そろそろ先に進まない?」 「だな。時間も無限ってわけじゃないし」 壱が首を縦に振って同意し、小金沢も憮然とした表情ながら矛を収めた。二日後の朝には、迎えの船がやってくる。『時は金なり』――これもまた、小金沢のモットーの一つであった。 「とりあえず、遺跡に行ける道を探しましょう」 作業員のようなツナギに身を包んだカサハラが軽快に進めば、白い砂浜に真新しい足跡が刻まれる。彼女に先導されるように、ロストナンバー達は無人島の中へと分け入っていった。 彼等が降り立った砂浜は垂直にそびえる崖に挟まれるようにしてあり、直接島の外縁部を回る事は難しそうだ。まずは、一旦内地を突っ切り、視界の良い場所まで出る事が目的となる。 幸い、上陸前に遺跡の大まかな位置は確認できていた。この島は周囲が珊瑚礁で覆われており、小舟でも近づける場所が限られていた為、このように遠回りな道筋になってしまったわけだ。今まで手つかずだったというのも、来てみれば納得の話である。 ふと視線を上げた真朱の口元に笑みが浮かぶ。 「見た事の無い花ですね。とても奇麗ですよ」 示す先に皆が注目する。そこにはいかにも南国風の、色鮮やかな花が大輪を咲かせていた。 「持って帰ったら売れるかしら?」 「やめとけって。安全かどうかも分からないんだし」 当然のように検討し始める小金沢を壱が制した途端、彼方から「クケケケケー」と奇怪な鳥の声が聞こえてきた。思わず全員が足を止め、周囲に目を凝らす。 「……大丈夫みたいね」 カサハラの特徴的な兎耳が忙しなく動いている。誰からともなく安堵の息が漏れ、場の空気が僅かに緩んだ。 「び、吃驚したぁ」 コレットの額を汗が伝い落ちる。それはきっと、木々の間から照りつける陽射しのせいだけではないだろう。 それぞれに服装を始めとした装備は整えているものの、ここは勝手を知らぬ異世界の地。皆、それぞれに緊張しているようだ。 そんな中、鬱蒼とした森の中を歩く事、数十分。 「あ。あそこから島の外側に出られそうですよ」 ミレーヌに導かれて茂みを割った一行の目の前に、空から海へと鮮やかなグラデーションを見せる青一色の景色が広がっていた。 「遺跡は……あそこですね」 示された杖の先には世界司書の話のまま、断崖絶壁の上に頼りなさげに佇む遺跡の姿が。 「換気の悪そうな建物ねぇ」 うちは隙間風だらけで換気が良過ぎだけど――胸の内で遠い目をする小金沢の言葉通り、のっぺりとした灰色の壁面が長い影を落としている。何度目を凝らして見ても、せいぜい表面に走る無数の亀裂を発見できるだけだ。 「入れそうな所は無いな」 「こちらから見えないという事は、向こう側でしょうか。下りられそうな道があると良いのですけれども」 壱が眉根を寄せ、真朱は思案顔で掲げた番傘を持ち直した。一行は早速、潮風の吹きつける崖の上まで歩み寄り、おっかなびっくり下を覗き込む。 道はすぐに見つかった。が―― 「……マジか?」 壱の全身から冷や汗が滴り落ちた。下手すればオーバーバンクしていそうな垂直の絶壁に、ミミズのように細く刻まれた一本道。幅は、人一人がやっと立てそうなくらいだろうか? 浜辺まで降りた先に、建物の下へと回り込めそうな洞穴が口を開いていた。 ごく普通の人間を自認する壱のような者からすれば思わずたじろいでしまう光景だったが、 「善は急げよ。さ、行きましょ」 「足を踏み外さないように気をつけないといけませんね」 逞しきは頼もしきかな。平然と進んでいく小金沢に、言葉の割にはのんびりとした様子のミレーヌと、同行者達は用心こそすれども恐怖は感じていないようだ。「私達も行きましょうか」、真朱に呼び掛けられ、はっと我に返った。勇気を持って一歩を踏み出す。ふおぉ、風が凄い……! 「……そういえば」 そろそろと進んでいたカサハラが何かに気がついたように声を漏らした。ま、まさか、何か危険の兆候でも!? 落石? それとも敵が!? 問い質したい衝動を抑え込んで視線だけを返す壱の傍では、コレットも固唾を飲んで次の言葉を待っている。 彼女は既に通ってきた道を振り返ると、 「下りた分、上らないといけないのよね」 面倒だな、と心底憂鬱な表情で呟いた。 「「……………………」」 壱とコレットは全く同じ動きで空を見上げる。 ――太陽が眩しいなぁ。 ●海の男の心意気 「わっ、暗ッ!」 「ちょっと待ってね。――クルミ、お願い」 コレットの声に応じ、狐の姿をしたセクタンの身にまとう炎が勢いを増した。潮の匂いに満ちた闇の中に、ロストナンバー達の影が大きく映し出される。 「おや、フナムシですか。可愛いですね」 目に留まった存在に向けた真朱の言葉には偽りも悪意も無かったのだが、誰からともなく悲鳴が上がった。声に釣られて思わず見てしまったらしい。真朱のような感想を抱くのは少数派だろう。 「これは失礼を」 自分が原因だと察し謝る真朱の動きに合わせて、彼の影もゆっくりと身体を折り曲げた。 洞穴の中は思ったよりも広く、天井も高い。中央を川のように海水が流れ、一行はその端の岩場を進んでいた。 カサハラがどこか落ち着かない様子で一行を急かす。 「早く行きましょ。暗い所は嫌いなの」 森の中と同じように、兎耳が忙しく動いている。それは生き物としての生存本能だろうか。確かに、長居して面白い場所ではないだろう。反対する声は無かった。まだ目的地に着いてすらいないのだから。 大きく曲がりくねった洞穴は、暗闇も手伝って距離や時間の感覚を奪い去っていく。頼りになるのは、コレットのセクタンが放つ灯りのみ。水の流れるせせらぎに、地面を叩く靴の音だけが耳に届く。 脳の芯が痺れるような、不可思議な感覚。 (まるでウロボロスの輪ですね……) 師よ、貴方は今どこで何をしているのでしょうか――物思いに耽ってしまいそうになるミレーヌだったが、突然顔に吹きつけてきた冷たい風に、現実に引き戻された。 「やっと出口か……」 先の方に見えてきた光に、壱の口から安堵の息が漏れた。しばし息をするのを忘れていたのか、頬が微かに紅潮している。見れば、他の者達も似たり寄ったりだ。 どうやら、実際に歩いていたのはそう長い時間ではなかったらしい。一行を出迎えてくれた陽光は、洞穴に入る前とそう変わらないものだった。 それよりも一行の目を惹いたのは―― 「船……か?」 「船ね」 「船です」 「どなたかいらっしゃるのでしょうか?」 手近な岩に荒縄で繋がれたボートは、ロストナンバー達がこの島に上陸する為に使った小舟を思い出させた。取り囲んで色々と調べたり、推測を口にしたりしていた一行は、一斉に頭上を見上げる。 崖に沿った道を上った先。遺跡の海に面した側には、幸いにも入口らしき穴が見えた。その事実にほっとする。これで侵入口が無いようだと、ここまでの苦労が水の泡になってしまうところだった。 そして、その前に佇む人影。 「「あ」」 距離の関係で声こそ聞こえなかったものの、こちらと口の動きがシンクロするのが見て取れた。 頭を覆うようにマリンブルーのバンダナを巻いた、「いかにも」な格好のその人物は、こちらに背を向けると一目散に建物の中へと駆け込んでいく。小さく、中で反響した声が届いてきた。 ……おやぶーん…… 「おやぶん?」 聞き慣れない単語に、真朱が小首を傾げる。一方、小金沢は腕組みをして軽く鼻を鳴らした。 「あの格好、どう見ても海賊よね」 壱も同意の頷きを返し、 「世界司書も警戒していたけれども、的中してしまったか」 「海賊というのは、海に生きる人から、ものを略奪して生き延びる人のことをいうのでしょう? ――極悪人だわ」 「で、でも、もしかしたら、私達と同じように遺跡を調査しに来た人かもしれないよ?」 懸命に励ますコレットだったが、カサハラは怯えるように兎耳を項垂れさせるのだった。 何にせよ、その「親分」とやらが出てくれば分かる事だろう。それはそれとして。 「どうしましょうか?」 ミレーヌの問いに返ってくる答えは無かった。上へ続く道は、下りてきたものと同じように細く、頼り無い。先を急ぐべきか、一旦待って先客の正体を見極めるべきか。誰もが判断に迷っているようだ。 が、悩みは早々に解消されてしまった。呼ばれて出てきた「親分」と対峙する事になったからだ。 「おうおう。どこぞの金持ちお嬢様達が優雅にバカンスかぁ? こんな無人島に来るのに使用人が一人だけとは、呑気なもんだ」 「ワタシのどこが金持ちに見えるのよ!」 「誰が使用人だ!」 顎髭をさすりながら余裕たっぷりの態度で臨んだ親分だったが、小金沢や壱の猛烈なツッコミに思わずたじろいだ。それにしても、ツッコむところはそこだろうか? (ウクレレが似合いそうだなぁ……) いや、コレットさん。それもちょっと違う気がする。確かに相手はアロハシャツを着たオッサンだけれども。 このままでは話が進まないと理解したのか、ミレーヌが口を挟む。 「ムッシュ、あなた方はここで何をなさっているのですか?」 すると、親分はえへん、と胸を張り、 「よくぞ聞いてくれた! 日々の忙しい海賊業務に伴う疲れを癒す為に、部下を連れての慰安旅行中だ。ガハハハハ!」 「要するにグータラしてるだけなんじゃない! この中年ニート!」 「うるせぇ! 大人の男って奴には遊び心が必要なんだよ!」 「っていうか、なんで海賊がアロハシャツ!? 恐怖どころかリゾート気分漂わせてるよ! 世間のイメージをもっと大切にしろ!! あとそのトロピカルジュースちょっとください!!」 「バカ野郎! バカンスっつったらアロハシャツだろうが! そんな事も分からねぇのか、最近の若ぇ奴は!! そしてこのジュースは俺様のスペシャルブレンドだ、一口もやらねぇ!!」 「えーっと、今、海賊だって仰いましたよね?」 真朱の一言に、親分と罵り合っていた者達すらも振り返り、ロストナンバー達は顔を見合わせた。しばしの沈黙。 「やっぱり極悪人なのね……!」 「そしてダメ人間ね。あんな社会の害虫、無視して進みましょ」 戦慄するカサハラ。心底呆れた様子の小金沢。 一方、崖の上でも。 「親分、何か上って来やすよ?」 「何だとぉ? さては、俺様の別荘を乗っ取るつもりだな!? そうはさせん、させんぞぉ!!」 「いつの間に別荘になったんスか?」 「いいから、人数掻き集めてこい。迎撃準備だ!」 「ヘイ!」 かくして、遺跡を巡る激しい攻防が始まったのだった。 やがて崖の上に並んだ海賊達の姿に、ロストナンバー達は心の底から恐怖した。 一様に同じような格好のその手には、小振りながらも無骨なフォルムの銃が携えられていたからだ。 「おいおい、本気かよ?」 「ど、どうしよう?」 「私が幻術で目を眩ませます。その間に物陰へ――」 真朱はそう言うが、近くに身を隠せそうな岩は無い。加えてあの人数だと、彼の力が全てに及ぶかは難しいところだ。 「撃てー!」 「くっ……こんなところで……!」 小金沢の顔が悔しげに歪み、訪れるであろう絶望に耐えるように瞳を閉じる。 その顔面に、勢い良く飛沫が飛び散った。 「うわっぷ! 冷たッ!?」 驚いて目を開けば、他の面々も全員が濡れ鼠である。海水なのか、早速乾き始める服や皮膚がべたついて気持ち悪い事この上ない。 海賊達はといえば、やんややんやの大喝采を上げていた。 「親分! 命中っス!」 「よーしよし。気を抜くなよ。第二射、構えー!」 「って、水鉄砲かよ! それでもお前達海賊か!?」 そのお陰で命が助かったのも忘れ、壱がツッコむ。親分のサングラスがギラリと光った。 「俺達は誇り高き紳士の海賊団だ! そんな俺達が可憐なお嬢さん方の命を奪ったとあっちゃ、男が廃るってもんよ!」 「親分カッコイー!」 「やっといつもの親分に戻ってくれたっスー!」 子分達に囃し立てられ、彼は満足げにポーズを取った。びしぃっ、と壱を指差し、高らかに宣言する。 「というわけで、あの使用人だけはヤって良し! 岩でも投げつけてやれ!」 「だから使用人じゃない! そして急に真面目な悪党にならなくてもいいよ!?」 「――あのー」 それまで黙ってやり取りを眺めていた真朱が遠慮がちに挙手する。 多くの視線を集め少したじろぎながらも、彼は言葉を続けた。 「私も男なのですが」 ピシッ 海賊達の周囲の空気が凍りつく音が、確かに聞こえた。 …… …… …… …… …… 「う、嘘だー!」 「狙ってたのにー!」 「お、俺は別に男でも……」 それはまさに、阿鼻叫喚の地獄絵図。 泣き叫ぶ者、地団駄を踏む者、カミングアウトしちゃう者――耐えられぬ現実から目を背けようとするその姿に、女性陣としては微妙に腹が立つのは何故だろうか? 「……もういいわ。今の内に先に進みましょ」 「……そうね」 小金沢はまだしも、温厚なコレットまでもが不機嫌そうだ。げに恐ろしきは女心、といったところであろうか。 「チッ。お前ぇ等、そのくらいでジタバタしてるんじゃねぇよ! 俺達ゃ紳士の――」 「えいっ」 親分の声を遮って、距離を詰めたカサハラの放った皮袋がお返しとばかりにその顔面を捉えた。 飛び散る赤い液体と、辺りに広がる刺激臭。尋常ではない光景に、居並ぶ子分達が慌てて駆け寄った。 「「お、親分!?」」 「ギャー! 目が、目がぁっ!!」 この独特の酸味――タバスコか! ゴロゴロと地面を転がって悶絶する親分を助けようとするが、転がるついでに振り回される腕や足に弾かれてしまう。 そして―― 「「あ」」 勢い余って崖から飛び出した親分と、子分達。そしてそんな様子を生温かく見守るロストナンバー達の声がハモった。 次の瞬間には、親分は遥か高みから崖下の海へと一直線に落ちていく。盛大な水柱が、崖の中程にまで到達していたロストナンバー達をも濡らした。 「お、親分がー!」 「親分を助けるんだー!」 「「おぉーーー!!」 一致団結した子分達は次々と崖の上から飛び降り、立て続けに水柱を上げた。 流石にそこは海の男か、溺れずに浮かんでいた親分の目の端には熱く光るものが。 「お前ぇ等……やっぱり俺の子分だぜ! 一生ついてこい!!」 「「おやぶーーーーーん!!!」」 ずぶ濡れになりながらも、熱く抱擁を交わす男達。ミレーヌの頬を汗が伝う。 「えーっと……」 口を開いてみたものの、何と言ったものやら。先を行く小金沢が振り向いて先を促した。 「今関わると面倒臭そうだし、とりあえず上っちゃいましょうよ」 「はぁ……」 「何か、大した事はしてないのにどっと疲れたな……」 小金沢同様、白け切った表情の壱の口から、そんな言葉が漏れた。 ●現在(いま)という名の歴史 「なに? この遺跡を調べに来ただけ? 調査が終わったらとっとと帰るだとぉ!?」 改めてロストナンバー達と対峙し、その目的を聞いた海賊の親分は素っ頓狂な声を上げていた。 「っていうか、あんたが勝手に勘違いして攻撃してきたんでしょ。慰謝料請求するわよ!?」 小金沢の剣幕に、子分達が震え上がる。どうやら戦意は完全に失せているようだ。海に浸かった事で頭が冷えたのかもしれない。 感動の一幕を終えた海賊達が上ってくるのを待ち、一行は極めて平和的に――そう、平和的に彼等との対話を望んだ。カサハラが特製のタバスコ袋を弄んでいるのは手持ち無沙汰だからであって、威嚇しようという意図は決して無い。 しかし話を聞くだに、海賊達はバカンスを楽しんでいただけで、寛ぐのに必要無い部分は全くの手つかずにしているらしい。 「もしかしたら、ものすごい宝物が見つかるかもしれませんよ?」 コレットのもっともな指摘に、しかし親分は、 「俺達は誇り高き海賊団! 陸の物を奪ったとあっちゃ男が廃るってもんよ!!」 「「親分カッコイー!」」 「いや、その流れはもういいから」 まぁ、積極的に襲ってくるような存在がいない事を確認できただけでも良しとするべきか。 と、子分の一人がおずおずと挙手する。 「でも、俺が見た限りじゃ金目の物は無いみたいっスよ」 その言葉に、親分のサングラスがギラリと光った。 「お前ぇ、俺の許しも無く陸の物に手ぇ出そうとしていたのかぁ!?」 「すいやせん、親分! で、でも、最近稼ぎが減ってやしたし、俺、少しでも足しになればと思って……」 「お前ぇ、そこまで考えて……」 「はいはい、ストーップ」 うんざりした表情の小金沢が間に割って入った。むさくるしい男同士の抱擁を何度も見せられては、鬱陶しいのを通り越して気分が悪くなってしまうというものだ。 「それ、本当なの?」 女性に免疫が無いのか、子分の一人はどぎまぎしながらも、 「へ、へい。少なくとも、宝石や骨董品の類は……」 はぁ~、と嘆息が零れる。もちろん、今回の調査は学術的なものも含めてなので、収穫ゼロだと確定したわけではないのだが…… (こう、分かり易いものの方がモチベーション上がるのよ!) 「これ以上聞ける事は無さそうですし、中へ入ってみませんか?」 真朱の提案に異を唱える者は無かった。それはそうと、彼の手に握られた手紙らしき紙の束は、まさか…… 「よくある事ですけれども、私に男色の趣味は無いので困りますよね」 「「……………………」」 それ以上その事に触れる勇気を持つ者はおらず、ロストナンバー達は言葉少なに遺跡の中へと入っていくのだった。 入ってすぐは、吹き抜けになった大広間。広げられた翼のように曲線を描く階段が左右に伸び、二階へ続いているようだ。 「このまま階段を使って三階に上れば、俺様の特等席よ」 親分に案内して貰うと、そこは島の自然と大海の対比を楽しめる、全面ガラス張りの展望室だった。ガラスには継ぎ目らしきものが無い。これだけで、この建物が現役だった頃の技術の高さが窺い知れようというものだ。 「無事なのはこの辺りまでで、あちこちで通路が途切れていたり、壁が崩れたりしているみたいっス。気をつけた方がいいっスよ」 そんな言葉に見送られ、ロストナンバー達は遺跡の調査を開始した。 「ここも行き止まりですね」 ミレーヌの手元では、何もしていないのに真っ白なページの上に簡単な地図が刻まれていく。瓦礫に埋まった通路は、これで五か所目か。 「あちらから風を感じます」 真朱の声に従って、一行は探索する範囲を徐々に広くしていった。 「それにしても……」 カサハラが無機質な通路、そして並んだ扉を見て呟く。 「地図があっても迷ってしまいそうな構造ね」 地上五階建てのこの遺跡は、入口以外はほぼ一様に同じ造りをしており、長く伸びた通路の両脇に小さな部屋が数珠繋ぎのように並んでいた。こまめに現在地を確認する必要があるが、既にカサハラの脳はパンク寸前だ。 部屋の中もこれまた同じようなものばかりで、おそらく調度品もあったのだろうが、長い年月の間に朽ち果ててしまったようだ。中には壁が抜けて隣の部屋や外と通じてしまった部屋もあり、突然目を襲う陽の光に一行は目を細めるのだった。 そんな中、比較的損傷の少ない部屋で、小金沢が紙の束を発見した。羊皮紙ではなく、壱番世界で用いられているような品質の高い製紙のようだ。 微かに読み取れる文字の中から、意味の分かりそうなものを総出で物色する。 「ハートマークに……音符……?」 コレットが首を傾げる。どうやら、文末に使われているらしい絵文字。丸っこい形が、女性の筆跡を連想させた。 「とにかく、めぼしいものはメモしておくしかないよな。次に行こうか」 周囲を見回して自分達以外に動くものがないか警戒していた壱が振り向く。他の者達は頷くと、再び自分の役割を果たすべくそれぞれの配置に就く。 こうして、月と太陽が巡る中、一行は遺跡の調査に没頭したのだった。 「よーし、お前ぇ等。朝飯を頂くぜ!」 「「いただきまーす」」 砂浜に手際良くテーブルと椅子を並べ、一斉に手を合わせる海賊達の中に、ロストナンバー達の姿があった。 「今日でこちらのお嬢さん方ともお別れとあって、我等が敬愛すべき料理長のスペシャルな海鮮丼だぁ! しっかり味わって食えよー!」 「「ヒャッホーイ!!」」 麦酒の注がれたジョッキがぶつかり合い、山盛りサラダの大皿にいくつものナイフとフォークが伸びる。 スプーン一杯のイクラを口の中へと収めたところで、壱は腑に落ちない表情で首を傾げた。 「どうして馴染んでるんだろうな、俺達は……」 二日前に初めて出会った双方である。しかも、その状況はとても友好的とは言い難い。 「この辺の海に詳しいらしいし、便利に使ってあげましょうよ。遺跡の近くに直接乗りつけてたのも、腕のいい航海士がいるそうよ」 小金沢が脂の乗ったトロを頬張れば、 「美味しいもの、一杯持ってるしね」 カサハラはプリプリのアサリにフォークを突き刺す。 「え、えっと……仲良くできるんなら、その方がいいかなぁ、なんて」 コレットにまでこう言われては、反論の余地は無い。いや、彼だって別に不満があるわけではないのだ。ただ、あれだけやり合った者同士がすんなりと打ち解けている事に違和感を覚えただけで。 (まぁいいか。確かに美味いし) 口の中一杯に広がる旨味に集中する。 結局、遺跡の調査は大きな発見も無く終わってしまった。夜を挟んで昨日の午前中には全ての部屋を回り、記録をまとめたのが昼過ぎ。それから急に暇になってしまったロストナンバー達は、それぞれに海を泳いだり、釣りに興じたりと、このシチュエーションを楽しみ始めた。 そこに付き合ってくれたのが、意外にも海賊達であった。釣り道具を提供してくれたり、サイズのピッタリな水着まで用意してくれたり。どこから入手したのかは、この際不問という事にしておいた方が良いだろう。 そんなこんなで、半日程を余暇として楽しみ、今朝。 荒くれ者達らしい賑やかな食卓に、自然と御相伴に預かる事になったのだ。 「こうして潮風の中で頂く食事というのも良いものですね」 真朱は上品な仕草で、白身魚の切り身を口へと運んでいる。その隣ではミレーヌも優雅にワイングラスを傾けていた。 やがて、沖合を見張っていた子分が声を張り上げる。 「皆さんのお迎えが来たみたいっスよ!」 どうやら、海賊達の姿に二の足を踏んでいるらしい。進むのを止めて不安そうに様子を見ている小舟に向かって、ロストナンバー達は大きく手を振って無事を知らせるのだった。 (了)
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