クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-13158 オファー日2011-10-25(火) 22:31

オファーPC 細谷 博昭(cyea4989)ツーリスト 男 65歳 政治家

<ノベル>

 流水の清らかな音が、葉擦れと共に鼓膜を揺さぶる。
 鳴く鳥の一羽もなく、歩く者の一人もない、ただ静かな時間だけが流れるその庭は、秋の日の色を映してゆるやかに色づいていた。

 庭園に面した母屋の茶室に、静かに坐す男の姿が在る。
 引き結ばれた口許に鋼の如き鋭さを湛え、閉ざした瞼の脇に伸びる皺に柔和さを残し、坐す男は微動だにしない。背筋を伸ばし、律儀なまでに真っ直ぐに、姿勢を正したまま。ただ揺れる風の音と、流れる水の音に耳を傾ける。
 瞼を開く。晴れやかな光が忍び込み、理知的な黒の瞳を閃かせる。一度瞬きをして、明るい景色に瞳孔を順応させた。
 す――と、視線を移す。四角く嵌め込まれた眼鏡の硝子が、顔の動きに合わせて光を跳ね返した。
 母屋から繋がる敷石の道と、枯草色の芝生が広がる庭を見遣る。時折落ちる紅の葉をその目に映して、穏やかに口許を緩めた。目許の皺と同じ柔和さが顕れて、鋼の如き雰囲気を和らげる。

 空から射し込む陽は未だ高い位置に在る。
 焦る事もないだろう、と、細谷博昭はいま再び、庭園の景色に見入る事にした。

 ◇

 壱番世界での任務を終え、帰途に就こうと<駅>を訪れた細谷は、眼鏡の奥の眼を僅かに細め、運行表へと顔を近付けた。壱番世界とゼロ世界とを繋ぐ定期便は、他の異世界よりははるかに数が多い。とはいえ、やはり幾分か間は空いてしまうものだ。
 ロストレイルの発車時刻まで、未だ時間がある。
 そう確認した時、自然と彼の眼は外の景色へと向かっていた。
 煉瓦の多い街並みと、紅と黄金に染まる木々。色鮮やかな情景に惹かれるようにして、細谷は<駅>を離れ、古都へと足を踏み入れていた。静けさを求め、人の多い場所を避けるようにして歩みを進める内に――いつしか、この庵へと辿り着いていたのだ。
 茶室の襖に切り取られた庭園の景色は、静謐さを湛え、何も語らずただ其処に在る。
 落ちついた緑の木々の間に、所々混じる紅の葉が彩りを添える。一般的な紅葉の名所と比べれば幾分か地味な光景ではあるが、だからこそ細谷にとっては寛げる場所でもあった。この茶室に、彼以外の人間の姿はない。壱番世界、或いは細谷の故郷における秋の古都は、纏う穏やかな色彩とは裏腹に観光客の増える賑やかな季節となるはずなのだが、この庵にはそれがなかった。
 誰もこの庵の存在を知らぬのか、それとも興味を抱かれぬだけなのか――それは彼には判らないが、どちらでも構わないだろうと感じる。こうして一人、美しい景色を目に収めながら物想いに耽る時間を得られたのだから。細谷にとっては、それで充分だった。
 庭園の奥に見える洋館は、かつての総理大臣や外務相が外交の為の会議に使用していたと言う。しかし細谷はそれら要人の名に聞き覚えは無く、やはりこの世界は彼の故郷とは違うのだと、判り切った落胆を覚えた。よく似ているが違う世界に、もどかしさばかりが募る。

 またひとつ、紅の木から葉が落ちた。それを目で追って、凪いだ水面に落ちるまでを見届ける。
 今、この世界は秋を迎えている。
 細谷が覚醒してから、この日本――彼の故郷によく似たこの国では、二度春が訪れた。
 つまりは彼の故郷でも、同じくらいの時間が流れたと見てよいのだろうか。世界ごとに時間の流れが違う事は決して有り得ない話ではなく、既に己が世界を見失ったロストナンバーにそれを知る術はない。
 細谷には妻子も居れば孫もある。その身を呈して護らなければならない総理は、共に戦線を潜った閣僚たちは、今何をしているか。何一つとして情報が得られない今、一刻も早く帰参したいと願うのは当然の事なのだろう。それは数多のロストナンバーが抱く願いであり、焦燥であった。
 何とはなしに取り出し、己が横に置いたパスホルダーに目を向ける。
 消失の運命を食い止め、細谷の存在をそれ一つで繋ぎ止めている小さな赤は、傍目に見ればただのレトロなアクセサリに過ぎない。彼らの乗るロストレイルと同じ色彩をした、薄っぺらいそのホルダーひとつで、彼らは消失せずにいられるのだ。奇妙な違和感と、少しのきな臭さを覚えながら、静かに目を伏せる。今だけは、それを甘受しなければならないと知っている。
 ひらり、舞い込んできた一葉が、パスホルダーの上に着地する。
 臙脂と金の装飾に、乾いた紅が乗り、茶室に射し込む陽に照らされてほのかに色づいている。そっと手を伸ばしてそれを摘み、己の眼の高さまで持ち上げて、細谷は目許の皺を深くした。彼の纏う、穏和な雰囲気が更に濃くなる。
 薄い葉皮が陽に透け、葉脈までもが赤々と輝いて目に映る。人の肉体に流れる液体とよく似た色に、いのちの残滓を見た。燃えるような、鮮やかな色彩。
 母体である木から離れ、ひらひらと宙を舞って己の元に辿り着いたひとひらの紅に、細谷は自分自身を重ねる。属するはずの世界から切り離され、真理数を喪って寄る辺などないまま漂っていた己は、今こうして0世界に、世界図書館に辿り着いた。そして、元の世界へ還る術はひとつしかないと言われ、一も二もなくパスホルダーとトラベルギアを受け取ったのだ。
 しかし、先日、ロストナンバーが消失せずに留まり続ける手段として新たな可能性が提示された。
 世界樹旅団。
 世界図書館と同じく、ロストナンバーの身元を引き受け管理する組織らしい。この広い世界群の何処に居を構え、どんな暮らしをしているのか、世界図書館所属である細谷には想像も付かない。ただ名の通り、世界樹の庇護を受け、その一葉となることで消失を防いでいるらしい、とだけ。
 ロストナンバーの一部には世界図書館を離れ、そちらへと向かった者もいると言う。もちろん、それは個人の意志であり、細谷が口を出すべきものではない。彼らは彼らの道を選んだだけの話だ。決して責められるものではない。
 しかし、己が彼らのように世界樹の一葉となるか、と問われれば、否、と答えるだろう。
 目線の高さに掲げていた紅葉を、おもむろに手放す。陽を受けてあかあかと燃えるひとひらが、再び風に乗って庭へと滑り出していくのを見届ける。
 一度世界図書館に所属した以上、彼にとっては世界樹旅団は敵対勢力だ。
 確かに世界図書館にも思わぬ所が無いではないが、『侵略』を正当化する世界樹旅団とはそれ以上に相容れないだろう。侵食し、喰らい尽くし、新たな獲物を求めて世界群を彷徨う。その性はどこか、細谷の知る『外道』にも似ていると感じられた。穢れを現世に撒き散らし、人を外道へ変え、そしてまた穢れを貯め込む。そんな悪循環を重ね、増幅していくモノだ、アレらは。今もどこかで他の世界を侵食しているのだろうか。たとえば、
 ――たとえば、こうして細谷が異世界でロストレイルの発車時刻を待つ間にも、世界樹旅団が己の国へ――世界へと侵略を始めていたら?
 はた、と視線が彷徨う。
 あの日、ロストレイルへ押し寄せたディラックの落とし子たちの姿を思い描く。容易く車両の幾つかを制圧し、世界図書館に危機感を与えた魔の手が、細谷の世界にも伸びていないとどうして断言できる?
 脳裏を掠めた不安。決して有り得ないとは言い切れぬそれに、思わず平静を喪って立ち上がる。焦燥に周囲を見渡したところで、庵は静謐にたゆたうのみだった。飛び立つ鳥の一羽もない。
 一歩、畳を踏み締める。軒先へと躍り出る。
 来訪者用に用意された草履に足を通し、庭園の芝生へと降り立てば、晴れやかな秋空と木々の色彩ばかりが目に映る。ささやかに吹き抜ける風に乗って、都の中に在るとは思えぬ緑の匂いが肺を侵した。
 息を吐き、高鳴る胸を落ち着ける。
 もちろん、細谷が共に闘っていた閣僚たちが、異界の侵略者如きに容易く敗北するとは決して思っていない。それはただの希望的観測ではなく、長く戦線を共にしてきたが故の信頼の表れだ。二挺の拳銃を巧みに操る『ジェリコのラッパ吹き』も、細谷と同じく地獄の神に仕える『蝦夷の魔王』も、確かな力を有している。――そして、何よりも、彼の人が居るから。
 口を開いて、しかし言葉を紡ぐ事無く閉ざした。
 呼ぶべき名は、最早無い。
 否、己などでは辿り着けぬ高い高い場所へ逝ってしまった者の名を口に出す事は出来ない、ただそれだけだ。いつか視た夢に現れた彼の人は、光射す段上で、ただ細谷を待ち続けていた。恐らくは本当の故郷でも、ああして高くから地上を護り続けているのだろう。死して尚、共に闘った総理の右腕として。
 口に出す事は出来ない。しかし、その名は確かに、この胸に留まり続けている。
 視線を落とす。立ち尽くす敷石の周囲に生える芝は柔らかく、木から離れた紅葉が幾つも絡め取られるようにして落ちている。乾いた風に掻き混ぜられ、吹き上げられる彼らのどれが、先程細谷の元に落ちてきた一枚かは最早判らない。細谷自身が、数多居るロストナンバーの中の一人でしかないのと同じように。まるで、己が容易く多に埋もれ、消えて行くばかりの存在であることを再認識させられるようだった。
 それでも、己はまだ此処に在る。世界図書館の庇護を受け、消失の運命を迎えていない――未だ、彼の世界に忘れ去られてはいないのだと言う、確証が在る。
 ならば、それで充分だ。道は此処から切り開く。
 瞑目し、手に握るパスホルダーへ、意識を集中させる。
 表面へ宛てた右の掌が、確かな質感を掴んだ。そのまま横へとスライドさせれば、柔らかな金の柄と鞘を持つ一振りの刃が顕れる。透かし彫りの丸鍔が、陽を透し跳ね返して厳かに煌めく。
 何の縁か、故郷に置いてきた二振りの刀と同じ姿を持った、一対のトラベルギア。その内の一振りを両手に、水平にして掲げ持つ。故郷で彼の帰着を待っているであろう、真実の刀と――仕えるべき神の姿を瞼の裏に浮かべて、恭しく頭(こうべ)を垂れた。

「いつか、必ずや」

 深く、深く息を吐くと共に声を放つ。

「帰り着きます」

 ――何としてでも。
 真摯にして切実なる覚悟を聴き留めた者は、無かった。

 ふ、と息を零す。顔を上げる。西の空が、微かに淡く色づいている。見渡せば、陽は随分と傾いていた。
 ロストレイルの発車の刻限が近付いている事を悟り、細谷は母屋へと歩みを寄せた。

 ◇

 ――ふと、声が聴こえた。

 そんな気がして、壁際へと目を向ける。
 壁に飾られた、柔らかな金の柄と鞘。透かし彫りの丸鍔。抜き放てば神威の如き輝きを纏う白刃を優美な鞘に収め、ただ静かに其処に坐している、一振りの刀を仰ぐ。
(『大和』)
 此処地獄ではなく、地上においてその力を発揮する神刀。
 最早担い手も、銘を呼ぶ者も存在しないその刀を、今も尚気にかけているのは恐らく彼一人だろうか。出雲の鷹が何処へ飛び去ったのか、天上の神々ですらその行方を掴む事が出来ない。遺された刀は元の持ち主――地獄の神『閻魔(やま)』の元へと戻され、新たな担い手を選ぶ事もなくこうして飾られている。
 紫電纏う左の刃と、外道祓う右の刃。
 両の刀を揮う男の勇壮さを、彼は誰よりも深く知っていた。隣に並び立ち、共に戦った事さえもあるのだから。
「如何しました」
「……いえ」
 生前を思い描き、惑うその背に掛かる声。先程までともに語らっていた、二柱の同胞が彼を気遣わしげに見遣っている。その視線を受け、己はこの場を辞そうとしていたことを思い出して、嘆息と共に首を横に振った。
 要らぬ感傷だ。彼はもう、この世には居ない。
 最後にもう一度だけ、壁に佇む『大和』に視線を移す。
「……細谷、幹事長」
 最早戻らぬ者の名を呼ぶ。いつか、その名を再び口に登らせる日が来る事を願って。

 ――その姿は、未だ、この胸に留まり続けている。

 それこそが男をこの世界と繋ぐ縁(よすが)となっていることを、彼は知らない。

 <了>

クリエイターコメント大変お待たせいたしました。オファー、ありがとうございました!

酷く季節外れの納品となってしまったことを伏してお詫びいたします。時系列的にはモフトピアの会戦直後辺りとお思いいただければ幸いです。
細谷様にお立ち寄りいただいた庵につきまして。モデルは某市内の「無鄰(隣)庵」です。いわゆる枯山水とは趣の違う庭園、かつ秋の行楽シーズンでも一面の紅葉とはならない場所ですが、かつての総理大臣の別邸ということで。人の少なく、落ち着ける場所が最適かなと思った為でもあります。
また、細谷様の世界の設定について、こちらでも過去のプラノベなど色々と調べさせていただきましたが、PL様のイメージと齟齬が無いことを祈るばかりです。

今回は素敵な物語をお任せいただき、ありがとうございました。
それでは、御縁がありましたら、また違う物語をお聞かせくださいませ。
公開日時2012-02-01(水) 21:10

 

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