オープニング

開かれた雨戸の向こう、夜の薄い闇が包む静かな庭の中、糸のように降り注ぐ雨の気配ばかりが広がっていた。
 畳敷きの部屋、板張りの廊下。小さな書棚やテーブル。気持ちの問題だろうか、蚊遣りの煙が空気を小さく揺らしている。

 ――怪異ナル小咄ノ蒐集ヲシテオリマス。代価トシテ、茶湯ヤ甘味、酒肴ナド御用意シテオリマス

 長屋の風体をしたチェンバーの木戸、風に揺れる浅葱色の暖簾の下に、そんな一文がしたためられた、小さな木製の看板が提げられていた。目にした客人が暖簾をくぐり、現われたチェンバーの主に案内されたのが、この部屋だった。
 雨師と名乗る男は、和装で身を包み、細くやわらかな眼光は、眼鏡の奥でゆるゆると穏やかな笑みを浮かべている。
 テーブルには酒と肴の用意が整えられていた。定食じみた食事の用意も、甘味と煎茶の用意も出来ると言う。
 
「それでは、お聞かせくださいますか?」
 言いながら、雨師は客人の前に膝を折り座った。
「あなたが経験したものでも、見聞したものでもかまいません。もちろん、創り話でも」
 怪異なものであるならば。
 そう言って、雨師は静かに客人が語り始めるのを待っている。 

品目ソロシナリオ 管理番号3042
クリエイター櫻井文規(wogu2578)
クリエイターコメント櫻井です。
季節などお構いなしに、怪談は付きまとうものなのだと思います。ええ、好きですよ。イワコデジマイワコデジマ。
ということなので、よろしければ少し立ち寄られてはいきませんか?
雨師が申しておりますように、怪異なものにまつわる話であるならば、内容は問いません。文字数の関係上、短めなものにはなるとは思います。
どうしても浮かばなければ、お題をいくつかご提示いただき、櫻井にお任せいただくという荒業もございます。

それでは、ご参加、お待ちしております。

参加者
細谷 博昭(cyea4989)ツーリスト 男 65歳 政治家

ノベル

 黒の陶器で作られた盃の中、琥珀色の波が小さな揺らぎを見せている。その波に重なるように、闇一色きりの空から細い雨が降り注いでいる。密やかに唄うような雨音は、開かれた雨戸の向こう、決して広くはない庭にひらく草木の枝葉を静かに叩き鳴らしていた。 
 その雨戸の近く、板張りの床が伸びる縁側の上で胡坐に座り、細谷博昭はひととき言葉少なに盃を口に運んでいた。チェンバーの主は雨師という名の男だ。なるほど、名は体を示すというところなのかもしれない。そんなことを考えながら幾度目かとなる盃を干し終えた博昭の横に、雨師は折り目正しく膝を折り座る。手にして来たのは盆に載せた肴の品々。とは言え、根菜の炊き合わせたものや小魚の南蛮漬けといった類の、派手さに欠けるものだ。けれど、博昭は素直に感嘆の意を述べて礼を告げ、供された品々に箸をつける。
 雨師は博昭の――このチェンバーを訪ねた客人たちの知る怪異なる話を聞きたいのだという。なるほど、この0世界という特異な場であれば、あらゆる世界群を郷里を成す者たちが、あらゆる怪異を知覚してもいるだろう。
 しばしの歓談を交わした後に、博昭は空になった盃を下ろし、幾ばくかの思索を重ねた後、真っ先に浮かんだそれを語る事とした。
 ロストナンバーとしての覚醒を迎え、ロストレイルという密室での移動の中、時間を持て余したのであろう、もはやろくに顔も覚えてはいない旅人が口にしていた話だ。

 薄く、糸のように細い三日月が、夜の空を煌々と照らしていた。それを隠す雲はひとつも無く、それを飾る星々の光も無い、文字通り、塗りこめられた墨の中、三日月ばかりの独壇場となっている。いやに白々と明るい月光だ。けれど人々は何一つ思う事もなく、常と変わらず、眠りの床に就いていた。そんな夜が幾日か続く。糸のようだった月は日を重ねる毎に膨らんでいくが、それもまた常たらん事。人々は何を思う事もないままに日常を重ねていた。
 けれど幾日目かを数えた頃からか、まだ稚さの残る子どもたちの間で、とある小さな不穏が交わされるようになっていた。
 ――夜、月が空に浮かぶ頃になると、どこからともなく口笛のような音が鳴り渡るのだという。
 その口笛に呼ばれるように、子どもたちは夢の底から目を覚ますのだ。そうしてその音がどこから響いて来ているのかを検めるため、閉じていたカーテンを静かに細く開くのだ。
 けれどそこにあるのは煌々と、白々と輝く月光の光があるばかり。
 大人たちは口を揃え、同じようにかぶりを振った。そんな音など聴こえてはこない。夢にまどろんだまま、すきま風の音でも聴いているのだろう。そう返し、子どもたちが得体の知れぬものに怯え震えるのを諌めて終わるのだ。
 雲ひとつない夜空を月ばかりが照らす。そんな夜がまだ続く。膨らみ続けている月は、ほどなく満月のそれへと変じようとしていた。
 ある夜、ひとりの子どもが寝床から起き出してベランダに立った。それに気付いた両親が息子を追って出てくると、子どもはぼうやりとした眼で月を仰ぎ、小さな指でそれを指しながら、静かに口を開いたのだという。
 ――あれはぼくたちが知っているお月様じゃない。偽者の月だ。
 妙に老成とした声音だった。
 月と息子とを見比べながら眉根をしかめる両親に、子どもはさらに言葉を継げる。
 ――本物のお月様は偽者の月に食べられてしまったんだ。そして今度はぼくたちを食べに来るんだ。ぼくたちはこの世界で、あいつらに飼育されているだけなんだ。肥え太らせて、好みの肉にして、ちょうどよくなったら捕って食べちゃうんだ。
 子どもの言葉に、両親は薄気味悪く背を凍らせもしたが、けれどやはり、息子は夢に惑っているだけなのだと判じ、寝床へと連れたってそのまま再び寝かしつけたのだという。
 翌朝、息子を起こすために部屋訪れた両親が目にしたのは、空になった寝床のみだった。それきり息子の姿は消失してしまったのだ。
 それを機に、夜な夜な子どもたちが姿を消していくようになった。例え寝床を共にし、子どもをすぐ傍に置こうとも、ほんの一瞬でも目を離してしまうと、その刹那に子どもは姿を消しているのだ。どの親も半狂乱になりつつ子どもの行方を捜したが、ただのひとりとして、その行方は杳として知れぬままだった。
 月は膨らみ、満月を終え、再び細い糸のような姿へと変じていく。
 ある夜、初めに失踪した子どもの家に、ひとりの年寄りが訪れる。彼は自分はこの家の息子であると告げ、憔悴しきった両親の前でひたすらに泣き崩れたが、両親はこの年寄りを手酷く叱りつけた後、玄関から突き飛ばしたのだ。あまりにも性質の悪い、悪辣とした仕業だ。そう言って彼を拒絶したのだ。
 老人は深く嘆いた後に、枯れ枝のような指で月を指し、しわがれた、老成とした声で告げたのだという。
 ――偽者の月を弓矢で射抜き殺してくれ。そうしないともっと酷い事が起こる。
 懸命に訴え続けた年寄りは、然るべき施設での保護という名目のもと、用意された車に詰め込まれ、両親が住まう家を後にした。年寄りはそれからもひたすらに泣き続けていたが、けれどその姿は施設に着くより前に、車中から忽然と消失してしまったのだという。
 子どもたちの失踪はそれからも続き、新月を迎える前の夜、ついに最後の子どもが姿を消してしまった。
 残された大人たちは、ようやく、年寄りが残した言葉を思い出した。
 ――月を射抜き、殺そう
 けれど仰ぎ見た夜空のどこにも月は無い。新月の晩、そこにあるのは照らすものも皆無となった、墨一色きりの暗色だったのだ。
 嘆き膝をつく大人たちの耳に、その時、風の声に似た音が一筋触れる。それはほどなくして苦しみ呻く子どもたちの声へと変じていき、ついには数知れぬ子どもたちの絶叫が、暗澹たる空の上から弓矢のように降り注いで来たのだという。

 静かな、柔かな声音で、けれども淡々と話し終えた後、博昭は新たに注がれた酒を口に運んで喉を潤した。雨はまだ降り続いている。湿った土の匂いが夜のしじまをひっそりと満たしていた。
 
 神隠しと称される現象は数多くある。山神や神魔の類に魅入られ連れ去られたのだとされる逸話も数多存在している。けれど博昭が聞いたそれは、どこか、底の見えぬものによる現象であるようにも思えるのだ。
 そこにあるのがただ文字通りの食欲だけであったならば、それゆえに何物かが子どもらを浚い、喰らっていたのであれば、そこには害意や悪意などは微塵も存在しえぬものともなる。ならば仮にその何物かに名をつけるのであれば、それは果たして何というものになるのであろうか。
 いずれにせよ、その現象はやはり、神隠しと称するものには類されるのであろう。
 博昭は盃を口に運びつつ、雨を降らす夜の空を仰ぎ眺めながら、独り言のように静かに告げた。

 ――私が元いた世界から消えたのもまた、私の故郷では神隠しなのでは、と言われているのかもしれませんね
 落としたその言葉に、雨師はしばし思案顔を浮かべ、ふと思いついたように顔を上げて口を開いた。
 ――僕たちもまた、得体の知れない何物かに喰われ、この場所で、夢を見続けているのかもしれませんね
 そう言って肯いた雨師に小さな笑みを浮かべつつ、博昭は、けれど首肯を返す事もなく、ただ静かに盃を傾けた。
 

クリエイターコメントこのたびは当ソロシナへのご参加、まことにありがとうございましたー! お久しぶりですね! お元気でしたかあああ!?(手を振りつつ)

さておき。
いただいたお題は「神隠し」。大好きな題材です。あれこれと思案し、何度かネタをとっかえひっかえしつつ書き直していましたら、お届けがギリギリになってしまいました。申し訳ありません。
ちょっと趣向を変えた内容にしてみました。ホラー調強め、といったところでしょうか。
櫻井的にはとても楽しく書かせていただきました。ありがとうございました。読み手であるPLさまにも、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。

それでは、またのご縁、心よりお待ちしております。
公開日時2013-11-09(土) 22:30

 

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