ひたり。ひたり。 うっすらと銀色に光る壁が、男の手にあるランプの光を反射する。 墓地の地下にトンネルがあり、しかもこんな風に土砂が崩れてこないよう、固めてあるということは、何者かが何らかの目的のために、このトンネルを活用しているということになる。 男は、いぶかりながら慎重に進んだ。男がこの通路を発見したのは、まったくの偶然からだった。 こんな陰鬱で、腐臭が漂ってくるような場所に、何の目的で通路が掘られたのか? 誰がわざわざ墓地などに、こんな長いトンネルを掘るというのだ? 男は、ふと足を止めた。 トンネルのずっと先から、何者かの気配が伝わってくる。男と同じように、ひたり、ひたりと、ゆっくりと進んでくる。 男は反射的にランプの光をそちらに向けた。 「‥‥お前は!」 男は思わず声をあげた。 探していた顔がそこにあったからだ。 連れて帰らなければ。 そう思って近づきながら差し伸べた手は、しかし、「何をする!?」 いきなり、相手が男の腕に噛み付いた。肉がちぎれんばかりの強さで。 さらに、相手は男の首筋に噛み付こうと、首を傾げて牙をむいているではないか! 男は渾身の力を込めてパンチを放った。 相手はよろよろと奥へよろめいた。通路の先は「く」の字状に角があって、相手はその曲がり角の向こうに姿を消した。 が、新手が角の向こうから沸いて出た。男もいる、女もいる。 二十人はいると思われた。 そしてどいつも、さきほどの相手と同じように青ざめ、うつろな表情で、緩慢な動きで‥‥だが、男が殴ろうと銃弾を浴びせようと、決して倒れることはなく、言葉をかけても応えず、邪悪な意図のみを持って男に執拗におそいかかった。 男は必死に応戦しながら、ようやく悟った。≪この者たちは不死者(ゾンビ)だ≫と。 だがそれは、恐ろしいほどの絶望の淵を覗き込むことであった。¶ ¶ ¶ それは、ありふれた失踪人事件だった。 引き受けたのは、ロレンゾ・ワン、このインヤンガイを自らの知恵と、強靭な肉体で生き抜いてきたベテラン探偵。 なぜか、失踪人サヴィー・ロンは見つからず、数ヶ月が経過した。そして、失踪人の目撃情報をようやく探偵が手に入れた、その矢先。 探偵が自殺したのだ。 遺書は残されていたらしいが、ロレンゾのたったひとりの遺族である妹で、酒場の歌姫でもあるゾフィ・ワンは、その遺書をひたかくしにし、兄の死の原因についても固く口を閉ざしている。失踪人捜索の依頼を出したサヴィーの恋人も、心労がたたってか病に臥せってしまい、話を聞ける状態ではないという。 なぜロレンゾは突然命を絶ったのか? もしかしたら、失踪人を見つけはしたものの、過って射殺してしまったので、責任をとって自殺したのではないかとか、莫大な借金があったのではないかとか、憶測が飛び交った。 失踪人事件は、うやむやのうちに、手付かずのままほうり捨てられたままになっていた。 だが、そんな中。「ロレンゾは完璧主義だった。それが、途中で自ら命を絶つなんて、どう考えても妙だ。あたしとしても、原因を知りたい」 一人の女探偵が、ロレンゾの残した事件を引き継いで解決しようと名乗り出た。 名は、アラハナ・シャーン。 ロレンゾとは何度か、協力して事件を解決したことがあり、先輩として尊敬していたという。 アラハナはロレンゾの死を深く悼み、ロレンゾの手腕を惜しみ、事件を引き継いでロレンゾの無念を晴らしたいと、何度もゾフィに申し出たが、ゾフィはかたくなに拒絶した。「兄は、誰も巻き込みたくなかった。あなたを巻き込んだらあの世で兄が怒るわ」 妖艶な外見にふさわしい、ハスキーな声で歌姫は拒絶した。「どういうことなんだ、『巻き込む』って?」「言いたくないわ」「ゾフィ、本当にこのままでいいの? 巻き込みたくないからと沈黙を守っていたら、ロレンゾは無駄死にになってしまうんじゃないのか?」 ゾフィの細い肩がぴくりと動いた。 アラハナが何度も食い下がるうちにーーー 兄の死がこのままでは無駄に終わるという一言が、ゾフィの心を揺さぶったのか、ゾフィはアラハナに、兄の遺書を差し出した。「なぜ兄が焼身自殺しなくちゃならなかったか。それを読めばわかるわ」 ゾフィは顔を背けて言った。 アラハナは食い入るように読んだ。 『ゾフィ、すまない。突然だが永遠の別れだ。 失踪人サヴィー・ロンは見つかった。最悪の形でだ。 目撃された墓地へ、俺は捜索に行った。その最南端に、小さな土まんじゅう様の、赤ん坊のなきがらがやっとひとり入れるくらいの墓がある。 その下に、地下通路へ至る扉が隠れていることにおれは気づいた。 中へ入ってみると、驚いたことに、銀色の金属壁が張り巡らされ、奥へと通じる道が続いていた。 俺はその奥へ行ってみた。もちろん武装はしていた。だが、銃に弾丸をこめてあったところで、やつらには通用しなかった。 奥から、異様に青ざめた顔の男が、ふらふらと現れた。「サヴィー・ロン?」 俺は呼びかけた。 探していた失踪人は、失踪当時の服装もそのままだった。が、名を呼びかけても失踪人は反応しなかった。 それどころか、俺に近づくと、歯をむきだし、手をふりあげ、襲い掛かった来た! 俺は何度も発砲したが、やつはびくともしなかった。 発砲音に気づいてか、さらに数人の男女が奥から出てきて、かかってきた。そいつらもサヴィー同様に、何度撃っても倒れず、緩慢な動きながらしぶとく俺につかみかかる。 手指をふっとばしても、指先がうごめいて俺を追ってくる。 俺は、遅ればせながら気づいた。やつらはゾンビだ。気づいたときには遅かった。 すでに、やつらのうち何匹かが、俺の腕や足に噛み付いていた。 俺は必死で脱出した。 聖水を浴びれば、ゾンビ化することはないはずだ。そう思って、一番近くの教会を目指した。 だが、多勢に無勢だったためと、足をやられていたので、間に合わなかった。 意識が混濁してきている。手足の感覚が無く、痛むはずの傷口も、まったく傷まない。ゾンビ化の前触れだ。おまえにこの手紙を託すのがやっとだ。ふがいない兄を許してくれ。 おまえには飲みすぎをよくとがめられたが、酒を持ち歩いていてよかった。 これからこの酒を頭からかぶり、自ら火をつけて死のうと思う。 ゾンビ化しておまえに迷惑をかけたくな』 ゆがんだ走り文字は、そこで終わっていた。ここまで書いたとき、ゾンビ化がはじまり意識が混濁したのだろう。 読み終えたアラハナは、無言で立ち上がった。 ゾフィがすがるように言う。「お願いだから、地下通路を探りに行くなんていわないで、アラハナ。あなたまで兄みたいなことになったらーー」 アラハナは、ゾフィの手をしっかりと握って、ひたと瞳を合わせた。「絶対、そんなことにはならない。あたしはロレンゾの仇をとる。 ロレンゾが失敗したのは、ひとつには、たった一人だったから。あたしは仲間を集める。 もうひとつの失敗は、ロレンゾがゾンビに適した武器を備えていなかったことだ。あたしは火矢と聖水を持っていく」 ゾフィは震える手で、アラハナの手を握り返した。「あんたのことだから、何を言っても行くだろうね。けど、仲間を連れて行くのは両刃の刃よ。仲間の一人がもしゾンビ化したら‥‥」「わかってる」 アラハナは力強くうなずく。ゾフィはすすり泣く。「ほうっておけば不死者は増える。いずれ大惨事になる。今のうちに食い止めたい、それだけなんだ」 アラハナは静かに言い切った。「私も協力するわ。一緒に行く事はできないけれど‥‥」 申し訳なさそうにゾフィはいい、言葉を切った。ゾフィたちの兄弟にはもうひとり、下に足の悪い弟がいて、今となってはゾフィだけがその弟の肉親なのだ。「ゾフィ、あなたは安全な場所にいてくれ。それがロレンゾの望みでもあるのだから」 アラハナは念を送信する機械に向かい、世界図書館への依頼を発信した。「世界図書館へ。 あたしは探偵、アラハナ・シャーン。不死者がひそむ地下通路に、一緒に討伐に行ってくれる仲間がほしい。 仲間の経験や能力は問わないが、ひとつだけ条件がある。もし、あたしがゾンビになったら、迷わず殺すと、約束してくれることーー」
●宴のはじまり それは、奇妙な顔合わせといえた。 闇の底より甦りし君主と、光もたらす騎士とが、町外れの墓地で、共に不死者達を滅しようとしているのだから。 闇の君主ボルツォーニ・アウグストは、陰鬱な場所で、むしろ居心地がよさそうに見えた。マントを翻し堂々とした足取りで墓地を横切ると、隠し扉へと案内する女探偵を労った。 「ご苦労であったな。ここからは私が先に行こう」 「大丈夫なのか?」 「地下での狩りには慣れている。心配には及ばぬ」 小さな、墓とも言えない土塚の下、錆びに覆われた扉があった。 光背負いし蒼の騎士ロイ・ベイロードが、蒼い盾で仲間たちをかばうようにしながら、ゆっくりと扉を開いた。 腐臭か、土の臭いかーー墓地を取り巻く陰鬱な気よりもさらに、悪意を帯びた「気」が中から漂ってくる。 「穴狩りか。懐かしい」 ボルツォーニが懐かしげに呟いた。 その足許から影が滑るように離れ、黒い塊となって扉の奥へと消える。目を見張っているアラハナに、彼は説明した。 「使い魔ならば、不死者に襲われようとどうということはない。先に地下道の構造がわかっていたほうが皆も動きやすかろう」 「本当に、『旅行者』って色々な人がいるんだな」 アラハナが目を見張る。 「残念ながら、私は『ヒト』とは言えぬ身なのだがな。むしろここに潜む者たちの側に近い存在だ」 ボルツォーニの返答に、アラハナが警戒の色を浮かべた。 「どういうことだ?」 「まあ、そう緊張するな。闇に属する者とはいえ、私は貴方の敵ではない。闇には闇の法があり、私はそれを犯す者は、たとえ同属とはいえ許せぬのだ」 無表情なままに淡々と言うボルツォーニだが、その唇の端から白く輝く牙がのぞいているのを、アラハナは警戒の眼で見つめている。 「心配ならば、俺の横について歩けばいい」 ロイがアラハナを庇うように声をかけた。 「では‥‥あたしは貴方の後からついていくことにしよう。あたしの武器は、後方支援向きだからな。出来れば、別な入り口を見つけてゾンビたちを挟み撃ちに出来れば、外に逃がすこともなく、感染も無いと思ったんだが」 「その役目は、僕が引き受けるよ」 メテオ・ミーティアが進み出た。ジーンズにシャツ、カジュアルな服装に身を包んだ長身の美女が、一人で別働隊を引き受けるという申し出に、アラハナは反対した。 「別働隊こそ、もしかしたら一番危険なんだぞ? たった一人では‥‥っ?」 「まかせて頂戴」 言うと同時に、メテオが両足からジェット噴射し空中に舞い上がる。アラハナは驚き、しばし固まる。 「まっすぐに伸びて、その先に「く」の字状の角があるのよね‥‥入り口から北東方面を中心に探してみようかしら?」 ボルツォーニが瞑想するかのように静かに瞑目している。使い魔から送られてくる念を受け取っているようだ。 「うむ。この地下道、一筋縄ではいかぬ構造のようだな。思いのほか深く、最奥部には湖がある」 彼の説明によれば、入り口からはまっすぐな道がしばらく続き、その奥には曲がり角。さらにその先に石室があり、そこにゾンビたちが潜んでいるという。 「わかった。出口が見当たらないのなら、湖の底に何か仕掛けがあるのかもね。とにかく僕は上空を回って、変化がないか見ておくよ」 上空から声を残し、メテオはゆっくりと墓地上空を旋回し始めた。驚きから立ち直ったアラハナは、皆から離れた場所に立っていた少年に声をかけた。 「貴方は‥‥一緒に来ないのか?」 アラハナの問いかけに、墨染ぬれ羽は沈黙のまま頭を振る。手にした武器、古風な形のマスケット銃を指差すところを見ると、武器の性質上、皆から離れていた方が戦いやすいのだということらしい。ぬれ羽は、皆から距離を十分にとって、地下道に降りると、マイペースな足取りで後からついてくる。 闇に溶け込んでしまいそうなその姿。だが少年の足取りは落ち着き払っていた。むしろこの陰気な場所での狩りを楽しんでいるようだ。きちんと暗視用ゴーグルを用意して掛けているところからもそれは見て取れた。そんな彼の歩く姿には、彼の背負ってきた運命の重さをしのばせるものがあった。 先頭を行くボルツォーニは闇の方が目が利くらしく、ひたひたと迷わず進んでいく。アラハナとロイは、ロイのかざす輝く盾の光を頼りにその後をついていく。ロイの「シャイン」の魔法で、盾が明るい光を放っている。その光を目当てに、ゾンビたちがロイに群がるのではないかとアラハナは心配したが、むしろロイはそれすらも計算のうちのようだった。 「群がってくるなら、端から切り伏せてやるまでだ。死にぞこないは始末して、事件を解決しなくては」 「‥‥いざとなれば、犠牲になるつもりか?」 「むざむざ噛まれる俺ではないさ。いずれにしろ、見知らぬ世界でも、俺の力が必要とされるってことは嬉しいことだと思う」 銀の闇の中で、快活なロイの声が響いた。 ゾンビたちのいる石室が近いとボルツォーニが皆に告げた。 「先に行くぞ」 彼の姿は、言葉と同時にアラハナたちの視界から消えていた。一方、道の奥では、侵入者たちに忍び寄ろうとしていた不死者達が、何かが視界を横切ったことに気づき、立ち止まった。ゾンビたちの朽ちかけたうつろな眼球が、ぎょろりと空しくさ迷う。 かと思うと次の瞬間、不死者の目前にボルツォーニが立っている。手にした立方体型の金属はやや小型のランチャー型銃に変じていた。 かすかに眉を顰めたのち、ボルツォーニは魔銃の引き金を引いた。閃光が闇を満たし、土くれと化したゾンビたちがくたくたと崩れていく。 「怨念も、執着も感じられぬ、操り人形か。‥‥この世にとどまる理由もあるまいな」 彼はこともなげに穢れた土くれを踏みつけ、奥へと進んでゆく。 異形の銃砲を放つ直前に、彼は闇の君主たる能力を利用してゾンビたちを支配しようと試みた。 だが、ゾンビたちの支配権を奪うことはできなかったのだった。 続いてロイが踏み込む。 ロイの輝く盾の放つ光が不死者への苦痛をもたらすのか、ゾンビたちは苦悶のうめきをあげつつロイに襲い掛かろうとした。 「死人は、大地に返れ!」 長剣を振るい、襲ってくるゾンビたちを2、3体まとめて串刺しにする。炎の呪文をかけた剣‥‥「ファイアースラッシャー」。剣の刀身は赤々と燃えており、斬られたゾンビはたちまち傷口から灰になってぼろぼろと崩れていった。それでも、生への執着を表すかのごとく残った指が、爪が這い回り、ロイ達の足に喰らいつこうとする。その残骸をも、アラハナの矢が、ぬれ羽のホーミング弾が打ち抜いていく。光と闇の攻撃が不死者たちをたちまち灰と土くれに変えた。弾が不死者たちの肉体を破壊する瞬間、ぬれ羽の肩はかすかだが嬉しげに震えている。命を奪う快感に恍惚としているようだ。 「何が原因でこんなにゾンビが‥‥?」聖水にひたした矢を弓を放ちながら駆け込んできたアラハナが荒い息を吐きながら尋ねた。 「彼らは造られた不死者だ。恨みや無念から自然発生したものではない」と、ボルツォーニ。 「一体、誰がなんのためにしたかは知らんが、むごいことをするものだな。子供のむくろまであった」 ロイが吐息とともに言った。 「死人を操り不死の軍隊として使役しようとする人間は、私の棲む世界でも珍しくはなかった。今回もそうだとは言い切れぬが‥‥」 ボルツォーニは自らの生きてきた闇の歴史を振り返り、呟くように言った。 アラハナがたずねた。 「貴方自身も、不死者だと言っていたな。だが、なぜここにいた悪霊たちのように無慈悲な殺戮をしないでいられるのだ?」 無表情なままにボルツォーニが答える。 「おそらく、甦りし時に抱いていた『思い』の深さが違うのだろう。そして少なくとも私は生ける時も死せる時も、自分なりの正義を貫いていたつもりだ」 やがてアラハナがぽつんと言った。 「確かに‥‥貴方は、不死者ではあっても、ここにいるゾンビたちとは違う存在だな」 どこかボルツォーニに他人行儀に接していたアラハナだったが、いつしか彼と肩を並べて歩き始めていた。 ゾンビたちを片付けて、さらに一同は奥へと進んだ。 しばらく行くと、行き止まりとなった。進行方向が奇妙な像を浮き彫りにした壁でさえぎられているのだ。 だが、使い魔からの情報を得ていたボルツォーニはそれが仕掛け扉だと看破していた。 「なるほど‥‥これが、何かの‥‥」 ロイが輝く盾をかざして照らしながら、その像に手を触れてみた。獣の角を持った美女が生贄らしき生首を手にしている姿を象っている。 「生首の左目が、スイッチになっている。押してみろ」 ボルツォーニの指示通り、アラハナが像に触れる。 壁がぎしぎしと軋みながら、奥へと開いた。その奥は一段と深い闇。だが、ボルツォーニの瞳には真昼と同じことだった。 「ここから先は道がいささか狭くなるぞ」 悠々と先行し、仲間たちを導く。少し歩くと、ボルツォーニは言った。 「気をつけろ!」 その言葉どおり、またしても奥から不死者たちがぞろぞろと進んでくる。ボルツォーニのマントがふわりとなびくや、その姿が消える。次の瞬間、その姿はトンネルの奥、不死者たちの背後に再び出現した。彼の小型ランチャー型魔銃が再び閃光を噴いた。土に返った不死者たちがはらはらと崩れ落ちた。 ロイが扱いなれた長剣をふるい、襲ってくるゾンビたちの胴をなぎ払った。剣からほとばしる炎が、ゾンビたちを灰に変えてゆく。 「まったく‥‥やつら、数だけは多いな」 これで、片付けたゾンビは合計20体ほど。 だが地下道にはまだ続いている。 「この先は曲がりくねった狭い道が続く。その先には地下湖がある。そこがおそらく、この地下道の最終地点だ」 ボルツォーニが使い魔からの情報を知らせた。 「最終地点‥‥ということは、そこまでゾンビどもを片付けて行けば、ゾンビは殲滅できたことになるのか?」 アラハナは額ににじむ汗をぬぐいながら言った。 「おそらくはな。だが油断はできぬぞ」 闇の君主からの重い警告。 一同はまた、黙々と歩き始めた。 ●後ろの正面 狭い道が途切れると、一気に視界が広がった。 静謐な光景が、一同の目の前に広がっていた。 地下水の溜まったものなのか、透明な水をたたえた湖が地下道の奥に広がっていた。 かなり墓地から離れたところへ来たようだ。 「メテオにも知らせておくほうが良いだろう」 ロイの意見で、トラベラーズノートで、一同の頭上はるか上を飛んでいるメテオ・ミーティアに状況を知らせておく。予想通り、地下道の最終地点の真上は、墓地からかなり離れた場所だった。 『地下道の上は街はずれだけど、ちらほら民家もあるわ。万一地下道からゾンビが逃げ出せば惨事になるわね。万一の場合には、地下湖の上の岩盤を破壊して突入するわ』 メテオからのメッセージが返ってきた。ナパームか熱戦銃での攻撃を想定していたメテオだが、人家のある町のとなればそれもためらわれる。 しかし、地下道が墓地から、町外れにつながっていたということは、地中深くめぐらせた地下道を利用して、静かで人目の少ない町外れから通行人を拉致して、ゾンビ化することも可能ではないのか。いや、この地下道を作った何者かは、既にそのようにしてゾンビを着々と増やしていたのではないか。 一同の胸に、暗い予感が去来する。 だが、目の前に広がる湖はさほど深くなさそうだ。この湖が地下道の最深部とすれば、その水底にこそ何らかの抜け道があるのかもしれない。 「歩いて渡れそうだな」アラハナが、湖に踏み込みその向こうに渡ろうとする。ロイの輝く盾が照らすその先を見れば、湖の向こう岸にバルコニーのように 水先にせり出した岩がある。水の中を歩けば、そこへ渡れそうだった。 その岩の上に、何かある。 文字を刻み込んだ石板、あるいは何か碑石のようなもの。 「待て!」 水中に踏み込みかけたアラハナを、ボルツォーニが止めた。 だが、アラハナが足を引っ込めるよりも早く、水中から伸びたゾンビの手が、彼女の足首をつかんでいた。 アラハナは反射的にボウガンを向けるが、相手は水中。炎の矢は使えない。ざばりと水をかきわけて、腐りかけたゾンビの頭部がアラハナの足元に顔を出した。ゾンビが足首に噛み付こうとする。 ホーミング弾が闇を切り裂いて飛来した。 待ってましたとばかりに、墨染ぬれ羽がマスケット銃の引き金を引いたのだった。 見事に弾はゾンビのアゴを砕き散らした。骨と腐肉が飛散し、穢れた血がばらばらと湖面に広がる。だが、水面には次々とゾンビが浮かび上がってくる。アラハナは水筒に入れて持参していた聖水を振りまいた。 ゾンビたちが苦痛の叫びをあげ、聖水のかかった部分からしゅうしゅうと煙があがる。 「聖水をこの剣に!」 ロイはアラハナの聖水を剣にかけさせた。剣の輝きが闇の中で、一層増したかに見えた。月光のごとく闇を照らす剣を振るい、ロイは水面から地面に這い移ってくるゾンビどもを斬り捨てた。聖水に清められた剣で斬られるとゾンビたちはしゅうっと煙をあげて、ひとつかみの黒い灰になり消えた。 黒い霧に姿を変えたボルツォーニがゾンビたちの脇をすり抜け、碑石の上に降り立っていた。 水中のゾンビたちが彼の気配に振り向いた瞬間。 「傀儡が」 ボルツォーニは引き金を引いた。牙をむき出した微笑とともに。 彼の手元にある異形の銃砲が、閃光を放つ。しぶとく水中から旅行者たちを狙っていたゾンビどもは、一瞬、無念そうな咆哮をあげたものの、次の瞬間には土くれと化し、藻屑のごとく地中湖に沈んでいった。 ゾンビどもの消滅を見届けると、ボルツォーニは碑石に視線を落とした。 「死こそは世界の王 死は誰の上にも平等である 我 死の忠実なる僕として 花嫁に香花を撒くごとく 死を振り撒かん」 「くだらぬ」 ボルツォーニがはき捨て、碑石を踏みにじった。 くすくすと何者かの笑う声。 碑石の傍にある小型の通信機のようなものから、その声は聞こえてきた。 【ハロー。ここにたどり着いたってことは、ゾンビちゃんを全部壊しちゃったのね。せっかくいっぱい殺して、ゾンビちゃんにしてあげたのにぃ】 言葉つきは女だが、声がハスキーで低い。そのギャップが不気味だった。 「何者だ」 【言わなーい♪ 言ってもいいけど無駄だと思うのよねー。だって、これから貴方たち、毒ガスで死ぬもん】 碑石から、シューッと蛇の這うような音が洩れてくる。 碑石の下から、神経性の毒ガスが噴出しつつあった。 インヤンガイ・某地区上空。 仲間たちからのトラベラーズノートでどの方角に進んでいるのか知らせを受けつつ、メテオは地下にいる仲間たちのはるか上空を飛んでいた。 メテオの常人の数十倍に強化された五感が異変を感じ取った。 毒ガスの臭気であった。 地下道での戦闘で毒ガス攻撃を受ければ致命的となる。 メテオはためらわず、地上に降り立ち、地盤をその視力で探査し突入しやすいポイントを探し始めた。 ある地点を探り当てると、メテオはハイパーガンを向けた。 溶岩と化した大地ががらがらと崩れ落ち、地下にひろがる湖に落ちて、ジュウッと湖の水を蒸気に変える。ぽっかり空いた大地の穴から、メテオは髪をなびかせて飛び込んだ。 「加速装置っ!」 メテオの動きは目にも止まらぬ超スピードとなり、彼女は次々とガスに咳き込んでいるアラハナやロイを抱えて救出した。 ぬれ羽は一同より離れた場所にいたため、最後に救出された。既に死の淵を超えたボルツォーニは悠然と救出を手伝い、自らは最後に脱出することにした。 トンネルの内部壁はさほど強固なものではなかったためか、メテオの空けた穴から、がらがらと岩盤が崩れ落ちてゆく。地下道は崩壊しつつあった。 脱出直前、通信機に近づくと、ボルツォーニは言った。 「ひとつ警告しておく。死をもてあそぶ者はいつか死に復讐されるのだ。死が玩具でも道具でもないことを、いつか貴方も身をもって知るさだめとなろう」 【‥‥】 憎悪に満ちた沈黙が返答の代わりとなった。 ボルツォーニはマントをふわりと体に巻きつけた。かと思うと彼の姿は蝙蝠と化し、地下道上空へと飛び去った。 ●闇に帰る どうにか帰りついたロイたちは、ゾフィ・ワンに迎えられた。ゾフィは、墓地を聖水で清めていたのだという。 「せめてあの場所にある遺骸だけでも、これ以上ゾンビが増えないようにと‥‥」 ゾフィは言い、一同に深々と頭を下げた。繰り返し礼の言葉を述べながら。 「異世界から来た人が、死をも覚悟して戦ってくれるなんて‥‥兄も草葉の陰で喜んでいるわ。ありがとう」 ロイは照れくさそうに言った。 「俺はただ、自分の願いのために動いてるだけなんだ。どの世界にも光があるようにって」 蒼く輝く鎧をまとった勇者は、笑顔を見せると、疲れもみせぬ足取りで螺旋特急に乗り込んでいった。 「貴方をゾンビどもと同一視するようなことを言って、すまなかった」 アラハナが握手の手を差し伸べたが、ボルツォーニは手を出さなかった。 「失礼。聖水の匂いはあまり好まぬのでな」 ゾンビ戦に備えて、アラハナは全身に聖水をふりかけて来ていた。 アラハナは彼が闇に属する者であることを改めて思い出し、謝罪の言葉とともに手を引っ込めた。 「だが、この事件をすべて解決したら、乾杯ぐらいは付き合っても良いぞ? ウィスキーは少しなら、飲める」 淡々とした声の中に暖かい響きを見つけて、アラハナは笑顔になった。 ◆ ーーインヤンガイ・某地区。 「ちっくしょう! 俺の地下トンネルを台無しにしやがって! もっともっと殺して、ゾンビを増やしまくってやる!」 長い髪を振り乱し、椅子を蹴飛ばして荒れ狂っているのは、アンティークドレスをまとった美少女。ーーに見えるが、その声は太く低いし、のど元に見えるのど仏、乳房のふくらみの乏しい胸、などからすると、女装の美少年なのかもしれぬ。 長身の男が荒れ狂う美少女? をいさめる。 「お静まりなさい。そもそも、お嬢様が『旅行者』たちを見くびりすぎたのが、敗因ではございませぬか?」 「うるせえっ!」 ひとしきり荒れ狂い、はあはあと荒い息をついた美少女もどきは、長身の男を見上げた。 「こうなったら、もーっと殺しまくっちゃうんだから。いいでしょ?」 長身の男は無表情だった。 「ま、いいでしょう。ゾンビが増えるのはこちらにとっては好都合。しかし、くれぐれも『旅行者』どもには気をつけた方がよろしいでしょう。巻き添えになるのは御免ですよ」 「わかってるって。私は毒使いのプリンセスなんだから」 毒々しく紅い唇が、悪意に満ちた言葉を吐いた。 銀の闇がまた、インヤンガイに広がろうとしていた。
このライターへメールを送る