絶対どうかしてる。 --いや、もともとどうかしてるヤツではあったけれども。 ここは魔法が日常茶飯事である世界。そしてフロラは魔法使い学校を卒業したばかりの予知魔法見習い。災厄や異常気象を予言する老魔女のもとで働いている、いわば魔法世界のお天気おねえさん。そんな彼女の心配ごとは、嵐でも日照りでもなく、弟のことであった。 ため息をついては本を開き、またため息をついては本を閉じたりしている。魂が抜けたみたいに。 薬草学研究家の父さんが、植物採集の帰りに「お前にだよ」と一通の手紙を弟によこして以来、ぼんやりっぷりはさらにひどくなった気がする。 「おいっ!! フロラ!見たかアレ!?」 血相を変えてフロラの兄ウルリヒが声をかけてくる。 「メルが‥‥! 自分の部屋、掃除してやがる‥‥!!」 「えええっ!?」 ここで驚くのも我ながらどうかと思うけれども。弟のメルヒオール‥‥愛称『メル』のヤツ、めったに掃除なんかする輩ではないのだ。 のぞいてみると、乱雑に積み上げられていたはずの魔法書やら、呪具やらをきちんと仕分けしている。おまけにきっちり紐でまとめたりしてーー --まるで、長い旅行にでも出かけるみたいに? 「ちょーーメル、何してんの」 振り向いた弟は、ちょっと悲しそうな顔をした。初めて見る表情。 「‥‥べつに」 「なんで突然、片付けなんか‥‥いや、片付けはしたほうがいいと思うのよ、虫なんか湧いたら困るものね。ただその‥‥なんで急にって‥‥」 「‥‥ちゃんと話す。時期が来たら」 メルはそれきり口をつぐんで、黙々と書物を紐で束ねていた。 「なんなの、なんなのあれ」 「失恋‥‥かな。あいつも一応お年頃だし」 「想像できないんだけど」 「最近お婆さん先生にいびられるって愚痴言わなくなったけど‥‥サボりすぎて退学にされたとか」 「それだったら親に連絡が行くはずよ? それにお婆さん先生って、亡くなったんだって」 あいまいな想像を繰り広げるしかなかった。 頑固なヤツである。日ごろふにゃふにゃした印象だけに思いつめたときには非常に扱いにくい。 やきもきしているフロラに、さらにウルリヒが困った顔で打ち明けた。 参ったな、俺からメルに言わなけりゃならないことがあったのに。 「ーー実はロモラが、メルにコクりたいっていってるらしいんだ」 「うそ、ユリアンの妹の!?」 フロラは内心うなった。 ウルリヒの親友のユリアンといえば評判の性格よし顔よし成績よしのおぼっちゃま、その妹のロモラといえばこれまた評判の美少女。二人とも、フロラたち兄弟とは幼馴染の関係であるが、なんでよりによってメルに惚れたのだか。 「まあ、ロモラって昔からちょっと変わった趣味してたわよね。仮装パーティーにキノコの着ぐるみ着て来たりとか‥‥」 ある意味いいコンビになりそうな気もした。ーーツッコミ不在のボケ漫才、的な。 それに、落ち込んでるときに誰かが好意を寄せてくれていると知ったら、元気が出るんじゃないかなとフロラは思った。 結局、ウルリヒとフロラ二人で力をあわせてロモラとメルを引き合わせることにした。 ーー当日、ロモラはもとより美少女(変わり者だけど)のこととて、意気込みも明らかに、銀色の巻き毛はふわふわ、胸元をスミレ石のブローチで飾り、ほんのり上気したばら色の頬も同性であるフロラからみても好ましいかぎり。 思わずフロラはきいてみる。念のために聞きたいのだけど、ほんとにうちのメルでいいの?どういうとこがいいの? 「わたしがヘンなことして皆が笑っても、メルだけは”それいいじゃん”って言ってくれるから‥‥」 ロモラははにかみながら断言した。 なんとなく納得できる。あいつああ見えて結構フトコロは深いのよね。 「同じおかずが二日続いてあいつだけは文句言わないしね」 「‥‥ってフロラ‥‥それは何も考えてないだけじゃ」 ウルリヒが小声で突っ込んだが、気にしないでおこう。 話があるからとウルリヒが呼び出したその時刻に、大幅に遅れてメルはやってきた。研究課題をやってて手が離せなかったと言い訳しつつ。 って寝癖ついとるがな!!! 盛大にフロラは心の中で突っ込んだ。ウルリヒはどうでもいい話題でごまかしつつ、少し離れた場所にいるロモラを呼ぶ。 「あっ、そこにいるのは僕の親友のユリアンの妹じゃないか。せっかくだからうちに寄っていきたまえよ。そうだ僕は用事を思い出した」(棒読み)。 「じゃ、じゃあ」 ウルリヒは二人をのこし、ぎくしゃくと物陰に去った。 「あの‥‥メル、となり座っていい? わたしね、メルと一緒に行きたいところがあるの」 「‥‥はあ‥‥」 「アニヤ湖のほとりのりんごの木‥‥そのりんごをわけあって食べると、恋人になれるって伝説があるでしょ。そこへ‥‥メルと行きたいの」 長い沈黙。 ぐぐっとロモラはメルに頬を寄せた。 「だって‥‥メルと恋人同士になりたいから‥‥」 告白ターーーーイム!! 物陰に隠れたウルリヒとフロラはぐっと拳を握り締めた。 メルがこっくりうなずいた。 「おおっ!?」 こっくり‥‥こっくり‥‥いや、うなずいているんじゃなくてあれはもしかして。 「あの‥‥メル?」そっとロモラがメルの肩に手を置く。 「ふえっ!?」 びくっと顔をあげたメルは、慌ててよだれを拭いたようだ。 寝とったんかい!!! フロラはすべてを忘れて弟の前に飛び出し、その頭頂にゴツン! とげんこをくらわした。 「とにかくあんたは、鈍感すぎるっっ!」 その日の夕食の席は緊急家族会議となった。 スープをすするメルに、青筋を立てたフロラは指をつきつけた。 その脳裏には、『いいの。‥‥心のどこかで、予想はしてたから‥‥』見事に告白をスルーされたロモラが去り際に見せた哀しい微笑。 「‥‥ロモラには悪りーと思ってる。ちゃんと謝りに行くから。今‥‥ちょっとやりたいことあるし、頭ん中、ぐちゃぐちゃしてて」 「あの、議長‥‥おかわり」 ウルリヒが遠慮がちに皿を差し出したが、フロラににらみつけられて慌ててひっこめる。 「ロモラちゃんがそんなにメルのこと思っててくれたなんてねえ‥‥そんなめったにないいい話をお前は」 母がエプロンで目元を押さえる。フロラとてまったく同感だ。 「父さんも、なんとか言ってやってよ!!」 フロラはテーブルの真ん中にいる父に顔を向けた。 父はゆっくりと口を開いた。 「ロモラちゃんに友達以上の気持ちをもてないというなら、それは仕方のないことだ。しかしな、メル。最近お前の様子がいつもと違うんで、みんな心配してるんだ。フロラもお前を励まそうと一生懸命なんだよ。これ以上行き違いが起こらないように、なんで悩んでいるのか、ちゃんと説明したらどうかな」 とつとつと語る父の言葉に、テーブルはしんと静まり返った。研究一筋にみえる父が自分の気持ちを見抜いていたことで、フロラもそれ以上何も言えなくなってしまった。 弟は本当に申し訳なさそうに言った。 「でも、今はまだ、話す気になれないから‥‥ごめん、本当にごめん」 二、三日考えさせてくれ、と。 ーーー翌朝、弟の姿は家から消えていた。 行方不明である。 当然フロラはうろたえて弟の姿を探しまわった。ウルリヒも母も同様である。 まさか、思いつめて自殺? いやいやメルに限ってそんな。もしかしたら他に好きな女の子がいて、駆け落ち! ‥‥いやそのほうがありえないって。 上を下への大騒ぎを演じる家族を尻目に、父だけは泰然と落ち着いていた。 何か一人で考えたいことがあったんだろう。 あの子は時間はかかるが、決めたことはやり遂げる。見守ってやろう。 そういったきり、研究に没頭している。 いなくなったときと同じく唐突に、メルはふらりと帰宅した。 ーーと思うとーー 次々に自室の荷物を、庭先に運び出し始めた。 「何してんのメル!? 今までどうしてたのよ、どこにいたの?」 フロラと母が交互に攻め立てるのをものともせず、メルは淡々と。 「今日から、別んとこで暮らすことにしたから」 「はっ!?」 フオォォォ‥‥と怒りが陽炎のごとく二人の体から立ち昇る。なによいきなり。そんな勝手な。 「さんざ迷ったけどーーやっぱり、引き受けようと思って。ババアの遺産」 弟が真面目な顔で言う。 「ババアって‥‥ああ、例のお婆さん先生のこと?」 なぜか弟に目をかけてくれる魔法学校の先生がいて、弟がその先生を「あのババア」と口をきわめてののしっていたのをフロラは思い出す。厳しくて、毒舌で、人使いは果てしなく荒いとか。 そのお婆さん先生が亡くなったことも、風の噂で聞いた。弟は別に涙するでもなく、失望した風でもなく、--ただ、そういえば、その噂を聞いたのとメルがひどく無口になったのはほぼ同時期だった。 ババア、なにをとち狂ったのか、俺に遺産をくれてやるってさ。たいしたもんじゃないけど、すげー量の魔法書と、アホみたいに高い塔。 こっちに運び込もうかとも思ったけど、壁に埋め込まれてる資料とかもあるみたいで、守護呪文かかってて解くの、時間かかるし。何よりそこで暮らしたら、ババアの考えが分かりやすい気がするしーー いつのまにか傍に来ていた父が、穏やかに言った。 「そうか。体には気をつけて、うちにも時々は連絡をよこしなさい」 「ちょ、お父さん!? 許しちゃうの!?」 フロラに続いて母が、メルに詰め寄った。 「なん‥‥で、そんな大事なこと、一人で決めるのよ。いつも言ってるじゃないの。迷ったら家族に相談しなさいって」 「ごめん。でも、‥‥」 メルが言葉に詰まる。 「そうやって迷うことも、お婆さん先生の課題だと、思ったんだね」 父が言葉を補った。 なによ、男同士で分かり合っちゃって。父を睨もうとしたら、父が微笑みかけてきた。お前の気持ちは分かっているよといわんばかりに。 ただ、いかにも弟らしい気はした。お婆さん先生にそんなにも信頼され、期待されて。そのくせその思いを受け止めかねてうろたえて。 だけど、コイツは逃げない。かっこよくスカッとはいかないけど、マジかよ俺かよなんでだよと悶えながらだけれど。 そうよね、こう見えて結構フトコロは深いのよね。 とは、声に出してはいわなかった。ーー知らぬ間に、泣き笑いしている自分に気づいたからだ。 弟は結局、翌日に引越しを敢行した。フロラは当然、手伝ってなんかやらないと突っぱねた。散々心配させたうえ勝手に決めたんだから、勝手に出て行けばいい。逆に邪魔してやった。引越し作業でお腹がすくでしょ、とお弁当を持たせてやったのだ。 いきなり荷物が増えて悩むがいいわ。うふふ。 ほくそえむフロラは、引越し前の家族の食卓を思い出していた。 フロラは弟に誓わせた。離れていても、いつもとなりに、私達がいるつもりで暮らすこと、と。 三日に一度はきっちり朝おきること。でないと優等生のウルリヒが心配するから。お風呂は毎日入ること。でないと母さんが叱るから。 服の洗濯と掃除も忘れないで。でないとフロラが怒り狂うから。 「彼女が出来たら紹介するのよ。それと、たまに急襲してあげるから‥‥見られて困るようなことだけはしないように、ね」 フロラの宣言に弟は青ざめていた。 「うへーー疲れたーー」 ようやっと塔に荷物を運び込み、荷物をあるべき場所に片付けーーるのはめんどくさいので明日以降ぼちぼちやっていくことにするが、どうにか自分ひとりが眠れるぐらいのスペースを確保して。 メルヒオールは姉が持たせてくれたお弁当を広げた。うまそうなフライがつまっていたが、用心深くひとつずつついてみたら、そのうちひとつから激辛 ソースが流れ出た。‥‥やりやがったな、姉貴。 ソースをよけて用心深く口に運ぼうとして、 ーーおっと。 「いただきます」 メルヒオールはつぶやく。応える声はなく、石の壁にメルヒオールの声が吸い込まれるだけだったが‥‥ 一人だけど、一人じゃないから。 なぜなら、家族がいる。ーーいつもとなりに。 『手、洗った、メル!?』『あっ、母さん、俺の皿魚が一匹少ない!』『そのぶんパンが大きいじゃない! なによウルリヒの食いしん坊!』 メルヒオールの中には、家族の声が聞こえる気がした。くすっと笑って若き魔法使いは食事を始めた。
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