ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。 希望の階(きざはし)・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。●ご案内このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか?このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが見つけたいもの(「美味しい魚が食べられるお店」など)・それを見つけるための方法・目的のものを見つけた場合の反応や行動などを書くようにして下さい。「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。
「はじめてのおつかいっ!」 小麦色の毛皮をお陽さまにぴかぴか光らせて、犬の妖精ウルズはしゃきーん! と背筋を伸ばす。 「おつかいなのにゃー!」 白銀色の毛皮と髭を潮風につやつやなびかせて、猫の妖精ラグズもしゃきーん! と肉球の前肢を挙げる。 小さな犬と猫の妖精は、普段は喋ることが出来ない。けれど、今ばかりは、ふたりを生み出した『お父さん』の力を得て、話すことが出来る。 今日の冒険の主役はウルズとラグズのふたりだ。 お父さんはふたりを創ってくれた。 お父さんはふたりを、お父さんと同じ世界に立たせてくれた。大好きなお父さんと一緒の世界に存在することが出来る。傍に居ることが出来る。それはなんて素敵なことだろう。 お父さんの役に立ちたい。 頭を撫でて、笑いかけてほしい。 きちんとおつかいをこなせれば、お父さんはきっと喜んでくれる。 きっと、いつもよりも喜んでくれる。だってここは、あの臭いがしない。血も、炎も煙も、鼻に突き刺さるあの怖い臭いがしない。あったかいお陽さまの匂いで溢れている。お陽さまと海と、魚の匂い。 わふぅ、とウルズが興奮気味に声をあげる。 「おつかいのメモ、おかね、」 とっておきの宝物のように、ウルズは片手ずつにメモとお金を掲げる。しゃきーん! 「お父さんからあずかった!」 大事なものは鞄の底に大事に仕舞いこむ。これはなくしちゃいけないもの。お父さんが欲しいと言っていたものを手に入れるためのだいじなもの。 お父さんは絵本を描く。綺麗な絵の具を使って、とても綺麗な絵と素敵な物語を。それはとっても、素敵なこと。きっととても楽しいこと。だってあの時から笑えなくなったお父さんは、絵筆を持っているときは、ほんの少しだけ、穏かな眼をする。 あの眼を覆う、冷たい氷みたいな眼鏡を外せば、きっともっと笑ってくれる気がするのだけれど。そんなことを思いながら、ラグズはウルズに倣って地図を掲げる。しゃきーん! 「お父さんからもらったおみせへのちず!」 白銀の尻尾をぴんと立てる。 「これをたよりにおつかいなのにゃ!」 お店に行って、絵の具を買って、お父さんの待つ宿に帰ったら、とラグズは深い空色の眼を細める。お父さんの眼鏡をどうにかして外してもらおう。何なら頭によじ登ってでも。お父さんの笑顔を隠しているのはあの氷の眼鏡だ。それくらい知ってる。 お父さんが笑うと嬉しくなる。心がことことと飛び跳ねる。笑っていなくても大好きだけど、笑ってるお父さんはもっと大好きだ。 「ラグズ、まいごにならないよーに、しっかりぼくについてくるんだぞ」 先に駆け出したウルズが振り返る。はやくいこう、と石畳の道をその場でぐるぐる回る。 「ウルズ」 まってまって、とラグズは地図を広げる。はじめてのおつかい、まずはちゃんと目的のおみせに辿り着かなくちゃ。 「みー、このまち、みちがフクザツなのにゃ」 お父さんの字と絵で書かれた地図と、目の前に広がる潮風の街とを見比べる。 重なる軒と、あちこちに枝分かれして広がる路地と。お父さんと通った大きな市場の通りには、大きな船がたくさん停泊する大きな港もあった。地下にはロストレイルの停車する駅だってあるのだ。 「まいごになっちゃいそうなのにゃ」 地図と道を真剣に見比べて、ラグズは首を傾げる。 「よりみちしたらお父さんにおこられるんだぞー!」 立ち止まるラグズに呼びかけながら、ウルズはぐるぐる回る。ふと足を止めたと思えば、次の瞬間、道の先へと駆け出す。おみせはきっとあっちだ! 「そっちいっちゃだめなのにゃ、」 ラグズは地図を両手に、慌てて声をあげる。 「そっちはおみせじゃないのにゃ!」 呼ばわるのに、おつかいに一生懸命なウルズには聞こえない。白い壁に挟まれた路地を一心に走る。石の階段を飛び跳ねるように登る。ついでに道端の鉢植えも思い切りひとっとび。道行くひとの足元だって駆け抜けてしまう。 「よりみちしたらお父さんにおこられるのにゃー!」 地図を抱きしめて、ラグズは大声を出す。お父さんとウルズと、色違いでお揃いのローブの裾を潮風に揺らして、駆け出す。置いてけぼりになってしまってはいけない。ウルズを追いかけなくては。 入り組んだ路地のどこかにウルズの姿は隠れてしまったけれど、大丈夫。同じところから、同じひとから生まれたふたりは、お互いの位置がなんとなく分かる。 お父さんの描く花のような可愛い白い花が揺れる花壇の脇を過ぎて、潮風に吹かれて転がる緑色の葉っぱにちょっとだけうっかりじゃれついて、石階段の赤錆びた手摺の上を身軽に歩いて。心の通りに探せば、見失ったウルズはすぐに見つけ出せる。 「ウルズー!」 ウルズは路地の真ん中に立って、屋根の隙間から流れ込む潮風の匂いを嗅いでいた。尖った耳がぴくりと先にラグズを向く。 「ラグズー!」 迷子の気持ちになっていたらしい。ラグズを振り返った途端、不安そうに垂れ下がっていた尻尾がくるんと勢いよく持ち上がる。 「ちず! ちずみていくにゃ!」 ラグズの差し出す地図をふたりで覗き込む。ふたりで地図を頼りに道を行けば、もう迷わない。路地を幾つか抜けて、大通りの市場を横切って、海に臨んだ商店街の隅っこ、蜂蜜色煉瓦の壁の画材店を見つける。 あったかい煉瓦の壁に背中をくっつけて、白い子犬と黒い子猫が並んで昼寝をしている。思わず一緒に転がりたくなる気持ちをぐっと抑えて、 「えのぐ、くださいー!」 「このメモにかいてあるいろのえのぐー!」 ちりん、と涼しげに鳴る鈴の掛けられた扉を潜る。色んな大きさのキャンバスに額縁、色鉛筆にスケッチブックに絵の具に筆に、山と並んだ画材の奥から、店主の女がはいはい、と出て来る。 「可愛らしいお使いだねえ」 ウルズの小さな手からメモを受け取り、待っててね、と絵の具を揃えに奥に一度引っ込む。彼女には、ふたりは異国のこどもに見えるのかもしれない。 首を傾げて耳を澄ませて、大人しくじっと待つウルズに、背後から子犬が飛び掛る。画材を眺めるラグズを子猫が肉球で突っつく。 「あそぼう!」 「ちょっとだけにゃ!」 みんなで転がるように外へと駆け出す。 ウルズが子犬と転げまわる。ラグズが子猫と追いかけっこを始める。 「あらまあ」 メモ通りの絵の具の色を布袋に詰め終えた店の主人が顔を覗かせた。道で跳ね回るこどもたちを眺め、楽しそうねえ、とこちらも楽しそうにくすくす笑う。 それを見て、ふたりが思うのはひとつきり。 ――お父さんも、こうしてわらってくれたらなぁ 帰り道をふたりは駆け抜ける。地図はもういらない。迷子にはならない。お父さんのいる宿の位置はなんとなくわかる。だってふたりはお父さんが創ってくれた世界のこどもだから。 宿の部屋の扉をいっせーので開ける。こちらに背を向け、お父さんは机で書き物をしていた。 「ただいまー!」 ウルズとラグズ、ふたりは声を揃える。お父さんが振り返ってくれる。 「おかえり」 おかえり、の言葉が堪らなく嬉しい。 お父さんが一瞬、ほんの一瞬だけ、淡く微笑んだ。その一瞬で、ふたりはもうとんでもなく嬉しくなる。 ウルズはおつかいに頼まれた絵の具の入った布袋を誇らしげに掲げる。ラグズは一目散にお父さんの足元に駆け寄る。一跳びでお父さんの肩へと飛び乗る。 「ただいま!」 ふたりでもう一度言って、笑う。 「おかえり」 終
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