「二人はどうやって覚醒したのか……?」 その言葉は、不意打ちに投げ込まれたボールのようにアインスの注意を引いた。 カウンター内で手を動かしていたアインスは、作業の手を止めて、料理を待つ客へと目を向けた。 この店をきりもりする、アインスとツヴァイの双子の兄弟がどのようにして覚醒したのか。 先ほど料理を注文して、待つ時間のあいだに、是非とも話を聞きたい――というのだ。 アインスの青い眸が一瞬の迷いから、ふっと笑みを浮かべる。そのとき窓から差し込む光の加減で、青い眸が、薄い緑青へと色を変える。 一瞬の、迷いは立ちきられ、アインスは再び手を動かし、客の前に淹れたての紅茶、ついでにクッキーを二つ添えてそっと置いた。 「少し長い話になるから、飲みながら聞くといい」 優しい紅茶の匂いにつつまれた店のなかで、アインスは口を開いた。 ★ ★ ★ ――王の血をひく二つの星の輝きを失わせることを願う 不吉な言葉は、まるで空を覆い尽くす白い蒸気のように、すべてが鉄で作られた国を瞬く間に駆け巡り、黒い悪意は何も寄せつけぬ鉄で作られた堅牢な城にも入り込んだ。 この事態を重くみた王によって、二人の王子に護衛をつけられた。 冷ややかな鉄は気まぐれに顔を変える四季とは違い、確実に豊かさを約束し、国は栄え、赤ん坊が大人へとなるように急速な成長を遂げた。 ほとんどの建物は鉄によって作られ、寒さも暑さからも、さらには災害からも守られる。唯一の難題を言えば蒸気機関が発達したことによって白い煙が多い――くらいのものだ。 戦は過去の産物と化し、立憲主君国となり、概ね平和で――人は永久に湧きたつ泉の水をすするように、ずっと豊かさを味わっていた。 太陽が完全に沈み切り、ひんやりとした空気が広がる夜。 白い蒸気によって空は覆われた灰色の空。 まだ早い時刻であるが、鉄の城には静寂が訪れていた。 その一角にあるアインスの部屋は、しっかりと扉が閉ざされていた。外にいる護衛に兄弟二人の会話が聞かれることのないようにとの処置だ。 「うー」 部屋は主の性格を映す鏡というが、この部屋は主のアインスの性格をそのまま形にしたように、落ち着きとぴんと糸を張ったような品に満たされていた。 その部屋でツヴァイはまるで冬眠前の熊のようにのろのろと落ちつきなく、きっかり二度、部屋を右の端から左の端まで往復したあとたまらず口を開いた。 「兄貴、行かないつもりなのか? 俺はいやだぜ!」 ツヴァイが声を荒らげたのに、アインスはぴくりと片眉を神経質に持ちあげた。 「声が大きい。護衛に気がつかれたらどうするつもりだ」 ぴしゃりとアインスが口にすると、ツヴァイは不満げに口をへの字にして閉ざした。しかし、青い眸が何か言いたげであったが、それも、アインスの白刃のまなざしによって切り捨てられた。 同じ父と母を持ちながら、さらにはほぼ同じ環境だというのにどうしてこうも違うのか。――たまにアインスは弟を見ていると素朴な疑問を覚える。 それほど、双子だというのにこの兄弟は似ていなかった。 火と氷。 二人の王子のことをたえとえるならば、その言葉ほどに的確なものはない。弟のツヴァイは燃える炎のような赤髪に、青い眸。たいして兄であるアインスは空色の髪の毛と冬の泉のような深い水色の眸をしていた。 眸の髪の毛の色の違いもそうだが、顔立ちもアインスが落ち着きのあるのにたいして、ツヴァイはどちらかというとやんちゃさを色濃く残した子供ぽさが目立つ。二人を横に並べて見ても、似ているところを探すほうが難しいほどだ。 「まったく、暗殺者などめんどうなことを」 アインスはため息をついた。 護衛に周りをうろうろとされる監視されるような日々にはアインスも正直辟易としていた。 だからこそ、二人は定例行事としている城下町に遊びに行くという予定をどうしても変更したくなかった。ここで外に出ないでいたら陸にあげられた魚のように呼吸困難になって死んでしまう。 どのような堅牢な城とて、入口がないこともない、また王族だけが知る隠し通路もある。 その道を使い二人は定期的に外に出て、羽を伸ばしていた。 幼いときには世間から隔離されたことへの反発と、純粋に外の世界へと焦がれる興味。だがなによりも一番大きい割合を占めるのは王位継承権を持つという重みから、一時でも自由になる時間を求める気持ちからだった。 王族であることの誇り、国を愛する気持ちはあるが、自由を求める気持ちはどうしても捨てられないでいた。 たった一時の息を吐きだす時間。それさえあればあとは我慢できる。 その一点においては、日ごろはあまり気が合わない二人であるが、珍しいほどに意見は合致した。そしてこのときだけは一時休戦、協力することを決めていた。 「俺、このままだと本気で倒れちまうぜ」 ツヴァイが文句を垂れ流すが、アインスにはよくわかる。日々のプレッシャーだけでも相当なのに、四六時中監視するように護衛がついてストレスはいつもの倍に膨れ上がり、精神的にも肉体的にも追い詰められていた。 このままでは空気を入れすぎた風船のようにぱんと弾けてしまう。 「絶対に、絶対に、今日は」 「わかったから、あまり大声を出すな」 ツヴァイの口を手で押さえこみ、アインスはちらりと扉を見た。幸いにも護衛には自分たちの会話は聞こえていないのを生まれ持ったときにある特殊な力――相手の心を読みとることのできる力で確認し、視線を弟へと向けた。 「俺だって外に出たい。だから、今日の予定は変えるつもりはない」 口を押さえられて抵抗しようとしたツヴァイだが、その言葉には動きをとめて、かわりに顔にはぱっと笑みが広がる。 「お前は外に出たときの用意しにいけ。護衛は俺がまくから、いいな?」 こくこくとツヴァイが頷くのにアインスはにやりと笑って頷き返した。 護衛を撒くのはアインスにしてみればさしたる難しさはなかった。まずツヴァイだけを部屋に残して部屋を出た。護衛を連れて城のなかを歩きながら、彼らの注意が散漫になったのを見計らって、王族にしか知らない隠し通路も使って逃げた。 護衛には悪いとは思ったが、このまま気が狂うまで鉄の箱庭のなかにいる気はまったくなかった。 王族しか知らない秘密の抜け道を使い、二人がいつも外へと出るための地下まできた。 地下の今はもう使われていない下水路こそが二人のための抜け道となってくれていた。そこでツヴァイを待っていると冷たい殺意を背中に感じた。 「何者だ」 まるで肌を鋭い針でちくちくと刺したような痛みにアインスは表情をかたくさせた。 暗闇から、黒装束の者が三人――彼らは無言でアインスを取り囲んだ。 「……お前たちは」 無言で刃を抜く三人に――暗殺者だと悟った。 艶やかな銀の刃は冷たく、それが愚かにも護衛を撒いたアインスを嘲笑っているようであった。 少しの油断が、気の緩みが、己の命の炎を失う結果となるのだと。 口惜しいほどの悔しさを心のなかで噛み殺し、暗殺者の背景に誰がいるのかと頭のなかで必死に考えながら、アインスは地下の入り口にあたる壁に慌てて隠れるツヴァイの姿を認めた。幸いにも暗殺者は気が付いていない。 「……私の命はくれてやるから弟は助けろ。お前たちはこの平和な国に再び争いを与えたいのか? 王位継承権が二人いることが、争いの種となるならば一人殺せばいいだろう。 民と国のためというならば、この首一つくれてやる覚悟はある」 凛とした声でアインスは告げるのに、ゆら、と暗殺者たちが動く。 三つの刃が妖しく輝きを放つ。 暗殺者が間合いを詰める。 アインスは拳を握りしめ、足に力をいれた。その刃から逃げないことが己が口にした言葉を暗殺者たちに訴える唯一の方法として 「兄貴!」 三つの刃が、アインスに向かってきたとき、突然と声があがった。 暗殺者たちが動きをとめて、振り返る。 隠れていたはずのツヴァイが怒りに満ちた目で暗殺者たちを睨みつける。 「……ツヴァイ」 希望が絶望に彩られ、震えた声がアインスから漏れた。 ツヴァイに向かって暗殺者の一人が走る。その振るう刃をツヴァイはぎりぎりで避けると、敵を殴り倒し、アインスに駆け寄って行く。まるで炎の球のように。迷いもなく、躊躇いもなく、燃えていくかのように。 二人目の暗殺者を倒したが、その刃によってツヴァイの腕は切り裂かれ、血が滴り落ちる。 「ツヴァイ!」 思わずアインスが駆け寄ろうとしたとき、彼の近くにいた暗殺者が大きく刃を振った。 「っ!」 ツヴァイが冷たい地面を力いっぱい蹴って、アインスの体に突撃する。 捨て身の体当たりだった。 そして、振りかざされた刃は迷いもなく、――振り下ろされた。 濃厚な血の匂い。 消えていく炎のかわりに黒に近い血が広がって行く。 地面に転げたアインスが顔をあげたとき、どす黒く塗りつぶされた絶望が視界を満たし、吐き気と眩暈がこみあげてきた 倒れた、もう動かない肉体に突き刺さった刃を暗殺者は抜き取ると、アインスに向けて躊躇うこともなく振われた。 ★ ★ ★ そのあとすぐに、肉体と魂の浮くような感覚に襲われ、無意識にも手を伸ばしていた。 そして気がついたと、弟とともにターミナルにいたんだ。 ★ ★ ★ 「……と言うのが私たちの覚醒した経緯だ。感動的だろう? この兄弟愛は――」 「嘘つけ!」 アインスが話をまとめたのに、奥にいたツヴァイが両手に出来たての料理を盛った皿を持って怒鳴った。 そのまま兄のアインスに向かうかと思われたが、先に料理を客の前へと置く――そして、きっちりと仕事を終えたツヴァイはアインスに向き直ると、片手にふきんを握りしめて全身を怒りに戦慄かせた。 「俺達が覚醒したのはお前の黒魔じゅぐふぅっ」 ツヴァイの口にはクッキーが押し込められ、咽こんだ隙をついてアインスは無言で一撃必殺の拳を放った。 それは見事にツヴァイの腹にきまり、ぐぅという咽る声とともに、カウンターに力なく突っ伏す。白目まで剥いている。 と、アインスがその首根っ子を掴むと、輝くような笑顔を客へと向けた。 「ハハハ。さて、諸君はそのままゆっくり食事を摂ってくれ。私はこの愚弟を再教育しなければいけないからな」 それだけいうと、ずるずると昏睡したツヴァイを連れて店の奥へと消えた。 残された客は、あまりのことに感動の涙もひっこんでしまい、呆然とした。しばし思案したあと、仕方なく、触らぬアインスにたたりなしとツヴァイの運んでくれた料理が冷めてしまう前に食することに決めた。
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