まるで子供の頭を撫でるような優しい日差しは、いつの間にかラムネが弾けた爽やかなものへと変化していた。 夏。 命がその輝きを最も強く顔を出す季節。 葉は青々と茂った葉が風によって擦れ合う、虫たちの囁き、鳥の歌声、さらさらと流れる水音、それらが重なり合うのはさながら協奏曲のように聞く者の心を和ませる。 「おお、本当に人がいねぇ!」 「空気がとても澄んでいるな」 目の前に広がる光景に感動の声を漏らすのは燃える太陽のような赤髪が特徴のツヴァイと清涼な青の髪をしたアインス。 「本当、とってもきれい……」 「ああ、こりゃ穴場だ。よくこんなところを見つけたな。時光」 控えめに微笑むコレット・ネロとその横には荷物を背負った金色の毛並みが美しい狼族のオルグ・ラルヴァローグ。 「本当だな。すげー見なおした!」 「お前に見直されても仕方ないんじゃないのか、ツヴァイ……私もいいところに誘われてとても嬉しいよ」 「私も……とっても素敵に連れてきてもらって嬉しいわ」 「喜んでいただけて拙者としても嬉しいでござるよ」 雪峰時光は照れ笑いを浮かべた。 壱番世界の依頼中に偶然、人のあまりこない素敵なキャンプ場を知り、一度下見をして、ここなら友人たちとささやかな休暇が楽しめると思ったが、予想以上に彼らが感動してくれて嬉しいばかりだ。 「よっこいせっと」 オルグが背負っていた荷物を降ろす横で、コレットも背負っていたリュックを背の低い草の上へと降ろす。 つるつるとした丸い石が敷き詰められ、その先には白い砂、そして透明度の高い水が流れ、周りは背の高い木々が並んできつい日差しを遮って地上にパズルのような影を作りだしている。 「さてと、まずは……おい、ツヴァイ、アインス、お前ら働けよ! 働かないとメシ抜きだぞ!」 「おー! やるやる!」 「働かざる者、食うべからず……それに」 ちらりとアインスの視線はコレットへと向く。 ――こういうところで男の価値はわかるというものだ。 またツヴァイも似たようなことを考えていた。 ――コレットにかっこいい姿を見てほしい! 二人揃って、拳をぐっ! と握りしめる。 「役割分担は、コレットは飯だな。期待してるからな」 この場で誰よりも野宿の経験があるオルグが自然と仕切る形になるが誰も文句はない。 「うん。がんばっておいしい料理、作るね」 コレットがにこりと笑って食材がはいっているリュックを持って、テントを張る横のスペースにあるコンクリート作りの野外炊事場に向かった。 オルグはこの場に残った男たちを見回した。 「さてと、俺らだがまずはテントだが……」 テント張り。 キャンプでは花形ともいえる仕事だ。 「俺、やる、俺!」 「私がやろう」 さすが双子、手をあげるのも、言いだすのもほぼ同時。 とはいえ本人たちにはあまりも嬉しくないタイミング。 無言で兄弟を睨みつける。 ばちりっとツヴァイとアインスの間で見えない火花がばちばちと散っている。 「あー、じゃあ二人でやれよ。テントを張るのは大変だしな」 「「えっ」」 やはり双子。息ぴったりの反応。 「じゃあ、任せたぜ」 双子をあっさりと切り捨てて、オルグは時光と向きあう。やる事は山のようにあるのだ。いちいち二人の諍いにかかわってはいられない。 「俺らはどうする?」 「拙者は釣り道具を持ってきたで、夕食のおかずを一つ増やそうと思うでござる」 釣竿を取り出して提案する時光。 「そうだな。俺は木の実でもとっておかずを増やすか。どうせ火を焚くためにも薪がいるからな」 「うむ。では、拙者はここから少し奥にいってみるでござるよ」 「ああ、じゃあ、お前ら二人ともなかよく……」 振り返ったオルグの言葉は最後まで続かなかった。 絶対零度の笑顔のアインス、やや劣勢になっているが背にメラメラと炎を燃やしたツヴァイが互いにトンカチを持って睨みあっている。 「どうして言うことが聞けないんだ? お前は」 「こんなのただ釘を打てばいいんだろう?」 「はぁ……同じ血を引いているというのにこの物分かりの悪さときたら。きっと母の体内に人として大切な知識をすべて置き去りにしてきたんだな。可哀そうに」 「! ん、だと」 そもそもこの二人に仲良く作業をしろというのがそもそもの間違いだった。――オルグは内心諦めて明後日の方向を見た。ああ、川のせせらぎが綺麗だな。 「二人とも、まだ数分も経っていないのに喧嘩を……どうしでござるか」 「喧嘩じゃねーよ。兄貴が、俺にテントをひっぱって、釘を持てって言うんだよ。固定作業は自分がするからって」 「効率がいいだろう?」 「なんで俺だけそんな地味な作業なんだよ……ついうっかりとかいって手をハンマーで打たれちまいそうだし」 「そんな見え見えのことはしないさ。……おっと手が滑った」 ぽろりとアインスの手からハンマーがわざとらしく、計算され尽くした角度でツヴァイの右足の、それも小指に落ちる。 「っ!」 痛みに悲鳴もあげられず、天を仰ぐツヴァイ。これは痛い。 「ははは、すまない。ハンマーが落ちてしまった……どうした、水虫にでも咬まれたか?」 アインスはにこにこと笑顔で落したハンマーを拾い上げて尋ねる。目が笑っていない。 「お前ら……」 「仲良くするでござるよ。せっかくのキャンプなのでござるから」 オルグと時光はあきれ果て、ほぼ同時にはぁとため息をついた。 「あー、もう、仕方ねぇな。ツヴァイ、俺と山に行って木の実拾いをしないか? あと薪も必要だからな。必要なもの集めたらコレットが喜ぶぜ? それに山の中は体を動かすと気持ちいいぞ」 「……行く!」 毛を逆立てた猫状態であったツヴァイは体を動かせ、コレットが喜ぶというのに即座に反応した。 ――単純なやつでよかった。 そんな内心などおくびにもださずにオルグはツヴァイの肩を宥めるように叩く。 「よし、行くか。じゃあ、テント張り、頼んだぜ」 「ああ、わかった。愚弟の面倒は大変だろうが、お願いする」 テント張りの仕事を任せられたアインスが極上の微笑みを浮かべて、手をひらひらと振る。 それに何か言い返そうとするツヴァイの首根っこを掴んでオルグはずるずると山の奥へと歩き出した。付き合っていては日が暮れてしまう。 「さて、拙者も……」 釣竿と籠を片手に時光はキャンプ場から川を辿って進むことを決意した。 つるつるとした大小様々な小石を踏みしめ、奥へ、奥へと進んでゆくと足を止めた。 「これは……」 きらきらと太陽の日差しを浴びて煌めく川のさきに赤茶色の大きな岩が口を開けている。 穴は人一人がと通れるくらいのトンネルとなっていて、奥からただどどどどとぉぉぉと大きな水を打つ音が聞こえてくる。 少し気になったのもあり、釣竿と籠をトンネルの手前に置いて中へと進んだ。ぬるぬるとした湿った岩を転げないように注意して歩いていくと、時光は目を見張った。 奥の突き当たりには天から差し込む光の下、小さな滝があった。水面を覗き込むと、透明な水の底に敷きつめられている白い砂まではっきりと見る。 「きれいでござるな。しかし、ここは水がきれいすぎて魚はおらぬようだ」 魚はいなくても、こんなにも素敵なところならば仲間たちを連れてくるのもいいだろう。 時光は引き返すと、洞窟の前にある大きな岩に腰かけて、釣竿を川のなかへとたらした。 すると数分も経たずに元気のよい魚がかかり、これだったらすぐに人数分の魚は確保できると口元に笑みを浮かべた。 各自が仕事に精を出し、時間は瞬く間に過ぎていった。 太陽が傾き、茜色に世界が染まり出す。 アインスは張り終えたテントを見て満足げな笑みを口元に浮かべた。我ながら見事な出来だ。 「しかし、我が愚弟とオルグは戻ってこないな」 心配……といえば、弟が思いっきり馬鹿をして――たとえば穴に落ちるとか、登った木から降りれなくなったりとか、それでオルグに迷惑をかけていないかということだ。もういっそ見捨ててもいい……などと冷たく考えていると 「木の実と、薪をとったどー!」 「ふぅ、ようやく出れたな」 両手をあげて笑顔のツヴァイ。その後ろから木の実を籠いっぱいに抱えたオルグが息をつく。 二人とも泥だらけで真っ黒だ。 ひゅんっ! ――はっ 殺気 長年培ってきた危機察知能力でツヴァイはさっと後ろへと逃げると、どすっと地面にハンマーが落ちている。 「っ!」 「なんだ、ツヴァイ、それにオルグだったのか。いきなりだったから熊かと」 「声をあげただろう! この馬鹿兄貴っ」 「その形で私と同じ血が繋がっている人族と判断するは無理だ。どうみても猿の化物だぞ」 「なんだとー! うっきーっていうぞ!」 二人の低レベルになりつつある争いを止めたのはオルグだ。 「落ちつけ、落ち着け……確かに、泥だけだからな。あーあ、かなり汚れちまったな。毛が真っ黒だ」 かるく腕を持ち上げて苦笑いを零すオルグ。 せっかく自慢の黄金色の毛が、これでは黒狼だ。 「すまない、オルグ。弟がきっと穴に落ちたり、木から降りれなかったり、坂から転げたりとしたんだろう?」 「っ! 千里眼でもあるのかよ!」 すべて当たっているのが恐ろしい。 「お前の行動なんてだいたい予想がつく」 「うー」 口では絶対に勝てないツヴァイは、悔しげなうめき声をあげる。 「まぁ、採ってきたものを降ろそうぜ」 オルグが置いた籠には赤、青、黄、茶と色とりどりの木の実、キノコ、野草……山の豊富な幸がこれでもかというほどにいっぱいだ。 「みんな食べられるから、スープの具にもなるぜ」 「さすが、オルグ……で、お前は木の枝をひたすらに拾って来たんだな」 「おう。コレットが料理するとき火に困らないようにも採ってきたぜ」 「料理するのには薪が必要だが……」 にしても、多い。 ツヴァイが背負ってきた薪は、コレットの腰くらいの量がある。 たった一泊しかいないというのに、一体、どれだけ火を焚くつもりなのか。 「いいんだよ。キャンプファイヤーにするつもりだしさ……ああ、きもちわりぃ、この服」 泥のついた服が気持ち悪かったのかツヴァイはいそいそと服を脱ぎ始めた。 「おい、服を着替えるなら汗も洗い流しちまえ」 オルグが透明な川のなかで、自慢の尻尾についた泥を流しているのを見てツヴァイの顔がぱっと輝く。 「いいな!……つめてぇー。ほら、オルグ」 「ん? うお! お前、顔にかかっただろうが! おかえしだ!」 「ぎゃあ! 頭からかぶっちまったじゃねぇかよ! くそー」 互いに上半身の服を脱いで、水をかけあうツヴァイとオルグにアインスがやれやれとため息をついていると 「下ごしらえしてきたんだけど……二人は……」 「コレット、ああ、あの二人は汗をかいて水浴びをしているそうなんだ」 とアインスが説明する。 「水浴びを? 気持ち良さそうね。……あ、あとは、火を焚いて調理するだけなんだけど」 「火を焚くのは大変だから手伝うよ」 弟とオルグは水浴びに夢中のおかげで、一人でコレットの手伝いが出来るのにアインスはにこにこと上機嫌の笑顔を浮かべる。 「本当? ありがとう……テント、すごい。思ったよりも大きいのね」 コレットの感心の声に俄然やる気がわく。 悪戦苦闘の末に、どうにか火をつけていると、ちょうどよいタイミングで時光が釣りから戻ってきた。 「拙者が一番遅かったでござるか……」 「どうでした?」 コレットが微笑みかける。 「ああ、みんな分の魚を釣れもうした。それに、ここの奥にとてもきれいな洞窟がありもうしてな」 「洞窟?」 「きれいすぎて魚がおらなかったが、とてもきれいな光景でござったよ、明日でも見に行くといいでござる」 コレットがなにか考えるように目をぱちぱちさせるのに時光は不思議そうに首を傾げた。 「どうかしたでござるか?」 「う、ううん。それよりお魚はどうしよう、捌くの……出来るかしら?」 「慣れない者がすると魚の骨で怪我をしてしまうでござるから、拙者がやるでござるよ。調理のときはお願いするでござる」 「本当に? ありがとう。お願いね」 「コレット、カレ―がそろそろ出来そうなんだが」 アインスが呼ぶのにコレットは忙しく走り回る。 「おお~」 「御馳走だな」 水浴びから戻ってきたツヴァイとオルグが声をあげる。 紙皿に盛られたカレー、魚のムニエル、山の幸いっぱいのスープ。飲み物はここに来る前に購入しておいた缶ジュース。 「みんなのおかげでこんなにも美味しそうなのが出来たわ。ありがとう」 コレットが嬉しそうに笑って手をあわせて、イタダキマス、と口にすると、それぞれ手をあわせ、作ってくれたコレットと、山の幸に感謝して食べ始めた。 「外でこんな風に作るのはあんまり慣れてないから、失敗したかな……どう?」 コレットが心配そうにするのに、四人はとんでもないと首を横にふった。 「カレーも、米もちょうどいいかたさだぜ、コレット」 「そうだよ、水ぼくもないし、とてもおいしい」 「このスープもすげぇうまいぜ」 「魚も良く焼けてるでござるよ」 それぞれの感想にほっとコレットは微笑んだ。 「よかった、みんなが満足してくれて……私も、すごくおいしい。みんながいるのもそうだけど、きっとこんなにもきれいなところで食べているからね」 コレットは目を細めて暮れはじめた空を見上げた。 「きれいな、空」 透き通る青から眠りの茜色、安らかな紺碧へと変わる空には気のはやい黄金の星が一つ、輝いていた。 「あの、時光さん、水がきれいなところがあるって、いってたけど、どこなのか教えてくれますか?」 夕飯を終えて、片付けをしているとおずおずとコレットが声をかけてきたのに時光はきょとんとした。 「どうしたでござるか、コレット殿」 「ちょっと、汗をかいて……出来れば、私も水浴び、したいなって思って」 もじもじと恥ずかしげなコレット。 女の子にとって一日お風呂にはいれないのはきつい。それも太陽が出ているときは暑かったため汗もかいている。 男だったらそれこそツヴァイやオルグのように服を脱いで川に飛び込めばいいが、コレットのような女の子にそんなことはできないし、させられない。 「わかりもうした。すぐに案内するでござるよ。拙者に任せてくだされ!」 コレットのささやかな願いを叶えるために時光は力強く頷いた。 キャンプファイヤーを作る三人にコレットが水浴びに行く旨を伝えて、時光は釣りのときに見つけた洞窟にコレットを案内した。 川辺のごつごつとした石は苔が生えて、下手すると足を滑らせてしまう恐れがあるのに時光はコレットの手をとって転げないように注意深く先へと進んだ。 ようやくついた洞窟で、なかへと入るコレットを見送り、時光は拳を握りしめる。 ――何人たりとも、コレット殿の水浴びを邪魔はさせたりはしない……! たとえ熊が出ようが、鹿が出ようが、変質者、またよからぬ邪気を抱えた仲間、そして怖くてたまらないが幽霊が……悪霊退散! 全て、この刀の錆としてくれる……! 腰の刀に手をおいて、ぐっと拳を握りしめる。 なにがこようともこの聖地を守り抜く。 そのためならこの命すら賭ける。 これほどの本気の覚悟を決めたのも久方ぶりである。 洞窟の周辺の見回った――幸いにもとくに気配もないのにほっとして洞窟の入り口へと再び戻るとオルグが仁王立ちしていた。 その顔は仏を守る二体の鬼の阿形のごとく。 「てめぇ……俺の可愛い妹の水浴びを覗こうとはいい度胸だな」 「……オルグ殿、ちが……っ!」 「問答無用!」 それはそれは見事な右ストレートパンチが時光の顎に思いっきり決まった。 「覗きはな、万死に値するって昔の人もいってんだぞ!」 ――違う、のに 「ごめんなさい、待たせて……あれ? お兄ちゃん? どうしたの?」 「おう。迎えに来たぜ。コレット」 ――そんな…… 地面を倒れた時光はひっそりと涙した。 ★ ★ ★ 鮮やかなオレンジ色のキャンプファイヤーを見て誰もがひと息つく夜。 そっと空を見上げると、木々が手を伸ばした自然の窓は思いの他に狭く、空は手を伸ばしても届きそうにないほどに遠い。 「なぁ今から肝試ししないか」 座っているのも耐えきれなくなったとばかりにツヴァイが立ち上がり提案する。 コレットの横にいた時光は――突っ伏していたのをコレットに発見され、オルグの誤解をといて三人で戻ってきたのだ。まだ頬が腫れてしまっているのをコレットが水に浸したハンカチをあてて冷やしてくれていた――顔から血の気を失せさせた。 「肝試し?」 コレットが目を丸めた。 「この森の奥に墓地があったんだよな。なぁオルグ」 「ああ、小さいのがずらーと並んでたぜ」 「楽しそうじゃないか」 すでに乗り気のアインス。 たった一人、時光は言葉もなくふるふると首を横にふる。あまりの提案内容に声も出ないが、ここで力いっぱい反対しなくてはやばい。 「い、いや、そ、そういうのはだめでござろう! せっかくのキャンプでござるよ!」 「なんだよ。キャンプっていったら、肝試しだろう」 ツヴァイの反論に、それはどういう発想だと言い返したい。 「けど、お墓……死んだ人のところにいって騒ぐのはいけないことよ」 コレットがやんわりと窘めるのに時光は心のなかで拍手を送った。 「コレット……そんなこと言わずにさ。それに墓地そのものじゃ騒がないし。ちょっと近くにいくだけ。な」 ツヴァイの笑顔にコレットは首を軽く傾げる。 「けど」 「本当に暴れたりしないし、不謹慎なことしないから。ほら、退屈だし、森のなかを散歩しようぜ」 ツヴァイが食い下がるとコレットの唇が淡い笑みを浮かべる。まるで母親が駄々っ子を相手にするときのような優しい、慈愛に満ちた笑顔だ。 「じゃあ、ちょっとだけ……」 「コレット殿!」 味方であるコレットが意見を変えてしまったのに時光は泣きたくなった。これはどうも逃げられないようだ。 コレットが遠慮がちに時光を見上げる。 「せっかくキャンプにきたから、みんなで思い出を作りたいから、夜の散歩もいいかなって、お墓にいって不謹慎なことはしないから……時光さん?」 「……そ、そうでござるな。お、思い出をっ……」 出来れば幽霊なんかがいそうなところには行きたくない。 が、しかし、コレットが嬉しそうなのに水を差すようなことは言いたくない。それに墓地には直接は行かないのだし、みんながいるのだ。 最悪はコレットだけでも我が身を呈し幽霊から守り切る――懐にあるお札にそっと手をやり時光は覚悟を決めた。 ツヴァイが先頭に、そのあとをコレット、そして暗がりでは足元が危ないということでアインスとオルグが両脇を固めて、コレットの手をとってエスコートする。 その最後尾を時光が愛刀をしっかりと握りしめて歩いていた。 「時光さん、本当に一番後ろでいいの?」 コレットが気にするように振りかえるのに 「拙者はここでいいでござるよ」 幽霊が怖いとか、もしものときは、ここからならばコレットを守れるとかいう計算をしたとか……は内緒である。 昼間とは違う闇が広がる森の中にはわざと火は持ちこまないでいこうというツヴァイの意見のため、本当に闇のなかを歩くことになった。 目がなれないうちは何も見えずに探るような歩みだったが、それも数分もすると目もだいぶ慣れてきたのに周囲が見えるようになってきた。 さわさわさわ…… 「い、いまのは……」 音にぎょっと時光は懐のお札を握りしめる。 「風に揺れた木の音だろう」 オルグが笑う。 ふぉーん、ふぉーん…… 「! お、お化けの鳴き声ではないのでござるか、いまのは」 「鳥の鳴き声だよ。ほら、虫の鳴き声もするだろう? みんなを驚かせようとわざと怖いことを言ってるのかい?」 爽やかにアインスが言い返す。 いやいやいや、わざと言っているわけではないのだ。時光はかなり切実な恐怖に怯えているのだが……! 「お! 見ろよ、これ!」 ツヴァイが声をあげたのに時光はびくりっと肩を震わせた。 「ど、どうしたでござ……!」 覗き込んだ先にある木――人面樹……! 「なんか人の顔みたいだな。この木の幹」 「本当だな。ここだけ切り取って店に置くといいかもな」 「やめろよ、兄貴」 「へぇ、けど、見事に人の顔ぽいのだな」 「本当……ちょっと、可愛いかも」 各自、しげしげと木の幹を見て感想を漏らすが時光はもうそれどころではない。 心臓がアバラにあたるほどにどっきんどっきん高鳴って、いやな汗が額から流れている。今度なにかあれば倒れそうだ。 深呼吸、深呼吸……すー、すー、はー。 「大丈夫かよ」 オルグが見かねて声をかけるのに時光は涙目で頷いた。 「へ、平気でござるよっ……」 「無理するなよ。だいたい暗闇が怖いのは思いこみだ。大丈夫だ、なにも出たりしねぇよ」 「そ、そうでござるな」 時光は言い返す。 なによりも守るべきコレットのことを考えていれば、幽霊だろうが、宇宙人だろうが、怖くはない、はず。たぶん。 ふぅーと生温かい風がうなじを撫でられて時光は悲鳴をあげることもできずにかたまった。 ――だめかもしけれない。 「コレット、コレット、ほら、見ろよ」 ツヴァイが声をあげて空を指差すのにコレットは目を丸めて空へと視線を向ける。 「あ……!」 邪魔な木々の枝がなく、広がる空に銀砂をまいたような星の海。 空気が澄んで、さわり、さわりと風の音に虫の唄声が重なり合う。 手を伸ばしたら、もしかしたら届くかもしれない。その星の一つも手にはいるかもしれない。 「……きれい」 コレットは瞬きも忘れて感嘆の声を漏らす。 その様子にツヴァイは目を細めた。――せっかくキャンプしにきたのに、星があまり見えない……昼間に山のなかを歩いていて、空がよく見える場所をみつけておいたのだ。 「本当にきれいだな」 「そうだな」 オルグとアインスもそれぞれ感動の声を漏らす。 しかし、 その場にいてもういっぱいいっぱいの時光だけは感動から遠いところにいた。 ――い、いま、なまあたたかい風が。なんか音がしたが、風の音? いや、しかし、悲鳴のような、え、いや 一人ひっそりと混乱のなかにいる時光はなんとか落ちつこうとして、誰もが空を見ているのに気が付いた。 はて なにかあるのかと自分も顔をあげようとしたとき、木々のなかに青い輝きを見た。 ――え? ひらり、ひらりと青い炎が揺らめいている。 あ、無理。 時光は意識を手放した。 ――コレット殿をまもらねば…… ★ ★ ★ ちゅん、ちゅん…… 鳥たちの騒がしいおしゃべり。 瞼に眩しいほどの日差しが襲いかかってくるのに時光は、がばりと起き上り、左右を確認する。 森のなかではない。 「ここは、テントのなかでござるか?」 「あ、ようやく起きた。そろそろテントを片づけるぜ」 「つ、ツヴァイ殿」 テントに顔を出したツヴァイに言われて時光はせき立てられてのそのそとテントから這い出る。 「時光さん、おはよう」 「こ、コレット殿、無事で!」 「え?」 時光の言葉にコレットは目を丸める。 「いや、昨日、なにか青い光がひらひらとして……」 「ああ、あれは、私が悪戯で仕掛けた人魂だったんだけど、まさか、気絶する人がいるとは思わなかったよ。すまない」 テントを片付け終えたアインスが悪気なんてこれっぽちのもない笑顔で言うのに時光は絶句する。 「ほら、そろそろ帰ろうぜ。朝飯はどうする?」 「そうだな。コレット、どうしようか?」 コレットを囲む双子の王子を見て時光はふぅと意識が遠くなるのを感じて肩を落とす。 「せ、拙者は……」 オルグは黙ってその肩を叩いて慰めた。
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