ターミナルに、「無限のコロッセオ」と呼ばれるチェンバーがある。 壱番世界・古代ローマの遺跡を思わせるこの場所は、ローマ時代のそれと同じく、戦いのための場所だ。 危険な冒険旅行へ赴くことも多いロストナンバーたちのために、かつて世界図書館が戦いの訓練施設として用意したものなのである。 そのために、コロッセオにはある特殊な機能が備わっていた。 世界図書館が収集した情報の中から選び出した、かつていつかどこかでロストナンバーが戦った「敵」を、魔法的なクローンとして再現し、創造するというものだ。 ヴォロスのモンスターたちや、ブルーインブルーの海魔、インヤンガイの暴霊まで……、連日、コロッセオではそうしたクローン体と、腕におぼえのあるロストナンバーたちとの戦いが繰り広げられていた。「今日の挑戦者はおまえか？」 コロッセオを管理しているのは世界図書館公認の戦闘インストラクターである、リュカオスという男だ。 長らく忘れられていたこのチェンバーが再び日の目を見た頃、ちょうどターミナルの住人になったばかりだったリュカオスが、この施設の管理者の職を得た。 リュカオスは挑戦者が望む戦いを確認すると、ふさわしい「敵」を選び出してくれる。 図書館の記録で読んだあの敵と戦いたい、という希望を告げてもいいし、自分の記憶の中の強敵に再戦を挑んでもいいだろう。「……死なないようには配慮するが、気は抜かないでくれ」 リュカオスはそう言って、参加者を送り出す。 訓練とはいえ――、勝負は真剣。「用意はいいか？ では……、健闘を祈る！」●ご案内このソロシナリオは、参加ＰＣさんが地下コロッセオで戦闘訓練をするというシチュエーションで、ノベルでは「１対１で敵と戦う場面」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、敵や戦闘内容の希望をお聞かせ下さい。敵は、・過去のシナリオに登場した敵（自分が参加していないシナリオでもＯＫです）・プレイヤーであるあなたが考えた敵（プレイングで外見や能力を設定できます）のいずれかになります。ただし、この敵はコロッセオのつくりだすクローン体で、個体の記憶は持たず、会話をすることはできません。
「ああ……貴方なのか」 現れた相手に、阮 緋は少し驚いた。 眼前に立つのは、燃えるような赤金の髪を頭の高い部分で結い上げ、色とりどりの宝玉を通した絹紐で飾った、丈高い美丈夫だ。 こちらを真っ直ぐに見つめてくる双眸は、鋼の如き強靭な黒銀。 しなやかに鍛え上げられた身体を、色鮮やかな――そして位階の高い人間であることが一目で判る上質の武装に包んだ、鋭さと磊落さ、猛々しさと陽気さを内包した顔立ちの、三十を半ばほど過ぎたこの男は、 「我が殿。……武 雷韻（ウー・レイユン）殿」 珂沙の隣国、高瑚の王であり、緋にとっては仕えるべき君主であると同時に、彼が国長を務めた珂沙の国を攻め、緋の妻子及び血族の大半を殺した仇敵でもある相手だった。 「……貴方が相手ならば、不足はない」 しかし、雷韻と向き合う緋の顔に憎悪や怒りはない。 己を屈服させ、たくさんのものを奪った男への憎しみは、実を言うと今の緋にはないのだ。目上の、主人に当たる男を、貴方、と親しみをこめた二人称で呼ぶ程度には、緋の心は彼に近い。 事実緋は、部下を部下とも思わぬ剛毅な――謀反の可能性を秘めた緋に自由な振舞いを許すほどには――この王に心からの忠誠を誓い、主というよりは友のように思っている。 「面白い。私が貴方にどれだけ近づくことが出来たか、量れようというもの」 緋は微笑み、恭しく拱手すると、何も言わぬ君主を真っ直ぐに見つめて請うた。 「改めて、私と剣を交えてくださらぬか、殿」 記憶がつくりだすクローンは何も応えない。 しかし、緋の脳裏では、今は遠い王が闊達に笑い、頷く様が確かに見えた。 「……では」 緋も頷き、使い慣れた曲刀を手に身構える。 君主の影とでも言うべき相手は、装飾の少ない、一国の王が持つにはあまりに武骨な太刀を手に、一見無造作で無防備なように、そこに佇んでいる。 が、 （やはり……お強い。見るだけで、判る） 緋は胸中に感嘆の息を落とす。 彼とは、珂沙に攻め込まれた際に剣を交え、完膚なきまでに負けている。恵まれた体躯と腕力、そして鍛錬に裏打ちされた神技のごとき剣のわざに打ちのめされ、生死の境すら彷徨った。 しかし、異世界を旅し、経験を積んだ緋は今や珂沙しか知らぬ王ではない。 隣国に容易く攻め込まれ、為す術もなく屈服した無鉄砲な若者ではないのだ。 （事実、今の私は見ることが出来る） 客観的な目で、彼我の差異を把握出来る。 足りぬ部分を補うにはどうすべきかを、冷静に算段することが出来る。 「――珂沙が猛虎、阮亮道、推して参る！」 高らかな宣言とともに緋は地面を蹴った。 真っ直ぐに、恐るべき速さで雷韻へと迫り、間合いへ飛び込むと同時に曲刀を舞わせ、打ちかかる。 主の太刀が曲刀を軽々と受け止め、打ち返すのへ、踏み込みの位置を変えながら、豪放かつ優雅な、演武にも似た太刀筋で緩急をつけて斬りつけるが、それらはすべて雷韻の愛刀によって受け流され、その勢いは殺されてしまう。 腕力と技巧、双方に恵まれた君主の、君主たる所以を噛み締めつつ、緋は冷静な眼で状況を見極め、対等な、舞にも似た打ちあいを続ける。 時間が経つうち、汗が滴り、珠のように飛び散る。 剣と刀が合わさる度に、慣れた、心地よい痺れが緋の腕に伝わる。 と、 （そなたの太刀筋は、美しいが素直すぎるのだ、緋胡来！） どこかからそんな声が聞こえたような気がして、緋はかすかに笑った。 攻撃に転じた雷韻の太刀、異様な重さを伴ったそれを受け止め、力を殺すことで相手の体勢を崩せぬか試みつつ、 「それこそ我が性（しょう）なれば！」 言葉に笑みを乗せて、発する。 （なるほど、違いない） 意識のどこかで、王が笑った。 揮われた太刀を剣の腹で受け止め、弾き飛ばす。 それを好機と懐へ踏み込み、切っ先を雷韻の胸元目がけて突き入れようとした、その途端掬い上げるように揮われた太刀が曲刀の鍔付近を強かに打ち据え、緋の手から剣を弾き飛ばした。 「く、」 あまりの力にたたらを踏み、一歩後退したところで、咽喉元に太刀を突きつけられ、勝敗が決する。 鮮やかな手際だった。 緋が圧倒的な実力差で敗北したあの日と変わらぬ強さを、しかし今は辿り着けぬほど遠いとは思わない。 「……はは」 負けたというのに清々しい気分で、思わず笑い声が漏れた。 「それでこそ我が殿！」 つくりものと判ってはいるが、主と同じ姿、同じ力を持った相手に『彼』を重ねて語りかける。 「しばしの暇を許されよ、殿」 恐らく王は、今も緋を待っているだろう。 そして彼が還れば、いつものように笑ってくれるだろう。 「旅を重ね修練を積み、いつか貴方の元へ戻る。――必ず」 憎しみも恨みも今はない。 緋にあるのは、王の強さ磊落さを愛する心と、彼が己よりも弱くなればいつでも討ち取ろうという、猛々しい忠誠心だけだ。 「ご油断召されるな」 ゆえに、緋は言うのだ。 消えゆく幻の王に向かい、 「――その時こそ、首級頂戴する」 親しみをこめた宣告を付け加えて。
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