「モフトピアにいくつかある村の一つに、村史上最悪の凶悪犯罪者があらわれた。……ので、援軍を派遣することになった」 物騒な言葉とは裏腹に、世界司書シドはしらーっとした顔で導きの書に目を落としている。「ディアスポラ現象は知っているだろう。たぶん、おまえ達も体験したと思うが、自分の産まれた世界から放逐されたやつが異なる世界に飛ばされロストナンバーとなるって例のアレだ。モフトピアにそのロストナンバーが出現していたことが分かった。名前は『リック』っていう。20歳くらいの男だ」 シドは図書館の壁にモフトピアの地図を広げる。 そこには空飛ぶ島やら、虹の橋やら、ソーダ水の湖やら、メルヘンあふれるおとぎの国が広がっていた。 少し見回したシドは、一瞬、導きの書に目を落としたあと、地図上にある島のひとつを指差す。「ここだ。モフトピアの中でも珍しく治安部隊。……簡単にいうと自警団がいる。普段は迷子アニモフを追いかけて自分達も迷ったり、道に落ちてたものを拾って持ち主を探したり、いっぱい採れた木の実をみんなに配ったりする役目を担っているんだが」 そこまで話して黙る。今日のシドは歯切れが悪い。 頭につけた鳥の羽根を指先でいじくりまわしつつ、どう説明してよいものか逡巡しているようだった。 しばらく「ああ、違うか」とか「どういえばいいんだ」とか悩み続けていたが、ため息ひとつ、シドはロストナンバー達に向き直った。「今回飛ばされたのは『その村のアニモフの感覚で』超弩級の犯罪者だ。今回、そいつがやらかしたことってのは、おまえらの感覚で言えば繁華街で毒ガスを撒き散らしたとか、核ミサイルを奪って敵国に発射するレベルの犯罪者だと思ってくれていい。具体的にはだな」 言って伝わるかどうか、と最後まで抵抗しつつ言葉をつむぐ。「アニモフが花の種を道端にまいて、毎日水をあげていた。その種からやっと出てきた芽を知らずに踏み潰した」 沈黙。 静寂を旨とする図書館内ではあったが、殊更、寒い時間が流れる。 ぽりぽりと頭を掻いたシドが、またため息をついた。「……そういう反応すると思ったぜ。他にもだな、リックが最初に現れた時、夜中だったにも関わらず大声を出した。道路を走った。……これはぶつかったりこけたりしたら危ないから、やっちゃいけないんだ。極めつけに、おまんじゅうをくばりに行ったうさぎ型のアニモフを見て、「ぬいぐるみが喋ったぁぁぁぁぁぁぁっ!?」 と、叫んで逃げ出した。……かわいそうに被害者アニモフは『こ、こしあん派の旅人さんに、つぶあんのおまんじゅうをあげようとしてしまったもふ!?』 と五分ほど悩んでしまうという被害を受けた」 もふ!? のところで、いつもはクールなシドの表情に僅かに照れが混じる。「最初に話したモフトピア治安維持部隊は、最終手段『みんなに配るおやつを、リックさんにだけ三日間あげないもふ!』 という厳罰を予定しているし、『出ていってほしそうな目でみる』という武力による鎮圧手段も取り得るといっている。……言っとくが、アニモフだからな。今のだって普通に考えたら、無期懲役の厳罰や、狙撃して鎮圧する、くらいの荒っぽい手段だぜ」 ぱたりと音を立て、シドは導きの書を閉じた。「おやつをあげない、なんていう厳罰を他人に執行しようものなら、執行担当のアニモフが己の犯したあまりの残虐行為にアニモフは手足をじたばたさせかねない――させたからどうなんだとか言うな。先にリックをおまえらの方で回収してくれ。手段は……手段はホントに気ぃつけろ。『殴ってふんじばって連れてくる』とかやらかした日には、突如あらわれた重武装の軍隊が街にあらわれて村人を全滅させ、ターゲットを拉致した、くらいの伝説になってしまうぜ。下手すりゃ勇敢な少年が謎を追って旅立つレベルだ。――もっともやるのはアニモフだから勇者ごっこだが」 シドの説明によると、今回の現場はモフトピアの島々の中でもよっぽど平和な部類に入るらしく、意思に反して動かそうというだけで既に拉致監禁に近いくらいの重犯罪とみなされてしまうらしい。 そんな事をすれば自警団から「迷惑そうな目で見ることも辞さない」ほどのお叱りを受けてしまうだろう。「リックの常識は壱番世界とそれほど変わらないはずだ。まさか出会ったアニモフの姿に怯えて逃げたことが大犯罪だとも思ってない……とはいえ、言葉も通じない世界でいきなりぬいぐるみに話しかけられたら、普通は逃げ惑うわな。今は村にあるマシュマロのかまくらの中に隠れてるらしい。不用意に話しかけたら「いやだぁぁぁぁ」とか「きゃぁぁぁ」とか言って逃げられそうな気がするが、もちろんそれもダメだ。お昼寝中のアニモフを起こしてしまうからな」 ま、ちょっと行って、解決してくれ。――とシドは疲れた顔でチケットを差し出すのだった。
●邂逅もふ それは鉄の塊に見えた。 がしゃり。 こちらへと向かいゆっくりと歩を進めている。 数メートルの距離まで近づくと、その鉄の塊は甲冑だと分かった。 その甲冑の鉄仮面の奥を覗き込み、壱はごくりと唾を飲み込む。 ――本来なら『中身』が見えるべき部位が、空洞であった。 がしゃりがしゃり。 甲冑とは本来、人を中心に纏われているべきであり、単体で動くものではない。 西洋甲冑の儀礼的な配置の金属は、がしゃりがしゃりと定期的な金属音をあげて、こちらへと歩いてくる。 勇気を出して視線を合わせるものがあれば、気づくことができただろう。 その「甲冑」の全身には破壊と老朽の末である傷や陥没が無数に刻み込められ、そして、その目元には、――嗚呼、その目元には赤き光がほのかに光っている。 汲むべき表情は無く、瞳孔も瞼も見てとれる空洞に、ぼんやりと薄く、血のように赤くくぐもった光が浮いていた。 「物の怪ではないな。悪魔。それも武装を依り代とする。貴方はかなり上位の悪魔……の、類か」 最初に呟いたボルツォーニは、横にいた二人に目配せをする。 こくり。 青年二人は頷き、それぞれの武器を構えた。 がしゃん。 三人の眼前、およそ2メートル。 双方の武器にとって必殺の間合いから僅かに距離がある。 「逃げろ。私にもこの手の悪魔とまみえた経験はあまりない。命の保証はしてやれん」 「へんっ、こちとらゴーストバスターとして長年、命張ってんだよ? こんなトコでんーな簡単に尻尾巻いて逃げられますかっての」 ナオトは帽子を深く左手で押さえつけ、右手で愛用の拳銃の柄を握り締めた。 彼の右横で、壱も愛用のナイフを握る。 その時。 がしゃり。 間合いが破られた。 動いたのは甲冑の一歩。 錆付き古ぼけた甲冑のアイガードを下ろしたまま、赤色の光がゆっくりとした動きで三人を見渡す。 そして、主なき甲冑は背中を屈めて腰を落とした。 「……来るか!?」 そして、甲冑はおもむろに告げる。 「お、遅れちゃった? 行く、行くよ! ゴ、ゴメンナサイ。ボク、この時間だって聞いてたの!」 ――沈黙が流れる。 それを怒りと見て取ったか、傷だらけの黒き甲冑は何度も何度も頭を下げる。 「ひょっとして、みんな、……お、怒ってるの? ご、ごめんね! ごめんね!」 がしゃがしゃと金属を打ちつけ、黒き甲冑イクシスが何度も謝っていた。 反射的に一歩前に出たのはナオト。 「そうそう、今、何時だと思ってんの? 時間ぴったりだよ? 五分前行動は当たり前……って、なんで!? そんなおどろおどろしい登場して、味方!? しかも一人称がボクぅ!? 認めない! 俺は認めない!」 ナオトはべしっとイクシスの頭をはたく、だが予想通りカーンといい音がした。 金属をぶん殴った彼の右手の痛みが引くまでおよそ二十分。 その後、一行はようやくモフトピアへ向けて出発した。 ●ゴーストハンターvs吸血鬼もふ 相変わらずお菓子の楽園みたいなとこだな、と佐藤壱が呟いた。 ふわふわと綿菓子のような雲の何割かは本当に綿菓子で、そこらへんに生っている木の実は甘酸っぱくて、湧き水はジュースの味がする 「依頼終わったら、食べに行ってもいいですよね? 今は少しで我慢しますから」 目を輝かせて早速ぱくぱくと周囲のものを適当に口に運びつつ、彼は「そういえば」と一行に振り向いた。 「今回はこの四人なわけですけども」 「うん?」と応じるのはナオト。 「エミリエさんの部屋に行った時、制服着た元気な女の子もいませんでしたか?」 「ああ、あの赤髪の? いたいた。あと長い緑髪の、すっごいキレーなお姉ちゃんとかがいたよね」 もちろん、今回モフトピアに降り立ったのは四人、もとい男性が三人と鎧が一体である。 分類について、ナオトは鎧の性別について話題にしようと思ったが、当の甲冑は特に何も気にしていないようなので黙ることにした。 視線の先で西洋鎧は視線を感じたのか、こくん、と首をかしげる。 そのふるまいは幼い子供そのものだ。 話題をふるべきと思ったのだろうか、錆びた鎧がどこからともなく音声を発した。 「あと、筋肉の権化みたいな人がいたよね。こなかったのかな?」 ああ、その人ならと壱がお菓子をつまむ手をとめ、振り向く。 「女の子に『キモ……』って言われて」 「……え」 「ぬふぅって呟いた後、そのまま別の車両に乗り込んでいきましたよ」 一拍。 ナオトは何も聞かなかったことにして、穏やかな光に包まれた空を見上げた。 「……OK、今回の旅は俺達三人と一体でやりとげよう。どんな凶悪な犯罪者でも捕まえてみせようか」 犯罪者。 今回はこの言葉はあまりふさわしくない。 仏頂面を崩さず、ボルツォーニがおもむろに口を開いた。 「モフトピアの法を破っていることは事実だ。私も元、法の番人として見逃してはおけん事態だな」 言い終わると彼は漆黒のマントをばさりと靡かせた。 「……ん?」 途端、ナオトが首をかしげる。 ナオトの仕草を気にとめるものはおらず、ボルツォーニは右手に握りこぶしほどの四角い物体を取り出し『魔術の武器』であると説明した。 「私のコレクションだ。私の記憶しているどんな武器にでも変形する。どんなおぞましい物にでも、だ。リクエストがあれば聞こうか」 「ハリセン!」 即答したナオトは同時に駆け出して、ボルツォーニの懐に飛び込むと、言葉の通りハリセンへと変じた魔術武器を奪いとる。 一呼吸おいて、振りかぶると思い切り振りおろした。 すぱんっ! 景気のいい音が響く。 思いっきり吹っ飛び地面に横たわるボルツォーニにぴしっと指を突きつけ、ナオトが叫んだ。 「お前は吸血鬼だな!」 「そうだが」 立ち上がり、マントについた埃を払いつつボルツォーニは悠然と彼を見下ろした。 その眼前に銃口が突きつけられる。 「隠しても無駄だ。俺のゴースト・バスターとしての第六感と、吸血鬼へのトラウマが! アンタが吸血鬼だと叫ぶんだ!」 ナオトが声を張り上げた。 「たった今『そうだが』って応えてましたよね」 もふもふと綿菓子を口に頬張り壱が呟き、イクシスに金平糖の袋を差し出す。 「これ美味しいですよ。……食べられます?」 「うん」 「……どこから食べるんです?」 「口からだよぉ?」 ざらざらと鉄仮面の継ぎ目に流しこまれる金平糖の行く先を目で追っていた壱だったが、考えても仕方ないと諦めて次のお菓子を手に取った。 「不意打ちだったが……あの程度の攻撃で私を倒せるとでも?」 ボルツォーニが口元をゆがめ、不敵に微笑む。 「ふんっ、吸血鬼があんなもんで倒せるとは思っちゃいないさ!」 「まぁ、ハリセンですしねー」 もふもふと口を動かす壱。 イクシスは彼をみあげ、首をかしげた。 「ボルツォーニのおじさん、吹っ飛んでたよぅ?」 「ああ見えても付き合いがいいんでしょうね」 ジュースとポップコーン、ついでに甘いチョコやドロップを山と抱え、壱とイクシスはもふもふと捕食作業を開始し、お腹がいっぱいになると昼寝を始めた。 ぽかぽかと暖かい陽気。 壱が昼寝から目を覚ました時、ボルツォーニとナオトは数メートルほど離れて倒れていた。 野をかける風が爽やかに横たわる二人の髪をなでていく。 へへっと呟いて笑い出すナオト。 くっくっくっとくぐもった笑い声を返すボルツォーニ。 人間にしておくには惜しい存在、――とか。 あんたが灰になるまで煉獄の果てまでも追いかけるぜ、――とか。 なんかそんなような事を言い合って、妙に爽やかな笑みを浮かべている。 何にせよ、壱は最後のクッキーをぽいと口に入れ、ぱんぱんと手を叩いた。 「それじゃ解決したようですし、そろそろ事件を解決しましょうか」 「軽っ!? いや、軽すぎないっ!?」 思わず声をあげ、ぴょいんとナオトが飛び起きた。 「ここは何か、ほら。伝説の戦いについて思いを馳せるとか、吸血鬼ハンターに弟子入りして自分も戦うことを決意するとか! そういうシーンじゃないかな!?」 そういえばナオトの服装はボロボロになっている。 「ここで大決戦を終えたヒーローに対する言葉があってもいいんだよ!?」 ナオトの言葉に、壱はしばらく腕組みして考えこむ。 やがて、ぽんと手を叩いた。 「あ、ボルツォーニさんが黒い霧の中で大きな蝙蝠に化けた時くらいなんですが」 「うんうん」 「あの時に食べたドーナツみたいなお菓子、似たようなのが今、壱番世界で流行ってるんですよ。今度、食べにいきませんか? 生ドーナツって言うんです。焼いたり揚げたりしないドーナツで、美味しいクリームがスポンジケーキに……」 「スポンジケーキの段階で焼いてるよ!? ってかもうドーナツじゃなくない? いや、そーじゃなくてっ。今、すっごいバトルがあったのに、そこでドーナツの話が最初に出てくるの!? ってか何!? あんな戦闘を目の当たりにしてお菓子!? なんか映画のストーリーより、ポップコーンの方が大切とか言い出す派っ!?」 「あ、わりとそういうタイプです」 「言い切られたっ!?」 テンション高く叫び続けるナオトの様子で、わりと元気だと察したのか、イクシスが手を振る。 その横では、いつのまにかボルツォーニが立ち上がっていた。 「むう。吸血鬼め。ってか、高速再生ってズルいでしょ。俺、もうくったくたなのに」 「どうした、人間。そろそろ目標を確保しにいく時間だ。法を破った者には、法の裁きがくだされる」 そう言ったボルツォーニにナオトが何か言い返す前に、壱が相槌を打ってまとめに入る。 「そうです。アニモフです。…えー、と…重犯罪はともかく、迷惑行為になってるなら止めないといけません。うん。何とかしてそのリックさんて人を説得できないでしょうか。アニモフには前にもお菓子貰ったりしてるから、あんまり迷惑掛けずに済ませたいんですけど……話簡単に聞いてくれそうにないなぁ。かといって、無理矢理だとオレたちまで厳罰執行されそうだし……」 言葉を途中で止めた壱の視線の先にアニモフがいた。 どう見ても表情が怯えている。 つまり、当然のようにナオトとボルツォーニの激闘を見られていたに違いない。 彼の脳裏に、事前にエミリエから聞いた、あのおぞましい拷問の話が壱の脳裏をよぎった。 「……三日間、おやつ抜き……ああダメだ、想像しただけで眩暈が……」 本当にめまいを起こしたか、壱は綿毛のような地面に再び倒れこんだ。 ●真面目な裁判ごっこもふ 広い家の中に大勢のアニモフが押し寄せていた。 一部のアニモフはコの字に並びテーブルについている。 空気は重い。 モフトピアの感覚では非常に重いだろう。 お菓子を食べるアニモフはいても、歌ったり踊ったりしているアニモフがいないという事実こそがこの場の緊張を雄弁に示していた。 ぴこ ぴこぴこ鳴るハンマーがテーブルにたたきつけられ、裁判長であるふくろう型のアニモフが口火を切ると、村はずれでの私闘に対して厳罰を述べる主旨を告げた。 聞き入る壱の瞳にうっすらと涙が浮いている。 「判決もふ! 被告人、ナオト・K・エルロットに拷問をあたえるもふ!」 ざわざわと、アニモフ達に衝撃が走る。 「ひったてるもふー!!!」 ライオン型のアニモフが二匹、それぞれナオトの左右に陣取った。 そのもふもふした感覚に両腕をつかまれ、強引に、というより、なんかふわふわと幸せな感触に追い立てられ、小さな部屋に一人で連れられたナオトはふわっとした椅子に座らされる。 つっこむ暇もなく彼の目の前に苺の乗ったケーキが出され、ライオン型アニモフの片割れが大きく咳払いをした。 「拷問もふ! ナオト・K・エルロット! 今から目の前に置いたこのケーキを、一時間お預けするもふ! 食べちゃダメもふ!!」 そう告げたライオン型のアニモフが出て行き、入れ替わるように、うわあっ! と絶望的な声をあげて壱が部屋に入ってくる。 ――受刑者を拘留する部屋なのに鍵もかかってないらしい。 呆然となりゆきを見守っていたナオトだが、壱の説明を受けてようやく状況を把握する。 つまり、自分は友達――ボルツォーニの事らしい――に、ケンカをふっかけるというとてつもない犯罪を犯したため、一時間の間、目の前に置かれたケーキを食べることが許されないという『厳罰』を受けているのだ。 あー、と納得した後、ナオトは口を開いた。 「一時間もおやつオアズケの刑だなんていっその事、楽に殺してくれ! って思う刑だね! 辛い! 辛すぎるよ! ……って、なんでやねん!!」 そのつっこみに、壱は首を振った。瞳に涙が浮かんでいる。 「大丈夫です、ナオトさん。オレ、そばについていますから! イクシスさんとボルツォーニさんがリックさんの行方を調べてくれています。任務は彼らに任せて、安心してください。……ああ、でも大変だ。気をしっかり持ってくださいね! あまりケーキを見てはいけませんよ。精神の消耗が激しいです」 「なんでそんな大げさなのさっ!?」 ばたん、と、ドアが開き。 ピンク色のうさぎ型アニモフが顔だけ覗き込んで「子供がおきるから静かにしてほしいもふー」と抗議して出て行った。 ナオトは閉じたドアに「ごめんねごめんね!」と返事をしてから、がばっと背を屈めて目を閉じ両手で耳をふさぐ。 「こ、ここはモフトピア、ここはモフトピア! 俺の常識は通用しない、通用しないんだぁ……」 ナオトは頭を抱え、ぶつぶつ呟き始めた。 その様子を見て、壱はため息をついた。 「かわいそうなナオトさん。……こんな酷い拷問に耐えられるわけないよ。……酷すぎる! 精神が崩壊しないようにオレ、そばについてますからね。だからそのケーキは後でオレにくださいね!」 拳を握り締め、ナオトのつっこみを無視して壱は窓の外を眺めた。 ●魔鎧の作戦もふ 「さて、リックを追いかける手段だが」 「う、うんっ! ど、どうしようかなぁ」 明るい日差しの中、黒いマントをまとった長身の吸血鬼公爵と、両手を胸の前で組んで元気いっぱいに返事をする古びた甲冑のコンビがいた。 「相手は花を踏み潰し、街中で大声で叫ぶという犯罪を働き、法を侵した」 「ひ…、酷い犯罪者だよぉ」 ボルツォーニの言葉に、イクシスは大真面目に返事をする。 「かわいいアニモフちゃん達を怒らせたり泣かせたりするんだから、きっとリックさんはマイナス下層出身のどうしようもない困ったさんだよ」 自分の言葉にうんうん、と頷く。 ボルツォーニも大きくひとつ頷くと、それでは探す手段だが、と広大な大地に目をむける。 「私の能力の一つで黒犬に化ける、というものがある。真っ黒な犬だ」 言いながらボルツォーニはマントを翻した。見る間に体が変形していく。 「犬の嗅覚をもってすれば、血の匂いのする人間の一人わんくらい、わんたやすくわん見つけわんわん。わわんわん」 イクシスの目の前で、ボルツォーニが大きく黒い犬へと変貌を遂げた。 ついでに途中まで言いかけていた言葉は吼え声に変わるが、イクシスの方は「わぁ、犬さんだぁ。かわいいねぇ」と嬉しそうにはしゃいでおり、特に気にしている様子はない。 「わんわん。…わ……。…喋りながら変身すると、声帯まで犬に化けてしまうな。変身の術は改良の余地ありだ」 さて、と咳払いをひとつ。 くんくんと鼻をならし、視線の端に留まった自分の尻尾を追いかけるようにくるくる回る。 「ほほぅ、におう……。肉の袋に詰まった甘美な血液の匂いがする。あっちだ」 宣言ひとつ。ボルツォーニは四本の足で地を蹴ると村はずれへと続く道を走り出した。 小さな村である。 ボルツォーニはものの五分で大きなマシュマロが乱立する区域に踏み入ると、大小のマシュマロをかいくぐり、その中のひとつを前に立ち止まった。 二分ほどして遅れたイクシスががしゃがしゃと追いかけてくる。 「は、走っちゃいけないんだよう。あ、でも犬さんだからいいのなぁ」 追いついてきたイクシスに目配せをすると、ボルツォーニは犬の姿のまま眼前のマシュマロの穴に首をつっこみ中を伺った。 若い男性がいる。 マシュマロのかまくらの片隅。彼、――リックは膝を抱え、がたがたと震えていた。 「ぬ、ぬいぐるみが、もふもふが、もふもふがぁぁ」 と言う独り言から、まだ恐怖心が克服できてはいないようだ。 踏み込もうとしたボルツォーニをとめ、イクシスは荷物を取り出す。 「不用意に踏み込んじゃうと、犯罪者が、おやつ抜きの刑罰を恨んで『カマクラを食べる』と言う暴挙に出るかも知れないんだよ」 イクシスが荷物からごそごそと取り出したのは白いおまんじゅうだった。 「お腹空かせている人は怖いから、食べ物でおびき寄せるのがいいと思うんだよ。でも、アニモフさんはおやつをあげちゃ駄目っていうから、唐辛子入りのピリ辛海老まんを持ってきたよ。これ、甘くないから、おやつじゃないから大丈夫だよ」 そう言ってイクシスは荷物から蒸篭を取り出し、器用に火をおこしてピリ辛海老まんを吹かし始めた。 ものの数分で蒸し料理の良い香りがあたりに漂う。 マシュマロの中でごそりと物音がした。 ボルツォーニが先ほどの穴から覗き込むと、ついさっきまで膝を抱えて蹲っていたリックが顔をあげ、きょろきょろと周囲を伺っていた。 「……ええと、私の予想外ではあるが、効いている。イクシス、もっとだ」 はぁい、と応えた甲冑が火を強くする。 もういらないよね、と火にくべた『ピリ辛海老まん』の包み紙には、『ぷれみあむハバネロ海老まん』という印字がされていた。 ●リックさんを発見したもふ 恐怖のあまりに幻覚を見る、という現象は存在する。 リックはそれを承知していた。 マシュマロが奇岩のように乱立する地域の中央で、黒いマントを羽織った顔色の悪い長身の男と、黒く傷ついた甲冑が蒸篭をかこんで火を起こしている状況は幻覚に違いないと彼は考える。 やおら、甲冑の鉄仮面がこちらの方を向いた。 「迷子のぉ、りっくさぁん、どこですかぁ」 声の優しさについ、ふらふらと定まらない足を引きずり白い壁のかまくらから一歩、二歩と踏み出す。 甲冑が、はい♪ と、蒸しあがったばかりの饅頭をこちらに差し出した。 美味しそうな香りにつられ、饅頭を一口かじる。 次の瞬間、口腔に強烈な唐辛子が駆け巡った。 水を求めてのたうち回るリックに水を差し出したのは「た、大変だよう。大変だよう。りっくさんが大変だよう」とおろおろするイクシスではなくボルツォーニだった。 左手で差し出した水の入ったコップ。 そして右手には、――鈍器があった。 リックの表情が恐怖に染まったのを見て、ボルツォーニが告げる。 「大丈夫だ」 一呼吸。彼は無表情のまま言葉を続ける。 「殺さないように手加減するとも」 言い放ったボルツォーニの口元に人外の証であるキバがちらつく。 そして、リックは枯れ果てていなかった全身の力を振り絞って叫び、身を翻す。 「おばけぇぇぇぇぇぇー!!!!!!!!!!!!」 「え? お、お化け!? オバケどこ!? こ、怖いよ。怖いよう!」 西洋鎧の慌てる声を背に、リックは最後の力で町へと駆け出した。 ●とっつかまえるもふー! 「ナオトさん。あなたは立派です。よく、よくあの拷問を耐え抜いて……」 ナオトと壱は歩いていた。 植え込みを通り過ぎ。 赤い屋根のおうちをまがり。 リックの待つマシュマロのかまくらまでの道をてくてくと歩く。 激しい拷問を耐え抜いた仲間を気遣うように、壱はナオトに話しかけていた。 「ケーキを目の前にして一時間を耐える! その強力な精神力があれば怖いものなしです!」 「ここでは俺達の常識は通じない。なんで壱までそうなのか分かんないけど、通じない。通じない」 結局、本当にケーキを奪って食べた壱の横顔を見つつナオトは呟き続けている。 ――不意に前方から悲鳴が聞こえてきた。 ばたばたばたばた、と不恰好に走ってくる男と、その後ろから彼を追いかける黒い犬。 「モフトピアで人間、しかも逃げてるってことはあれってリックさんじゃ……」 と呟く壱を見つけると、リックは彼の背中に回りこんで、助けて助けてと哀願した。 そして追いついてきた黒犬が人型へと変化し、ぬうっと立ち上がった。 怯えるリックに壱とナオトが声をかける。 「大丈夫、抵抗とか攻撃しなければ無害です」 「そうそう、ちゃんと最後に白木の杭を心臓に刺した後、灰になるまで焼いて、流水に流したあと、ニンニクって三回唱えれば無害だよ」 リックの背をぽんぽんと叩いてなだめている二人の前、ボルツォーニはいつのまにか手にしたゴルフクラブを振りかぶった。 反射的にナオトがリックの頭を押さえつけると、たった今まで彼の頭があったあたりを風切り音が駆け抜けた。 「いや、そこ! なんでゴルフクラブよ!? ってか、なんで殺る気満々なのさっ!?」 「軽く脅そうかと」 不機嫌そうなボルツォーニの前にナオトが立ちはだかる。 「ダメ! すっごいダメ! そう、ほら、ゴルフクラブなんて物騒なものしまってしまって。もうちょっと安全な武器、武器じゃなくてもいいからなんかないの? ……お、いいねいいね。それ、知ってるよ。金属バットって言うんだよね。青春の爽やかなスポーツの汗を流す金属バットで人を殴り続けると死ぬんだよ。って、そら死ぬわぁぁぁ!!!!」 「ナオトさんって、ノリツッコミ大好きでしょ」 ぼそりと呟いた壱を無視し、ナオトは不服そうな顔をするボルツォーニの金属バットを抑えつける。 ナオトの説得という名の絶叫に不満の表情を浮かべつつ、ボルツォーニは金属バット型の魔術武器を変形させる。今度はY字型の長い棒だった。 「あ、それ知ってます」 壱が挙手した。 「『さすまた』ですよね。テレビの時代劇で使ってるところを見ました。あれを使うと安全に罪人を捕らえられるんです」 その通り、と大仰に頷いたボルツォーニはサスマタのを握り、柄でリックをどつき倒した。 ●鬼神が降臨したもふー! 「アニモフめ、あんなに怒らなくとも……」 ボルツォーニが面倒そうに呟く。 はからずも偵察中のアニモフの眼前でリックをどつき倒した結果となり、大騒ぎするアニモフから逃れるため、一行はイクシスの待つマシュマロのかまくらへと戻っていた。 リックはまだ気を失っている。 長期の疲労が彼を気絶させたのだろう、とはボルツォーニの談だったが、いや、思いっきりどついてたよね!? とナオトのつっこみを浴びていた。 「安心しろ、峰打ちだ」 「サスマタの柄で鳩尾どついて、何が峰!?」 壱は壱で「ともあれリックさんは保護できましたから」とお菓子を広げ食べ始めている。 彼らの一歩後ろではイクシスがマシュマロの壁を眺めていた。 ヒビのようなものが見えたのでぺちぺちと触っている。 やがての彼のガントレッドがマシュマロの壁をずぼりと貫いた。 「え、カマクラになんか穴が空いているよ。それ…それは、いけないんだよ。大変だよぉ。モフトピアが悲しみに落ちちゃうよぉ。食べたことがばれないように、修復しないと、そこ、穴をふさぐように引っ張って、ほらしっかりと、あ」 ――あああああああ!? 何回目だろう、悲鳴を聞くのは。 そろそろうんざりしてきたが、一応お義理で振り向いたナオトの視線の先、イクシスが崩落をはじめた壁面を抑えようと懸命になっていた。 壁は彼らのいるかまくらの一部、既に天井に穴が空き、ぼろぼろと崩れ始めている。 連鎖的に崩壊がはじまり、ものの見事に甘くてもふもふの空間が潰れていく。 「あああ、マシュマロがぁぁ、大変だようぅぅぅ。また拷問されちゃうよう。今度はケーキだけじゃなく、クッキーも我慢しなきゃいけないかも知れないよぅ」 がしゃがしゃと金属音を響かせて、大騒ぎするイクシス。 衝撃で目を覚まし、おなじみの悲鳴をあげて逃げ出すリック。 ナオトは「またか……」と嘆息している。 そして、ボルツォーニは何故か口笛を吹いていた。 「おかし……。」 ぼそりと呟く声がした。 彼の前には、少し前まで甘くてふわふわのお菓子が並んでいたが、今や見るも無残な残骸となりはてており、壱は黙って顔を伏せている。 ――その身に宿りしは、暗黒のオーラ。 「お菓子を粗末にする。……うん。………私刑、……………………だな」 とっさにナオトが両手を広げでばたばたと振り、壱の前に割り込む。 「ちょっ、戦う相手いないよ!? 落ち着いて! ねぇ!?」 「……言い訳ならいいですよ? それより……、他に言い遺しておくことはありますか?」 トラベルパスから眩い光が走り、壱の手にきらりと光る武器が納まった。 その柄をしっかりと握り、空へと掲げる。 伝承歌の英雄かくや、そして、鬼神もかくやと言わんばかりの威容。 ――だが、――ナオトにはその武器が、どこから見ても、しゃもじにしか見えない。 「おかしを粗末にするやつは、もふもふが許してもこの僕が許さない! オレが――!」 右手に収まっていたしゃもじが、怒りでふるふると震えている。 「ちょっと待って。しゃもじ!? ナイフじゃなくて、あえてしゃもじなの!?」 「――このしゃもじで、めしとってくれる!」 「誰がうまいことを言えとー!?」 しばらく、無我夢中に暴れていた壱を呆然と眺めていたナオトだが、やがて薄く笑い始めた。 「うふふふ……」 ついで、あはははっと空を仰ぎ大声で笑い出す。 振り向いたその顔は、何かが吹っ切れたかのように爽やかな笑顔だった。 「う、うふふふ、あはははっ、げ、限界だぁっ! 平和すぎて俺の行動が重罪で伝説になるなら! 俺はここの伝説になってやるぅ!! むわぁぁてぇぇ、リックぅぅ!!!!!!」 大声をあげ、そして、全力で疾走する。 本気を出した超人から一般人が逃げられる道理はない。 柵にぶつかり、花壇を踏み越え、ウェハースでできた屋根までも飛び越えて、リックの首根っこをひっつかんで引きずり倒す。 ついでにぽかりと頭にツッコミをいれると、リックが昏倒した。 ものの数十秒。 わずか一分すら待たずして、捕縛に成功する。 「どうだ、任務完了っ!」 大声をあげるナオトを、いつのまにやらアニモフが取り囲んでいた。 『治安部隊もふー!』と書かれたノボリを背負い、揃いのはっぴを着込んだアニモフが遠巻きに彼の様子を伺っている。 「ああ。そっか。……今、俺、核爆弾落っことしちゃったよ」 ナオトがぼそりと呟くと同時「いくもふー!」と隊長アニモフの号令が響く。 そして、何十匹もいるもふもふのアニモフが彼に覆いかぶさり、彼の自由を奪っていった。 羽毛布団に包まれたような感触の中、疲労から来る睡眠欲的な意味でナオトの意識は霞みはじめる。 遠くで、同様にアニモフに覆い尽くされる壱と、おろおろするイクシスの姿が見えた。 ボルツォーニは黒犬の姿に変じて、アニモフを乗せてぶんぶんと走り回っている。 かくて、モフトピアは暴虐を続けるロストナンバーに対し、ついに武力行使を決意。『マジックでしょんぼり眉毛を描く刑もふ!』というモフトピア史上最低の拷問はこれが起源である。
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