少女は、自分がここにいるべきではないと感じていた。 それは曖昧すぎてうまく言葉にすることのできないが、確かな違和感として少女を苦しめた。 ――あの子、何考えてるのかわかんない ――笑わないし、泣きもしないの ――みんなと自分から関わろうとしないし ――頭がいいからお高くとまってるのよ 少女の通う学校のクラスメイトたちが囁き合う。 ――あの子、学校のグループにはいれないって、今日先生から電話が ――子供のことはお前の仕事だろう? 子供なんて一緒にいれば勝手に仲良くなるんじゃないのか? ――そんな言い方しないでくださいよ。それに、あの子、何考えているかわからなくって怖いわ ――まだ子供だっていうのに、本当に可愛げのない子供だ。 ――本当よ。あの子は、もう十歳なのに、まだ五歳のときに人形なんて抱いているのよ。恥ずかしいわ。本当になにを考えているのか、まったくわからないし 母親と父親がひそひそと話しあう声。 まるで柔らかな綿で首をしめられるように、苦しく、苦しくなってゆく。そこから少女は考える。 何かが間違えている。 私はここにいていい人間じゃない。 どこに、いけばいいのかわからないまま少女は両親がまだずっと幼いときに買ってくれた両手で包める黒い鳥の人形にしがみついた。 ★ ★ ★ 夕暮れの学校。 授業が終わり、教室から生徒たちが家へと帰宅していく。そのなかに少女もいた。階段の踊り場まで降りたところで、いつも目の仇にしている女子グループに取り囲まれた。「あんたさ、お高くとまってむかついていたのよ」「……」「何か言いなさいよ。ねぇ」 小突きまわされ、少女の手に持っていた紙飛行機が床に落とされた。「一人でいつも空なんて見て、こんなものばかり作って! こんなもの」 リーダー格の少女が意地悪く笑って紙飛行機を踏みつぶされたのに少女の両手が動いていた。 どん、と音がした。 グループのリーダー格の少女の体が宙に浮いた、と同時に落ちていく。どこまでも、どこまでも。 悲鳴に、茜色に染まった白い廊下をさらなる赤がくわわった。 少女は走り出した。 ここは私がいるべきところじゃない。 じゃあ、どこがいるべきところなんだろう? 無茶苦茶に走った少女は、真っ暗ななかで佇んで空を見上げた。夜色に染められたなかに、ネオンの輝き――ひと際輝くのは、この地区でも高く聳え立つタワー。「きれい」 何かの気配がしたのに、振り返ると大きな陰が立っていた。 少女は目を見開いた。 人? 夜になるとあまり柄のよくない人がいると聞いたが――違う。――二つある足をした高身長の人物の手は黒い翼だった――鳥と人があわさったような生き物は穏やかな目で少女を見つめて口を開いた。だが、何を言っているのかまるでわからなかった。ただ、その化物の左翼がひどい怪我をしているのに気がついた。 その化物は両手を広げて、軽く羽を動かして困った顔をした。「飛べないの?」 少女が囁くと、遠くで声がした。 ――化物がいたぞ。 ――はやく捕えろ ――怪我をさせたはずだ、きっとすぐに捕まるぞ「あなた捕まっちゃうの?」 化物は静かに首を傾げた。「……ここは、私たちのいるべき場所じゃない。だから、行こう」 少女は手を伸ばした。「私が、連れていってあげる」★ ★ ★ 薄汚れた探偵事務所に三十代も後半の探偵がボサボサの頭をかきながら顔をしかめた。「あー、今回のは、ちょいとややこしいんだよ。つまりはだ。あんたらの処の奴らしいのを見かけたっていう情報がはいったから保護してほしいんだが、それが子供を連れて逃げてるようだ。その子供にしても学校で同級生を階段から突き落としたっていう問題児らしい……目撃した、その突き落とされた子供の友人たちがいうには、もっと仲良くしたいって声をかけたらいきなりキレて突き飛ばしたんだと」 探偵は笑って手を軽く横に振った。「ああ、怪我した子は頭を縫ったが、無事だ。……ああ攫われた女の子はなんというか……よくいるだろう集団のなかにいると、行動があわないやつって、あれだよ。十歳にしちゃ、頭はいいし、しっかりした子らしいが、どうにも学校ではいじめっていうとあわないし、家のほうにも問い合わせたが、よくわからない子でほどほど手を焼いていたんだと」 探偵はそこで皮肉ぽく笑って肩を竦めた。「どこに逃げているのかはわからないが、今回見つけたやつってのは俺らみたいなナリしてるが、両手は黒い翼らしいからかなり目立つはずだ。ん? ここら辺の地図とかも用意してるから、聞いてくれ。ああ、それと情報をくれたやつがいうには発見者がそいつの姿にびびって銃をぶっはなして、左翼に怪我を負わせちまったらしい。それだと翼はあっても飛べないだろうし、遠くにはいけないだろう……子供もいるから、はやく頼むよ。そうそう、その攫われてる娘さん、飛行機や鳥といった飛ぶものが好きらしいぜ」
探偵事務所を出ると、世界は薄い赤に染まり、ひしめく建物からぽつ、ぽつと灯りが溢れ始めていた。 「こんなところに、本当に戻りたいのかしら」 東野楽園は金色の瞳を細めて、呟いた。 「何か言った? 楽園」 学校の制服を身に付けた日和坂綾が横から顔を覗くと、楽園はぷいっと顔を逸らした。 「別に、なんでもないわ」 「えー、なんか言ったよ。ねぇなになに?」 「なんでもないって言ってるでしょ!」 「おいおい、お前さんら、仲良くな。女の子同士なんだしよ」 二人のじゃれあいに白いシャツに作務衣姿の現がからからと笑い、横に立つ猛禽類をそのまま人にしたかのような玖郎は腕を組んで小さな息を吐いていた。 「しっかしよ、話を聞くと、ヤツが女の子を連れているにはそれなりの理由が有るはずだぜ? 話を聞く限りは害がある感じもないしなぁ。そうたとえば」 「うん。たとえば?」 綾は興味津々と現を見つめる。 「そう、たとえばだ、食用だったりしてな」 「……それ、本気で言ってる?」 「い、いや、そんな目すんなよ。冗談だぜ」 綾と、さらには楽園の、冷たい目に見つめられて現は慌てて片手をひらひらと振った。 「食べはせんだろう。しかし、子を産めん童をさらうのは奇妙だな」 「は?」 現が玖郎を凝視した。 「おなごをさらうとしたら、それしかあるまい」 真剣にとんでもないことを断言する玖郎に現の左頬がぴくりとひくついた。 「いや、いや、いや。それは……そういうやつもいるっていうのは推理に役立つ……かな。そんな理由なのか? ロリコンってやつか? 今回の犯人は」 現は両手で頭を抱えた。 話を聞く限りは、玖郎と似たタイプのロストナンバーだ。そういう可能性もあるかもしれない。 「先ほどもいったが、その童はまだ子が産めんのにさらうのはおかしい。……逆に童のほうが興味を示したのではないのか? 恐怖よりも好奇心のほうが勝ることもあろう。手負いの姿に警戒もうすれたのだろう」 「子供のほうが、か。……それだと、無理に引き離すと、その子供の心に傷をつけちまうな。俺ぁ、出来れば二人とも傷つけねぇ様にしてぇ」 混乱が収まった現は頭をぼりぼりとかいた。 「まずは、聞き込みだな。病院に行くつもりだが、他の奴はどうする?」 「私ははじめからそのつもりよ」 「あ、私も楽園と現さんについていく!」 現がちらりと視線を向けると、玖郎は翼を広げた。 「おれはロストナンバーを空から探そう……下手に動いていては、当事者に間違えられかねないからな。それに、追っ手のこともある」 ロストナンバーの姿を見て驚いた者が、発砲したあと、仲間を連れて追っていると探偵は語っていた。このままでは、ロストナンバーも、一緒にいる少女も身も危険だ。 玖郎の体がふわりと音もなく浮く。 「なにかあればノートで連絡をする。それでいいな?」 「ああ、頼む。連絡はいったら、すぐに駆けつけるからよ」 玖郎は頷いて飛び立つ。 あとに残された三人は病院へと向かった。 病院の前に来ると、楽園の顔は僅かに強張った。 「どうかしたの?」 「なんでもないわ。はやく病室に行きましょう」 つんと顎を持ち上げて歩き出す楽園に綾は唇を尖らせた。 「なによ、もう。つんつんしちゃって」 病院の夜は早い。 すでに面会の時間は終わり、人気はなく、ほとんどの電気は落とされているため、消毒薬の濃い匂いが漂う廊下はうっすらと暗い。 それでも急患などの対応のために表入り口の自動ドアはまだ動いていた。そこから無人のロビーを抜けた、正面右には階段とエレベーターが四つある。 「待ってよ」 先を急ぎ楽園を綾が追いかける。 「なによ。はやく、事情聴取して、追わなくちゃいけないのよ」 「うー……なんか、病院はいってからカリカリしてない?」 「してない」 「えー、してるよ」 「してないってば!」 「二人とも、病院では静かにな。しかし、楽園、お前、病室わかってるのか?」 楽園はエレベーターの前で足を止めて、不機嫌な顔をして現を睨みつけた。 「どこよ」 ぷっと綾は噴出した。 「楽園ったらわからないのに進んでたの」 「なによ、笑うことないでしょ」 まるで二匹の猫が爪を出してじゃれているような姿に現は肩を竦めた。 「病院では静かにな。っと、お、白衣の天使のナースさん発見。すいませーん、面会です」 廊下の端にいたナースが現の声に顔をしかめて、近づいてきた。 「なんですか、あなたは、大声を出して。病院ではお静かにお願いします!」 「え、あ、すいません」 ナースに叱られる現の姿に綾は笑いを噛み殺し、楽園は鼻を鳴らした。 「すでに面会の時間は過ぎていますが、あなたたちは……?」 ナースは三人の姿の一貫性のなさにじろじろと警戒した視線を向ける。 「あ、俺たち、あやしい者じゃないんですよ、これ、本当! 今日、学校で突き落とされた女の子いますよね? その子のことでお話を伺いに来たんですよ、聞いてませんか?」 「え、ああ、あの子ですね。わかりましたら、ご案内します」 現の言葉にナースは納得したらしく、歩き出した。 「あ、すいません。おい、行こうぜ。いや、美人のナースさんに案内してもらって、ラッキーだぜ」 「まぁ口がうまいのね、あなた」 ナースは嬉しそうに笑う。そのチャンスに現はさらにたたみ掛けた。 「それで気になっていたんですがね、入院でしょ? 相当ひどいんですか? 怪我、あ、それとも、検査が長引いてる?」 「いいえ。たいした怪我じゃないんですよ。検査も終わってます。ただ頭を打ったからって……親が大きな会社の重役さんらしくて、周り子のお友達っていうのもそれ関連の取り巻きみたいなものらしくって、病院ではひと悶着ありましたわ。親もそうだけども子供も威張っていやなかんじで」 「突き落とした子供の親のほうはどうだったんですかねぇ?」 「母親が来て、向こうの親にさんざん怒鳴られていたわ。ちょっと気の毒だったわ、あれは……そのあと仕事が終わった父親が駆けつけて一緒に帰ったけど、自分の子供のこと、「あの子は、何考えているかわからない。危険な子なんです」とかいっていたし、あら、やだ、私ったら変なことを言ってしまって」 ナースはさすがにしゃべりすぎたと思ったのか口を噤み、取り繕うように微笑んだ。 「じゃ、ここですから」 「ありがさん」 現は手をひらひらとふってナースを見送ると、綾と楽園に視線を向けたあと、病室のドアをノックした。すぐに気の強そうな女の子の声で 「なに?」 と返事があったのに、ドアを開けると、頭に包帯を巻いた女の子がベッドに横になっていた。 女の子は三人を見て怪訝な顔をしたが、現が「探偵の仕事できたんだよ」というと納得したようだ。 「入れば? ママとパパはごはん食べにいっちゃったけど、なに? またお話しなくちゃいけないの?」 「うん。そうそう、パパとママはいなくてもいいよ。お嬢ちゃんのお話が聞きたいからさ」 それは好都合……現は心の中で呟きながら、それを顔にはおくびにも出さずに、ベッドの傍らにある丸椅子に腰かけると、にっと笑った。 「よっしょと、悪いな、突き飛ばされたときのこともういっぺん俺らに話してくれないか?」 「もう何度も話したけど……あの子、あんまり一人でいるから、私、可哀想になって、仲良くしようって声をかけたの。そしたら、あの子、いきなり」 そこまで淀みなく、まるであらかじめ決めていた台詞を口にするようにしゃべる女の子に楽園が動いた。 「どいて。私たちは、ここでのんびりしていられないのだし」 「え、なによ! あんた」 「真実を話しなさい」 「真実って、私はちゃんと真実を」 楽園は眉を寄せると、片手で女の子の肩を掴んでベッドに横にさせた。もう片方の手に鋏を握りしめて、それを女の子の口に突っ込んだ。 「いいかげんにその猿芝居はやめちょうだい!」 怒りと苛立ちを含んだ、静かな口調で楽園は言い捨てた。 「舌を切り刻まれるのが嫌なら本当の事を話さなさいお馬鹿さん」 楽園は残酷に微笑んで、口のなかに突っ込んだ鋏で少女の舌を撫でまわした。 「あなたの嘘がわからないと? 自惚れたお馬鹿さん、どうする? このまましゃべれなくなる? そうしたら、真実は好きにでっちあげられるわよ?」 女の子が恐怖に泣きながら呻く。目が必死に助けてくれと懇願する。 「真実を話す?」 こく、こく、と女の子が頷くと、楽園は激情に駆られた顔からすっと感情を消すと、女の子の口から鋏を抜いた。 「話しなさい。真実だけを。もし嘘をついたら、すぐにわかるんのよ? そのときは舌をちょんぎるわよ!」 女の子は瞳からぼろぼろと涙を零して震えあがりながら咳き込んだ。 「……いつも一人で、空ばっかりみて、なにしても平気な顔してて……むかつくから、階段で、取り囲んだの。……あの子が持ってる紙飛行機、踏みつぶしたら、突き落とされたの。けど、いじめてたのがばれたら、やだし。だから全部、あの子のせいにようって思って」 震える声で、ときどき嗚咽を漏らしながら語られる真実は、探偵から聞いたものとはあまりにも異なっていた。 現は泣きじゃくる女の子のベッドに腰かけなおすと、その頭を撫でた。 「お前さんがしたことは悪いことだ。反省しろ。……あのな、お前さん、突き落とされて、怪我して、すげぇ痛かっただろう? 誰だってな、他人に傷つけられたら痛いんだぜ。平気な顔していても、実はすげぇ痛くて、苦しかったのかもしれねぇだろう」 「だって……だって」 楽園は険しい顔をして、舌うちすると病室をさっさと出ていった。綾は現に女の子を宥めるのを任せて、病室を出た。 「待ってよ、楽園」 「なによ」 「あれはやりすぎ」 「……ああでもしなきゃ、あの子、話さなかったわよ」 「そうかもしれないとけど、あ、けどね」 「なに? お説教は聞きたくないんだけど」 楽園は苛立った目で綾を睨みつける。 「あ、違うよ。えーと、少しだけ、すかっとしたかな? それに話、聞いてね、今回の子のこと、やっと分かった気がする。あ、褒めてるんじゃないよ、ああいうのは危ないからダメだよ! 今度するときは私が絞めるからさ!」 綾の言葉に楽園は目を丸めたあと、呆れたようにわざとらしくため息をついて肩を竦めた。 「そっちのほうが暴力じゃないの?」 「え、そんなことないよ!」 「いやー、おめぇら、二人とも暴力的だぞ。よ、女の子のほうは落ち着かせてきた。……俺も、探偵から話を聞いたときに、なんっーか、出来すぎて裏があるとは思っていたが、ああいう裏だとはな」 現は頭をかきながらため息をついた。 「まぁだらだらと話を聞いている暇はなかったから大目に見るがよ。これからは暴力的なのはナシな。あのな、手ぇだしちまったら、そっちのほうが負けんだ。手段を選らばねぇとな」 現は小さな子供たちを相手にするように腰に手をあててめっと楽園を睨みつけた。 「よし、反省は終了。次はどこにいく?」 「私は親のほうにも会いたいわ。あまり希望は持てないと思うけど、女の子の行きそうなところのヒントがあるかもしれないし」 「おし、そうだな。……ん、玖郎から連絡はいってるぜ。どうやら見つけたらしい。 ……俺は玖郎のところいくが、楽園はそのまま親に会いに行け。あ、暴力はなしな。だめだからな! これ、現さんとの約束なっ! 綾はどうする?」 「うーん、私も、ちょっと気になるか楽園と親に会いにいってくる。あ、会えたら、これで怪我の治療してあげて」 「おう、サンキュウな。じゃ、あとでな。暴力だけはだめだからなっ!」 綾から救急箱を受け取り、現は念に念をいれて注意すると玖郎の指定した場所へと向かった。 墨汁をぶちまけたような、艶やかな夜色の空。 地上からは鼓膜を破る様な雑音ともつかない音楽が建物のあっちこっちから溢れ、様々な色を帯びた人工の輝きに満ちている。 探索のため、ずっと下を見ていた玖郎はいくつもの輝きに目が眩み、こめかみに痛みが走るのを我慢せねばならなかった。 冷たい風が頬を嬲る。淀んだ空気が喉を痛め、翼にねっとりとした重みを与えてくる。 もしかしたら自分と同じ世界の者かと僅かな希望を抱いて、この依頼を引き受けたが……手負いの同族は、もし違っていたとしても、同じ空を飛ぶ者として地上に落ちる屈辱と心細さはどれほどかと思うと、はやく見つけ出してやりたい。 ただ空から虱潰しであったが、そうしていると玖郎の傍にかぁかぁと声をかけてくる黒い翼の鴉たちがいた。 見ると、建物の隙間に巣があった。 ひとがひしめく地にも順応した鳥はいたようだ。 「ここはおまえのなわばりか」 かぁと鴉は鳴く。 「勝手にはいったことは詫びよう。しかし、探している者がいるのだ。……黒い翼の者を知らんか? 怪我をして地上に落ちたそうだ」 鴉たちはかぁかぁと忙しく鳴いたあと、ふらりとどこかへと飛んでいった。数分して二羽、三羽と仲間を連れて戻ってきた。 その一羽が、自分のなわばりで子供と黒い飛べない鳥がいる、と教えてくれた。 「助かった。礼をいう。……いってみるか」 玖郎はまずはノートに情報を書き、そこへと飛んだ。 空から玖郎は、それを見つけた。 迷宮のように複雑なビルとビルの合間を黒いそれと少女は人目を避け、ナメクジが這うように移動していた。 少女が立ち止まるのに、玖郎はタイミングをあわせて二人の前に降りた。 「さがしたぞ」 空から降りてきた玖郎に少女が驚きに目を剥く。しかし玖郎はそんなものには頓着せず、黒い両翼を持つ存在に一瞥を向けた。話に聞いていた通り、人のような姿をしているが、その全身は黒い羽で覆われ、さらには腕になる部分は翼だ。 しかし、玖郎の同郷の者ではなかった。 心の端に僅かばかりの落胆を感じながら玖郎は二人を見た。 「むかえにきた」 その声に少女の顔が強張った。その横にいる鳥のほうは無表情だ。 「おのれの世界をみうしなった者は消えるさだめにある。だがそんな者を保護する場所がある。そこでならおまえの治療も受けられるだろう」 気遣うように片手を差し出し、出来る限りゆっくりと玖郎は言葉を紡ぐ。 黒い鳥は何か大切なものを失った眸で玖郎を見つめた。何も言い返さないが、その眸がはっきりと感情を滲ませたとき、少女が叫んだ。 「いや! 保護するって、どういうこと、それってこの人が帰る場所じゃないんでしょ。だったら、私が、私が、この人を返すの。ちゃんとしたところに」 少女は黒い鳥に縋りつき、叫ぶ。 「……酷なことをいうが、童、おまえがそれの帰るべきところには連れてはいけない」 「そんなことない、もん、そんなこと……なら、私も、私もいくっ!」 子供の泣く声に玖郎は眉間に皺を寄せた。複雑な人の考えとは、いつも玖郎を困惑させる。 「居所をみうしなってない童はつれてはゆけん。それがことわりだ」 「やだ! ぜったいにいやだ!」 頑なな少女の態度に玖郎は困り果てた。かわりに鳥のほうを説得することにした。 「……黒い鳥、おまえがここに残るのは勝手だが、じきに消えることになるぞ」 消える、という言葉に少女が驚き玖郎を見つめる。 「きえる? 紙飛行機みたいに、なるの?」 「かみひこうき? それがなんなのか知らんが、消えるのがさだめだ……のちに改めてここへ帰属することは可能だ。その姿が異形でしかないこの地で生きてゆく覚悟があるならな」 鳥の顔にはじめて困惑が走った。 玖郎の提案がどれだけ過酷であるかは、彼自身がよくわかっているのだ。 「童、おまえはまだ雛だ。うまく飛べねば獲物はとれぬし、同時に狩る者たちからは恰好の獲物となろう……巣の外で息抜くには覚悟が必要だ。おのれの命運を懸けた」 「そんなもの、とっくにかけたわ! 私は雛で、守れないかもしれない! 大切な、大切な紙飛行機だって守れなかった! けど……もう、とっくに後戻りなんて出来ないっ」 少女は 全身の毛を逆立てた猫のように、玖郎を睨みつける。 「突き落としたから、ひとごろしだから、もう帰れないもん」 「それは誤解だ。おまえが突き落とした者は生きて」 玖郎はそこで言葉を飲みこみ、さっと背後に目を向けた。 「鉄と火の匂い……」 近くで火の爆せる音がしたのに玖郎はちらりと黒い鳥と少女を見た。黒い鳥は片腕のなかに少女を抱き、険しい顔をしている。 「……おれがここにいては一緒に襲われるだけだな」 連絡をした他の仲間が間に合わない以上、ここで彼らを守るのは自分しかいない。 あまり戦いたくないが、と思ったとき、悲鳴と怒声が聞こえてきた。ばた、ばたんと大きな音が響き渡り――そして、静寂が訪れた。 一人の気配が近づいてくるのに玖郎は目を凝らし、それが現であるのを確認した。 「おー! いたいた!」 「おまえ、どうした、その格好は」 現の頭や体のあっちこっちに砂埃がついているのに玖郎は訝しげに尋ねる。 「え、ああ? ちょっとあぶねぇもんもった奴らが多かったからな、穏便に話し合ってきたんだ。決して目障りだからって暴れたとか、落し穴があったからそいつらを突き落としたりはしてねぇぜ。これはな、ああ、そうだ。転んだんだ!」 「……そうなのか?」 「おうよ!」 なんとなく腑に落ちないものはあるが、本人が言っているのならばそうなのだろうと、玖郎は納得することにした。 現はからからと笑ったあと、ちらりと玖郎の背にいる二人を確認した。 「二人を説得しているが、どうにもうまくいかん。おまえは子供の扱いが得意か? おれはどうに苦手だ」 「おう……あー、ありゃ、覚悟した目だ。……ことで、玖郎」 現は玖郎の肩に手をおいてにこりと笑った。 「わりぃ!」 「……? なんだ」 にこりと現は笑ったまま、玖郎の肩をとんと突き飛ばした。 「なっ」 ぐらり、と玖郎の体が後ろへとよろけたとたん、上から何かが降ってきた。 「!」 大きな網が玖郎の身の自由を奪い取る。 「おい、これは!」 「わりぃ、玖郎! あ、これは追っ手のやつがもってたな網だ。かなりでけぇし、丈夫なんだとよ。けど、おめぇなら自力でなんとかできるよな! 俺は信じてるぜ、おめぇのこと!」 現は悪戯っ子のようににぃと笑って片手をひらひらと振ると、黒い鳥と少女に穏やかな視線を向けた。 怯えた二人に現は手を伸ばした。まるで遊びに誘うように。 「おら、逃げるぜ。走れ! 行くんだろう?」 現の手に少女は怯えた眸に、強い輝きを宿し、頷いた。 楽園と綾が少女の家に訪れると、青白い顔の母親と疲れ切った父親が出迎え、家のなかに招いてくれた。 居間は、よく掃除され、花が飾られ、さらには母親の手製のぬいぐるみが飾られて……理想の家庭を形にしたようであった。 だが、それを見たとき、綾は息が詰まるのを感じた。 「さっそくだけど、あなたたちの子供のことを聞きたいの」 楽園が切り出すと母親も父親も俯いた。 「よくわからない子なんです」 「頭はよかったですが、しかし、一人でいつも部屋に閉じこもっていたし、俺は仕事で忙しいから、家のことはお前の仕事だろう」 「あなた、そんな」 「あ、あの! ……お子さんの部屋、見せていただいてもいいですか?」 綾の言葉に、諍いをはじめた二人ははっと顔をあげて恥じ入るように頷いた。 こちらです、と奥の子供部屋に案内され、断りをいれてなかを見ると、綾は目を丸めた。 壁という壁に空の、鳥の、飛行機の写真が貼られているのだ。部屋の端にある箪笥の上には子供が大好きそうな人形たちは無造作に置かれて埃をかぶっている。ただ勉強机はきれいに掃除され、その上に紙飛行機と古めかしいお人形が寄り添うように置かれている。 まるで押し付けられたような女の子らしさと、それと反する感情がぶつかりあったかのような部屋。 「あの子、女の子なのに、写真が好きで、とくに飛行機や鳥が……本当に変わっていて」 「そんなことないですよ!」 綾は自分でも無意識に声を荒らげていた 「写真って素敵な趣味だと思います。変なんかじゃないですよ。ぜんぜん!」 「けど……」 綾がさらに言葉を重ねようとしたのを楽園の腕が止めた。 「なに言っても、その女性には通じないわよ。この部屋をみてもわからないんだから。……子供の心が理解できないっていったわね。理解しようとしなかったくせによくいうわ。あなたたちの話、聞いていれば責任転換と保身ばかり、なんて利己的な人達かしら」 楽園の冷たい眼差しに母親が肩を震わせた。 「あ、あなたになにがわかるのよ」 「わからないわ。だって、私は幸せだったもの。私のお父さんとお母さんは兄妹だったの。けど、私の事を愛してくれた、だからとても幸せだった。貴方達の子供みたいに不幸じゃなかったわ。あなたたちが不幸にしたのよ。その愚鈍のせいでね!」 鞭を振うようにぴしゃりと楽園は言い返し、愚かな母親と父親を見た。 「私たちは、子供を探すわ。あなたたちはどうする、私たちについてくる?」 母親はふるふると首を横に振りすすり泣きだした。 「どうして、私たちの子は、あんな風なの? 私、必死に」 「お前……なんだっていうんだよ。俺らは必死に、与えてきたのに。親としての義務を果たしてきたのに。可愛がってきたのに、どうして」 父親は母親を胸に抱くと、忌々しげに楽園と綾を睨みつけた。 「頼む、家内が混乱してる。出ていってくれ!」 悲鳴のような怒声が轟いた。 少女の家を出ると、肌寒い風が吹いたのに綾は拳を握りしめた。 「あれってさ、母親が悪い人ってわけじゃないと思うんだよね」 「なによ、いきなり」 「うーん、あれは、あの人なりに必死にさ、自分のわかってることを当てはめようとしてるんだと思うんだよね。けど、それと、今回探してる子ってぜんぜんあわないんだよ。たまに、あるよね、血が繋がっていてもさ、趣味とか考えとかあわないの」 綾のたどたどしい言葉に楽園は黙って目を細めたあと髪の毛をかきあげた。 「それをわかった上で、子供を自由に、そして愛してあげるのが親でしょ」 「うん。けど、出来ないというか、そんな風に考えられない人もいるんだよ。あの母親はさ、子供のこと愛そうとして苦しんでるの、あの子の部屋に飾られてるぬいぐるみを見て思った。それがすごく間違っていても必死なんだって。楽園の親みたいな人ってきっと少ないんだよ」 「……あら、連絡きてるわ。……現が、ロストナンバーと子供を連れて逃亡したですって」 「なに、それ。ずるい、現さん! 私も一緒にやりたかった!」 綾が思わず叫んだのに楽園が冷たい一瞥を向けた。 「うっ、だって……だってさ、きっと、すごく外に行きたいんだよ。まだその自分の場所がわからなくて、あがいてるんじゃないかな。今回はさ、ちゃんとゴールをさ、あげなくちゃいけないと思うんだよね」 「私も、空の、自由さに憧れてたわ……ゴールが必要なら、作りましょう」 「え?」 楽園が空を仰ぎ、綾へと視線を向けて目を細めた。 「誘いだすのよ。行くわよ」 「よし、出来た。どうだ。痛まないだろう?」 現はにっと笑った。 黒い鳥は自分の腕に巻かれた包帯をしげしげと見つめたあとこくんと頷いた。 「追っ手は巻いたし、さて、どこ行く?」 「……逃がしてくれるの? どうして」 「ん? あー、そうだな。……俺、孤児院をしていてな。そのせいかな、助けを求める子供を見ると、ほっとけねぇんだよな」 じっと不安と期待と疑いを混ぜた視線を向ける少女に現は目を眇めた。 「お嬢ちゃん、あんたは大人が信用できないって思ってるだろう? だったら信用しなくていい。俺はな、ただ自分がしたいからしてるんだ。感謝とかそんなもんはいらねぇよ。ああ、だけどよ、これだけは言っておくぜ、お嬢ちゃんの親が心配してるぜ」 「してない、そんなの。……あんな人たちは、いなくなってせいせいしてる、絶対」 「お嬢ちゃん、あんた、そこらへんの大人よりも賢いから、教えてやる。あのな、大人でも間違いするし、わからないことに困っちまったりするんだぜ。おめぇの両親はそれなんだ。おめぇのことわからないし、知らない。けど、愛情がまったくない、なんてことないぜ。ましてやいなくなってせいせいするってこともないさ」 少女が下唇を噛みしめると現は笑った。 「で、どこに行くんだ? 俺は協力するが、行き先は自分で決めるんだ」 「……私は」 そのとき少女の視界に白い――紙飛行機が落ちた。 「これ、どこから?」 空を見上げると、いくつもの紙飛行機が飛んでいた。 少女は目を凝らし、それがどこからか放たれているのか見つけ出した。 煌びやかな、タワー。 少女が黒い鳥に視線を向けた。すると、鳥が優しげな目を向ける。 「空」 玖郎の前に鴉が近づき、カァと低い声で鳴いて、教えてくれた。 「来たようだぞ」 その声にタワーの屋上で紙飛行機を飛ばしていた楽園と綾は手を止めた。 少女と、その横には黒い鳥。それに付き添った現の姿。 少女はよろよろと疲れきった足取りで進むのに、綾はすぐさまに駆けよっていくと、両手を差し出して、少女の頬を両手でつつみんだ。 「わ、すごく冷たい。ここの端ね、すごくきれいなんだよ。あと少し、がんばって歩こう。私も一緒に歩くから、ね」 綾の手が少女の手をとり、屋上の端へと導く。 もう、道はない。 ただ果てのない空。今は黒く染められ、地上は瞬く輝きに満たされている。 ここがゴール。 道はどこにもない。ただ、ただ、果てが。 「お疲れ様。疲れたでしょ? 座ろう。あ、私の膝、座ってよ。こうしたらさ、あたたかいから……もう説明しなくてもだいたいのことはわかってるよね? けど、私は私で、キミと話してみたかったんだ。あのね、醜いアヒルの子って童話知ってる? これなんだけどね……自分の居場所がわからない鳥のお話なんだ。これよかったら読んで、ううん、プレゼント! すごく元気になるから。……あのね、居場所がないってキミ一人が思うことじゃないよ。私も思った。すごく。けどね、絶対にキミのための居場所ってあるよ。キミのことを抱きしめてくれる人も」 「いるの、かな」 綾の膝の上で少女は目を瞬かせる。 「いるよ! けど、それは自分で見つけなくっちゃいけない。大丈夫、私は見つけたら、キミだって出来るよ。だってここまで彼を諦めずに連れてきてくれたもん」 少女は綾の体にぎゅっとしがみついた。 「彼と離れるのがいやなら、あなたたち二人でどこまでも行ってもいいのよ。私は止めないわ。その鳥だって、あなたと共に行くつもりじゃないのかしら」 楽園の声に少女はびくりと顔をあげた。その瞳からいくつもの涙が溢れてくる。 少女は首を横に振った。 ここについたときに、すべてはわかったのだ。 「連れていって、あげて、ほしいの。この子、そこが帰るべき場所なら。私がいるのは、ここ、だから」 しゃくりあげる少女を優しく、励ますように綾は少女の頭を撫で、ふと顔をあげた。 「これからまた辛いかもしれないけど、がんばって。キミは頭がイイし、ここまできた根性があるもん。絶対に大丈夫だよ」 綾の言葉に少女は泣きながら頷いた。
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