窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」 車内販売のワゴンが通路を行く。 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。●ご案内このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすかなどを書いて下さい。どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。!注意!このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。
かの地に五行五色の理(ことわり)在り。 即ち―― 木行の青。 火行の赤。 金行の白。 水行の黒。 そして、土行の黄なり。 人々をまとめ都を鎮守せしむるも、ひょんなことから旅の空。 散った花びら、再び集いて。艶やかな燐光の万華鏡はいかなる華を描き出すのか。 今宵語りまするはその幕間。小さな身体に大器の魂、歩けばぽくぽく下駄が鳴る。その名も誰が呼んだか「ぽくぽくさま」――黄燐様のお話にござーい。 「0世界行き、ロストレイル6号、発車致します」 車掌のアナウンスと共に、腹の底に届くような駆動音を響かせながら動き始める車列。その車両を区切る扉の一つがスライドし、鮮やかな山吹色の布地がのぞいた。 「ふぅ、やっと戻れるわね」 ぽこん、と小気味好い音を奏でるのは、高さ十数センチはあろうかという高下駄――いわゆる木履である。慣れた様子でバランスを崩す事も無く前に踏み出ると、背後で空気の抜けるような音と共に扉が閉まる。 「ご苦労さま」 労いの言葉を掛けたところで、少女――黄燐はふと踵を返した。 一歩踏み出す。 プシュー、と扉が開いた。 その足を引っ込める。 プシュー、と扉が閉まった。 「……………………」 ぽこん ぽこん ぽこん プシュー プシュー プシュー 足を上げると見せ掛けて――そのまま! 扉は微動だにしなかった。 「どこから見ているのかしら……生真面目な奴ねぇ」 わざとでもいいから、間違って動かしちゃうくらいの茶目っ気があってもいいのに――そんな事を思い面白くなさそうに鼻を鳴らした瞬間、目の前で扉が開き、彼女は思わず仰け反ってしまった。 大きく見開いたニ対の瞳が向かい合う。 「お客様、どうかなさいましたか?」 「え!? いや、うん、何でもないのよ」 小首を傾げる柊 マナに、慌てて誤魔化す黄燐であった。 泳ぐ視線がマナの押すカートに留まり、彼女は心の中で「これだわ!」と歓喜の声を上げる。 「そうそう。お饅頭と緑茶を貰えるかしら。あったかいのがあればそっちの方がいいんだけど」 「それでしたら、こちらを」 販売員の顔になったマナはカートの中から正方形の包みと缶ドリンクを取り出し、黄燐に手渡してきた。恐ろしく効率良く収納されているだけなのだろうが、まるで魔法のように多種多様な商品が取り出される様はいつ見ても不思議で仕方がない。 まあ、それはいいとして。 「こっちがお饅頭? こんなに食べられないし、冷たいんだけど?」 じんわりと温かい缶のお茶を傍らに置き、ちょっとした弁当箱くらいはある包みをしげしげと見る。厚みも大したものだ。この中に饅頭がびっしりと詰まっているとしたら――想像するだけで胸焼けしてしまう。 マナはにっこりと笑みを浮かべると、 「一口饅頭の九個入りですから、0世界に着く頃には丁度食べ終わられていると思いますよ。お席につかれましたら、端から出ている紐を引き抜いてしばらくお待ち下さい。すぐに熱々のお饅頭が出来上がりますので」 黄燐にはよく分からない説明をし、代金を受け取ってから去っていった。すぐに他の客が声を掛け、今や名物ともなっている酢昆布を購入している。 「う~ん……」 話を逸らす事には成功したが、別のもやもやが残ってしまった。 とりあえず自分の席に向かい、スプリングの利いたシートに跳ねるようにして腰を下ろす。その感触を十二分に堪能した後、包みを持ち上げて360°舐め回すように観察すれば―― 「あったあった。これね?」 確かに、ちょこんと顔を出した紐の先端が。これを引き抜けばいいらしいが…… おっかなびっくり言われた通りにしてみるも、包みに特別大きな変化は起きなかった。先程の扉の開閉にも似た、空気の抜けるような音が小さくしただけで――否、それだけではないようだ。 (あったかい……?) 手にした包みから熱を感じる。それに気がつけば、包装紙が湿気てきているような……? 「何が起こったのかしら」 何の気なしに蓋を取った瞬間だった。 「うわぷ!」 圧倒的な湯気が視界を埋め尽くし、驚く黄燐の顔を覆っていった。 そういえばあの都も、至るところから噴き出す蒸気が霧のように街全体を包んでいて、初めて見る人は驚いていたっけ。 北から流れ込んでくる水の力と、南から押し寄せる火の力がぶつかり合い、温泉となって湧き出る。東西にも象徴的な地形を配したその都は、『五行』と呼ばれる学問とも思想とも取れる法則によって栄華を約束されていた。法則によって地形を配したのか、それとも繁栄した土地に法則を見い出したのか、それは彼女にも定かではないが。 だが、ただ安穏と恵みを享受できるわけでもない。刻一刻と変化する世界と向き合い、人々を導く存在が不可欠であった。 それこそが、黄燐も名を連ねる五行長なのである。 今は代行を立てて急場を凌いでいるだろうが、この『証』――顔を隠す一枚の布が失われたままではにっちもさっちもいかないだろう。 早く戻らねばならない。が、方法は地道に世界群を巡るしかない。 気ばかりが急いてしまうかと思いきや、人とは器用な生き物のようで。時には心を揺り動かしたりしつつも、黄燐は現状を受け入れつつあった。 それはおそらく、独りではないという確信があるからだろう。幸か不幸か、他の長も全員が故郷との繋がりを失っている有様だ。 ならば、自分は『黄燐』としての役割を果たすまで。 それが、彼女の選んだ道なのだから。 いつか『証』を継承し、本来の名で歩み始めるその時まで―― 突如発生した蒸気によって温められた一口饅頭は、懐かしき故郷の名物には及ばぬものの、旅の道中でのお茶菓子としてはご馳走であった。 「う~ん、甘露甘露♪」 そして、一口啜った緑茶が爽やかな後味を演出する。何とも至福の一時ではあるが―― 「それにしても、ホントにどうなってんのかしら?」 黄燐は改めて、包みをしげしげと観察した。術でも仕掛けられているのかと思ったが、そういった気配は感じなかった。これは帰った後に分解してみなければ。 「三百やそこら生きていたって、世の中知らない事だらけよね」 頬杖をついて眺める車窓の外にはディラックの空。世界群の狭間を駆け抜ける螺旋特急ロストレイルはやがて0世界へと到着し、自分の今の居場所が待っている。こんな未来が待っていようとは、誰が想像しただろうか? 「今日の夕食は何にしようかしらね」 今食べたばかりじゃないかと言うなかれ。女にとって甘いものが別腹なのは、全世界共通の真理なのである。 「温野菜なんていいわね。『でんしれんじ』だったかしら? あの絡繰りも試してみたいし」 彼女の興味は目下、異世界の珍しい作物と、独特の仕掛けで動く『機械』なる絡繰りに向けられている。ロストナンバーになったらなったで、それなりに忙しい日々だ。 「色んな絡繰りを駆使すれば、最高に面白いイタズラも――おっと」 誰が見ているわけでもないの口を覆う。それでも踊る心は止められず、口許に笑みを浮かべながら黄燐は座席に身を沈めるのだった。ふわぁ、と可愛らしい欠伸が零れる。 「少し張り切り過ぎたかしらね」 到着にはまだ時間があるみたいだし―― 彼女が覚えていたのはそこまでで、後には甘美なまどろみが小さな神様を夢の世界へと連れていったのだった。 (了)
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