公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
長らく。 黄燐の頭の中には、映像として繰り返し流れることはあっても、決して口にしたことのない記憶があった。それは、言葉という記号の羅列に収めるには大きすぎたのもあるし、打ち明けるべき人がそれを受け取ってくれないかもしれない、という不安が常に黄燐の心のどこかであぐらをかいて座っていたせいでもある。 そんな記憶を、道端のゴミ箱に捨てるように、ぽい、と。赤の他人に打ち明けていい道理は果たしてあるのだろうか。黄燐はここに来るまでさんざ自問自答を繰り返したが、ついに答えは出なかった。 それでも。 「ただ、いい加減、この事を誰かに話したかったからね」 気にしないわ、と。 単眼模様の薄布越しに悟ったような笑みをつくり、黄燐は格子窓の向こう側に目線を遣った。『向こう側』からの返事は無い。 沈黙は肯定のサイン。ベルベットのソファに腰掛け、うまく言葉に結び付けられなかった記憶の欠片で満たすように深く息を吐けば、黄燐の小さな体はソファに沈む。宙ぶらりんになった脚がゆらりと空を切り、ぽっくり下駄の厚底が椅子の足に触れて、歯切れの悪い、だけど優しい音を立てた。 「じゃあ、聞いてちょうだい。あたしが抱えてる秘密は、お師匠様の恋人の話」 まだ、整頓は出来ていない。そんな心持を隠すように、黄燐は少しだけ語気を強めてみせる。 ◆ あたしは故郷にお師匠様がいたの。 今も生きているけど、いたっていう言い方は間違ってないわ。だってお師匠様はロストナンバーとして覚醒しているからね。 続けるわ。 お師匠様の恋人の名前は、白河子夜……シラカワシヤっていって、十九歳の、昼人族の女性だったわ。昼人族っていうのは、壱番世界の普通の人間みたいなものよ。 彼女の享年は十九歳……殺されたのよ。彼女と同じ、昼人族の神官に。 お師匠様に捧げる生贄としてね。 バカじゃないの? 生贄儀式は千年以上も前に廃止されているのよ。 あの神官だって知らなかったはずが無いわ、何で今更。 意味の無い事の為に、若い命をあたら散らして……。循環世界・五都市が聞いて呆れるわ、彼女が死ぬことで、一体何が生じて何を克したっていうの。それに意図的ではないにしたって、お師匠様の時も止めてしまった。 彼女が亡くなったのは、十月三十日。お師匠様が失踪されたのは次の日の、十月三十一日。そしてあたしが事を知ったのは、もうひとつ次の日だったわ。あたしはね、ただ、お師匠様に結果を聞きに行っただけなのよ。お師匠様、本当に幸せそうだったから。 お師匠様は、ご自分が東都の長だってことをずっと彼女に黙っていたの。 仮に身分を明かしていても、きっと彼女は態度を変えなかっただろうけど……黙ってるのが彼女の為だったのよね、あたしだってそうするわ。 だけどお師匠様は、誓約の紐を作って、彼女に会って、その時に身分を明かそうとしていたんだと思うわ。 壱番世界の儀式だと『ぷろぽーず』っていうみたいね。家族になって欲しいってお願いするやつよ。 そしてあたしは見てしまったの、お師匠様と同じ光景を。 首だけになった彼女をね。 彼女の死に顔は、今でもはっきりと思い出せるわ。 諦めたような、哀しいような、寂しいような……色んな、納得出来ない気持ちがごちゃ混ぜになった、とても見ていられない顔だった。 そりゃあそうよね……。 恋人の為に死んだなんて彼女はこれっぽっちも理解出来ないまま死んでしまったんだもの。それだって意味の無いことなのにね。 首の前には、お師匠様が用意した誓約の紐が置かれていたわ。 『あいするシヤへ セイリンより』 って縫われていたからすぐに分かったわ。 これを首の前に供えるしか出来なかったお師匠様が、どんな心持だったか……。 あたしには想像さえ出来ない。 そこからのあたしは無我夢中だったわ。 お師匠様の誓約の紐を拾って、離れてしまった彼女の首と身体をひっつけて……生き返るなんて思ってたわけじゃないわ、本当よ。 ただ、彼女が生贄として亡くなったことを否定したかっただけだと思うの。 そして彼女が住んでいた長屋を訪ねてみたわ、何かあるんじゃないかって思いながら。 そうしたらね、あったの。 『いとしのテンジンさまへ シヤより』 って縫われた、誓約の紐が。 二人の誓約の紐は、今、あたしが持ってるわ。 せめて『これ』だけは、近くにって。 ……その後、彼女を埋葬したの。生贄としてでなく、白河子夜としてね。 それからどうやって帰ったか、よく覚えてないの。 ただ、中央都の湯気みたいに濃い霧の中を歩いてたらね、彼女の冷え切った身体を思い出して、ああ、彼女は本当に死んじゃったんだって急に実感が湧いてきて……そこから先は、霧じゃなく涙で前が見えなかった。 あたしの行った事は越権行為だと分かっているつもりよ。 でもね、お師匠様と彼女の事情を知るのもあたしだけだったから、仕方がなかったの。二人には家族がいないからね。 もうすぐ、家族になれるはずだったのにね。 そういえば、彼女の首……乾いた涙の筋を、何度も撫でたような跡があったわね。 お師匠様がやったんだと思いたいけど、どうなのかしら。こればっかりはお師匠様に聞かなきゃ分からないわよね、でも……今ここで話した、あたしが行った事、お師匠様にまだ言えてないの。 だってお師匠様、覚醒する前と明らかに雰囲気が違うんだもの。いつもにこにこ笑ってみせてるけれど、何をお考えなのかさっぱり分からない。 こうやって顔も分からないあなたに打ち明けたって、お師匠様に言えなかったら何も変わらないのにね。 これであたしの秘密の話は終わりよ。 聞いてくれてありがとう、少しすっきりしたわ。 ◆ 誓約の紐は、お互いがそれと知らぬままそこに在った。消え行く記憶と命はパスホルダーで繋ぐことが出来たが、ありし日の優しい記憶はいつか必ず色褪せる。それに抗って見せたことが正しかったかどうかは、まだ、分からない。 黄燐は目を伏せたまま、すっかり沈んでいた体をソファから引き剥がし立ち上がる。抱え続けていた記憶は、手を離して外から眺めてみると、存外、重たかったらしい。 秘密は、果たして明かされるべきなのだろうか。 告解室は今日も、誰かの代わりに秘密を打ち明けられている。
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