「ひな祭りって、走り回るようなイベントでしたかね……?」 心の底からの疑問、といった呟きに振り返ると、相変わらずやる気も気配もない世界司書がそこにどんよりとした顔で立っている。さすがに慣れたらしい何人かが、またかと納得したように頷いている。「わすれもの屋の季節イベントか?」 ひな祭りでどんな事態を巻き起こす気なんだと面白そうに尋ねられ、司書は嫌そうな顔をしたが諦めたように溜め息をついて重そうに持っていた紙を持ち上げた。「今度は事もあろうに、モフトピアで開催するそうです……」 沈鬱な声で説明され、モフトピア!? と誰かが不審そうな声を上げた。「店主って、別の世界に行けたんだ!?」「残念ながら、ツーリストですので。恥を晒しにも行けるそうですよ」 他世界に迷惑をかけるくらいならいっそ、いやでも手伝わされないのはいい事かとぶつぶつと悩み始める司書を、それは家に帰ってからやってくださいと誰かが止めた。「そんな事より、詳しい説明」「……。お内裏様を熊型のアニモフに。お雛様を栗鼠型のアニモフにやってもらうそうです」「へぇ、一つの浮島に別型のアニモフがいるのか」「いえ、別です。今回は三つの浮島に渡っての迷惑なイベントですので」 嫌そうにしながらも司書は正三角形の描かれた紙を見せ、下の頂点の右を指した。「こちらが栗鼠型のアニモフがいる浮島。左に熊型のアニモフがいます。各一名ずつ連れて、」 説明しながら上の頂点を指し、「この浮島にある雛壇まで連れてきたらゴールです」 まぁ、それだけの話ですと適当な説明を続けた司書は、問題があるとすれば一つと続ける。「店主がアニモフたちに、どんな説明をしているか分かりません。協力的な者もいるかもしれませんが、逃げる隠れるなどされるでしょう。その場合は、アニモフを上手く捕まえるなり説得するなりして連れて行く必要があります」 くれぐれも本気で嫌がる相手に無理はしないでくださいと念押しした司書は、多分彼らは心から楽しんでるでしょうけどねぇと小さく付け足した。「今回は特に妨害はありません、アニモフと戯れて浮島渡りを楽しんでもらえたらいいといった趣向でしょう」 それだけで終わるように切に望みますと拳を震わせた司書は、気乗りした方は参加してくださいと止めたげな風情で言う。「とりあえず店主にとってはいつも通りの悪ふざけですが、モフトピアであまり馬鹿を晒すようなら取り押さえてきてください」 寧ろそれ依頼にしたいとでも言いたげに続けた司書は、始末書の書き方でも調べておきますかねぇと深い溜め息をつくと、頭を下げて離れていった。
「雛祭りって日本のお祭りでしょ? 日本かぶれのパパに聞いたことがあるわ。この日は何でもレディファースト、女の子が特別待遇される日よね! 女の子の女の子による女の子の為のイベント……素敵」 ぐっと握り拳で噛み締めたのは、ヘルウェンディ・ブルックリン。実は密かに憧れていた着物(膝丈)に赤い下駄、愛用のシルバーアクセサリで固めた完璧なファッションを披露すべく、今は帯と格闘中だ。 「手伝おう、か?」 着物は何度か着たよと声をかけながら、さっと手を貸して手伝ってくれたのはシスター姿のディーナ・ティモネンだ。シスターの衣装にまぁるい熊耳、ふっさりした栗鼠の尻尾がキュートだが、どうやら生えているわけではなさそうだ。 ありがとうと結んでくれるのを眺めながら、ヘルは小さく首を傾げた。 「ところで、どうしてシスターなの?」 「雛祭り、ベンキョウした。お雛さまと、お内裏さまの……厄払いマリアージュ。だから……連れてく私は、聖職者?」 つまりシスターと笑顔で答えるティモネンは帯を留めてくれると、それじゃあ用意があるからと大きなバスケットを持ってひらりと手を揺らして離れて行った。ヘルは自分の知る雛祭りとは違うんじゃないかとちらりと首を捻ったが、手伝ってもらったおかげで無事に着付けられた自分の姿を見下ろしてにっこりした。 「よし、バッチリ! お雛様をクールにエスコートする官女の出来あがり!」 後はお雛様を案内するだけねと意気込んで、持ってきた荷物を確認する。 アニモフは甘いお菓子とお酒で誘き寄せるに限る。ジェリービーンズとスイートリキュール、確かこれぞ伝統的な雛祭りのワンセットだ。 厳選して持ってきたのだから間違いはないはずだが、ここは味見もしておくべきかとお酒に手を伸ばしかけた時、もっふりパラダイスー!! と叫び声が聞こえてびくりと身体を竦めた。 恐る恐る振り返れば、ひなモフでもっふり祭りもふり放題ーっ! と歓声──なのだろう、多分──を上げている小竹卓也が、手をわきわきさせている。 「せっかくだから俺はクマとリスのもふもふをもふるぜ!」 何だかハンターのような目で宣言している小竹に、できるだけ近寄らないでおこうと少し距離を取ったところに、小竹の後ろからぽすぽすとでっかい栗鼠型のアニモフ──否、バナーが歩いてきた。しゅぴーんっと音さえ立てて振り返った小竹に、バナーはびくっと飛び上がっている。 「もふもふリスモフもといバナーさんはっけーん!!」 「ちょっ、アニモフと間違えたならまだしも名前呼んどいて抱きつきにこないでよー!」 獲物を見つけたハイエナもかくやといった動きで走り寄った小竹より俊敏な動きで逃げたバナーは、二メートルの距離を保ちつつ寄るな触るなと噛みついている。 「ええー、自分とバナーさんの仲じゃん、もふらせてよー!」 「どんな仲だよっ」 絶対に嫌とあくまでも二メートルの距離を保って逃げるバナーに小竹はちぇーっと拗ね、それから何かに反応したように振り返った。 「尻尾……!」 素敵尻尾が揺れていると目をきらーんとさせて小竹が振り返った先には、白い単眼模様の布で顔を隠した白燐。小竹が反応したのは白燐のふさふさ尻尾で、何やら忙しなく嬉しそうに揺れているが小竹に向けた声は低く落ち着いている。 「どうかしたか?」 「いやもう、もっふりしたい素敵な尻尾だなーと!」 「尻尾?」 聞き返しながら自分の尻尾を見下ろした白燐は、分からなさそうに首を傾げる。その間にバナーはお先! と逃げ出していて、ああっと打ちひしがれた小竹は膝から崩れ落ちるほど悄然としている。 「いやっ、まだクマリスモフたちが待っている……! そうだった、こんなところで打ちひしがれている暇はないっ」 いざ行かんまっふりパラダイスと電光石火で立ち直ったらしい小竹は、待ってろよふわもふー! と叫びつつ走り去る。 世の中、色んな人がいるものだ。 見なかった事にしようとそっと視線を外すと、 「ふわもこなのです! もふもふなのです! 楽園がユートピアして理想郷なパラダイスなのです!」 と、先ほどの小竹に似た台詞がまだ穏やかに届いた。探すように視線を巡らせると、白くふんわりなシーアールシーゼロが嬉しそうに目を輝かせていた。 「多分これがモフトピア初の『雛祭り』なのです。モフトピアに雛祭りを広めようという店主さんの高い志に応えるのです」 ぐっと握り拳を作って意気込んでいるゼロの言葉で、伝え聞く店主の姿にそこまで高い志があるのかどうかと疑問に思ったが突っ込むのはやめておく。目が合うと嬉しそうににっこりしたゼロが、いざ雛祭りなのです! と広報の使命に燃えて歩いていくのを見送った。 とりあえずヘルとしては雛祭りができればそれでいい、用意したスイートリキュールをちらりと舐めて頬を緩める。 「ん、美味しい」 さあ、楽しい雛祭りの始まりだ。 モフトピアで店主が馬鹿を晒すようなら取り押さえろ、と聞いた気はする。するけれど今はとりあえずどうでもいい。卓也の頭にあるのは「ひなもふり」のみ、まずはリスモフがいるという浮島に来てちょっと冷静になった。 「怖がらせてもいけないし。ここは一つ、雀取りの罠」 言いながら取り出したお菓子の数々を、遠くから並べて置いて行く。雀を取る場合は籠が必要だが、そんな無粋な物など今回はいらない。籠の代わりに、自分がそこで待っていればいいのだから。 「待つよ。じーっと待つよ! よ!」 誰にともなく宣言し、言葉通りにじーっと待つ事しばし。お菓子を辿って食べながら近寄ってくる、小さいリスモフが一人。もう二つ三つお菓子が残る距離で、ふと目が合う。 思わず飛びつきたくなる気持ちをぐっと押さえ、何この拷問すぐそこにもっふりがあるのにーっの悲鳴も隠し通し。じーっと卓也の顔を見ながらもお菓子を食べて近寄ってくるリスモフが手の届くところまで来た途端、 「もふぅ!」 もはや言葉にならない。確保というより限界突破、もふるー! と決めて、ぎゅうぎゅう抱き締める。きゃーと楽しそうな悲鳴を上げてじたばたされるが、もっふりふさふさな尻尾が顔に当たる、腕に当たる。 ああもう何この素敵もふ様はー! と満足いくまで撫で倒し、はっと我に返ったのは大分時間が過ぎてからだった。 「しまった、まだクマモフも連れに行かなくちゃ!」 「ひなまつりー?」 アームウォーマーよろしく抱き上げた卓也に腕に捕まるようにぷらぷらしながら尋ねてくるリスモフに、思わずでれっとするのを何とか堪えながら頷く。 「そういえば、店主からは何て聞いた?」 「んー? ひなまつりー!」 ひなだんに並ぶのーと楽しそうに尻尾を揺らしながら答えるリスモフに、また端的すぎる説明だなと苦笑する。 「まぁ、とりあえずお雛様ゲットで次はお内裏様のクマモフだー!」 「だー」 多分に分かっていないままも繰り返して揺れるリスモフを、ああもうこの可愛すぎるまっふまふ様めと撫で回しながら、次の浮島に向かう。 さっきしたのと同じようにお菓子を仕掛けてその先で待つのだが、今度はリスモフが一緒だ。捕まえる時に邪魔にならないように隣で座っててほしいと頼んだが、聞く耳はなかったらしい。 オウルフォームのメーゼが気になったらしくちょっかいをかけるリスモフから、何故か飛ばずにちまちまと逃げ回るメーゼ。楽しそうにそれを追いかけるリスモフは卓也の腕や足の上をちょこちょこと走り回り、そのふっさりな尻尾は撫でろと命令してくる。 「っ、ああもう限界だってそりゃ撫でるよもふるよー!」 可愛いぞちくしょー! とメーゼも纏めて一緒に撫で繰り回し、はっと気づくとお菓子がない。何あれ何あれとばかりに遠巻きに見ているクマモフたちは、多分に卓也が仕掛けたお菓子を食べながら面白そうにこちらを見ている。 こほん。と咳払いしてとりあえず自分を落ち着かせ、もう用意してきたお菓子がないのを確かめる。それならここは、最後の手段! 「一緒に雛祭り行く人、手ぇ上げて!」 はいはいと自分が率先して手を上げながら卓也に、つられたようにクマモフの何人かがはーいと手を上げる。 「よっしゃもー全員確保ー!」 持てるだけ連れて行くと宣言してこーいと手を広げると、きゃあきゃあと騒ぎながら駆け寄ってくるクマモフが可愛い。 お内裏様の数が多すぎない? の自分突っ込みは遠く小さく、モフ祭りサイコーの歓喜の悲鳴に簡単に負けた。 「まずはお雛様から誘いに行くのです」 モフトピアで初めての雛祭り、ここは来年の手本となるべくきちんと手順通りに浮島を回らなければならない。そういえば雛祭りなのに、どうしてひよこじゃないのだろうといった疑問は微かにあるが些細な事だ。店主がツーリストだったくらい些細な事だ。 「ゼロは、店主さんはロストメモリーだとばかり思っていたのです。……あれ? そういえば、店主さんと相方の司書さんはなんというお名前なのでしょう? 名で呼ばれているのを見たことが無いのです」 おやと首を捻って考えるが、すぐにふるりと頭を振った。 「きっと、いろいろと事情があるのです。聞かないでおくのです」 聞かれて困る事はそっとしておくが吉なのですと何度となく頷いている間に、リスモフのいる浮島に辿り着く。 ゼロよりもずっと小さく、ちまちまっとした動きが可愛らしいリスモフたちは、ゼロを見て興味深そうにしている。誘い出す使命なのですと心中でぐっと拳を作ったゼロは、まずは誘ってみるのですとにっこりと笑いかけた。 「ゼロと一緒に雛祭りを遊びませんか?」 きっと楽しいのですと声をかけると、リスモフたちは顔を見合わせてきゃーっと楽しそうな声を上げて逃げ出した。一瞬きょとんとしたゼロは、はっと思い出して手を打った。 「そういえば、逃げ隠れされるかもしれないって聞いたのです。きっと雛祭りを波乱万丈でドラマティックな物にするための、店主さんの深謀遠慮なのです」 他に聞く者があればその純真さに涙するより必死で洗脳を解こうとされるだろう発言をして、ゼロは両手で拳を作って大きく頷く。 「ここは女の子らしく受けて立つのです。鬼ごっことかくれんぼで正々堂々の真っ向勝負なのです!」 そうとなったら本気でやるのですと楽しく目を輝かせ、ゼロは逃げたリスモフたちを追いかけ始める。 「リスさんたちー。ゼロが勝ったら、雛祭りで遊ぶのです!」 声をかけながら追いかけると、前をぴょこぴょこと逃げていたリスモフが楽しそうに振り返ってきて問いかける。 「まけたらー?」 「負けたら、今度は雛祭りで勝負です!」 でも負けないのですと声を弾ませ、ちょろちょろと木の影に逃げてしまうリスモフたちを追う。捕まえたと手伸ばしても、するりと身をかわすリスモフの尻尾にちょんと触れられたらいいところだ。 どうやら小さいだけあってすばしっこく、なかなか捕まってくれそうにない。見つけたら勝ちの隠れん坊のほうがよかったのですととりあえず足を止めて息を吐いていると、もうおしまいー? と木の枝からひょこっと顔を出したリスモフたちが嬉しそうに声をかけてくる。 「まだまだなのです! でも、このままでは決着がつきそうにないのです」 リスモフはまだ元気に逃げ回りそうだし、ゼロも追いかけるのに異論はない。これはこれで楽しいが、雛祭りとしての目的は果たせない事になる。 それはよくないのですとちょっとばかり考えたゼロは、名案を思いついてそれではと指を立てた。 「この決着は、雛祭りでつけるのです!」 「ひなまつりでー?」 どうやって、と首を傾げるリスモフたちに、それは勿論とにっこりと笑う。 「行ってのお楽しみなのです!」 決着をつけるのですとどーんと宣言したゼロに、リスモフたちもちょっとだけ考えた後に行くーと楽しそうに声を揃えた。 満足そうに頷いたゼロが、隣の浮島でもクマモフたちを同じ方法で誘ったのは言うまでもない。 白燐はリスモフやクマモフを連れて行くのは無理だろうと踏んで、先に雛壇のある浮島へと向かった。道具作りでもいいなら、雛壇作りに手を貸すほうが有益だろう。 「あまり得意ではないがな」 それでも楽しみにしているのは、そわそわしたように揺れている尻尾から十分に伝わってくる。 壱番世界の雛祭りは知らないが、彼がいた世界では火行に属する上巳、桃の節句という認識だ。穢れ払いの日だが店が出て、南都が一番賑わう日だった。 懐かしさも手伝い、何が起きるものかと楽しみながら足を進めていると足元にちょろちょろとアニモフたちが纏わりついてきた。 「しっぽ、しっぽ」 「いっしょ? いっしょ?」 言いながらふんわりとした尻尾を見せて尋ねてくるのは、リスモフたち。モフトピアに来るのは初めてだが、本当にもふもふだなと僅かに口許を緩めた。 そっと手を伸ばし、ふかっとした感触を楽しむようにして頭を撫でた。嬉しそうに目を細めている姿を見て、白燐の尻尾もふわふわと横に揺れる。 「残念ながら、俺は半分狐だ」 一緒ではないなと答えると、リスモフたちは分からなさそうに小首を傾げた。 「きつね。ちがう?」 「ちがうのかー。なら店主といっしょ?」 きらきらした目で見上げていたリスモフたちが振り返ったのを見て顔を巡らせると、浮島の中央辺りで緋毛氈を広げている人物を見つけた。友人たちから伝え聞いた姿と重なり、あれが店主だろうと見当をつける。 視線に気づいたように顔を向けてきた店主は、ああと笑顔になった。 「君が一番乗りのようだな」 「いや、俺はアニモフを連れていない。道具を手伝おうと思ったんだが」 「それは助かる。雛壇にかかりきりで、まだ衣装にも手をつけられていない有様でな」 アニモフの好奇心を計算に入れなかったと楽しそうに笑った店主に、衣装ならと持っていた荷物を持ち上げて見せた。 「幾つか用意してきた。まじっくてーぷ、とやらを使ったから、着付けも簡単にできるだろう」 「それは有難い。気の利くお客人で助かった」 これで雛壇も格好がつくと嬉しそうにした店主は、なになにーと白燐に群がるアニモフたちを引き止める。 「それは雛壇に上がる、お雛様たちの衣装だ」 「だめなのー?」 「コスプレは雛祭り参加者の特権だからな」 君たちは遠慮するようにと笑った店主に、こすぷれとは何だ? と白燐が首を捻った。 「改めて聞かれると返答に困るが……。普段とは違う格好をしてなりきる遊び、とでも言うべきか。君も十分、雛壇を飾るには相応しい格好のようだが」 「よく分からん。俺はずっとこの格好だ」 それでもこすぷれなのかと尋ねる白燐に、店主はおかしそうに声にして笑った。 「まぁ、お雛様が余るようならお相手も務めてくれ」 「手伝うのは構わんが」 答えている途中で、いい匂いと荷物に群がっているリスモフに気づいた。 「ああ、ひなあられも持ってきた。甘いほうがいいかと思ったが、醤油と味噌もある」 よければ振舞ってくれと店主に荷物を渡した白燐は、既に幾つか出来上がっている雛壇や桃、橘の花飾りなどを見つけて尻尾をゆらりと揺らした。 白い布に隠れているため表情は窺えないが、ぴこぴことちょっとした速さで揺れている尻尾を見ればどうやら白燐も楽しんではいるらしい。 予想通りといえば予想通りにもふりにきた小竹を避けて先に進んだバナーは、雛祭りねーと呟く。 最初に聞いた時は、特にどうとも思わなかった。今までも曲解した季節イベントはやってきたみたいだし、楽しいのが多いと思っていたのだが。今回はいきなり何故かモフトピアでと聞いて、えー、と凄まじい疑問が湧いた。 「確か雛祭りって、女子の祭りなんだよね? っていうか、アニモフ利用するのってどうかと思うんだよー」 どんな目を背けたくなるような事態が巻き起こる好き勝手なイベントになったとしても、今までであればチェンバー内の事だからとして納得もできたけれど。わざわざモフトピアで、アニモフに迷惑をかけてまで開催する意味がまったく分からない。 「まぁ、リスのほうは、ぼくと同じだし。コスプレして店主騙して、軽くとっちめるかな」 反省してもらわないとねーと呟きながら真っ直ぐ雛壇のある浮島に向かっていたバナーは、途中ではたと思い至って足を止めた。 「んー、でも一人で行くとばれるよねー。クマは誘っておくべきかな」 とりあえず店主に近づくには、途中まで従うしかないだろう。 目的としては店主を懲らしめるべくした参加だ、誘う方法など深く考えていなかったが何とかなるんじゃないかなと楽観視してクマモフのいる浮島へと進路を変える。 「んー。おいしいものがあるよーって誘ったら、ついてきてくれないかな」 考えながら知らず呟いていると、おいしいの? といきなり声をかけられた。ふと視線を落とすと、何だか目をきらきらさせたクマモフたちが群がっている。どうやら待ちきれずにいるべき浮島からお出迎えに出ていたようで、バナーを見つけて近寄ってきたらしい。 「おいしいの? どこ?」 「なにがおいしいの?」 わくわくした様子で聞き返され、バナーは目指すべき浮島がある方角を指した。 「雛壇のある浮島に、おいしいのがあると思うんだよー。一緒にいこー」 「おいしいの!」 「行くー!」 いともあっさりと誘われてついてくるクマモフたちに、自分で誘っておきながらあれだけど、と心中に呟く。 (こんなに簡単についていったら駄目だってー。もうちょっと警戒心持ったほうがいいよー) 純粋といえばこれ以上なく純粋培養なクマモフたちを連れて浮島に向かいながら、やっぱりとバナーは決心を新たにする。 (アニモフを巻き込んだのはよくないよー。状況によって、と思ってたけど……) やるしかないよねーと拳を作りつつ、誘われて楽しそうにはしゃいで歩くクマモフたちを眺める。 バナーの目から見ても、もふっころとしたクマモフがちまちまと歩く姿は大変可愛らしい。ドラケモを見ると理性が飛ぶもっふりハンターが見れば、到底黙っていられなさそうな……。 先ほどの狩人のような目をした存在が驚くほどのスピードで駆け寄ってきた事を思い出し、バナーは思わずぶるっと身体を震わせた。 「常に二メートルは離れていよー……」 連れて行く以上、このクマモフたちも近づけてはならない。ただ問題は、既に犠牲になっているリスモフやクマモフがいかねない辺りだろうか。 「うう、やっぱり許すまじだよー、店主!」 毛皮のない人間には分からないかもしれないが、もふられる側の身にもなってくれー。 オヤツ等が山ほど入ったバスケットを揺らして、ディーナはわくわくと浮島に向かっていた。パン、蜂蜜、胡桃、ポンポン菓子、ナッツ類、ジュース、花束キャンディー、サンドイッチは勿論、紙吹雪に紙テープ、着替えも入っている。用意万全、準備万端だ。 一部おかしな物がなかったかとの疑問を呈す者は、幸いにしてこの場にはいない。当然ながらディーナの中にもないなら、問題はないとするべきだろう。 「厄払いマリアージュ、アニモフの結婚式……」 きっと可愛いと、へにゃりと口許を緩めたディーナを見るのは辿り着いた浮島のリスモフたちだけだ。ディーナは軽くサングラスを上げて、誰か来たよと楽しそうに見上げてくるリスモフたちにこんにちはと笑いかけた。 「みんな……あっちの島で、オヤツ食べない? お菓子食べて、ジュース飲んで……結婚式の、真似? 最後は、みんなで……川に飛び込んで、終わりなんだって。みんなで、一緒に、遊ぼう?」 にっこりと笑って誘うディーナの言葉にある不審を突っ込む者は、くどいようだが誰もない。リスモフたちも目をぱちぱちと瞬かせ、けっこんしきー? と顔を見合わせている。 いまいちぴんときていないのは明白だが、とりあえずリスモフたちにとって最も重要だと思われる、あっちの島でおやつを食べるというところは大いに理解できたらしい。ディーナに向き直った全員が、食べるー! と声を揃えて飛び跳ねた。 「うん。じゃあ、行こうか」 クマさんたちも誘おうねと促すディーナに、リスモフたちもはーいと嬉しそうな声を上げてついてくる。かなりの数のリスモフたちが、ディーナの後ろをぞろぞろとついて行進する。 「しっぽー」 「いっしょー?」 「うん、リスさんの尻尾。こっちはクマさんと一緒」 丁度目の辺りに揺れている尻尾をふさふさーと撫でるリスモフたちに、楽しそうにしたディーナは自分の丸い耳を指して答える。 「クマさんとリスさんの、結婚式だからね?」 「しきー」 「けっこしきー」 「けっこんしきー」 意味も分からず楽しそうにはしゃぐリスモフを連れたディーナは、次なるクマモフたちも同じように誘った。勿論、彼らの答えも一つ。 「食べるー!」 おやつーと嬉しそうにはしゃぎ、つられたリスモフたちと手を取って跳ねる姿は微笑ましい。しばらくは優しくそれらを見守っていたディーナは、はっと思い出して一枚の紙を取り出した。 「えっと、ね……雛祭りとは、三月に行うお祭りです。参加する新郎・新婦さん役は、壇の上で、キャンディーフラワーを交換しましょう。観客役は、それを見たら、紙テープを投げて、お祝いしましょう。終わったら、みんなで壇の下に集まって、おやつの時間です。最後は川に飛び込んで、誰が一番遠くまで跳べたか、競争します……だって」 誰情報だ。と小一時間ほど問い詰めたい話を披露したディーナは、クマモフやリスモフがうーん? と首を捻っているのを見て自然と口許を緩めた。 「まぁ、……後でいいか……。とりあえず向こうに着いたら、クマさんと、リスさんに分かれて……、ジャンケンで、一番勝った人が、壇の上に上がろうね?」 そこまでは大丈夫? と確認すると、クマモフやリスモフたちはちょっと間考えるように首を捻った後、はーいと大きく声を揃えた。 要はつまり、雛壇のある浮島まで一緒に行けたらそれでいいとしよう。 ヘルは、何やらほわほわと雲の上でも歩いているような足取りで、気分よくお雛様に向かっていた。モフトピアの足元は実際に雲だが、それ以上にふわっふわしているのは先ほど自分が用意してきた甘酒の味見が過ぎてしまった為だろう。 へにゃふにょーんと覚束ない足取りとご機嫌度三割増くらいで辿り着いたのは、リスモフのいる浮島。物陰からこそこそっと窺っている気配に、そんな事じゃ駄目よ! とびしっと指を突きつける。 指した先がちょっぴりずれているのはご愛敬だ。 「ハリウッドデビューには程遠いわよぉっ! 一に積極性、二に自己アピール! 三四がなくて五にスタイル! スレンダー! スレンダーであるべき、胸なんかよりすらっとほっそりであるべき!!」 よって私は大丈夫! と何やら違う主張を始めるヘルに、隠れていたリスモフはそーっと離れ出している。目敏く気づいたヘルは、そこ! とやっぱりずれた先を指した。 「雛祭りに付き物の、甘い物もちゃーんと持ってるわよ!」 「あまいものー?」 ほしいと反応して、あっさりぽてぽてと近寄ってくるのはリスモフと、どうやら隣の浮島から渡ってきていたらしいクマモフ。ちょーだいと手を出す別型のアニモフを見比べ、ヘルは目を瞬かせた。 「お雛様が二人……? どっちを連れて行けばいいの?」 聞いてないと眉を顰めたが、ねぇねぇちょうだいと詰め寄ってくるモフモフ雛に、まぁいっかと軽く頷いた。 「とりあえず何人でも、連れて雛壇に向かえばいいのよね。ちゃんと連れてったげるから、泥船に乗った気で任せなさいお雛様!」 心配が弥増すような基本的ミステイクだが、誰も気づかないならよしとするところだろう。どろぶねー! とはしゃぐ声を聞いているとちょっぴり心配だが、ご機嫌さんなヘルはリスモフと右手を、クマモフと左手を繋いで歩き出した。 「あにゃりをふけまひょ、ほっほいにー」 教えてもらった雛祭りの歌(うろ覚え)を口ずさみつつ、両手を揺らして楽しく歩いていたヘルだが、ぼんやりと遠くにレッドカーペットを見つけて思わず目を輝かせた。 「ああっ、ブロードウェイが私を呼んでる! 夢のハリウッドデビュー!? アカデミー賞ノミネート!?」 酒精で曇っている目を夢見るように輝かせ、ヘルはアニモフを抱き上げて駆け出した。そのままの勢いで緋毛氈を引いた五段飾りの雛壇を駆け上がり、頂上に立つと感極まったようにうっとりと空を仰いだ。 「パパ、ママ、見てる? レッドカーペットのスターダムを駆け上がるのはこの私、ヘル・ブルックリンよ!」 応援ありがとうと抱いていたリスモフとクマモフに何度もキスをして下ろし、持っていたジェリービーンズを紙吹雪よろしくばら撒き出す。おかげで周りにいた他のアニモフたちも、何だかよく分からないままもわーっと拍手をして盛り上がり、すっかり出来上がっているお嬢さんはにこやかに手を振ってそれに答えている。 つくづくと言おう。お酒は二十歳になってから。酒は飲んでも飲まれるな。 「……大分、賑やかになってきたな」 モフ雛となるべく連れられてきたクマモフたちに、お内裏様の衣装を着付けてやりながら周りの様子を窺って白燐がぽつりと呟いた。店主はリスモフたちを着付けながら、楽しそうで何よりだと呑気に笑っている。 「とりあえず、転げ落ちそうなお嬢さんは助けるべきかな」 大分足元が覚束ないようだと店主に心配されているのは、先ほど駆け上がった雛壇の上で愛想を振り撒き続けているブルックリンだろう。ご機嫌な様子で踊っているせいか帯も解け始めていて、あれでは自分で帯を踏んで転びかねない。 白燐がせめて警告しようと口を開きかけた時、案の定帯を踏みつけたブルックリンは雛壇の頂上から後ろにぐらりと傾いで倒れた。 「おちたー」 「だいじょぶー?」 着付けられながら心配するお内裏様方の呑気な声の向こうで、ぐえっと蛙を踏み潰したような音が聞こえる。さっきから視界の端でぴょこぴょこしていた熊の着ぐるみを着た男が、どうやら落ちたブルックリンの下敷きになって助けたらしい。 「こぉの大虎がっ、今日の主役は熊と栗鼠で虎の出番はねぇぞっ。いくら怪我し難い土地柄とはいえ、気ぃつけろ!」 「そんなことよりカメラは、カメラは無事か? お雛様をちゃんと撮らないと帰してもらえないとか理不尽すぎるっ。つーかそもそも何で俺が栗鼠なんだよー」 せめてお内裏様の熊がいいとブルックリンを助け起こしながら嘆いているのは、栗鼠の着ぐるみを着た男。 あれがこすぷれか、と思わず遠い目をして白燐が眺めていると、カメラ!? と彼らの言葉に食いついているのは小竹だ。ここに着いた時から連れてきたリスモフとクマモフを纏めてもっふりし倒している(本人談)のだが、ぎゅむぎゅむと両腕に抱けるだけ抱いた幸せそうな状態で栗鼠の着ぐるみに迫っている。 「今! 今この幸せを撮って焼き増ししてくれるって事だよな、このむくもこ天国のもっふりなモフモフをもふって撮ってまふもふと、」 「いや、悪い、分かる言葉で喋ってくれっつーかその状態で食いついてくんな、怖いっ!」 毛だるまで近づいてくんなと熊の着ぐるみに押し退けられつつも小竹が素晴らしき楽園について熱く語っていると、じゃあ俺は仕事があるからとカメラを持ってそそくさと栗鼠の着ぐるみが逃げ出した。この卑怯者ーっと熊の悲鳴も聞かずに逃げた栗鼠の姿を知らず視線で追いかけると、 「もっと平和な雛飾りが撮りたいよなってそこの団体さん、写真は。写真はどう!」 美人さんだーと嬉しそうに声をかけられているのは、ティモネンが率いる団体様だった。じゃんけんで勝ったクマモフとリスモフは、さっき白燐が着付けた衣装を着て嬉しそうに雛壇の上に並んでいる。その周りを取り囲んだアニモフたちは手に何かを持っていて、しゃしんー? と不思議そうにする。ティモネンは丁度よかったと微笑み、今から花束の交換と雛壇上の二人を指した。 「えと、それでは……みんなが、これからも……折に触れ、仲良く遊べるように願って。キャンディーフラワー、交換です。みんな、テープ投げて、テープ」 促したティモネンに、きゃあきゃあと騒いで紙吹雪と紙テープが投げられる。壇上の二人はキャンディーの花束を交換し、嬉しそうににっこりしている。 「まるで結婚式だな」 幸せそうだと目を細めた白燐は、しっぽしっぽとクマモフたちに纏わりつかれる。無自覚だったが、どうやら頻りに揺らしてその光景を微笑ましく眺めていたらしい。 その間に撮影を終えたらしい栗鼠が、あのちょっとそこの美人さんー? と不審げな声をかけているのに気づいて再び視線をやる。と、ティモネンは連れてきたアニモフたちを浮島の端っこまで連れて行って、川じゃなくて雲海だけど、とどこか照れたように言ってスカートを軽く持ち上げている。 「飛び込んだ距離競争、ね? えーい!」 掛け声をかけると真っ先に雲海に向かって飛び込んだティモネンに続き、アニモフたちも大はしゃぎしながら飛び込んで行く。 「雛祭りってそんな行事だっけ、違うよね違うと思うんだけど違うと思ってる俺の感覚がひょっとして間違ってんの!?」 混乱した様子で栗鼠が突っ込む後ろからは、これなのです! とゼロが目を輝かせて連れてきたアニモフたちに振り返っている。 「雛祭りで勝負のつけ方は、これしかないのです! ゼロたちもやるのです!」 言うなりティモネンに続き、ゼロも勢いよく元気よく雲海に飛び込んでいる。おかげでその場にいたアニモフたちは、全員が真似をして飛び込み始める。 ゼロはやるのです! と自分より先まで飛んだクマモフを讃え、でも負けないのです! と宣言すると泳いで島まで戻り、再び飛び込んでいる。かちー、まけー、と楽しく騒ぐ声に、今まで大人しく着付けられていたクマモフたちが、やぁんと身を捩った。 「とぶー!」 「とびこむー!」 早くと着替えてる最中のアニモフたちが急かすので、白燐はとりあえず外れないようにマジックテープをつけて終わったぞと頷いた。と、ありがとうと笑ったクマモフの一人に手を取られ、行こうと引っ張られる。 「うん? いや、俺は飛び込むのはやめておく」 「どしてー?」 「着替えも持ってきてない」 至極尤もな解答を口にするのに、手を引いているクマモフは目をぱちくりとさせる。何を言っているのか分からない、といった様子に白燐のほうが戸惑うと、店主が楽しそうに声を上げて笑った。 「着替えが気になるようなら、着ぐるみなら用意できるぞ?」 「……彼らが着ているような?」 ちらりと視線をやった先では、助けてもらった礼から始まって今は家族に会いたいと泣き始めてしまったブルックリンと、それに相槌を打つようにしてモフ語りの止まらない小竹に挟まれ、虚ろな遠い目で空を仰いでいる熊の着ぐるみ。 「ねえちょっと聞いてるの?! あんな奴、最低なのよ!」 「あーはいはいそれでパパがどうしたって?」 「パパじゃないわ、パパが最低なんてよくそんなひどい事が言えたもんね!?」 「言ったの自分だろっつか何で俺こんな状態に、」 「私がパパの悪口なんて言うもんですかっ、だってパパは最高なの! 誕生日にもね、」 「最高、最高に決まってるよな、こんな素敵もふり放題のモフ祭りー!!」 「そうよねっ、分かってくれる!? パパもママも最高なの!」 「分かる分かる、だってこんなまふまふしたお雛様とかもー正に俺の為のユートピア、モフトピア! そう、つまりマフドラド!」 ちいとも噛み合ってない会話の真ん中に置き去りにされ、ぴーぷーと北風に吹かれている熊が物悲しい。 「……着ぐるみは遠慮しておこう」 「それは残念だ」 腕の見せ所だと思ったのになと笑う店主に苦笑する間にも、早く早くと腕を引かれるので白燐も尻尾をぴこぴこと揺らして島の端まで向かった。 バナーは大半のアニモフや雛祭りの参加者たちが雲海に飛び込むほうに夢中になったのを見て、サンバイザーを取るとリスモフを装ってほてほてと店主に近寄って行った。今なら誰も見ていないし、丁度いい頃合だろう。 「おや。君もお雛様の衣装を希望かい?」 サイズがなさそうだなとバナーを見て目を細め、何なら作り直すがと衣装を広げて見せた隙を衝いて隠し持ってきたスタンガンを取り出した。気づいた店主はスタンガンとバナーを見比べ、物騒だなと苦笑した。 「本当はこれをお見舞いして、0世界に引き摺って行こうかと思ってたんだけど」 でもやめとくよーと使わないまま片付けてサンバイザーを被り直すと、店主が物問いたげな視線を向けてくる。 バナーはちらりと視線を動かし、0世界でのイベントと同じく纏まりのつかない状況を繰り広げるモフトピアを眺めて大きく息を吐いた。 「この馬鹿騒ぎを認めたわけじゃないよー。皆に迷惑かけてどうするんだって思うし」 大分本気で迷惑だよーと顔を顰めて声を低めると、店主は静かに衣装を下ろして申し訳ないと頭を下げた。 「うん。反省はしないとねー」 あんまり馬鹿をすると今度こそ懲らしめるよと脅しのつもりもなく告げたバナーは、楽しそうにはしゃいだアニモフたちの声を聞いてそっと嘆息した。 「でもまぁ、アニモフも楽しんでるみたいだし……、ねー」 今回だけはそれに免じるよーと、遠くはしゃぐ姿に眩しげに目を細めた。
このライターへメールを送る