ターミナルの一画に、『ジ・グローブ』という小さな看板のかかった店がある。 気まぐれに開いたり閉まったりしていて営業時間は判然としない。いつ行っても店には誰もおらず、ただ机の上に白黒のまだらの猫が眠っているだけだ。 猫を起こさぬように呼び鈴を鳴らせば、ようやく奥から店の女主人が姿を見せるだろう。 彼女がリリイ・ハムレット――「仕立屋リリイ」と呼ばれる女だ。 彼女はターミナルの住人の注文を受けて望みの服を仕立てる。驚異的な仕事の速さで、あっという間につくってしまうし、デザインを彼女に任せても必ず趣味のいい、着るものにふさわしいものを仕上げてくれる。ターミナルに暮らす人々にとって、なつかしい故郷の世界を思わせる服や、世界図書館の依頼で赴く異世界に溶け込むための服をつくってくれるリリイの店は、今やなくてはならないものになっていた。 そして、その日も、リリイの店に新たな客が訪れる。 新しい注文か、あるいは、仕上がりを受け取りに来たのだろう。 白黒のまだらの猫――リリイの飼猫・オセロが眠そうに薄目で客を見た。●ご案内このソロシナリオは、参加ＰＣさんがリリイに服を発注したというシチュエーションで、ノベルでは「服が仕立て上がったという連絡を受けて店に行き、試着してみた場面」が描写されます。リリイは完璧にイメージどおりの服を仕立ててくれたはずです。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・依頼した服はどんなものか・試着してみた反応や感想を必ず書いて下さい。！注意！魔法的な特殊な効能のある服をつくることはできません。
「こんにちは……」 プレリュードは、仕立屋『ジ・グローブ』の軒をくぐり、室内に視線を巡らせた。 店内に女主人の姿はない。代わり、使い込まれながらも小奇麗な机上で、丸まった一匹の猫が大欠伸を以って迎えてくれた。 概ね数日前と同じ状況に、プレリュードは不思議と安心感を覚える。 「オセロさんは今日も起きたばっかりなのかしら？ 眠そうね」 プレリュードは白黒まだらの猫の頬に手を伸ばし、優しく撫でた。 オセロもまんざらでもないのか、なすがまま喉を鳴らす。 少しの間そうしていて、ふと本来の用件を思い出し、プレリュードは遠慮がちに呼び鈴を鳴らした。起きていても、ついオセロを気遣ってしまう。 僅か間を置き、奥からひょいと顔を出すなり「あら、いらっしゃい」と声を掛けたのは、仕立屋リリイその人だ。 「こんにちは、リリイさん」 近しい年頃の女主人を認め、プレリュードもまた、改めて挨拶した。 「こんにちは。もう来る頃と思って待っていたのだけれど……むしろ、お待たせしてしまったかしら？」 「そんなことないわよ。ね、オセロさん」 小首を傾げるリリイの言葉を受け、プレリュードはオセロにウィンクしてみせる。オセロは目を瞑ったまま、ぴくぴくと長い眉毛を揺らして応えた。 無頓着な猫の様子に、二人の婦人はくすくす笑う。 「なによりだわ」 「ふふ。お願いしたものができたと聞いて」 「ええ。あちらにいらして」 招かれるまま、プレリュードは本来の用件の為、リリイの後に続いた。 「今日が待ち遠しかったわ。貴女のことだから、きっと素敵なものを作ってくださると」 「責任重大、ね。それに、やっぱりお待たせしてしまったみたい」 冗談を交えつつリリイが示したのは、人が歩くのを模して卓上に広げられたパンツスタイルのスーツ。 「これがスーツ……本で見た通り、シンプルなのね」 プレリュードは名画を眺めるように、注文した品をまじまじと見つめた。 目の前に広がる、壱番世界の歴史の最中で培われたフォルム。 ひとつの完成形と呼べるほどに洗練されており、だからこそシンプルなのだろう。 尚、本とはプレリュードが参考にした、とあるビジネス誌のことである。 誌面には『女性の戦闘服』と銘打たれており、今の壱番世界でも特に日本などは戦事など縁遠き災禍ではなかったかと一時首を傾げたプレリュードだったが、結局真に受けて、これをリリイに伝えた経緯がある。 さて、仕立屋なりの答えは本日推して知るところとなるのだが、如何に。 当のリリイはと言えば、客の最初の反応に、先ずは微笑むのみである。 確かめるには、やはり袖を通してみるのが一番だ。 「早速着ても良いかしら」 「勿論よ。是非、肌で感じてみて」 リリイはプレリュードに笑い掛け、試着室に案内した。 暫くして、試着室の波打つカーテンが内側より柔らかに開かれ、身を鎧うプレリュードが、妙に清々しい面持ちで、一歩一歩具合を確かめながら出てくる。 「どうかしら？」 「……流石リリイさんね。動きやすさを重視している――と言うより」 着用の結果、あらゆる制約から解放される。まるで、 「何も、着ていないみたい」 世の中にこんな服があるのか。 プレリュードは少なからず驚いていた。 「貴女が着ることで、貴女自身になるのだもの」 リリイは事も無げに笑うが、容易い境地でないことは素人でも窺い知れる。 プレリュードは、袖口より半ば出た手先で、先ずはブラウスに触れた。 体の線をなぞりつつも締め付ける要素は皆無。通気も良く、実に爽やかだ。 「着心地だけではなくってよ」 プレリュードの胸中を敏く見分けてか、リリイが言葉を添えた。 曰く、ブラウスとは下着であると同時にジャケットとパンツを結ぶ重要な役割を担うのだとか。着心地を守らなくては身体に障る。しかし、型を蔑ろにすると、合わせたはずのスーツに違和感が滲み出てしまうという。 「間を取り持つのではなくて、どちらも立てて調和をとるの」 「なるほど。三者が映えることで均衡が保たれるというわけね」 リリイの結論は、二人の紳士を相手取る淑女のたしなみを想起させる。 元来スーツは主張が強く、共にあるブラウスが壁の花では釣り合わない。在るだけで存在を誇示するくらいで丁度良いということらしい。 プレリュードの脳裏に浮かんだイメージを、リリイの嬉しげな笑顔が肯定した。 次に、プレリュードは内から外、つまりスーツに注目する。 吸い込まれるような黒地を縫うストライプが、タイトなレディシルエットを強調している。 「シルクを使ってみたのだけれど」 如何と小首を傾げるリリイ。 「良い具合だわ」 蚕の糸で編まれた布は、軽量ながら丈夫で柔らかく、通気に優れている。 独特の淡い光沢を帯びたジャケットはプレリュードから見ても随分細い仕上がりなのに、全く負担にならない。 懐を覗いてみれば、内ポケットは斜めに鋭く模られ、ボタン止めの細いベルトがホルスターを思わせた。それがナイフを納める為だと知った時、プレリュードはリリイの深い気配りに感じたものだ。 これを着ていれば、如何なる荒事にも耐え得るだろう。 「確かに戦闘服ね。それに、綺麗……」 隅々まで認め、姿見に映る我が身を振り返り、プレリュードはこのスーツが美しいのだということを実感した。 「野生の生き物って綺麗でしょう。スーツを着た貴女も、同じなのよ」 「私も？」 鏡に映る黒髪を軽く整えていたプレリュードは、悪戯っぽい口調のリリイが言ったこと真意が掴めず、戸惑った。 「例えば――野を駆ける獣。彼らは駆けることを極めた姿をしているわ。美しいのは、その結果」 同様に、機能を極めたスーツが、プレリュードとひとつになるということは。 「あ……」 プレリュードは合点がいき、はっとリリイの顔を見た。 「最初に言った通りよ。そのスーツは貴女自身になるの。ね？」 スーツイコール戦闘服に対する、リリイの答えだった。 「座って」 プレリュードが代価を支払うべく財布を取り出そうとしていた時のこと。 いつの間にやら鏡の前に椅子を用意したリリイが、再びプレリュードを招いた。 「？ どうするの？」 「とぼけたって駄目。髪型のこと、気にしていたでしょう」 「なんでもお見通しなのね」 「仕立屋ですもの」 「ふふ、ではお願いするわ」 観念して腰を降ろすプレリュードは、リリイの言い草につい笑ってしまう。 リリイはプレリュードの後ろに立つや否や黒髪をてきぱきと解かした後、手始めに前髪を分け目そのままにクリップで留めた。 「少し引っぱるわよ」 次に、他の髪全てを束ねて巻き取り、後頭部で小さく纏めて三ヶ所、四箇所とピンで固定してから、その間に毛先を入念に捻じ込む。 「前髪は横に流すから、元と一緒ね」 仕上げに前髪を降ろし、言葉通りに耳元で毛先をピン留めして、完成である。 「如何？」 既にプレリュードの髪を解放したリリイは、後ろにも鏡を掲げてみせる。 前は以前と同じだが、全体がコンパクトに纏められ、首が際立つスタイルだ。 「戦闘準備完了といったところかしら。随分すっきりしたわ」 即頭部と後頭部を見比べ、最後に改めて正面を認めて、プレリュードは頷く。 鏡越しのリリイは、今日何度目かの笑顔で頷き返した。 プレリュードもまた、心からの満足で口元が綻んだ。 「素敵な服……いいえ。素敵な仕立て、本当にありがとう」
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