「うきゅ! 行ってくるー!」 新しい朝はいつだって希望の朝である。 いつも元気にもっふもふ。角と背に生えた4色の翼が無ければ、一見しゃべるワンコなフラーダだが、角と翼のおかげで、角と翼の生えたしゃべるワンコだ。 体は白い毛と羽根に包まれもふもふ。頭から背にかけて一部が黒い。瞳は翼と同じ4色が混じり、首には水晶を下げている。 「日が暮れる前に帰ること!」 「きゅきゅっ」 世話人の門限の言葉も聞いているのか聞いていないのだか。 跳ねるように門を出て、石畳の道で一旦停止。 ふさふさの尻尾を存分に振り回し、嬉しげに空気の匂いを嗅いだ。 ――今日もいい匂いのする方へ! 彼は確か、何処かの世界のかなり高位な精霊竜の息子で。 『世界のバランスを護る』という使命を胸に秘めていて。 「おはなーいいにおいー♪ でも、あまいのーすきー♪」 どうも使命は胸の奥深くに秘められてしまったようで、フラーダは食欲全開で歌いながら跳ねるように駆けていった。 太陽はキラキラのポカポカで。 風はいい匂い。 ずるりと。 その小柄な男は路地裏に現れた。 暗い路地裏でもさらに暗い人型の影から、浮かびあがるように抜け出てきた男――隆樹は、服装も影のような黒装束。頭にも黒いバンダナを巻き、顔以外ほとんど肌の露出が無かった。 髪の色も、瞳の色も影のようで。 隆樹は服のほこりを軽く叩き。また、足元から勝手に体を這い上がってくる影を、手を振るようにして払った。 「ヴェンニフ」 『サイフのナカミなら、キノウのカセギが』 「自分で確認するのがいいんだ」 隆樹の影に住む魔物――ヴェンニフが先程這っていたあたりに手を伸ばし財布を取りだす。 中身はヴェンニフの言うとおり、なかなかの金額。 隆樹は財布を仕舞い直し、路地裏から歩み出る。 影が足に着いて来なかった。 「おい」 『ハイハイ』 ヴェンニフが返事をすると路地裏から飛び出し、隆樹の足もとに落ち着く。 隆樹が歩き出すと、傍から見て違和感の無い程度に影っぽく動きを合わせた。 『キゲンがイイですね』 「そうか?」 『さっきからサイフをナンドもサワってますよ』 「そんなことないだろ」 小声の会話をしつつ、レンガの敷き詰められた道を歩く。 そして特に高級でもない――至って普通の価格帯の、――行きつけの喫茶店に入る。 「いつもの。と、……アップルパイを」 「あら、お仕事終わったんですか?」 「あぁ」 「じゃあ、大きく切れちゃったトコ持っていきますねぇ。いつもありがとうございます!」 朝から黒尽くめな隆樹にも、店員はすっかり慣れた様子で笑顔を返す。隆樹は気持ちウキウキとしながらテラス席へと出た。ここなら人が少なく、またテーブルやイスの影が濃いのでヴェンニフが目立たない。 『キゲンがイイですね』 「うるさいな」 ヴェンニフが声に笑いを潜ませて、もう一度言った。影が笑っているかなんて、分かるわけが無いのに、隆樹にはイヤらしいほどに笑いの気配が分かった。 ――別に、アップルパイを食べたっていいじゃないか。 心の中で呟いたのに、ヴェンニフがさらに笑うように影を揺らした。 まったくわずらわしい。 「おまたせしましたぁー」 店員がトレイをテーブルに置くのに、軽く頭を下げる。アップルパイは店員の言った通り、大きくて。 足元の影がまた揺れたような気がする。 隆樹は軽く睨んで、 「やらないからな」 と言い…… 「?」 影の向こう側、道との境の大きなプランタの隙間から白くてもふもふした生き物がこちらを凝視していた。 ぽたり。 と。 もふもふの口から涎が落ちる。 しばし沈黙。 「……食いたいのか?」 隆樹はもふもふを見つめつつ、まずハムの挟まったホットサンドの方に手を伸ばす。 が、もふもふがパタリと振ってた尻尾を落としたので、フォークを手に取り、アップルパイの先を割った。 途端に激しく尾を振ったまま、前進してくるもふもふ。 一瞬、プランタの隙間に引っ掛かり顔が左右に引っ張られて、ぶにっと伸びる。 『ぶっ』 ヴェンニフが隆樹より先に吹きだした。 影の手が伸びて、プランタを少し横にずらしてやる。 もふもふは転がるように抜け出して隆樹の足もとに来てから、ぷるぷると全身を振り付いた汚れを落とした。 「きゅっ!」 「ほら」 アップルパイの欠片を手に乗せて顔の前に差し出すと、勢いよく食いついた。 「うきゅー♪」 目を細め尻尾をちぎれんばかりに振る嬉しそうなもふもふに、隆樹は何故か既視感を覚える。 ――この、もふもふとした竜。見覚えが…… 引っ掛かる。自分の、思考。 ――竜? なのか? このふわふわした生き物が。確かに背中に4色の羽根があり変な感じだ。犬っぽいが、犬では無いのはわかる。角もあるし…… ――が、竜なのか。何故知っている? どこかで見たことがあったか……? 頭痛がした。記憶にないのとは違う。記憶に白く靄がかかったようで…… もふもふを触ってみる。ヴェンニフはこちらの疑問を知らぬかのように、同じようにもふもふを触っている。 気持ちが良い。 もふもふは不思議そうにヴェンニフを見て、時折匂いを嗅いでいる。 『なんか、このままシメたくなります』 「やめろ」 ヴェンニフが言うのに、鋭く止めると、 もふもふが、顔を上げこちらを向く。 竜と 目が合う。 光。 ――憎いか? 我が、神が。 冷え冷えとするような水晶の洞窟。 目の前にいるのは先程まで触っていた白い竜だ。 ただし大きさは見上げるほどで、厳かな雰囲気は似ても似つかない。 ――憎いさ。何が世界をバランスを守るためだ。 自分の、声。 憎さと、苦さ。 ――それ故に、我を殺そうと。 竜の声は気高く強い。リンリンと鳴る水晶。見下ろしてくる4色の瞳。 ――違うね。このクソったれた世界の為だ。世界の為に、僕は悪になる必要がある。 ――……ま、ヴェンニフが今にも精神を乗っ取りそうなほど憎悪を持っているというのもあるが。 竜の細い目がさらに、満足気に細められた。 ――よかろう。ならば……! 切り裂くような殺気。 竜の瞳が目まぐるしく色を変える。 展開された多量の魔法。 駆ける。 跳ぶ。 魔法は当たらない。 懐へ。右手覆う影が槍になり。 貫く 束の間。 静寂。 ――そう、それで良い……。我はこれ以上、中立でいられる、力はなかった。殺し、て、くれて、感謝、す…… 4色の瞳が、色を失っていく。 光が、失われていく。 ――……竜殺しに感謝なんて、いらねえよ。 殺した。 闇。 冷や汗。 「きゅ? どうした?」 フラーダは突然頭を押さえて蹲った隆樹の顔を覗き込む。 4色の瞳は大きく。心配そうに煌めいていた。 「なんでもない」 隆樹は首を振る。 ヴェンニフは何も言わずに揺れる。 ――何故、何も言わない? 隆樹は一息つくと、フラーダを抱えてイスにあげてやった。 アップルパイの皿を丸ごと差し出してやり、隆樹は冷たいお茶を喉に流し込む。 嫌な白昼夢。 運命? ――――。 「名前、教えてもらっていいか?」 「きゅ! フラーダ!」 先程殺した竜に、名前を聞いた。 屈託の無い返事。 「僕は隆樹だ。その影はヴェンニフと言う」 「たかき! ヴェンニフ!」 フラーダは嬉しそうに名前を復唱した。尻尾がバサバサと振られ、触れようとしていたヴェンニフが絡まる。 「たかき! 甘いのくれた! 良い人!」 狭い椅子の上をグルグルと回るフラーダを、隆樹はまた撫でてやる。 頬ずりするように、手に絡まってくる。 ふわふわ。もふもふ。温かい白。 ――殺した、のか ――何故? 分からない。 分からない。 太陽は明るく温かく。 風は甘い匂いがする。 でもこれはきっと、 希望に満ちた出会いではない。 隆樹は黒装束の胸元を擦り、うっすらと残る冷や汗を拭った。 (終)
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