オープニング

 その病院が存在した場所は、インヤンガイでも開けた地区の一際暗い敷地内であった。
 インヤンガイという世界自体、霊力の力で夜空に鈍く輝く星を連想させるが、つまりそれは、人の居ない、或いは少ない地区であれば光は少ないという事に他ならない。
「しっかし、工事がしてぇからって、上も無茶言うもんだよなぁ」
 頭上では崩れ落ちそうな天井が、今しがた廃病院を訪ねた男にのしかかるように、大きく傾いている。
「仕方ないだろー? 今月は黒字続きの成長真っ最中なんだ。 この建物も壊し時って事さ」
 廊下、内装は全て壱番世界の病院から比べて少し劣っているか、同程度――勿論、インヤンガイに居るこの男二人には「別の世界」など知る由も無かったが――棄てられた建築物の内部とは非常に危険なものだ。二人は慎重に崩れゆく床を踏み抜かぬように歩く。
「ま、ちゃっちゃと中庭にいって照明灯さえつけちまえばいいんだろ?」
 一歩、一歩と踏み出せば、病院内は全くの暗闇ではなく、仄かな外の光と、所々に崩れかかった壁が抜け落ちるという事で、濃紺の視界を二人に提供していた。
「ここ最近じゃ暴霊も出るって聞くからな。 とりあえず、銃一丁ありゃ、十分だと思うが――」
 一人は手にライフルを、腰にはその弾丸を持って、得意げに何か的を狙うふりをする。
「扉の鍵はある程度開いてるな、逃げる準備もしてるんだ。 そう意味では用心もしてるし。 何かあったら、頼りにしてるぜ?」
 ぐ、と力を入れる扉の、その先には中庭があり、男の知る限りでは灯台を意識して作成されたこの地区一番の大きな照明灯がある。こうして、彼らはこの廃病院での目的を果たすべく、眼前に見える中庭内でそそり立つ建物へ、前進するのであった。

***

「インヤンガイにて、事件が発生しました。 至急依頼として協力をお願いします」
 0世界、旅人達を集めたリベル・セヴァンは自分たちの知る彼女と全く変わらぬ表情で、変わらぬ言葉を綴る。
「目的は暴霊の駆除、そして……」
 しかし、淡々と語り続きへと移ろうとするリベルへ、旅人の一人が暴霊とは何かと問う。
「インヤンガイに漂う霊。 その中でも人に害をもたらすもの、と、このケースは考えて下されば良いかと思います。 今回はその暴霊から現地人二人を救出して頂くのも目的の一つとしてお願いする事になります」
 暴霊。よく知られる言葉では、アンデットや悪霊そんな言葉が近いであろう。
 依頼のケースで言えば、廃病院、元は眼科の病院を営んでいたその場所には、当時の中途半端な医療、家族を養えなくなった遺族達が患者をただ見捨てて置き去りにするケースも多く、その実態は姥捨て山に近い実情であったという。その遺体――ゾンビが今回では敵となって襲い掛かってくる。
「病院で亡くなった人間や、近所で犯罪に巻き込まれて亡くなった方の遺体が暴霊となって、地主の命令のもと、工事の下調べにやってきた現地人二名を院内中庭にて、追い詰めようとしています」
 尚も説明は続く。廃病院自体は閉鎖的なコンクリート作りにより、二階建ての、入り口は玄関と、左右に伸びる廊下から生まれる壁の亀裂のみ。窓はあれど、硝子は脆く、近づくには少々リスクが伴うという事。
 旅人達の頭の中に、不恰好で刑務所の如く、鎮座する建物が想像として建築されたかと思えば、ここで一つ、リベルは浅いため息をついた。
「二人の追い詰められている中庭には、この付近では一番明かりの強い照明灯があります。 その明かりの光と一方が持つ銃で彼らは生きていられるのですが……」
 この病院に出現するアンデットは地域の為か、病院の性質上か、光を非常に好んでいるというのだ。元々死んでいるので目は見えなくとも、動物的な感覚で光を感知し、追ってくる。そして、救出しなければならない二人は今まさにそれでアンデットに追い詰められているのである。
 加えて、救助対象にしても、だ。上手く自分達を敵ではないと理解させなければ、アンデットに怯えた彼らの眼前に出た時点で持ったライフルで狙われるに違いない。
「暴霊(ゾンビ)の数は20体程度。 暗い中での戦闘か、なんらかの形で暴霊をおびき寄せての戦闘になるかと思いますが、救助対象を一番に考え、早急に依頼解決をよろしくお願いいたします」
 あくまで事務として頭を下げるリベルは、女性らしい澄んだ強い口調でそう言い、いつもの彼女で旅人達へと頭を下げた。
 廃病院、現地の人間は救助対象以外入りたがりはしない環境ではあるが、一度入れば放棄された建築物はアンデットと共に悪い足場、大きく動けば動く程、崩れる壁になって自分達を襲ってくる事だろう。
 少しばかり気を引き締めなければならない。

 インヤンガイ、所定の場所。救助対象の友人であり、探偵でもある、ミァン・リーに道案内をさせながら、旅人達は頭の中で依頼の状況をもう一度確認するのであった。

品目シナリオ 管理番号239
クリエイター唄(wped6501)
クリエイターコメントこんにちは。或いは始めまして。唄です。
βを抜かせば初シナリオという事で、今回は多少面倒、かつ無骨な戦闘依頼をお送りいたします。
依頼内容はOPの通り、救助対象にどう働きかけるか、上手くかわすかによって現状が一変します。
しかし状況が変われど、廃墟の脆さが御座いますので、皆様お気をつけ下さいませ。
また、唄の文体はスタイリッシュな戦闘より、じんわりと動く静寄りの描写が多いかと思います。

それでは、皆様お気をつけて行ってらっしゃいませ。

参加者
華村 マリ(ctew7802)コンダクター 女 18歳 モデル
エルエム・メール(ctrc7005)ツーリスト 女 15歳 武闘家/バトルダンサー
森山 天童(craf2831)ツーリスト 男 32歳 鞍馬の黒天狗
於玉(cdnr1267)コンダクター 女 100歳 何処の町にも一人は居る妖怪婆。

ノベル

 暴霊と名のつく、インヤンガイの敵は壱番世界の言葉で表記するなら空恐ろしいが、今回の場合、相手にするのはとどのつまりはゾンビだ。
 知る範囲で言う所の、映画やゲームの世界で銃弾はたまた炎に倒れる人間の死体でもあり。それらが腐り、なんらかの形によって動く物。霊力を動力とするインヤンガイの場合、それは暴霊として捉えられ、他の物と人括りにもされている。どちらにしろ、変わらない事実は「人間の敵である事」である。
「わー、ゾンビ映画だ……。 あれ、エル出たかったんだよねー。 エルなら逃げたりしないで蹴散らしちゃうんだからっ!」
 出発してすぐに、エルエム・メールは活発な桃色の髪を揺らし、しなやかな肢体をばたつかせ、上機嫌で宣言する。他の面々と言えば、廃墟での戦闘に気を引き締める者、何事かをぶつぶつと漏らしながら時折笑い声を零す者――於玉であるが、彼女はこの時点で暴霊に見えた――三者三様を見ては楽しむ者。
 全員が移動の列車から降り、ミァン・リーによって廃墟前までにしなければいけない相談事を済ませ、再度持ち物を確認した後に依頼は開始された。
 時は0世界と準備期間。救出に間に合わなくなる程はかかっていなかったが、急ぎで動く必要があるだろう。
「師匠、お願いします!」
「次郎丸や、行っておいでねえ」
 作戦開始直後に飛び立つ二羽のフクロウ。華村マリと於玉のセクタンは共にオウルフォームをとって四人の先行を勤める事になった。
 視界の悪い廃墟で、オウルフォームの目は非常に役に立つ。ただし、マリの師匠は彼女の目の役割を果たし、於玉の次郎丸は救助対象を手早く見つける偵察係という違いはある。が、二人が途中まででも共に移動したならば、バランスのとれた形になるだろう。
「あ、よ、宜しくお願いします」
「はいはい、宜しくねえ。 なんだい? そんなに固まらなくてもいいんだよお?」
 作戦の開始直後に仄暗い中、於玉を直視したマリがその整ったスタイルを固まらせたのも無理は無い。ゾンビ相手と聞き、ここまでやってきたというのに、骨と皮だけの、目は大きく見開いた老女を目の前にしたならば誰であろうと先ず目先の「ゾンビもどき」を倒したくなるはずだ。
 兎も角、身近な恐怖に耐えつつもミァンから受け取った病院内見取り図を広げ、マリは比較的壁の厚そうな場所、窓ガラスが付近に無い場所を選んでいく。
「すぐに救助対象に見られてしまったら敵と間違われる可能性もあります。 於玉さん、私達は対象から信頼を得られるまでは建物内で戦いましょう」
 窓から見えたにしても、亀裂から見えたにしても、まずライフルを持った救助対象からの誤解は避けたい。
「ああ、いいよお。 お嬢さんの好きにおし。 ヒェッヒェッヒェ! 動く死体は恐ろしいねえ! それが二十体、そりゃあ大の大人でも怖いだろうねえ!」
 於玉は外見に似合わず協調性を見せてくれるようだが、語尾に所謂「怖い話」をつけられ、マリは心底泣きそうになった。この歳になってそういった話に免疫が無いわけではないが、歳相応だからこそ怖いものもある。
「於玉はん、いけへんよ、女の子泣かしちゃあ。 於玉はんも魅力的な女性やさかい、もっとこうおしとやかーにせんと」
 於玉が魅力的な女性かどうかはさておき、今回の依頼ではただ一人の男性。森山天童はマリの頭を軽く撫でながら柔らかな表情に笑みを作った。
「おやあ、ありがたいねえ。 こんな良い男があたしを魅力的だってかい? ヒェッヒェッヒェ! やる気が出るってもんさねえ」
 廃病院の手前、トラベルギアの杖を軽く振り、マリの後をついて中へ赴く於玉は、この一言だけでどんな暴霊をも屠って行きそうだ。彼女の背中から見える――ような気がする――数多の霊魂を眺めながら、天童は苦々しいため息をつく。
「マリはん、頑張ってくれよったらええんやけど。 ――ほな、エルエムはんもいこか」
 具体的に何を頑張るのかは、恐怖的な意味合いも含めて、於玉のやる気を参照にして頂きたい。紫色の瞳を瞑り、吐息を吐ききって、天童は行動を共にするエルエムに向き直る。
「ああ、っと。 ちょっと待って。 二階、二階かぁ……」
 出発間際で元気の良い表情を見せたエルエムの表情は、今、暗くは無いものの、愛らしい頬を膨らませ、廃墟と自らの背を考え込むように。
「ラピットスタイルなら建物の上を飛べると思ってたんだけどね、ちょっとこの高さだと不安が残るかなあって」
 自らの踊り子の如き鮮やかな衣装を削り、速度や身軽さに重きを置いたエルエムのラピッドスタイルであるが、流石に人間が出入りしていた建物上を飛ぶには出来るか出来ないか、博打の如き不安が残る。
 マリの持っていた見取り図によれば、廊下と病室、診察室と続いた建物の横幅が広いのだ。
「ほなら、とりあえずそのらぴっどになったらええやん?」
「えっ」
 これは走って病院を抜ける他無いと、諦めかけたエルエムに、天童は先程と変わらぬ穏やかな口調でそう告げる。
「やってみぃへんと、結果は分からん。 な? 危のうなったらわいが助けたるさかい」
 整った優男を思わせる天童の仕草は優雅だ。そんな彼が天狗であるという事実はなかなかにして思いつかぬ事実であるが、神通力で飛べる者の補助はありがたい。
「そっ、かぁ。 ……うんっ! ありがとね、天童」
 途中で浮力が足りなくとも、元から飛べる人間の支えがあれば大丈夫であろう。ラビットスタイルに変わったエルエムと、その補助をする天童はこうして中庭の救出対象を探して、病院前から飛び立つのであった。

 暗闇より光の見える上空で――ほっほう。そう、フクロウの鳴く声がしたなら、それは於玉の次郎丸である。

 天童とエルエムが玄関口を飛び立ち、途中、脚力の限界に浮力を落とした彼女を天狗が抱え、中庭に降り立とうとすればオウルフォームのフクロウを模した声が当たり一面に響いた。
「こりゃ、簡単なだけに面倒やねえ」
 仄暗い視界といっても、大体物が何処にあるか程度はぼんやりと分かる。煌びやかな女物の衣装に身を包んだ天童が、空中に艶やかな布をなびかせながら肩を竦める。
「隠れやすい、とも言うんじゃないかな?」
 中庭はあたり一面に放置された背の高い木、草。何より病院自体から落ちる壁の崩れが至る所に見受けられ、玄関から中庭までの最短距離で下りたなら、まず救助対象は見つけられなかっただろう。
 暴霊であるゾンビ達も、広さと物の影になり、ぱっと見ただけではほんの二、三体にも見える。その先で、救助対象は灯台を模した照明灯を頼りに生存しているのだ。
「ランはん、ヤーはん。 ミァン・リーからの依頼で助けに来たでー!」
 次郎丸の鳴き声が聞こえた方面へすぐにも移動し、いかにも活発に動く「生きている人間」の人影を見つけ、天童はありったけの声で叫んだ。勿論、ライフルの危険性を考え、あまり自分の姿を見せぬよう、まず気配を伺う程度に声をかけたが。
「ねえ、なんか……集まってきてるゾンビ達、ちょっと多くなってない?」
 音に反応する暴霊ではないが、元の動物的感覚で声のかけられた方向へ移動しようとしている。
「あー、ははは。 そやねぇ」
 木や草の陰になっているが、広い中庭の丁度真ん中。灯台を模した場所に二人の男達――救助対象は背後に控える照明灯の明かりを頼りに、ライフルで暴霊達を撃退していた。
 自分たちが相手にする二十体が現れる前か、多少は自分達で始末してくれたのか。ライフルから離れた位置に数体のゾンビが破片となって残っている。
「天童、下ろして! エルがちょっと加勢して、天童の話聞いてもらえるように頑張ってくるから!」
 男の体躯にしては多少細い、腕の中でエルエムがそう言って暴れた。四人で相談した折、救助対象に加勢する事によって「仲間」である事を印象付けるという作戦は、現在別働隊で動いているマリの提案である。
「ううん、あんまり無茶せんようにな? 危のうなったら、わいが助けたるさかい」
「オッケ! 期待してるっ!」
 二階の高さは飛び越えられるエルエムだ、現在の高さから飛び降りるのに苦はなく、文字通り兎の如く天童の腕を抜けると、救助対象の視界からは影となった木の元へ着いた。
(エルの事も期待してて!)
(しとるよ!)
 降りればエルエムは天童へ目配せし、か細い手で合図を送る。その明るい仕草につられ、空の天狗も笑いながら彼女へと返答してしまう。
「ハンドライトをつけて。 よっし!」
 着地地点のエルエムはかび臭い廃墟の空気を吸いながら、暴霊へ向き直る。
 元が踊り子のような衣装だ、大きなライトなど持ってこられる筈がなく、エルエムの持つ明かりはハンドライト程度である。手に持った光をつけ、先ずは暗がりから中庭の照明灯へ向かおうとする暴霊へ向ける。
「ほらほらっ、こっちだよこっち!」
 ハンドライトの光は照明灯の光よりもずっと小さい。建物や中庭にある影が多い為、照明灯に当たりきっていない暴霊ならエルエムの光に反応し、寄ってくるが。
(光がちょっと小さ過ぎたかな……。 でも、倒している所見てくれればきっと!)
 ライトを持つ事を考え、今回は足につけたエルエムのトラベルギア、虹の舞布が舞踏を思わせる少女の足技によって、寄り付いたゾンビ一体を横薙ぎに切り裂く。
「ええいっ! これで皆に見えるようになれっ!」
 切り裂かれた暴霊が地べたに這うまでの数秒、エルエムはなるべく加勢の者が現れたのだという事実を知らせる為、生々しい死体が照明灯の前へと投げ出されるように蹴り上げる。

「おい、さっきから変な声が聞こえると思ってたんだが……」
 エルエムから、木を二本挟んで離れた照明灯前。武器を持たない男――ランが一番にエルエムの倒したゾンビの残骸を発見し、ライフルで攻撃を続ける男――ヤーの肩を叩く。
「ミァンの知り合いだか依頼だか言ってた奴か……。 いや、こっちもさっきから妙な光が狙った獲物を仕留めてくるんだ」
 言って、ヤーは手に汗握るライフルの、銃弾が向かう先を見る。
 当然、視界の先には障害物と、照明灯めがけて歩み寄ってくる暴霊ばかりしか映らない。しかし、近寄られてはいけないと、引き金を引く寸前に暴霊の身体は天から降る光の矢によって貫かれるのだ。
「もう……もう三体目だ。 奴らの言うミァンのなんたらって話……本当かもしれねぇ」
 彼らとて、もしミァンの依頼という話が嘘であれば、自らの命を危険に晒す事になる。だが、このままライフルのみで事態を好転させる事は無理な話であり、命に関わる問題となるだろう。
「いちかばちか、だな」
 乾いた喉を鳴らし、ランは先程ミァンの依頼と聞こえた空へ、震える手を振った。



 時は遡り。
 ライフル射程という物は厄介だ。廃墟の現状を見て障害物の類も多いと踏んだマリは、玄関から伸びる左右廊下の左を行き、壁に身を隠しながらの戦闘を余儀なくされていた。
 暗い周囲に人の気配はなく、視界もおぼつかない。唯一、手元に持ったトラベルギアによって光を作りわざと建物内の暴霊をひきつけながら一歩一歩確実に前へと進む。
(相手は二十体。 追い詰められているとはいえ、ここに残っているゾンビも居るんでしょうね……)
 救助より暴霊の駆除を目的とする於玉とは、廊下が左右に分かれた時点で別の道を歩んだ。そういう意味では、「0世界の暴霊」を見間違えずに済むのだろうが。
「……ちょっとこれは危ないかもしれません」
 単調な廊下を歩いてはいたが、中庭に続く扉、ないし亀裂に辿り着くまでにマリは暴霊に一度襲われた。それも、上手く廊下の状態を確認し、踏み抜かぬよう歩いていたから良いものの、トラベルギアが放つ光の矢は暴霊と共に建物を裂き、危うく窓硝子で手傷を負いそうにもなった。
「でも、もうちょっとで亀裂までなら行けます!」
 自前の視界もあるが、オウルフォームの師匠から得られる情報は頼りになる。三百六十度の暗視を得て、マリの手元にある地図からは得られない、中庭へと続く建物の亀裂を発見できたのだから。
 心なしか早歩きになる足をなんとか慎重に進め、コンクリートの無骨な裂け目からそっと顔を覗かせれば丁度、照明灯から程よく離れた、中庭でいう所の木陰に位置する場所だったらしい。頭を大きく左へスライドさせれば銃声から察するに救助対象二人を見る事が出来そうだ。
(ううん、今見てしまえば攻撃されてしまうでしょうし。 天童さん、エルエムさんにお願いするしか……)
 ミァンからの依頼である事を救助対象二人に言う。それはマリと天童の案だ。けれど、上空から言うか視界に入る地上から言うかでは随分違う。もし同時に言ってしまえば、対象が混乱する可能性もあるのだ。それならば、天狗であり銃弾を回避出来る可能性の高い天童に任せた方が良い。
 手に持ったギアから放たれる光に照らされて、マリの姿が廃墟内に影となって広がる。仄暗い中で廃れた建物を見るのは、静寂を、肌を持って感じるも同じだ。音の無い世界に放り出された錯覚、けれど聴覚はしっかりと中庭での出来事――天童がランとヤーへ意思疎通を図った事実を記録として脳内に運んでくる。
「エルちゃん、大丈夫でしょうか……」
 丁度エルエムのラピッドスタイルへの掛け声と、地面に着地する音が微かに聞こえる。これは、作戦時に話した救助対象から信頼を得る為の戦闘だろう。マリ自身も手鏡を模したギアを構え、身を屈めると、なるべく対象に見つからないよう、かつ一番射程内に入りそうな暴霊へ光の矢を射出した。



 中央で煌々と明かりを灯していた照明灯が、エルエムとマリの手によって消されたのは数分前。ランとヤーの信頼を勝ち得たその時に、暴霊をおびき寄せる為として一番の明かりは割られる事となった。
「ランはんとヤーはん、二人の確保は出来たでー。 ほな、皆気張りぃや」
 茶色の髪を仄かに掠める風に靡かせ、戦闘中とは思えぬ口調でそう告げるのは天童だ。彼は赤い紐を模したギアで建物全体の補強を完成させ、最後には救助対象二人と暢気にお茶会を始めるようで。色合いの素晴らしい着物から取り出した、菓子と茶の入った水筒は微かに甘い、良い香りがする。
「あーん! 天童も手伝ってよー!」
 近くで足を振り上げ、華麗に暴霊の身体を一度蹴り、二度を上空で打ち下ろし屠るエルエムが悲鳴に似た声を上げる。とは言っても彼女は彼女でまた、随分楽しそうな様子でゾンビを倒しにかかっているが。
「本当にあんたら……ミァンの依頼を受けてきた奴らなんだな」
「そやで。 今見えとる元気な女の子さんがエルエムはん。 ちょっと前に出てきた茶色い美人さんがマリはん。 ……あとは」
 天童は香の調合に長けている。手持ちの香りを炊き、水筒に入った茶を勧め、ミァン直筆のメモを渡せば、救助対象を落ち着かせるのにそう時間は掛からなかった。とはいえ、鎮静効果のある香は救助対象のライフルを撃つ気力すらも静めてしまったのだが、そこはエルエムの華麗な足裁きと、マリの光の矢が補ってくれるだろう。
「もう一人、忘れてます……よ、っと」
 エルエムや彼女に守られ安全地帯に居る天童より、マリは多少危険な状態で戦闘を続けている。
 手鏡の光と身のこなしを上手く使用して、上空に光の矢を作り、攻撃。これを繰り返すだけではあるが、今まで身を隠していた障害物が邪魔をして、特に格闘が得意というわけではないマリの足場はあまり良くは無い。
 エルエムは既に五体かそれ以上倒してい、この時点でマリは四体目を倒したばかりという所だろうか。悔しくはあるが、現役の武闘家に勝てる筈は無い。あとは上手く於玉が廃墟内の暴霊を駆除してくれていれば良いのだが。
「於玉はん?」
 マリに指摘され、メンバー四人目の名前を口に出した天童は、少しだけ眉を吊り上げ、口を曲げ、言い辛そうにした。
「なんだ、まだ助けに来てくれてる奴がいるのか?」
 ランの目が頼もしいとばかりに輝くが、流石に肯定も否定も出来ない。於玉の形容しがたい特徴に天童が口を濁す気持ちも、ここの救助メンバー全員が分かるのだ。彼とて一応は「魅力的」と評価してはいるものの、この場面で言って良いものか、戸惑うのであろう。同じメンバーとしてはそう思っても、マリは名前だけでも出してやりたいとも思うのだ。
「於玉っておばあさんだよ、ねっ! よし、マリ大丈夫?」
 蹴りと移動を駆使し、暗がりの中を飛び跳ねて、身軽な少女の身体は上手く障害物を抜け、マリの付近で蠢く暴霊を蹴り倒す。
「ありがとう。 大丈夫ですよ。 ここ、ゾンビの数少しづつ減ってきていますし」
 照明灯が無くなった為、ライトの光に寄って来る暴霊は当初後を絶たなかった。お陰で多少危ない目にもあったが、二十体を数えると言われたこの依頼も、暴霊自身に特技が無い事もあり、数が少なくなればなる程、苦戦はしなくなっていった。
「於玉さん、大丈夫でしょうか」
 廃墟は既に天童のトラベルギアで補強されている為、多少の動きでは崩れる心配は無い筈だ。もっとも、老人である於玉がエルエムのようなアクティブな戦闘を繰り広げている姿も想像しにくい。
 マリは玄関口で別れた暴霊――ではなく、於玉を思い、自らが来た廊下の反対に暫し視線を巡らせるのであった。



 瓦礫と中庭から生え放題となった草木、他には何も無い廊下で老婆がランタンをぶら下げながら、ひたひたと歩いている。
 暗がりで暴霊の気配は感じれど、しっかりとした明かりにはランタンは心もとない。が、その老婆の身体は、はあろう事か、元は人間の死体である敵のなかなかに素早い腕をすり抜け、上手く廊下へと着地したかと思えば、杖から出でる漆黒の瘴気によって肉体のある霊の身体を地面へ叩きつけるのだ。
「ヒェッヒェ、死んだのに未練がましく人様に迷惑をかける暴霊ちゃん達には、罰が必要だねえ」
 声色明るく、けれど暴霊の身体を容赦無くトラベルギアから噴出す瘴気によって押しつぶし、殲滅する。これが於玉の戦い方である。
 ランタンの淡い光とはいえ、照明灯の無くなった今、暴霊達が目指すものは自分達にもっとも近い光。於玉の持つそれも格好の標的となり、廊下を歩むにつれ増えてくる暴霊達に不気味な笑い声と、膨らんだ瘴気が襲い掛かった。
「よおし、よし、あたりの瘴気でその足も、手も砕いてやろうねえ。 ああ、そうそう悪い子は飴ちゃんを食べる歯も潰してやらんとねえ」
 杖型をしたギアは物理的な瘴気となって、於玉を襲う暴霊の身体を地面へ、壁へと押し付け、そのまま文字通り、潰す。動けないよう足を押し潰し、襲えないようにと手を押し潰す。
 最後に於玉の個人的な趣味で歯も潰される様子は悪夢としか言えなかったが、この場面でもっとも人を恐怖に駆り立てる存在があるとすれば、それは暴霊であった「物」よりも於玉自身であるだろう。
「そうそう、そうやってオネンネしてなねえ。 芋虫の様に這いずるだけならまあ、そんなに害は無いさ。 ヒェッヒェッヒェ!」
 自由自在に瘴気を操り、歩む道にはとてもではないが、子供には見せられない光景を作って進む。上機嫌に笑い声を上げながら到達した、視界に中庭の扉が見えたなら、そこがゴールである。
「さあて、あたしが着くまでにお譲ちゃん達上手くやってくれたかねえ」
 照明灯が消え、尚且つ建物の軋みが途中から少なくなった。微かに感じる手ごたえに万遍の邪悪な笑みを浮かべながら、於玉は皆の集う中庭へと足を踏み出した。



 暴霊の数二十体。何度も反復すれば結構な手勢に聞こえるが、光への反応があるという点を除けば、ただのゾンビだ。見目は悪いが、その身体を切り刻んでしまえば存外このケースの場合は最終的に数の勝負をどう制するかによって決まる。
「もう、いません……よね?」
「うんうん、いないよっ。 エル頑張っちゃったー!」
 マリの横でエルエムが中庭最後の一体を蹴散らし、血に塗れた足を軽く振った。
「そやね、皆じゅーぶん頑張った。 わいがその証人やねぇ」
 既にもう誰が何体の暴霊を倒したか、そんな事は分からない。けれど、廃墟全体からの霊的な気配は消え、いつの間にか静寂がこの場に居る全ての人間を包んでいる。
「えーっ、天童は殆ど見てるだけだったでしょっ!」
 天童に抗議するエルエムは彼が自分を援護してくれたのを知った上で、じゃれつきながら笑顔で噛み付く。
「でも、良かったです。 ランさんもヤーさんも助かって。 皆も、ですね」
 救助対象二人は暴霊の危機が去ったと分かるや、盛大なため息と共に崩れ落ちるかの如くその場に座り込み、放心状態だ。お陰か、マリが静かに視線を送る於玉の存在もこの時点では知られていない。
 暴霊という名のゾンビを見てきた手前、骨と皮だらけの於玉を見たならどうなっただろう。何度も失礼とは思っても、気付かれない事はそれで安堵であると、胸を撫で下ろす手前、脆くも希望は崩れ去るのがお約束で。
「みんな片付いたようだねえ。 ヒェッヒェッヒェ! よし、じゃあとっときの飴ちゃんをやろうかねえ」
 目を細め、皺を寄せた老婆の笑顔、もとい暴霊の如き凶悪な顔。枯れた小枝が集まったかのようなその姿。本人は満面の笑みを浮かべているのだろうが、差し出した飴の包みがグリーンミントの縞模様とこれまたファンシーなのも合い極まって、シュールなB級ホラー映画が出来上がっている。
「ヒッ……!」
 放心状態のランが先に於玉を視界に入れ、生気の戻った身体で後ずさった。
「ひぃぃいい――!」
 同じく、ヤーは大声を上げながら持ってきたライフルを探し始める。二人はそうして、同時に飛び起きたかと思えば次の句に「暴霊が出た」と叫びながら、天高く舞い上がらんと中背の身体を飛び上がらせる。
「ま、待って下さい。 大丈夫、仲間ですから!」
 マリの静止を受けながらも、男二人は新たに出没した「暴霊於玉」に恐怖し、あちらこちらを逃げ回った。こうなってしまえば、廃墟も何も関係が無い。天童はギアの反動で痺れる身体を引きずりながら、もう一度建物の補強に当たる事になり。
「失礼だねえ、何でそんなに怯えてるんだい?」
 あるのか分からない眉間に皺という皺を寄せ、口をへの字に曲げても怖い。於玉の悪態を聞きながら、エルエムはただ苦い笑みを零すしかない。

 インヤンガイの開けた廃病院の中庭。通常であれば犯罪と、汚染された世界に平穏など微塵も感じられないが、今日、この時だけは誰が大変であっても、誰が笑っていても平和だろう。
 ただ一つ、照明灯を壊した事で、ランとヤーの仕事は不達成。命あっての物種とは言うが、後々彼らが雇い主にどやされるのは、また別の話だ。


クリエイターコメント参加者の皆様、こんにちは。唄です。
この度は明暗モノクローム、インヤンガイの廃墟探索及び暴霊退治にご参加有難う御座います。
プレイング全てを反映は出来ませんでしたが、上手く絡ませられていれば良いなと思います。
表記等若干言葉が見えづらい箇所はカタカナにしたりとしておりますが、上手く伝わっていれば幸いです。
それでは、この旅が少しでも皆様の思い出になりますよう、願いまして。
また、別の旅でお会い出来る事を祈っております。

唄 拝
公開日時2010-01-25(月) 17:30

 

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