0世界、世界図書館。覚醒から今まで変わらず見てきたこの世界とリベル・セヴァンの表情はいつも同じだ。「皆さん、集まって頂けましたね」 だから、そう言葉をかけられても、いつもの彼女らしい説明的な口調でやっかいな依頼を押し付けられるだけだと旅人達は身構えながらリベルの次の言葉を待つのだ。「本日はインヤンガイでの調査をお願いします」 矢張り、今回も解決の手口が難しい、インヤンガイならば殺人鬼かはたまた暴霊か。大抵相場は決まっているのだ、何よりリベルの口調で説明されると声色が強く重いだけに依頼を断りにくい。 0世界での特別便の後、正月早々に依頼へ駆り出された旅人達は、やっかいごとに耳を塞ぎたくなる気持ちを抑えリベルの話に耳を傾ける。なにより、司書からの信頼もまた大切なものなのだ。彼女の依頼という攻撃に息を呑み、手に汗握って聞くのが一種の通過礼儀のようなものになりつつある者も居る。「インヤンガイの『巡節祭』の様子を調査してきて欲しいのです」 聞き慣れた口調で、ツンデレ宜しくそんな言葉が出てきた本日、旅人達は首を傾げながら、暫く巡節祭が何であるのかについてを聞く事すら出来ずに呆然と立ち尽くす。 巡節祭とは何か。一向に口を開かない旅人達に説明するリベルは矢張り彼女だ。 今回の舞台となる巡節祭とは、インヤンガイの一年の暦が一巡する事を祝う祭りであり、壱番世界の日本という国を基準にするならば正月。ただし、「明けましておめでとう」の変わりに鳴り響くのは爆竹であり、暗い街中を煌々と照らす光の中、点心の屋台や龍舞、演舞や雑技が披露されるどちらかと言えば別の国に近い行事らしい。「この時期、インヤンガイの土地が持つ霊力は高まりを見せる傾向にあります。 皆さんにはその様子を調査して頂くのが今回の依頼内容です」 殺人鬼でも暴霊でもなく、一概に霊力の高まりといわれても明確にどう調査せよというのだろう。リベルの言葉を待っていれば。「現地の探偵から、祭りに携わる人間の手伝い依頼を受けておりますが。 そうですね……特に重要な事件は起こりません。 幸い点心など食事処が名を連ねる地区ですので、依頼が終わり次第、お祭りを楽しんで頂ければ依頼達成という事になります」 現地探偵の依頼とは、屋台に運ぶ食材の調達手伝いであり、リベルが言うように命のやりとりがある重大な事件ではない。 吊り上がったリベルの眉がわずかに下がり、観光のようなものだと聞いただけで、旅人達はまた彼女がデレたと心の中で大騒ぎをするのであった。* 街の中はゴミだらけのゴミ箱より酷い有様だ。赤い提灯と、いつも窓から見える洗濯物、派手な装飾の看板。インヤンガイ住居区、真っ黒にそびえ立つアパート――とはいえマンションに近い部屋数だが建物自体に継ぎはぎがある為そう呼んでいる――の中に住む貧しい者、少しは裕福な者、道端の浮浪者から犬までが本日、この巡節祭を待ちわび、飯を作り、舞の準備に取り掛かる。「おい、おい待て。 ちっとその爆竹除けちゃあくれねぇか?」 目の前に敷かれた爆竹が連なった道を眺め、自分の背丈ほどに食材を乗せたリアカーを引いた中年男――オウは引き締まった体躯を曲げ、鉢巻を巻いた顔を顰めた。 元々はこの地区で食料店を経営しているのがオウである。毎年この季節になると繁盛する店だが、必要な食材を調達するのは自分のリアカーただ一つ。本日も別の地区から点心の材料を仕入れ、注文された店へ向かおうとしたものの、リアカーが通るに一番相応しい広さの道には既に爆竹が備え付けられ、左右からは轟音を立てながら花火の散る音が聞こえてくる。 このまま通れず、注文先の屋台だけ点心が作れないという事態は避けたいが、残念ながら爆竹を縫って走る事もできない。「おーいっ! 道あけろってこの野郎!」 道の左右には既に開店している屋台が、所狭しと来る客に嬉しい悲鳴を上げている。 道自体ははそれ程広くはなく、横道はリアカーで通るには狭すぎる。客も店も結構な至近距離だ。しかし、こんな中で爆竹は危ないという文句は受け付けない。毎年怪我人を出しても行われる祭りは普段暗い影を落とすインヤンガイの住人にとって最高の楽しみなのだ。「うっせえよおっさん! 通りたきゃ通ればいいだろ!」「通れねぇからわめいてんだよちくしょう!」 通りの向こう側で聞こえる雑技団が太鼓を叩き、爆竹と共に鼓膜を大きく刺激する。重ねて、オウが大きな声を張り上げるから、周囲の人間が時折罵声を飛ばす。 点心を扱った屋台は目の前の一本道通りには数多と存在する。そんな中で、たった一つ、自分が仕事を請け負った屋台だけ開業前なのかと思えば、罪悪感が募るが、行く筈の道を爆竹が左右何連にも横切り、その端には既に火が付いているのだ。 諦めるしかないだろうか。 念のためと探偵に食材調達護衛を依頼はしたものの、ミァン・リーという探偵はどうにも胡散臭く現時点で護衛などはオウの目の前に現れていない。(ったく、俺ぁもう泣きてぇよ) ここで屋台を諦めればオウの店の信用が落ちる、だからと言って突っ切れば食材どころか命の危険に陥るだろう。普通の人間一人ならば、道路を左右に横断する爆竹の中へ突っ込んで平気な身体ではないのだ。無理だと、悔しさに喉が鳴った。オウは人のごったがえしたインヤンガイの道先でただ一人、途方に暮れるしかないのだ。
■爆竹響いて インヤンガイに着いて早々、旅人達は龍舞に演舞、雑技で賑わう地区を抜け、点心の独特の香りと爆竹の鳴り響く依頼された通りへとやってきた。 途中、目を見張る派手な装飾と普段から賑やかなインヤンガイの区域それぞれが個性豊かな光を放っていて、それだけでこの世界が今日という日に喝采を上げているのが分かる。 ばちん、ばちんと爆竹の音が近くで煩い。 目前の依頼人を見つけ、この煩い状況の中一行は暫し依頼を受けた地区の路地を見渡し、爆竹の配置場所を自然と確認する。 「やあ! おいしそうなにおいがする!」 怪我人を出してまで開催される祭りの中で最初に動いたのはハルシュタットだった。 「う、うぉっ! おめぇ、ね、猫が喋っただと!?」 山のように食材を積んだリアカーを引く、鉢巻を巻いた頭の中年男――オウへ、ハルシュタットは長靴を履いた彼の足元を行ったり来たりして青い瞳を輝かせる。 「あー、ハルシュタットさん、先に行かないで下さいよー」 二番手として登場したのはローナだ。彼女は女性らしい長い髪と幼い顔つきが特徴の小型兵器プロジェクトの試作型――平たく言えばロボットが近い表現だろうか――で、0世界からインヤンガイまでに来る列車の中でハルシュタットを抱き上げては頭を撫で、この世界についた時の身のふり方を一緒になって考えてくれた、小さな猫にとっては友達のような存在だ。 「おい、いいのか? ハルシュタットそのまんま喋らせといてよ。怪しまれてるぜ、ありゃ」 「んー。いいんじゃねェの? なんなら、そうだ、晴天。ハルシュタットんトコ行けよ」 ローナの更に後ろでは、黒い筋肉質が周囲に目立つ金晴天と柳のように細く、コック帽を被った怪しい料理人椙安治が内緒話よろしく、ハルシュタットについて相談を始めている。 この二人、一方の晴天はインヤンガイに対して汚い世界という先入観があった。 自前の塩辛とライチーの干物を持参し、準備は万端な晴天であったが列車内で装備した食料を安治につまみ食いをされ、数度の睨み合いに発展し、数時間をお喋りに使い果たした上で現在に至る。 「あ、あんたら……もしかして」 「はいー。探偵のミァン・リーさんから依頼された護衛の者ですー」 爆竹の破裂音が辺りに響いているから、互いに声は聞き取りづらい。いきなりのハルシュタット登場にオウは多少動転を見せているようではあったが、ローナの言葉に暫し考えこんだ後、納得の表情を見せてくれた。 「ちなみに、そっちの猫ちゃんはこいつがたまーに声あてちゃってるから、そういうもんだ思っときゃいいぜー」 喋る猫ハルシュタットの側へ行った晴天を茶化すように、安治が彼の首筋をぐりぐりと押す。 「ちょ! 安治、てめえなあ……!」 押されて出る声は「ぐえ」だとか「うえ」であり、ハルシュタットの声に似ても似つかないが、腹話術として動物を使うというのもインヤンガイに無い話ではない。 突飛な行動ではあったが、晴天はオウから尊敬の眼差しを向けられ、訂正も出来ずに眉を顰めた。 (ほーら、こっちのが何かと都合いんじゃね? そういうことにしとけよなあ?) (くそ、安治。この借りはいつか返せよ) 目配せだけで会話をしている、案外晴天と安治は仲が良いのかもしれない。 絶妙の口裏あわせでハルシュタットのフォローをした後でようやっと三人と一匹はオウと、現在リアカーの現状を再確認した。 「えーと。普通のリアカー一台に、詰め込まれた食材。あー、あんまり動かすと潰れてしまうかもしれませんよー」 情報の飲み込みが早いローナは晴天と安治をよそにリアカーをすぐさま確認する。白い荷台はオウが長年愛用しているせいか、汚れ、清潔を保つ為食材はパッケージになって数個に分かれており持ち運びには便利に見える。 「おい、なんかこうして見るとやっぱこの世界の食い物ってただの工業用の有機化合物じゃないのか」 「失礼なこと言うんじゃねぇ! 俺んトコはちゃんとしたルートから仕入れたモンなんだ。文句は食ってから言ってくれや」 パッケージ詰めされた食材というのは得てしてあまり良い見た目ではない。晴天の素直な感想にオウは怒鳴ったが、次に声を潜めてこうも言った。 「しかしよ、兄ちゃん。ウチのは、まあルートも確保してっけど。全部の点心屋がいいモン使ってるとは限らねぇぜ?」 祭り見物の人間をだますのも、インヤンガイのこの地区では有名らしい。食事をするならば旅人も十分自らの目を磨いておくべきだという意味だろう。 矢張り気をつけて良かったと胸を撫で下ろす晴天に、ハルシュタットもオウの店の匂いと別の店の匂いで区別できるように鼻を動かす。 「いいねぇ、俺は別に食材ならなァんでもいいぜ」 そうした二人の会話を聞いて尚、安治は平気だと鼻歌を歌いながらオウの店の印が入ったパッケージつまんでは袋に入れを繰り返している。因みに袋は、先程別の店先からちょろまかした。 「リアカー一つで運ぼうなんざ、面倒だろォが。人数もいんだ、分けるぜェ」 言葉より先に手が出ている安治はリアカーの上を山になったパッケージから順に崩していて、口調こそ乱暴ではあったが食材を扱う腕は十分に無駄がない。 「ううん、安治さんは小分けでもっていくのをご希望みたいですがー。皆さんはどうしますー? 私も出来れば小分けで食材だけを持って行きたいと思っているのですがー」 「俺は構わないぜ」 「おれはリアカーごと守ってあげられるけど? どうしよう?」 ローナは試験用生体コアユニットとして、自己増殖機能を利用した同じく小分け作戦を考え、晴天は荷物を背負って細道を行く考えを持っていた。どちらもリアカーから離れているという点では同じようなものだろう。 「うん、問題はリアカーだね。おじさん、リアカーって大事?」 ハルシュタットは子猫の身体をしなやかに伸ばし、リアカーの端へ座ってオウを見る。 「そりゃあ、なあ……食材が運べるならちったあ我慢はするが、うちの看板みてぇなモンだし連れていってやりてぇっちゃあ、なぁ」 中年男のオウにとって、リアカーは長年連れ添ってきた相棒のようなものなのであろう。食材を無事届ける目処が立った事実に安堵はしているものの、ハルシュタットの問いには顎を掻きながら贅沢な話だが、と付け加えた。 「だったら、おれが守っておじさんと爆竹の中を走れば良いと思う。おれなら、その……うん、レイリョクを使ってリアカーもおじさんも守ってあげられると思うし」 霊力というのは勿論嘘だ。ハルシュタットも他の旅人同様、別の世界から来た者として魔力でもって食材とリアカー、そしてオウを守ろうとしている。 「すげえな、兄ちゃん……! あんた腹話術が出来るうえに霊力まで使いこなせるたぁ、驚きだ!」 ここで、オウが晴天を見なければもう少し良い気分で護衛が出来ただろうが仕方ない。 (なんか、悪いな、ハルシュタット……) (仕方ないよ。だけどきみもおれと一緒に居てもらうからね) 彼のせいでないとはいえ、晴天が謝るように顔の前で手を合わせるから、ハルシュタットも溜息をつきながら頷く。 なんだかんだと目配せをしながら話が出来る晴天は、彼が聞けば不本意かもしれないがこのメンバーと相性が良いのかもしれない。 「じゃあ、小分けを基本にしましてー。安治さんと私は別ルート、ハルシュタットさんと晴天さんはオウさんと爆竹ルート。これでいいですかー?」 爆竹ルートと聞いて晴天の顔が引き攣ったが、ハルシュタットが彼の服を「大丈夫だ」と言わんばかりに引っ掻いているから怪我の心配はないだろう。 ローナも安治と同じく袋へパッケージ詰めされた食材を入れ――とは言っても、ローナの持つ袋はちゃんとオウから貰ったものだ――自分が行く道筋を確認する。細道は自己増殖には向かないから、人通りが多くとも屋台のある隅の道を進んだ方がハルシュタットと晴天組とも意思の疎通もしやすい。 「私は皆さんと少し出だしが遅れてしまうと思うのですがー、安治さんはどうでしょうかー?」 ならば次は進む道が安治と被っていないかを確認するのがローナのとる行動だ。もし、同じ道を進むのならば作戦を練った方が良いだろう。 「俺? 俺ァ……」 ローナが道筋を懸念する一方で、安治は上手く食材を袋にまとめて背負い込む。 若干、胸元のポケットも食材で膨らんでいるようであったが、きっと突っ込んではいけないのだろう。安治は暫しローナを眺め、爆竹の鳴り響く路地を見つめた後、袋を持たぬ手で上空を指すのだった。 ■炎の中を進め 「あぢい……おい、こりゃどうにかならないか」 晴天は先程からオウと共にリアカーを引いている。 「どうにもならねぇんじゃねぇか? 兄ちゃん、あんたの力でここまでやってんだろう?」 「あ? あー、いやあ……はは」 「そうだねえ、僕も頑張ってるよ!」 勘違いは引き続きされているが、爆竹の炎を浴びないのはハルシュタットのお陰だ。オウも汗を流しながらリアカーを引く。男二人で引いているから、重くはないが、縛竹の中を突っ切るのはとてもではないが暑すぎた。 組分けの結果、ハルシュタットの魔力を駆使して爆竹を進む事になった晴天はスタート地点で堂々と上着を脱ぎ、その黒く光る筋肉を惜しげもなく披露しながら準備体操から始めて、現在見事にリアカーも客引きも務めている。 「いいぞー! 兄ちゃんもっと引けー!」 爆竹に混ざって声援が飛べば、 「おーう、任せとけ!」 どんなに汗を流していても晴天は腕を大きく振りながら答えてしまう。 これぞ、プロボディビルダーとしての誇りとでも言おうか、時折格好をつけてリアカーを引けば若干黄色い声も――とは言っても、この地区で若い娘など期待は出来なかったが――飛び交う。そんな荷台の上ではハルシュタットが我が物顔で居座っており。 「みんな頑張ってくれるなあ。おれはここで座って、煮干を食べて」 オウからはすっかり晴天の猫と位置づけられているが、お陰かハルシュタットは三人より先に食材の一部をご馳走になっていた。 リアカーの上は多少揺れたが、食材のパッケージを上手く利用して作られた皿にオウのルートで仕入れられた安全な煮干は上手く乗っかっていてくれる。 (ハルシュタット! この暑さはなんともならないのか?) (なんないよー。おれだって頑張ってるんだから、きみも頑張っておくれよ) 爆竹の中を歩くのは想像以上に酸素も薄く肺が悲鳴を上げ、鼓膜にも大きく響く。それでも、こうして歩いていけるのは、ひとえにハルシュタットの魔力たるやだ。 暑さが身に染みると銀猫へ訴えても、こればっかりはハルシュタットの専門外のようで、晴天は道の両端に自分のファンを作りながら進むしかない。 「爆竹はもっとこっちで鳴らしていいよー!」 「っ、こらハルシュタット!」 軽やかなハルシュタットの声は爆竹がおさまる度に煽るように響き、結果晴天が見世物のように走っているのも合い極まって爆竹の格好の餌食となる。 「あちい! おい、店先はまだかよ」 「もうちっと行った先さあ、兄ちゃんもふんばってくれや!」 火傷はしないが、熱いものは熱い。灼熱の真夏を経験しながら、男二人は轟音の中を進むのであった。 * この地区の路地は細いが多い。つぎはぎだらけのアパートの中へ無数に入り組んだ道へ、ローナは一度退却。自己増殖を果たした上で再度晴天達の行く道へと姿を現した。 「やっぱり人の出入りは多いですねー」 自己増殖後は数人の『ローナ』でパッケージ詰めされた食材を運ぶ事になっている。道順としては、予定通り屋台の人間を縫って歩く。 「晴天さん、準備体操までしてはりきっておられましたしー。皆さん見物に行っちゃってるんですねー」 ローナ・ツーが食材の袋を持ち上げれば、増殖されたローナは一斉に荷物を抱え上げる。 「お、おい。こっちでは変なねーちゃんが集まってるぞ!」 「ほんとだ! この人何人姉妹なんだ……!?」 歩いているだけで人目をひく、これは自己増殖後のローナの顔が全員同じであるからだ。変な、とは失礼だがこうして人前を歩く事でオウや配達店への集客が期待できるのだ。 (でもなんだか変な気分ですー、晴天さんの方にもお客さんが集まっているみたいですがー) 屋台通りの左右に分かれた道は想像以上に混んでいて、すぐに通れるというものではない。けれど、晴天らが爆竹の鳴る大通りで人の目をひいているせいか、ローナにとっては歩きやすい。 「なあなあ、ねーちゃんあんた、姉妹の何人目だ?」 「あー……えーと、三番目ですー」 ローナ・スリーが見物客に絡まれては、困ったように考え込みながら進んでいる。食材を運び始めてからずっとこうだ。うら若き女性が、しかも同じ顔で行列を作っているのだから、興味を持たない方がおかしいだろう。 「スリー、早く進んでくださいー」 「は、はい。わかりました、フォー」 自己増殖は『ローナ』を増やす事であり、別の人間を増やしているわけではない。一番を意味する『ワン』がオリジナルであり、それと意識、知力を全て共有するのがこの『ローナ達』である。 「スリーもフォーも早く行って、シックスが困っていますよー」 ファイブがそう声をかけると、スリーとフォーは見物客に一礼をして進む。 (やっぱり、自分に声をかけるのはとても変な気分ですー) インヤンガイに自己増殖機能がついた者など、流石に存在しないだろう。だから、ローナはあたかも姉妹のように自分のコピーに話しかける。 自らへの声かけを続けていれば、妙な感覚にとらわれたが、今は我慢をするしか方法も無く、この『集客作戦』を提案した安治へ向けて、ほんの少し、睨みをきかせるのであった。 * 「こっちの爆竹にあっちの袋、あァ丁度良いこの食材も貰っていくぜィ」 食材を道の端に展開する店へ届けるミッション。安治は爆竹の通る道の、その上を行く選択をしていた。 「おい、爆竹は良いが。あんちゃん、その食材……!」 「堅いこと言うなよ、祭りの日ぐれェまけてくれてもいいんじゃね?」 スタート地点から伸びる屋台の柱を軽やかに踏んで、重力を無視し、屋根へ、屋台が空へ延びなくなれば壁伝いにアパートの窓、そして看板をも足蹴にして。 「あっちのあんちゃんは爆竹の中走ってったが、こっちはなんなんだ!?」 インヤンガイ住居区の住民が一斉に沸く。 晴天は爆竹をボディビルダーの鍛え抜かれた身体で走りぬけ。ローナは姉妹を従えるが如く行く先々の屋台客を魅了している。 爆竹と人ごみが支配するこの通りを練り歩く二人と一匹へ見物客が出来、彼らと同じように通りを移動する者まで出てくる始末だ。 そうして、賑わいが増した所で安治は点心屋台から好きなだけ袋と、祭り用に配布されている爆竹を持つと空へと駆け上った。勿論、上空に建物は存在せず、飛ぶともなれば自前の翼を広げるしかない。 「おうおう、賑わってるじゃねェか! 爆竹もまだまだ追加いくぜェ!」 安治の背中に生える、黒く蝙蝠の羽に似た翼がインヤンガイの上空を舞う。 生物の羽に見えて、遠目からでも見える赤い血管は炎の如く安治自身を照らし、翼自体の大きさもあってどちらかと言えば邪悪な容姿だ。 「なんだ、おいおい、空飛んでやがるぞ!?」 「いやあ、今年は随分派手な見世物をやってくれるじゃねぇか! あっ、おい爆竹が来るぞー!」 食材の入った袋とは別に、爆竹の入った袋を用意した安治は遠慮無く通りへ向かい、轟音を轟かせる花火を投げつける。 「わあっ、安治! きみってやつは!」 途中、通りの中心を抜けているハルシュタットの声が控えめに轟き、リアカーを引いた晴天に睨みつけられた。 「折角の祭りだァ、楽しもうぜ!」 ボディビルダー対悪魔で盛り上がる周囲に大きな笑い声を上げる安治。 ハルシュタットの力があれば晴天もオウも怪我をする事は無いだろう。だからこそ、爆竹の投入は住居区の人間にスリルという名の楽しみを与えたし、安治自身の個人的な楽しみも――悪趣味である事は本人も承知だ――満たされる。 「もう、安治さんほどほどにしてくださいよー」 見かねて注意をしてくるローナも、彼女の分身に先をせっつかれながら行進を続けた。 三人と一匹、そして依頼主のオウの視界に、来客の無い赤い提灯をぶら下げただけの屋台が入る。 「なァんだ、意外と近ェじゃねぇか!」 空を飛ぶ安治に住居区の人間は予定外の催し物が始まったとばかりに集まっていく、これは食材護衛チーム全員が同じようにオウ印の食材を運ぶ事で――安治のオウ印の袋は爆竹用の袋であったりする――あの飲食店が大々的に宣伝をして回っているという噂が早くも出回っているほどだ。 「祭りだァ、祭り! 今日は爆竹の日なんだろ! おらよ、ッ投げるぜェ!」 翼を広げた悪魔、もとい安治が袋いっぱいの爆竹を投げる。 晴天の通った後の道筋に巨大な火花と爆音が散る。同時に、両端の道に居た住民たちが恐怖にも歓喜にも似た声を上げた。 「うっひょ! あんちゃんやるな!」 「おい、こっちも負けてらんねーぞ!」 汚れた服を着た男たちが騒ぎ、女たちが彼らに危ないと怒鳴りつける。 「とりさんのおにーちゃんがすごいの!」 「まってまって、あっちのきんにくのおにーさんもすごいのよ!」 子供たちもそれぞれに興味を引く旅人達の元へ追いかけに必死だ。 「あー、こらっ。私の荷物持っていっちゃいけませんー」 「いいじゃん! 俺ねーちゃんの手伝いするよ!」 ローナに至っては、唯一の女性として親しみやすいのか、子供たちも手伝った愛らしい行進となり、点心で賑わうこの住居区は思わぬ来客に賑わうのである。 ■鎮火するまで 屋台までの道は一本道であるから、爆竹の炎が恐怖ではないのなら、後は届けるはずの屋台へ向かって一直線だ。 「くそ……しかしあちかったな」 「ああ、兄ちゃんは良くやってくれた」 班分けの後殆ど時間を置かずに出た晴天とオウそしてハルシュタット達は爆竹の道を通って、ようやく店先に着くと男二人はその暑さに汗を拭う。 視線の先にある屋台は提灯一つで寂しく映り、視界には拭われた汗と共に太った男がこちらへやってくるのがぼんやり見える。 「オウ? オウさんよ! ようやく着いたのか!」 「わ、わりぃな、リョウ。見ての通りだ。この兄ちゃんと猫ちゃん達が手伝ってくれてな」 朱色で塗りたくられた壱番世界で言うならば障子のような扉の目立つ店先から、しぼんだコック帽を思わせる被り物を頭にしたオウの店と契約したリョウ点心処料理長――リョウ・イーが顔を出し、晴天とハルシュタットを見た。 「遅くなってごめんね? 道に爆竹があったから遅れちゃったんだよ」 「ああ、そりゃこっちも思ってたトコだ。流石にもう祭り中に届くこたぁないと思ってたが……」 「届いたから良し、だろ?」 ハルシュタットの声にリョウは一度驚いたように肩を揺らせたが、次に晴天が話題を振れば曖昧に頷きそれ以上を追求はしなかった。なにしろ彼の知り合いであるオウが納得しているのだ、それ以上疑問に持っても仕方ないと理解したのであろう。 「あー! 晴天さんとハルシュタットさんがもう着いていますねー。どうですかー? お店、間に合いそうですかー?」 「ローナも早くおいでよ! もっと食材が無いとお店にならないよ!」 人ごみを抜けて、ローナ・ワンが晴天達の後ろから姿を見せる。 大分、人に揉まれローナの姿は自己増殖をした彼女全員が髪は乱れ、服も少々くたびれ女性としては可哀相な姿になってしまったが、本人は至極元気良く、空いた腕でこちらに手を振ってきた。 「それで、店は大丈夫か? 俺達の連れがもう一人居るが……まだ遊んでるし、な」 オウの荷物降ろしを手伝いながら、晴天がリョウに尋ねる。 見上げる、安治はまだ上空で住人と爆竹で遊んでいる。時折、上空から別の屋台に降りてはつまみ食いをしているようだ。 「ああ、この距離だとあのあんちゃんがこっちに来るまで食材はもつだろ。何せ点心で有名な俺らの地区だ。店はまだ沢山あるしな」 「それじゃあ、おれたちもリョウのお店の点心。食べて良いの?」 自分の店ではなくとも、点心を食べられるとする、一つの店を任せられている人間とは思えないリョウの反応であったが、今日この日、祭りの場で料理競争をしているわけではないらしい。 「いいぜ。猫さんよ。俺の作った点心なら好きなだけ食ってけや。祭りだしな、他の店もつまみ食いはけっこう許してくれると思うぜ?」 「やった」と毛むくじゃらの頬を緩めるハルシュタットに、リョウはオウと同じく、点心の良し悪しを見定めて食べろと注意を促す。 「大丈夫! おれは人間よりずっと鼻も頭もいいんだ。わるいものなんて食べやしないよ!」 「ははは、ま、そうかもしれねぇな」 リョウは屋台に入って点心を作り、晴天とローナはその手伝いに入る。オウは既に力を使い切ったとばかりに道端で休み、ハルシュタットは屋台先で点心を食べる。 「おい、その食材はその鍋に入れるよりこっちに使ったほうがいいぜ」 「んっ? あんちゃん随分詳しいな。おお、助かるぜ」 「晴天さんのレシピも美味しいですねー。あっ、ごめんなさい、リョウさんの点心も美味しいですよー」 狭い屋台に男が二人、食材を取り合うようにして作る。ローナは食材置き場から屋台へと運ぶ作業に徹していたが、自己増殖もあってハルシュタットと共に点心を上手く満喫していた。 ちなみに、ローナ・スリー以降の『ローナ』は別の屋台を回り、シックスに至っては演舞を見に出かけてしまっている。 「おうおう、派手な客引きしたワリにゃあ客が少ねぇな!」 「安治! あんたが上でやたらと爆竹投げるからだろうが」 「あぁ? なンだ、爆竹なんて珍しいモンでもねェだろ」 漆黒の空から羽ばたく安治が、そうやってようやく屋台先に着いたのは晴天達がここに着いて一時間以上後の事であった。 「ま、まぁお前さんら、店先で言い合うより中に入ってくれよ」 「おう、俺ァ最初からそのつもりだぜェ」 「……はぁ、都合のいい奴め」 言い合うよりは、気まぐれな安治に晴天が愚痴を零しているだけであるが、演舞の如く住人たちの人気を得た食材リレーが悪魔姿のコックに最後の最後で客を取られたというのは事実であり。 「とんでるおにーちゃん! にくまんうってるの?」 「売ってるぜェ! 俺ってか、ここの屋台だがなァ」 「あー、きんにくのおにーちゃんもいる! おかあさん、さっきのおにーちゃんもいるよ!」 爆竹はインヤンガイの祭りの一種の象徴だ。それを今まで投げていた安治に折角の客を道の途中で足止めさせられていたのだ。 飛んでいるお兄ちゃんこと、安治が店へ入ったと同時に、客足は次第に増えていく。今まで晴天を追っていた女性――主に人妻――や、ローナを追っていた若い男やまだ少年も。 ハルシュタットに至ってはマスコットとして、女性――何故かハルシュタットに近寄る女性は若い者が多かった――に人気を集めながら、店先は次第に繁盛していく。 一人が肉まんを注文したと思えば、あんまんも飛ぶように売れ、月餅は三十分も経たないうちに売り切れとなり、それでも他のメニューを求めて客がやってくる。 「人手がたりねぇな、悪いあんちゃんはもう少し手伝ってくれ」 「おう、元から俺は食うよりは作る側でも良かったしな」 「ありがてぇ、あとは羽のあんちゃん……」 「俺か? あァ、食材もかっぱらっ……貰ったしなァ、いいぜ少しァ手伝ってやる」 リョウの点心の他に、晴天と安治特製のメニューも加わり、点心以外の品が店先に並びだす。 色とりどりの餃子に、見た目は地味なシュウマイ、甘い香りの漂うまんじゅうが揃ったなら、客は大賑わいでリョウの屋台へやってくる。 「わわっ、ちょっと待ってよ、それはおれの餃子だよ!」 「ハルシュタットさん、私にもわけて下さいー!」 客に混ざって、ハルシュタットが餃子に飛びつけば、ローナも試食にまんじゅうを食べながら後を追う。 爆竹の音はまだ遠くで響いていたが、今屋台に来ている客が満足する頃にはきっと消え、インヤンガイには元の陰鬱な犯罪と救いの無い事件が待つ事だろう。 住居区の一角、リョウの点心屋台は、だから、旅人と共に新しい年をこの世界の住民全てと祝いたい。 もし、明日不幸な出来事があったとしても、今日の日を思い出して笑えるように。 終
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