世界司書の一人である青年が、ゆっくりと丁寧な口調で話す。「インヤンガイでは一年の節目に『巡節祭』というお祭りが行われます。それはとても楽しく素晴らしいお祭りです。そして同時にインヤンガイの霊的な力が高まる時期でもあるのです。そこで皆さんにはこの時期のインヤンガイの様子を調査してきてほしいのです」 青年はここで一区切り置くと、次の瞬間にっこりと笑顔を作った。「まぁ調査は調査なのですが、この機会に皆さんに巡節祭に参加し、楽しんできてほしいのです。インヤンガイの文化を学ぶにはちょうどいい機会でもありますから」 言うなれば調査という名の観光、といった感じだろう。 きらびやかな花火や舞、鳴り響く太鼓と爆竹の音。 そして食欲と好奇心をかきたてるたくさんの屋台。「そうですね、すべてを見て回ればきりがありませんから……今回は屋台で点心を召し上がってきてはいかがでしょう? 食は文化そのものですよ」 こうして司書の提案どおり、『調査』の名目で点心食べ放題の旅が幕を開けたのだった。
『巡節祭』が行われているインヤンガイの調査、という名目で屋台の集まる祭りの会場にやってきた5人。 出発前に司書から聞いたとおり、とても華やかな祭りは壱番世界の中国を思わせる。 「私が食べた事のある点心といったら餃子くらいだけど、ここには壱番世界にはない点心もあるのかしら?」 サラサラと長くて美しい金髪を揺らしながら、コレット・ネロがかわいらしく首をかしげる。祭りは楽しいものだからワクワクするが、それが自分の知らない世界のものだということで余計にワクワクしているらしい。 小さな体に鳥の羽という、特徴的な外見を持つ少女ドナ・ルシェは辺りを見渡しながら自分のいた世界のことを思い出していた。あたしの世界でも同じような行事があったなぁ……などと、色々溢れ出た思いを振り切るように、彼女はブンブンと首を振った。 「食べ放題とはめったにない機会だからな、満喫させてもらおう。もちろん費用は経費で落ちるんだろうな?」 などと言いながらコレットの背を追うように歩いている端正な顔立ちの青年はアインス。コレットとはよく知った仲、もっとも特別な存在だと思っている。 5人の中でもなんとなく浮いた美青年を遠巻きに眺めながら、日枝紡はなんとなくこいつはいけすかねぇな、などと思っていた。もちろん悪気があるわけではない。様々な人間がいれば好き嫌いはあって当たり前のことだし、紡はまだアインスのことをよく知らないのだから。 「ん、どしたい?」 そんな紡の様子を見て、虎部隆がちょいと顔を近づけて声を掛けた。 「いやー、俺、ああいう奴ってどうもなーってさぁ」 「ああ、アインスな。あいつは生まれと育ちが俺ら壱番世界の人間とは違うからな。でも」 「悪い奴じゃねーんだろ? わかってるって」 「そ、女に優しい男に悪い奴はいないって。俺みたいにな」 最後の一言に紡が笑ったが、同年代の同性と楽しく話が出来ることに隆は満足気だった。二人は年齢もほとんど同じ、壱番世界からやってきたロストナンバーだ。 「おーい、みんな迷うなよ! って、あれ? ナイアガラトーテムポールがいねえぞ」 「ナイア……何だって?」 紡が隆に尋ねると、それは隆のセクタンの名前だという。人ごみにまぎれて迷子になってしまったのだろうか。 「大丈夫かしら」 コレットが心配そうに言うが、隆は点心を楽しみながら探せばいいと言う。 屋台の並ぶ道はとにかく混んでいる。この人ごみを楽しむのも祭りの醍醐味の一つではあるのだが、はぐれては大変だ。とりあえず5人はまとまって行動することにした。 ドナが小さな背をうーんと伸ばしながら何を食べようかと悩んでいると、アインスがそっと何かを差し出した。独特の甘い香りと風味が特徴の『杏仁豆腐』だ。人ごみという熱気にさらされた中、冷たい杏仁豆腐はとてもおいしい。 「ありがとうございます、とってもおいしいです!」 「どういたしまして。私は小さなレディの笑顔を見ることができて嬉しいよ」 もちろん、アインスはコレットにも桃包を買って持たせてやっていた。人ごみの屋台では少し大胆に注文する必要があることもあるので、まだまだ人慣れし始めたばかりのコレットはアインスの心遣いが嬉しかった。 「おいしい、甘い点心もあるのね。見た目もかわいいし」 小さな口いっぱいに桃包を頬張りながら、コレットが笑顔を浮かべた。 「おっ?! アインスの奴さっそくあんなことしやがって! くそー、でもこれは嫉妬じゃないからな! 絶対に!」 ドナとコレットに点心を振舞うアインスを見ながら、紡は肉饅頭をもしゃもしゃ食べていた。はたから見るとやけ食いに見えなくも、ない……。 「って、これ辛ぇ! 何饅頭だよ!」 大慌てで水を口に含む紡。 「唐辛子いっぱい激辛肉饅頭だ」 「おい!」 どうやらその肉饅頭を持ってきた隆に一杯食わされたらしい。 「おーい、みんなもこっちに来て、肉饅頭の中身当てしようぜ!」 辛さに悶える紡を尻目に、隆が手を振るとコレット、ドナ、アインスがやってきた。 レディファースト、ということでコレットとドナがそれぞれ饅頭を選んだが、どちらも中身は甘い餡子だった。 「じゃ、アインスはこれだな」 隆が渡した饅頭をアインスが一口食べる。そして優雅な手つきで水を飲み、額に手を当てる。 「どうやら効いたみたいだな? 激辛100倍肉饅頭!」 「やってくれたな」 男三人、激辛肉饅頭を食べて笑いあった。 「調査もちゃんとしないとね」 コレットははぐれないように気をつけながら、見た事のない点心を買い求めて味を確かめていた。食べ過ぎるとお肉がつくという乙女の心配もあるが、きちんと調査もするのが彼女の真面目な性格をよく表している。 「そういえば、一番人気のある点心は何なのかしら?」 匂いと人の列を頼りに、二房の髪を揺らしながらコレットが駆け出した。その後をアインスが追い、はぐれないようにと手を取った。 「アインス、一番人気があっておいしい点心は何かしら?」 「私もこの世界に詳しいわけではないから、色々調査してみなければわからないな」 「そうね、じゃああの屋台の調査もしましょう!」 おいしそうな匂いに誘われて、コレットがアインスの手を軽く引っ張った。 「皮の歯触りは良く、中の餡の舌触りと甘みが絶妙で……こんなに美味しいのはドナ・ルシェ、十年の生涯で初めてです!」 ドナは胡麻がまぶしてある甘い饅頭を食べて、大感激して店主を褒め称えている。しかし、隣の屋台の店主が勧めたあるものに彼女は固まってしまう。 「お嬢ちゃん、これもおいしいよー、食べてみるといいよー」 明らかに爬虫類的な食べ物を目の前に、ドナのグルメ電波がそれは駄目だと訴えている。なぜ胡麻饅頭の隣にこんなものが? 困り果てているドナの手を、大きな手がサッと包み込んで彼女を連れていく。 見上げるとそれは紡だった。 「女の子を守るのは男の仕事だからな」 ドナは自分から他人にあまり積極的に干渉しないが、こうして守ってもらえるのは素直に嬉しかった。 「それに、あれはどう見てもゲテモノだったもんなぁ。全種類制覇を目指してる俺でもあれは無理だぜ」 呆れたように紡が言うので、ドナも笑った。 「よ! 祝賀新年! 好、ハオ。じゃ、ちょっとそこつめて。みんなー、こっちこっち!」 現地人にも気軽に話しかけてしまう隆は大きなテーブルの一角を空けてもらい、そこに人数分の席を取った。こういうことは隆ならではの積極的な行動だ。 「甜点心もいいけど、やっぱり辛いのもうまいな!」 大盛りの小龍包を差し出す隆。自分でもかなりの数を食べているらしく、いつの間に見つかったのかセクタンのナイアガラトーテムポールを氷嚢代わりに額に当てている。 「あれ、ナイアガラトーテムポール、お前なんか膨れてね?」 見ると、額のナイアガラトーテムポールがむしゃむしゃと口を動かしている。おそらくどこかで何かを食べてきたのだろう……。 「これはね、『魚介包』っていって、魚介類が新鮮なこの地域で人気のある点心なんですって。すごく並んでいたわ」 コレットとアインスが持ってきたのは地域限定のものらしく、白身魚と貝を練った餡をもちもちした皮で包んである、一口大の点心だ。 「『海』のものがあると、料理のバリエーションも豊富なんですねえ」 未知の『ギョカイルイ』を使った料理を目の前にして、ドナは海に思いをはせていた。故郷では神話でしかなかった海。それが目の前にこうして富をもたらしている。 「俺はこれを持ってきたぞ」 紡が嬉々としてテーブルに広げたのは、ドナを助けた屋台で売っていた『謎の爬虫類焼き』だった。思わずドナが飛び上がり、それを隆がちょんと受け止める。 「後で聞いたんだが、これを食うと女にモテモテの精力バリバリの超イケメンになるらしい……! アインス、お前のために買ってきたぜ!!」 謎の爬虫類をアインスの眼前に突き出して力説する紡。 「いや、心遣いはありがたいが遠慮しよう。コレットも怖がっている」 「ドナも怖がってるし、ここは責任を取って紡が食べるべきじゃねー?」 「ま、まじかよー……」 アインスと隆に続けざまに言われて、紡は大げさに肩を落とした。仲間たちはもちろん、同じテーブルにいた現地人も大笑いだ。 「じゃ、そろそろ今年の運試しって奴で、フォーチュンクッキーいってみるか?」 隆がみんなに配った煎餅は丸いはさみのような形をしていて、中に紙が入っている。煎餅を割って紙を取り出すとそこに今年の運勢などが書いてある、おみくじのようなものだ。 それぞれ割って紙を引き出してみると、偶然にも皆最高の運勢だった。 「これはどっかで一億円を拾う……いや、立派なコンダクターになれそうだぜ!」 よっしゃー! と拳を突き上げる隆。一方ドナは紙を丁寧に広げてノートに挟んだ。 「みんな、いい年になりそうね」 コレットは嬉しそうに笑った。そこにいるみんながうっとりしてしまうような笑顔。アインスはその笑顔こそ最高だと思った。紡は新しい仲間に出会えたことが何よりの幸運だと思った。 「そうだ、司書さんが言っていたわ、花火が上がるって。みんなで高い場所に行きましょう」 コレットの提案で、皆は席を離れ、人のまばらな高台を目指した。 どん、どんと大きな音を鳴らして花火が上がる。大玉、小玉、滝のような花火。空へ駆け上がる龍のような花火。 「きれい……」 コレットは目を輝かせて花火に見入っていた。 ドナは羽を使ってさらに高いところから空に描かれる芸術を楽しんでいた。大きな音は少し怖かったが、それも慣れてしまえばなんてことはない、花火にさらに花を添える音に聞こえた。 「花火、か……」 隆は空を見上げ、少し感傷的になりながらも強がっている。 「俺の世界のこと、思い出すなぁ」 紡は日本の祭りと花火を重ねて少し懐かしい気持ちになっていた。 「君の世界では、よく見るものだったのか?」 「いや、そんなにしょっちゅうじゃねーけど、花火大会とか祭りのときとかはよく見たな」 「そうか」 紡はアインスともすっかり打ち解け、花火を見ながら言葉を交わした。 「ところで、それ持って帰るのか?」 「司書への土産、激辛肉饅頭だ」 アインスは自分もしてやられた肉饅頭の包みをかざして見せた。 「俺のこれも土産にしてやるか」 先ほどの爬虫類の黒焼きを取り出す紡。二人は思わず顔を見合わせて笑った。 こうして、インヤンガイでの調査の旅はたくさんの幸せを残して幕を閉じた。
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