オープニング

「巡節祭に鬼が出る」
 赤茶色の尻尾を振りながら、獣人の司書は言った。『導きの書』は脇に抱えたまま、開こうとはせずに旅人たちを黒い眼でジッと見詰める。
「インヤンガイの巡節祭。暦ひとめぐりの祝い。あちこちの街区で盛大な祭。人が大勢。露天屋台が沢山。祝いの舞色々。とてもとても、」
 黒い眼はキラキラ輝き、尻尾がぱたぱたと振り回される。ピンと立った三角耳がぺたりと倒れ、桃色の舌と白い牙がちらちらと興奮気味に覗く。
「とても、大賑わい」
 堪え切れずに、ぅわん、と短く吠えて後、
「緋色の外套纏った黒鬼。街区のひとつに、出る」
 何も無かったかのように瞬きひとつ。

 

 吊るされた紅い爆竹に火が弾ける。乾いた破裂音が幾つも重なり鳴り響く。石畳の地面に火花が飛び散る。
 火の粉を浴びて舞うは、黒い衣装に緋色の腰紐を巻いた十数人もの舞手。鮮やかな組紐を柄に巻いた飾り刀が舞手の手の数だけひらひらと何十も踊り、火の粉を切る。
 しゃあん、と鈴を響かせながら路地から躍り出る唐獅子。
 長い胴を幾つもの長棒に支えられて舞う鮮やかな翠のからくり龍。
 緋と金の衣装を纏った少女が結い上げた黒髪を揺らし、空中に高く跳ぶ。華麗な空中回転。着地と共、観客から爆竹の音に似て拍手と歓声が沸く。
 火の粉を避けて軒下に陣取った老爺たちが、熟成酒の大甕を引きずり出す。蝋紙で施された封を破り、甘い香りの酒を酌み交わす。興に乗った一人が弦楽器を取り出せば、別の一人が朗々と謡い出す。
 火薬の匂いを押しのけるように、揚げ油の匂い。
 鳥が揚がり、魚が蒸される。そこここで熱い湯気があがる。揚げ菓子に砂糖がまぶされ、甘辛く炒められた挽肉が麺に絡む。甘い匂いに辛い匂い、香ばしい匂いに振る舞い酒の匂い。折り重なって空を覆う暗色の建造物を跳ね除けるほどに、明るい音楽と笑い声、新年を祝う言葉が界隈を飛び交う。屋台の売り子が威勢のいい声で客を呼ぶ。
 人で沸き返る界隈、その只中に、黒い鬼。
 金色の角を生やした黒鬼面を被り、緋色の衣装を纏い。その背に白花を付けた枝を何十本と飾り立て。ひょこん、と跳ぶ。片足で立つ。またひょこんと跳ぶ。
 白い小さな花弁を撒き散らし、剽けた仕種をしながらも、人と人の隙間を縫って歩く。曲芸披露する少女を囲む人の輪の後ろに立ってみたり、酒を酌み交わし謡う老爺たちの前で跳ね踊ってみたり。ただただ、祭を楽しんでいるかのような黒鬼の動きが、ぴたり、不意に止まる。
 立ち止まった黒鬼の傍らに、一人の少年。祭の晴れ着に包まれた小さな手を伸ばし、黒鬼の背に飾られていた白花の枝を一本抜き取る。少年は柔らかな芳香の花枝を抱き、必死な眼を上げた。
 老爺たちが訳知り顔で少年と鬼のために場を空ける。人波の中、そこだけ僅かな静けさが出来る。
 黒鬼は少年と顔の高さを合わせるように、膝を折ってしゃがみこんだ。差し出す片手に、蒼い陶器の椀。もう片手に持っていた椀は自らの耳に当てる。少年が椀を受け取り、口に近づける。
 椀の底と底は縒り合わせた糸で繋がっている。少年の言葉は、糸を通って鬼の耳にだけ届く仕組みのようだ。
 黒鬼は恐ろしげな面の頭を小さく傾げ、少年が口を開くのを、身じろぎもせずに待つ。
 少年の告白した罪がどんなものであったのか。
 それは例えば、母親が大事にしていた花瓶を割った、ということかもしれない。物を盗んだ、ということかもしれない。誰かを酷く傷付けた、ということかもしれない。
 少年が陶器の椀を黒鬼に返す。話すうちに涙の滲んだ眼を掌で擦り、裁きを受ける者の顔で黒鬼を見仰ぐ。
 返された器を緋色の外套の下に仕舞い、黒鬼は立ち上がった。少年の視線を鬼面で受け止め、手を伸ばす。ぎくりと身を堅くする少年の黒髪の頭をごしごしと撫でる。その手は深い皺の刻まれた老人の手だ。
 喧騒の中、低く響く優しい声で、黒鬼は新年を祝う言葉を口にする。



「鬼が背に負った花の枝を取ると、犯した悪事を一つ、食べてくれる。罪が食べられると身が軽くなる。一年を無事に過ごせる。現地ではそう、伝えられている」
 人が人を傷付け、暴霊が人を傷付け。暴力と罪が蔓延するインヤンガイで、人々は束の間の祭を味わう。
「何百年と続く不思議な風習。不思議ふしぎ。鬼の正体は、誰も知らない。そう言われている」
 黒鬼との対面を含め、巡季祭の様子を調査して来てもらうのが今回の依頼ではあるけれど、とぱたぱたと尻尾を振り続けながら獣人の司書は続ける。
「祝いの祭。出来れば、わたしの分も楽しんで来てください」

品目シナリオ 管理番号299
クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
クリエイターコメント こんにちは。阿瀬 春です。
 今回はインヤンガイへの旅行をご案内させていただきます。

 お祭です。戦闘も冒険もない、純粋なお祭です。観光です。異国情緒と中華っぽい食べ物と出し物と。お土産買うもよし、食べ歩くもよし、曲芸に参加してみるもよし。成人されているのなら爺ちゃんたちと酒盛りするもよし。罪喰う黒鬼の謂れは、爺ちゃんたちに聞くと分かるかもしれません。めいっぱい楽しんでくださいましたら幸いです。
 罪を食べるという黒鬼に、あなたが犯して後悔している罪を糸電話でこっそり聞かせるのは、イベントのひとつではありますが、こちらは参加してもしなくても構いません。

 あ。祭とは言え、と言いますか、祭だからと言いますか。スリにはお気をつけください。お財布は服やズボンのポケットに入れておいちゃだめです。十中八九、すられます。

参加者
ミレーヌ・シャロン(cyef2819)ツーリスト 女 20歳 学者
仲津 トオル(czbx8013)コンダクター 男 25歳 詐欺師
ウーヴェ・ギルマン(cfst4502)ツーリスト 男 32歳 看守
仁科 あかり(cedd2724)コンダクター 女 13歳 元中学生兼軋ミ屋店員

ノベル

 梅に似た白花と匂いを放つ枝を持った子供にすぐ脇を駆け抜けられ、
「わわ?!」
 仁科あかりはよろめいた。肩に捕まっていたフォックスフォームのセクタン、モーリンが落とされまいと必死にしがみつく。ふわりと尻尾が膨らむ。
 子供を追いかける格好で、紅い唐獅子が大きな顔を揺らしながら、しゃらんしゃらん、鈴の音高く跳ねるように歩いていく。先を走る花枝を持った子供が振り返り、きゃあ、と笑い声のような悲鳴を上げた。
 あかりの傍を通り過ぎようとした唐獅子が、四本ある黒足袋の足を止めた。身軽く跳ね飛び、くるりとあかりに向き直る。カカッ、と金色の歯を打ち鳴らす。
「何? 何なに?」
 戸惑いながらも楽しげな笑みを浮かべるあかりと、威嚇するように身体と尻尾を膨らませるモーリンに、一抱えはある大首をおどけた仕種で傾げてみせる。モーリンの匂いを嗅ぐかのように、紅い頭を肩へと近付ける。
「あ、この子は、」
 あかりは反射的にモーリンを唐獅子から遠去けようと一歩引いて、その途端、かっぽん、と大きな口に頭を齧られた。
「うっひゃあ?!」
 肩まである黒髪の右側だけを結った頭が唐獅子に呑まれ、すぐに解放される。
「な、ななな」
 齧られた割に痛くない頭を押さえながら呆然とするあかりの前で、唐獅子ははしゃぐように幾度も跳ねて見せると、次の獲物を見定めるように、あかりの隣でくすくす笑う軍服の男へと首を巡らせた。
「えぇ、僕ー?」
 街区に到着するなり買い込んだ、温かな甘い匂いを放つ饅頭がたくさん入った紙袋を両腕で抱え、ウーヴェ・ギルマンはのんびりと首を傾げる。
「痛そうだしねぇ、遠慮しとくよぅ」
 これあげるー、と柔らかな桃色の饅頭を唐獅子の鼻先に伸ばす。かぽん、と包み紙ごと饅頭を一呑みして、唐獅子はお礼のように四本足を揃えて跳ねた。そうして、のっしのっし、喧騒溢れる人込みに紛れる。
「噛まれた! 噛まれたですよ!」
「噛まれちゃったねぇ」
「あ! デジカメ! 撮り忘れちゃった!」
 結わえた髪をぴょこぴょこと跳ねさせ、わあわあと楽しそうに騒ぐあかりにも桃饅をひとつお裾分けして、ウーヴェは石畳の路地に所狭しと並ぶ露店へと、緑色の隻眼を巡らせた。辛い匂いのする露店は避け、砂糖漬けにした色とりどりの果物が並ぶ露店へと引き寄せられる。
「これマジ美味しい。主食に出来るですよ!」
「やっぱり、まずは食べ物だよねー。屋台まわりしてぇ、美味しそうなのとか珍しそうなのとかいっぱい食べたいなぁ。あまーいお菓子とかもいいよねぇ」
「珍しいものも食べてみたいのです! 限界に挑戦するですよ!」
「ふふふ、こういうのって、どこかの言葉で花より団子って言うんだっけ」
 頭一つ分ほど身長差のある二人が通りの露店を片っ端から制覇していくのを物静かににこにこと見守るのは、ミレーヌ・シャロン。人の流れに上手く乗り、二人から付かず離れずの距離を保って歩いていたが、不意にどこかで鳴り響く爆竹の音に少し驚いたように金の眼を上げた。リボンで結うた、柔らかく波打つ乳白色の髪が露店から流れてくる胡麻の香りの熱気にふわりと揺れる。
「とても華やかな祭りですね」
 流れた髪を片手で押さえながら、隣を歩く仲津トオルに話しかける。
「それこそ、異国情緒とでもいえばいいのでしょうか」
 こちらも、人波に流されることなく、おー東洋的やなー楽やなー、と祭りの只中に立ちながらどこか飄々とした雰囲気だ。
 ミレーヌの髪を揺らしたのと同じ熱気に黒い癖毛を巻き上げられながら、
「そうだね」
 黒縁眼鏡の奥の黒い眼を人懐っこそうな笑みに細める。通りすがりに眼を留めた、露店に並ぶ極彩色の面を手に取る。人と動物を掛け合わせたかのような怪しげな面だ。不思議な面ですね、とミレーヌが小さく首を傾げた。
「これ何の面なの?」
 面を手にしたまま、店主に話しかける。朱に藍、金銀蒼に漆黒、翡翠、様々な色の様々な形をした面に囲まれて、暇していたらしい禿頭髭面の店主が、満面の笑みで一見不気味な面の由来を話しだす。
 巡節祭のため露店仕様となっているが、普段は雑貨店を営んでいるらしい。奥には通常の店舗があり、外に並ぶ面妖な被り物の他にも、衣類や硝子玉を連ねた飾り物や身体に悪そうな鮮やかな紅色花型のお菓子、木彫りの鹿や熊や得体の知れない生物、古めかしい電子機器、意味深な文字が描かれた分厚い本、ブリキのバケツに如雨露に鉄鋏、日常品からそうでないものまで、祭や街の雰囲気そのまま、雑多に、今にも崩れ落ちて来そうなほどに積み上げられている。
 厳つい店主に物怖じすることもなく、トオルは気になった面や飾り物について問いかける。
 と。脇に抱えていたバッグが不意にごそごそと動いた。そ知らぬ顔でバッグを押さえつけようとするものの、それを押しのけて、ひょこんとピンクの生き物が顔を出す。ポンポコフォームをしたトオルのセクタン、グミ太だ。
 何だそりゃ、と店主が眼を丸くする。
「縁起物だよー」
 バッグから脱出しようとするグミ太を再度バッグに押し込み、トオルはにこにこと人好きのする笑みを浮かべる。
「これ、貰えるかな」
 誤魔化しついで、手近なお菓子を手に取り、スリを警戒して服の奥に仕舞っていた財布を取り出す。この街区の紙幣が入っているように見えるが、紙幣の正体はグミ太の真似マネーだ。
「毎度。茶でも呑んでくかい?」
 連れの人たちも、と店主は手招きした。手早く茶を入れ、物で溢れる店内から重ねた椅子を引きずり出して適当な隙間に並べる。
 人たち? と面を元の場所に戻し、トオルは振り返る。物珍しげに露店の面を手にしているミレーヌを、いつの間に戻って来ていたのか、さっきよりも大量のお菓子の紙袋や包みを抱えたウーヴェとあかりが不思議そうな顔で覗き込んでいた。
「何でしょう、……件の鬼とは違うようですが……」
「おじさん、このお面、写真撮っていいですかー?」
 デジカメを取り出すあかりに、何なら被ってみるといい、と商売っ気があるのかないのか、店主は愛想よく笑う。
 出してくれた花の匂いのする金色の茶と、ウーヴェとあかりの買ってきたあちこちの露店のお菓子で、図らずも小さな飲茶会となった。茶器や菓子を並べた木製の卓は売り物のようだが、店主が気にする様子はない。
 椅子に着いたミレーヌは薄い陶磁器の茶器を両手で包み、花の匂いの湯気に金眼を細める。
「どれもこれも見目鮮やかに映ります」
 明るいのは祭りの間だけだけどねえ、と店主はそれでも嬉しげに笑った。
「このお面と一緒に写真撮ろうです!」
「そんなに撮ってどうするのぉー?」
「司書さんへのお土産にするですよ。あと、さっきくれたお菓子もたくさん買うです。色々食べましたですが、あれが一番美味しかったのです」
「そうだねぇ、お土産買ってかないとねぇ。わんこ用の玩具とかでいいのかなぁ。パンダさんのぬいぐるみとかあるのかな?」
 きゃあきゃあとはしゃぐあかりに付き合っていたウーヴェが、思い出したように店主を呼んだ。
「ねぇ、このお茶の匂いのお香とかはあるかなぁ?」
「部屋用で?」
「あぁ、……ううん、お供え用で」
 きっと喜んでくれるんじゃないかなぁ、と今は居ない妻に向け、緑色の眼が愛おしげに微笑む。
 茉莉花のお香と、噛むときゅうと鳴く大熊猫の小さなぬいぐるみ。お土産にしたいと思っていたものをとりあえずは揃えることが出来、ウーヴェは一息つくように椅子に腰を下ろす。
 店の外では変わらず賑やかな祭りが繰り広げられている。爆竹の音、華やかな鈴の音、弦楽器管楽器の音、並ぶ面の向こうで舞いを披露しながら通り過ぎる艶やかな衣装の女たち、――
「僕、お祭りとか観光とかしたことないんだよねぇ」
 出身世界では戦争ばっかりでお祭りどころじゃなかったし、と鶴を模した飴細工を齧りながら、独り言のように呟く。
「こういう楽しいこと、あの頃にもっとできたら良かったのになぁ」
「これから! これから楽しみましょうですよ!」
 つり気味のくりくりした眼を楽しくてしょうがなさそうにきらきらさせながら、あかりが言う。揚げた鶏肉と香味野菜を小麦生地で巻いたものをあっと言う間に食べ終わり、これも主食に出来るですよ、と元気よく笑う。
「そうだねぇ」
 ふふ、と。息を吐き出すようにウーヴェは笑った。



 煌びやかな衣をはためかせ、黒髪を高く結った少女が舞う。緩やかに緩やかに。そこに乱入するは蒼い仮面の鬼。途端、少女の動きが激しくなる。爪先でくるりと回転、身を反らせたかと思うと後方に一回転。石畳の地面に足が付くなり、今度は側転。
 周囲の観客から歓声が沸く。
 晴れ着に身を包み、明るい声を上げる観客の中に混じって、ミレーヌ。金色の眼を楽しげに細めながら、惜しみのない拍手を送っている。
「ボク、ちょっと向こう見に行って来るねー」
 同じように観劇していたトオルが、ふとその場を離れた。ひょいと片手を上げて、人の輪を外れ、見る間に人波へその背中を紛れ込ませる。
「はい。では、また後でお会いしましょう」
 すぐに見えなくなる背中へ声を掛け、ミレーヌもまたその場を離れる。
(司書さんに聞いた『罪喰う鬼』のことも気になりますし)
 優しくどこか切ないような、『罪喰う鬼』の話を思い起こす。
(ご老人などは詳しいでしょうか)
 祭りに紛れて歩いていれば、ゆっくりと話を聞けそうな古老に行き会うことも出来るだろう。
(歩いて、歩いて歩いて、)
 歩き続けていればいつかまた会えるはず、と。祭りに浮かれ、人で溢れる街区を背筋を伸ばして歩きながら、無意識のうち、人波に師を探していることに気付いた。ほんの一瞬、乳白色の睫を落とし、すぐに前を見据える。
(今、ひと時はこの祭りの雰囲気に紛れていたい)
 旅の仲間に倣いお土産でも探そうか、とぐるりを見回す。
 重なる軒や屋根で空の見えない通りには、煌々と灯りを燈した露店が並ぶ。龍や鳳凰や子猫を模した飴細工が並び、華やかな織物や巻物が山と積まれ、瓶詰めされた様々な形の茶葉が置かれ。
 わあ、と駆け抜ける子供を危なげなく避けて、ふと上げた視線の先、紅煉瓦の壁の傍で酒酌み交わす老爺たちを見つけた。
「ムッシュ・ギルマン、あかりさん」
 蝋紙細工の華が露店いっぱいに飾られた紙華屋を興味津々覗いていた、ウーヴェとあかりに呼びかける。
「その先のご老人たちに話を聞いて来ます」
 振り返る二人に優雅な会釈をする。
「黒鬼さんの話? 面白そうだし、僕も聞いてみたいかなぁ」
「では、ご一緒に」
 あかりは紙の華を作る職人の手際に見入っている。
「すぐ行くですよ」
 くるり、と職人の手が動く度に、直前まではただの薄紅色の紙だったものが牡丹の形した花弁の一片になる。すごいすごい、とはしゃぐあかりの隣に、ふと誰かが立った。露店の屋根に吊るされた灯が、並ぶ華々に影を落とす。
「紙なのに華なのです」
 言いながら隣の誰かに人懐っこく顔を向けて、黒い鬼の面と真正面から向き合った。間近で金色の眼が見開いている。
「わあ?!」
 思わず飛び上がるあかりの真似をして、黒鬼が跳ねた。背中に何本と背負った白い花の枝から、澄んだ匂いを撒いて花弁が散る。紅い衣装がふわりと風を孕んで膨らむ。驚いて動きを止めるあかりとしばらく見詰め合った後、唐突に踵を返す。
「あ、……待って、待って待って!」
 そのまま通りの人波に飛び込もうとする、背の高い黒鬼の背にあかりは手を伸ばした。帯に幾本と差された枝から、白花を満開に咲かせた一本を抜き取る。黒鬼が足を止める。首を傾げて肩越しに振り返り、くるりと踵で半回転、胸元で枝を抱くあかりと向き合う。懐から糸で結わえられた蒼い椀を取り出して渡し、反対側の椀は自分の耳に寄せ、あかりが話し出すのを、待つ。
 紙華屋の片隅、少女は黒い鬼だけに話をする。
 過去から、――あの時から今まで続く、
「罪とは微妙に違うのヤツでごめんなさい」
 話を終えた少女の黒い眼には、彼女の抱く不安と、それを凌駕する決意を映すように、微かな笑みが滲んでいる。



 祭りに賑わう通りから少し外れると、人波が嘘のように消える。祭りの通りで派手に鳴り響いていた爆竹の音さえも遠い。出鱈目に積み上げたような屋根や看板が重なり合い、空を奪い光を奪う。お情けのような外灯がひとつきり、気紛れに瞬いている。
 喧騒を嫌った茶虎猫が一匹、暗い路地の真ん中に陣取って寝そべっている。
「ああしまったこのボクが!」
 響くのはトオルの声。茶虎猫が金色の眼を物憂げに上げる。
 声を上げた本人は、ごそごそ動くバッグをでこぼこの石畳に置いて、上着やズボンのポケットをぱたぱたと叩いている。
(恥ずかしいなあ、もう)
 服の全てのポケットを探り終え、財布が無いことを確認して、トオルは短く息を吐く。
(さっき買い物に出した隙、かな)
 このことは内緒にしようと心に決めて、仄暗いインヤンガイの街並みを見仰ぐ。空までも延びていくような、重なり合った屋根や看板、少ない光。本来のインヤンガイの空気は暗く、重い。祭の場だけが特別なのだ。
(……鬼のことは気になるし)
 罪を喰うと言う鬼。
 自分の罪に思いを馳せ、
「ま、ボクにはいんないね」
 軽く肩をすくめて、小さく笑う。そんなものは単なる気休めだと。気休めで悪いことはないけれど、
(そうでないとしたらそれこそボクが頼るのは違う)
 どうであっても、負った罪を軽くは出来ない。
 飄々とした風貌に、どこか突き放すような怜悧な表情が浮かび、すぐに消える。賑わう通りへ向き直る顔には、元通りの、人好きのする明るい表情が浮かんでいる。
 グミ太を詰めたバッグを肩に担ぎ、通りへ戻ろうとしたトオルの背後、
 とん、
 どこかから飛び降りたような小さな足音が響いた。
 振り向くトオルの眼に写ったのは、うずくまる紅色の衣。背に白花の枝を負い、頭に金色の角を生やした黒鬼面を被った、小さな影。
 突然どこかの屋根から降って湧いた黒鬼に驚いて、茶虎猫が抗議の鳴き声を残して走り去る。
「あらま」
 トオルは驚きに僅かに見開いた眼を、面白げな笑みにすり替えた。
 黒鬼もこんな路地裏に人が居るとは思っていなかったのか、うずくまったまま、恐ろしげな仮面の頭を傾げるようにして、近付いてくるトオルをジッと見上げている。背に負った枝から白い花弁がゆらゆらと落ちた。
 しゃがみこんで向き合い、華奢な肩越しにその枝を一本取ると、黒鬼は小さく頷いた。糸で繋いだ蒼い椀二つを懐から取り出し、一つをトオルに手渡す。椀が大きく見えるほどに鬼の手は小さく、子どもじみていた。
 鬼にだけ届く声でトオルは話す。今ではない、昔の罪。罪と、
「……悔い、かもね」
 小さく呟いて話を終える。
 黒鬼が仮面を上げ、何かを言おうとするのを首を振って遮る。
「鬼が食べてくれた罪は、」
 蒼い椀を返しながら、問う。
「次はどこに行くんだろうね?」
 黒鬼は椀を受け取り、懐に仕舞うと、考え込むように首を傾げた。立ち上がる。見上げるトオルの視線を受けて、
「って、おーい?!」
 くるりと背中を向けた。脱兎の如く走る。動きづらい衣装に重そうな仮面、その上枝の束を背負っているにも関わらず、鬼の動きは早かった。トオルが立ち上がるよりも早く手近な細い柱に飛びつき、猿にも似た動きで屋根の上に登る。
 トオルの手の届かない場所に立っておいて、振り返った。不安定な屋根の上でしゃがみこみ、大きく牙を覗かせた鬼面の口を小さな両手で隠してみせる。
「内緒、ってか」
 おどけた仕種の鬼を見上げ、苦笑いするトオルに、くすり、と鬼が小さく笑う。その声はまるで小さな少年のもの。
 追い縋る隙を見せず、小鬼は白い花弁を撒き散らしながら屋根伝いに跳んで逃げた。



 あかりが手を引いて連れてきた背の高い黒鬼を前に、ミレーヌは丁寧にお辞儀をする。
「失礼しますね」
 白い手を伸ばし、黒い鬼が背に差した花枝を取る。
「私の罪は、――」
 花を捧げるように両手で抱いて、金色の眼で鬼を見上げる。鬼が差し出す蒼い椀を受け取って唇を寄せ、
「私の罪というのなら、師のいいつけを守らず師と同じ道を歩んでしまったことでしょうか」
 穏やかに、言葉を紡ぐ。
「けれど私は後悔はしていません」
 黒鬼の面の奥に潜む何者かの眼を、揺らがぬ金眼で見詰めたまま、決意を籠めた静かな声で告白する。
「運命に抗い、また師との再会を祈っています」
 罪喰う黒鬼と話す、ミレーヌの乳白色の長い髪が風にふわりと舞うのを見るともなしに見ながら、ウーヴェは琥珀色した酒の入った椀に口を付けた。ほんの少し舐めてみて、酒に舌を焼かれ、眉間に皺を寄せる。困ったような笑みを浮かべる。
「罪を食べてくれる黒鬼さんっていいねぇ」
 長椅子に腰を下ろし、赤煉瓦の壁に背中をもたれかからせ、酒盛りの古老たちに勧められた酒の椀を投げ出した膝に置く。隣で弦楽器を弾いていた白髭の老爺がそうじゃろそうじゃろ、と紅い頬を上機嫌に笑ませた。
「……僕はもう悪いことやりすぎてるから、一つ減ってもあんまり変わらないんだろうけどね」
 黒い眼帯に覆われていない方の緑眼が少し悲しげに伏せられ、
「でも折角だから、この間居候先でうっかり貴重な本にお茶染みつけちゃったことでも食べてもらおうかなぁ?」
 間を置かず、くすくすと笑み崩れる。酒の椀を椅子に置いてふらりと立ち上がり、酒盛りの老爺たちと共に踊る黒鬼の傍へ歩み寄る。
「逃げられたー」
 トオルが人波の中からひょっこりと現れ、舞の真ん中に立つ黒鬼とウーヴェを眼で追いながら、酒盛りの老爺たちの輪にさりげなく混ざりこむ。先に輪の中に混ざり、長椅子に腰掛けていたあかりが、貰い物のお菓子を食みながら、
「あ、お帰りです」
 のんびりと笑った。
「黒鬼はたくさん居るみたいだね」
「そうなのですか?」
 ミレーヌがトオルの言葉に応え、老爺から柄杓で汲んだ樽酒を椀に注がれながら、興味深そうに金眼を瞬かせる。
「向こうで別のに会ったよ」
「一人なのかと思っていました」
「そうだ、爺さん」
 酒盛りの輪に新しく混じった旅人に、酔っ払った老爺たちは我先にと酒を注ぎたがる。気後れせずに杯を受けながらトオルは問うた。
「罪喰う鬼の話、聞かせてくれないかな」
 孫に昔話をせがまれたかのように、老爺たちは淡く笑んだ。
「鬼が神となるための修行だと、昔から言われておるよ」
 その内の一人、長椅子に腰掛け、呑みながら弦楽器を弾いていた白髭の老人が話し始める。
「人々の罪を喰らい、腹の中でこなして浄化し、街区をその背に負うた白花で満たせば、鬼は神となれると」
 深く皺の刻まれた指が弦楽器を弾く。
「本物の花なんて見なかったよねぇ」
 鬼に罪を話して新年の挨拶を交わし終え、酒盛りの場に戻って来たウーヴェが首を傾げた。蝋紙で作られた華は露店にもあちこちの窓にも飾られていたが、根を付けた花は、この街区では見かけていない。
 老爺は歯の無い口で笑む。
「どんなに養生してもの、枯れる。ワシも昔、どうにか根付かせようとしてみたんだがの。……どうしても育たんかった」
 こんな地だからかのう、と暗く空を覆い尽くす建物を見仰ぐ。
 それでも鬼は巡節祭になると白い花を背に負い、街区を巡る。人々の罪を喰らい続ける。
「お腹壊したりしないのですか?」
 あかりが眼をくりくりさせながら問うと、老爺は声を上げて大笑いした。
「さての。けれども、あれを見てみい」
 弦弾く指を上げて示すのは、祭の最中で楽しげに舞う、罪喰う黒鬼。
「罪喰らい腹でこなすは辛苦なれど、鬼は笑う。剽けて舞う。歳が何百と巡り来ても神となれぬを呪うでもなく、新しい年を言祝ぐ」
 老爺は弦を弾いた。古風な音色は、どこか懐かしげに物哀しげに、人波の喧騒に溶ける。
 白花を背に負い、黒鬼が舞う。熱を含んだ風に花弁と澄んだ香りを撒きながら。
「さ、爺の話はお終い」
 弦楽器の音を掻き消して、爆竹の音が鳴り響く。次いで、剣戟の音に重なる鈴の音。様々な音に呼ばれるように、黒鬼がふらりゆらり、人波に入り込んだ。紅色の衣装が見る間に人込みに紛れ込む。
「祭は短い、楽しんでおいで」
 酒盛りの老爺たちがそう言って笑い、祭の最中へと旅人たちを送り出す。
「うん! 行って来ます!」
 あかりが元気よく立ち上がり、
「ご馳走様。お話を、有難う御座いました」
 ミレーヌが綺麗に礼をする。
「ふふ、酔っちゃったぁ」
 ふらふらと千鳥足気味のウーヴェがくすくすと笑み、
「祭はこれから、だね」
 トオルが白花の枝で肩を叩く。


 そう、――祭は、始まったばかり。




                      終

クリエイターコメント インヤンガイは巡節祭へのご参加、ありがとうございました。
 祭は如何でしたでしょうか。露店や祭は楽しんで頂けましたでしょうか。
 司書犬にお土産まで頂いてしまいました。……写真は飾られ、お菓子はあっと言う間に食べ尽くされ、ぬいぐるみは暇があれば延々噛まれて、きゅっきゅ鳴いていると思われます。
 重ねて、ありがとうございます。


 皆様の罪に対する強い想いや切ない想いを、僅かなり、描けておりましたら幸いです。
 巡節祭にご一緒出来まして、楽しい思いをさせて頂きました。

 またお会い出来ますことを願いながら、今はここまで。
 ありがとうございました。
公開日時2010-02-17(水) 18:30

 

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