いつもならば、殺伐とした静寂が広がるはずの通りは今や人、人、人。 人に埋まっていた。 巡節祭。このときばかりは人々の顔には常に笑顔が広がり、汚れた路上は整備され、テントが拡げられて甘い菓子やらの食べ物店が連なり、人は歌い、花が配られ、芸をする者、それを見る者と大勢の人間が行き来する。 このときばかりはいつものうす暗い闇が朝日によって照らされたように姿を顰める。 その中で女探偵のキサがいた。 探偵としての仕事は休みだが、これだけ大勢の人間が多いとささやかなトラブルが多いため、そのトラブルを解決するのが探偵たちの今回の仕事だ。規模が大きいので、それぞれの地区で、探偵たちが五人くらいのチームを作り、それぞれ担当箇所を見回りトラブルがないかチェックするのだ。「わりと平和に終わりそうだねぇ」 キサはふっと笑ったときだ。 背筋にぞくりとする悪寒を感じた。「おーほっほっほっほっほっ。これはお久しぶりですわね。キサさん」「うわぁ、このむかつく高笑いは」 キサはため息をついて振り返った。 そこには縦ロールにした染めた金色の髪に、ふりるをあしらった、大きな胸が強調される作りのドレスを着た――あきらかにインヤンガイらしくない服装の女が立っていた。 彼女の名前は、ユーナ・ユィーラ。 自称キサのライバルである。 彼女の家は資産家であり、ユーナは娯楽で探偵稼業をしているのだ。金に物を言わせた方法が多いため、キサが一度、ユーナと衝突してから目をつけられているのだ。一方的に。「なんだい、お嬢様。こんな庶民ぽいのは嫌いじゃないのかい?」「あら、庶民の味を知るのもいいことじゃなくって、おほほ」「ほっと、いちいちカンに障る」 ピンクの扇でぱたぱたと自分を仰ぐユーナにキサは頭を抱えそうになった。「わたくし、あなたに決闘を挑みますわ」「はぁ? ちょ、まて。いきなりなんだい」 キサは抵抗するが、ぱちぃんとユーナが指を鳴らすとどこからか出てきた黒スーツに黒サングラスの強面のお兄さんたち。彼らはキサを荷物のように背負って運んでゆく。まるで市場に売られてゆく牛のような気分である。「ちょっとー、なにすんだい」「勝負は料理対決ですわ。わたくしが企画したイベントですわ。料理を作って、それで対決するんですの。料理の内容は七鍋ですわ」「七鍋ぇ~」 荷物のごとく背負われたままのキサは顔をしかめた。「そう、正月には一般的に食べられる。七つの具材をいれたあれですわ、あれ」 ふふんっとユーナは鼻で笑う。「あなたのためにもわたくしが企画したんだから、逃げませんわよね」「いやいやいやいやいや」 キサは料理が下手なのだ。下手といえばかわいく、料理の神さまに愛想を尽かされているほどの腕前なのだ。 逃げようとしたが逃げられず、気がついたら地上よりも一段高い舞台の上にキサは立たされていた。 舞台の上には調理用のキッチン。――調理用品、調味料がほぼすべて揃えられている。 呆然とするキサの横にはユーナが立っている。彼女の傍には白いコック姿のプロらしい男たち。「手伝ってくれるお仲間さんも連れてきてもいいですわよ? 制限時間は今日一日。食材はここで売られているものならなんでもですわ。七つの食材をいれて鍋を作って、より多くの人たちに支持された者が勝ち」「ふーん、けどね、審査員なんかあんたが買収してるんだろう?」「あら、わたくし、審査員がいるなんて言ってませんわよ」 ふふんっとユーナは笑う。腹が立つほどの余裕の笑みだ。「鍋を作ったら、観光している人たちに振舞うのですわ。それでおいしいほうに投票してもらうのよ」 見れば舞台の下には、投票用の紙とペンと投票箱がちゃんと置かれたテーブルがある。 鍋を作り、食べてもらったあとはどちらがおいしいかと投票してもらうというわけだ。「作るので手間取っていては投票はもえませんし、さらにいえば食べてもらわなくっちゃいけませんものね。まぁ、あなたにそんなものが作れるのかしら、おほほほ」「くぅ、あんた、私が料理下手だって知って挑んできたね!」「あら、なんのこと」そこでぼいんっとユーナのでかい乳が揺れた。貧乳のキサではありえないことだ。「勝ったほうが、相手の言うことをなんでも一つ聞くのよ。わたくしが勝ったら、あなたに土下座してもらいますからね!」「ちょぉ!」「おっほっほっほっ~! 私はプロの料理人がいるから、あなたはどうするのかしらね。たのしみですわ。まぁ下品で、粗野で、その上、貧乳さんだから助けてくれるお友達もいなくって」 にくったらしい言葉にキサの血管がぷっちぃと切れた。主に貧乳という言葉あたりで。 ここで負けてなるものか。「上等だぁああ。コラァアアア! 私が勝ったら言うことをきいてもらうかねぇ!」 怒鳴った瞬間、周りがわぁと湧いた。 はっと我に返ってみると周囲にはなにごとかと騒動に集まった野次馬たち。その目はこれからおもしろい出し物があることを期待してきらきらしている。 これは逃げられない。 キサは己の怒りから発してしまった発言に深く深く後悔して、ため息をついた。
いつもの陰気で人の顔色を見るかのようなピリピリと針で刺したような雰囲気とは違う、賑やかで明るく陽気な雰囲気が全体に漂う。 その中でキサは周囲の人々のように笑顔ではなく、むっつりとした顔で今回の自分の危機を助けに来てくれた二人を見つめた。 「よぉ、サキ……じゃなかった、キサのねぇちゃん」 「あんた、その間違いはわざとかい?」 キサが思わず青筋をたてて睨みつける相手――鍛え上げられた無駄のない逞しくもほどよく小麦色に焼けた肉体と人好きする笑顔の持ち主の金晴天。何度か事件で助けてもらった顔見知りだ。 「いや、ついだ。つい」 「ふん。えーと、あんたは」 「りりーだよ。料理はりりーにおまかせ。伊達に一家の台所を預かってないんだからねー?」 十歳くらいの小柄な、黒いくせのあるツインテールをふわりとゆらしてそばかすの顔にくりくりとした瞳がキサを見上げる。金晴天と同じく、今回の助っ人である時雨理理子だ。 「よし、勝つぞ。絶対に勝つ、あんな、あんな」 キサが拳を握りしめると、不意に背後から人影が近づいてきた。 大きな胸をさも重たげにゆらして、出るところは出る。出てないところは出てないという見事なスタイルの今回の料理対決の相手であるユーナである。 「あらあら、キサさん、おたくさまの助っ人さまがきましたの? まぁ、がんばってくださいましね、貧乳なりに。なんせ、あっさりと勝ってはつまりませんから」 おほほっと扇で口元を隠して笑うユーナ。大きな胸が揺れている。 「っ! だ、誰が貧乳だぁ!」 キサは自分の悲しい胸を押さえて吼えた。 「キサが困っているようだから助けに来たが……」 晴天の目が高笑いとともにさっていくユーナの胸をちらりと見る。そしてキサの胸をちらりと見る。 「といいたいとろだが、げふ、けぶ……いや、なんでもない、ここで頑張ろうな」 キサと理理子の痛い視線に晴天は冷や汗を流して明後日の方向を見た。 一方、理理子は対戦相手のユーナを見るとそのかわいらしい顔をむっつりと歪めた。 「あの人、今、貧乳っていった?」 ぴきっ。――何かにひびがはいる音。 「貧乳って!」 ぴきぴき――怒りが燃える音。 理理子は自分の胸を抑える。 「キサくん、僕、味方だからっ」 「りりー! お前、わかってくれるか!」 「うん。あーんなのに」ここでびしっと理理子はユーナを指差す。「絶っ対! 負けない七鍋を作るよ!」 「おうともさ! りりー!」 がしっと理理子とキサが強く強く手を握りしめ、見つめ合う。何か通じ合うもの、胸に悩みを持つ乙女としての連帯感があったらしい。 その中に男として関わり合うこともできない晴天は二人を遠く眺めた。 「友情が芽生えた……けどな、理理子はまだしも、キサは……すいませんなんでもありません。さぁ、料理、料理」 二人の乙女に睨まれて晴天はエプロンに手を伸ばした。 確実が用意されたエプロン――シンプルなデザインのものを身につけると、まずは食材探しがはじまった。 七つの品を好きにいれていいという自由な鍋だ。つまりはいれる食材によって鍋の味が決まってしまう。 食材を売る店はかなり多い。 「うーん、ここはやはり素直にいくべきだよなぁ」 晴天は真剣な顔であきらかに鍋の具材としてはおかしいカカオマスと豆板醤を持っていた。 「キサの足を引っ張って笑いと」 「晴天、あんた、ここでいっぺん私の鞭の味をしってみる?」 「うっ」 「なぁ、りりー、そのかたそうな笛でこの男の頭をカチ割るってできるかね」 「うーん」 「イエなんでもないです。見ていただけデス」 晴天はそそくさと持っていた食材をもとった場所へと置きなおした。 ここで下手なことをしたら命がいくつあっても足りない。 「真面目に、真面目に……んーだったら、豆乳と花椒かな。あ、白身魚でもいいな」 「あ、それいいね。けど、出来れば食材はお肉と野菜で統一したいなー。元々があっさり味なら鶏肉と大根をいれてるとおいしんだよ? 塩をうっすらとつけるといいと思うんだけども」 「お、それもいいな」 晴天と理理子が真剣に語り合うなかでキサとて今回の勝負をふっかけられた手前なにかしなくてはいけないと真剣に考えている。 「……これをいれてみるか」 なぜか、その手には板チョコが。 「だめだめだめ、キサくん、それは戻して! チョコなんていれちゃだめだよ!」 「キサのねぇちゃん、それ真剣か?」 「え、甘いのおいしいじゃないか!」 「……最悪カレー粉いれて味はかえられるけど、それはだめっ!」 「キサのねぇちゃん、戻しとけ」 二人に止められてキサは自分の味覚やら料理の才能が完膚なきまでにないのだとすこしだけ悟った。 二人の提案により、今回入れるのは鶏肉、大根、豆乳、花椒、あとメインには米。 「香辛科は味を引き立てるもの、味を殺しちゃだめだからな。さきに豆乳をいれて、そのあといろいろといれて、花椒は最後でいいだろう」 「うん。おいしそうだよ!」 晴天と理理子が鍋のおおよその最終的に行きつくのを決めていると、市場からキサが顔を出した。 「野菜をいれてもいいなら、これは!」 一応、今回の勝負をふっかけられた手前、キサとてなにもしないままではいられない。 「なに、それ」 理理子がキサの手にある、そのへんな食材に眉をひそめる。 「市場で格安で手に入ったマンドラゴ……」 「キサくん、だめ!」 「……じゃあ、人参ともやし!」 「うーん、七鍋だから、あとふた品ないとだめだから、それだったら、いいよ」 「やった。ようやくりりーのお許しがでた!」 「キサのねちぇちゃん、レベル低いぞ、喜ぶレベルが」 食材を持ち寄って用意された調理場に行くと理理子は自分でも一家の台所を預かるというだけに慣れた手つきで包丁を握り食材をてきぱきと切っていく。 一方、キサは包丁を握ったままじっとしていたと思うと、思いっきり食材を叩いた。切ったではない、叩きつけるというほうがただしい行為を平然とやらかした。 「キサのねちぇちゃん、それはまずい」 「え、適当に切っていれればいいんだろう?」 「キサくん、木端微塵と適当な大きさは違うよ! もう、お野菜、洗っていて!」 「……はーい」 またしても理理子に怒られてしまった。これでもキサとしては精いっぱいに役立とうとはしているのだ。気持ちとしては。 大根を洗うキサの横で晴天は野菜を切っていく。 「料理が下手だと大変だな」 キサの場合は、そのレベルではややない気もしないでもないが晴天としては落ち込んでしまっているキサに笑いかける。 「生活、普通どういうの食べてるんだ?」 「屋台があるからそこで食べてるんだよ。面倒だと食べないときもあるしねぇ」 「あー、俺と同じ、いや、それよりもないぺったんこなその胸の原因は、その食生活にあったのか。うん。なんとなくそうじゃないかと」 「晴天、今すぐに鞭の味を覚えて見るかい?」 しみじみと、胸を見ていう晴天にキサは青筋をたてて微笑んだ。 「怒るなよ。そうそう、胸がでかくなる芋があると聞いたことがある。とり寄せてやろうか? お代は気にする必要はないさ、うん」 「胸を見ていうな。胸を見て! お前吊るされたいか、なぁ晴天! その同情に満ちた目はなんだ」 「いや、そこまでないとなぁ」 「……お、おっおきさだけが胸じゃない! なぁりりー!」 「そうだよ。大きいのだけじゃないんだよ。大きいのなんて肩がこるんだからね! あんな大きな胸、きっと栄養が偏り過ぎてるんだよ!」 理理子が対戦相手であるユーナの胸をびしっと指差した。やはり、ぷるんと揺れている。にくったらしいことに。 「負けないよ、キサくん」 「りりー! 負けない、私も」 再びがしっと理理子とキサは手を固く握りしめあった。 「お、鍋が出来るぜ」 女同士の友情もほどよく出来あがったところで、鍋も程よく出来あがってきた。 さっぱりとした匂いに喧嘩も罵り合いもせずに食材が仲良く鍋のなかで煮たっている。それぞれ小皿に出来あがった品をついで三人でそれぞれ味見。 「おいしい……いまだかつて私がかかわった料理の中で、ここまで完璧なものがあっただろうか!」 「おいしい。うん。よくできたほうだよ! キサくんもやればできるんだよ」 「りりー、私、これから料理、がんばるよ」 「キサくん!」 がしぃと乙女たちは見つめ合い、手を握りしめあう。 「いや、大根を洗っただけだからな。キサのねちぇちゃんがしたのは」 もくもくと鍋を食しつつ晴天はつっこむことを忘れない。 「まぁ、あとは客だが……あっちははいってるなぁ」 すでに鍋が完成しているユーナのほうは客が大勢いる。 キサたちのほうも匂いと興味に引かれた客がきているが、いまいちぱっとしない、このままでは負けてしまう。 「なにか客をひきつけるものがあれば」 「引きつける……」 理理子がちらりと晴天を見る。 「そうだ。筋肉マッチョのおにーさん! 自慢の筋肉美でお客さんを集めて集めて!」 「俺の筋肉か。よし、任せろ」 晴天はプロのボディビルダーだけはあっただけにその場を作るのが異常にうまい。彼にかかれば、どこで彼の舞台になる。なによりも、この絶好の人の視線を集められる舞台でなにもしないという手はない。 「わぁ、かっこいいおいちゃんだぁ」 「なに、あのかっこいい筋肉の人」 「まぁ、たくましい」 「すてきだわ」 「お、おお、じいさんの筋肉をおもいだすわい。あああ、花畑が見える」 「おお、あれは兄貴だ。俺の探し求めていた兄貴だ」 「いや、俺の兄貴だ! 兄貴、素敵!」 客――主に幼女から十代の若い娘から人妻にそろそろ枯れだしたばあさんまでの大勢の女性たちと、なんだか一部違うむさくるしい歓声があがる。 晴天を近くで見ようと客の足が向き、それにつられて鍋の匂いに食欲をそそがれおかげで人手がたりないほどの繁盛に見舞われた。 「このおいしい鍋は、兄貴鍋と命名するとよいでしょう」 と、客の一人が言い出して、いつの間にか七鍋は兄貴鍋と言われてしまったが、そこは愛嬌だ。 キサの兄貴鍋とユーナの七鍋はほぼ同時に売り切れることになった。 「今回は引きわけね。したがって罰ゲームもなしね」 ユーナは悔しそうにキサを睨みつける。 「途中から晴天目当てなのか、鍋目当てなのかわからなくなったけども」 「けど、次回は負けなくってよ! キサ! あなたはライバルなんですもの。いつか必ず勝ちますらかね!」 「いや、もう、くんなお前」 「では、失礼しますわ」 出てきたときも突然だったが帰るときも突然である。ただし見事な巨乳はぷるんとさせることだけは忘れず、ユーナは去っていく。 「最初から最後まで嫌味な女……!」 「まぁ勝ったからいいだろう。それともやっぱり芋いるか?」 「いらん! 自力でなんとかする」 「まぁまぁ二人とも。ぼく、みんなで食べる分だけわけておいたんだよね。鍋、食べよう」 「お、腹減った。食おうぜ、食おうぜ」 「……私も腹減った。りりー、ありがとう」 なんだかんだといっても引きわけとはいえ挑まれた勝負では負けなかったし、おいしい鍋もできた。 理理子が用意してくれた鍋を三人は腹いっぱいになるまで食べた。
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