<巡節祭> 其れは壱番世界の中国で行われる春節に似た、インヤンガイの祭りの一つ 年の節目を祝うこの時期を、人々は爆竹の鳴り響く屋台通りを練り歩き 龍舞、演武、雑技などの催しを眺めながら、買った肉饅頭を頬張る。 さて、突然だが何故祭りに爆竹や催し物が用いられるのかご存知だろうか?その理由には諸説あるが、爆竹のような大きな音で厄を驚かせ祓い美しい音色や演目で福を惹かせて呼び込むのが通説の模様。 現在のインヤンガイでは厄を祓うのに趣向が置かれているのだが、一部では福を呼び込む方に力を注ぐ地域も在るという今回はその地域の、とあるお店の物語……―――今回の依頼はこの料理店で行われるらしい 唐紅色の屋根瓦が印象の、少し敷居の高そうな白い混凝土の建物をロストナンバーの1人が眺める。 今回の世界司書からの依頼はこの料理店に出現する泥棒を捕まえることだ。この料理店はコース料理と一緒に、古楽器を用いたコンサートが行われるこの地区では有名な所で、料理の質もさることながら、店長自らが集めた演奏家達の珠玉の音色が売り物だそうだ。 この料理店は毎年この巡礼祭に合わせた特別コースを開催し、その人気から毎年多くの客がこの時期訪れるのだが………その売り上げを狙って最終日の今日、演奏中に泥棒が1人忍び込む。 しかも世界司書の話だと高い確率で、その泥棒は控え室に居る演奏家と鉢合わせするらしい。下手をすればその料理店の売り上げと一緒に演奏家にも危機が及ぶかもしれないので、今回こうして堅苦しい正装をしてこの店にやってきたのだ。 幸い売り上げのある事務の場所は控え室の奥にあり、その控え室も客人の化粧室と同じ通路にあるので、化粧直しを理由に席を外しても全く怪しまれないだろう。 正直その泥棒はそんなに腕力も無く、ロストナンバー1人でも対処できるほど弱いらしいから、手早く片付けて料理と演奏を楽しんでみてはと世界司書に言われてきた。 そのせいか他の参加者の中には料理や演奏のために参加した参加者だっている。でも誰もそれをとがめる者はいなし、実際それを楽しまない者はいないだろう。だからとっとと終わらせて、楽しんでいこうと自分も思っていたりする。と、そんなことをロストナンバーの誰かは思いつつ、重い樫の扉を開けたのだ……
―――此処は音楽こそが調度品である その言葉を印象付けるような二胡の音色が、ホールの空間を流れ、訪れた5人に感銘を与える。しかし今回はただ純粋に楽しむ為に訪れたのではない 「せっかくのお祭りなのに、泥棒なんて興ざめね……さっさと追い払って演奏を楽しみましょ」 プレリュードの言葉の通り、今回は世界司書の依頼で、彼らはこの演奏会に入り込んだ泥棒を捕まえる事になる。 とはいえそれは前座的、実際は1人で片付けれる程弱いそうなので演奏会を楽しむのがメインになるのだろう 「お料理と、音楽……興味があったの。同じようなマイナス世界なのに、福を呼ぶためのお祭りがあるって。建国祭とどう違うのかなぁって」 その為ディーナ・ティモネンの様に今回の一風変わった演奏会に興味を掻き立てられる者も居れば 「ほ、本当に高そうなお店……正装してフルコース……だ、大丈夫かな?」 「大丈夫だよ、コレット。世界司書の話じゃそんなにマナーにうるさい話は聞かなかったし、こんな綺麗なお姫様を無下に扱うヤツはいないからね」 その特殊な環境にコレット・ネロは緊張で目がやや泳ぐも、彼女を誘ったルゼ・ハーベルソンは明るく何でも無いよと、軽くその手を握って優しく諭す。 因みに彼の誇張はお世辞ではなく本意であり、周囲の人間も同意出来る表現である。 コレットの衣装は正統派なデザインのチャイナドレス。スリットを抑えた紅赤地に古典柄の金刺繍が添えられ、その金髪を引き立たせる為にあえて根元を中華結びの紐留めで留めただけのシンプルながらも存在感ある品格重視の品。 しかし他の2人のドレスも負けてはおらず、ディーナは杜若と薄萌葱の二色地のアオザイにも似たチャイナスーツに、全体的にすっきりと纏めたシニョンと同じ桜鼠の中華蝶でスリットに沿って飾った、曲線の美しさが強調される一品。 プレリュードの生地は2人に比べると大人しい常磐色、しかし他はとても特徴的で、西洋にも通じるドレスラインに、本日丸く纏めたサイドアップと合わせ、対称的に並べられた華やぐインヤンガイの縁起花達の構図が異国情緒をくすぐる。 殆どお任せの仕立てで3人の美姫を生み出した製作者に感服するが、それは別のお話で。 「……キミも光が苦手なのかな?」 ふと先程からサングラスと爪皮帽を外さないダリに気付くディーナ。そしてその発言に少々バツの悪そうな表情を漏らすダリ 「……あ! いや貴女が悪いんじゃない。ただこの傷で他の客を嫌な気分にさせたくなくてな……」 その様子を見てしゅんとしょげた表情をするディーナに、慌てて素の口調でフォローに入る。彼の本来の作戦は演奏者として隠れ、演奏家側で彼らを守ろうとしたがその作戦は早々に頓挫した。 まず今回の情報が世界司書からの情報であり、目的を話すに当たって司書の情報を漏らす可能性がある。これが探偵の依頼ならば探偵の伝手で潜入も可能だったかもしれないが……今回はオウルホームにしたセクタン、メリアを控え室に残す事が出来た点から、客人として演奏者を見張る事にしたのだ。因みにコレットにもクルミと言うセクタンが居るが、その外見からペットとして別室で預かってもらっている。 そしてこのサングラスは彼なりの配慮だが…… 「あら? おかしくないと思うけど。先程だってちょっと怪しい人達が先に入っていったし」 「ぷ、プレリュードさん!?」 僅か、多分この店では普段通りの体感温度の低下なのか、案内人、恐らく護衛を兼ねたウェイターはすまし顔。正直言えばこの店は この治安の悪いご時勢ながら被害が少ないのには、恐らくそれ相応の理由があるとは思うが…… 「へぇ、着いたようだね。それではお先にお席へどうぞ、お嬢様方」 そんな状況を気にする素振り無く、するりと話題を逸らしたルゼが案内された給仕に代わり椅子を下げ誘う そう、此処での揉め事はまずご法度、此処は喧騒を気にせず音色だけを楽しむ場所ですから…… そして客人全員が席に着いた時、一斉に銅鑼の四重奏が輪唱の如く響いた ロストナンバー達のように始めて聞いたであろう人々が驚きを表情や声音に表す中、数を重ねたであろう年配の方々はほくそ笑んですまし顔、給仕がこの音が爆竹に替わるうちの流儀ですと説明を受け、席で一番驚いていたコレットが顔を赤らめるが、それは初めての方の当たり前の事、ほんの些細な事。 そんな一時を流す様に、演奏会は開幕を始まった。 料理はこの演奏の脇役、しかしその味は祝いに相応しい物だと、ダリは弦楽器の四重奏を聴きながらその味に感銘を覚える。 現在は二胡、中胡、八角、馬琴の4つだけを用いた室内楽曲で、楽曲というよりはBGMに近い音色が室内を流れている状況。その為か食事を片手に談笑を楽しむ客が多く、意外と雰囲気はまだ月並みな中華料理店と同様に感じる。 料理は現在は3品目、8種類の前菜、鶏出汁のスープがそろそろ尽きる頃に、可愛く一口大にきり揃えられた切り身が甘酸っぱい香りのソースに絡まって出てきた。 味は白身、食感は素揚げでありながら水分が多い為蕩けるように身が解れる。揚げ物のくどさを出さない餡かけも素晴らしいが、揚げ方によっては身は水分が抜け、パサパサとした食感になるのに、更に難易度の高い調理法でこの完成度なのだ。喫茶店のマスターとして時折揚げ物も調理するからこそ、一入に感じるその美味しさ。 ふと料理から顔を上げて正面を覘けばコレットがダリとプレリュードと一緒に談笑を楽しんでいる。先程は料理のマナーをこなせるか一番不安気にしていた彼女だが、意外と インヤンガイのマナーは西洋料理のような複雑さは少ない。 基本は箸で食材を大皿から取り分け、盛った小皿は持ち上げずに箸で食べる。先程のスープのレンゲのように必要な食器は料理と共に運ばれ、必要が無ければ片付けられるようで、基本的に食べ方に粗相が無ければ周囲の者と変わらない。 時折インヤンガイ独特のルールなのか、西洋料理では違反になる使ったお皿を重ねる作法に驚いたりもするが、それを合図に給仕が換えの小皿を用意するので、今は全員その作法に倣っている。 「……そういえば、控え室はまだ?」 「いえ、まだ演奏者の人達が中に居ます」 ジャスミンにも似た軽い口当たりの茶を飲みながら、自然な口調で伺うディーナの質問に3回目の同じ回答を言う。 控え室は思う以上に混んでいる。奏者の各々が次の公演の為の準備に余念が無く、弦を調節する者も居れば、衣装の裾の折り目を気にする等、様々ながら次の演奏への余念が尽きない。 「控室で泥棒と演奏者の方が鉢合わせするってことは、お金を盗んで逃げようとし たときに控室にいた演奏者の方と会ってしまうってことよね」 なら演奏者の方が控室に戻る時が席を発つタイミングがベストとプレリュード達は踏んでいるが、演奏者が居る為、そのタイミングは来ず、そろそろ四重奏の演目が3曲目に入り隣のテーブルでは4皿目の貝柱と茎物の炒め物が運ばれて来た。 「……。出演者達が移動を開始し始めましたね。皆さんコックの合図で使っていない扉から退出して行きます」 4品目がロストナンバーのテーブルに着いた時だ。指定の料理が配り終えられるタイミングでどうやら彼らは出発するようで、訪れたコックの言葉を皮切りに動き始めたが、メンバー達も直ぐに行動すべきだろう。 しかしその発言を皮切りに、突然ディーナが涙を零し始めた。 「ゴハン、とっても美味しいの……音楽、とっても素敵なの……美味しいのに哀しくて、涙が出るの……」 しばし他のメンバーが何事かと硬直する中、お化粧直してくる、と言い席を発つ。 そして最初にディーナが携えた花束に気付いて、彼女も花束を抱えて席を発ったのだ。 「……やられたね、出来れば女性陣にはそのまま座って演奏を聴いていて欲しかったけど、ダリ、コレットと一緒にそこに居てくれ」 「あ、私も待ちたいです」 彼女達の後に続いて出ようとするルゼに、コレットが慌てて追いかけようとするが、 「確かに今2人も一度に出て行きましたから、更に2人抜けるのは少し多過ぎるかもしれませんね。それにあまり多いと目を付けられてしまいそうです」 ダリの発言で給仕の視線に気付いてその場に座り直す。 「ま、紳士として危険な泥棒にお嬢様達をほっといてはいけないし、相手は弱いんだから心配せずに待ってて下さいお姫様?なんてね」 最後は少しおどけながら、何時もの笑顔でコレットの頭を優しく撫でて、彼も一時部屋を後にして行った。 「今日は、仕事できたの。泣くのも悩むのも、後で出来るの。みんなの笑顔を守って、福を呼ぶの。分かってるよね?」 場所は変わって女性用化粧室。 ファンデーションを崩さぬ様そっとハンカチで涙を拭き取り、鏡に向かってその意識を再確認するディーナ。 「ディーナさん居るかしら?」 ノックと共に聞こえるのはプレリュードの声、彼女は応じて扉を開ける。プレリュードも花束を用意しており、彼女も演奏家のファンとして控え室に来る事は事前に知っていた。 頷く2人。そして2人で並び歩き、同じ色調の木目扉ながら、縁取りの施されていない扉の前に立ち…… 「失礼します。先程演奏していた二胡の演奏者さんに会いに来たんですけど……」 無難かつ形式的な発言そのままに、プレリュードが扉を開け、半ば流れ込むように2人が室内に入る、が…… 「……コックさん?」 確かダリの情報では演奏者を送り出したのはコックと言っていた。その衛生的かつ特徴的な服装は誰が見てもコックと答えるだろう、居てもおかしくない。が……やけに驚いているのが、かなり違和感が在る。 「お、お客様。当店では演奏者に私的は訪問は店の経営上禁止されているのですが、その、まだ演奏は終わっていないはずですが?」 最初にどもり、途中の言葉や口調を少し間違え、止めに確認するような声音。 3人の間で微妙な空気が流れ始める頃…… 「あれれ? コックさんって2人も居たっけ?」 「え……」 さり気に体を扉に預けて入り口を封鎖しながら、へらへらとした表情で重要な発言を口にするルゼ 「コックが『2人も』?」 「そう、さっきこっちに来る時にね。すれ違いにコックさんが通って行ったんだ。本当ならこの部屋には誰も居ないはずじゃないんだけどね、何でかな?」 問うプレリュードの発言にその間違いを丁重に解説するルゼに、自称コックの肌が青ざめるのがディーナには見て取れて。 そして残りの反対側の扉が開き…… 「あら?貴方達は誰のファンかしら?花束は演奏が終わってからが嬉しいけど……あなたも誰?まだ次の出演まで時間はあるはずだけど……」 ……………………………………………… 本日のメインイベントである18人のオーケストラによる壮大な交響曲がフィナーレに入ると同時に、ダリの表情が何とも言えない表情になる。 「あ、あのダリさん。ルゼさん達に……何か起きたんですか?」 「あ……いいえ。むしろ店の店員さん達と協力して鮮やかに例の泥棒を捕縛されたので少々驚いただけです、本当に皆さん鮮やかな捕り物に驚きを禁じえなかったものですから」 「……そうですか」 その言葉を聴いてホッと胸を撫で下ろすコレット。 そしてその様子を見てダリの表情も和らぐも、メリアから見た先程の景色に思う事が有るらしい。 が、騒ぐのも言うのも拙いと考えてか、濃い目の鳥龍茶に似た苦めのお茶と北京ダックに似た猪皮の皮巻きと共に、その意見は喉の奥へと流した。 「次が最後のコース料理のようね。この最高な時間とももうすぐお別れかしら」 艶めくジャムや彫り物の施された焼き菓子が配られ始めるのを見て、ほんの少し名残惜しそうにプレリュードは言葉を紡ぐ。 捕り物の所為でメインの演奏は聞き逃したものも。その後のソーナーの明るく親し易い楽曲や、琵琶の幻想的なソロ演奏などの珠玉の料理達を味わいながらの一時は本当にこれまでの経験に無い、格別なものだった。 その捕り物も思い返せば特に問題も無く支配人側に引き渡せたので、実質はかなり美味しい企画だったと言えよう。 (私、もうあの世界に帰りたくないけど……でも、帰らないと誰も、あの世界の人はこういうことを知らないんだね……) 海老に似た食感の点心を食べ終わった際に、ふとディーナが思う。 彼女もプレリュードと同様、元居た世界では味わえなかった一時を楽しんだ。ただ、思い出したくない世界を思い出すのはその世界の人を思い遣るからこそ想う感情なのか、それとも別の理由か……そんな彼女しか解らない感情を抱えながら、最後の余韻を楽しもうとする。 「……この入れもの、泥棒さんに渡せたらいいな」 「ん? 何でだいコレット?」 クルミのお土産に詰め込んだ点心を見て呟いた彼女に、不思議そうに聴くルゼ。 「泥棒はいけないことだけど……けど、お祭りの日に泥棒をするなんて、きっと本当にお腹を空かせてるんじゃないかなあ……と思って」 今回の泥棒は純粋に売り上げ目的なのだが、彼女の考える目的の人間も居ないわけではない。インヤンガイは最も貧富の差が激しい場所。今日のロストナンバーのように豪華な食事を味わう人間も居れば明日の食事さえ分からない人間が居る。 「こんなにおいしい料理だから、今度は泥棒じゃなくて、お客さんとして来てねって、そう言いたいの」 この治安の不安定な世界では、それは蝋燭のように小さくも、温かい優しさ。今はまだ温まらずとも、それが何処かで増えれば……彼女の願いは叶うかもしれない。 「コレットさんは優しいんですね。その気持ちが彼に届けばきっと改心してくれると思いますよ。おや、デザートが来たようです」 最後のダリの台詞に、待ってましたとばかりに全員がその品へと視線を向けて……止まって…… 「……焼き菓子じゃないの?」 突然だが中国料理には中華彫り物という料理法がある。果物や野菜の表面を彫刻等で鳳凰や大輪菊等の複雑かつ魅せる模様を描く、かなりの高等技術である。 それが今ロストナンバー達の目の前に人数分用意されている。 「ああ、ダリ。支払いの方は頼むよ」 「おい!?」 単価は知らないが恐らく相当の値打ち物。思わずルゼが言い逃れしようとするが…… 「いえいえ、これは例の事についての私共からのサービスでございます。どうか感謝の意味をこめまして……」 細い目を更に細めて薄く笑む給仕。そこで驚かされたという事実に初めて気付いて全員が安堵の息を吐いた後、珍しい物への期待と少しだけ怖さを持って、最後の最後に出てきた彫り物入りの果物の、透けた模様を指で触れながら、最後のデザートの蓋を開けたのだった。 【END】
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