オープニング

 血と死臭にまみれたインヤンガイにも、正月はあるし春は来る。
 世界司書が一人シド・ビスタークがロストナンバー達にこの話を持ってきたのは、そんな季節の初めだった。
「お前達、酒は好きか?」
 筋骨逞しい腕を組み、顎を少し持ち上げて。今一つ話の掴めない顔のロストナンバー達に、シドは脇に抱えた導きの書、ではなくバインダーを片手に話を切り出した。
「今度、インヤンガイで『巡節祭』っつーのがある。行ったことはないが、そりゃあ派手で楽しいらしいぞ。お前達にはそれを視察してきて貰いたい」
 常日頃は暗褐色に沈むインヤンガイも、この日ばかりは普段の陰鬱さを忘れる。爆ぜる爆竹とたなびく幣帛が色取り取りに町を飾り、人々は着飾って出店を回る。
 普段の日々が危険と緊張に満ちているからこそ、こういった日は一層めでたさが増すのかもしれない。
「今回見てきて欲しいのは……ここだな。この地区は酒蔵が多く集まっていて、祭の時は溺れ死ねるほど大盤振る舞いされるそうだ。で、これが去年行ってきた奴らが、帰ってからすぐ提出した報告書だ」
 広げられた記録資料に躍る文字は何故だか、いや予想通り、やたらヘロヘロしていた。

「点心屋の親父と呑み比べをした。『俺より呑めたらタダにしてやるよ』と言われたので、キッチリ呑んでついでに土産も貰ってきた。酒の肴の揚げ団子が美味かった」

「酒めっちゃ飛んだ。ムキムキのオッサンぶっ飛んだ! 酒凄ぇ! 酒怖ぇ!」

「早くお酒がのめる年齢になりたいなあと思っていたけど、今日の皆の様子を見ていたら、別にのまなくてもいいかなあと思うようになりました。雑技団の人たちが面白かったです。あと屋台がたくさんあってお腹が苦しくなりました」

「あたま いた し ぬ」

 ――等々、判別できる部分は報告書の五分の一にも満たない。残りはアリかミミズの歩いた後、もしくはうららかな午後の日差しの中で受ける苦手科目のノートに踊る文字そのものの形をしていた。
「……と、まあこんな具合だ。呑み比べあり、屋台あり、雑技に演舞に舞台劇。酔いつぶれるまでは遊んでいられるだろう。何か質問ある奴?」
 呼びかけに集まったロストナンバーの一人が手を挙げる。酒で飛んだ、とはどういうことなのかと問いかけられれば、シドはごつごつした腕を身体の側面に当て、
「この街区で作られている酒に一つ、炭酸濃度が極端に高いものがあるらしくてな。祭の時にゃそれを使って戦う……まあ、儀式みたいなもんが行われるらしい。瓶を振って、こう銃みたいに構えて、噴出す酒で相手を土俵から弾き出す。飛び入り参加もOKらしいから、興味があったらやってみると良いだろう」
 さて、他に質問はないな? と一同をぐるりと見回し、インヤンガイ行きのチケットを差し出す。
「特に危険なこともない、安心して楽しんで来い。まあ、暴れる酔っ払いでもいたら、ついでに目ぇ覚まさせてやってくれ。最後にもう一つ。俺への土産を忘れるなよ?」

品目シナリオ 管理番号290
クリエイター錦木(wznf9181)
クリエイターコメントどうもです。新入りWRの錦木(にしきぎ)と申します。
そんな訳でお祭です。お酒呑みましょう。

※注意※
実年齢未成年のPCさんは飲酒ロール禁止です。
祭には色んな食事処が出店を出しておりますので、どうかそちらをご賞味下さい。

OPにないものでも、お酒関係なら描写いたします。

それでは皆様、頭痛薬の準備は宜しいでしょうか?

参加者
アルヴィン・S(crpv2238)ツーリスト 男 47歳 S.S.S
真堂 正義(csfd3962)コンダクター 男 21歳 学生剣士
ディーナ・ティモネン(cnuc9362)ツーリスト 女 23歳 逃亡者(犯罪者)/殺人鬼
虎部 隆(cuxx6990)コンダクター 男 17歳 学生
鷹月 司(chcs4696)コンダクター 男 26歳 大学講師(史学科)
神ノ薗 紀一郎(cyed8214)ツーリスト 男 28歳 剣客

ノベル

 たなびいてねえな、とアルヴィン・S(crpv2238) は思った。人ごみに押されるように同行者達と別れて数歩、煤けたビルは取り取りの布で飾られていたが、そのどれもがぐったりと湿っている。原因はすぐに知れた。ビルの屋上から、酒が振りまかれていたのだ。アルヴィン自身がその被害にあうことはなかったが、それまで隣を歩いていた虎部隆 (とらべ たかし)は確か、全身もろに浴びていたのではないか。
 アルコール分はセクタンが全て肩代わりしてくれたようだし、隆本人も少し乱れたオールバックをかき上げて「たいした洗礼だな!」と笑顔を浮かべていたので、慣れてしまえば楽しいのだろう。
 これが今から一時間ほど前のこと。現在、人ごみを避けて裏通りへ足を向けたアルヴィンはとある居酒屋にいた。
「酒足んねェぞ酒ェ! もっと持ってこいや!」
 足元には大量の酒瓶と素焼きの徳利。ひっくり返ったテーブルの影では、甕(かめ)と樽と可哀想な給仕の男がガタガタと震えている。
 他の客は壁際に縮こまりながら恐る恐る、あるいは好奇心を隠さずにアルヴィンの呑みっぷりの凄まじさを観察していた。
 アルヴィンは呑む。しこたま呑む。その上酔いが身体能力に悪影響を及ぼさないタイプで、要するに店にとってこの上なく迷惑な客だった。
 アルヴィンの喉仏が上下し、真っ赤な果酒が水のような気軽さで嚥下される様に、周囲の客が息を呑む。
「あ、あれは幽霊だって酔っ払っちまう地獄石榴酒……! しかも割らずに一気たぁ只者じゃねぇぜ……」
「見ろ、アイツ銘酒・美瑞に安武羅を混ぜやがった! 悪酔いを微塵も恐れてねぇ……!」
「ありゃ間違いなくプロの飲兵衛だぜ」
「……おい見ろ、ありゃまさか溶葉酒じゃないか!?」
「何、本当だ! 豚も吐き出す不味さのあの凶悪薬酒!」
「の、呑めるのか……?」
「マズッ!」
「駄目だっ! やっぱり溶葉酒は駄目だったっ!」
 と、アルヴィンが酒を干すたび店のそこここでそんな会話が交わされていたのだが、本人はそんなこと関係なく「……んにゃ、無いなら次の店に行くか」と至ってマイペースに食い逃げ、いや呑み逃げの旅に出てしまうのであった。追いすがる店員の絶叫に、居合わせた客から「痺れるぜ! 憧れるぜ!」と拍手までもが上がる始末である。
 どうやら、酔っ払っているのはアルヴィンだけではないようだ。
 同様の事件は今日だけで六十四件起き、その発生率の上昇にアルヴィンが関わったことは、ほぼ間違いないだろう。

 ***

 誰かが叫んだ気がして、鷹月 司(chcs4696) は大通りを振り返った。通りは行きかう人で溢れていて、その上ひしめく屋台の屋根で見通しはこの上なく悪い。裾が引かれ、視線を落とす。丼サイズの盃を片手に、神ノ薗 紀一郎(かみのその きいちろう)(cyed8214) が司の服の端を掴んでいた。
「いけんしたと?」
「いや、今何か聞き覚えのある声が……」
「気のせいじゃなかと? ぼんやいしてんで、どんどん呑むとよかど」
 差し出された樽に曖昧に笑い、魚のすり身の揚げ団子に箸をつけた。
 紀一郎と行動を共にして、ここで何件目だろう。蕩けてきた思考に首を振って対抗し、目頭を押さえる。
(やばいなぁ……ちょっと呑みすぎてるかも)
 酒には強いと思っていたが、インヤンガイの酒はやはり地球のものとは違うのだろうか。いつもより酔うのが早い。いや、酒の質がどうと言うより、むしろ問題は……。
「ん、良か匂(にえ)がす」
 運ばれてきた酒に顔を寄せ、紀一郎がますます目を細める。出会った時からニコニコしていたが、ここしばらくはますます笑みが深まっている。酔うと笑顔になるタイプなのだろう、人畜無害で羨ましいことだ。
「司も早う呑むと良かど! 早うせんとおいがすっぱい呑んでうぞー!」
 だが、酒を勧めまくるのだけはどうにも困りものだった。そのまま黙って呑んでくれと心中だけで呻いて、表面上は穏やかに、隅に追いやられていた片手サイズのお猪口を差し出す。
 絡み酒とでも言うのか、紀一郎は屋台を巡り始めてからこっち、やたらと司に飲酒を勧めて来る。それだけなら別に構わないのだ、司はどちらかと言うと大酒呑みだし、インヤンガイの酒はどれも美味だ。
 だが司は、酔うと所構わず泣き出したり笑い出したり、周囲の人間を困惑させるタイプの酔い方をしてしまう。それを経験的に知ってからは深酒を避けてきたし、ましてやここは屋外だ。断れば良いだろうと最初こそ思ったものの、紀一郎に雨に濡れた子犬のような目つきで「そうかぁ、一緒に飲んでくれんごっのか。しよがなかな、呑みたくんのだものな。うん」とうなだれられてしまうと、もう司には「呑みます」しか返せる言葉が見つからなかった。
 注がれた酒はほんのりとした桜色をしていた。喉を通る感触は清しく、鼻に抜ける香りも芳しい。喉を焼く酒精に、春霞の中に迷い込んだような気分になる。
 そうだ、とぼんやりし出した頭で思う。酒が美味し過ぎるのがいけない。香りも味も一級品、見たこともない異世界産、その上今日でなければ振舞われない特別な酒もあるとくれば。
 もう、呑むしかないではないか。
「……これは良い酒だねぇ~。そう、例えるなら静かな湖畔の森の影で妖精と戯れる乙女が一滴一滴白百合の花から集めた朝露のような麗しさがあるよ。文化の極みだねぇ~?」
「おお、司ぁ詩人や! もっと呑みようたらもっと歌う? 一杯一篇歌うぅ!?」
「愚問だね……僕は一杯呑んで三百メートルは歌うぞ! つまり、即ち、当然、全く、詩仙は僕だ!」
「そら凄か! 遠慮せずどんっどん呑むとよか! あっはははは!」

 ***

「……あそこにいるのって、司と紀一郎じゃない?」
「え、どこだ?」
 ディーナ・ティモネン(cnuc9362) の指差す先に虎部 隆(cuxx6990) が目を凝らすと、居酒屋屋台の屋根の上、ギターを弾くように激しく腕を動かしている男が見えた。残像を残す速さで頭が振られ、周囲からは野次と歓声の入り混じった声がかかる。
 その隣には酔っ払いらしい男達を、ちぎっては投げちぎっては投げ、たまに関節を極めている男の姿。かすかに聞こえる機嫌良さげな笑い声。
 例えば隆が二十歳を過ぎていて、羽目を外してハッスルしまくる駄目な大人を見る機会があったら。もしくはディーナに酒を呑む経験があったなら。あるいは既に不本意な飲酒を済ませたセクタンが言葉を喋れたなら。
「……人違いじゃねぇか? 二人とも、いくら酔っててもあんなことするタイプじゃねぇだろ」
「……それもそうだね」
 その二つの人影を見紛うこともなかったのだろうが、司にとって幸運なことにその仮定はどれも実現していなかったので、二人の興味はすぐに饅頭屋の出店へと移り変わっていった。
「そこのお二人さん、ふかふかもちもちの酒蒸し饅頭はどうだい! 良く蒸してあるから子どもでも安心だよ!」
 赤ら顔の店主が蒸篭の蓋を取ると、途端にもわりと甘い熱気が二人を包み込む。めでたさを意識した白と紅色の饅頭が、艶やかな照りを放っていた。
「美味そうだな。ディーナさんはどうする?」
「勿論食べるよ。屋台とお酒につられて参加決めたようなものだもの」
 店主が手際良く饅頭を取り出し、ごわごわした紙で包む。包みからはまだ透明な煙が上がっていた。ディーナの手が饅頭の包みを受け取り、小さな悲鳴を上げてお手玉のように転がし始める。なんとか包みをはがし終えてかぶりつくと、また悲鳴が上がった。
「熱~い、でも、おいひ~い」
「お、ゴマ餡」
 饅頭を割ると、灰色がかった黒い餡がみっちりと詰まっていた。舌先で触れると火傷しそうなほどに熱い。
「おりさん、わらひ、げれものれも、れんれんへいい。らから、つうりから、おしえれ?」
 ディーナの頬は詰め込まれた饅頭でリスのように膨らんでいて、饅頭屋の店主が笑う。隆もつられてディーナを見てしまい餡子が口から飛び出した。
「ごめんよお嬢ちゃん、こりゃうちの秘伝だからよ、教えることはできねぇんだ」
「ふぁー、ふぉっかぁ……」
「ま、食いたくなったらいつでも店に来な。紅白蒸饅頭は今日だけだが、普通のだったらいつでも売ってるからよぅ!」
「ふぉんとぅ? あっらー!」
 ディーナを見る度に込み上げる笑いを、饅頭に食いつくことで必死で堪える隆。その髪をセクタンが引っ張る。短い手が饅頭と自分を往復し、何かを訴えるようにパクパクと口が開閉する。
「ああそっか、悪ぃ悪ぃ。ナイアガラトーテムポールも食いたいよな……ほら」
 餡子たっぷりの真ん中をちぎって差し出せば、ナイアガラトーテムポールは待っていましたとばかりに指ごと食らいつく。しばしの沈黙を間に挟み、ゴロゴロと転がり出した。中心部はまだまだ熱いらしい。セクタンはそのまま隆の身体から転がり落ち、べしゃりと地面で平らになる。
 その一連の流れを見ていた饅頭屋の店主が、首を傾げながらナイアガラトーテムポールを指差した。
「……そのぶよっとしたの、随分まだるっこしい名前なんだだねえ。お兄ちゃんがつけたのかい?」
「え?」
「いやね、前に似たような名前のお供を連れた奴が来たような気がしてねぇ。何年前だったかね、ここいらで連続猟奇密室わらべ歌殺人事件があってね」
「……連続ドラマじゃなくてですか」
「いや本当にあったんだって! 確かその事件を解決した奴も、お兄ちゃんのと同じような名前のお供を連れてたと思ってさ。何、知り合い? ファン?」
「……ま、ちょっとした知人かな。じゃーな、おっちゃん。饅頭美味かったぜ」
 残りの饅頭を這い上がってきたナイアの口に突っ込んで、隆が店主に背を向ける。ディーナも店主に手を振りつつその場を離れた。
「……隆君、大丈夫? 何だかさっきから元気がないように見えるけど」
「いや、大したことじゃねえさ。それより喉渇かねぇ? 何か飲もうぜ」
「……そうだね、せっかくのお祭だものね」
 話題を逸らされたことに、ディーナは気付かないふりをした。踏み込まれたくない領域と言うのは誰にでもあるものだ。
「……そういや、ディーナさんってお酒呑める人?」
「さあ、どうかな」
「呑んだことねぇの?」
「ないよ? だって、酔って身体能力や判断力が落ちたら……あっという間に、捕まっちゃうもの」
 ディーナが元いた世界には兵役義務があった。男女問わず、成人すれば軍に所属しなければならない。それを断って以来、ディーナはずっと逃げ続けていた。常に気を張る生活の中で、判断能力を鈍らせる可能性もある酒に手を出すことは難しい。
「だから今日ここに来るの、凄く楽しみだったんだ。酒相撲も早くやってみたいな」
「……そうと決まれば、さっさと行こうぜ」
「うん」
 途中の屋台で買った緑茶が甘いことに二人で驚きつつ、屋台通りを抜ける。酒相撲は街区の中心部で行われているそうで、二人に道を尋ねられた大道芸人は「人が行く方についてきゃ見れるさ」と言って笑った。
 屋台通りを抜けると少し熱気が引いた。人ごみは相変わらずだが、蒸篭の熱気や料理店からの排熱が減った分だけ涼しく感じる。代わりに道の先から酒の匂いが漂ってきて、広場に近づく度にそれは段々と濃度を増していった。
「……凄いな、この辺。空気が酒みてぇだ」
「……なんだろ……匂いだけで、頭がガンガンしてきた、かも。なんかすっごく、暑いかもぉ……」
「え、大丈夫か? どっか休んでく?」
「大丈夫だよ。下に水着着てきたし」
「え」
「《旅人の外套》があるから、こっちの世界の人にはどういうカッコか、見えないんだよね? 上からコート着れば大丈夫かな」
「え」
「じゃあちょっと脱いでくるから……この辺で待っててね」
「え」
 声をかける暇もなく、ディーナが身を翻して路地の影に隠れる。行き場のない手が虚しく空を掴んだ。様々な考えがカフェオレのように隆の脳裏をぐるぐる回る。
 旅人のアレは目立たなければ注目を浴びないと言うだけであって、水着コートは激しく人目を引くんじゃないかとか、でも足跡何ちゃらで後から忘れるから良いのか? とか、インヤンガイ出身ではない隆や他の同行者達には普通に水着コートに見えるんだが!? とか。
 難解かつ崇高な命題を前にした哲学者の顔になった隆が、ぽんと手を打つ。
 ……酒相撲に参加するなら、服が濡れるのは困っちゃうよな! まあそれはそれでおいしいけれども!
「お待たせ~。大分すっきりしたよぉ。じゃ、行こっか」
「ああ、うん、そうだな」
 下がりたがる目線を意志の力で食い止め、隆とディーナは人ごみの流れに沿って再び歩き出す。視界の端でひらめくコートの裾が気になって仕方がない。
 広場には土を盛って作られた土俵がいくつか設えられていて、それぞれに観戦者の人垣が出来ている。見ている間にも一人が吹き飛ばされて観客の頭上へと落下した。賭け札を握りしめた男達が煩悶の、あるいは歓喜の呻きを漏らす。倒れた選手は親切な観客の手で広場の隅へと片付けられた。
 その間を、蒸篭を頭に乗せた点心売りや天秤棒を担いだ酒売り、あるいは茶売りが声を張って歩き回っている。
「肉団子の餡かけだって……美味しそう。ちょっと買ってくる」
「じゃあ俺あっちでこれ見てるから、終わったら声かけてくれな」
 一番近い土俵は、選手同士の距離からしておそらく土俵は直径五メートルと言った所だろうか。広場の中では割合広い。向かい合う男たちが勢い良くボトルを振り、原色だらけの装束を着た審判が周囲を跳ね回っていた。それを囲む観客の中、頭にオウルフォームを乗せたジャージの後姿が垣間見えた。
「正義さん?」
「おわっ!? ……あ、何だ、ビックリした。隆か」
 今回の旅の同行者の一人、真堂 正義(しんどう ただよし)(csfd3962) だった。セクタンから爪先まで、全身からむせ返るような酒気が漂っている。
「……正義さん、むちゃくちゃ酒臭いんですけど。呑みまくったんですか?」
「いや俺、酒呑むと一人ヒーローショー始めるみてーなんで、今日はちょっと自重してる。そうじゃなくてさ、ほらこの儀式って負けた奴は酒でびしょ濡れになるじゃん?」
「負けたんですか」
「うっ……ま、まあそれもあるけど、大部分は負けた奴を吹き飛ばした酒のせいだぜ? 人ふっ飛ばせるくらいの酒だからな、離れてても歩いてても飯食っててもかかるかかる」
「なるほど……」
「あの酒、ちょっと特撮の武器っぽくてかっけーよな。すげーぞー、当てられた時は腹筋割れるかと思った」
「マジかよ」
 正義が顎を向けた先にあるのは、無造作に並べられた木箱。覗き込むと、試合に使うらしい黒いボトルがみっちりと隙間を埋めていた。ビンの口には丸く切ったコルクが詰められていて、ラムネとビールの中間のように見える。手に取ると、ずっしりした重みに肩が落ちた。一升瓶、と言う奴だろうか。
「そんな訳で今の俺はリベンジの順番待ちをしている所だ。……お、勝負ついたみてーだな。じゃーちょっくら行ってくるぜ!」
 見れば、選手の一人が土俵から転げ落ちていた。勝ち残った方が周囲を挑発するように手招きしている。土俵へ上がる正義の背中を、周囲の観客が激を込めて叩く。正義の目がきっとつり上がり、「覚悟しろっ!」と相手へボトルを突きつけた。
 試合開始の合図と共に、一斉にボトルが振られる。隆もつられてボトルを揺らす。重たい水の音。
 先に準備を終えたのは正義を挑発した選手だ。左手がボトルの首にかかり、肩の付け根に当てた右の手のひらへボトルの底が叩きつけられる。
 瞬間、金色の奔流が放たれる。早い。迫り来る金の流星を、正義が首を振って回避。慣性の法則で取り残されたセクタンが酒の直撃を受け、一気に遠ざかる。
 選手の顔に焦りが浮かぶ。瓶口の向きが変えられ正義を捕捉するが、正義の掲げた腕に弾かれた。振りが甘い!
「勝機ッ!」
 正義が駆ける。この間にも振られていたボトルが構えられ、その親指は今にも弾かれそうなコルク栓を押さえていた。正義の目には不屈の闘志。
「いくぜ必殺ッ! ハイレンジャーバスターッ!!」
 飲み口から指が離れ、泡で埋め尽くされたボトルの底が、脇に構えた手のひらに叩きつけられる。途端、先刻とは比べ物にならないほどの速さで酒がボトルを飛び出した。金の飛沫と白い泡が選手に食らいつき、土俵の外まで軽々と押し出す。圧倒的炭酸力に、正義の踵が土俵を抉った。どんだけ!?
「何してるんだ坊主、受け止めるぞ!」
 隆の肩を見知らぬ老人が叩く。
「『負けた選手は優しく抱きしめる』、それが観戦者に課せられた義務でルールだ!」
 今まさに落下している選手の真下へ走る人影。何の世迷いごとかと思ったが、周囲の人間も彼と同じ動きをなぞる。胴上げの要領で気絶した男をキャッチすると、そのまま広場の隅へと固まって移動していった。シュールだ。
「……やべえ。これシャンパンよかヤベえ!」
 こんなものを向けられたら腹に穴が開く! 飛燕の速度で木箱にボトルを押し込んだ隆の腕を、ニンマリと笑みを浮かべた女が掴む。
「アナタ駄目よ、そんなことしちゃ。『一振り一試合』は公式大会の規則じゃないの。ほら、早く早く」
 箱から抜き取ったボトルを隆の腕に押し付けて、女が背を叩く。
「……まじで? 畜生、こうなったらいっそ優勝してやんよ! ナイアガラトーテムポールは下がってな」
 タオルで顔をぬぐっていた正義が、土俵に上がってきた隆に気付き、にっと男臭く笑う。右手にボトルを構え、隆に対して半身に構える。
「まさかあんたと戦うことになるとはな……知り合いだからって容赦しねえぜ!」
「そんなことより正義さん、頭から血が出てますよ」
 コツコツ、戻ってきたセクタンがオウルフォームの鋭い嘴で正義の額を割っていた。格好良いシーンが半分くらい台無しだ。
「気にするな、パプリカには良くあることだ」
「……そうですか」
「では、試合開始!」
 審判が手を挙げ、二人の両手のボトルが猛然と振られる。泡立つボトルに観客がごくりとつばを飲み込んだ。
 振られる。
 振られる。
 振られる。
「超必殺、ハイレンジャースプラーシュ!!」
 先手を取ったのは正義だ。はじける圧力に暴れる酒瓶をがっちり脇に抱えこみ、的確に隆を狙う。数度かの経験と観察は、正義に確かな力を与えていた。
 隆も負けてはいない。先の正義がやったように酒の軌道からひらりと身をかわす。飛沫が肌を濡らすが、戦況に影響はなし。体制を崩しつつもボトルを構え、手のひらを叩きつける。コルクが弾ける軽い音。
「っぐ!?」
 一瞬肩がなくなったかと思った。一瞬でも力を緩めたらボトルごと後方に飛んでしまいそうで、両手でボトルの首を押さえにかかる。
 なんとか安定したボトルの口を、正義が持つボトルに向ける。二つの力がぶつかり合い、土俵も観客も分け隔てなく金色の飛沫を振りまく。
 先に力尽きたのは正義の酒だった。ボトルに入っている酒の量が変わらないなら、先に手を出した方が力尽きるのも早いのは自明。
「ははっ! これすげー! 楽しー!」
「いやまだだ、まだ終わらねーぜ! パプリカ、作戦B! ちょっとそこのボトル取ってくれ!」
「あーっズリー! 俺ナイアに手伝いとかさせてねーのに!」
「正義とは時に非情なものなんだぜ!」
「させるかっ」
 隆のボトルがパプリカを狙う。だが勢いをなくした酒は正義の手のひらに阻まれた。正義が勝利を確信した笑みを浮かべる。
「どうやらここまでのようだな。さあ、大人しく負けを……」
「……フッ、わらひが、輝く時が、来たようれすね?」
 唐突に割り込んできた声に、二人の視線が水平移動する。観客の目も釘付けだった。
 そこにいたのは水着にコートと言う特異な格好をしたディーナ。だが隆の知るディーナとはどこか違う。サングラス越しの目はどろりと濁って据わっているし、口元は邪悪に歪んでいた。手には泡で埋まったボトル。
 随分姿が見えないと思っていたら、どこかで一杯引っかけていたらしい。
「で、ディーナさん!? 何ですかその格好?」
「いや、実は」
 かくかくしかじかで……と説明しようとしたのが不味かった。正義が視線を落とした瞬間、ディーナが一瞬で距離を詰める。
「お宙(そら)の、星になれぃっ!」
 と、正義の顎にボトルを当てて力強く叩き出した。「ぱぎょっ」と妙な悲鳴をあげて正義が吹っ飛ぶ。きっかり五秒空を飛び、今までの人たちと同じように人垣の中へと墜落、そのまま手足を投げ出して倒れる。指先がピクピクしているので死んではいないだろう。恐らく多分。
「コール・ミー・クイーン!!」
 土俵の上、ディーナのご機嫌な勝利宣言が響く。そのままばったりと倒れこみ、幸せそうな寝息を立て始めた。
「……酒、マジパネェ……」
 正義の額へパプリカが嘴を突き立てる音が、妙に牧歌的だった。

 ***

「……おまえ等、そろそろ目ェ覚ませよ」
 飲み倒した店の店員から逃げ回りつつ、それでも酒と言う酒を堪能して、アルヴィンはほろ酔い気分で列車に戻っていた。途中買い込んだ土産の酒はボックス席を埋め尽くすほどで、囲まれているとまるでハーレムの主になったような気分が味わえ、この上なく爽快だ。
 だが発射時刻が近づく度、列車のそここに落ちる沈黙に、少しだけ同行の者達の行方が心配になった。
 彼等の力を侮るつもりはないが、今日はこう言う日だ。道端に転々と転がる酔っ払いの姿を思い出し、まさかあいつ等も同じようなことになっているのではないかと、また少しばかりの疑念が沸いて。気づいた時には列車を降りていた。
 危ない所に行くような連中じゃあないだろうと辺りをつけて、日の落ちたこの時間にも喧騒の耐えない屋台通りをうろうろしていた所、口をついて出たのがこの台詞だ。
「う~ん……もう食べられないよ……」
 ベタな寝言を呟きつつカウンターに突っ伏す司と、
「あはははははは! そうかぁ、おまさんも苦労しとうなぁ。いや凄いことやっとう! あっははははは!」
 実に楽しそうに酒樽と異文化交流をしている紀一郎の姿がそこにあった。
「……司、は駄目だなこりゃ、起きやしねえ。おい紀一郎、そろそろ列車の時間だぜ。ガキども拾うの手伝えや」
「んー……? ……おお、アルヴィンやなかか。もうそげな時間やか? しよがなかな、名残惜しが、さいならもす」
 寂しそうに樽と抱擁を交わす紀一郎を、やれやれという目で見て。
「司はおまえが背負ってけよ」
「がってんじゃ!」
「メロンパンは……うぅん、もう結構で……」
「……まさかおまえ等、ずっと二人で呑んでたのか?」
「やっど」
「かーっ、ヤダねぇ! 男二人サシでなんざむさ苦しいにも程があらぁ」
「おいは楽しゅ時間やったで~。司ぁ詩人やし、さっき話ぃしとった御仁、にせン時分熊に襲われこっがあっちゅう話でな!」
「あーそうだな、熊は木で爪を研ぐらしいからな」
「土産にほれ、酒までくれよったい!」
「樽だからな」
「あ……カレーまんは食べます……」
 司の寝言をBGMに二人、ふらふら揺れながら陰影の濃い街を歩く。翳り出した道を、ぐちゃぐちゃと文字の書かれた札を貼られた赤提灯が照らしていた。
「おもしとかのー。まんで妖怪や」
「こりゃ良い、丁度煙草が吸いたかったんだ」
「んん、河童……河童は生じゃないと……」
 アルヴィンが、近くを漂っていた提灯の中へ煙草を押し付ける。満足そうに吐き出された紫煙が漂う酒気と混じり、暗む空へと昇る。浮遊する提灯は時間と共にその数を増やし、広場に着く頃には狭い空を埋め尽くさんばかりになっていた。
「くぉらガキども、いつまで遊んでやがる! もう帰る時間だっつーの!」
 高く盛られた土俵の一つに寝転がっていた年少組二人が、アルヴィンの一喝に身体を起こす。正義も隆も全身びしょ濡れで、ただ一人ディーナだけが土俵に寄りかかってすやすや気持ち良さそうに眠っていた。
「……臭ぇ。まさかたぁ思うがおまえ、呑んでやがったんじゃねえだろうな?」
「いやいやアルヴィンさん、誤解ですって。多少口に入った気もするけど、ほら儀式だし。不可抗力だから」
「そーだそーだ、隆にはアリバイがあるんだ」
「アリバイ?」
「隆はずっと俺と一緒にバトってた! 酒なんか一滴も呑んでねーぜ! 不可抗力以外は! ここに来るまでのことは知らねーけどな!」
「あーあー、わーったようるせぇな。良いからほら、帰-んぞ」
 服を絞ってまた騒ぐ二人をせっつくアルヴィン、その背後では司を背負ったままの紀一郎が、儀式で使うボトルに興味を示していた。通りすがりのインヤンガイ住人に聞いた作法をなぞり、ぽんと軽く底を打つ。
 儀式では到底、お目にかかることのできない控えめで穏やかな金の水柱が、キノコのような形を作る。はじける泡が手を伝う感触に、紀一郎がくすぐったそうな笑みを漏らした。
「おおー、噴き出とう! おもしとかなぁ」
 紀一郎の声に正義がはっとした顔になり、木箱に駆け寄る。唯一残っていた黒いボトルを抜き出して、安堵のため息を零す。
「良かった、まだあった」
「何だよそんなもん出して……もうやらねーぞ?」
「違うって、これはシドさんへのお土産用。あの人結構こう言うの好きそうだし、珍しいからちょうど良いなって」
「あーっ! そうだ土産、買うの忘れてた! 畜生っ、キモい仮面とかいかにも呪われてるっぽい人形とか、酔っ払った奴おだてて奢ってもらおうと思ってたのに……!」
「……隆、お前実は結構腹黒いよな?」
「だから帰るっつってんだろうが!!」

 ***

《――静かな湖畔の森の影で妖精と戯れる乙女が一滴一滴白百合の花から集めた朝露のような麗しさがあるよ――》
「な、何だこの恥ずかしいポエム……! ぐぉ、叫んだらまた頭がっ……!」
 ターミナルへと戻る列車の中、司は色んな意味で頭を抱えていた。紀一郎と呑んでいたと思ったら列車の椅子に横たわっていて、タイムスリップでもした気分だ。取材用にと持ち込んだボイスレコーダーに入っていたのは言語化しづらい自分の呻きと、乙女チックを通りすぎて脳が壊死しそうな痛々しいポエム。痛い。頭もそれ以外もあちこち痛い。
「司さん、俺薬もってきたから……良かったら使ってくれよ。今マナさんに水貰ってくっからさ」
「俺も行く。あんただけじゃ手ぇ足りねぇだろ」
 散々儀式用の黄金酒を被っていたらしい正義と隆だが、どうやら炭酸濃度が凄まじい代わりにアルコールは殆どないに等しいようで、身体は至って元気な様子だ。連れ立って出て行く二人を見送って、司はぼんやりと聞いた話を思い返した。
「『空気で頭痛くなるほど、酒浸り空間でした、また、行きたい』……っと。お饅頭美味しかったなぁ~んっふふふ……うぇ」
 だらりと椅子に倒れこんで、ディーナはレポート用紙にペンを走らせている。忘れないうちに記憶を書き留めておきたいからと彼女が言っていたが、ガタガタと揺れる車内で文章を書くなんて、司には自殺行為にしか見えない。
「酒の儀式に参加できんかっとうがまこて無念じゃぁ、次行く時ぁ是非……と」
 対照的に紀一郎はピンピンしていた。司の倍か、あるいは三倍かそれ以上の酒量をあの細い身体に収めたと言うのに顔は涼しいままで、今はするすると毛筆を滑らせて報告書作りに精を出していた。蛇の這いずったような筆跡を見ているとまた目眩が起き出して、司は椅子へと逆戻りする。
 確かに、儀式が見れなかったのは少しばかり司も無念だった。だが正義に教えてもらった儀式はかなり荒っぽく、こんな状態で見物したら危なかったかもしれないなと司は思っていた。逆に見物に行かなくて良かったかもしれない。
「……二日酔いどころか初夜酔いじゃねぇか……ざけんなインヤンガイ」
 アルヴィンは椅子にぐったりと背を預け、喉を反らして酒、酒と呻く。彼の周囲に詰まれた酒瓶は線路のがたんと言うリズムで崩れては通路を転がってぶつかり、ずっしりした音を響かせている。聞けば誰かへのお土産らしいが、その殆どは既に「二日酔いにはやっぱ酒だよな」の一言の元、アルヴィンの腹に収まってしまっていた。
「畜生、もう買ってきてなかったかな……お、へへ。こりゃ呑みごたえありそうだな」
 目を据わらせて辺りを見回すアルヴィン、その視線にロックオンされたのは黒い、大きなボトルだった。先端が丸いコルクで栓をしてあって、ワインとラムネの中間のように見える。
「お待たせ司さーん、マナさんからお水と人数分のお薬貰ってきたぜー……ってああ!? ちょ、アルヴィンさんそれだ」
 ぽこん、と何か適度に軽くて固いものが天井に当たる音がした。
「……あああああああ~~~~!?!?」
 ……やっぱり儀式を見に行かなくて良かった、と全身を濡らしながら司は思った。
 酒はかけられるより呑まれるより、呑むのが一番楽しいものだ。

クリエイターコメント初っ端から遅刻して大変、申し訳ございません!
心よりお詫び申し上げます!

皆様の胴に入った遊びぶりにひゃっほいしながら書きました!
超楽しかったです!
お酒はほどほどが一番だと思います!
公開日時2010-03-05(金) 18:40

 

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