0世界――世界図書館内。「『霊力都市・インヤンガイ』で、『巡節祭』が執り行われています」 図書館の一角に佇んでいた少女に声をかけると、ふいに、そう口をひらいた。 古風な装束に目隠しをした、黒髪の少女。この図書館に数多いる世界司書のひとりだ。 左手に古書型のトラベルギア――『導きの書』を手にし、右手指を紙の上に滑らせながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく。「『巡節祭』とは、インヤンガイの一年の暦が一巡することを祝うお祭りのこと」 壱番世界でいうところの『正月』に相当する祭事で、この時期はどの街区も盛大に祝い、楽しむのが習慣となっているという。 そこかしこで爆竹が鳴り響き、点心の屋台がならび、獅子舞や龍舞、演武、雑技などの催しが披露され、この世界が最も賑やかになる時分といっても過言ではない。「祭事中は、インヤンガイの土地が持つ霊的な力が高まるとも言われています。……けれど、そうと確定するにはまだ情報が足りません。そこで世界図書館から、この時期のインヤンガイの様子を調査してきてほしいという依頼がでています」 目隠しをしたままの少女が、音もなく顔をあげる。 直接顔は見えていないはずなのだが、その眼差しは旅人たちの姿を透かし見ているかのようだ。「わたくしからは、ある街区の調査をお願いします。現地で開演される『演舞』を見てきて欲しいのです」 その街には高名な演劇一座が存在し、『巡節祭』の際に必ず伝統的な舞を奉納するのだという。 極彩色の衣装に奇抜な化粧。 独特の演奏と歌曲を交えた、インヤンガイに存在する伝統的な演劇だ。「その舞が霊的な力に関わっているかどうかはわかりません。それがなんの力もないただの神事のひとつだったとしても、現地の文化に触れ、情報を持ち帰れば、それは世界図書館にとって有益な資料のひとつとなるでしょう」 少女は『導きの書』を静かに閉ざすと、「それから」と付けくわえる。「インヤンガイ到着後のことは、現地の探偵に手配を頼んでいます。彼の者に頼んで良い席をお願いしていますから、きっと素晴らしい『演舞』を観ることができるでしょう」 「それでは、たのみましたよ」と告げると、少女は優雅に一礼した。 霊力都市・インヤンガイ――某街区。 ロストレイルから降り立った旅人たちを出迎えたのは、すらりとした肢体の女だった。 陰鬱な街には不釣り合いな陽気さで、初見の旅人たちに握手を求める。「やあ旅人さんたち、いらっしゃい。インヤンガイへようこそ!」 人好きのする笑顔が、女の年齢を不詳のものとしている。 言動からまだ若い少女と感じられれば、外見から成人女性のようにも見える。 短く切りそろえた髪に露出度の高い活動的な服装が、女をより快活な印象に魅せていた。「あんたたち、良い時期に来たね。インヤンガイは『巡節祭』の時期が一番賑やかになるんだ。特にこの街区では、歴史ある演劇一座による『演舞』が奉納されるしきたりになってる。存分に楽しんでいくと良いよ」 地下街道のようにも思える薄暗い路を抜け、目的地である劇場へと導いていく。 しばらく歩いた時だ。「……ところで、ひとつ頼まれて欲しいんだけど」 女は入り組んだ細路を先行しながら、天気の話題を持ちかける気軽さで話題を変えた。「これから行く一座で困ったことが起きちゃってさ。悪いんだけど、ちょっと協力してくれないかなあ」 「なに、大したことじゃないんだ」と言いながら、女は歩く速さを変えようとはしない。 そしてある劇場へたどり着くと、「ここさ」といって一同に示した。「一座の舞台だよ。ここで、夕刻から『演舞』が執り行われる」 女によると、『頼みごと』の概要はこうだ。 一座はこの街区に古くから存在する歴史ある団体で、インヤンガイの権力者たちの後援を得て活動しているという。「『巡節祭』での舞は神事としての側面もあるんだけど、もうひとつ、新人演者のお披露目の場っていう意味もあってね」 一座では幼いころから演劇に関する教育を仕込まれる。 選ばれた子役だけが、『巡節祭』の街へおもむき、舞台の上に立つことができる。 そして権力者がその子役の演技を検め、一座への力添えを検討するのだという。要するに、『パトロン』たちの品定めの場というわけだ。 才能を見込まれて一座に預けられた者、みなし子であり一座に引き取られた者。出生は様々だが、一座に属した子どもたちは厳しい戒律の元、その一生を演劇に捧げるようにして暮らすという。 その生活は決して易しいものではなく、子どもたちは自由に遊びに出ることも叶わない。「だから、ちょっと祭の様子を見に、遊びに行きたくなったんだろうね。今年お披露目をする予定の子役がひとり、舞台の時間を前に、姿を消してしまったんだ」 最悪、舞台の穴は別の子役で埋めることもできる。 しかし『巡節祭の演舞』は古くから伝わる舞で、インヤンガイのあらゆる権力者たちが観に訪れるという。 劇の出来、不出来で一座の後ろ盾が決まるとも言われており、主演の演者にとっては一座の命運を背負った大舞台といっても過言ではない。「その子はきっと、抜け出したことが重大問題になるなんて思っていなかったんだと思うの。だけど、舞台の穴は一座全体の信用に関わる」 なお、神事に関わることのできない修行中の子どもたちは、祭中も一座の本拠地で稽古に励んでおり、出歩くことは許されていないらしい。 子どもの格好などをひととおり説明すると、女は人数分の半券を手に笑みを向けた。「こちとら主演俳優たってのお願いでね。うまくやれば、あんたたちも良い席で気分良く『演舞』を拝めるよ」 どうやら女は、その頼みごとの成功報酬として、舞台の半券を渡すと言いたいらしい。「子役の出演時間は決まってる。四部構成の第三幕。その時間までに間に合わせてくれなきゃ、意味ないからね」 「じゃ、よろしく」女は屈託のない笑顔で手を振り、旅人たちを送りだした。
●劇場:一座の楽屋~女形 女探偵の説明を受けた七名の旅人たちは、それぞれ思い思いの方法で抜け出した子どもを探すことにした。 世界司書に託されて異世界を訪れたのだ。想定外とはいえ、頼まれた仕事はできれば遂行しておきたい。 一ノ瀬夏也(イチノセ・カヤ)の提案で女探偵に通信機を手配してもらい、各旅人に配布する。 そうして数名の旅人たちは、屋台などを探しに行くとすぐに街へ繰りだしていった。 一方、風間俊明(カザマ・トシアキ)と夏也、ヴィヴァーシュ・ソレイユの三人は、女探偵に頼んで主演俳優に話を聞く機会を得ていた。 「一座の主席に直接面会なんて、本当は許されないんだけどね」 今回は特別だよと導かれた先は、楽屋となる舞台裏だった。 著名な俳優だけあって大きな一室があてがわれ、調度品も品の良いものが集められている。それらの全てが、彼がインヤンガイでいくつもの後ろ盾を得、一座を支えている実力者であることを裏付けている。 俳優はこの街区では知らぬ者はいない、有名な女形(おんながた)だという。 優美な所作はどれをとっても洗練され、言動の端々から女性的な印象を受ける。そうして女探偵に用意させた椅子に腰掛け、三名の異邦人を前に悠然と構えている。 「格好だけではわかりにくいですから、子役の子の性格などをお聞きしたいんです」 俊明はとにかく情報が不足していると感じていた。先ほど全員が揃っていた時点で、探偵から聞いた情報は最低限のものだ。 姿を消した子役は少年。 名をコハクという。 歳は十二、三くらい。 街の子どもと変わらない古着に身を包んでいる。 所持金はおそらく持ち合わせていない。 だが、これだけの情報で探しだすことができるとは、到底思えない。 「好きなこととか、姿が見えなくなる直前の言動とか……。行きそうな場所でも、なんでも良いの」 教えて欲しいと懇願する夏也に向かい、主演俳優は薄い笑みをかえす。 「細身の、物静かな少年だよ。僕と同じ女形に定められた子で、顔立ちは綺麗なものだ。披露目の子役に選ばれただけあって、幼いながら演舞の筋も良い」 年の割には聡明で従順。おとなのいうことを良く聞き、修行にも熱心にうちこむ真面目な子どもだという。 だからこそ、一座の誰もが、彼がこうして舞台前の楽屋から姿を消すとは思っていなかったらしい。 「その子の写真とかはないの?」 「あいにく、最近のものは持ち合わせがなくてね……」 そういって差しだしたのは、モノクロームの小さな写真だった。 一座に入った当初のものらしく、聞いた年齢より幼い姿だ。 「成長しているが、面差しはそのままだから、わかるはずだ」 差しだされた写真を受け取り、ヴィヴァーシュが静かに問いかける。 「コハク少年が戻ってきたら、あまり怒らないであげてください」 少年が見つかった後、主演俳優に頼んで少年の外出を取りつけようと思っていた。彼もこの一座で育ったのなら、抜け出した少年の気持ちはわかるだろうと。 ヴィヴァーシュの問いかけに、女形は探るように彼の表情を見つめかえした。 しばし沈黙した後、短く応える。 「約束はできない。……しかし、善処はしよう」 主演俳優とはいえ、一座全てを取り仕切っているわけではないのだろう。トップには座長が。バックにはパトロンが。伝統という名の暗黙の規律の下に、彼らは芸を伝えている。 ――それも、本当にやりがいがあると思っていれば良いんだけどね。 胸の内に浮かんだ言葉を、俊明はそのまま胸に秘めた。 「今はその子を探すことが先決だわ。もしかしたら、トラブルに巻き込まれた可能性もあるかもしれないし」 夏也がそう口にし、改めて決意するようにうんと頷く。 そうして女形の部屋を去った三名は、ひとまず得た情報を通信機を使って皆に伝えた。 情報は少しでも多いにこしたことはないだろう。 「舞台が始まる前に、コハク少年を連れて帰って差しあげたいですね 」 遠くから響く弦楽の音に耳を傾けながら、ヴィヴァーシュが傍らの二名をうながす。夕刻まではまだ間がある。しかし、通信機にはまだ誰の連絡も入っていない。 最悪、代役もいるので舞台に穴が空くことはない。しかしこのまま舞台に代役を立ててしまうことは、少年のためにも避けたかった。 夏也は持ち前の前向きさで、すでに思考を少年探しへとシフトしている。 「お祭りに慣れてない様子なら、目につきやすいはず。とにかく聞き込みよッ」 そうして三人は劇場周辺から少年探しに加わった。 ●街路:飴細工屋台 そのころ、鰍(カジカ)と歪(ヒズミ)は連れだって街中を歩いていた。 いつもは陰鬱な空気に支配されているというこの街も、祭日の今日ばかりは華やかな色彩に彩られている。受けた依頼のことはもちろん気になるのだが、異世界の祭にも興味があったのだ。 街の広場では楽団が祝祭の楽を奏で、聴衆が思い思いに歌声を重ねる。おしろいに紅をさした芸娘が舞い踊れば、周囲は手を打ち鳴らして喝采を送った。 行き交う人々は露店に並ぶ様々な食事の香りに誘われて集い、見知った者、見知らぬ顔にかかわらず、季節の巡りを祝し、酒を酌み交わす。 子どもたちは点心の屋台をくまなく巡り、どれが一番美味しい店かを探り当てようと駆けまわっている。インヤンガイ独特の奇怪な仮面を付けて走る様子は、まるで子鬼が駆けまわっているかのようだ。 人々の歓声や爆竹の破裂音、そして食材や火薬の香りが、聴覚や嗅覚をとおし、眼の視えない歪(ヒズミ)にもその熱気を十分に伝えていた。 同行していた鰍(カジカ)をおいて、興味をひかれた音色、美味しそうな香りにつられ、蝶のようにあてどなく飛んでいく。 姿の見えなくなった歪を探し、鰍がやっとの思いで探しだせば、 「……鰍、どこに行ってたんだ?」 当の本人に迷子の自覚は一切ないらしい。 そうしたやりとりを何度か繰り返して気力を削がれはしたものの、歪の楽しげな様子に、来て良かったとも思う。 ふいに、歪は道の先に気配を感じて足を止めた。 眼には見えない。けれど、周囲の音と気配を察して口をひらく。 「鰍。この先に、子どもたちが集まっている」 何かあるのかと問う歪の視線の先には、彼の言葉通り大勢の子どもたちの姿があった。 見ると、飴細工職人の屋台があるらしい。店先に飾られた精緻な飴細工に見惚れた子どもたちが集い、ちょっとした人だかりになっている。 とはいえ、眼の見えない歪には、子ども達の声で相当数の人混みになっているとしか判断できない。 「ああ。ありゃ、飴細工の屋台に子どもが集まってるんだ」 「どれ」と屋台に近づき、店主に声をかける。 「俺にもやらせてもらえないかな」 鰍の申し出に、店主は「やってみるかね?」と気さくにかえす。 「鰍、大丈夫なのか?」 眼が見えないとはいえ、子どもたちの声から店主の技巧の高さを察した歪が、心配そうに声をかける。 鰍の手先の器用さは心得ているものの、異世界の子どもたちにそれが支持されるかは別の話だ。 「おっちゃんほど上手くはないかもしれないけど」 まあ見てなと告げ、鰍が飴を練りはじめる。 「やっぱ日本のと少し違うんだねぇ」とこぼしながら、リズムをとるように飴を練り続け、やがてひょいひょいと素早い手つきで形を整えていく。琥珀色の飴に紅や緑の飴を飾りつけるや、見る間に一匹の獅子を完成させてしまった。 「ほい。どうぞ」 少年のひとりに、できあがった飴を手渡す。 もらった子どもは頬を紅く染めて「すごい!」と素直に歓声をあげた。飴細工に対する感覚は、ここ異世界のインヤンガイでもそう変わらないらしい。 周囲にいた子どもたちが鰍の飴細工を覗きこみ、口々に声をあげる。 「ずるい! 僕も!」 「私も!」 飴細工屋台の店主も、その手つきの鮮やかさに感嘆の声をあげる。 「あんた筋が良いねえ。どこかで修行でもしていたのかい?」 順番に作るから待つよう子どもたちをなだめると、店主に向かって笑いかえした。 「俺も屋台をやってるんでね」 鰍の飴細工は店主とはまた違った風情があり、子どもたちは目新しい飴をこぞって欲しがった。 「しっかし、こうしてれば例の子役が寄ってくるかもと思ったんだけど……」 今のところ、周囲にそれらしい子どもは見あたらない。どうやら、そううまくはいかないようだ。 「あっ」 ふいに、歪が鋭い声をあげた。 「どうした」と問いかけようとした鰍は、その視線の先に黒麟(コクリン)の姿を認め、手を止めた。 ●街路:点心屋台~サンザシの砂糖漬け 少し時間をさかのぼる。 探偵からの依頼の後、単身街へ繰りだしていた祇十は、 「芝居小屋の餓鬼ってんなら、その辺でやってる出しもんより屋台の方が気になんじゃねぇか?」 という持論をもとに、屋台の連なる通りを無目的に歩き回っていた。。 先ほど通信機を通じて得た情報を元に、うら若い女性店主を見つけては聞き込みを行っているのだ。……個人的なナンパも兼ねているが、そこはご愛敬。 成果があがらないとみれば両手の甲に『目』という字を記し、特殊能力を用いて視界を広げてもみた。 しかし祭日だけあって人も子どもの数も多く、あまり効率は良くない。 もともと祭を楽しみたかったので、周囲の喧騒を眺めながらの捜索に退屈はしないが、それでも効果があがらないのは心情的によろしくない。 「頼まれたからには、きっちり果たしてやんねぇと男の恥ってもんだ」 探している場所が見当違いなのかもしれないと、別の通りへ移動しようとした時だ。 これで最後と声をかけた点心売りの娘が、気になることを言った。 「あんたが探してる子かどうかはわからないけど、ついさっき、顔の綺麗な子が来てたよ」 「『コハク』って名前の子どもか?」 「名前までは知らないよ。ただ、お金を持ってないって言っててね。眺めるだけ眺めて、どこかへ行っちゃったよ」 冷やかしかと思って見た子どもの顔が、あまりに綺麗だったので覚えているという。 「そいつぁ、どっちへ行ったんでぃ」 「さあて、どっちだったか」と、娘はあさっての方向へ視線を向ける。 「……ありがとよ。街をウロついてるってのがわかっただけでも十分だぜ」 全く情報がないよりは、手がかりが見つかっただけ幸いというものだ。 早口に礼をまくしたて、娘に背を向ける。すぐに別の店へ聞き込みへ行こうとした矢先、 「待ちなよ」 ふいに、娘の声がかかった。 「あんたは、うちのサンザシ、買っていってくれるんだろう?」 娘の満面の笑みに、祇十は娘の意味するところを察する。 話を聞くだけ聞いて、そのまま去るところだった。しかし、迷うことはない。少年がこの点心を眺めていたというなら、 「袋いっぱい詰めてくんな。豪快にな!」 一座の子どもたちのために、何か持たせる土産を探していたところだった。 釣りはいらねぇと言い捨てて多めに金を払うと、「そこの路地だよ」と、再び娘の声が飛んだ。 「そのまままっすぐいって、一番最初の道を右に折れな。子どもはその路地に入っていった」 どうやら娘は、先ほどから少年の行く先を知っていてしらばっくれていたらしい。祇十が気っぷの良い客と知って、情報を流す気になったようだ。用心深いのはインヤンガイに暮らす者ならではの性質なのだろう。 「ありがとよ!」 異世界の娘のしたたかさに感心しつつ、祇十は示された先へ駆けていく。 人混みをかき分けて進んでいくと、道の先には小さな屋台があり、そこに、子どもたちが群がるように集まっていた。 ●街路:飴細工屋台~少年 探偵の説明を聞いた後、黒燐は興味をひかれるまま、好き勝手に街を歩いていた。 「うわわーい! お祭りだー!」 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、たっぷりとした装束をひるがえして踊るように駆けていく。 捜索を依頼された子役は、祭を見たことがないと聞いている。 行くなら屋台。もしくは、どこかで小さくなっているだろうと目星を付け、街を練り歩く。 自身と同じようにはしゃぎまわる子どもの姿を見かけては追いかけ、屋台を冷やかし、転げまわるように路地の裏道を駆け抜ける。 そうしている様は子どもそのもので、仮面を被った子どもたちに混ざっても全く違和感がない。(もっとも、彼は自身を『子ども』と言ってはばからないので、『違和感がない』という言い方はおかしいのかもしれない) メインストリートに出れば龍の舞を追いかけ、獅子と競うように踊り、急にそばで鳴った爆竹の音に耳を塞いだ。 「爆竹って、凄い音だなぁ」 その驚きさえもが今は楽しく、黒燐もまた普段とは違ったひとときに探偵からの依頼を忘れつつあった。 すると、しばらく追いかけていた子どもたちが、この先に飴細工の店があると手招く。 実際に飴を細工していく様を見られるというので黒燐も導かれるままについていくと、そこには見知った者の顔があった。 「鰍さん、歪さん!」 見れば鰍が屋台前で飴細工を作っている。 彼が普段とは違う飴細工を作っているとあって、おもしろがった子どもが知り合いを呼び寄せ、屋台の周辺には子どもが集団を作っていた。 呼びかけると、歪が手を振り返してきた。彼は眼は見えなくとも、声のする方向で居場所を把握することができるのだ。 「ふたりとも、件の子は見つかった?」 鰍が飴細工を作っている最中だったので、歪に問いかける。 「それが、捜索をはじめる前にこのありさまで」 鰍が新たに作った飴を子どもに渡しながら告げた。子どもが喜んでるから、まあ良いんだけどな、と続ける。 鰍の作った飴細工は彼が自腹を切って子ども達に提供していた。その噂もあって、先ほどから子どもの姿が絶えず、なかなか屋台を離れられないらしい。 屋台の店主も鰍に店を任せて屋台のそばでのんびり煙草を吸っている。彼にしてみれば、良い休憩時間に違いない。 「でも、これだけ子どもが集まってきていたら、子役の子も噂を聞きつけて来てるかもしれないよね?」 そういって辺りを見回す黒麟に、歪がうなづく。 「だけど鰍は飴を作っているし、俺は眼が見えないからな……」 目印になるような鳴り子でも付けていれば別の話だが、盲目の歪にはいくら子どもが集まったところで少年を判別しようがない。 じゃあ僕が探すねと黒麟が子どもたちを見渡してみるものの、動き回る大勢の子どもの中から、会ったことのない子どもを探すのは至難の技だった。 一方、点心屋台の娘に道を聞いてやってきた祇十も、屋台から少し離れた場所に居合わせていた。彼は自身の能力で広範囲に広げた『目』を使い、注意深く飴細工屋台周辺の子どもを観察していたのだ。 その時だった。 それまで路地でくつろいでいたおとなたちが、声を交わしながら別の道へと移動していく。 「……何かあったのか?」 「いや。わかんねえ」 足音と喧騒で、大人数の人間が移動していくのに気づいた歪の問いかけに、鰍も首をかしげる。 「ね。あのひとたち、どこへ行くのかな?」 黒麟が子どもたちに尋ねれば、答えはすぐにかえってきた。 「たぶん、劇場に行くんだよ」 「そうそう。これから演舞がはじまるんだ」 「すっごいきれいなのよ」 「でも劇場に入るには半券がいるから……」 「お金のないおれらには関係ないよな」 「なー」と声を合わせる子どもたちの言葉に、鰍と黒麟が顔を見合わせる。 そして同じ時。 祇十の『目』が、おとなたちにまぎれて駆けていく子どもの姿を捉えていた。 屋台前にいた子ども達は誰一人そこから動こうとしないのに、ほっそりとした体つきの少年がひとり、おとなの流れに紛れるよう駆けていく。 横顔は少女のように美しく、その容姿を隠すように、羽織を頭巾のようにして被っていた。 「奴さんか……!」 祇十は追いかけようとしたが、移動するおとなたちが阻んでうまくいかない。そうこうしているうちに少年は人混みを縫うように姿を消してしまった。 だが、行く先はわかっている。 祇十の声に気づいた歪が、鰍と黒麟をともなって彼の元へやってきた。 飴細工屋台の主人には悪いが、一座の少年を放っておくわけにもいかない。 祇十は集まった三人に向かって頷く。 「劇場だ」 すぐさま通信機を使ってヴィヴァーシュ、夏也、俊明に連絡をとると、彼らは劇場の近くにいるという。先ほど写真を見たと言っていたから、子役があの子どもであれば、彼らが見つけ出してくれるかもしれない。 祇十は目撃した子どもの特徴を早口でまくし立てる。 その通信を受けて、俊明がひとつの見解を示した。 『そうか。もしかして――』 連絡を終えた四名は、その足で劇場へ急いだ。 ●劇場:神の御技を継ぎし子ら インヤンガイが黄昏に染まる夕刻。 連絡を受けたヴィヴァーシュ、夏也、俊明の三名は、先ほど訪れていた劇場へ再び足を運んでいた。 しかし、今度向かったのは楽屋ではない。客席だ。 事前に女探偵を呼び寄せ、無理を言って半券を渡してもらっている。 「あのさ。わかってると思うけど、その半券は子役を見つけた時のための報酬代わりなんだよ?」 「なんで先に渡さなきゃいけないのさ」と、聞こえてくる文句を聞き流し、俊明は女をなだめた。 「カジカジさんたちから情報があったからね」 「小言は後で聞きますから、あなたも少年を探してください」 俊明とヴィヴァーシュに言われ、女探偵がしぶしぶ劇場内を見渡す。 「こんなにひとがいるのに、見つかるわけないわよ。だいたい抜け出したのに、なんだってここへ――」 戻ってくるのよ、と続けようとして、女探偵の言葉は夏也の声にかき消された。 「凄い! 凄いわ! まだ舞台が始まっていないのにこの賑わい! あの紙吹雪なんて、金色の粉雪みたい!」 夏也はファインダー越しに劇場を見渡しながら、絶え間なくシャッターをきっていた。というのも、劇場内は屋外の情景とは異なり、また違った熱気に包まれていたからだ。 正方形の劇場は一方を舞台に。三方を客席としており、一階席が一般客に用意された席となっている。前方が指定席で、柵で仕切られた後方は座席のない解放区だ。半券を持たない客は後方ですし詰め状態になりながら立ち見をするのだという。 なお、二階席は全て一座のパトロンのための特等席となっている。熱の入った支持者の席には主演俳優の名を記した横断幕が掲げられていた。 観客は黄金の紙吹雪をばら撒きながら拍手に呼び声を織り交ぜ、今か今かと演者たちの登場を待っている。女探偵の半券は一般席のものだったが、それでも主演俳優の根回しがなければ手に入らなかっただろう。 「写真を撮るのも良いけど、少年も探してるんだよね?」 若干不安を感じた俊明が問いかけると、夏也はカメラから顔を離し、自信満々に応えた。 「たぶんね。あの子だと思うのよ」 視線を向けた先には、おとなたちとの押し合いにもめげず、解放区の柵にしがみつくようにして先頭を陣取る子どもの姿があった。 ヴィヴァーシュが見たところ、先だって見た写真の子どもに酷似している。おそらく、彼で間違いないだろう。 「俊明さんが言ってたの、案外当たってるんじゃないかしら」 「……少年は舞台を見に劇場へ戻った、ですか」 ヴィヴァーシュの声に、夏也が微笑む。 「そ。あの子、きっと根っからの役者なのよ」 俊明は先ほど、少年はおそらく舞台を見に戻るだろうと言った。研究熱心な性分であるなら、先輩俳優の演舞を見にくるのではないかと。 どうやらその予想は当たったようだ。 修行中の子どもたちは外に出る機会がほとんどない。お披露目が済み、演者として認められてからでなければ、実際の舞台を間近で見る機会がほとんどない。少年は祝祭に惹かれつつも、結局はここへ戻ってきた。 「そうやって、身を捧げるように生きるのか……」 どこの世界も生きにくいものだと、俊明は思わず眉根を寄せる。 しかし旅人たちからは生きにくいように見える世界でも、子どもたちにとっては、愛するに足る世界であるのかもしれない。 「ちょっと、あんたたち! ぼやっとしてないで、子どもを捕まえに行くわよ!」 女探偵に腕をつかまれ、夏也がずるずると引きずられていく。ヴィヴァーシュと俊明がそれに続いた。 やがて声をかけられた少年は、己を見定めたおとなたちの言葉に、ただ静かにうなづいた。 その眼は客席を離れる最後までずっと、舞台の上を見つめていた。 ●演舞:神迎遊技 少年と旅人たちは、主演俳優の楽屋に集まっていた。舞台はすでに始まっており、部屋の主はすでにここにはいない。 彼らはこの部屋で、少年の説得にあたっているのだ。 一座の規律を犯した子どもは、厳しい処罰を受けるという。それを恐れた少年が子役をおりると告げたのだ。己には舞台に上がる資格はないのだと。 せっかく戻ってきたのに、それではなんの意味もない。 黒麟は被っていた黒布を取り、ひたと少年の眼を見据えて告げる。 「君一人が抜けたから、僕たちが探しに来たんだよ? 君は演舞の役の一つをやるんだよね。その役、他に誰がやるの?」 「幼いながらも、それが貴方の仕事なのですから。放棄は良くありません。祝祭が気になるなら、お披露目を終えてからお祭りを回れるよう、きちんと座長にお願いしてみましょう」 「さっきの飴細工なら、また俺が作ってやれるしな」 ヴィヴァーシュに続き、鰍も声をかける。 「そうさ。めでたい舞台でせっかく役に選ばれたんだ。楽しまねぇと損じゃねぇか損!」 祇十が言葉とともに、どんと少年の背中を叩いた。 咳き込む少年の肩に手を置き、歪と夏也が微笑みを向ける。 「この舞台はな、劇団の皆へ感謝を示すものであり、たくさんの人々にお前の舞を披露する、大切なものなんだ」 「さっきの客席、見たでしょ? あれだけの人が、あなたの演舞を楽しみにしてるの。胸張って頑張ってらっしゃいね!」 旅人たちの言葉に続き、女探偵が少年に向かって「急いで」と声をかける。少年の出番までもう時間がなかった。そろそろ支度をしなくては間に合わないのだ。 不安げに、それでも女探偵の元へ駆けていく少年の背中に向かって、それまで成り行きを見守っていた俊明が声をかける。 「悔いのないよう。……行ってらっしゃい」 俊明の言葉に、少年が立ち止まった。 うなづいて、返す。 「行ってきます」 はじめて見せた笑顔は、どこまでも晴れやかだった。 そして――。 幼い女形は、観客たちに喝采をもって歓迎された。 舞台の上で、少年が高らかに歌を歌っている。その顔には先ほどまであった憂いはどこにもない。 白塗りの化粧に紅をさし、絢爛豪奢な着物をまとい、内側から輝くような美しさを放つ様は、主演俳優と比べても全くひけをとらない。 終演後、挨拶のために舞台上に戻ってきたコハク少年に惜しみない拍手が注がれ、二階席には少年の名前の入った横断幕がいくつも掲げられた。 旅人たちは女探偵に言づてを頼み、そのままロストレイルへ向かうことにする。おそらくこの人気では、楽屋へ行ったところで彼の元へはたどり着けないだろう。 「おっと。こいつを忘れてた」 祇十が買い込んだ点心を女探偵に押しつける。 「こいつは俺たちからだ。立派な舞台を見せてもらった礼だってな」 ――後日。 インヤンガイのコハク少年の元へ、世界司書から女探偵経由で何枚かの写真が届けられた。 祝祭の日、見知らぬおとなたちと撮った写真。 幼い少年にとって、忘れがたい想い出の日の記録だ。 「コハク、もうすぐ出番だ。準備は良いか」 主演俳優の呼び声に応え、少年は写真を手に取った。 多くを話すことはできなかったが、彼らが己のために手を尽くしてくれたことは女探偵から聞いていた。 彼らに恥じぬ舞台となるように。 あの時のように、笑顔で声をかける。 「行ってきます」 そうして少年は今日も、光の下で舞い踊る。 了
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