オープニング

 インヤンガイから戻ったアリッサは、執事に向かって言った。
「司書たちを集めて」
「かしこまりました。……インヤンガイで何か?」
「……おじさまの行方がわかったかもしれないの」
 執事のおもてが、はっと引き締まる。
 世界図書館の本来の館長である人物が、消息を断ってからすでに6年が経過していた。
 今までも、手がかりらしきものがなかったわけではないが……今回は、ほんの数カ月前の目撃情報であるという点で、アリッサたちの注意を引くものではあった。

「というわけで、みんなには、インヤンガイに向かってもらいたいの」
 アリッサはロストナンバーたちに言った。
「行き先は『美麗花園(メイライガーデン)』っていう場所。名前はきれいだけど、今は人間は誰も住んでいない廃墟の街区よ。2年前から、ここは『暴霊域』っていう生きた人間はとても立ち入れない地域になってるの。おじさまがそんな場所に本当にいるのか、いるとしたらどうしてなのか……誰の『導きの書』も手がかりはくれなかったわ。でもーー」
 危険は承知で、この廃墟の街の探索をしたい、それが世界図書館からの依頼であった。
 街区は広いため、いくつかの小集団に分かれて探索を行う。現地までは、今回はロストレイルで乗り付けることとなった。地下鉄の廃線が美麗花園の地下にも伸びているという。
「各チームの探索ポイントについては、担当の司書さんから説明してもらうね。それじゃ……、お願い」



 獣人の司書は旅人たちに向かい、頭をひとつ、下げた。
「探索ポイントは、『美麗花園』の住宅地の一角。上にも横にも広がる建物の内の一棟。フロアを上下に移動する昇降機が真ん中に一機。周りに部屋が沢山」
 住人はもちろん誰も居ないけれど、と感情を一切殺した声で続ける。
「凶暴な暴霊の居る探索ポイントもあるけれど、ここはたぶん、静か。暴霊は、……居るとしても、人に害を為すものは居ない。ただ、」
 三角耳の間には、深い皺が寄っている。
「屋根に、大きな穴。上の階から下の階まで。全ての階を貫いている。霊力暴走の折に、大きな力が空から地に向けて落ちた、……か、その反対」
 地面から空に向けて、霊力が噴出したか。
「どちらにしても、大勢、死んでいる。理不尽な力によって殺されている」
 体中の空気を吐き尽くすかのように息を吐き出し、眼を閉ざし。開く。
「当該地域には、今も凄まじい霊力エネルギーが渦巻いている。死んだ人たちの記憶と共に。踏み入れば、霊力エネルギーが写し取った、死んだ人たちの記憶を、街区が死に絶えた出来事の記憶を、その身に起こったことのように体験してしまう可能性が高い」
 それはとても怖いことだと思うけれど、と旅人たちを見仰ぐ。
「それを圧して、探索に向かってください。行方不明となっている館長を捜索して来てください」
 異世界の旅へ出たまま連絡が取れなくなっている、館長の行方が分かれば、ここ最近、急速にロストナンバーが急増している理由も分かるかもしれない。
「少し、大掛かりな探索。けれど、その場で頼りに出来るのはその場に居る仲間だけ。……どうか、くれぐれも気をつけて」
 必ず無事に帰って来て下さい、と司書はもう一度頭を下げる。

 

 闇が蹲る。
 凝固土が砕け、剥き出しになった鉄骨を風が、擦り抜ける。断末魔のような音で喚く。建物を這い登る途中で千切れた配線から、霊力の蒼白い光が時折弾ける。石畳に散った硝子にちらちらと光が反射する。歩けば、砂利の上を歩くように硝子を踏み砕く。
 透明な筈の硝子に灰白色の石畳の道に、大量の血糊がこびり付いたまま、二年の歳月にも流れることなく黒く変色している。一人二人では足りない、大量の血が流れた筈。けれど骸らしいものは一つとして見当たらない。暴走した霊力によって骨の欠片も残らぬほど砕かれたか、災禍の後、街区に現れた暴霊に遺体を持ち去られたか、骨の欠片も残らないまで玩ばれたか。
 聞こえる声は、街区のどこかに探索に出ている他地域担当のロストナンバーたちのものか。それとも、街区に蠢く暴霊たちのものか。
 視線の先に、年月を経ても消えない死臭を纏って、灰色の建造物。折り重なる軒のあちこちには、朽ち掛けた布が死体のように垂れ下がっている。硝子の砕けた窓のそこここ、霊力を通す配線があるのか、時折、蒼白い光がふわりと浮かんでは消える。
 獣人の世界司書が示していたのは此処だ。
 ひび割れ、飛び散った血痕で赤黒く汚れた壁の端に、硝子が砕け、木枠だけ残った扉がある。開けようと手を伸ばして押せば、軋んだ音立てて扉は倒れた。
 扉の向こうは広い玄関広間となっている。広間の真ん中には鉄格子で囲われた昇降機があった。天井に開いた大穴から不安定に明滅する微かな光が流れ込んで来ている。
 眼を凝らせば、闇に隠れるようにして、部屋の隅に階段があるのが見える。
 床や天井にのたくる配線から、霊力の光が不意に爆ぜた。意外に強い光から視線を逸らせば、その先に、白い人影。それは、こちらに驚いたように駆け出す。昇降機を囲う鉄格子が大きな音を立てて開く。
 人影は、その中へ走り込んだ。
『来ないで、』
 子供の泣き声のような声が聞こえたのは気のせいか。ロストナンバー以外の生きた人間は居ないはず。
 昇降機が屋上目指し、今にも壊れそうな駆動音立てて動き出す。――人影を追って、血色の蛇形した霊力エネルギーが数十、宙を這う。




!注意!
イベントシナリオ群『死の街へ』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『死の街へ』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。

品目シナリオ 管理番号393
クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
クリエイターコメント こんにちは。阿瀬 春です。
 今回は、インヤンガイへの大掛かりな探索行への旅をご案内させて頂きます。

 廃墟となった街の一角、そこそこ大きなアパート群の探索です。
 行方知れずの館長がここに居るかどうかは不明ですが、凶暴化していない小さな暴霊は住み着いているようです。
 ここに足を踏み入れたロストナンバーは、人影を見たことを皮切りにして、過去の惨劇の只中に放り込まれます。周りで人が逃げ惑い、倒れて行く酸鼻を極める光景の最中、何を思い、どう行動するのか。お教えください。


 プレイング受付期間が通常よりも少し短めとなっております。申し訳ありませんが、その点、ご注意ください。
 ご参加、お待ちしております。 

参加者
エータ(chxm4071)ツーリスト その他 55歳 サーチャー
アルジャーノ(ceyv7517)ツーリスト その他 100歳 フリーター
仲津 トオル(czbx8013)コンダクター 男 25歳 詐欺師
ルツ・エルフィンストン(cnus2412)ツーリスト 女 17歳 剣士になりたかった魔法使い

ノベル

 銀髪銀眼、陽気な表情した青年の姿が、ゆるり、まるで液体のように溶ける。輪郭をなくし、身体の線をなくし、
「……うわー……」
 仲津トオルが眼を見開いて見守る中、一度溶けた青年の姿が、ゆるゆると再び人間の形を取り戻す。けれどそれは、元の青年の姿ではない。 
 撫で付けた銅色の髪に山高帽を被り、濃い鉛色の瞳を静かに開く、背の高い痩せた中年の男。インバネスコートの裾を払いながら、口元の髭に指先で触れ、
「館長に見えますカ?」
 笑う眼の形がアリッサに少し似た、行方知れずの館長、エドマンド・エルトダウンの姿を取り、アルジャーノは小さく笑んだ。
 駅前広場の館長像に擬態してみせたと言うその姿は、全身鉛色ではあるが、暗がりで見れば本物の背格好とそう遜色はないだろう。髪と眼は山高帽を深く被って隠してしまえばいい。
「この姿でうろつけバ、心当たりがある暴霊がひっかかるかもしれませんものネ」
 それは下手をすれば暴霊に襲われる可能性もあるということだが、
「え? 良いの?」
 じゃお願いー、とトオルは軽く笑った。目前の建物を見仰ぐ。空気までが暗闇に侵されたかのように暗く、重い。司書が指定した建物は此処だ。
「何で居なくなったのかは興味あるよ」
 ばちん、と建物を這い登る途中で千切れた配線から蒼白い火花が散った。
「他にもわからない事は沢山あるけど」
 インヤンガイは元より危険が無い訳じゃないし、何で館長は美麗庭園に来たんだろ、とトオルは爆ぜた蒼白い光に黒縁眼鏡の奥の黒い眼を顰めながら思う。
「事故そのものが目当てか他の何かか、」
 壁や石畳の道路に飛び散る大量の血痕に触れないようにしながら、建物に近付く。砕け散った硝子が踏まれ、靴先でジャリジャリ鳴いている。
「せめて目的でも判れば探し易いんじゃない?」
 木枠だけ残った扉に手を伸ばす。扉の向こうから漂う死臭に纏わりつかれる気がして、思わず手を止める。
「開けるわ」
 躊躇いを見て取ったのか、脇からルツ・エルフィンストンが右手を伸ばした。蜜色の肌がトオルの傍を掠める。一切動かない左腕は怪我でもしているのだろうか。触れないよう、トオルは一歩引いた。
「ココはインヤンガイでは変わった場所だね」
 ルツの手によって開かれようとする扉に身体の前面を向けながら、ふわりと浮くマントが喋っている。フードの下、僅かに光る何かが見えたような気がして、トオルは瞬いた。
「他よりも多く感じるモノがあるけど、これが霊力……」
 表情さえも読めない、そもそも顔があるのかも分からない。壱番世界の住人であるトオルにとって、アルジャーノにしろ、このヘータにしろ、今回の旅の仲間は不思議の塊。
「それとも暴霊かな?」
 けれど、仲間であることに変わりはない。壱番世界と零番世界を行き来するうち、零番世界にも長く腰を落ち着かせるうち、風変わりにも見える他世界の住人たちをそうそう奇妙とも思わなくなっている。
(ボクはボク、キミはキミ、てな)
「どうかなー」
 ヘータの問いに、トオルは首を傾げる。
「ボクはその辺よく分からないけれど。何かあったら教えてね」
「前は他の場所と同じだったんだよね。ココでなにが起こったんだろう」
 興味深いな、とヘータは呟きながらふわふわと揺れる。
 軋むような音立てて、ルツが開こうとした扉が内側に倒れこんだ。
 内部は旅人たちの歩いてきた外の道よりも尚暗い。天井や壁での配線から、時折ばちばちと霊力の光が爆ぜ、旅人たちの視力を惑わす。
 剥がれた床材が足を踏み出す度にパリパリと崩れる。足元に散らばるのは、硝子の欠片や焼け焦げた紙屑、元が何だったのかも分からないほどに黒焦げ、崩れた電子機器。
「えっと、館長を探すんだよね」
 眼が慣れるまでは下手に動けないほどの暗がりに惑うことなく、ヘータが滑らかな動きで広い玄関広間へと入り込んだ。
「館長も壱番世界のヒトだから、視覚と聴覚、」
 あとは熱で探すのが良いかな、と呟く。ふわふわと。ゆらゆらと。中身のないマントが浮いているような動きで、辺りを探索し始める。
 もし見つかったらトレーサーを付けておこう、とマントの内に隠れた身体を確かめる。身体の一部を変質させて対象に付着させる『トレーサー』。それさえ付けることが出来れば、館長が動いても場所が分かる。
 館長を探すための対策を考え考え、ヘータは周囲の情報を集める。飛び散った大量の血がこびりついた壁、砕けた硝子、千切れた配線、部屋の真ん中にある格子に囲まれた箱のようなものは昇降機か。
 司書の言っていた大穴は、入り口近くに開いている。床を打ち砕き、天井を破り。近寄って見仰げば、幾つも重なる天井を打ち破り、遠く霞む空までも見ることが出来た。床へと視線を落とせば、地面まで穿たれているのだろう、どこまでも暗い穴がある。
 時折、その穴から、霊力の欠片なのか、蒼白い光の小珠のようなものが浮かび上がって来る。
 暗闇に眼が慣れ始めたルツが近寄り、光に手を伸ばすが、指先には何も触れない。
「他のヒトと遠くならないようにしておけばいいかな」
 難解ともとれるヘータの言葉を理解しようと、僅かの間、耳を傾けて考えた後、ルツはそうね、と頷いた。
「こんなところではぐれるのも面白くないものね」
 ゆっくりとした足音が近付き、建物を貫く大穴の縁にトオルが立つ。足元の確かさを靴先で確認しながら、その場にしゃがみこみ、光が浮かび上がる穴の底を覗き込む。
「ここがこんなになった原因は何だろうね?」
 暗闇が沈み、どれだけ眼を凝らしても見えない穴の底を覗くことは早々に諦め、今度は空まで続く天井の穴へと視線を投げる。
 霊力の暴走の原因は、
「館長さんにも繋がるかもしれないしねー、と」
 破れた天井にのたくる配線から、蒼白い光が爆ぜた。光に眼を焼かれるのを嫌い、眼鏡の奥の黒眼が細められる。
(メルトダウン)
 霊力の暴走のイメージとして、トオルの脳裏にあるのはそれだ。
 何らかの原因により、原子炉内の核反応が暴走し、結果、発生した高熱が炉を破壊する現象。水蒸気爆発事故さえ、起こる。暴走の種類は違うけれど、制御不能となった凶暴な力。似てはいまいか。
(にしても、原因は何だ?)
 インヤンガイは建物の集合する世界。ならば、霊力の供給路は、その大本はどうなっているのか。地脈を、空気の狭間を漂い、今こうして目の前で揺れる、可視化するほどの霊力を、誰が集め、様々な機器に使えるように加工しているのか。
 見仰ぐ視線の先には、闇が蹲るばかり。
「ディラックの落とし子絡みなら嫌だよね、他人事じゃない」
 低く呟いて、トオルは立ち上がる。とにかく、今は館長を探すことが優先。
 そういえば、とルツが大穴から視線を外した。一人、仲間の姿が見えない。
「アルジャーノ?」
 名を呼び、周囲を見回せば、館長の姿に擬態した銀色の青年はすぐに見つかった。
「ハーイ?」
 ひょこり、と広間中央に設置されている昇降機の影から、きょとんとした館長の顔を覗かせる。その手に持っているのは、その辺に転がっていた焦げた鉄屑だろうか。
「……何してるの?」
「食べてマス」
 黒く煤けた鉄屑を口髭のある口元に運びながら、にっこりと満面の笑みを浮かべる。
「これ、えれべーたって言うんですよネ。でも、壊れてマス。動きませン」
 他の三人が大穴を調べている間、アルジャーノは昇降機を調べていたらしい。
「お腹壊さないの?」
「甘いもの以外は平気でスヨ」
(……ボクはボク、キミはキミ)
 異世界人の行動を目の当たりにし、トオルは口の中で呟きながら周囲を注意深く見回す。
 ばち、
 不意に、一際明るく爆ぜた霊力の光にその眼を射られた。呻いて思わず瞼を閉ざし、掌で眼を覆う。
「――待って!」
 ルツの鋭い声に瞼を押し開けたトオルが見たのは、白い人影。こちらの姿に気付いて驚いたように駆け出す。こちらの姿に反応した、と言う事は、少なくとも、司書の言っていた『霊力エネルギーが写し取った、死んだ人たちの記憶』ではないはず。でなければ、此処に住み着く暴霊か。
 白い人影に反応してか、昇降機を囲う鉄格子が壊れそうな音立てて開いた。
「あレ?」
 動かなかったはずの機械が動き出し、人影が昇降機に足音もなく駆け込む。来ないで、と子供の泣き声が旅人たちの耳を打つ。
 歯車が軋むような音立てて、昇降籠が上階へと昇り出す。機械が動いているのは幻ではないらしい。けれど、それと同時。
 大勢の人間の悲鳴が、一斉に湧いた。
 地の底から、頭上から。
 轟音が上がる。つい先程覗き込んでいた大穴が、地から天へと噴き上がる紅い光の柱に占められている。その柱からぞろり、と蛇の形した血色の暴霊が数十匹、空中に這い出す。
 暗い赤が視界を埋める。噴く朱が、目前で、何かの力によって首を捻じ切られた人間の血だと気付いて、トオルは反射的に身体を竦ませた。悲鳴を上げる間もなく絶命した人間の四肢が更に千切られる。肉片が、骨が、大量の血が空中に飛ぶ。瞬き出来ぬ間に細切れにされていく人間の姿に、
「……ッ……」
 身から血の気が引く。吐き気が込み上げる。
(過去だ)
 吐き気を堪え、自身に言い聞かせる。トオルの脇を駆け抜けざま、両腕を不可視の力によって捥ぎ取られる子供に思わず手を伸ばそうとして、止める。
(過去だってのに)
 血臭が、ぶちまけられた臓物の生暖かな臭いが鼻を突き、頭を痺れさせる。息を詰まらせる。悲鳴が重なる。外へ逃げ出そうとしてか、階段から玄関へと殺到する十数人の人間の、足が胴が腕が首が、折られ引き千切られ切り離される。血肉が玄関口に海となる。
(個人の知恵や知識や金の力がコレに通用するのか)
 殺人事件やヤクザ絡みのゴタゴタに巻き込まれたことはある。けれど、ここまで理不尽な災害は、暴力は、知らない。想像していたよりも酷い。
 口元を押さえ、痺れる頭を横に振る。短い罵声を一つ吐いて、眼を上げる。目の前で血や臓腑や身体の一部を撒き散らし、逃げ惑いながら死んでいく人々を見据える。
 逃げ惑うのではない、様子の違う者は居はしないか。今が過去だと認識しているような者は。
(真理数は)
 コンダクターである館長は、真理数を持たない。巣を壊された蟻のように混乱し走り回る人波の中では、個人の顔を判別するよりも真理数の有無を確かめる方が早い。
 視界を動き回る血みどろの人間たちの頭上に浮かぶ真理数の中、真理数を持たない人影を垣間見た気がして、トオルは死に行く人々へと眼を凝らす。人々の隙間を縫うようにして建物を出て行く、幾人かの人間。
(……軍装?)
 インヤンガイの者ではなさそうな、兵士の姿にトオルは意識を留める。建物の外に出たはずの兵士達を眼で追うが、砕けた窓の外に人影は見えない。彼らも、過去の幻影か。館長では、ない。
「この情報は、キミには悪いのかな?」 
 混乱と酸鼻極める中、普段と変わらない声が傍らから聞こえた。心配してくれているのか、ヘータが気遣うように隣で浮いている。
「……ものすごく悪いねー」
 声に笑みを含ませることには成功する。
「大変ですネー」
 館長の姿で鉄格子の欠片を食べながら、アルジャーノは惨劇を人事のように眺めている。人間と暴霊を同族と見なし、種族的に『個』を持たない彼にとっては、同族殺しに見えるこの情景は、理解出来ない不思議なもの。皆同じであれば殺しあう必要などないのに、個を持つが故に殺しあう人類は、
「種として長続きはしないだろうナァ」
「でも、……可哀想よ」
 ルツは銀色の睫を震わせ、蒼眼を顰める。被った帽子から零れた一房の三つ編みを右手で抑え、息を吐き出し、
「行きましょう」
 髪を払いのける。低く、囁く。今求められていることは、館長の捜索であり、指定された廃墟の探索。自らの感情を優先すべきではない。
(彼らを、あたしは知らない)
 深い感慨を抱いていない。
「さっき、昇降機に乗り込んだ人影が気になるわ」
 惨劇の最中、眼を上げて歩き出すルツを追い、旅人たちは歩き出す。
「エレベータ、乗ってみたかったデス」
 アルジャーノが昇降機を覗き込む。
「落ちる可能性が高いわよ」
 ルツが首を横に振るが、
「それはイタターて言わなくちゃデスネ」
 アルジャーノはにこにこと笑うばかり。
 当初はこの階で停止していた昇降籠は無い。何らかの霊力が作用し、動き出したのは確かなようだ。上部に設えられた、昇降籠の停止位置を示す針が止まっているのは、一から十を経て続く、屋上を示す文字。
 屋上まで階段かー、とトオルが泣き笑いのような表情をしてみせた。部屋の片隅の階段へと眼を遣る。階段の手摺に襤褸切れのように人の死体がぶら下がっているのが見える。建物内に居る限り、過去の幻影からは逃れられないのか。
 眼を逸らした床の上を、血の色した蛇の暴霊がのたくっている。踏み潰そうとした靴先は、何も踏まない。ジャリ、と硝子を踏む音だけが耳障りに響く。




 開け放たれた扉の奥は、どれも血の海。
 豊かとは言えないものの、慎まし気な暮らしが手に取るように分かる質素な部屋のあちこちを少し探せば、血に汚れた写真や日記は容易く見つけることが出来た。けれど、
「……これと言った情報は無い、ですネ」
 アルジャーノは首を傾げる。
 館長失踪直後、六年前からの情報を探してはみるものの、この建物に暮らしていた人間はその日を暮らすのが精一杯だったらしい。日記は日々の暮らしと愚痴に埋もれている。幾つかの部屋で偶にテレビのようなものを見つけることは出来たが、暴霊の仕業か、惨劇の後に火でも回ったのか、黒焦げて壊れているものばかり。映像を記録したような媒体も、見当たらない。
 床に転がるひび割れた写真立てを拾い上げるアルジャーノの足元には、暴走した霊力エネルギーに焼かれ赤黒く爛れた皮膚を震わせる、過去に囚われたままの暴霊が蹲っている。焦点の定まらない瞳に、館長の姿を模したアルジャーノは映らない。
「この姿で居ても収穫はなさそうデス」
 震える暴霊の正面にしゃがみこみ、片手を振ってみせながら、アルジャーノは呟く。呟くと同時、とろりと館長の姿が溶ける。
「アル……て、うわぁお」
 戸口からアルジャーノを探して顔を覗かせたトオルが、館長の擬態を解き、銀色の液体に戻ったアルジャーノを見て声を上げた。
「あ、ちょっと別行動しますネ」
 銀色の液体が動き、頭の部分だけアルジャーノの顔の形を取る。
「排水口に通気口、探せば何かあるかもしれませン」
 顔の形が溶けるように液体の中に沈む。手近の壁へとするすると液体の身体を這わせ、器に沿って形の変わる身体を剥き出しの通風口管へと流し込む。
「おー、えらいもんやなー」
 通風口に消えるアルジャーノを見送り、トオルは暴霊の蹲る室内から、通路へと視線を移す。血と肉片に濡れる廊下を足早に過ぎる。
 眼に映るのは、霊力暴走時の過去の幻。けれど、
(過去がコレでも現実で床が落ちてたら危ないんじゃない?)
 過去を映し出す幻に埋め尽くされた建物は、現実では二年前よりの廃墟。棄てられた建物は一気に朽ちる。増して此処はインヤンガイよりも更に危険とされる暴霊域。制御されない霊力に溢れ、暴霊が常に跋扈し、霊的現象が起こる。壁も床も、建物全体が脆くなっていると考えていい。踏み出した靴先がいつ床を踏み抜いても、そもそも床が抜けていても、おかしくはない。
 幸いと言っていいのか、大穴からは暴走する霊力の紅い光の幻が、間欠泉のように勢いよく噴出し続けている。暴霊の類だろう、血色の大蛇もフロアのあちこちに這いずり回っている。
 蛇に喰らわれ、首を無くした人間が血を噴出しながら倒れる。
 その血を頭から浴びた気がして、トオルは掌で頬を擦った。見える床は過去のもの。浴びた血も過去のもの。鮮血を拭ったはずの手には血の一滴もついてはいない。
「記憶というモノも興味深いね」
 ヘータがふわり、別の部屋の扉から姿を現す。手掛りらしいものは無いわね、とルツがその後に続く。
「ヒトに一番多い情報。ヒトだけのものだと思ってたけど、」
 血色の蛇に、縦横に宙を奔る紅色の霊力エネルギーに、見えない霊力か暴霊かに、次々と殺されていく住人を見ているのかいないのか、ヘータの古ぼけたマントの奥、小さな光が明滅する。
「霊力エネルギーにあることもあるのか」
 ココは他の場所よりも多いみたいだし、と周囲の情報を集めながら、廊下の突き当たりの階段へ向かう。
「記憶も多いのかな?」
「かも、しれないわね」
 尽きない惨劇の記憶の再現を見続けているからか、ルツの顔は僅かに疲れているようにも見える。
「ヒトの、熱」
 ふと、ヘータが動きを止めた。
「人型をしたモノが来るよ。速い。大きく遠くない」
 危険の可能性を知らせるヘータの言葉に、ルツの表情が瞬時に引き締まる。
「方向は?」
「キミの、右手の方向」
 任せて、とルツが呟いた刹那。
 蛍光色の塊が湧いた。
「――ッ!」
 ルツの右手袖から飛び出した掌大の細剣形トラベルギア『スティレット』が、現れたものの首元向け、無言の気合でもって突き込まれる。奇声を上げ、それは現れたのと同じ唐突さで、消えた。
 外したわね、とルツは蒼の眼を顰める。
「何なの、今の」
 ルツの呟きに、トオルが呆然と見開いていた眼を瞬かせながら頬を引っ掻く。
「暴霊の一種じゃないの? チェーンソーみたいなの持ってたし」
 危ないなあ、もう、と蛍光色の人型が現れて消えた方向へと眼を向ける。
「速い。大きく遠い」
 もう来ない、と言うヘータの言葉通り、それはもう二度と、少なくともこの建物には現れないようだった。首を傾げながらも、旅人たちは惨劇の再現の続く階段を登る。白い人影が向かった屋上を目指す。





 最上階から屋上に至る階段に血痕はなく、暴霊や霊力に惨殺された人間の姿はなく、それはトオルを少し安心させた。が、
「……きっ、つー……」
 息を切らせ、トオルは何段か先を軽い足取りで登っていくルツの背中と、更に先をすいすいと浮かんで行くヘータの背中とを見仰ぐ。一階から十階までの道程は、思っていた通りに辛かった。
 それでも何とか屋上への扉の前に辿り着く。階段の隣には、昇降機の鉄格子状の開閉戸が開いたままになっていた。内部には、空の昇降籠。
 薄暗い昇降籠の内部に人影が残っていないか、ルツが覗き込み、舌打ちにも似た小さな声を上げた。
 血飛沫の痕が生々しく残る、それほど広くはない昇降籠の床には、子供のものと思われる小さな腕が転がっていた。血を失って白い指先が、流れ出した血溜まりに浸っている。
「……まだ生きてる」
 トオルが呟く。霊力エネルギーの映し出す幻ではあるが、昇降機に乗り込んで玄関広間から逃げ出した白い人影は、昇降機内で暴霊に腕を一本もがれても、生きて、
「何処かへ、逃げた?」
 トオルの眼が床に落ちた血痕を辿る。血が示す方向は、
「外」
 扉の傍に立っていたヘータが、マントの中から不思議な色と質感持つ触手のような腕を伸ばし、扉を引き開けた。外を占めるは、紅い闇。錆付いた鉄柵で周囲の闇と隔てられた屋上の真ん中、地上の大穴から噴き出す、暴走した霊力エネルギーの紅い柱が、天まで伸びている。
 屋上に広がる、黄昏にも似た闇の何処かから、子供のすすり泣く声が微かに聞こえる。嗚咽にもならない、弱々しい泣き声。大量に落ちる血の痕を辿り、旅人たちが見たのは、屋上の端の鉄柵の傍、此方に血塗れの小さな背中を向けて蹲り泣く子供の暴霊。背中まで汚す血は、千切られた片腕から噴き出すものらしい。
「暴霊って幽霊みたいなものなのかな?」
 血塗れの子供の背中に奪われた視線を、どうにか逸らそうとしながら、トオルは囁くように言う。過去に囚われた暴霊を、過去から解放する術はあるのだろうか。
 人ン家の事情にケチ付ける気は無いけど、とトオルは詰まりそうになる息を長く細く吐き出す。
「だったら少し嫌だね。成仏しなよって言えないじゃない」
 蹲る子供の暴霊の他に誰か居はしないか、屋上へと足を踏み出す。
「――来ないで、」
 暴霊が悲鳴に近い泣き声を上げた。思わず足を止めるトオルの傍らを、ルツとヘータが通り過ぎ、
 旅人たちの身体を擦り抜けるようにして、血色の蛇の群が宙を奔る。
「うわっ」
 蛇型の暴霊に身体を通り抜けられた気がして、トオルは自分の腹を咄嗟に掌で抑えた。
「来ないで来ないで来ないでぇええぇえッ!」
 子供の必死の絶叫が耳と胸を貫く。
 血色の蛇が子供を喰らおうと殺到する。頭の冷えた部分では助けられないと充分に分かっていて、トオルは子供の傍へと走る。
 子供の姿が蛇の群に呑まれようとした、その瞬間。
 子供の断末魔を掻き消して、空に轟音が爆ぜた。周囲の建物を影にして、紅に金、蒼や翠、色とりどりの火の花が暗鬱な空に咲く。然程遠くない街区の空に、誰の手によるのか、派手な花火が打ちあげられている。
「たーまヤー」
 突然の花火に呆気に取られ、空を見仰ぐばかりの旅人たちの耳に、あっけらかんとした声が届く。おそらくは通気口の管から出てきたのだろう、鉄柵の外側から、銀色の青年が顔を現した。液体の身体を鉄柵内の屋上に入り込ませると、顔以外の身体を人型へと形を整える。
「って、言うんですよネ」
 にこり、と笑むその片手には、小さな人形が掴まれていた。
 次々に上がる花火の色に彩られる屋上の端、力をなくしたように座り込むトオルの傍へと歩み寄る。
 二年前の暴走事故の際、この場で子供が一人、暴霊により、人間の形を失くすまで弄ばれ殺されたのだろう。トオルの膝元には、古くなった大量の血の染みだけが残っている。
 その血の染みの上に、アルジャーノは通気口で見つけた小さな人形を置いた。
「お供え、って言うんですよネ」
 見つかったのはこれだけでしタ、と首を小さく横に振る。
「ワタシには『死ぬ』というのが理解できない」
 そのヒトから情報が減るのはわかるんだけど、とヘータは血の染みの上から立ち上がるトオルを気遣うように傍らにふわりと寄る。
「ここのヒトたちの情報は残ることもあるしね。『死ぬ』前と同じではないみたいだけど」
 マントの下から触手の手を伸ばし、血の染みに触れる。得られる情報はない。屋上まで噴きあがっていた、紅い光の柱が消えている。霊力エネルギーによる過去の惨劇の再現は、とりあえずは尽きた様子。
「みんな『死ぬ』のは悪そうだよね」
 情報が減ることはワタシも悪いと思う、と言いながら、ヘータは、でも、と続ける。
「それは怒ったり泣いたりするくらい大きいのかな?」
 子供は泣いていた。屋上に来るまでに見た過去の幻影の中の何人かは怒っているようにも見えた。
「大きいんじゃないの」
 花火を見仰いでいたルツが小さく息を吐き出す。
「だから暴霊になったりする。過去から逃れようとして、逃れられずに、ずっと苦しむの」
 花火から、屋上の床へと視線を落とす。
「少なくとも、ここの住人たちはね」
 帰りましょう、とルツは囁いた。
「館長も居ないようだし」
 トオルが立ち上がり、もう一度しゃがみこんだ。
「大丈夫?」
「あー……」
 この場で死んだ子供のことを辛く思っているのではないかと、声を掛けるルツに、片手を上げ、ぱたぱたと振って見せる。旅の仲間に向け、上げた顔に浮かぶのは、どこか情けない、けれど死んだ子供のことなど微塵も執着していないような、笑み。
「またあの長い階段下りなきゃならないんだよねー」
 過去は過去。美麗庭園の住人は死に絶えた。助けることは、もう出来ない。
 階段にも、過去の幻影は無かった。派手な音たてて上がっていた花火も尽きたらしい。行きと違い、静まり返った階段を旅人たちは下りる。
 一階に着いた彼らの眼前、
 再び住人の悲鳴が沸きあがり、紅の柱が大穴から立ち上がり、血色の蛇が床を宙を奔る。同じ人間が同じ場所で同じ方法で殺され続ける。
 惨劇の記憶が繰り返される。
 屋上で殺されたはずの子供の暴霊が、無事な姿で再び走り、下降してきた昇降機に飛び乗る。屋上へと逃げて行く。旅人たちが見ていようといまいと、あの子供の暴霊は逃げ続け、屋上で殺され続ける。
「……過去に囚われ続ける暴霊か」
 トオルが不機嫌に呟く。
 暴霊には、とヘータが惨劇の最中を通り抜けつつ、話す。
「多くワタシと同じモノがあると思う」
 マントの端を揺らせる。
「情報だけでもヒトと同じようにそこにいることができる」
 ワタシには肉体があるけどね、とフードの奥で光を明滅させる。
「でも、こういう存在の仕方は哀れだわ」
 ルツが蒼い眼で血塗れの周囲を見回す。苦しむだけの存在。
「ヒトに悪い暴霊もいるし、そうじゃない暴霊もいる。興味深いとは思う」
 死に続ける人間たちをどこか無機質な瞳で眺め、アルジャーノはニコリ、と笑んだ。
「めぼしいものもありませんでしたシ、帰りましょうカ」
 旅人たちは惨劇の繰り返される建物を去り、美麗庭園を去る。
 彼らの持ち帰った情報が他探索隊のものと併せられ、解析されれば、美麗庭園の霊力災害の原因や館長の行方の手掛りも、あるいは掴めるかもしれない。それらを突き止めるための旅も、用意されるのかもしれない。



 けれどそれは、今ではない、いつかに。





クリエイターコメント インヤンガイは【死の街】美麗庭園への旅、お疲れさまでした。
 戦闘はほとんどありませんでしたが、精神的に疲れる旅だったかもしれません。

 暴霊や、霊力エネルギーが映し出す過去の記憶に対する皆さまの考え方の違いや、皆様の魅力を上手く描けておりましたら、また、楽しんで頂けましたら幸いです。

 シナリオ内のいくつかの場面を、他シナリオとリンクさせて頂いております。他WRさんの【死の街へ】のシナリオの中から、リンク場面を探してみられますのも、楽しみ方の一つかもしれません。
 リンクさせて頂きましたWRさんに、この場をお借りしてお礼を。ありがとうございました。


 ご参加、ありがとうございました。
 次の機会、次の旅でお会い出来ますことを願っております。
公開日時2010-04-05(月) 19:00

 

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