インヤンガイから戻ったアリッサは、執事に向かって言った。「司書たちを集めて」「かしこまりました。……インヤンガイで何か?」「……おじさまの行方がわかったかもしれないの」 執事のおもてが、はっと引き締まる。 世界図書館の本来の館長である人物が、消息を断ってからすでに6年が経過していた。 今までも、手がかりらしきものがなかったわけではないが……今回は、ほんの数カ月前の目撃情報であるという点で、アリッサたちの注意を引くものではあった。「というわけで、みんなには、インヤンガイに向かってもらいたいの」 アリッサはロストナンバーたちに言った。「行き先は『美麗花園(メイライガーデン)』っていう場所。名前はきれいだけど、今は人間は誰も住んでいない廃墟の街区よ。2年前から、ここは『暴霊域』っていう生きた人間はとても立ち入れない地域になってるの。おじさまがそんな場所に本当にいるのか、いるとしたらどうしてなのか……誰の『導きの書』も手がかりはくれなかったわ。でもーー」 危険は承知で、この廃墟の街の探索をしたい、それが世界図書館からの依頼であった。 街区は広いため、いくつかの小集団に分かれて探索を行う。現地までは、今回はロストレイルで乗り付けることとなった。地下鉄の廃線が美麗花園の地下にも伸びているという。「各チームの探索ポイントについては、担当の司書さんから説明してもらうね。それじゃ……、お願い」◇「今回あなたたちにお願いしたいのは『聖アマーリエ教会』の探索よ」 集まったロストナンバーたちを前に、世界司書のオリガ・アヴァローナは静やかに告げた。「この教会は、本来の宗教活動と同時に、孤児院としての機能を果たしていたらしいの。身寄りをなくし、或いは捨てられた子供、虐待を繰り返す両親や人身売買組織から命がけで逃げ出した子供……そういった子供達を保護し、一定の年齢に達するまで養育する、といった活動も行なっていたみたいね。でも、二年前のあの『大災害』が……全てを奪い去った……」 想像するだけで胸を締め付けられるような、あまりにも痛ましい事件に、オリガの顔が曇る。「それに『導きの書』には、この教会の近くで『生者のようであり、死者のようでもある人影』が彷徨う姿も映し出されているの。人影と言ってもその輪郭は酷くぼやけていて、本当に館長なのかどうかも分からないのだけれど……今はどんな僅かな可能性にも賭けたい。そのためにも広範囲をくまなく捜索出来るだけの、一人でも多くの人材を必要としている。それがアリッサの、そして世界図書館の意向よ……協力してもらえるかしら?」◇ 聖アマーリエ教会……美麗花園のはずれに、その小さな教会はあった。 壱番世界で言う中華圏に近い文化形態を持つインヤンガイにおいて、西洋風の「教会」は比較的珍しい部類に入る。それでも、都会の煌びやかさとも下町の猥雑さとも異なる、教会特有の清廉にして静寂なる佇まいは、きっと疲れた人々の心を癒してくれたことだろう。 しかしそれも、今は昔の話。 二年前のあの忌まわしい『大災害』以来、訪れる者も無く、この街区に満ち満ちた『死の臭い』に晒され続けた結果、この教会も今はすっかり荒れ果て、いつ倒壊してもおかしくない無残な姿を晒していた。 ロストレイルを降り立ってから一向に晴れることの無い、禍々しく澱みきった霊気に、思わずむせ返る。 本当に、こんなところに館長はいるのだろうか……。 そんな疑問を覚えつつも、内部に一歩足を踏み入れたその時、 突然、体が傾ぐ。 意識が、闇に落ちる。 気が付けば、旅人達は暗闇の中にいた。 遥か上方から仄かな光の気配を感じる他は、辺りはまるで墨を流し込んだかのような漆黒であった。やがて暗闇に目が慣れ始めると、周囲は瓦礫の山だと把握する。 どうやらここは、件の暴霊災害によって更に地中奥深くへと崩落した地下室のようだ。 しかし、突然上階から落ちてきたはずだというのに、体には目立った外傷はなく、打撲痛も感じない。 不思議に思った旅人達がふと自分の手を見ると、「――!」 信じられない光景に、思わず絶句する。 目の前にあるのは、確かに自分の肩へと繋がっているのは、小さな小さな子供の手だった。 否、手だけではない。腕も足も胸もみんな、見下ろした全身が、いつもの見慣れた姿ではない。着ている服も、デザインだけはそのままに、まるで体型に合わせて縮んでしまったようだ。 驚きのあまり思わず叫ぶ。喉の奥から溢れるのは、小鳥のように高く愛らしい声。 旅人達は理解した。あの時、この地下空洞に落下したその時から、自分は『子供の姿に』なってしまったのだ。 ふと仲間の方を見ると、見知らぬ、しかし『確かに仲間の面影を残した』子供が立っている。 どうやら皆、己が身に起きた突然の事態に戸惑っているらしい。 出発前のオリガの言葉を思い出す。「今の美麗庭園は、邪気の力が非常に高まっている。何が起こるか分からないわ。気をつけて……しかし、何があっても気を確かに持つのよ。いいわね?」 こんな現象を引き起こす原因は、恐らくただ一つ……『助けて……』 突然、誰かに服の裾を引っ張られ、思わず振り返る。自分達よりも一回り小さい、みずぼらしい姿の子供がそこにいた。それも一人や二人ではない。ざっと見たところ、三歳から八歳ぐらいの子供達がおよそ十人前後。辛うじて人の形は保っているものの、その輪郭は陽炎のようにぼやけて印象に残らない。名前を尋ねてみても、無言で考え込むだけだ。 子供達は皆一様に、怯え、震え、泣きじゃくっていた。『暗いよう……怖いよう……』『神父さまぁ……どこぉ……』 恐らく彼等は、二年前の『大災害』で犠牲になった、ここの孤児たちだ。長い暴霊化の果てに、明確な個の識別や記憶を失い、群集霊と化してしまったのだろう。『暗闇の中で……一人ぼっちになって……』『……大きな口に飲み込まれて……むしゃむしゃと食べられて……』『大きな柱が襲い掛かってくるんだ……先が丸っこいのと、平べったいのと……』『痛いよう……こわいよう……』『お願い……一緒に連れてって……』 幾人かの小さな子供の霊が、旅人達に抱きついてくる。彼等もまた、地上への帰還を待ち望んでいるのだ。 しかし、途中で待ち受ける恐怖に阻まれ、この二年間ずっと果たせぬままにいたのだろう。 絶望に打ちひしがれている暇は無い。このまま座していても、その先に待つのは「死」あるのみだ。 すがりつく子らの肩を抱き返し、旅人達は告げた。「一緒に、行こう」 かくして、『かつての子供達』と『永遠の子供達』の、決死の脱出行が始まった――。!注意!イベントシナリオ群『死の街へ』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『死の街へ』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
「おおぉ!?ちいそうなっちょう!」 記憶に残る幼き日の自分そっくりそのままの己の姿に、神ノ薗紀一郎は思わず驚きの声をあげた。 「わ。なんだか皆、小さくなっちゃった…?」 「一体、どうなってるんだ!?」 ルーノエラ・アリラチリフと相沢優も、突然の非常識な事態に驚愕する。いくら霊力が暴走していると言っても、さすがにこんなことは誰も想定出来ようはずがなかった。 皆が動揺する中、ただ一人桐島怜生だけが、待ってましたとばかりに不敵な笑みを浮かべる。 「ふっふっふ、こんな時にやることといったらただひとーつ!」 そう言うが早いか、怜生はやおら携帯電話を取り出すと、パシャパシャと自分の姿を写しまくる。文明の利器に慣れていない紀一郎にとっては、携帯というもの自体が物珍しい様子だ。 「おはん、ないばやってうんだ?」 「何って、せっかく二度と戻れない子供時代に戻ったからには、美少年時代を保存しないと世界の損失!」 思う存分写メしまくった後、辺りにチョークで落書きをしたり、セクタンの寿限無(略)と戯れたりと、暫くの間キャッキャウフフしていた怜生だったが、 「……何やってんだろ、俺」 そんな現実逃避も長くは続かず、シビアな現実にがっくりと肩を落とす。 「そうだよな……写メもバッチリ子供の姿だもんな……やっぱ現実を受け入れるしかないよなあ……」 「ど、どうにかして抜け出さないと、ええと、ええとどうしよう」 「落ち着きなされ、ルーノエラ殿。子供とはいえ一応ここでは最年長の我輩たちまで動揺しては、あの子たちを不安にさせてしまいます」 慌てふためくルーノエラを落ち着かせるように、ルト・キが声をかける。両生類と魚類を掛け合わせたような、この中では最も人間離れした外見をもつ彼も、やはり子供サイズに縮んでいるので、普段通りの慇懃な言葉遣いとのギャップが余計に滑稽にすら見える。 「とにかく、こう暗くっちゃどうしようもない。明かりを用意しないとな」 優はセクタンのタイムに命じて、狐火を灯す。紀一郎もターミナルで用意してきた懐中電灯を灯してみせるが、やはりこういった物の扱いには慣れておらず、おっかなびっくりといった様子だ。 ルーノエラも指先から小さな金の炎を出して、不安げな顔の子供たちに優しく微笑んでみせる。 「これ、母さんが教えてくれた道しるべの炎なんだ。大丈夫。みんなのこともきっと導いてくれるよ」 そして、小さな子供と化した旅人達は、迷える子供達の霊と共に、地下の暗闇の中を進んでいった。 ◇ 「もうすぐ……そこの角を曲がったところで、いつも突然あたりが真っ暗になるんだ」 一人の子供が指さす先に、白いモルタルの壁が見える。その壁の更に向こうには、漆黒の闇が広がっている。丁度曲がり角にあたる部分で、まるで切り取られたかのように、白と黒とが明確なコントラストを描いていた。 「……初めのうちはね、真っ暗な闇の中で独りぼっちになって、気がつくと最初の場所に戻されていたんだ……」 「『初めのうち』ということは、今は行けるようになったんだね?」 「うん、隣にいる子と手をつないでいったら、何とか抜けられた。でも油断して手を離すと、また独りぼっちになってしまうの」 「そうか、じゃあ、みんなで手をつないで行けばいい」 「はぐれんごっしっかい手をつなごうな」 優や紀一郎の言葉に、子供たちの群霊を含めた皆は同意する。あの闇はきっと、迷い込んだ者の『孤独』を増幅するものなのだろう。ならば、独りぼっちにならないよう、互いの存在を確かめながら行けば良い。 しっかりと、互いに手をつなぐ。唯一ルト・キだけは、自分のぬめぬめとした表皮がかえって子供たちに不快感を与えないかと心配していたが、どうやら『旅人の外套』の効果もあって「少し汗っぽい人」ぐらいの認識で受け入れられているようだ。 掲げた灯すらそのまま溶け込んで消えてしまいそうな深い深い闇の中でも、互いの手のぬくもりは、不安になる心をしっかりと支えてくれるように思えた。 「どうせなら、みんなで歌いながら行こうか」 沈黙が再び子供たちを孤独へ引きずり込まないようにと、怜生も提案する。普段なら少し恥ずかしいと思ってしまうところだろうが、どうせここには自分たち以外に聞く者はいない。何も躊躇う理由はなかった。 「じゃあ讃美歌がいい。神父様に教えてもらったの……せーの」 あさひのごとく かがやきのぼり みひかりをもて くらきをてらし つちよりいでし ひとをいかしめ つきぬいのちを あたうるために いまあれましし きみをたたえよ 子供たちの歌に合わせ、旅人達も共に歌う。 愛らしい讃美歌が、闇の中で明るく響き渡った。 「……なんとか、抜けたね」 漆黒の闇を抜け、周囲に再び僅かな光が戻る。全員の無事に、皆安堵の溜息を漏らした。 子供たちが落ち着いたところを見計らって、ルト・キは前々から思っていた疑問を口にした。 「そうそう……もし良ろしければ『あの日』ここで何があったのか、教えて下さいませんかな? その、無理に、とは申しませんが……」 子供たちは最初、当時の恐怖を思い出し躊躇っていた様子だったが、心強い仲間の存在に少しずつ心を許し、重い口を開き始めた。 「……あの頃のことはね、よく覚えていないんだ……。突然地面が揺れて、壁が崩れて、そして床がひび割れて、落ちて……」 「……怖いお化けが、いっぱい出てくるのを見たの……真っ黒で、耳まで裂けた口がニヤリと笑ってたの……とっても怖かった……」 「銃を持った男の人が、たくさん来るのが見えたような気がする……みんな同じ服を着て、強そうな、ちょっと怖そうな感じの……」 子供たちの証言はどれも曖昧で、災害の具体的な原因を特定するには至らないものばかりだった。彼ら自身、突然の非常事態にパニック状態だったのだから、無理もない。 その中で唯一、最後に得られた証言だけが、ルト・キの頭の奥で妙に引っかかっていた。 (銃を持ち、皆同じ服装をした屈強な男達……軍か何かの特殊部隊でしょうか?) しかし今は、それについて深く考える余裕はない。目下の最優先事項は、一刻も早く地上に戻ることなのだから。 ◇ 「でもね、本当に怖いのは、ここからなの……。さっきの暗闇を抜けても、次の『大きな口』か『大きな柱』のどちらかで、みんなやられちゃうから……」 怜生からもらったキャラメルを頬張りながら、子供の霊の一人が言う。 「……しばらく行くと、暗い闇の中に大きな口だけが浮かんでる場所があるの。運が良ければ走って逃げられないこともないけど、逃げ遅れたら捕まって食べられて……また元の場所に……」 キャラメルを食べ終え、再び歩き出す。しばらく行くと先の話通り、暗闇の中にぽっかりと大きな口が開いているのが見えた。 しかし、それを見た子供たちは、何故か不思議そうな顔をしている。 「あれ……? この前見たときより、ずいぶん小さくなっているような……?」 「前は、もっと大きかったの?」 「うん。前はもっと大きくて怖かったんだ。でも今はちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、あの時より怖い感じが消えている……」 「前より小さくなってるんだったら、上手く避けてすり抜けられないかな」 そう考えて、皆は一列に並んで抜き足差し足、慎重に進もうとするが、 『……ットォォォ……モオォォォッ……トオォォォォォォオ……』 「やっぱり、そう簡単には通してくれないか」 一歩踏み出した途端、大口はガチャガチャと音を立てて歯を噛みならし、低い唸り声を上げながら、こちらの方へとすり寄ってくる。見たところ、目や耳を含め、口以外の身体器官は一切見当たらない。目がなくてもこちらを視覚的に捉えられるのか、それとも何か別の感覚があるのかは分からないが、少なくとも敵や獲物の気配や存在を感じる能力はあるようだ。 注意を引き付けて逃げる隙を作るか、このまま完全に倒してしまうか。いずれにせよ、このままでは衝突は避けられそうになかった。 「ならば、我輩が囮になって奴の注意を引き付けましょう。その隙に、皆様で子供たちを」 そう言ってルト・キはトラベルギアの銛を掲げ、怪物に向かってわざと大仰に名乗りを上げた。 「これ以上幼子らに危害を加えると申すなら、我輩が相手をいたしましょうぞ。いざ、参られよ!」 ルト・キの挑発に乗ってか、大口は彼に向かって一直線に向かってくる。 「むん!」 粘膜の部分に勢いよく銛を突き立てると、ルト・キはその先端から毒を流し込んだ。しかし、 『……コォォォォレェェェェジャァァァナァァァァアイィィィ!!』 毒を受けた怪物は、おとなしくなるどころか、逆に凶暴な叫びを上げてルト・キに襲いかかった。 「何ですと……!?」 「危ない!」 大口に狙われ噛みつかれそうになったルト・キを、間一髪で優が突き飛ばす。 「かたじけのうございます、優殿」 「まずいな……あいつ、ますます凶暴化してる」 「きゃあああああっ!!」 地の底から響き渡るような恐ろしい咆哮に、幾人かの子供たちが恐怖し、しゃがみ込む。 紀一郎や優が援護に回るが、再び恐慌状態に陥った子供たちを庇うのに精いっぱいで、どうしても防戦一方になってしまう。特に紀一郎の場合、トラベルギアの日本刀「鬼薙」のサイズがそのままなので、小さな体ではバランスを取りづらく、扱いに苦労してしまう。 一方、前線から少し離れた場所で子供たちを守っていたルーノエラは、怪物の発する言葉の意味を考えていた。 (もしかしてあの声……『もっともっと』? そしてルト・キの毒を飲み込んだ時の叫びは……『これじゃない』……?) 「分かった! あの口はきっと子供たちの『飢え』が具現化したものなんだ!」 「そうか! それなら……ほら、好きなだけ食え!!」 怜生は残りのキャラメルを全て握りしめると、大口の中へ放り込んだ。薄紙に包まれたままなのも構わず、大口はグチャグチャと咀嚼音を立て、放り込まれたキャラメルを飲み下す。 一瞬の沈黙の後、 『……ア…マアァァァァァアァァァイィィィィイィィ……』 大口の怪物は満足したように一言叫ぶと、それまでの凶暴さが嘘のように、一瞬のうちに霧散していった。 「やったか……」 大口が完全に消え去ったのを確かめると、怜生は安堵のあまり、へなへなと床に座り込んだ。 「申し訳ございません。かえって皆さんにご迷惑をおかけしてしまいまして……」 「おはんの責任じゃなか。あん化け物は倒したのだし、あまい気にすうな」 ばつが悪そうに頭を下げるルト・キを、紀一郎が気遣う。 「それにしてもあの化け物、タネさえ分かれば意外とあっけなかったな」 「仕方ないよ。あの子たちは怖くてそこまで思いつかなかっただろうし、食べ物だってそう都合よく持ってるわけじゃないもの。とにかく、暗闇と大口の二つの罠は抜けたんだ。僕たちもきっともうすぐ地上に戻れるよ。だから最後まであきらめずに頑張ろう!」 ルーノエラの言葉に、ようやく足に力が戻った怜生も立ち上がり、一行は再び歩き出す。 ◇ 更に歩を進めると、一行は大きな広間のような場所に出た。 そこは何もない、殺風景なところだった。対極にあるはずの壁すらも見えず、ただ虚ろな空間だけが、漆黒の闇へと吸い込まれるように、無限に広がっているように思える それでも、本当に僅かにだが、頭上から漏れる光が、ほんの少し明るく、強くなっている気がする。確実に地上へ、上の層へ近づいているということだろうか。 「僕たち『全員で』ここまで来れたの、初めてだ……」 「今までは、暗闇か大きな口のどちらかで、誰かがいなくなってたから……」 「そっか。ならもうちっとで外じゃっで、きばれよ」 勇気づけるように、紀一郎が肩を叩く。しかし程なく、子供たちの表情は再び絶望の色に染まる。 「でも……最後の『あれ』だけは駄目だった……」 「怖くて、足がすくんで、逃げることも出来なくて……」 「『あれ』とは、襲いかかってくる柱、というやつですかな?」 ルト・キの問いに、子供たちは無言で頷く。その様子にルーノエラは『襲いかかる柱』そのものへの恐怖以上に、彼らの心のもっと奥深いところから湧き上がる『根源的な恐怖と絶望』の存在を感じ取っていた。 「……来た!」 子供たちの叫びとほぼ同時に、一行の目の前に突然、太く大きな柱状のものが現れた。 それは天井の方から、勢いよく床をめがけて降り、ズーンと轟音を響かせて地面にめり込んだ。もし一瞬でも反応が遅れていたら、誰かが潰されていただろう。 「……危ない!」 安堵する暇もなく、今度は横合いから、別の柱が一行を薙ぎ払うように襲いかかった。慌てて子供たちを抱えて床に伏せ、すんでのところでやり過ごす。 「どこから来るのか分からないとは……これはまた厄介ですな」 「だからって、ここまで来て諦められるかよ!」 縦横無尽に襲いかかる巨大な柱をかいくぐりながら、旅人達は一歩でも先に進もうとする。 しかし、恐怖に怯えるか弱い子供たちの霊を庇いながらの行程は、とにかく「ぶつからないよう注意する」ので精いっぱいで、とても正しい方向を見定めて「目的の出口に向かう」どころではなかった。時々怜生がチャージ氣弾で柱を吹き飛ばすが、倒した端から柱は無尽蔵に現れてきてきりがない。全て倒すのはとてもじゃないが不可能ではないか、と思えるほどに。 「もう駄目だよ! 僕たちみんなここで死んじゃうんだ!」 「大丈夫、落ち着いて。僕たちがついているから!」 恐怖と絶望ですっかりパニックに陥った子供たちを背後に下がらせ、優は襲ってくる柱群の動きを注意深く観察する。柱には、先端が少しでこぼことした鉄球状になっているものと、先端がギザギザとした板状のものの二種類がある。丸い方は上から降ってくるのに対し、平べったい方はやや斜め上方向から、横殴り気味にこちらを狙ってくるようだった。 (この動き……もしかして) 優と共に柱の動きを観察し、子供たちをその動きから外れた場所へと誘導していたルーノエラは、先の大口の時と同様、再び何かに思い至る。 「気をつけて! あの柱は『この子たちを虐待していた大人たち』なんだ! 先が丸い方が拳で、平べったい方が平手打ち。怖い大人たちへの、逃れられない恐怖が、あれを作り上げたんだ!」 発せられたルーノエラの言葉に、皆はっと気づく。確かに、この教会へと流れついた子供たちは、心ない大人たちから慢性的に暴力を受け続けていた者が大半を占めていた。血を分けた実父母、引き取られた先の継父母、人身売買で儲ける闇組織の男たち……その相手は様々だったが、いずれも決して覆すことのできない、絶対的な権力と暴力で、子供たちを蹂躙し続けていた者たちだ。 その時突然、一人の子供の頭上に、先端の丸い一本の柱――拳が襲いかかってきた。 「やらせん、やらせんとよ……!」 思わず、紀一郎は飛び出し、今まさに押し潰されようとしている子供を胸にかき抱いた。 身代わりに自分が潰されることなど、思考の端にも上らなかった。 考えるより先に、体が動いていた。 彼に続くように、優も、ルト・キも、怜生も、ルーノエラも、誰もが皆自らの身の危険を省みず、子供たちに覆いかぶさり、庇う。 「がはっ……!」 背中に激しい一撃を喰らい、意識が飛ぶ。 身も心もえぐられるような、へし折られるような激痛。 ここまでなのか? ここで死ぬのか? それでも、この子だけは。どうか、この子たちだけは。 庇った胸の表面に僅かなぬくもりを感じながら、彼らの意識は闇の中に落ちて行った……。 ◇ 「うぅ……ん?」 気が付くと、旅人たちは薄暗い宵闇の中にいた。 じっと目を凝らすと、そこが荒れ果てた教会の中だと分かる。 壁はところどころ剥がれ落ち、床板はひび割れて、でこぼことした下の地面が剥き出しになっている。 ボロボロになった祭壇や長椅子が倒れ、出鱈目に散らばっている。 「戻って……きたのか?」 現状を把握し、ふと自分の手を見ると、 「……おおぉ!? 元に戻っちょう!」 紀一郎の叫びに、他の仲間たちも自分の姿を改めて確かめる。 確かに彼らの身体は、ここを訪れるより前の、元の大人の姿に戻っていた。 「俺たち、助かった……のか?」 「そうだ、さっき写メした、この僕の美しい幼少のみぎりを……」 あの時のワクワクした感覚をふと思い出して、怜生は携帯のデータフォルダを開くが、 「……無い!? そんな、あの時確かに写したはずなのに!」 がっくりと肩を落とす怜生。写っていないどころか、そもそも当時の時間帯に撮影されたフォトデータすら存在していなかった。 「ひょっとして……ははぁ、なるほど」 再びポケットをまさぐり納得する。あの時、子供たちと怪物に全て与えたはずのキャラメルは、未開封のまま全部残っていたのだから。 恐らくあの時から、自分たちの本来の肉体はずっとこの地上で眠っていて、魂だけが子供の姿になって引きずり込まれていたのだろう。キャラメルや携帯、そしてトラベルギアも含め、あの場に持ちこめた所持品は当時の記憶を元に再現されたもの、といったところか。ならば衣服だけが都合よく子供サイズに縮んでいたのも合点がいく。 ともあれ、無事の帰還と、元の姿に戻れたことに安堵し、互いの無事を喜び合う一行だったが、 「あ、でも……あの子たちはどこ?」 さっきまで一緒にいたはずの、子供たちの群霊だけが見当たらない。一体、彼らはどうなったのか……。 その時、旅人たちはいつしか色とりどりの光が、自分たちの上に降り注いでいるのに気づいた。 見上げると、奇跡的に破壊されずに残った、聖母の描かれたステンドグラスが、遥か天上の月明かりに照らされているのが見えた。 神に祝福されし愛し子を抱き、心安らかに微笑む聖女。 その瞳は、腕の中の子をいつも優しく見守ることだろう。 その胸は、飢えと渇きを満たしてくれる、甘く暖かな乳を与えてくれるだろう。 その腕は、我が子を優しく包み込み、全ての災厄から守ってくれるだろう。 それは、全ての人が普遍的に抱き、求めてやまぬ母の面影。 いつしか暗い闇の中に、一人、また一人と、燐光のように薄ぼんやりと光る、子供たちの姿が浮かび上がってきた。 『お父さん……お母さん……』 『神父さま……シスター……』 『やっと……やっと会えた……』 子供たちは皆、光の聖母を見上げ、一歩、また一歩と歩み寄る。 死して尚、孤独と恐怖と暗闇の中で怯える日々を送っていた、かの子等の求める全てが、そこにあった。 聖母が彩る光の先に見えるのは、既に神の御許に召された、愛しい人々の面影か。 ふわり。 子供たちの小さな体が宙に浮かび、そのまま上空へと引き寄せられてゆく。 一人、また一人と、子供たちの霊は、光に溶け込むように消えてゆく。 まるで皆、硝子の聖母の胸に抱かれるように、安らかな笑みを浮かべ。 「あの子たちも、無事に戻ってこれたんだね……」 「今度こそ、天国で幸せになれるといいな……」 最後の一人を見送った後、ふと足元に目がとまる。聖母の光が照らす先、床板が剥がれて露出した土の上に、小さな若芽が芽吹いているのが見えた。 目を凝らさないと見逃してしまいそうな、小さな、小さな新芽。 その小さな芽が、ひとつ、またひとつと、黒く冷たい土を押し上げ地上へと顔をのぞかせている。 いつか天を目指し、力強く、すっくと立ち上がろうとするかのように。 そんな小さな命の息吹を、光の聖母は優しく、慈しむように見下ろしていた。 ◇ 現実世界への帰還後、一通りの調査と子供たちへの弔いを終えた一行は、教会の外へ歩き出す。 「結局館長や、オリガさんが言っていた『人影』の手掛かりは無しか……」 「しかし、全くの無収穫、というわけでもないでしょう」 肩を落とす優を慰めるように、ルト・キが言う。彼が言う『収穫』とは、子供たちから聞いた「銃を持った男たち」の話だろう。とは言え、ただでさえ恐怖に我を失っていた子供の話ゆえ、その内容は『情報』とするにはあまりにも漠然としていて、他の班が得た情報と突き合わせなければ何とも言えないものではあったが。 「それに、おい等がおらんかったら、あん子らは今も暗ぇ闇の中で怯えちょった」 「そうだね。あの子たちも僕たちと同じように外に出たがってた。そして両親や神父様に会いたかったんだ。もしあのまま閉じ込められてたら、無念と恐怖に凝り固まって、本当の意味で悪霊になってしまったかもしれない。それに……最初にここに来た時よりも『嫌な感じ』が減ってる……ような気がする」 紀一郎、そしてルーノエラの言葉に、皆は深く頷く。確かに、完全払拭は叶わぬまでも、今までこの『美麗庭園』に充満していた禍々しい霊力の気配は、僅かに和らいでいるように見えた。自分たち以外の班も、どこかで事件を解決したのだろうか。 「……帰ろう。みんなが待っている」 このインヤンガイは、悪意に満ちた都市である。 弱肉強食の摂理の下、強い者が弱い者を容赦なく蹂躙し食らう光景は、この背徳の地ではありふれたものだ。 予期せぬ災厄の前に、残酷な運命の前に、絶望的な恐怖の前に、 そして、その更に奥で蠢くドス黒い闇の前に、弱く小さなものはあまりにも無力だ。 それでも、あの教会で最後に見た、小さな緑の芽吹きのように、 荒れ果てたこの地にもいつか再び緑が溢れ、子供たちの希望に満ちた笑い声が響きますように。 そう願いながら、旅人たちはロストレイルへと帰還した。 <了>
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