オープニング

 インヤンガイから戻ったアリッサは、執事に向かって言った。
「司書たちを集めて」
「かしこまりました。……インヤンガイで何か?」
「……おじさまの行方がわかったかもしれないの」
 執事のおもてが、はっと引き締まる。
 世界図書館の本来の館長である人物が、消息を断ってからすでに六年が経過していた。
 今までも、手がかりらしきものがなかったわけではないが……今回は、ほんの数カ月前の目撃情報であるという点で、アリッサたちの注意を引くのに十分だった。

「というわけで、みんなには、インヤンガイに向かってもらいたいの」
 アリッサはロストナンバーたちに言った。
「行き先は『美麗花園(メイライガーデン)』っていう場所。名前はきれいだけど、今は人間は誰も住んでいない廃墟の街区よ。二年前から、ここは『暴霊域』っていう生きた人間はとても立ち入れない地域になってるの。おじさまがそんな場所に本当にいるのか、いるとしたらどうしてなのか……誰の『導きの書』も手がかりはくれなかったわ。でも――」
 危険は承知で、この廃墟の街の探索をしたい、それが世界図書館からの依頼であった。
 街区は広いため、いくつかの小集団に分かれて探索を行う。現地までは、今回はロストレイルで乗り付けることとなった。地下鉄の廃線が美麗花園の地下にも伸びているという。
「各チームの探索ポイントについては、担当の司書さんから説明してもらうね。それじゃ……、お願い」

***

「インヤンガイにて行方不明だった館長の目撃情報が入ったと言う話は、皆様既にお聞きのことかと思います。そこで今回皆様には、館長の手がかりを探るべく、美麗花園の探索をお願いしたいのです」
 以前に会った時から一ミリの変化もない平坦な声で、リベルは「導きの書」が示す事実を淡々と告げる。
「皆様に探索して頂きたいのは、かつて華華娼楼と呼ばれていた富裕層向けの巨大な店舗です。この店は」
 そこまで言って、リベルの口が一刹那、動きを止める。鋼色の光を宿す瞳が集まった旅人達を横断し、適切な言葉を探して唇が小さく開閉する。旅人達の内鋭敏な何人かが彼女にしては珍しい挙動に眉を顰め、続く言葉にその理由を察した。
「この店は、表向きは金銭を対価に女性店員が接待を行う飲酒店でした。ですが裏の部分、地下では随分とえげつない遊興商売をしていたようです。元は地上数階建てでしたが、現在地上部分は完全に崩落しているため、調査の必要はありません」
 リベルの言い回しは年若い旅人達に配慮してか、酷く婉曲であちこち省略されていたが、それでも潔癖な者は嫌悪の表情に顔を歪ませた。
 余計な言葉を取っ払えば、要するに目的地は金持ち相手の売春宿だ。
「なので皆様には、地下部分を重点的に調査をして頂くことになります。完全な崩落は免れておりますが、建造物の老朽化は今なお進行中ですので、くれぐれも準備と警戒を怠らないようお気をつけ下さい」
 もう一つ注意して頂くのは、とリベルの手が導きの書の開いた一ページを指先で辿る。
「美麗花園は暴霊域です。そのためこの施設内にも暴霊が多数存在しています」
「数は?」
「不明です。正確には、数えても意味がないほど大量に住み着いています。大きさは壱番世界の単位で三十センチほどで、強敵ではありませんが非常に数が多く、また皆様を見つけ次第襲いかかってくるので苦労が多いでしょう」
 手元のトラベルギアやセクタンを目盛りに、敵の大きさを確認する旅人達。どちらかと言えば小型の部類に入るだろうが、リベルはその暴霊についてそれ以上何も語ろうとせず、ただ少し、元から悪そうな顔色がさらに輪をかけて青いようだった。
「そして」
「そして?」
「この店の地下深部に、巨大な脅威が存在しているようです。それがどのようなものかまでは分かりませんでしたが、十分お気をつけ下さい。……お伝えできることは以上です。この依頼の危険を承知した上で受けて下さる方は、どうぞ前へ」
 旅人達の反応は様々だった。自らの能力が生かせないと悟った者は肩をすくめてその場を去り、これはと言う者は前へ。多くは互いに囁きを交わし、とりあえずはことの行く末を見届ける心積もりのようで。
「……揃ったようですね。ではチケットを」
 お渡ししますと続くはずだっただろう言葉は、ひゅっと短く息を呑む音と、書をめくるせわしない作業に取って代わられた。リベルの目が素早く紙の表面を往復し、ぴくりと眉が動く。
 青い唇から漏れるのは小さなため息。
「……申し訳ありません、事態が変化しました。先日から私用でインヤンガイに赴いている、長手道もがもと言うコンダクターいるのですが、彼が単独で華華娼楼へ向かおうとしていると導きの書が予言しています。アリッサの調査報告書を読んで先走ったのか、誰かからトラベラーズノートでこの場所を教えられたのか……」
 トルコ石の瞳に硬質の物が宿り、遠巻きにことの収まり所を眺めていた者達が、薮蛇はごめんだとばかりに散る。
「……大丈夫なんですか、その人? 暴霊域なんですよね?」
「大変危険です。皆様には手間をかけますが、調査のついでに合流して頂けますか。今からですと彼が地下へ浸入してすぐには合流できるでしょう。もう一つ、彼は近い未来『厄介ごと』と接触します」
「厄介ごと……」
「ええ、厄介ごとです。ですがその厄介ごとは、皆様の行動次第で今以上の良い結果をもたらすと、導きの書は告げています」
 どのような行動がそれを引きだすかまでは分かりませんがと言葉を結び、再度、導きの書が閉じられる。
 顔を見合わせつつホームへ、あるいは装備を整えにターミナルへ走る旅人達の背後で、導きの書はもう何を語ることも無く、リベルの手の中でざらりとした表紙をさらしていた。

 ***

 瓦解した街を歩く。靴の下、ごりごりと元はビルだった物が悲鳴を上げるが、幸い俺は無機物相手の読心術には不勉強だったので、悲痛な叫びに気を取られること無く先に進むことが出来た。
 元は地上数階建てだったそうだから、積もる瓦礫の量も多い。どこもかしこも一目では要因の知れない力で引き裂かれ、割れ、砕けていた。
 美麗花園と言う割りにどこも美しくないし花もないのは、詐欺だとしか言いようがない。それともここから見えないだけで、どこかにメイライなガーデンがあったりするのだろうか。
 伏せていた顔を上げる。視界一杯に広がるのは、灰色の資材と赤錆びた鉄骨で構成された建物の過去形と、黒々と闇を覗かせる廃墟の現在形。ため息を一つ、足場の悪さに舌打ちをする作業へ戻る。見下ろす視界の端で「華華娼楼」のあちこち欠けた炎の意匠の看板が塵を被っていた。これも花と言えば花か。
 一歩踏み出した瞬間、瓦礫が雪崩を起こす。ふらつきながらも姿勢を保ち、転がるビルの破片を眼で追う。こぶし大の大きさの石は小石を巻き込みながら看板に当たり、浅い残響音が広がった。
(……下が空洞になっているのか?)
 厚い木の板に彫られた看板に近寄る。ぐるりと周囲を回ると、瓦礫との間にわずかな隙間が開いていた。子どもなら入れないこともないのだろうが、俺には頭を突っ込むのが精一杯だ。
 粉塵漂う暗闇の中、元は白かったと名推理のしがいがある埃塗れの螺旋階段が、闇の底へと吸い込まれるように伸びていた。引きずるようにして看板をずらし、出来た隙間に身体をねじ込む。あちこち腐食して踏み出す度に不吉な音を立てるので、必然亀かナメクジと変らない速度で移動する羽目になる。振り返ると、埃の階段に俺の足跡だけが点線のように続いていた。
 トラベルギアを起動。長く伸びる光が、塗料のはげた壁とちぎれた紗幕、縦横に走るひび割れを浮かび上がらせる。探索中に崩落しないことを祈りつつ、階段の半ばまで下った時だった。
 トラベルギアの光の届かないどこか奥まった場所から、争うような声が響いてくる。次いで急き立てられるような足音と息遣い、闇の中を低く蠢く何かの移動音。
「だ、誰かっ……助けて……!」
 紛れもない悲鳴に、階段から身を乗り出す。トラベルギアの光量と照射範囲を増幅。サーチライトとなった二つの目をさ迷わせ、捉えたのは子どもの姿。
 ボロ布をまとった子どもが、何かから逃げていた。頭上に見える数字はインヤンガイの真理数。暗闇を貫く光が眩しいのか手をかざし、絶え絶えな息の中「助けて」と繰り返し、俺の元へと駆け寄ってきた。
 子供を追う存在に目を向け、それが何なのか正しく理解してしまった俺の喉から、押し殺しそこねた悲鳴が上がる。
 最初、俺はそれを芋虫なのだと思った。ぶよぶよと水の詰まっていそうな皮膚は薄く、赤と青の血管が透けていて、目の中で混じった二色が皮膚を紫がかったものに見せている。
 それ等が床や壁の低い位置を密集して這いずる様子は、女性なら悲鳴を上げただろう。だがその後明らかになる事実を知っていたなら、むしろそれが虫であってくれと願わずにいられなかったことを、俺は断言する。
 それは赤ん坊だった。目も開いておらず、全身をぬとぬとした粘膜で覆われた、生まれたての……否、生まれてもいない異形で未分化な器官を備えた胎児だ。
 誤解のないように言っておくと、俺は赤ちゃんが嫌いじゃない。ずっと昔に見た生まれたばかりの弟の顔は猿っぽくぐしゃぐしゃとしていたが、それでも愛しかった。
 だがこいつらにはおぞましさしか感じなかった。理由はすぐに知れた。全身が腐り爛れて、所々に黄ばんだ骨が見えている。光に気付いたそれ等が、開いていない飛び出し気味のまぶたをこちらに向け、皺っぽい顔ににたりとした笑みを浮かべる。その口中には鮫に似たノコギリ状の歯がびっちりと生え揃っていた。肉を噛み千切るのに良さそうな歯だった。
 暴霊、の二文字が脳裏を駆け抜ける。
「――君、こっちきて、早く!」
 階段を三段飛ばしで駆け下りる。赤子は子どものすぐ真後ろまで迫っていた。階段の下は広々としたホールになっていて、紫色の顔の大群が、朽ちた家具に粘液の足跡を引きながら俺たちを包囲する。
「絶対に目ぇ開けないで!」
 言いざま子どもの手を引き、胸に押し付けるようにしてかき抱く。一直線に閉じられた赤子達の目はそれでも全てが俺たちに注がれていて、口の端から唾液だか胃液だが知れない緑黄色の液汁が零れ落ちる。吐き気を堪えながら、俺はトラベルギアの出力を一瞬だけ最高値まで押し上げた。
 目もくらむ閃光が室内の様子を浮かび上がらせ、すぐにホワイトアウトする。トラベルギアの眼鏡は俺の許容量を超える光は遮断してくれるが、それでもきつく目を瞑らないと堪えられそうになかった。
 もしも赤子が音を頼りに俺たちを追っていたら、とぞっとする考えに背筋を冷やしていた俺は、ぎゃあぎゃあと言語化しづらい喃語が聞こえる頃、ほうと安堵に息をついて目を開き……また閉じたくなった。
 広いホールのそこここに、ぐちゃぐちゃの赤子が転がっている。閉じた目からは赤黒い血が流れ、勝手な方向に這い歩いては他のそれにぶつかることを繰り返す。網膜が焼けているのかもしれない。まじまじと見ている気にはなれず、すぐに視線を逸らす。色々な意味で気分の悪い光景だ。
 腕の中の子どもが身じろぎする。よく見ると片目が包帯に覆われていた。残った一方の目が数度瞬き、俺を見上げた。俺は子どもの眼前に指を突きつける。
「この指何本に見える?」
「え……三本です、けど」
「良かった、目は大丈夫みたいだね」
 腕で庇ったとは言え、間近で閃光弾並の光を発せられたのだ。元々数秒の足止めにしか使えないが、何かしらの視力障害が起きることもありえる。よろよろと再び這い出したそれから逃げるように、二人階段の半ばまで戻る。
「あの、オレ、ウーと言います。助けてくれてありがとうございました」
「俺はもがも。ウー君、どうしてこんな所にいたの? ここって閉鎖されてるよね?」
「オレの弟が、ここへ迷い込んでしまったんです。暴霊がいるのは知ってたんですけど、心配で……それで、中を探していたら……」
「……こいつら、何?」
 それ、とまだピクピクしている胎児を指差すと、ウーはぎゅっと眉をしかめてボロボロの服の裾を握りしめた。
「……分かりません。急に襲われて……食い殺されると思って逃げてきたんです……あの」
「ん?」
「勝手なお願いとは分かっているのですが、あの、弟を探すのを手伝ってもらえませんか?」
「んん……」
 助けてあげたい、とは思う。だが俺に「あれ」のひしめいているだろうこの地下を自由に歩きまわれる力があるかと言えば、少々自信が無い。さっきのように閃光で目を焼くことくらいは出来るだろうが、あれ以外にも暴霊がいないとは限らない。
「……やっぱり駄目、でしょうか」
「や、駄目って訳じゃないんだけど……あ、そうだ。ウー君ってここ来てからどれくらい経ってる?」
「え……」
「実はさ、俺もここにちょっと探しごとがあるんだよね。俺はそんなに強くないけど、これから来る人達はきっと強いから、またあれが襲ってきても、君を守ってあげられると思うんだ。どうだろ? 交換条件ってことで」
 道案内頼めないかな? と安心させるように笑うと、ウーの口元が緩む。
「分かりました。案内、しますね。どこへでも」
「うん、ありがとう」
 頭上にぱらぱらと埃が落ちる。見上げると、看板のあった場所からこちらを覗き込む人影が見えた。特徴的なシルエットに、すぐに世界図書館から派遣された旅人だと分かる。手を振ると、振り替えしてくれた。


!注意!
イベントシナリオ群『死の街へ』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『死の街へ』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。

品目シナリオ 管理番号381
クリエイター錦木(wznf9181)
クリエイターコメント どうもです、錦木です。
 そんな訳で美麗花園の美の字も無い、埃と血肉に塗れた廃墟探索はいかがでしょうか。

 OPの最後にもがもが見た人影は、参加PCの皆様のものです。
 今回はNPCの長手道もがもが(厄介ごとに巻き込んだ身でおこがましい限りですが)探索をサポートします。OPにある通りもがものトラベルギアは照明代わりに使えますが、本人が気絶等すると効果が発揮されませんので、どうか代替手段をご用意下さい。

 目的は調査ですが、だからといって戦いへの備えが疎かになるとアレな目に合います。なので何かそれっぽいものを用意しておくと良い感じかと思います。
 キャッチコピーの意味は多分リプレイで明らかになります。
 OPは読み込んでおくと良い感じだと思います。

※今回、都合によりプレイング受付日数が短くなっております。お気をつけ下さい。

参加者
黒燐(cywe8728)ツーリスト 男 10歳 北都守護の天人(五行長の一人、黒燐)
プレリュード(cepu5863)ツーリスト 女 27歳 魔法使い
李 飛龍(cyar6654)コンダクター 男 27歳 俳優兼格闘家
龍臥峰 縁(crup9554)ツーリスト 男 36歳 エンキリ
ダルマ(catc7301)ツーリスト 男 34歳 バーの店長
音成 梓(camd1904)コンダクター 男 24歳 歌うウェイター

ノベル

【1.見解】
 細かな振動が、足元を揺らす。どこか遠くで別のチームが戦うちゃあるかと心中呟きつつ、龍臥峰縁は静かな動作で、地下へと伸びる階段に足跡をつけ続ける。
 螺旋の半ば、先行する点線の足跡の先。リベルの言っていたコンダクターだろう若い男が、能天気そうな笑顔で手を振りながら駆け寄ってくる。
「初めましてーオレ長手道もがもって言います。良かったー思ったより早く会えて! しかも何か皆、強そーだし!」
 全く、この男は。暴霊まみれの美麗花園に一人、乗り込んでおいてこの言い草だ。流石に小言の一つでも言っておきたくなって口を開いた縁をついと追い越して、李飛龍がもがもの腕を掴む。筋張った武人の手のひらだった。
「おまえ……死ぬ気か? ここに単独で入るとは」
 縁の思っていたことを、そのままぶつけてくれた飛龍の声は低い。優しい男なのだな、と思う。道中も何かと先走ったもがものことを心配していたし、すれ違う一瞬垣間見えた飛龍の横顔に浮かんでいたのは、確かに安殿の色だった。
「でも、大丈夫だったじゃないですか。それにほら、一人じゃないっすよ。ほらウー君、この人達がさっき言った強い人だよー」
 だが飛龍の気遣いももがもには通じていなかったようだ。飛龍の顔が今度こそ引きつるが、もがもは気付きもせずにへらりとした笑みを浮かべると、背後へ向かって言葉を投げる。
(――あの童が「厄介ごと」かぇ) 
 厄介ごとは子どもの姿をしていた。ひどく痩せていて、男か女かも判別がつきにくい。片目は包帯に覆われていたが、残った一方の目には年に似つかわしくない、激しい警戒が浮かんでいる。縁と目があうとさっと隠れた。
 厄介ごと――ウーと呼ばれた少年の身体から立ち昇るぼんやりした糸状のものに、今度は縁が目を細める。糸は埃の合間を縫って地下の深く、華華娼楼の奥まった所へと続いていた。
 縁には人の間にある《縁》を見る力があった。結びつきが深いほどそれはしっかりとした像を結び、ウーから伸びるそれは中々の強度を持っている。
「ウー君はインヤンガイの子なんですけど、彼の弟がここのどっかにいるらしいんです。案内してもらう代わりに、一緒にウー君の弟探してもらえませんか?」
「こんなところに? 一人で?」
 驚きの声をあげたのは音成梓だ。先ほどまでダルマにくっついて怯えた小動物のようにしていた彼だが、ウーの置かれた現状は聞き捨てならなかったのか、掴んでいた服の裾から手を離してウーの側へと寄る。
 子どもが迷い込んでいると知り、プレリュードとダルマも縁を追い越ししてウーを囲む中、縁は一歩引いた位置で埃に塗れた空気を見ていた。
 ウーの言っていることには筋が通っている。なるほど確かに身内ならそれなりの《縁》もあるだろう。だが縁にはその言葉を信じる気は毛頭なかった。
 その証拠に、華華娼楼への入り口はここしかない。
(……まァ、最後まで行ったら分かるやろかぇ)
 敵にならないならそれも良いだろう。
 ふと視線を感じて出所に目を向けると、同行者である黒燐が黒い薄絹の向こうから、あるいは薄絹に描かれた単眼模様に視線を宿らせて縁を見上げていた。
「龍臥峰さん、何を考えているの?」
「……大したことやなか」
「ふうん。そう」
 なら良いけど、と含みのある言葉とぺたぺたした足音を共につれ、紫衣が翻る。
 どこか遠くの衝撃で、また床が揺れた。

【2.絶叫】
 ぐるぐるとめまいのする階段を下りた先は、だだっ広いホールになっていた。壁際には、紗幕を円形に垂らした個室のような空間。真ん中にはプールだろう四角い穴が幾つも開いている。
 腐ってボロボロになった絨毯を、梓は一歩ずつ進む。胸に抱えたトラベルギアの銀盆をきつく抱きしめた。ひんやりした金属の冷たさ以上に指先が冷え切っている。
(こっわああああああ!)
 館長の手がかりにウー君の弟、早急に見つけなければならない相手が多いのは分かっているが、何もバラバラに探さなくたって良いと思う。正直。
 勿論ホールは見通しがきくし、各々持ち込んだ光源で、振り返ればいつでもそこに同行した仲間達の姿を見ることができる。だがこんなホラーシチュエーションで背後を見れるほど梓は肝が据わっている訳でも死亡フラグを立てたい訳でもない。
「う、ウザがられてもダルマさんにくっついてれば良かったかな……」
 今となってはもう遅い。ダルマはウーと共にごてごてと装飾過多な(華華娼楼の廃材を利用したせいだろうか)ゴーレムを引き連れて、奥まった位置にあるプールの底を歩いている。ここからだとプールは光の届かない闇がたっぷり波打っているように見えて、とても近寄る気になれない。
 幻火をまとったセクタンのレガートが、心配そうに梓を見上げてくるのに強張った笑みを返しつつ、梓はついに紗幕で囲まれた個室へと辿り着いた。よく見ると紗幕に囲まれた内側にあるのは円形の、かつてはふかふかしていただろう古ぼけたソファだ。あちこちに染みのような跡がついている。
 紗幕はほとんどがぼろきれと化していて、軽く引っ張ると綿菓子より軽くちぎれた。いくら廃墟だからって流石に古ぼけすぎてやしないかと、わずかな疑問を感じつつ、梓はそろそろと紗幕の中に足をさしいれる。
 レガートがててっとソファの上に飛び乗って周囲を照らす。梓が手足を投げ出してもはみ出さない大きなソファだ。ベッドといった方が良いかもしれない。床には陶器の水差しの破片や、絵画の中で果物を載せていそうな金属のお盆が転がっていた。
 どうやらここにさっきの、あのグロテスクな赤ん坊はいないらしい。いつの間にか詰めていた息を吐き出す梓の首筋を、ぴちゃりと何かが濡らす。
「ひっ!?」
 びくり、大げさに肩が跳ねる。反射的に当てた指先には粘ついた感触。嫌な予感がする。それも壮絶に。そろそろと眼前に持ってきた指先に絡むのは、黄色と緑の混じった液汁。
 無意識に一歩、後ずさっていた。確かめたくないと思っても、首はゆっくりと持ち上がり、ぼんやりと照らされた紗幕の頂点へ梓の目を吸い付ける。
 奴らはそこにいた。
 闇に溶け込む紗幕の裏にみっちりと、顔、顔、顔……。赤く爛れた顔、ぐちゃりと潰れた顔、血の気の失せた白い顔。色の異なる小さな顔が、斑に天井を埋め尽くしていた。
 にちゃり、赤ん坊達が笑う。口の中にびっしり生えた細かな歯をむき出して。
 そこが限界だった。
「ひぎゃああああああああああっ!?」
 もつれそうになる足を必死で動かして逃げる。ぼたぼたと何かが落ちる音がしたが、振り返らない。でも粘着質な這いずり音で、奴らが梓に肉薄していることは分かる。滅茶苦茶に銀盆を振り回すが奴らは足元だ。そういえばレガートを置いてきてしまった。暗い。自分はどこにいるんだろう。早鐘のように胸を打つ心臓の音だけが感覚の全てで、目が開いているのかも分からない。
「梓さーん、避けてねー」
 暗闇に白い戯画的な目玉が浮かび上がり、梓の肩越しに腕が突き出される。梓に飛びからんとした赤ん坊の眼窩に二本の指……ではない。爪だ。長く伸びた鋭い爪が差し込まれていた。黒燐の袖が振られ、爪先に引っかかった赤ん坊が投げられる。それに巻き込まれて別の赤ん坊が転がった。
 黒燐が身をかがめる。低い位置の赤ん坊を狙って腕が振り抜かれ、赤ん坊の鼻先から上が数人まとめてずるりとずれる。梓はぱっと顔を背けた。いくら暴霊とは言え、赤ん坊の死体を直視できるほど梓は強くない。
 背けた視界の中、暗闇にプレリュードの横顔が浮かんでいた。三角形の刃を備えた短剣がカンテラの光に淡く光り、唇からは歌のような音が漏れ聞こえる。
 短剣から青白い炎が上がる。清い炎だと思った。それが蛇のように立ち上がり、赤ん坊達の群れに殺到。小さな身体はすぐに崩れ、焼け爛れた叫びを残して赤ん坊は残らず動かなくなった。
「……天国へ逝けることを、祈るわ」
 静かな呟きがプレリュードの唇をすべり落ちる。
 震えていた足から力が抜けて、絨毯に落ちた。難を逃れていたレガートが擦り寄ってきても今一つ現実感がない。何が起きたか処理するにはまだ時間が足りないらしい。
「梓さーん、大丈夫?」
 腐汁にまみれた指先を振りつつ、黒燐が梓の隣にしゃがみ込む。かくり、布に描かれた目が傾いて梓を見上げた。
「こ、こくりん君……」
「もう大丈夫よ、梓さん。あの子達はもういないわ」
「……プレリュードさん……」
 梓を安心させるように笑みを浮かべ、梓の頭を抱くプレリュード。じんわりと伝わる体温に、目の奥がツンとする。ヤバイと思ったときにはもう遅く、ポロッと一粒涙が零れ落ちていた。
「ああ、泣かないでー梓さん。男の子は泣いちゃ駄目らしいよ。ほらクッキー食べる? あなたが持ってたやつだけど」
「あ、ありがとう黒燐君……でも口の中ぱっさぱさになりそうだから良いや……」
 ただでさえ水分浪費中なのに、これ以上水気がなくなったら干からびてしまう。水筒でも持ってくれば良かったかもしれない。
「……ね、梓君。良かったら私の探索を手伝ってくれないかしら? あちこち探すのもウー君の弟を見つけるには良いかもしれないけど、館長の手がかりはもっと思いがけない場所にあるかもしれないわ。手伝って頂けるとありがたいのだけど?」
「……願ってもないです……」
「助かるわ。ありがとう」
 助かるのは梓の方だ。これ以上一人にされたら恐怖で死んでしまうかもしれない。プレリュードもそれを分かった上で「手伝って」と言ったのだろう。梓のプライドを傷つけないよう遠回りに。やばい、他人の優しさにまた泣きそうだ。
「僕もー、僕も仲間に入れてー」
 紫の直衣の袖を振って黒燐が挙手をする。
「……そう言えば黒燐君、全然怖がってないね。ホラーとか平気なの?」
「この世界にもやっぱりそういう宿があるんだなーとは思うけど、別に怖くはないなあ。僕の世界にもこういう場所あって、潰すの大変だったよー」
「そっか、黒燐君ツーリストだもんね……」
 見かけが子どもだからと言って、内面がそれに比例しているとは限らない。なんだか不穏なことを聞いた気もするが、まださっきの衝撃から立ち直れていない梓には良く分からない。
 立ち上がろうとして、ふいに揺らいだ地面に絨毯へと逆戻りしてしまう。さっきよりも強い。
「……ここ、地盤が緩いのかしら? だとしたら心配ね、早く調べて回りましょう」
「はーい」
 黒燐に引っ張られて、再度立ち上がる。今度はちゃんと足で立てた。黒焦げになった赤ん坊の死体に簡単に手を合わせて、先行する二人の背中を追う。
 どこか遠くの地の底が、また揺れていた。

【3.崩落/陥落】
 ホールの奥まで行って階段を下りた。昔はそれなりに豪奢だったんだろう彫り込みの柱も壁も天井も、どこもかしこも腐って砕けてみすぼらしい。その上餓鬼の姿したぁばけものがそこいら中をうろついてちゃあ尚更だ。
「悪趣味だな」
 そう、悪趣味だ。この場所は悪趣味で出来ている。この場所が造られた目的も悪趣味なら、暴霊が生み出されたこと自体も悪趣味だ。
 ダルマの心情を反映してか、翼の生えたランプのゴーレムがぶるぶると身を振るわせた。
 階段を降りきった先は左右に分かれていた。壁には煤けた扉が並んでいる。通路の突き当たりは暗く見通しが悪いが、声の反響具合からして折れ曲がった先にもまだ道が続いているのだろう。
「おう、ウー。ここはどうなってる? 行き止まりなのか?」
「いえ、通路はこの先……ここの階段のちょうど反対側かな……そこで合流します。三階への階段も、そこに」
「二周もすんなぁ面倒だな……」
 がしがしと髪を乱すと、横からもがもが「二手に分かれるってのはどーっすかね?」と口を挟んでくる。特に反対する理由はなかったので他の奴らにも声をかけると、
「じゃあグーとパーで別れましょっか?」
 梓の不思議な提案に日本文化講義が始まったりして多少の時間は食ったものの、おおむね平和的に飛龍、黒燐、梓、もがものチームと縁、プレリュード、ウー、ダルマのチームが完成した。
「あ、そーだ。ウー君、弟の特徴教えてくれない? その方が探しやすいと思うんだよねー」
「そうですね……えっと」
 右上に視線を投げながら、ウーがたどたどしく言葉を紡ぐ。
「弟の特徴は、肌が赤っぽくって、オレより身体が大きくて元気で、髪が短いです」
「結構目立つんだね。それならすぐ見つかるかな」
「だと、良いんですけど……」
 ウーの顔が伏せられる。それもそうか。暴霊だらけのこんな場所で家族と離れれば心配に決まっている。
「大丈夫だよー。僕たちが助けるもん」
 黒燐がウーの手を握る。顔を覆う布に隠れて表情は窺えないが、恐らく笑っているだろう。力強く、ウーに力を分け与えるように。ダルマもウーの頭に手を置き、ぐしゃりと髪をかき乱す。
「ま、そういうことだ。安心しな、俺はともかく他の連中はつええ。それに、お前は俺が守ってやるよ。……お、そうだ」
 忘れてたぜとダルマが懐に手を突っ込む。再び外気に晒された手には、小さな包み。
「……これは?」
「ちっとばかし作りすぎちまってな。腹減ったら食え」
「俺からもお裾分けだよ、はいウー君。クッキー好き?」
 ダルマのがさついた包装の上に、梓が小奇麗にラッピングされた包みを重ねる。やたら不ぞろいであちこち欠けたような形の、白いクッキーが詰まっていた。
「あーいーなー。梓君、僕の分はー?」
「有料版で良ければいくらでも」
「何それひどい。さっき助けてあげたのに。うー、皆の中にポンポコフォームをお持ちの方はいらっしゃいませんかー?」
「いやそれもひどくねえ!?」
 つかみ合う若い(見た目だけで言うなら)二人にくつくつと喉の奥で笑うダルマは、隣にたたずむ子どもがやたら静かなのに気付いた。その理由に気付いてますます目を細める。
 ウーは白いクッキー片をつまみあげ、恐る恐る口に挟んんでいた。最初は削るように、その内にもぐもぐと。
「どうだ? 形は悪いが味は確かだろ?」
「……美味しい」
「そうだろ、そうだろ」
「……ねえ」
「あ?」
「どうしてお兄さん達はこんなに親切に……オレに何かしてくれるんですか?」
「ああ?」
 改めて問われると、困る。そもそもダルマは親切なのだろうか。見知らぬ子どもの頼みを聞いてやるという点で言えば親切かもしれないが、それだってギブアンドテイクの法則に乗っ取った上での取引みたいなものだ。クッキーは単純に作りすぎただけだし。
 だが子ども特有の濡れた大きな瞳で見上げられると、美しくもない真実を告げるのも途惑われて、ダルマは「普通だよ普通」と誤魔化しつつさっさと行こうぜと仲間達の背中を叩いた。
 何か巨大なものが叩きつけられたような振動に、他のチームは大丈夫かと、そんなことを考えながら。

【4.遭遇】
 戦いは苦じゃない。と言うより黒燐が腕を一つ、突き出すだけで絶命する相手に苦戦もなにもあったものではない。唯一、不規則に揺れる床と暴霊の小ささだけは多少面倒ではあったが、やたらに強い相手と連戦するより、床に突き刺さった爪を抜こうとしたらちょっとねじれて痛かった、の方がずっと平和だ。
 襲いかかって来た赤子を数人まとめて串刺しにしながら、黒燐はそんなことを考える。腰にぶら下げた懐中電灯ががちゃがちゃと煩い。この階は部屋に入るのに一々扉を開けたり閉めたりしなければならず面倒だ。その上扉は通路の両側にずらりとくっついている。
「……ま……」
 絶命寸前の赤子が何かを言いかけた。最後まで聞かず、壁に叩きつけて殺す。淀んだ空気が一層濁った気がして、黒燐は薄絹の向こうでひっそりと眉を顰めた。
 売春宿だった場所に、三十センチほどの赤子の形の暴霊。生まれたばかりの赤子は確か、それくらいではなかったか。勘ぐらずにはいられない。
 ――生まれてもない子どもの念とか、母親になるはずだった人の後悔とか、いろいろ混じってるのかな。
「……暴霊の正体って、堕胎された赤ん坊なのかなあ」
 銀盆から取り出したパイを構えた梓が、ぽつりとそんなことを言う。それが余りにも黒燐が考えていたことと類似していたものだから、つい見つめてしまう。
「……だったら」
 だったら、何なのだろう。だがその答えは飛龍の「喋っていないで、何か手がかりを見つけよう」という言葉に遮られて黒燐には届かなかった。
 部屋は多い。通路も長い。黒燐達がいるのは通路の丁度半分あたりで、突き当りまでは黒燐を二十人縦に並べてもまだ届かないほどに距離が開いていた。天井は五人分といった所だろうか。
「合流できるの、何時になるかな」
「結構かかりそうだよね、これ……」
 それまでに何度、赤子を殺していけば良いのだろう。既に足元は事切れた暴霊の死体で一杯だ。やれやれと肩をすくめた黒燐の足元がふらつく。
 まただ。さっきから何度も何度も、激しい揺れが華華娼楼を襲っていた。一体この振動の正体は何なんだろう? 考えるより早く、何かが通路の向こうからやってきた。
 黒燐には見える。あれは赤子だ。暴霊の赤子が群れを成して、波のようにこちらへとやってきた。もがもの放つ光線が暴霊の波を捕らえ、吐き気混じりの悲鳴が二箇所から上がる。もがもと、梓。
「なんだ、あれは!」
 声は驚いているものの、飛龍は冷静だった。荒事になれているのかもしれない。棒状のトラベルギアか二箇所から割れ、三節棍となったそれが構えられる。
 ついに先頭の赤子が黒燐達に接近する。最初に飛び出したのは飛龍だ。
「ほぁっちゃあ!!」
 気合の叫びと共に棍が振られ、赤子を数人まとめて弾き飛ばす。最初の硬直から抜け出した梓がパイを投げ、べちゃりべちゃり、たまにちゅどーんと爆発音を起こす。
 黒燐は戦闘能力のないもがもをかばうように前に立つ。襲いかかってくるものがいたらいつでも突き殺せるよう、両手の五爪が鋭く伸び、構えられる。
 だが。
「……あれ?」
 赤子らは黒燐らには目もくれず、怪我を負わされたものすらまっすぐに這いずり去ってしまった。後に残されたのは棍に打たれて、あるいは爆発に巻き込まれて死んだ憐れな暴霊の亡骸だけで。
「……なんだ、今のは?」
「あ、ちょっと何か嫌な予感が……」
 梓がそう言った瞬間、建物の崩落する音が響く。震源地は回廊の反対側。元から古い建物だ、今さっきの暴霊の大群を殲滅しようとしたあちらのチームが、何か大それたことをしたのだろうか? それともそれ以外の何かが?
「これ、探索してる場合じゃないかな?」
「ああ、一度合流して、体制を……」

「まんまー」

 判別しがたい喃語だった。黒燐の知る言葉に訳すならこの三文字が相応しいが、実際そう言っているかは良く分からない。
 「それ」は通路の影からぬっと腕を突き出した。血管の透けた赤黒い、生まれたての赤ん坊のような皺っぽい肌。ぶくぶくと腸詰のように太い指。飛び出し、開いていない瞼。全身を覆う粘膜状のもの。
 要するにそれは生まれたばかりの赤ん坊の姿をしていた。ただし、姿をしているだけだ。
「何だこのデカさはッ……!?」
 飛龍が振り絞るように叫ぶ。
 赤ん坊の頭は天井を擦るほど、寸詰まりの胴体は通路を埋め尽くして向こう側が見えない。手のひらにいたっては黒燐を鷲掴むのも簡単だろう大きさで。
 赤ん坊の口が開く。ぬとぬとした粘液が口の端から滴り落ちて、床に染みを広げる。
「まんまあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 びりびりと振動が通路全体を揺さぶる。ああ、ここに入った時から感じていた振動はこいつのせいだったのかと、気づいた時には赤ん坊はこちらへ這いずり始めていた。

【5.反対側】
 人数は一緒でもその実、ダルマの生み出したゴーレムがいるから実際の人手はこちらのチームの方が多い。まだ見ていない扉も残すところ片手で数えるばかりだ。
「……でも高級娼館なんかに館長の手がかりがあるのかしらね」
「ん、何でだ?」
 分からないなと言った調子でダルマがプレリュードを振り返る。ランプのゴーレムが一体、猿のような動きのゴーレム二体を操っているダルマは自分では余りヤル気がないようで、椅子の下や寝台の裏を覗き込むプレリュードの動きを興味深そうに眺めていた。
「だってねえ……手がかりがあるってことは、館長がここへ来たってことでしょう?」
「手がかりがあるなら良いじゃねえの」
「それはそうだけど……ねえ? 気になるじゃない。何しにきたのかしら、とか」
「あーそうか、それもそうだな、うん」
 アリッサの話を聞く限り、館長は紳士的な男性だと思っていたが、だとしたら何故こんな場所に……いや、これ以上追求するのはよしておこう。どういう結論に転んでも余り楽しくはなさそうだ。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
 入り口で赤ん坊の暴霊がいないか見張っていたウーが、こちらを覗き込んでいた。
「その、館長って人……どういう感じの方なんですか?」
「……何か気になることがあるのかしら?」
「! いえ、そういう訳じゃ……ただどういう人なのかって、オレ……」
 しどろもどろに言葉を紡ぐウーに、少しだけ沈黙をおいて。
「ブルネットの髪と瞳の紳士らしいけど。そういえば私も顔を知っている訳じゃないのよね」
「ぶるねっと?」
「アリッサと同じなら、赤っぽい茶色の髪なのかしらね」
「ふうん……」
 それきり目を伏せてしまったウーを、飾り棚を調べていた縁がじっと見ていたのに気付いた。厳しい目だ。今の質問に何か思うところがあったのだろうか?
「……あれ?」
 何かに気付いたのか、ウーが部屋の外へ出る。引きつった声をあげて、すぐに戻ってきた。扉が閉められる。
「どうした?」
「そ、外に赤ん坊の大群がっ」
「何?」
 飛び出した部屋の外、通路の奥。まだ行ったことがない地下三階へ続く階段のある方向から、赤ん坊の大群が迫ってきていた。
「こいつぁちょっと多すぎやしねえかっ!? お、おいプレリュード、あんたの魔法でばーっとやっちまってくれ!」
「無理よ、距離が近すぎるわ」
「ほな、下がっとれや」
 縁の手が刀にかかる。つやめく鋼の照り返しが、埃っぽい空気を両断。周囲の壁をまるでバターのように舐める。
 止めとばかりに叩きつけられた足裏の衝撃に耐え切れず、壁が崩壊。赤ん坊たちを巻き込んで、がらがらと崩れ去る。
「いやいや、やべーだろこれっ!」
 ダルマが片腕でウーを引っつかみ、凄まじい脚力で後退していく。勿論プレリュードだってそうだ。あの場にいたら崩落する瓦礫に自分達まで押し潰されてしまう。
「ちょっとやりすぎなんじゃないかしら、剣士さん?」
「…………すまへん」
「……はあ。まあ良いわ。とりあえず、反対側のチームと合流しましょうか」
 ダルマの姿は見えない。もう角を曲がってしまったのだろう。曲がり角の先の先から聞こえてくる音に耳を済ませつつ、プレリュードも急ぐ。行きほどの時間はかからず、すぐに元来た階段を通りすぎた。一部屋一部屋調べていないのだから当然といえば当然だが、その先の光景に動きを止めた。
 赤ん坊がいる。その姿は今まで散々屠り続けていたそれと変わりないが、大きさが桁違いだ。通路を一杯に埋める巨体で、黒燐や梓、飛龍達を眼前に捕らえている。
 そこまでならプレリュードは迷いなく魔法を詠唱していただろう。でもそれはしなかった。できなかったのだ。
「……大丈夫、大丈夫だよ。この人達はお前に痛いことしたりしないから」
「にーにー……」
 巨大な赤ん坊の傍らにウーが寄り添っている。それどころか親しげに言葉を交わし、赤ん坊は襲う様子もない。
「……やっぱり、ウーはそやったんか」
 縁が静かに言う。
「縁……あなたも気付いていたの?」
「そりゃあな。階段に足跡、あらへんかったやろ」
 外から来た人間が、埃塗れの階段に足跡をつけずにここへ入れる訳がない。埃が降り積もる以前に入ったのだとしたら、それもやはり暴霊だろう。ここに人間の食えるようなものがないことは、散々調べてきて分かっていることだ。
「……騙していて、すいません」
 ウーは静かに言って、赤子を下がらせた。

【6.対価】
「最初は、殺そうと思ったんですけどね。何だか色々心配してもらっちゃったから、悪いかなって思ったんですよ。クッキーも美味しかったですし」
「ほう、つまり俺のお陰で皆無事だったと」
 クッキー製作者であるダルマは無表情ながらちょっと嬉しそうに声を弾ませた。
「まあ、もしあなたたちが館長の人じゃなくてあいつらの味方だったら、殺そうと思ってましたけど」
「……あいつら?」
 飛龍がついと片眉を持ち上げる。
「ここに、館長以外の奴が来たのか?」
「あれ、知らなかったんですか?」
「良ければ、あいつらについて教えてくれない? もしかしたら館長に関わることかもしれないわ」
「良いですよ」
 ウーは包帯に包まれた片目に手を当てて、どこか遠くに視点をあわせた。
「最近だったと思うんですけどね、変な奴らが来たんです。どう変って言われても困るんですけど……服とかですかね。ちょっとプレリュードさんの格好に似てました」
 全員の視線がプレリュードに集中する。彼女は普段のエスニックな装束ではなく、動きやすいツナギを着ていた。
「そいつらが急にここに来てあっちこっち荒らしまくってて……煩かったから、追い払おうと思ったんですよ」「駄目だったんですけどね」
 片目に爪を立てて、ウーが自嘲の笑みを浮かべる。
「その時に弟とはぐれてしまったんです。……ああ、今まで皆さんが殺してたのも一応、オレの弟なんですけどね。あいつらオレのこと兄じゃなくてただのエサだって思ってるから、まだ弟とは認めてないんです」
「じゃ、アレが成長したら……その、コレになるの」
 梓がおそるおそるウーの背後の巨大な赤子を指差す。
「なると思いますよ」
「うわー……」
「そうそう、丁度あの部屋で襲われたんですよ」
 ウーの指差す先にあったのは、縁達が探索するはずだった通路の奥まった場所にある一室だ。崩落からは免れている。
「探せば何かあるかもしれませんね」
「そっか……ありがとー」
「良いですよ、別に。オレあいつら嫌いだし。ついでに今日はオレと弟のこと、見逃してくれるともっと嬉しいんですが」
「…………」
「見逃してくれるなら館長の人についても、オレの知ってること喋ってあげても良いですけど」
「……仕方がないな」
 自分たちがここに派遣されたのは、あくまで館長の手がかりを掴むためだ。
 この人数ならウーやその後ろの赤子にも勝てるだろう。だが被害は確実に出るし、先の崩落でこの場所自体が危険になっている。さっさと帰るに越したことはあるまい。
「契約成立ですね」
 暴霊らしい笑みを浮かべて、ウーが一歩後ずさる。
「あの館長って人、甘いですよ」
「……は?」
「殺さないからさっさと去れ、ですって。本当、甘ちゃんですよ。あの人もあなた達も」
「お前……」
「それじゃあさようなら。もう会うこともないだろうけどね」
 身を翻してウーが闇に姿を溶け込ませる。それを追うようにして赤子が這いずる。
 細かな振動はやはりずっと続いていた。

「で、ここがさっき言ってた部屋の訳だが」
「……確かに、手がかりの山だな、こりゃ」
 もがもの眼鏡にランタンにゴーレムに、その他色々な明かりでくまなく照らされた室内には色々なものが散乱していた。

「……これは焚き火の跡かしらね。あと何かの粉もあるわ。……兵糧? まだ新しいわね」

「壁に穴空いてるよー。縁さん、ちょっとここ掘れない?」
「……こりゃ、銃の弾、かぇ?」
「軍人がいたってこと? ここに?」
「……プレリュードさんに似た格好って、もしかして軍服のことなのかな?」
「おい、こっちに薬莢落ちてたぜ。拾ってくか?」

「……この血痕は」
「ウー君のだろうね」
「足跡もあるぞ。血が踏み固められて……」
「……どうも何人かいたみてーだな」

「……何だかえらいことになったなあ」
 館長の手がかりではなく、別の誰かの手がかりがぽろぽろ落ちている。
 一体、ここで何があったのだろうか。
 遠く聞こえる花火の音に少しばかり身を固くして、飛龍は天井とその先にあるはずのインヤンガイの空を仰いだ。

クリエイターコメントぱんぱかぱーん。
皆さんの活躍により有力な情報が入手されました。
皆さん凄いです。
何が凄いって、当初の予定ではウー=暴霊を指摘しなかった場合、強制戦闘+情報微妙に減になるだろうと考えていたんですが、皆さんの行動があまりに優しさに満ちていたのでウーの方から戦いを止めさせに行きましたよ。こんなこともあるんですね。
この度は参加していただき誠にありがとうございました。
公開日時2010-04-05(月) 19:00

 

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