インヤンガイから戻ったアリッサは、執事に向かって言った。「司書たちを集めて」「かしこまりました。……インヤンガイで何か?」「……おじさまの行方がわかったかもしれないの」 執事のおもてが、はっと引き締まる。 世界図書館の本来の館長である人物が、消息を断ってからすでに6年が経過していた。 今までも、手がかりらしきものがなかったわけではないが……今回は、ほんの数カ月前の目撃情報であるという点で、アリッサたちの注意を引くものではあった。「というわけで、みんなには、インヤンガイに向かってもらいたいの」 アリッサはロストナンバーたちに言った。「行き先は『美麗花園(メイライガーデン)』っていう場所。名前はきれいだけど、今は人間は誰も住んでいない廃墟の街区よ。2年前から、ここは『暴霊域』っていう生きた人間はとても立ち入れない地域になってるの。おじさまがそんな場所に本当にいるのか、いるとしたらどうしてなのか……誰の『導きの書』も手がかりはくれなかったわ。でもーー」 危険は承知で、この廃墟の街の探索をしたい、それが世界図書館からの依頼であった。 街区は広いため、いくつかの小集団に分かれて探索を行う。現地までは、今回はロストレイルで乗り付けることとなった。地下鉄の廃線が美麗花園の地下にも伸びているという。「各チームの探索ポイントについては、担当の司書さんから説明してもらうね。それじゃ……、お願い」 * * * おっとりと人懐っこそうな童顔に僅か、緊張の色を浮かべた世界司書アマノが、集まったロストナンバーに一礼して言った。「みなさんにお願いしたいのは、ロストレイルの警護です」 予想外の言葉に旅人たちが顔を見合わせる。 厳重に施された封印を突破し、美麗花園の地下へと乗り込んだロストレイルは、そこで旅人たちの帰りを待つこととなる。すべての探索チームが戻るまでの間、ロストレイルの安全を確保し、その周辺の警護をして欲しいのだと司書は言う。「ロストレイルの侵入によって封鎖は不完全なものとなっています。封印の破れ目から、暴霊がうっかり外部に出てしまわないとも限りません。まずは十分に警戒して、そういった事態を防いで頂くこと。そして探索チームが戻ってきた際には、あたたかく出迎えて頂きたい、ということ。今回の旅には乗務員のマナちゃんも同行しますので、彼女と一緒にロストナンバーさんたちを労ってあげてくださいね。……それからもうひとつ、大事な役目があります。無事全員が戻ったあと、ロストレイルが突破した箇所を元通り、封印して頂きたい、ということ。みなさんにお願いしたいのは、以上の三点です」 アマノが指折り数え、確認するようにロストナンバーたちを見渡す。「何事も無ければ、何事も無い旅で終わるかもしれません。でももし、万が一にもロストレイルが撤退せざるを得ないということになれば――、その時点で戻ってきていない探索チームを、暴霊域に置き去りにすることになります」 かならず全員ご無事で帰って来られますよう。常に無く真剣な眼差しで言い終えると、アマノはもう一度礼をして、「お帰りを、楽しみにお待ちしてますね!」とにこやかに言った。 ……ギギ、と車輪を低く軋ませてロストレイルが停車する。 2年間の眠りから揺り起こされた美麗花園はいまだ微睡みの中にあり、一歩踏み込めば、重くよどんだ空気が薄い膜のように纏わりつく。 辺りを満たす静寂は、嵐の前の静けさなのか。 探索チームを見送る旅人たちを待っているのは、果たして。!注意!イベントシナリオ群『死の街へ』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『死の街へ』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
地上へと向かう階段の下で探索チームの最後の一人を見送り、山本 檸於(ヤマモト レオ)はひとつ、ため息をついた。 「巡節祭とは、まるで別世界だな……」 ほんの数週間前に訪れた街区の、賑やかな祭りの夜を思い出し、誰にともなく呟く。周囲をひび割れた鼠色の壁に囲まれた構内は天井が高く、ロストレイルをゆっくりと収容出来る規模であるにもかかわらず、淀んだ空気の所為か息苦しい程の重圧を感じさせた。 振り切るようにロストレイルへ戻ろうとして、ばしゃり、と黒く淀んだ水溜りに突っ込み、微妙な表情になった檸於を、小柄な少女が覗きこむ。 「……大丈夫?」 眼鏡の奥、明るい茶色の瞳をきらめかせて見上げてくるミトサア・フラーケンに、大丈夫!と笑顔を向けて応え、泥色に染まったスニーカーを見下ろす。平凡な大学生である自分にとっては一大事である。大学に、デートにと履いていく、愛用のスニーカーなのだ。しかし、今は状況が違っていた。消えた館長の手掛かりを追う作戦の、その一番後方で、ロストレイルを警護し、皆の帰還を待つという今回の任務。口には出さないまでも、檸於は誰一人として置いていく気は無かった。 振り向けば、ロストレイル機関部の入り口を護るように立つ歪(ヒズミ)の姿が目に入り、檸於は自分なりの方法で列車を護るべく歩き出す。ミトサアが、注意深く周囲を観察しながら、そのあとへ続いた。 顔の上半分を包帯で覆った青年――歪は、視力を補うように鋭く発達した感覚を研ぎ澄まし、ロストレイルに近付こうとするものの気配を探っている。少なくとも今は、警護チームのメンバー以外の存在は感じられない。 (護るのが俺の役目だ。対象が何であれ、護り抜いてみせるさ。) 元の世界で村の守護者であった歪は、持久戦に備えてゆったりと構え、必要になった時いつでも振るえるよう、腰に佩いた剣の、装飾の施された柄に手を掛けた。 ふと、先程までは感じられなかった気配に気付き、耳を澄ます。 とととととととっ。 軽快な足音。とても小さな生きものだ。 目の前を通り過ぎようとするそれを、その進路を遮るように屈んで、ひょいと拾い上げる。 「どうした? 迷い込んだか」 低く抑えた声に優しい音を滲ませて語りかけながら、安全な場所まで連れて行ってやろうとする歪に、小さな生きものは抵抗するようにふるふると首を振って叫んだ。 『わしや! わし! 晦(ツゴモリ)や!』 「?」 間違い無くその生きものから発せられた言葉に、ああ、さっきまで人間の男の姿をしていた晦か、これはまた小さな生きものに変化するものだ、などと思いながら、ふかふかとした毛皮を確かめるように撫でまわす。甘んじて受ける晦は真っ赤な子狐の姿で、普段はぴんと立った耳を後ろに倒し、ぷるぷるしながら歪の武骨な手をやり過ごしている。どうやらその手触りを気に入ったらしく、もふもふ、もふもふ、と撫で続ける歪に、しびれを切らした子狐が、『いつまで触っとるんやあ!』と叫んで身を捩り、歪は、名残惜しげに晦を床に下ろした。 そんな気に入ったんやったら、あとでまた触らせてもええけど……と言い掛けた晦の耳に、 「うっわあ! 何?! 可愛い!!」 「え、赤いけど、すんごい赤いけど狐? 狐なの?!」 というミトサア、檸於の声が響き、晦、10秒後にはまたもみくしゃにされることとなった。 (言うとくけどなあ、『可愛い』は禁句なんやで?) 己の小さな姿を気にしており、普段なら捨て置きはしないものの、なんだか少し投げやりな気持ちになった晦は、諦めたように目を閉じ、再びの嵐を淡々とやり過ごした。 「でね、ボク考えたんだけど」 ひとしきり子狐を撫でまわして満足した一行を前に、ミトサアが切り出す。 「ロストレイルの見張りは、交替制にするっていうのはどうかな?」 二人ずつ、ふたつのチームに分かれて、交替で休みを取る。外のチームは死角を作らぬように分かれ、車内のチームは休憩と、万が一、暴霊が入り込んだ場合の排除を担当する。 「交替の必要は無い、俺は門番で、待つことにも慣れている」 ミトサアの提案に答えて言った歪だったが、休憩は必要!派の檸於、警護って神経使うしなあ、という晦、マナちゃんの護衛も兼ねて…とさらに主張するミトサアに、頑として反対する理由も無く、歪は休憩中も自らのトラベルギアである『刃鐘』を封印の破れ目に配置させておく旨を告げ、二手に分かれて交替で列車を警護することを了解した。 美麗花園の地下。 地中にまで厳重に施された封印は、ロストレイルに突き破られ、ぽっかりと大きな隙間を生じさせている。引きちぎられた鉄の鎖、割れた板切れにはびっしりと奇妙な文字の書き込まれた札があちこちに貼られており、その周囲を見張るかのように『刃鐘』――歪の意志によって両手剣から形を変えた無数の金属片――が浮かんでいる ここから、暴霊が外に出ることは、絶対に防がねばならない。 (変なことは起こらんのが、一番なんやけどな……) 晦は子狐の姿のままで、あたりを見回っていた。くんくんと鼻を鳴らして地面の匂いを嗅ぎ、ぴんと耳を立てて周囲に気を配る姿は、さながら、利口な番犬のようでもある。 そんな晦の様子を見遣って、ミトサアは列車へと視線を移した。 (皆の期待は裏切らない。ボク、帰る場所を守り抜くよ。) 封印は、破られてからまだ間もない。 眠っていた暴霊たちは、ゆっくりと、だが確実に目を覚ますだろう。 どれ程の災厄がこの美麗花園を襲い、長い眠りにつくこととなったのか。 どうして館長はこの街区にいたのか。 探索チームは無事戻ってくるのか―― 「とにかく、列車を守り抜けばいいんだよね!」 ミトサアは顔を上げ、笑って言った。 今は、それだけ。それが大事なんだ。 ミトサアは自らを奮い立たせるように、小さな拳を握りしめた。 ロストレイルの中では、檸於と歪の二人が少し離れた所に座り、交替の時間を待っている。ひとつ向こうの車両の食堂車では、客室乗務員のマナが、飲み物や食べ物やなにかを忙しげに準備していた。 「休憩っつっても、まだ俺達ここに着いたばかりだしな……」 呟いてふと歪の方を見ると、彼は剣の手入れをしているようだ。その繊細で優しげな手付きから、よほど大事な武器なんだろうと、檸於は思う。 (俺のギアも) 勿論、大事だけど。 大事だけど、複雑なのだ。 「お飲み物はいかがですか?」 準備がひと段落したらしく、二人の為にワゴンを運んできたマナに、「あ、じゃあ、酢コンブもらえるかな」と、思わず人気商品を注文をして、檸於は再び思考の迷宮に嵌りそうになったが、マナはそんな檸於に興味を抱いたらしく、先程から歪の様子を窺っていた檸於の視線を追い、「綺麗な剣ですよね」とため息をついて、酢コンブを差し出しながら無邪気に尋ねる。 「檸於さんのトラベルギアは、どんなのですか?」 「その……召喚系だよ」もぐもぐと口ごもる。 「召喚系というと、呪文で呼び出すんですか?」 「うん、まあね」 「いま、呼び出せます?」 きらきらと目を輝かせるマナに、檸於はきっぱりと言った。 「いまは無理だ。本当に必要な時でないと、起動できないようになっているんだ」どことなく棒読みな檸於の奇妙な様子には気付かず、マナはがっかりした様子で、では、御用がありましたらお声をかけてくださいね、と言い残してワゴンに手を掛けた。 「檸於さんのトラベルギア、今日は、必要無ければいいですよね」 振り向いて言う。 頷いた檸於の気持ちもまったく同じであった。少しだけ、意味が違ってはいたけれど。 だが悲しいかな、二人の願いは叶わない。 侵入者たちによって長い眠りから揺り起こされた暴霊たちは、異変を嗅ぎつけ、吸い寄せられるように封印の破れ目を目指していた。 ひとり静かに手入れを続けていた歪が、ふと顔を上げ、僅かに首を傾げて耳を澄ます。 まだ遠い。けれど確かに、兆しがあった。 指先で送られた合図に気付き、檸於は天井を仰ぐ。 「お前はマナを守れ」 立ち上がり出口へと向かう歪に、檸於が慌てて抵抗する。 「俺のギア、発動中はほとんど動けないから、見晴らしのきく屋根の上にいてもいいかな? そのあとは中と外で、交替で」 「ああ、構わないが」 「じゃあそういうことで!」 梯子をのぼり列車の屋根へと消えた檸於を見送り、歪は列車の入口へと移動して、外の気配に耳をそばだてた。 ぴょんぴょんと跳びはねるようにして、晦がミトサアの足元へ走り寄る。 『……気ぃ付いたようやな』 「うん。微かにだけど、物音が聞こえる」 『しゃあない、いっちょ追い払うか』 言うと同時に、燃えるような赤毛の青年へと変化する。 「敵の撹乱はボクがやるから、援護お願い」 不穏な気配のする方へ歩き出しながら、振り向きざまにっこり笑って告げるミトサアに、晦も笑顔を返し、まかしとき、と応じる。 ふいに物陰から飛び出した影を、ミトサアの指先から噴き出した炎が焼き払った。反射的に動いた左手に次いで視線を向けると、大人の腕ほどもある巨大なナメクジのような物体が皮膚の半分ほどを黒焦げにして、煙を吐き出している。 「うわあ」 思わず声を上げ、ミトサアは、動かなくなった物体から少しでも遠ざかろうと後ずさった。 ぐにゃり。 足元に、妙に弾力に富んだ異和感。 ヒッと息を吸い込み、ギギギ、とぎこちなく首を回して、足元では無く、晦の方を見る。 ミトサアを援護すべく黒塗りの太刀を抜き放ち、身構えていた晦が、視線に気づいて、とても残念そうな顔で頷いた。 ため息をつき、ある確信を持って地面を見下ろす。 いいいいいいやぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!! 次の瞬間、響いた爆発音は暴霊の仕業では無く、ミトサアの左手のトラベルギアの暴発によるものだ。ミトサアの足元のナメクジが焼け焦げている。 残響に思わず耳を押さえた晦の視界に、ひとつ、またひとつと巨大ナメクジが表れ、その数を増やしてゆくのを、晦は素早く走り回り、両手に持った剣と鞘とで切り捨て、殴り倒していく。 「おとなしゅう帰った方が、身のためやで! そっちの嬢ちゃんに近付いてみぃ! あっちゅうまに真っ黒焦げにされてまうさかいになあ!」 叫ぶ晦と、声も無く左手から火炎を放ち続けるミトサア。 数は多いものの然したる攻撃力も無く、ふたりは瞬く間に数十のナメクジを退治した。 「お、わった……?」 一瞬ののち生じた、先程までとは明らかに違う、何かもっと巨大なパワーを、ミトサアが察知する。 「嫌な予感、するんだけど」 煙のような気配の主は周囲の死体と融合し、質量を増し、ミトサアの目前にその全貌を現した。ぬらぬらと黒光りするスライム状の物体が、のたりのたりと近付いてくる。小柄なミトサアであれば4、5人、すっぽりと収まってしまいそうな程大きく、醜怪なその姿。身体のあちこちから突き出した歪な触手をずずず、と伸ばしてくるに至って、ミトサアは振るい続けていた左手を降ろした。 「うそ……」 「なんやアレ……」 気持ち悪い。 もう、なんか、なるべく戦いたくない。 どうしようかなあ?これ?と戦闘中にあるまじきシンキングタイムに突入してしまい生じた沈黙を破り、勇ましい青年の声が響いた。 「発進! レオカイザー!!」 …………。 「……い、言いたい事があるならはっきり言えよ?……なんか言ってくれよ!」屋根の上の檸於が泣き声まじりに叫ぶ。 と、機神レオカイザーが、50cmの体長に似合わぬ轟音を響かせて飛び上がった。おお、と晦が面白そうに見上げる。 「レオレーザーーーッ!!」 巨大ロボ(の、1/50スケールモデル)の胸元からレーザービームが発射され、ナメクジの身体の一部を溶かすも、ナメクジはすぐに自らの組織を再生し、元の姿に戻ってしまう。 「一気に片付けなきゃダメだっ」ミトサアが叫び、左手から、今度は火炎で無く、冷凍液を噴出し、巨大なナメクジを凍らせる。晦が凍りついた敵を剣と鞘で粉々に粉砕し、檸於の方を向いた。頷いて、もう一度叫ぶ。 「レオレーザーーーーーーーァァァァ」 ナメクジの破片は、地面に落ちる前に燃え尽き、蒸発した。 「大物を倒したようだな。無事か?」 「無事や。無事やけど」 「なんかボク、精神的に……」 「ああ。精神的にやられたな……」 車内で彼らを待っていた歪が労わるように言う。 「『美麗花園』というくらいだから、植物が多い街区だったのだろう。それでナメクジが暴霊化したのかもしれん」 「じめじめしとるしなあ。あのテの虫には絶好の住処やで」 そんな理由が分かったところで彼らにとっては何の慰めにもならない。ぐったりとした様子を感じ取った歪は、「ともかく、交替しよう。しばらくは俺が外を見張る」と、気遣うように言った。 盲目であることなど微塵も感じさせない風情で、歪がロストレイルから降り立ち、辺りを見回す。封印の破れた箇所、浮遊する『刃鐘』の欠片を操り、より広範囲にわたって異変を察知するべく全ての感覚を研ぎ澄ます。 変異したナメクジを撃破した後、周辺の空気は一変していた。 騒がしい。 生者の気配ではない。生者に惹かれて死者が集っているのだ。 「この扉を通す訳にはいかないんだ。……すまんな」苦悶の表情を浮かべて徘徊する彼らに告げ、討ち祓う。 (彼らも、この災害の被害者なんだろう。) 自分に出来るのは、彼らを長い苦しみから解放してやることだけだ。 迷い無く切裂く剣は、歪の優しさであったかもしれない。 「死んで、暴霊になって……その後は、どこに行くんだろうな……」 ロストレイルの上から周辺を警戒しつつ、静かに剣をふるい続ける歪を眺め、檸於が、ぽつりと呟いた。 「ふう。だいぶ元気になったよ。ありがとう」 「いえ、少しでもお役に立ててよかったです」 ロストレイルの中、ミトサアがホットミルクのカップを置き、マナを見上げて言う。 「全然、少しじゃないよ! ボクほんとに癒されたもの。……みんな、そろそろ帰ってくるかな? お出迎えしないとね」 「はい」 「ボクはもうちょっと落ち着いたら、外に戻るね。みんなが無事戻れるように、列車を守るよ。マナちゃんはとびっきりの笑顔で『おかえりなさい』を言ってあげてね。そして、さっきボクにしてくれたみたいに、みんなにあったかいものを飲ませてあげて。それがきっと、何より嬉しいお迎えだから」 帰ってくる場所があるから頑張れるんだ。 自分の世界を見失っても、ボクには帰る場所がある。 「ありがとうございます。心を込めてお迎えしますね」マナが嬉しげに笑う。 「飲みもんの準備、わしも手伝うで!」 食堂車で何やらごそごそしていた晦が加わって言った。 「実はなあ、稲荷寿司を作ったんや。疲れた時! 元気のない時! やっぱ最高なんは稲荷寿司やろ!」 「うん、そんな栄養剤みたいな効果あるかどうかはわかんないけど、でも、おいしそう!」 「はい。ロストレイルのメニューにはありませんし、みなさまお喜びになると思います」 「そういえばお腹すいてきたなあ」 「わしらの休憩はみんなが帰ってきたあとや」 「よーし! もうひと頑張りだね!」 気合いを入れ直す三人のもとへ、歪の声が届いた。 「第一陣が戻った様だぞ」 「お帰り」 歪が口元を綻ばせ、旅人たち一人ひとりに告げる。 「皆、無事でよかった。本当に」心からの言葉だった。 探索チームの旅人たちも、ほっとした様子で、ただいまと返し、列車へと乗り込んでいく。 全員が無事であるように。歪は祈るような心持で出口への階段を見つめた。 列車の内部では再び子狐の姿になった晦が、三尾の尻尾を振りながら、もふもふとした柔らかな毛並みで旅人たちを癒し、稲荷寿司を振舞っている。寿司と一緒に持参したやかんからお茶を注ぐ役目は、マナが担当しているようだ。 「お帰りなさい。お茶をどうぞ」 「お疲れさん! 無事で何よりや」 ミトサアは封印の破れ目を中心に、檸於は先程と変わらずロストレイルの屋根の上でレオカイザーを上空に待機させて警戒し、ふらふらと近寄ってくる暴霊たちを追い払っていた。 暴霊たちが次第に数を増やし、封印の外へ出ようと向かってくるのを、檸於は声の限りに叫び、攻撃し続ける。 「レオレーザーァァァ! ここは通さないっつってんだろぉぉぉ!」 全力で叫ぶたび、檸於の肩の上で赤い色のセクタン、ぷる太がふるふると揺れる。 「はーい! お帰りはこちらだよ! こっちの、叫んでるお兄さんは気にしないであげてねーっ」 ミトサアはそれを援護するように、敵を操り、一か所に集めて檸於の負担を軽くしようと試みつつ、続々と戻ってくるロストナンバー達を誘導する。超加速で歪の元へ走り、「そっちはどう?」と様子を窺うと、歪は歪で、ひとり、集まってくる暴霊たちを祓い、ロストナンバーを無事車内へと迎え入れるという仕事をテキパキとこなしている。 「こちらは問題無い。暴霊たちは増えているようだが……、この分なら、どうにかなるだろう。と。……お帰り。怪我は無いか。無事でよかった。そこ。お前は違うだろう。さあ、もう休め。こんな場所にしがみついていても苦しいだけだ。……ん? 不満げな声は気のせいか」 「……大丈夫そう」ミトサアは、不落の門番の鉄壁ぶりに感嘆しつつ、暴霊に指弾を撃ち込み、火炎を放ち、全ての旅人たちが帰還するまでの時間、ロストレイルとその周辺を飛び回り、守り続けたのだった。 「……お帰り。これで最後か?」 車内に向かって尋ねた歪に、乗客名簿を確認した車掌とマナが頷いて答える。 「終わ゛ったな゛…皆、お疲れ様」 気の毒そうな皆の視線を集めている、ガラガラ声の主は檸於。叫び通しですっかり声が嗄れているのだ。 「よっしゃ、そしたら封印やな! そのテのことなら任しといてや。まずは塩!」 ロストレイルを無事出発させる為、ともかくスピード勝負だと、晦が勢いよく清めの塩をまく。 「わっぷ」噎せる檸於。すまんな、ま、縁起ものやさかいと、晦が背中をさする。 「そうして、この札を貼る。神通力を込めた有難ーいお札や。丁寧に扱え」 大事そうに取り出した札を三人で素早く、丁寧に貼っていく。 「そや、特に端っこは重要やで」 「一番上の方は俺、手伝おうか?」 「いや、それ以上叫ぶのは無理だろう」 気遣う歪に、大丈夫あとちょっとだから、と大きく息を吸い込み、檸於が叫ぶ。 「飛べ! レ゛オ゛カ゛イ゛サ゛ーーーーーーーー!!!」 そうこうする間にも、周囲の暴霊はその数を増やしていく。 「……キリがないな」『刃鐘』を操りながら歪が呻く。 「終わったーーーーーっ?」 襲い来る暴霊から目を離さず、左手から火炎を放出して、ミトサアが叫んだ。 集まった暴霊は群れを成し、もはや全てを撃破するのは不可能であった。 「あとちょっとや! あとちょっとやねんけど……!」 何としても、ロストレイルを守らねばならない。 そうして、美麗花園を元通り封印せねばらない。 「……これ以上、ここへ大勢のロストナンバーを乗せたまま列車を待たせておくのは危険が大き過ぎる」 覚悟を決めたように歪が告げると、様子を見に戻ったミトサアが事も無げに言った。 「ボクは残るよ。超加速があるから大丈夫。封印が終わるまで、邪魔はさせない」 「何、言ってんだよ」驚いた檸於が振り向くのを、ほら! そんなこと言ってる間に、はやく封印しちゃってよ!と咎め、無言のまま自らも車外に残ろうとする歪を押し留めた。 「ロストレイルを護る人も、絶対に必要だから。その役目は歪さんじゃなきゃ。その代わり、最後尾でしっかり手を伸ばしててね。必ず全力で戻るから」 言い終えた途端、超加速で暴霊の海へ消えたミトサアの方に歪は力強く頷いて、車掌に出発の合図を送ると、最後尾の手摺につかまり、自由な片手を使って、なおも追い縋ろうとする暴霊を祓う。 「最後の一枚や! 檸於ははよ列車に乗れ! ミトサア!! 戻れ!!」 ゆっくりと動き出したロストレイルに檸於、晦が引き上げられ、乗り込み、僅かに開いたままの、封印の扉を振り返る。 押し寄せてくる暴霊を最大出力の電撃で一気に弾き飛ばし、ミトサアが真っ直ぐにロストレイルを目指す。 ミトサアを追う暴霊の進路を、歪の『刃鐘』が分断する。 最後の札をその手に持ったレオカイザーが、飛んだ。 「行け!!! レオカイザーーーーーーッ!!!」 「行っけぇぇぇぇぇぇ!!!!」 ミトサアが扉を抜けたと同時に札が貼られ、美麗花園は完全に封印され、そして。 歪が限界まで伸ばした右手が、ミトサアの右手を掴んだ。 一瞬遅れて、『刃鐘』と、レオカイザーが、それぞれの主の元へ戻る。 「……お帰り」 「ただいまぁ……」 歪の笑顔に安心したのか、ミトサアはこの旅で初めて、ぺたりと床に座り込んだ。 * * * ターミナルへ向かう帰りの車中。 ロストレイルは穏やかな空気に包まれていた。 探索チームの面々は、今回の旅で出会った風景、出来事、発見や戦いや、様々なものを胸に、ある者は車窓からの景色を眺め、ある者は語り合い、ある者は眠り込み――それぞれの時間を過ごしている。 警護チームも同様だった。 ミトサアが、警護中には見せなかった、子供らしい好奇心に満ちた表情で身を乗り出す。 「ね、ね、聞いた? なんか、花火が上がったの見たって」 「巡節祭のときだったら俺も見たけど……、なんでまた封鎖された街区で?」 顎に手を遣り、檸於は首を傾げる。 「理由のあることなら、世界図書館へ報告があるだろう」 「そやな。まあそれを楽しみに待つとして……、わしらもお稲荷食うか?」 歪の言葉に答え、晦は残りのお稲荷を取りだし、みなに振舞った。 「おいっしい! すっごいおいしいよ!?」頬張って歓声を上げる一同。 「これ、稲荷寿司のイメージ変わるね!」 「ああ、確かに美味いな」 「そやろそやろ。特製やからな」晦がにこにこと笑う。 この調査に関する報告書のいずれかには、事の真相が記されているかもしれない。 勿論、消えた館長の手掛かりについても。 旅人たちがそれらを知るのはもう少し先のことになる。 ひとまず、ロストレイルガーディアンズは無事、その役目を終えたのだった。 了
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