インヤンガイから戻ったアリッサは、執事に向かって言った。「司書たちを集めて」「かしこまりました。……インヤンガイで何か?」「……おじさまの行方がわかったかもしれないの」 執事のおもてが、はっと引き締まる。 世界図書館の本来の館長である人物が、消息を断ってからすでに6年が経過していた。 今までも、手がかりらしきものがなかったわけではないが……今回は、ほんの数カ月前の目撃情報であるという点で、アリッサたちの注意を引くものではあった。「というわけで、みんなには、インヤンガイに向かってもらいたいの」 アリッサはロストナンバーたちに言った。「行き先は『美麗花園(メイライガーデン)』っていう場所。名前はきれいだけど、今は人間は誰も住んでいない廃墟の街区よ。2年前から、ここは『暴霊域』っていう生きた人間はとても立ち入れない地域になってるの。おじさまがそんな場所に本当にいるのか、いるとしたらどうしてなのか……誰の『導きの書』も手がかりはくれなかったわ。でもーー」 危険は承知で、この廃墟の街の探索をしたい、それが世界図書館からの依頼であった。 街区は広いため、いくつかの小集団に分かれて探索を行う。現地までは、今回はロストレイルで乗り付けることとなった。地下鉄の廃線が美麗花園の地下にも伸びているという。「各チームの探索ポイントについては、担当の司書さんから説明してもらうね。それじゃ……、お願い」●「クソ、なんて不気味な所だよ……」 延々と続く廃墟と、身体全体にまとわりつくような薄ら寒い空気の中、ゴンザレス・サーロインは探索隊に参加した事を今更ながらに後悔し始めていた。 『美麗花園』にロストレイルにて直接乗り付け、早速それぞれのチームに分かれて探索を始めたロストナンバー達。彼が名を連ねるチームも周囲に目を配りながら、人気の無い文字通り「ゴーストタウン」を突き進んでいる。「にしても、暴霊の巣だって言ってたわりには、いやに静かじゃねぇか」 今のところ、敵らしい敵に遭遇していない。事前の説明では「暴霊まみれになるでしょうから、お気をつけ下さい」とまで言われて、恐ろしさ半分、楽しみ半分といったところだったのだが。「それにしても、『おじさま』って素敵な響きですよね。わたくしも一度は呼ばれてみたいものです」 いや、どうやったって無理だから――毎度の如く捉えどころの無い司書エリザベス・アーシュラにツッコんだのも、既に懐かしい話で。(殴れるとはいえ、幽霊だしなぁ。このまま何も無いなら、それはそれでいいか) そんな思いが脳裏をよぎった時だった。 ――カツン―― いやにはっきりと、硬い音が耳に届いてきた。「ん?」 視線を向ければ、遥か彼方の十字路の中心にひっそりと佇む長身が一つ。ステッキ片手に山高帽の位置を直すその横顔には見覚えがあった。といっても、直接の面識があるわけではない。「おいおい、マジかよ?」 ゴンザレスは我が目を疑いながらも、懐から一枚の写真を取り出した。口髭を歪め、知性的な鳶色の瞳に微笑みを浮かべた壮年の男性――アリッサの「おじさま」こと、世界図書館館長エドマンド・エルトダウンその人である。 彼はこちらに気がつかないのか、インバネスコートの襟元を正すと、歳を感じさせない颯爽とした動きで駆け出した。「あ、おい――!」 制止の声も間に合わず。館長らしき姿は住宅街の廃墟の向こうへ消えてしまった。 かなりの距離があった上に、立ち止まっていたのはほんの一瞬だ。館長本人である確証はまだ無い。だが、有力な手掛かりに違いは無いだろう。 慌てて追い掛けるロストナンバー達。その行く手には、集合住宅らしき高層の建物がそびえ立っていた。そこへ近付くにつれ、ロストナンバー達の耳に新たな声が聞こえてくる。 ――タスケテ……アアァ……タスケテ―― それはまるで、この世の全てを呪うかのような怨嗟の呻きであった。!注意!イベントシナリオ群『死の街へ』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『死の街へ』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
●棄てられし街へ 「これはまた、奇妙な建造物ですね。神殿か何かでしょうか?」 全力疾走でずり落ちかけていた帽子を手で支えつつ、テオ・カルカーデは僅かに視線を上げた。 館長らしき人物を追い掛けて、住宅街の細い道を駆け抜けてきたロストナンバー達だったが、その足は小高い丘の上にそびえ立つ巨大な建物の前で止まっていた。 テオの隣に立つ飛天 鴉刃も、自身の長い髭を扱くように撫でさすりながら、思案する表情を見せる。 「確かに、規則正しく並ぶ様は宗教的なものを感じさせるな」 「いや、あれは……」 否定の声を発したのは、虎部 隆。 「多分団地だぜ。俺の世界でもよく見掛ける」 「ダンチ?」 素っ頓狂な声を上げる千場 遊美を始め、聞き慣れない単語に目を点にしている仲間達に、唯一の壱番世界出身者である隆は「どう説明したもんかな……」と視線を宙に彷徨わすと、 「要は家だよ、家。あの中に一杯部屋があって、それぞれに人が住む事ができるんだ」 「検索完了……賃貸契約ヲ結ビ、一時的ナ住居トシテ使用サレル建造物ダネ。『アパート』トカ『マンション』ッテ呼バレル事モアルラシイヨ? 僕ノ世界ニモアッタミタイ」 しばし動きを止めていた幽太郎・AHI-MD/01Pが頭をもたげると、そう付け足した。が―― 「アレ?」 「何人かフリーズしてるな」 苦笑いする隆の言葉通り、幽太郎の辞書的な解説を理解できなかった者達の表情が固まっていた。 その一人というか一匹、アレクサンダー・アレクサンドロス・ライオンハートはようやく我に返ると、咳払いを一つ。 「ふむ、家か。よく見れば、崖に作られた鳥達の巣を彷彿とさせるな。それを真似たのか」 「そっちのお前は大丈夫か?」 鴉刃に話し掛けられた事で、ゴンザレス・サーロインの瞳にも光が戻った。 「お、おう、もちろんだとも。ちょっとばかし頭が追いつかなかっただけだぜ」 「ゴンチャン、ゴメンネ?」 「余計傷つくから、同情はやめろー!」 何やら漫才めいたやり取りをしている二人はさて置き。 当面は崩落の危険が無い事を確認すると、一行は出入り口のエントランスへと足を踏み入れた。 「足跡は……厳しいか」 地面を注意深く調べていた隆だったが、立ち上がると小さく頭(かぶり)を振った。二年もの間放棄されているだけあって埃は充分だが、暴霊が騒いだ跡もあって判別が難しい。 「考えても仕方ないし、勘でいっちゃおうよ!」 「そういうわけにもいくまい」 駆け出そうとする遊美を引き止めつつ、鴉刃は一同を振り返った。 「この中で探索系の能力を持っているのは、確か……」 「ハーイ」 手を挙げた幽太郎の翼がゆっくりと開いた。彼自身の話によると、翼全体がレーダーアンテナの役割を果たしているらしい。 「私もいくらかは心得があるが、距離の問題があるな。戦力を分けるべきかどうか……」 「それなんだけどよ。どうせこの広さじゃ大立ち回りは無理だ。一階ずつ何人かに分かれて、並行して調べた方が効率的なんじゃね?」 「ここに巣食っている暴霊の強さ次第かもしれんな」 慎重に、しかし決して及び腰にはならず。検討を重ねる鴉刃と隆の二人をどこか遠い風景のように眺めながら、ゴンザレスは手近のソファーに腰掛けた。 「なーんか、難しい話してんなぁ」 「ひたすらじっとしているというのも、かえって腹が減るものだ」 隣に座ったアレクサンダーの腹がぐきゅるるる~、と声高らかに空腹を告げた。口の端から涎を滴らせながら、ちらりとゴンザレスを見る。 すすす、と彼は距離を取った。 「何故逃げる!?」 「当たり前じゃねぇか!」 「王となるやもしれぬわしの糧となるのは、ある意味栄誉だというのに」 そんな二人の目の前を遊美が通り過ぎ、何をするのかと思えば。 「ババーン、館長さん助けにきたよー!」 手近なドアのノブをつかむと、勢い良く開けたのだ。 「危ない!」 鴉刃が遊美の首根っこをつかんで引っ張るのと同時に、中から飛び出してきた植木鉢が幽太郎の頭を直撃した。 「アイタ!」 と、幽太郎は声を上げているが、そのボディにはへこみすら無く、うっすらと汚れただけだ。多分、「物がぶつかった」事に対する反応として自然と出た声なのだろう。 「噂の透明人間さんでしょうか?」 「こりゃ参った。どこに狙いを定めたもんか」 部屋の中を確認するのと同時に物陰に飛び込むテオの横で、トラベルギアであるシャーペンを取り出した隆が歯噛みする。 気配はすれども姿は見えず。そんな中、敵を見つけようと五感を張り詰めさせていたアレクサンダーだったが、 「ぬうぅ……百獣の王をなめるなぁ!」 我慢の限界だったらしい。雄叫びを上げると、その爪と牙でもってあらぬ方へと襲い掛かった。 と、何かが衝突する激しい音がする。 「おぉ、当たったぞ!」 本人が一番驚いてどうするという話だが、アレクサンダーはそのままの勢いで相手を組み伏せると、これまた当てずっぽうに牙を突き立てた。 圧迫感を伴った気配が霧散する。 「ふん、他愛も無い」 一瞬にして始まった戦いは、同じく一瞬にして収束した。 「図らずも、敵の強さを知る事ができたか。この程度ならば二手に分かれるくらいは良いであろう。が――」 「てへ☆」 鴉刃の鋭い視線の先では、捕まった猫よろしくぶら下げられた遊美が舌を出していた。 「てへ、ではないだろう。戦場では一瞬の油断が部隊の全滅にも繋がる。軽率な行動は慎め!」 「はぁ~い。――さー、頑張って館長さん探すぞ、オー!」 地面に下ろされた遊美はそう言って拳を突き上げると、今度は上の階へと続く階段へと走っていってしまった。 「注意した先から……全く。こら、待て!」 「何だかあっちの方が面白そうですねぇ。私もついていきますよ。――ゴンザレスさんも早く」 遊美の後を追う鴉刃に、笑みを浮かべて続くテオ。その彼から呼び掛けられて、ゴンザレスは思わず自分の顔を指差していた。 「何でオレが名指しなんだよ?」 「いざという時の盾――じゃなかった。ほら、現状だと強そうな人が飛天さんだけじゃないですか。彼女が千場さんに掛かりっきりになると、誰が前に立って戦うんです?」 「最初に聞き捨てならねぇ言葉が聞こえた気がするが……仕方ねぇなぁ」 歩き出そうとしたゴンザレスの羽織ったレザーベストの裾が引っ張られる。 「ん?」 幽太郎だった。目の部分が洗浄液で濡れている。これは――涙? 「ゴンチャン……」 「だあっ、鬱陶しい! 今生の別れってわけでもねぇんだから、シャキっとしろい!」 励ますつもりで思いっ切り背中を叩いたが、むしろ手の方が痛かった。 「そんじゃな! また後で会おうぜ!」 真っ赤になった手を隠して去っていくゴンザレスを見送り、残った三人は顔を見合わせる。 「では、わし等も行くか」 「そうだな。幽太郎、頼めるか?」 「ウ、ウン、ワカッタ」 頷いた幽太郎の全身から駆動音が聞こえ、背中の翼がゆっくりと開いていく。 「〔メインシステム〕探査モード:起動 ……情報取得、開始……」 動作が安定しているか、手始めに分かれたばかりの仲間達の声を拾ってみる。他の二人にも分かりやすいよう、外部スピーカーからの再生付きだ。 『ウワーン、ワンちゃんゾンビが一杯だよー! キモ可愛くて殴りたくなーい』 『戦う気が無いのならば下がれ!』 『ってか、テオ! おまえ何一人で逃げてんだ!?』 『私は後方支援系ですから。離れた位置からですけど、ちゃんと戦いますよ?』 『何で疑問形!?』 「「……………………」」 「本当に大丈夫か……?」 三人の気持ちを代弁するように、隆は別れた仲間達を案ずるのだった。 ●迷走 ヒュン、と振り払った腕から屍肉が飛び、コンクリートの地面にこびりつく。 「これで最後か」 鴉刃は息を整えると、隠れている敵がいないか注意深く周囲に視線を走らせた。 「べとべとだよぉ」 遊美も涙目になりながら、およそ武器には見えない真っピンクの篭手についた汚れを拭っていた。その周囲には数匹の犬の死体。足を折られ、あるいは頭を潰され、いずれも取り憑いていた亡霊ごと倒されたようだ。人は見掛けによらないと言うか、やはり彼女もロスナンバーの一人なのだと思い出される。 「つんつーん」 息の根を止めているかどうか、その辺に転がっていた木の枝でつついて確かめる様は、やはり彼女は彼女なのだとも思わせるが。 そんな様子をどこか愉快そうに眺めながらも、テオの思考は別の事を考える。 「しかし何で、館長は此処にいるんでしょうねぇ?」 世界図書館館長エドマンド・エルトダウンが失踪して数年。まさかずっとここにいるわけでもあるまい。となれば、何らかの目的があっての事だろうが、この『美麗花園』とて二年もの間放置されている暴霊域だ。そんな場所に、危険を冒してまで求めるものがあるのだろうか? 「本人に聞くのが一番早かろう。追いつく為にも、無駄な戦闘は避けるべきであろうな」 「そうですねぇ」 相槌を打つテオだが、言葉の裏に含まれるものを鴉刃は感じた。 「何か気になる事でもあるのか?」 「いえ。こんな場所ですし、本物とは限らないのではないか、と。いずれにしろ、『彼』を見つけるのが先でしょうが」 テオはあっさりと真意を吐露し、結論としては鴉刃と同じところに至った。全てはたった一つの要素を満たすだけで解決する。だが、それが遠い。世の中とは上手くできているものだ。 「うーん、この部屋にもいないなぁ。館長さーん、どこー?」 一つ一つ、細い通路に並ぶドアを開けて回っていた遊美だったが、それにも飽きたのか、今度は大声で呼び掛け始めた。彼女の行動を止めるのは無理だろうと諦めているゴンザレスが呆れた様子で指摘する。 「呼んで出てきてくれりゃ、こんな苦労はしてねぇだろうに」 「あ、いたー!」 「何ぃ!?」 遊美の指の先を見れば、確かに別の棟の通路を駆ける姿が。ここからでは少し距離があるか。 「追うぞ!」 鴉刃が言うまでも無く全員が地を蹴り、インバネスコートを揺らす背中を追い掛ける。しかしいくら何でも、先程の遊美の声が聞こえていないわけはないのだが? ならば、応えてくれるまで働き掛けるまでだ。 「止まれ! アリッサが探しているぞ!」 奇しくも同じ時、同じ人物を引き合いに出して館長に呼び掛けている者がいた。 「館長~? アリッサが心配してるよ~? 早く戻らないと俺がアリッサにチューしちゃうよ~?」 もっともその内容は、随分と違っていたが。 (アリッサに知られたらマズいよなぁ……) そんな心配をしながら走る隆の前では、四本の足で疾駆するアレクサンダーの尻尾が揺れている。そして後ろからは、ガッシャガッシャと幽太郎が追い掛けてくる激しい物音が聞こえてきていた。 三人の向かう先には、山高帽の下でインバネスコートを翻す紳士の姿。その表情は、この角度からは見る事ができない。 それにしてもおかしい。確かに距離はあるが、生活音のしないここは普通の街中と比べれば、驚く程静かだ。加えて、暴霊域を進む以上周囲の変化には敏感になっているはず。何故こちらに気づかない? 「館長とやらは、耳が遠いのか?」 「そんな事はねぇと思うんだけどなぁ……」 ちらりと振り返ったアレクサンダーに、隆も首を傾げるしかない。――方角からすれば、ここを右か。靴底がコンクリートを擦り、砂埃を巻き上げた。 そこは棟と棟の間の空間を利用して作られた、公園らしき場所であった。もっとも、地面が穿たれ、樹木はへし折られと、既に原形を留めていなかったが。転がっている遊具のなれの果てが、その名残を僅かに残すのみである。 雑然とした風景の向こうに、館長の背中が小さくなっていく。 「結構距離が詰まったな。これなら――」 すぐに追いつける。そう思って一歩を踏み出したが―― 「ねえねえ、つぎはなにしてあそぶ?」 「えっとねー、おにごっこ!」 「えー、やだー! みっちゃん、あしはやいんだもん!」 突然聞こえてきた会話、そして変化した目の前の風景に、隆は思わず足を止めていた。 「むむ? これはどうした事だ?」 アレクサンダーも警戒心を露わにして周囲を見渡している。 先刻までの荒れ果てた廃墟の景色は消え去り、清潔感の漂う整然とした眺めが続いている。漂う香りは、脇の花壇一面に植えられたパンジーのものだろうか? 遊ぶ子供達、それを見守る大人達の表情は穏やかで明るさに満ちたものだ。 「ノイズガ増大……感度ヲ保ツ為、レーダーヲ近距離モードニ移行……」 幽太郎の翼がゆっくりと動き、その形を変えた。ノイズ――何らかの力が働いているのだろうか。 隆はまだしも、注目を集めそうな容姿を持つアレクサンダーや幽太郎の姿すら、彼等は特に気にしていないらしい。平然とすぐ傍を駆け抜け、幼い子供達は遊びに興じている。 「……確かめてみるか」 このままでは、館長を見失ってしまう。隆は意を決すると、子供の一人に近寄る。 「あんた、ちょっといいかい?」 そして、その小さな肩に手を伸ばした。 触れようとしたまさにその時、目の前の風景がぐにゃりと歪み、何かが手首に巻きついた。 「高エネルギー体、出現! エマージェンシー、エマージェンシー!」 幽太郎の警告が鳴り響く。 「騙し打ちとは小癪な!」 怒声と共にアレクサンダーの牙が閃くと、隆を捕らえていた紐状の物体は真っ二つにされて地面に落ちた。ごつごつとした表皮に覆われたそれは、細長い木の枝。 枝や根をくねらせ、ロストナンバー達に襲い掛からんとするのは、唯一真っ直ぐに立っていたと思しき街路樹であった。 「貴様のように食欲をそそらぬ者の相手をしてやるのだ、光栄に思え!」 獣の咆哮を上げ、アレクサンダーが地面を蹴る。その背後では幽太郎の腕から火柱が立ち上る。 (怖イケド……僕ダケ逃ゲラレナイ……!) 「……右腕部、第二回路接続……EN供給、チェック終了……プラズマトーチ作動……」 「さっさと館長を追い掛けたいんだけどなぁ!」 隆もトラベルギアを取り出すと、立ち塞がる暴霊を斃すべく駆け出したのだった。 灰、茶、紫、赤―― 四者四様の色とりどりな瞳が、ブラウン管に反射してこちらを見つめ返してくる。 「これは一体何だ? 面妖な。箱の中で小さな人間が喋っているぞ」 「不思議だねー」 「魔法の類でしょうかねぇ」 「壊れた奴なら見た事あるぜ。確か『テレビ』とかいう、この世界の機械だ」 「「へぇ~」」 ゴンザレスの言葉に、他の三人は感心したような声を上げた。そういえば、自分も見覚えがあるかもしれない。自分の世界やターミナルではあまり馴染みが無い為、忘れがちだが。 館長が入ったと思しき部屋に踏み込んだ途端、奇妙な違和感が四人を包み込んでいた。地に足が付かないというか、夢を見ているような覚束無さ。廃墟だった風景も、急に小奇麗な部屋の様子に切り替わっている。 ひとまず館長を見つけようと奥へ進んだところで、部屋の隅に置かれたこの箱のスイッチが入り、思わずそれに釘付けになってしまったわけだ。 自分の姿がブラウン管に映った事で我に返ったのか、鴉刃はわざとらしく咳払いをすると周囲を見渡した。 「館長はいないようだな。そこの窓から出たのか?」 入口の反対側に面した引き戸に手を掛けるが、鍵も見当たらないそれはびくともしなかった。 「これは……ハメられましたかねぇ」 考え込む素振りを見せるテオ。一刻も早くここから出た方が良いのかもしれないが、果たして入ってきた扉が開いているかどうか。望みは薄そうだった。 ピンポーン 突然鳴り響いた音に、四人の肩がびくりと震える。何かの合図か? 「はいはーい」 警戒するロストナンバー達の間を、割烹着を着た女性がパタパタと小走りに駆け抜けていった。 「……人がいたのか?」 唖然とする一同の耳に、玄関から会話が聞こえてくる。 「お帰りなさい、あなた」 「ただいま。――子供達は?」 「まだ外で遊んでいますよ」 再び部屋に戻ってくる足音が二人分になったところで目の前の風景が大きく歪み、見覚えのあるボロボロの廃墟になった。 「戻った――!?」 ほっと安堵する鴉刃の目が見開かれる。その瞳に映るのは、こちらに向かって腕を振り上げて襲いくる二体の骸骨。 「ゴンザレスさんシールド! キャー、かっこいー!」 「おだてたって何も出ねぇぞ、チキショウめ!」 ちゃっかり隠れる遊美と前に立つゴンザレスの様子を視界の端に収めながらも、鴉刃は骸骨の腕を紙一重のところでかわした。 (意外と素早い動きだな。だが……) 反撃に転じようとしたところで、足が何かにぶつかる。 「しまった!」 そこには無残に破壊され、転がされたテーブルが。先刻までの整えられた室内の様子が頭に残っていたので、見落としてしまっていた。 「おっと、そこまでですよ」 テオの声が聞こえたかと思えば、骸骨に何かの液体が浴びせられた。すると、濡れた部分から白煙が立ち上り、強酸で溶かされるような激しい音がする。 関節を失った骸骨は、乾いた音を立てて崩れ落ちるしかなかった。 「助かった。礼を言う」 「いえいえ。ここでの戦力減は私も困りますからね。――っと、向こうも終わったようです」 振り向いた先では、遊美とゴンザレスが狭い室内で四苦八苦しながらも、二人掛かりで骸骨をバラバラに砕いたところだった。 「ふー、手こずらせやがって」 「うん。ワンちゃんよりもこっちの方がいいな~」 どうやら、他に襲ってくるものは無さそうだ。しんと静まり返った部屋の中にいると、先程の体験は本当に夢だったのではないかとさえ思える。 「取り敢えず、記録だけはしておきましょうかねぇ」 荷物の中からカメラを取り出したテオは、部屋の中を広く撮れるアングルを探し、シャッターを切る。 「心霊写真撮れそうですよねぇ。はい、ポーズ」 注目すべきは、テオの声に合わせて本当にピースサインを出している遊美ではなく。フラッシュが焚かれた際に、何か光ったような……? 「これだな」 「綺麗なネックレスだねー」 鴉刃の手の中を覗き込んで、遊美が歓声を上げた。 これだけ朽ち果てた世界の中、傷だらけの宝石箱に納められたネックレスの輝きはとても不釣り合いに見えた。ヘッドを飾る宝石にも曇り一つ無い。 「おい、館長がいたぜ!」 ゴンザレスに呼ばれてベランダに出てみれば、遥か上の非常階段から見え隠れする山高帽が。 「何となく読めてきたような気もしますが……ぽちっとな」 再びフラッシュの光が瞬く。 「よし、追跡続行だ」 「おー!」 一行は部屋を飛び出すと、より上の階へと進むべく走り始めた。 (アレハ何ダロ……?) 次々と迫る木の根をトラベルギアで焼き払いながら、幽太郎は敵の一点にカメラのピントを合わせていた。枯れた葉を纏わせる枝の間に何かが引っ掛かっている。 得られた映像を元に解析、データベースでの検索を急ぐ。 (ランドセル……?) 「おい、近づき過ぎだ!」 「エ?」 隆の声に振り向いた幽太郎を、激しい衝撃が揺さぶった。 「キャアァァーーーーーッ!」 悲鳴の尾をなびかせながら、金属の塊であるはずの幽太郎が数メートルは弾き飛ばされる。敵の全身を使った体当たりとはいえ、さしものアレクサンダーも肝が冷える光景だ。 「言わんこっちゃねぇ!」 慌てて駆け寄った隆の耳に、幽太郎の体から発せられる連続した電子音が届いた。 とても作り物とは思えない目玉がこちらを見る。 「……チェック完了。損傷、軽微。大丈夫。ソレヨリモ、タカシ……」 「ん?」 訝しげな表情の彼に、幽太郎は自分が見つけた物の事を知らせた。 「で、そのランドセルがどうしたんだ?」 「ワカンナイ……ワカンナイケド、トテモ気ニナルンダ」 第六感というものだろうか? 幽太郎にそんな機能があるとも思えないが…… (手掛かりは一つでも多い方がいい、か) 「アレクサンダー!」 「何だ!? 今わしは忙しい!」 自然と敵を惹きつけてくれている百獣の王から余裕が無くなっている。一時的にとはいえ戦力が三分の一になってしまったのだから仕方の無い事だろう。 援護射撃を再開しながら、隆は木の枝の一角を示した。 「あそこに赤いランドセルがあるってよ。回収できね?」 「ランドセル? よく分からんが、赤い物を取ってくれば良いのだな?」 頷くと、彼は「王に不可能は無い!」と胸を張って答えてみせ、猛然と大樹に向かって突撃した。 「ぬおおぉぉぉぉっ!!!」 長い爪が表皮のひび割れを捉え、垂直に駆け上る。その間にも彼を仕留めようと蠢く枝は、隆がトラベルギアを連射する事で動きを阻む。 「あれか!」 黄金の肢体がしなやかに跳び上がると、空中でくるくると回転しながら地面に降り立った。「どうだ」と言わんばかりに向けられた口元には、牙に引っ掛かるようにしてランドセルがぶら下がっていた。 するとどうだろう。それまで暴れ狂っていた大樹から苦しむような呻き声が発せられたのだ。心なしか、その動きも緩慢なものになっている。 「今ならイケるか?」 高速で発射されたシャーペンの芯は同じ場所を連続して穿つと、表皮の奥の幹を露わにさせる。 「ガオオオオ!!!」 そこへアレクサンダーが渾身の一撃を見舞うと、亀裂は一気に広がり、大樹は横に真っ二つになって崩れ落ちた。 「……弱点だったのか?」 世界が静けさを取り戻す中、ランドセルを手にした隆が思案する。突然迷い込んだ白昼夢のような光景、そこから抜け出した途端に襲ってきた暴霊、そしてこのランドセル――こっちは館長を見つけたいだけなのに、次々と奇妙な事が起こる。 「幽太郎、館長の居場所はつかめそうか?」 尋ねるも、幽太郎は申し訳なさそうに縮こまるのみ。 「ゴメン……サッキカラノイズガ酷テ……ソレニ、変ナンダ。館長サン、レーダーニ全然映ラナイノ」 「マジか?」 本来なら感知できる距離の時に確認済みとの事。これは…… 隆はおもむろにトラベラーズノートを取り出すと、すらすらと何かを書きつけた。相手から返事が来るのを待ち、それに目を通す。気難しげな表情で目を細め、一つ頷く。 「……なるほどな」 「一人で納得していないで、わしにも教えろ」 不満を表すアレクサンダーを「まあまあ」と宥めすかしつつ、隆は先を促す。 「話は走りながらでもできるだろ。順を追って説明するぜ」 「あの館長は本物であって、本物にあらず。そんなところでしょうか」 テオはある一つの推論に行き着いていた。 「部屋の一つで見た夢のような光景は覚えていますね? あの中の女性には真理数が見えました。つまりは、この世界の人間だという事です」 黙って聞いていた仲間達だったが、ふと鴉刃が疑念を抱く。 「待て。それはおかしいのではないか? ここは――」 「そう、この『美麗花園』は暴霊域となって以降、まともに人が住める場所ではありません。となると、答えは一つ――」 「ボク達ガ見タノハ、過去ノ『美麗花園』……?」 「それしか思いつかね」 オウム返しに尋ねる幽太郎に、隆は頷いた。 ここが暴霊域である事を考えると、おそらく霊エネルギーの影響なのであろう。断言はできないが、そうでなくてはこの地に普通の住人がいる理由がつかない。 「で、この理屈を当てはめると、あの館長はとどのつまり――」 ●辿り着いた出口 「「――え?」」 お互いの姿を確認して、ロストナンバー達は一斉に動きを止めた。 狩りとは違い、長い持久走を強いられて疲労を滲ませていたアレクサンダーの表情が希望に輝く。 「ぜぇ……ぜぇ……おぉ、自らこの王の糧になりに来てくれたか。丁度腹が減っていたところだ」 「だから違うっての! つーか、絶対おかしいだろ、この状況!」 「全然別の場所を調べてたはずだよね? わたし達」 遊美の言葉に全員が頷いた。 「それなんですが」 テオが挙手する。 「走りながら頭の中で地図を作っていたんですけど、全く一致しないんですよねぇ。同じような風景ばかりなんで、確信はできなかったんですけど」 下の階層を調べていた彼等と合流するというのは、物理的にあり得ない。 「それでも、あんたを見た時は館長と出くわしたかと思ったぜ」 「ごめんなさい私です。別に真似した訳では、えっと半分くらいありますけどね?」 いけしゃあしゃあと言ってのけるテオの横で、鴉刃は無表情に目を細める。 「私達は何者かの掌の上にいるというわけか。――ここに向かわせたいらしいな」 七人の前には、小さな鉄扉が一つ。背後には下り階段しかないところを見るに、屋上へと出るものだろう。 「コレマデ観測シタ事ガ無イクライ大キナ反応ダヨ……!」 声が聞こえる。 小さな、小さな声が。 ――タスケテ……タスケテ……―― 何から、あるいは何を助けて欲しいのだろうか? もしそれが、命なのだとしたら―― 「難しい相談だぜ」 目の前には、宙に浮かぶ少女が一人、寂しげにすすり泣いていた。 その身体はとても頼りなく、向こうの景色が透けて見えている。 だが、事前に幽太郎が告げたように彼女の放つ力は圧倒的だった。こうして目の前に立っているだけでも体ごと後ろに押し流されそうだ。 ――タスケテ……タスケテ……―― 「でも、助けてって言ってるから助けてあげたいなぁ。――ねぇ、ねぇ、助けてあげるからどうすればいいのかな?」 そう言うと、遊美は無警戒に少女の暴霊に近づいていった。 「な――不用心に近づくな!」 鴉刃の警告も時既に遅く。暴霊の顔を覗き込むようにしていた遊美が、突然こちらを振り返る。 「ねぇ、何かちょーだいって」 見れば、少女の暴霊はこちらを攻撃するでもなく、素手で水をすくう時のように両手を合わせてこちらに向けて差し出していた。 「ここで手に入れた物と言えば、これしかあるまい。本来はわしの獲物だが、食えんしな。くれてやろうではないか」 「そうすると、私達の方はこれ……か?」 アレクサンダーがランドセルを少女の目の前に置き、その上に掛けるようにして、鴉刃がネックレスを安置した。 それを目にした途端、少女の目の色が変わった。膝を着き、すがるようにそれらの物を抱き締める。 ――オトウサン……オカアサン……―― ぽろぽろと涙を零す姿に、遊美は何を思ったのか。 「えーい、百花繚乱!」 天に向かって両手を突き出すと、彼女の中心に旋風が巻き起こった。それに乗って舞うのは――花びら? 「これは――!」 全員が言葉を無くす。 灰色だった屋上一面に咲き誇る花の数々。その中心で、赤いランドセルを背負った少女が両親らしき男女と同じ年頃の子供達に囲まれて笑っていた。見覚えのあるネックレスをした女性が少女を抱き締める。 やがてそれも、巻き起こった花弁の嵐に見えなくなって―― 全てが終わった後には、ランドセルとネックレスが残されているだけだった。 「成仏したのか……?」 「ジョウブツッテ何……?」 幽太郎の問いに、隆はしばし迷った挙句、 「ハッピーエンドって事さ」 そう、笑って答えるのだった。 「今ならば大丈夫か?」 鴉刃が宙に身を躍らせると、問題無く飛ぶ事ができた。どうやら、あの少女の暴霊がこの辺りを不可思議な空間にしていた存在だったようだ。実は、館長の追跡中も何度か試みていたのだが、何かに邪魔されるように体が重くなっていたのだ。 「館長は――あそこだな」 彼等がいる建物の脇を駆け抜けていく紳士の姿。その上に、やはり真理数は見えない。世界の理から外れた者の証だ。残念ながら、今この場にいるというわけではないようだが。 彼の向かう先には、鬱蒼と茂った植物が森のような空間を形作っている。 「あそこは確か、別のチームが探索を行っているのであったな。疲れ切った私達が向かっても足を引っ張るだけか」 暴霊が消えた影響か、どこか気持ち良く感じる風を身に受ける鴉刃の横で、テオも同意の意を示す。 「そうですねぇ。過去のものとはいえ、館長の足跡は貴重な情報でしょうし。報告が先かと」 (しかし、過去の出来事として、ここに来て戻らなかったって事は……) 仲間達が次々と帰路に就く中、隆は胸中で独り呟く。 (出口はどこだったんだ?) さらに何かを追って別の場所へ向かったのか、それとも…… (それが死だとしても探さねぇとな。館長の帰りを待つ女の子の為に) 決意を新たにした彼を、仲間達の声が現実に引き戻す。 「さー、飯だ飯だ」 「お腹空いたー」 「美味シイゴハンッテ、イツモ楽シソウダヨネ」 「うむ。特にわしは水牛が好みだ」 「だから、こっち見んなっての!!」 墓標のように残されたランドセル、そしてネックレスの清廉とした輝きが、彼等の背中を見送っていた。
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