「お花見行きたーーーい!」 ある日のターミナルで、世界司書・エミリエが言った。「お花見と言いますと……壱番世界の?」 リベル・セヴァンが資料から顔をあげて応じた。「そう。サクラの花ってキレイなんだって! それからお弁当に~、お団子に~」 どうもエミリエは誰かにお花見の話を聞くか本で読むかしたらしい。 しかしながらお花見の本場、壱番世界はニッポン列島においても、今年は桜の開花が早く、すでに盛りを過ぎつつある地域も多い。いやそれ以前に、ロストメモリーたちがターミナルを離れて壱番世界で花見ができようはずもないのだった。 ところが。「こいつぁ、どうすっかな……」 シド・ビスタークがやってきた。「どうかしましたか」「いや……、無人のチェンバーが見つかったんだ。広くて本当に無人かどうかはわからんので、それを確かめてから閉めちまえってさ。べつだん危険もなさそうだし放置してもよさそうなもんだがなあ……。こんな依頼、誰が受けてくれるもんかね。だいたい、何のつもりかしらんが、このチェンバーの中はサクラの樹しかありやがらねえ」 エミリエとリベルは、あまりのタイミングのよさにはっと顔を見合わせる。 かくして、無人のチェンバーの確認依頼――という名のお花見大会が行われることになったのである。●偶にはゆるりと「と言うわけで。お花見茶会しませんか?」 世界司書のガラは、妙に満ち足りた笑顔で皆に呼びかけた。 世間に先駆けて脳内がお花満開なのかも知れない。 それはともかく。 花見茶会とは、読んで字の如く花見の宴席を茶事にて執り行う催しである。 満開で見頃な桜の下を茶室に見立てて一服する、なんとも趣深い席ではないか。「でもね、ガラはお作法とかさっぱり」だから、きみ達も肩の力を抜いてくれたら、嬉しいです」 出涸らしに身も蓋もない言動で、早速趣三割引。 安いだけに気安く楽しんで欲しいということらしい。 今回は、特に『大寄せ』と呼ばれる、亭主が多くの客をもてなす形式を更に簡易化して各種作法を取り払い、要するに雰囲気だけ再現する。 現地の一角、大きな桜の木の根本には、既にやたら大きな緋毛氈の敷物が一枚広げられており、念入りに日除けの傘まで差してある。 ここに一同着座して、ただぼんやりと桜を眺め、時に茶を啜り、菓子に舌鼓を打つのもまた一興――と、これだけ聞けば茶会と言うより、むしろ茶屋に近いが。 ちなみに亭主を務めるのは、ガラである。「精一杯、おもてなし致しますよう」 衒いの無い世界司書の笑顔は、真心が滲み出たものにも見える。 しかし、果たしてどんな怪しい茶が振舞われるのか――覚悟が要る。●戦いが、始まる「それはそれとして。きみ達もお茶、淹れてみませんか?」 茶器は一式揃えてあるので、せっかくだからとガラは言う。 何故か、声のトーンを落として。「皆のお茶を真ん中に集めて、ひとり一杯ずつ取って飲み干すんです。そう、たとえ――どんな味であっても」!注意!イベントシナリオ群『お花見へ行こう』は、イベント掲示板と連動して行われるシナリオです。イベント掲示板内に、各シナリオに対応したスレッドが設けられていますので、ご確認下さい。掲示板への参加は義務ではなく、掲示板に参加していないキャラクターでもシナリオには参加できます。このイベントシナリオ群は、同じ時系列の出来事を扱っていますが、性質上、ひとりのキャラクターが複数シナリオに参加しても問題ありません。
嗚呼、なんて桜が綺麗。 花咲き誇り、時に儚く散りゆく様に、心ゆらゆら。 この只中にて茶会など粋も粋、贅沢の極み也。 心の底から、そう思っていた。 「わふぅ……これはまた、コールタールを思わせる……」 ついさっきまで。 今、八帳どん子は、どろどろ毒々しい緑色の液体を前に、茶碗もがくがく揺らしながら、違う意味で心ゆらゆら、と言うか謎の胸騒ぎ――あるいは胸焼け――に見舞われていた。 「ええい、ままよ!」 ごくん――ぅうっ。 直前の揺らぎなど吹き飛ぶ悪寒がどん子を襲う。 果たして、いったい誰が、この事態を予想しただろう。 「しゃ、洒落になんねぇよぅ!」 慟哭に応じて、誰かが言った。 「そう言って貰えると、点てた甲斐がありますよう」 これは星が巡り合わせた旅人達と、その戦いの記録である。 ● 花見茶会の始まりは、どん子とプレリュードが、無闇に大きな緋毛氈の元を訪れたところから。 ふたりとも和装だが、どん子の炊事場からそのまま出てきたような少女らしからぬ割烹着姿に対し、プレリュードは藤色に染まる落ち着いた着物にすらりと身を包んでいた。着慣れないのか、時折帯に触れる仕草が初々しい。 他の世界司書同様、予め皆に誘いを出していたガラは、この時、足が痺れて崩れ落ち、顔を半ば敷物に埋めていたけれど、どん子もプレリュードも慌てず騒がず、かたや「初めまして」と照れ笑い、かたや小さな会釈をして、即座に馴染んだものである。 ガラはと言えば姿勢を改め挨拶もそこそこに、早速二人を手招いて、己の腕を振るわんと奇怪な音と奇声を上げること暫し。 がちゃがちゃ引っ掻き回すのが飽きたのか、ひと息吐いて手を止める。 「できましたー」 終に点てた茶に桜餅と団子を添えて、どん子とプレリュードに差し出した。 「おぅふ……これはまた、色が」 ――濃ゆいよぅ……。 咄嗟にどん子が思い浮かべたのは、かつて近所のおばさんが淹れてくれた抹茶。 あれは、もうちょっと普通の色だった。では、これは普通ではないのか? ――いやいやいや出されたものに文句言っちゃあいけねえぜ、あたし。 味噌煮込みうどんの化身として、ひとりの食客として、食べ物を粗末にすることまかりならぬ。 刹那の逡巡を振り払い、意を決してどん子はぐいっと煽った。 「…………」 続けて、どこか虚ろな目で、無言のまま桜餅に手を付ける。 「……うん」 同じ動作を繰り返し、頷く。 「桜餅が、おいしいなあ」 茶は未だ飲み切れていない事実が、全て物語っていた。 一方のプレリュードに出された茶は、粉末が固まって毬藻の如く浮き沈みを繰り返す。如何にも不気味極まりないが、プレリュードは臆することなく一口、そっと含んでみた。 「……溶け残ってダマになってるわね。でも丁度良い濃さで美味しいわ」 舌を誤魔化す目的でなく、純粋に茶菓子と合いそうだ。 「司書さん。道具を貸して頂ける?」 盆を抱えるようにして、ふたりの様子を満足げに見ていたガラに、プレリュードは私もお茶を淹れてみたいと申し出る。 「勿論ですよう。どうぞ茶釜の傍へ」 ガラは、すっと手で示し、案内した。 どん子は、はっと我にかえり、プレリュードに期待の眼差しを向ける。 実のところ、現時点で『茶道』を最も理解しているのは、プレリュードだった。 彼女もまた教本にて下調べをしており、訓読したという点でガラより遥かにまともな茶を点てる可能性がある。 このことを知らぬとは言え、既に抹茶の血中濃度が上昇しつつあるどん子がガッツポーズで歓喜したのも、あながち間違いではなかった。 ガラの茶を辛うじて飲みきったどん子が、プレリュードのあっさりした茶で口直しをしている頃。ティモネ、ロジー母子やハンスキー姉弟といった二人連れの客が相次ぎ、花見茶会はガラ曰く「思わぬ賑わい」を見せていた。 「こんにちは……」 はにかんでいるのは、この奇妙な集団に気後れしたのか、生来のものなのか。 か細くも穏やかな声で、コレット・ネロは一同に挨拶した。 「ご機嫌ようよう」 「あら、こんにちは」 「ようこそだよー」 思い思いに応じる亭主と先客達に、コレットは、ほっとしたような笑顔を見せた。 ガラが小首を傾げ、「後ろのきみもご一緒に?」と少女の後ろ目掛けて呼びかければ「おうっ」と、陽気な返事が返された。 「ツヴァイさん」 驚き振り向くコレットに名を呼ばれ、赤髪の若者は屈託無く笑う。 二名様ご案内と輪の中にコレットとツヴァイを招いて、ガラは再び機嫌良く茶を点て始めた。 「ふふ。こうやってガラさんと遊ぶのは初めてよね……」 コレットの嬉しそうな顔を、どん子は気の毒そうに、プレリュードは少なくとも面に感情の機微を出すことなく、窺っていた。 やがて出された盆を前に、コレットは期待を込めて手を合わせる。 そして抹茶を口に含み――言葉も無く、椀を置いた。 「ちょっ! 大丈夫か? コレット。顔色悪いぞ?」 隣で心配するツヴァイの言う通り、コレットの血の気が失せていた。筆舌に尽くし難い味わいに、事前はガラを褒めようと思っていた心が挫けてちょっぴり落ち込んでいた。 「ううん、平気だから……」 プレリュードはそっと目を伏せ、どん子もなにか申し訳無くて落ち込んだ。 ガラの独創性溢れる行き当たりばったりな抹茶は留まるところを知らず、その後も皆に振舞われた茶は一服毎に異なる見た目と風味を兼ね備え、飲んだ者を絶望の淵に追いやったりやらなかったりしたが、僥倖にも命に別状は無く、故にこそ奇禍たる茶会は尚も続いたという。 ツヴァイなどは「俺が飲んだやつは結構マトモだったんだけどな?」と首を傾げていたが、それも無理からぬことであった。 後に迷い人を求めて蒋吏と名乗る青年が、温もりを求めて初心な魔王がにょろにょろと傘の下に迷い込んで来ては、宴席ならぬ淵席に巻き込まれた。 しかし、封をされた茶器の底の如き深淵に、転機が訪れる。 ● 「盛り上がってるわね」 未だあどけなくも聡明な眼が既知のそばかす顔を捉え、声を掛けた。 ガラがそちらを向くと、羽根が一枚漂うようにふわりと微笑む少女の姿が在った。 「ホワイトガーデン!」 「こんにちは。今日はお誘いありがとう」 「相変わらずきらきらですよう」 「ガラさんこそ。相変わらず楽しそうできらきらよ」 今日これまでの出来事を思えば、傍目には悪魔と天使の歓談に相違ない。 その悪魔ことガラに招かれるままホワイトガーデンは輪にまざり、楽しいことが多くて道草してしまったと、少し気恥ずかしそうに語る。 これにはどん子が然りと頷いた。 「すっごくわかるよぉ。こんなにキレーな場所なんだもん」 「本当。花びらがゆっくり舞う様子を見てたら、ついつい私もゆっくりしちゃったわ」 「不思議なものね。鮮やかに咲き誇っていながら、もう散ってしまうだなんて」 遣り取りを聞いて、プレリュードがふと自身が抱いていた桜への思いを口にする。 不思議と言えば、お花見茶会と言う風習や、せっかくなので合わせてみたいと袖を通したこの着物も、ちょっぴり窮屈で不思議なのだと苦笑いをこぼして。 ホワイトガーデンは、遠くから見ていたのだけれど、と答えた。 「桜の中にとても映える装いの方だなって、思ってたの。素敵」 「ありがとう」 ホワイトガーデンとプレリュードは笑い合う。 直前までの微妙な空気の茶の席が、すっかり和やかなお花見ムードに転じたところで、ここぞとばかり一服差し出すのは、勿論亭主の世界司書だ。 「どうぞよう」 俄かに皆、口を閉ざした。 飲むなとも言えず、積極的に勧めることもできぬ故の無言。 不意に場を支配した沈黙の理由が判らぬまま、ホワイトガーデンは短く礼を述べて、出された茶をそっと手に取る。 片翼の少女の口に椀が近付くにつれ、思わず両手で頬を覆ったどん子の目には、今までで一番まともそうに見えたが、味が伴うとは限らない――むしろ伴うはずが無い。 とうとう抹茶は小さな口に注がれていく。暫くして、ホワイトガーデンは、やがて「わっ」と口を押さえた。 「あ……その、大丈夫?」 真向かいに居たコレットが、本気で心配していた。皆も同じ気持ちである。 「最初は甘みのある感じかと思ったら、後から濃い味なのね」 つまり、二層構造だった。 「……………………」 場が凍りつく中、ホワイトガーデンは持ち前の好奇心に任せて、更なる転機の切欠をもたらした。 「次は私も、お茶を淹れてみて良い?」 「もちろんですよう」 と言うわけで、今度は皆でお茶を点ててみることになった。 「おっし、わかった! この俺が最高級のお茶を出してやろうじゃねーか!」 ここに来て俄然やる気をみせるのはツヴァイである。 「えーっと、確か買ったっきり使ってなかったのがこの辺に……」 手荷物から取り出したる茶筒を開けたところ、 「……!?」 丁度、緑色の粉末にもぞもぞと潜り込む虫の尻が窺えた。 思わず周囲を見回し――誰にも見られていないことに胸を撫で下ろす。 「………………まあいいか!」 ツヴァイがぺしっと太股を叩いて自分を納得させる傍ら、隣ではコレットが独自の観点による淹れ方を試みていた。 「茶道って、やったことないんだけど……でも、紅茶みたいなものよね。きっと」 コレットは、ティーポットに緑茶の茶葉を淹れ、蒸らしている。 決して長くは無い待ち時間。レモンも添えた方がいいかしら、皆はどんなお茶を淹れるのかしらとぼんやりと考え、期待と不安が綯い交ぜになる。 (でも、どんなお茶でも、残しちゃ駄目よね) 食べ物を粗末にするということは、作り手にも、また食べ物に対しても礼を欠くということだ。コレットは先刻のどん子とほぼ同じ思いで臨んだ。 ちなみにレモンの合いそうな、つまり正真正銘の紅茶を淹れていたのはディオンである。姉のオフェリアは抹茶を点てていたが存外に手際良く済ませたようだ。 さて、どん子はと言えば『たぶんおいしい抹茶の淹れ方指南』なる書物と首っ引きで正しいとされる手順と分量をわきまえ、着実に進めている。何にもまして、自らが飲んで体内を浄化するという重要な目的がある為、相当な念の入れようだ。 ――うっ。 不意に、どん子はびくんと引き攣った。 「どうかしたの?」 それとなく皆の様子を窺っていたプレリュードが、どん子を気遣う。 「あ、なっ、なんでもないよぅ、うん。意外とムズカシくってさ」 「そうね。私も、実は本を読んで来たの。でも、中々上手くいかないものね」 今後も出されるであろう抹茶に思考が及んだ為――なんて言えるはずが無い。どん子はてへてへ誤魔化しつつ、身体に障る想像を、止した。 二人の傍に居たホワイトガーデンは、どん子の淹れ方を見ては実践、見ては実践と繰り返しているが、今ひとつふわふわと実感を得るに至らないようだ。 「良かったら、教えましょうか?」 「助かるわ。お願いします」 小首を傾げるホワイトガーデンを見かねて、プレリュードが声を掛けた。 茶を点てる、つまり点前とは、次のようなものである。 先ず、道具を清め、湯で椀を温める。そこに必要量の抹茶、湯の順に注いで茶筅でかき混ぜ、終いに客人に出す。 流れを説明すると、たったこれだけだ。単純であり、故に各々の所作や分量の差が、茶の一服となって如実に顕れる。 「つまり、人柄が浮き彫りになるということね」 単なる様式美ではない、ある種合理的とも思える作法に込められた意図が、垣間見える気がした。 「…………こんな風かしら」 「良いと思うわ」 まだ自分も深くは判らないがと付け加えながらも、プレリュードの目に映る茶は、どこか軽やかで優しげだ。 見様見真似といえばロジーもだが、抹茶を注いで水気も無いままかき混ぜた挙句、お湯を求めて泣き出してしまった。 適当に頃合を見計らって、ガラがすっくと立ち上がる。 「さあさあお茶も揃い踏み。ここから本番、始まりまーす」 特に誘いを受けて来た面々は、即座に状況を理解した。誰からともなく茶を中央に集め、ガラを含めた六名で茶を囲み円になる。 「あら、あなたも?」 プレリュードの意外そうな声に、ガラは大きく頷いた。「お客様のお点前を受けるのも、おもてなしのうちですよう」とのことだ。 各々の席は、ガラの位置を12時とした場合、2時にホワイトガーデン、4時コレット、6時がどん子、8時プレリュード、10時はツヴァイの順となる。 これに従い、2時の者から時計回りにひとり一杯ずつ取って飲んでいくのだ。 ● ラウンド1。 「それじゃ、私から」 幾分緊張気味に椀を取るホワイトガーデンは、実は、彼女らしからぬ横着を目論んでいた。開始直前、トラベルギア『未来日記』に、自分に回ってくる抹茶をまともなものと入れ替えるよう記していたのだ。 「!?」 だが、手元の抹茶を見た瞬間、ホワイトガーデンはびくりと身を強張らせた。 遠目には極普通の抹茶に見えたそれは、粉の塊が漂っていた――つまり、未来日記が無効だった為だ。 (何故――……あ。そうか) 己のトラベルギアの限界を思い出す。 他者はおろか、己にさえ納得できない演出は発現しないのだ。どうやら受け入れることが今在るべきと納得し、ホワイトガーデンは覚悟を決めて小さな口に茶を流し込んだ。 味は悪くない。しかし、ダマがか細い喉を掠めては咳を促し、今少しで咳が出そうと言うところで溶けた抹茶がそれを留める。 耐えかねて、ホワイトガーデンは持参したみたらし団子に手を伸ばした。 隣人の形の良い眉が辛そうに歪むのを間近に見たコレットは、一度決めた覚悟が揺らがぬよう持ち堪えるのに精一杯だった。 「……いただきます」 やっと声を搾り出して選んだ茶碗は、抹茶よりも馴染み深い香りは、周囲の桜に溶け込むような不思議な一体感を醸し出す。 「……? ……紅茶よね……これ」 紛れも無い、桜の紅茶だ。器が和のものに移し変えられていることを除けば何の違和感も無く、優しい口当たり。すっと染み込む桜風味。 やっと笑顔を浮かべたコレットを見て、ツヴァイは自分の淹れた茶がわたらぬことに安堵した。 そう言えば、ツヴァイ以外は全員女性である。 (俺の茶、こっそり捨てた方がいいかもしれねーな) 当初は――否。今も尚、己が飲む可能性は考えずに淹れた茶だが、あの虫玉露を何れかの女性、特にコレットが引き当てた時のことを想像し、ツヴァイは初めて危機感を覚えた。 だが、今更捨てようにも、既に皆、一堂に会して向き合っており、隙が無い。 更に全ての茶は同じ柄の器を用いられている為、見分け難い。 となれば、自ら引き当てるのみ。 「しゃ、洒落になんねぇよぅ!」 「そう言って貰えると、点てた甲斐がありますよう」 どん子とガラの遣り取りが耳に入り、我にかえったツヴァイは、頭の整理がひと区切りついたところで、後はただ祈ることにした。 (手元に戻って来さえすれば何とかなるだろ) はてさて、如何に。 プレリュードが最初に引いたのは、壱番世界の日本人ならば誰もが馴染み深い、緑茶そのもの。ほど良く飲み易い濃さで、緑茶由来の柔らかな甘みがほっとする。 心なしか口内に残留していた抹茶が洗われたような心地。 「ふふ。丁度良いさじ加減で、美味しいわ」 上機嫌なプレリュードに続くツヴァイが手にしたのは、かの二層式抹茶。 「結構なお点前で……でも、ちょっと隠し味が利き過ぎてるかな?」 冗談めかしておどけるツヴァイだが、胸中は手元の妙な抹茶よりも未だ輪の中にある虫玉露が気懸かりだ。 さて、その妙な抹茶を点てた張本人、ガラが手繰り寄せたるは、 「むむっ、これごふぁっ」 お湯無し抹茶だった。 世界司書の白いドレスが緑の飛沫に染まる中、ラウンド2。 今回、ホワイトガーデンが選んだものは、少なくとも見た目に不審な点はみられない。まずは一口、含んでみる。 「?」 作家ホワイトガーデンを以ってしても見出せぬ、表現し得ぬ味。 やがて変化が顕れ始めたのは、口内ではなく、心。 「なんだか、落ち着くわね」 先程の茶の余韻も、今は綺麗に無くなってしまった。 ところで、心に平安を取り戻したホワイトガーデンとは対象的に、コレットは先程から気になっていることがあった。お茶を集めて時間も経つというのに、場の中心からは夥しい湯気が立ち込めているのだ。 「えっと……」 何はともあれ、選ばなくては。 「いただきます……――えっ」 コレットが手にした茶碗こそ、湯気の根源。とは言え殊更熱いということも無く、では、そもそもこれは湯気なのか。妖しげな臭気は感じられないが。 周囲からは立ち込める湯気でコレットの顔が窺えぬほどだが、特に狼狽の様子もなく、どうやら味は比較的まともだったようだ。 「慣れてしまえば、どうということはないさ――っぷ」 気の毒にも当分はどろどろした液体全般受け付けない身体になってしまったどん子が不敵に笑い、半ば自棄の気合いを入れて次の一服に移る。 「うし。いろんなお茶、あたしのとこにどんとこーい!」 勢い任せに茶碗を掴み取った。しかし、どん子はもう、臨界を越えていたのだ。加えて今回の抹茶は――。 「おぅ……」 恐らくあらゆる世界の人類にとって筆舌に尽くし難い。けれど、そんなことはどうだっていいじゃないか。だって世界はこんなにも綺麗なんだもの。 どん子は夢見心地な――逃避とも言える――視線をホワイトガーデンに送る。当のホワイトガーデンは「?」と不思議に思いつつも、とりあえずにこりと微笑み返してあげた。 「桜舞い散る中に佇む、理知的な美少女……」 恍惚としながら、どん子は呟いた。そして――。 「最高の風景だねごめん無理ぃ!!」 ――ぎゅるんっ ● 突如、一同の輪の中に旋風が巻き起こった。 それは皆の服や髪をばたばた巻き上げた後、ツヴァイとガラの間をすり抜けた。 やがてどさりと音がしたので振り向けば、どん子が横たわっている。 「いや、跳び過ぎじゃね?」 ツヴァイの突っ込みはもっともだ。 「このっ! このお茶を淹れたのは誰だあっ!?」 どん子は、じたんばたんタップしたりごろごろ転げたりしながら喚き散らした。 「きゅう……」 そして、動かなくなった。 「………………」 最も果敢に挑んでいた戦友が倒れ、皆に動揺が広がる。 度合いは人それぞれだが、少なくとも直後のプレリュードに与えた影響は大きい。 「気を引き締めて、いくわ」 自らに言い聞かせ、プレリュードは次の椀を速やかに選んだ。音も無く、上品な手つきで口元に運ぶ。 「……あら」 ふわり、軽やかな味わい。桜のような、羽根のような。 プレリュードの天命、未だ尽きず。 「結構なお点前で」 思わぬ上等の一服に、自然と出た言葉は礼の先にある本心だった。 そして、ツヴァイの番である。 表面上は平静を装うツヴァイだが、どん子が被ドラゴンスクリューの如くきりもみした時はもしやと冷汗を浮かべたものだ。 (今んとこ大丈夫みてーだな) 場に残る茶碗は、残り九つ。虫玉露が当たる確率が高まりつつある。そろそろなんとかしないと、次辺り誰かが引いてもおかしくない。 ならば、椀ひとつひとつに触れ、残留思念を読もう。こうした席で特殊能力を使うのは気は引けるが、女性に虫玉露が渡るよりはましだ。 果たしてツヴァイは、ついに虫玉露を手にした。 「…………」 「……どうしたの?」 飲みもせず、妙に真面目くさった顔で茶碗を見つめるツヴァイに、コレットが尋ねる。 「悪い、俺降参な」 ツヴァイは茶碗を置いて、ばつが悪そうに申し出た。 「い、いや、その。さっき見てたんだけど、飛んでた虫が入ったみてーでさ」 咄嗟に思いついた言い訳だが、これで誰が飲むこともなく、虫玉露は闇に葬られるだろう。と、ツヴァイが確信した矢先、なんと、隣のガラが置かれた茶碗に手を伸ばした。 「じゃ、ガラがもらいます」 「ええ!?」 ガラが両手でずずずと引き寄せた茶碗を、皆が注目している只中。 ちゃぽん、と、何かが飛んだ。椀に注がれた茶の中から。 全員、上を見上げた。何か黒くて小さなものが、ぶぶぶと飛翔して満開の桜の中に消えていった。 「……まあいいや。頂きますよう」 暫しきょとんとしていたガラが、特に気にせず飲もうとしたが、 「ちょ、ちょっと待てよ!」 「待ってガラさん!」 「どうしました?」 「危ないわ……!」 「危ないですか?」 ツヴァイを始め、全員が慌てて止めに入った。 虫玉露に限らず、この場にある茶の多くは非常に残念なことに様々な意味で危険なものばかりだが(付け加えるなら危険物の大半は世界司書の手によるものだが)、流石にインパクトが強過ぎたようである。 ガラは相変わらず笑顔のまま、まるで状況が理解できていない風だ。 「ん~~……騒がしいよぅ……」 周囲の物音で、どん子が眠たげに眼を擦った。 ツヴァイは、コレットと一緒に花見がしたかった。 ふたりなら尚良かったと思ったりもしたが、とにもかくにも同席は叶った。 「俺さ。一緒に桜見れてスッゲー嬉しい。来年も、一緒に見られるといいな!」 なんてな、と締め括ったのは、照れ隠しだろうか。 幸いと言うべきか、先の虫玉露の件で『本番』はうやむやとなった。 今は、皆でのんびり茶を啜り、持ち寄った菓子に舌鼓を打っているところだ。 風も無く、桜の花弁は、ひらひらと舞い降りてくる。 丁度、ホワイトガーデンの茶碗にひとひら落ちて、茶に浮かんだ。 「素敵」 こんなにたくさん咲きながら、瞬く間には散ってしまう。儚くて、愛しい花達。 「綺麗だねぇ」 「うん」 どん子に返事をしてみてから、なんだかずるいと思ってしまう。 ずるいのは、桜? それとも、壱番世界の人? 「やっぱり不思議ね。こうしているだけで、楽しいわ」 「ええ」 プレリュードの優しい声に相槌を打って、合点がゆく。 ずるいのは、今この時を過ごしている皆。ずるいのは、今ここに居る、私。 そう思うと、なんだかたまらなく嬉しくて、ホワイトガーデンは笑った。 なんて贅沢なんだろう。 「ここって、無人かどうか確かめたら閉めちゃうって、本当かなあ……」 恐らく、コレットの言葉は、多くの旅人達の気持ちそのものでもあるのだろう。 「もったいないねぇ。夏にも来てみたいんだけど」 どん子はみたらし団子をぱくりと咥え、「きっと蝉でいっぱいだよぅ」と目を輝かせた。 そんな日が来ればいいと思いながら、コレットは、ふと、ガラに声を掛けた。 「あの……桜の枝を一本……持って帰りたいの。駄目……かな……?」 桜は接ぎ木で育つもの。もし、このチェンバーが閉じてしまっても、今日、ここで過ごした記憶が、いつまでも残りますように。 ささやかな、願いだった。 「いいですよう」 ガラはと言えばホワイトガーデンが持ち寄った上生菓子など頬張りながら、実に呑気に笑って答えた。
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