オープニング

 広がる海はひとつでも、生まれる波は一つではなく定まっている事は無い。時には波同士がぶつかり、新たな渦や流れを作り出す。
 ブルーインブルーのとある港に、一隻の客船が停泊している。そこでは海上都市の富裕層や有力な商人を対象として古今東西集められた珍品名品の競売が行われるという事だったが、その裏でそれとは別の売買が行われるのだという。
 普通では取り引きされないもの――「人」が売り買いされるのだ、と「導きの書」の頁を捲りながら瑛嘉は告げる。
「主催者は『血の富豪』と呼ばれる海賊、ガルタンロック。……本人がその船に乗っている訳ではないようだけど、関係しているのは間違いないわ。皆には売買が行われる船に乗り込んで、ジャンクヘヴン海軍が現場で摘発を行えるようにして欲しいの」
 そもそもの事の始まりは、娘が攫われたという知らせからだった。
 名前はリコ、ぱっちりとした瞳と茶髪に添えられた赤い大きなリボンが特徴的な少女で、知らせを受けた海軍が調べてみるとガルタンロック配下の者達が他にも女子供を誘拐して競売に掛けるらしいという事が分かった。
 娘を助けて欲しいという知らせを受けた事と行われているのは悪事である為、ジャンクヘヴンの海軍は解決に向けて動き出す。しかしながら、それには障害があった。
「言ったように、ガルタンロックが催す『商売』は富裕層や有力な商人相手がほとんど。売買も御客が乗り込んだ後は港から沖合に行ってしまうから、海軍としては手が出し難い事になっているわ。だから皆には逃げられないような証拠――この場合、現場も含まれるわね。それを押さえて手引きの合図をして欲しいの」
 人身売買が行われるであろう、というものだけでは証拠不足。海軍が件の船に追い付くのに少し時間が掛かる所為もあり、現行犯が望ましい。
 そこまで言って、瑛嘉は「導きの書」に落としていた目線を上げる。
「……それと、ね。皆の乗り込んで貰う船に、『海賊王子』と称されるロミオが予告状を出しているみたい」
 ロミオという海賊は、自身が襲撃する船へ事前に予告状を出す。戦力としてはブルーインブルーの海賊達の中でも高くなく、トラベラー達にとって取るに足らない程度だろうが、予告状が出されたという事は確実にロミオ率いる海賊達の襲撃があると考えられた。
「ロミオの方はいつ仕掛けて来るか詳しくは分からないけれど、皆の乗り込む船が沖合に出ないと彼も海賊だからやり難いと思うわ。ジャンクヘヴンの方もこの事は知っていて、この機会だから同時にロミオも捕縛出来たら良い、と思っているようね。ガルタンロックもロミオも、海賊だもの。捕まえたいのは一緒よね」
 ロミオの方が何故船に予告状を出したのかは、分からない。御互い海賊同士、同盟を組んでいる訳でもなく、ロミオの海賊団は主に富裕層から海賊行為を行っているようなので標的がかち合いでもしたのだろうか。
 だが、今回の目的は船で行われる人身売買の摘発と攫われた者達の救出。ロミオの方はついでとして考えるように、というのが海軍側からの言だという。
「潜入の手筈は何とかなるみたいだから、後は船内での皆の振る舞い次第ね。それじゃ皆……行ってらっしゃい」
 起こり得るだろうが確定しない先を見るのを止めるかのように「導きの書」を閉じ、瑛嘉はチケットを差し出した。

 予告状はもう出した。あの船で行われる事は知っていた。来るべきその時まで備えろと仲間達を労い、青年は巻いたバンダナとは対照的な青い海と向かい合って思いを馳せる。
 あの船が沖合に出れば、海軍があの船に対して手出しする事は難しいだろう。だから自分達がやらなければならないと覚悟を決めながら、不意に海軍といえばと思い出す。
「……そういえば――いつもジャンクヘヴンに協力してるあの連中、何なんだろうな」
 誰も知らず、素性もはっきりとしない癖に手練れが多く何よりも変わっている。如何してジャンクヘヴンに協力しているのかも分からない。
 特に親しいという訳ではないが、結構話せる奴等なのではないだろうか。何処の奴等かも分からないが、こういう時は協力でも出来れば良いのに。そう思った所で、緩く首を左右に振る。
「無いものねだりするより、決めた事をやらないとな」
 手にしたコンパスは一定の方向を示すが、それを信じて進んでいくのかは手にした者次第。そう呟き、青年――ロミオは決意を秘めた眼差しで真っ直ぐに海の向こうを見据えた。

品目シナリオ 管理番号547
クリエイター月見里 らく(wzam6304)
クリエイターコメント ブルーインブルーにて御送り致します、月見里 らくです。

 初めに、この【青の羅針盤】シナリオは当方月見里からはじまり複数WRリレー形式の連続シナリオ構成になる予定です。時間軸は同じではないので、この連作における同PC様の続けての参加や前シナリオ未参加のPC様の参加など、特に制限はありません。

 今回の依頼は娘が攫われ、助けを求めたジャンクヘヴン海軍が表向きは通常の競売だが裏で人身売買が行われる船を摘発出来るように潜入と摘発の手引きをするというものです。主催者のガルタンロックは乗り込む船に居ませんので、直接の絡みは御遠慮下さい。残酷系描写等は当方得意ではありませんので書いてもあっさり、全体的な流れに描写の比重が置かれる予定。御届けには少々御時間を頂きそうです。

 海軍の到着はあまり早くありませんので、その点御留意を。なお、乗り込む船に予告状を出したロミオと接触が出来る機会があるかもしれません。

 長々と書きましたが、精一杯書かせて頂きたいと思います。
 それでは、皆様のプレイングを御待ちしています。

参加者
イヴァン・アラーニャ(cevf1042)コンダクター 男 29歳 道化師
木乃咲 進(cmsm7059)ツーリスト 男 16歳 元学生
花篝(cnft2722)ツーリスト 女 15歳 兵部卿宮
ジュリアン・H・コラルヴェント(cutn5843)ツーリスト 男 26歳 専属エージェント

ノベル

 陽が沈み、客を乗せた船は沖合に向かう。
 「本来の」催しが始まるにはまだ早く、その前に「普通の」競売が行われている。陸とは繋がっていない海の上である為、外とは隔絶された独特の雰囲気が辺りには漂っている。しかしながらその中でも裕福な客達に混じって、金で雇われたらしい見張りも混じっていた。
「おい! 何入ろうとしている!?」
 競売の会場兼パーティーにもなっているのでほとんどの客が集まっている大広間の隅で、見張りをしていた者が会場に入って来た者を見て呼び止める。招待客には見えないその風体に誰だ、と胡乱気な目を向けられ、イヴァン・アラーニャはおどけたように振り返った。
「ピエロだよ! ピエロ! 見て分かるでしょぉ? イカレたショーの前に、素晴らしい前芸はどう? ボクゥのショーで更に盛り上がるよぉ!」
 きゃはは! と場違いに笑う姿は幸運と言うべきか然程人目に付きはしなかったが、それでも視界に入れば気にされてしまう程度には目立つ。極彩色の衣装に派手なメイク、奇抜と言うに相応しいその姿は確かに言う通りピエロにしか見えない。その証明として、御丁寧にも何処からか取り出した風船で犬を作るというアピールも付け足される。
 イカれたショー、つまり今行われている競売ではなく、後の催しの事を言っているから、その前座として呼ばれでもしたのだろうか。何処かネジが外れているような態度だが、主催者――ガルタンロックの好みには合致しそうかもしれない。そういう風に見張りが思った所で、唐突に風船が目の前で割れた。
 突然響いた破裂音に、周囲の視線が一気に集まる。如何反応したら良いのか分からなくなったのか足早に会場から何処かへ行く見張りに対して、イヴァンは好奇に溢れた視線達を物怖じするどころか益々おかしそうに笑い声を上げた。
「あはっ! こんなつまんないものよりさ、ボクゥのショー見てってよぉ?」
 一度背に隠した腕と手が身体の前に出された時に握られていたのは、数個のボール。イヴァンがそれを器用に宙に投げていき、会場の客達が物珍しげに見つめる。
 その様も含めて周囲をぐるりと見渡していたジュリアン・H・コラルヴェントは心中で嘆息した。
「……ここの金持ちも同じか、ロクな趣味じゃないな」
 富裕層や有力な商人が集まっているだけあって、船の内装も客達の服装も豪奢なものが多い。それだけならまだしも、聞こえて来る会話などはあまり趣味が良いとは言えない。情報収集の為とはいえ、普通の神経をしているのなら辟易している所だろう。
 競売自体は裏では違い、表向きのものではあるとはいえ海軍の目を眩ます為もあるのか古今東西集められたという物品の数々は珍しいものが多いらしい。船の関係者を探す傍ら、真理数の有無も確認してみるがロストレイルに同乗した他のトラベラー達を除き、真理数が異なっていたり、見えないという事は無かった。その辺りの心配についてはしなくても良いようだ、と判断すると、ジュリアンは意図的に客の一人と擦れ違い様に肩をぶつからせる。
 ぶつかった時は丁寧な所作で謝罪し、一度御互い背を向けた所で客に向かって呼び止めた。
「……失礼、何か落としましたよ」
 手に持つのは、客の物である装飾品。落としたのではなく実際は掏り取ったのだが、当然の如くそんな事は口にしない。そしてその事実を知らない客は、素直にジュリアンの言葉を受け止めて感謝を述べた。
「ああ、これはこれは……見た所まだ御若いようですが」
「えぇ、此方へ買い付けを頼まれた人間でして……我が主人は事情の為、直接このような場には中々来られませんものですから、代わりに」
 予め用意しておいた台詞を言う口に、淀みは含まれない。詳しくは明かさず、けれども一切不明にはしない曖昧な言い草に目の前の客は興味を惹かれたように相槌を打つ。顔こそ隠していないが、立場を明らかにしていない客達も多い。招待されるのは限られた人間しかいないのだから、そこから推測される事も限られる。
 保身には余念が無いが好奇心はあるという典型的なタイプらしい客はジュリアンの物怖じしていないように見える態度に、益々興味を惹かれたらしかった。
 他にも近付いて来た客達を他愛無い雑談をするりと核心部分は避けて交わし、頃合を見てジュリアンは客に切り出す。
「この後に行われる売り……他の方々に先んじて、確かめるのも面白くありませんか」
 今、この船に乗っているという事実から考えても目的は現在行われている「普通の」競売だけではないと知っているだろう。そっと切り出された話に客は周囲を慌てて見ながら、更にその先を求める。
「確かに始まってしまえば同じ事かもしれませんが――こうして今の競売を眺めていても、退屈なだけ。時々は冒険するのも良いでしょう? 場所の問題とて、知る事など貴方なら容易いものでしょう」
 今の所は普通の競売の方にも幾らか意識が向かっている為か、後の売買の「商品」が居るらしい所が何処なのかまでは掴めていない。主催側もそれなりに警備などはしているだろうが、「御得意様」の気紛れくらいは聞いて貰えるかもしれない。
 客は暫く迷っていたものの、自尊心をくすぐられるような事を言われて簡単にそれに乗っかってしまう。単純なものだ、とは口には出さずに見張りの居ない会場から出て通路に共だって向かう。
 通路を歩く最中に些か小柄な乗組員らしい姿と擦れ違ったものの、ジュリアンはそれを無視。その意味を知る先程擦れ違った乗組員――否、それに扮した花篝は此方もジュリアンの方には敢えて何も反応せず、船内を駆けた。
 船内を探る中で、まず目を付けたのは乗客リスト。これは乗組員全員に対しても不自然が無いように配布される為に、入手は簡単だった。参加者を把握出来る書類があれば海軍の方も摘発がしやすいだろう、と乗客リストを捲り、その中に記されているのが本当に「招待客」しか居ない事を確かめる。これで他に「人」が居るようなら、それが証拠になるだろう。他に金銭の遣り取りに関する書類も集めたかった所なのだが、これは流石に鍵が掛けられた部屋にあるようで、手に入れるのは難しい。不自然な部分や不備でこれからの同じような企みを知る事も出来ると思ったものの叶わぬ以上それは海軍が来てからに任せ、花篝は他のものを探す事にする。
 他のもの――といっても、それは「物」ではない。否、「物」として扱われていたが、それを物品として認める事など断固として出来なかった。
 船の構造を知るがてら、船内で目的の場所を探す。客船は大型より少しだけグレードが落ちた程度だったが、それでも一人で探すには辛いものがある。現在は表向きの競売が行われている最中の筈だが、それが終わったら「本来の」催しが待っている。それまでには、と無意識に運んだ足は会場近くだが暗く目に付き難い狭い通路に入り、見るからに「関係者以外立ち入り禁止」といった場所を見つけた。
 その分かりやすさに若干不安を覚えつつ、花篝は鍵が掛けられていない事を確認してから部屋の中に入る。中は照明など無い所為で暗く視界が不自由ではあったが、やがてその暗さに慣れて来ると内部がよく分かった。
 そこには、鎖で繋がれた女子供――数はそう多く居なかったが、誰もが明らかに怯えている。乗客とは違い衣服はブルーインブルーで言う中流階級のもので、合意の上で此処に居るようには見えなかった。
「何て、酷い事を……」
 口にするのも憚るように小さく呟き、花篝はそこに居る者達の方へ近付く。格好自体は船の乗組員だった為に近寄った時には警戒されたがそれにも構わず、その場に屈み込むと柔らかな微笑みを向けた。
「私達は味方です。此方から助けに参りました……どうか、安心なさって下さい」
 少しでも恐怖が和らぐように穏やかな口調で告げ、此処に居る者達の自由を奪っている物を見る。
 風の刃で切り裂いても良いが、それだと若干傷付けてしまわないか不安がある。周囲を見渡してみても鍵らしいものは無く、心苦しいが現状のままにしておくしかないのだろうかと思っていると、花篝の背後から物音がした。
「誰だ? 勝手に入って――」
 慌てて振り返ると、そこには此処の見張りなのかそれとも通り掛かりなのか乗組員の男が居た。
 船に乗務員として装う際に服装などは他と大差無いものであったが、咄嗟に誤魔化すには遅い。仕方なく実力行使しかないと花篝が思った矢先、乗組員の男が倒れる。その後ろには、木乃咲 進が居た。
「……大丈夫か?」
 何気無く問うと花篝から肯定が来たのでそれに対して頷きで返し、木乃咲は先程気絶させた男をトイレまで運び込む。場所から場所へ移動させる為に周囲の眼に付かないかの問題はあるが、幸いにしてトイレまでの距離は近かった。
 トイレの個室に乗組員の男を連れて入り、その服を剥ぐ。勿論、その服を拝借する為であってそれ以上の他意は無い。上下一揃え、外見は誤魔化せる程度に服を剥いだ後は途中で出て来られても困るので身動き取れないように縛り上げ、そのままトイレの個室の中に押し込んでおく。身ぐるみ剥がされて縛られた男がトイレの個室の中、という光景は正直色々同情しなくもないが、今は一先ず考えないでおいた。
 拝借した服のサイズは特に問題無く、気絶させた時に少し破いてしまった所があったのでそれは持参の裁縫セットで軽く縫う。一応、それなりの格好になった所で、ポケットにMP3プレーヤーを入れる。プレーヤーには録音機能があるので、必要ならば会場の音声を記録する事も出来るだろう。この世界では見ないものなのでオーバーテクノロジーがあるとはいえ証拠になるだろうかという事と、此方で何か失言が無いように気を付けなければならないが。
「……ぶっちゃけ、戦闘とか面倒だし、出来うる限り平穏に行きたい所だな」
 意識せずして、木乃咲の口から嘆息が漏れる。
 人身売買に義賊らしい海賊。正直、人身売買なんて馬鹿馬鹿しくて仕方が無いと思う。ロミオとかいう海賊達が万が一現れなかった場合は面倒臭い事になるだろうが、今までの報告やらから察するに今回も予告状を出している以上現れると考えて良いだろう。
 ただ、何時現れるのかまでは分からない。それまでは無闇に何かしらの騒ぎを起こす意味も見当たらないので、海賊達が来るまでは大人しくしている方が賢明ではあるだろう。
 そう思いながらトイレから出ると、先程気絶させた乗組員を引っ張って来た所に花篝の姿は無い。他のやるべき事をやりに行ったのだろう、咎めるような覚えも無いのでそこから視線を外すと、そこでちょうど船内を粗方見回っていたらしいジュリアンと出くわす。
 傍らにはこの船の乗客らしい人間。それを見て取り、木乃咲は話し掛ける事はせず連れた客には気付かれぬようにジュリアンへ視線と僅かな所作で最低限の事を伝える。ジュリアンの方も直ぐに意図に気付き、分かるかどうかの首肯のみを返して乗客と共にそこを立ち去っていった。
「やはり、最近の摘発を少々警戒しているようですね」
 此方は目的のもの自体は見つけられなかったが、それについては他の者達が居場所を掴んでいたようなので問題無い。船長の居場所も分かったので首尾としては上出来だ、と心中とは違う台詞をカモフラージュ代わりに連れている乗客と話しながら、ジュリアンは会場の方へ戻る。
「さぁさぁ、皆サマ、お立ちあい!」
 会場に入る前から、イヴァンの声が響く。会場に入るとちょうど表向きの競売が終わった所で、「本来の」売買の準備までに時間があるのかその間の暇潰しかのように前芸がされていた。
 注目を集める声の後、イヴァンの両手の指の間に数本のナイフが挟まれる。照明で銀に閃くナイフがイヴァンの頭上に放り投げられ、天井に突き刺さる程ではない力で投げられたそれは重力に従って下に落ちる。下に居るのは、当然のようにイヴァン自身。避ける事もせずにナイフを身体で受け止め、悲鳴を上げた主に御婦人達に向かって可笑しそうに両手を広げる。実際の所、痛み云々はセクタンの能力で帳消しにした為、身体的なダメージは無い。
 傍から見れば、イカれた行為。そのような事を平気でしてみせるパフォーマンスをしていると、やがて舞台に立つ進行役が本来の売買の始まりを告げた。
 間違いなく船に乗っている客は全員何が行われているか知っているだろうに勿体付けた前振りの後、客全員に見えるステージらしい所に幾人かの女子供が連れ出される。攫われた時から着替えていないであろう服は汚れ、少し破れている所もある。逃げられない為と少々の趣向もあるのか鎖で繋がれたままで、誰もが恐怖に震えている。それに対して客達は遠慮の無い、良心が咎めるようなものではなく好奇の対象として眺めては周囲に居る他の客達と話を交わしていた。
「イカレてて最高ぉ! こんなショーは毎日あるの? これからはボクゥも毎回出たいなぁ!」
 ステージに居る女子供には冷たい眼を向けながら、イヴァンは近くに居る客達に笑いながら問い掛ける。気が狂ったような様子ではあるが、船の乗組員やら客から讒言が来るような事は無い。
 如何やらこの船を取り仕切る主催者が催すものの中では、珍しくない部類らしい。客もそれを楽しんでいる、という何よりの証だろう。上辺だけは同情心たっぷりに取り繕った口上と共に飛び交う競り合いが続く中、ふっと次の「商品」の名が呼ばれる。ステージの方には、大きな瞳を潤ませた少女がそこに居た。
 茶色の髪の毛に、赤いリボンが微かに揺れる。同情心を煽るようでかえって嫌味ったらしい司会者が呼んだ名と、世界図書館から依頼の説明を受けた時に聞いた名とその特徴が合致する。
 競売の方式はごく一般的なもの――入札する買い手側が価格を釣り上げながら、最終的に最も高い価格を提示した買い手に落札されるという方式である。最低価格から始まり、最初の客がコールした直後にイヴァンがその上値をコールする。
「ボクゥ、この子気に入っちゃった! 買っちゃいたいなぁ!」
 当たり前だが、持ち金などは無い。しかし他の客がコールした間も無くしてイヴァンが値を吊り上げるという行為が続いた為、その場の競りは他と比べて値の吊り上げ合戦になっていた。参加者が裕福な人間ばかりの為に、それに応じて自尊心が高い所為なのだろう。
「イイ加減、ボクゥに買わせてよぉ。テントにお腹を空かせたクマとライオンがいるんだからー!」
 競り合いの最中、段々と高くなる値にも構わずイヴァンが言うと、ステージに居る少女がびくりと肩を震わせる。生き物など連れて行けないので嘘に決まっているのだが、本当にそのような事をしそうな顔で言った為か嘘のようには見られなかったらしい。
 天井知らずに上がりそうな値でも、やがては限界が来る。コールが止んだ数秒後、ステージの上で競売のハンマーが叩かれるその寸前でステージとは逆の方向から悲鳴が上がった。
 この船に招待されている客達とは、明らかに異なる服装に其々に手に持っているのは武器。――招かれざる客。
「海賊だ! 乗客は部屋に戻って施錠を!」
 こっそり乗務員に扮した木乃咲が混乱に乗じて客に指示を飛ばし、後で面倒な事にならぬようにする。海賊が出たという事実に変わりないのだから、指示として不自然な所は無い。
「件の海賊とやらか……物好きなヤツも居たもんだな。残念ながら、今は手が回らない」
 ステージの方を見ていたので背後の方に目を向けながら、ジュリアンは誰にも聞こえない声量で呟きを落とす。現在は依頼の優先順位通りに動いた方が、賢明だろう。
 会場から次々と乗客が逃げていく中で他の乗客を促すようでいてその実、単独で避難を目的としていないであろうジュリアンを木乃咲は視界の端で見送った後、この船の関係者と思しき人物に目を向ける。
 客には避難するように言ったが、他は別。逃げようとするその者の首根っこを後ろから引っ掴み、引き様にその鳩尾に蹴りを叩き込む。流石にトラベルギアのナイフでは若干、出入り口に向かって殺到する乗客を捌きながら失神させるのは難しかった。
「人を売り買いの対象にするなんて、許しておく訳には参りません――」
 ステージの方でも突然の事に慌てた司会者が逃げるその進路上に、幕下で裏方として紛れ込んだ花篝が飛び出す。進路妨害に司会者が何か反応をする前に花篝は頭上から風を集めて固めたものを落として気を失わせ、ステージに連れて来られた者達の方へ目を向ける。そこには、何時の間にかステージに上がっていたらしいイヴァンが居た。
「もぅ、大丈夫なんだよ?」
 安心など出来ない展開続きで心身共に過敏な状態になっている子供や女性達に、イヴァンはコトン、と首を傾ける。メイクと道化じみた所作ではあったが、一見は何も無かった筈のハットから色とりどりのテープを出す簡単な手品を見せて不安がらせないようにする。
 その様子に安堵の息を零しながら花篝はステージから降り、先に海賊の相手をしているらしい木乃咲の援護に回る。如何やら、視認出来る限りで会場に居る船の関係者は最初の方に黙らせておいたらしい。
 能力を持たない人間にとって訳の分からない不可思議な力を持つ者の相手は、言うまでも無く分が悪い。それ以前に戦闘力的にはあまり洗練されていないらしい事を感じながら、木乃咲は離れた間合いから空間を繋げて虚空から手だけを出し、持ったナイフで海賊の肩を切り裂く。
 戦闘と言うには些か温い立ち合いでも海賊達が警戒して近付かなくなった頃、新たに海賊達を率いて一人の青年が現れる。
 健康的な褐色の肌に、緩やかにたなびく黒髪。深紅のバンダナが特徴的なその青年は他の海賊達を一旦退かせ、自ら前に一歩進み出た。
「予告状の通り――この船にある『商品』を奪いに来た」
 商品、と言った部分だけ、青年の口調に苦味が走る。黒曜石を思わせる双瞳は、真っ直ぐに前を見つめている。その覚悟が籠もった眼差しを見ながら、木乃咲は遠慮など籠もらない口調で切り出した。
「そこの毒飲んで死にそうな名前の赤いバンダナの奴。単刀直入に言うが、こいつ送り届けるのと海軍と戦うの、どっちが良い?」
「……何を言っているんだ?」
 問い掛けに問い返してしまったのは、咄嗟に理解出来なかった為だろう。毒飲んで死にそうな名前、の所は出典を知らないのだろうが、後半部分の特徴で青年は自分なのだと分かってはいるらしい。しかしその後の問い掛け部分は他の事を省き過ぎていた為か、理解には及んでいないようだった。
 こいつ、と青年と向かい合う形で背後のステージに居る女子供等を示しているが、それでも分かり辛い。眼差しに険しさを青年が含ませた所で、花篝が補足した。
「あなた様が、ロミオ様と御見受け致します。ロミオ様は、この船で行われる事を御存知だったのでしょう? 間も無く、海軍がこの船に来ます。そうしたら……」
 この船で行われる本当の目的を知っていたから、予告状を出したのだろう。ロミオが関わる報告書を見てみると義賊的な行動をしているようで、今回もそのような可能性が高い。売買に掛けられていた女子供達に関しても、今より手酷い扱いはしないだろう。
 だが、世界司書が言っていたようにロミオも所詮海賊である事には変わりない。海軍にしてみれば、捕縛対象。そう考えての木乃咲の発言である事まで青年――ロミオの思考が辿り着き、そこから暫し時間を置くと先程より幾分か剣呑さが和らいだ目が向く。
「……訊くが、お前等は海軍の協力者なのか」
「えぇ。決して、救うべき方々に対して危害を加えてなどいません」
 返答にまた数秒黙考が続き、そうか、と短く言葉が返される。そうしてロミオは他の海賊達は動かないように言ってから、一人ステージの方へ向かう。ちょうど競売中にロミオ達が乱入して来た為にステージの真ん中に居た少女の傍まで来ると、目線を合わせる為にその場にしゃがみ込んだ。
「助けるのが遅れた。……だが、もう心配しなくて良い。よく頑張ったな」
 少女の茶髪と赤いリボンの上に自らの掌を乗せ、ロミオは穏やかに笑い掛ける。陽光のように明るさを伴う表情と温かな掌の感触に、目に涙を溜めていた少女の頬が僅かに赤く染まった。
「ひゃはっ! おーじサマとのご対面だねェ!」
「おうじ、さま……?」
 イヴァンの発言をからかいと取ったらしく少し憮然としながらも、ロミオは少女の頭を髪の毛が乱れない程度に撫でてから身を翻す。そのまま特に女子供達を連れて行く気配の無い様子に木乃咲が不審げな目で見ていると、視線を受けたロミオがそれに答えた。
「海軍が来るなら、おれ達が連れていくまでも無いだろ」
 保護される事に変わりがないのなら、同じ事。ロミオの方としても、この船と同じように人身売買をする気など無い。
 ロミオの言葉にこの後の海軍の事情聴取がある可能性とそれの面倒臭さを思ってちょっとばかり木乃咲が渋い顔をしていると、会場に戻って来たジュリアンがこの船の船長らしい人物を連行して地面に転がした。
「現場は取り押さえ、海軍の手引きもしたが『商品』が居ない、というのは不自然だからだろう」
 如何やら、先程までの遣り取りは聞いていたらしい。船長は気絶しているようだが、油断無くトラベルギアのレイピアを向けてジュリアンは言う。ロミオはその言葉に頷きはしなかったものの、否定もしない事から肯定であるらしかった。
「粗方、この船の関係者や乗組員と思われる者達は身動きが出来ないようにしておいた。船に関しては制圧したと見て良いだろう。脱出用の器具は使えないようになっていたが……」
「はい。騒ぎに紛れてどなたかに逃げられてしまっても困りますから、風の刃で切り裂いておきました」
 海賊達との戦闘中、ジュリアンの方は単独で隠密行動をしていた。船の関係者は、会場だけ居るとは限らない。その際に見掛けた所については、花篝が可憐な容姿には似合わず用意周到に根回しをしていたようだった。
 後は、海軍に処罰を任せるだけ。言わずとも廻る思考にロミオは一度船長に厳しい視線を向けてから、トラベラー達の方を見る。そこには、当初あった疑わしさや険しさは見当たらない。
「……腕は立つのに、何処か変な奴等だな。もしもまた機会があるのなら、その時は――」
 そこまで言い掛け、口を閉ざしてから笑って首を振る。
「――否、止めておこう。……野郎共! 海軍が来る前に引き上げるぞ!」
 完全にトラベラー達から背を向け、他の海賊達に呼び掛けて撤退していく。リーダーであるロミオの指示に従い、他の海賊達はぞろぞろと会場から去っていった。技量はともかく、統率は取れているらしい。
 そしてその直後、花篝が打ち上げた幻の花火を合図としてジャンクヘヴンの海軍が突入する。証拠などは充分に揃っているので、摘発するにあたって問題は無いだろう。ロミオの方は花篝が幻術で海賊船の周囲に濃霧を生み出しておいたので発見はされ難いとは思うが、濃霧に関連するものと疑いが掛けられそうな心配と予告状に関しては海軍も知る所なのでその説明が些か問題といえば問題かもしれない。
 けれども一応はこれで落着になるのだろう、と木乃咲は船から暗闇に沈む海を見ながら息を零した。

 取り仕切っていた船が、海軍の摘発を受けた。
「ほう、またですか……此処最近は海軍に協力しているらしい妙な者達が居る御陰で、困った限りですねぇ」
 摘発を受けたのは、直接赴くまでもない末端の所。少しくらいヘマがあった所で然したる打撃にはならないのだが、此処最近は頻繁に摘発を受けているのでチリも積もれば何とやらというやつだ。それなりに商売には響いて来る。
 この所、海軍に協力している正体不明の者達。海軍の所属ではなく外部協力者らしいので雇われなのだろうとは思っているが、此方で色々とその辺りの事を探ってみるもののそういった雇われ者の情報は掴めていない。
「全く、忌々しい限りです。クライアントの方々もそろそろありきたりのショーには飽きて来た頃ですし、今度は何か趣向を凝らしたものにしませんと……」
 様々な思索を廻らせ、手元のワインを飲み干そうとした所で不意にその手が止まる。見つめる先に揺蕩う鮮やかな深紅の色彩が、何かの影を映すように歪む。
「ああ――ちょうど、都合の良いものが居ましたねぇ……これなら此方は勿論、クライアントの方々も御満足頂ける事でしょう」
 ガラス面に、愉しげに捩じれた醜悪な相貌が反射して映る。
 手元で弄んだワイングラスに注がれた液体が揺れ、まるで青い海が鮮血で染まったかのように見えていた。

 寄せた波が一度引いても、それが終わりだとは限らない。
 更に多くのものを巻き込み、大波となって襲うだろう――。

クリエイターコメント 御待たせ致しました、リプレイを御送り致します。今回は裏で人身売買が行われる船の摘発でした。
 些か反映に偏りが出た感がするのは自らの技量不足に恥じ入る限りですが、皆様のプレイング内容は結果として非常にバランスが良かったのが書き上げての思いです。
 さて、今回は成功としながらも何やら不穏な影を残しつつ、次のWRさまにバトンタッチと致します。次のWRさまによる【青の羅針盤】シナリオが出るまで、少々御待ち下さい。
 最後に、この度はシナリオに御参加頂き誠に有難う御座いました。
公開日時2010-05-25(火) 18:10

 

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