装甲列車「スレッドライナー」車内。 カンダータ軍ダンクス大隊における兵器開発主任として、インヤンガイにて数々の邪悪な実験を重ねてきた「博士」ことイグナチオ・キルケゴール大尉は、ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードに取り押さえられ、息も絶え絶えになりながらも尚、悪意に歪んだ冷笑を浮かべていた。「ほほう……貴殿は『ただの人間』ではないようですな。その身体の半分は、機械で出来ている。それも、あの薄汚いインヤンガイとも、我が栄光のカンダータの技術とも違う……興味深いですな。実に興味深い。是非一度、バラバラに分解して構造解析してみたいものです」「減らず口を……っ!」 圧倒的優位に立つはずのガルバリュートの神経を逆撫でするかのように、クックックッと小馬鹿にしたような含み笑いを浮かべるキルケゴール。いかに強靭な肉体を自慢しようが、所詮貴様などこの天才たる私の間ではモルモットに過ぎぬ、といわんばかりの「創造主の領域に近づきし者」としての妄執が、肉体的苦痛に折れそうになるプライドを辛うじて維持していた。 だがその余裕は、周囲の兵士たちの喧騒に断ち切られた。「タグブレイクかっ!? ダンクス大隊そのものを切り捨てるつもりか……っ」 次々と侵入者たちを巻き込み、光となって消えゆく部下の姿を見て、ただでさえ血色の悪いキルケゴールの顔が更に青ざめる。 やがて一人の兵士が、彼らに向かって突進するのが見えた。「貴様……上官の私まで巻き込むつもりかっ!?」(どういうことだ?) 忌々しげに兵士を睨むキルケゴールの様子に、ガルバリュートも只ならぬ気配を感じとる。しかし、ここで力を緩めて、せっかく捕まえた敵の重要人物をみすみす取り逃がすわけにはいかない。「離せっ……!」 我が身を戒める巨漢に向けられたキルケゴールの言葉は、しかし、運命の瞬間に間に合うことはなかった。兵士が四散するのと同時に巻き起こった光の奔流は、瞬く間に二人を包み込んでゆく。「ガルバリュート殿……!?」 白い光は壁となって、ガルバリュートと彼の戦友の間を分かつ。友の叫びに仮面の下で微笑みながら、それでも彼はポージングをすることを忘れていなかった。見よ。最後の瞬間まで敵に対して一歩も引かず、己の力を振り絞り続けた『真の漢』の姿を目に焼きつけよと言うかのように。 彼を含め、タグブレイクに巻き込まれ失踪した十二人の行方が判明するのは、それから数日後のことである。◇ その日、世界司書のオリガ・アヴァローナは、旅人達に急ぎ招集をかけた。「先のトレインウォーではお疲れ様。そして……本当にありがとう」 彼女は当時から、自らの依頼で送り出した者が危機的状況に陥ったことを心痛に思い、そして彼らを救い出してくれた勇気ある仲間たちに、心からの感謝を述べた。「それと……当時行方不明になったロストナンバーの一人、ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードさんの転移先が判明したわ」 新たな朗報に、旅人達の顔が一気に明るくなる。「場所は『ミスタ・テスラ』。技術レベルや文化は、壱番世界で言う19世紀末のヨーロッパに近い、と言えば分かるかしら。特徴的なのは、蒸気を用いた科学技術が非常に発展しているところね。以前から存在自体は知られていたけれど、世界図書館の介入を必要とする重大事件が少なかったこともあって、これまであまり調査は行われていなかったの」 それよりも、と集まった旅人の一人が、オリガの言葉を遮り質問する。ガルバリュートは確か、キルケゴール博士とかいう敵側の人物と一緒にいるところを、タグブレイクに巻き込まれて転移させられたはずだ。ならば、そいつも一緒に転移したのではないのか? と。「キルケゴールの行方までは判明しなかったわ。状況的に同じミスタ・テスラに転移した可能性もないとは言えないけれど……今分かっているのは『ガルバリュートさんと一緒にいない』ことだけ。とにかく今は、ガルバリュートさんの救助を最優先して頂戴。彼は『プラチナム・パレス』という場所にいるところまでは判明しているけれど、世界図書館のチケットを持っていないから、現地の言葉が話せずに困っているはずよ。……そうそう。向こうについたら、この人物を尋ねなさい」 そう言ってオリガは、旅人達に住所と電話番号、そして簡単な地図の書かれたメモを手渡した。「シドニー・ウェリントン。かつてミスタ・テスラを『最初に』訪れたロストナンバー。今は再帰属して『コメット・エキスプレス』という新聞社の社長兼編集長になっているわ。彼ならきっと、あなた達の力になってくれるでしょう」◇「ようこそ、蒸気機関と夢の都『ミスタ・テスラ』へ……って、お前らの前で気取ったってしょうがねえわな。こっちへ来て真っ先に俺を訪ねてきたってことは、大方オリガに何か頼まれたってとこだろ。歓迎するぜ」 大衆紙『コメット・エキスプレス』のオフィスで出迎えた黒髪に黒ぶち眼鏡の男、シドニー・ウェリントンは、久方ぶりの『後輩』たちの来訪に顔を綻ばせた。 取材記事や写真、資料の類が山積みになったデスクの上には、二十代半ばの精悍な青年と白いドレス姿の女性が、仲睦まじく並ぶ写真が飾られていた。若かりし頃の彼の結婚写真だろう。 当時に比べて、目の前の紳士は随分と人柄も丸く、落ち着いた風にも見える。それでも、四十を過ぎてなお軽妙洒脱にして気さくな物腰は、この伝統と格式高きミスタ・テスラよりも、本来の生まれ故郷であった壱番世界のアメリカ・カリフォルニアの風が似合うように思えた。 旅人達から事情を聞いたシドニーは、ふむ、と一瞬考え込んだ後、傍らにある新聞の記事を指さした。「プラチナム・パレス……確かあそこは今『ロボット博覧会』が開催されているはずだ。普通に入場料を払って客として入ることも出来るが、それでは出入りできる場所が限られる。うちと契約したフリーの記者という名目で、取材許可証を持っていくといい。ついでに、実際に色々と『取材』もしてくれるとありがたいがな」◇ プラチナム・パレス――しろがねの鉄骨と透き通る硝子の壁で出来た城。「ロボット博覧会」の会場として建造されたこの巨大建造物は、蒸気科学の発展によりもたらされる人々の幸福と、輝かしい未来を象徴するかのように光輝いていた。 シュウゥゥゥゥゥゥ…… ウイィィィィィィン……ガシン…… 来訪者たちのざわめきに混じって、時折蒸気の噴き出す音と、金属の軋む音が聞こえる。 タグブレイクにより転移させられ、意識を失っていたガルバリュートは、己の背中に伝わる冷たく硬質な感触で目覚めた。ほどなく、それが分厚い鉄板だと分かる。それもただの真っ直ぐな壁ではない。緩やかに丸みを帯びた、鋼鉄の巨柱。(これは……!!) 見上げれば、それは巨大な人型――ロボットの脚部であった。身の丈は4、5メートルはあろうか。その巨大ロボット自体は動く気配はなかったが、周囲では他にも多数、人間大かそれよりやや大きめのロボットが、蒸気音や金属音を奏でながら、忙しそうに動き回っている。どれもこれもずんぐりむっくりとした、些か野暮ったいシルエットだ。 思わず身を乗り出すガルバリュート。しかし彼以上に驚いたのは、周囲の紳士淑女たちだ。男性は皆かっちりとした背広を着込み、女性は世界司書のオリガによく似たロングドレスを纏っていた。 そんな中に突然、筋骨隆々で傷だらけの、半裸の巨漢が現れたのである。その風貌は、見ようによっては「屋外の公園や見世物小屋で火吹きや怪力を披露する大道芸人」に見えなくもなかったが、それでも今のこの時に『場違いな』存在には違いない。 周囲の好奇に、或いは羞恥に満ちた視線が、ガルバリュートには痛かった。 その頃、博覧会場の別の一角では、「皆様、こちらが最新鋭のお掃除ロボット『チムチムチェリー壱号』でございます」 ソプラノの声も朗らかにウグイス嬢が紹介するのは、2mを超える鋼鉄の騎士。しかし武器の代わりに背負っているのは、箒にはたき、モップといった掃除道具ばかりである。よく見れば、頭の兜もしっかりバケツの形をしていた。「従来の約二倍の蒸気パワー出力と、鋼鉄製の頑丈なボディーを誇る本機は、日々のお部屋のお手入れは勿論のこと、屋根や煙突等、危険な場所の清掃にも、これまでにない効果を発揮し……あら?」 突然『チムチムチェリー壱号』が、背中のモップを抜き放つ。 そして、ものすごい勢いで……モップがけを始めた。「きゃあっ!」「な、何だ?」 周囲に居合わせた客の何人かが、巻き込まれて跳ね飛ばされる。やっていることはただのモップがけなのだが、それでも屈強な鋼鉄騎士が猛スピードを上げて突進してくるとなれば、これはもう立派な災害だ。「どうした? 何が起こった!?」「突然、あのロボットが暴走を……」「誰か、誰か止めてえっ!!」 暴走するロボットと、異世界からの来訪者。 未来への夢と希望に満ちた博覧会場は、時ならぬ騒動の坩堝にあった。=========<重要な連絡>「ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロード」さんは、このシナリオに参加しなくてもノベルなどに登場します。プレイング締め切り日時までに、NPC「エミリエ・ミイ」宛のメールという形式で、600字以内のプレイングにあたるものをお送りいただけましたら、それをもってこのシナリオのプレイングとして扱います。このメールの送信がなかった場合、「救出後すぐにロストレイルに収容され、調査には参加しなかった」ことになります。エミリエ宛のメールはこのURLから!https://tsukumogami.net/rasen/player/mex?pcid=cttd4156※強制転移したロストナンバーの方は「世界図書館のチケットによって移動していない」ため、「現地の言葉を話せません」。この点のみ、ご注意下さい。=========
旅人達が目的地の「プラチナム・パレス」に到着した頃には、そこは既に大騒動の最中だった。 人々の悲鳴と喧騒。見たところ、その発生源は二ヶ所あるようだ。 「大変! ロボットが暴走してるわ!」 メテオ・ミーティアが叫ぶ。今の彼女は普段の戦闘服ではなく、この時代のレディ、あるいは世界司書のオリガと良く似たロングドレスに身を包んでいた。 彼女が指さす先を見れば、モップを抱えた鋼鉄の騎士が、猛スピードを上げて縦横無尽に駆け回っているではないか。既に何人かが突き飛ばされたらしく、痛そうに腰をさすりながらうずくまっている姿が見える。 「いけない、怪我人が出ている……急ぎましょう!」 長い黒髪を鳥打帽に隠して男装したハーデ・ビラールと、漆黒の外套を纏った吸血鬼のボルツォーニ・アウグストも、メテオに続き駆け出した。 そんな中でただ一人、ロボット武者のイフリート・ムラサメは『もう一つの騒ぎ』を視界に捉えた。 「ぬぬ、あれは!」 モップ騎士の暴走から少し離れた場所の壁際。全長4、5メートル程の巨大ロボットのすぐ側で、此度の保護対象にして、彼の盟友たるガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードが、衆人環視の中ポージングを決め……もとい『肉体言語』でコミュニケーションを図ろうと四苦八苦していた。 (たとえ言葉は違っても、心をこめて接すれば、きっとこちらの誠意は通じる……はず!) そんな彼の願いも空しく、周囲の視線は冷たかった。 否、はっきり言って『ドン引き』だった。 この世界における大半のロボットは、鋼鉄の円筒や箱を組み合わせたような単純明快なフォルムをしている。だが、いくら戦闘サイボーグと言っても、異世界の精巧な技術で作られた彼の身体は、ぱっと見には人間のそれと変わらない。しかもあり得ないことに、公衆の面前で肌まで曝け出している。そんな「奇妙な人間」が、時折プシュープシューと蒸気を噴き出しながら、見たこともない不可解なポーズを取り続けているのだ。 一言でいえば、怪しい。もっと言えば『いろんな意味で』怖い。 それがこの場にいる紳士淑女たちの、偽らざる心境だろう。 蒸気の熱とは裏腹に、ガルバリュートの周囲の空気だけが冷やかになってゆく中、 「これより、スーパー最新鋭ロボットによる模擬戦闘が始まります。皆様ぜひご覧ください」 突然のアナウンスと共に、鋼鉄の鎧武者――イフリートが現れた。実はこのアナウンス、音声キーをウグイス嬢と同じ高音域に合わせた彼の演技なのだが、それを聞いて会場内の突発イベントと理解した観衆は、多少なりとも落ち着きを取り戻しつつあるようだ。 さりげなくガルバリュートの隣に立ったイフリートは、後ろ手にチケットを渡しながら、内部無線通信を送る。 (ガルバリュート殿。無事でウルトラ何よりである) (……おお、観衆の言葉が分かるようになった! 感謝するぞ、イフリート殿) (早速で何だが、この場は模擬戦闘の演武ということで、しばらく拙者に調子を合わせてもらいたい) (心得た) イフリートの提案にガルバリュートが頷き返し、二人は群衆に向けてビシッと見得を切る。 「ヤアヤア、遠からん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ!」 「我こそは遥か東方より来たりしサムライ『畏怖理威斗』!」 「そして星海の騎士『ガルバリュート』なるぞ!」 「異国の神秘と錬筋の絶技、しかとこの目に焼きつけよ!」 二人の猛者がチャンチャンバラバラの大芝居を始まると、一転して周囲から歓声が沸き起こる。特にイフリートの、東方の戦士『サムライ』を思わせる鎧武者姿は、観衆にエキゾチックな神秘性を伴って受け入れられたようだ。 一方、残る3人は、暴走する騎士型お掃除ロボット「チムチムチェリー壱号」に対峙していた。 短距離テレポートで目標に接近し、光の刃で内部回路を切断しようと動くハーデを、メテオが制する。 「駄目よ。暴走しているとは言え、元は博覧会の展示物。下手に壊せば後で色々と面倒だし、何より危険だわ」 「ならば、私の能力が役に立つだろう」 そう言ってボルツォーニは、周囲の展示ロボットが吹き出す蒸気に紛れさせるようにして魔霧を喚ぶ。魔霧は次第に、目標の継ぎ目の隙間から内部へと入り込み、やがてチムチムチェリー壱号は「原因不明の動作不良」により動きを鈍らせ……それまでの暴走ぶりが嘘のように、静かに停止した。 完全に動かなくなったのを確認し、集まった警備員たちが事後処理に動き出す。その間に一行は、突き飛ばされた人々を助け起こし介抱した。幸い、いずれも軽傷で済んだようだ。 ふと、イフリートがいないことに気づき辺りを見回すと、やや離れた場所で群衆の拍手喝采に囲まれ演武を続ける二人の姿が見えた。 「あっちも何とかなったみたいだけど……そろそろ止めないとまずいわね」 「そうだな。今は警備員の注意が暴走ロボットの方に向いているから良いが、あれだけ派手にやれば、そのうち嫌でも気づかれるだろう。無許可出展と誤解され事務局に連れて行かれては厄介だ」 メテオの意見に同意したボルツオーニは、再び霧を喚び、二人の方へと纏わりつかせた。 「控えおろう、この逞しき大胸筋の傷跡が目に入ら……おおうっ!?」 突然の濃霧が、白いカーテンのように二人と観客の間を分かつ。 「ぬうっ……これはまさかタグブレイク!? すわセカンドディアスポラの再来か!? 否、三回目ならサードディアスポ……」 「馬鹿やってないで、さっさと退散するわよ!」 言うなりメテオは、二人の首根っこをむんずと掴んで引きずって行った。見た目は普通の美女である彼女もまた、出身世界のテクノロジーの粋を集めて改造された戦闘サイボーグである。先のトレインウォーでは、二人とチームを組んで「Zストリームアタック」を決めた女傑だ。 「スーパー模擬戦闘、これにて終了でございます。ありがとうございましたぁぁぁぁぁぁ……」 「……」 ウグイス嬢を模したイフリートの声が次第に遠ざかり、やがて霧に紛れて三つの人影が消えてゆくのを、ハーデとボルツォーニはただ黙って見送った。ガルバリュートの為にわざわざリリィの店から借りた着替えは無駄になってしまったが、メテオというお目付け役と一緒にいた方が、この世界の人々と彼らの双方にとって安心というものだろう。 二つの騒動が無事収まり、会場が再び落ち着きを取り戻したのを確認すると、二人も気を取り直して『取材』を開始した。 ◇ 元「領主」であるボルツォーニの取材内容は、主に経済に関する事柄だった。この世界の経済状況を通じて、階級社会の現状や治安レベルといった社会構造をも把握することが目的だ。 まずは会場内を一通り見て回る。出展されているロボットの傾向は、大別して二種類に分かれていた。 一つは、先のチムチムチェリー壱号のような「あまり実用的ではないがとにかくすごい」もの。提示された予定販売価格は桁外れなもので、よほど裕福な貴族や豪商でもなければ、とても手を出せる価格ではない。それでも時に「伊達と酔狂」に浪漫を感じる好事家が、こういったものを金に糸目をつけずに蒐集するということも珍しくないらしい。 もう一つは実用一点張りの、飾り気のない無骨なデザインのもの。主に工場や工事現場といった場所で、人間に代わって単純作業や危険な仕事に従事することを目的としている。最新機種だけあって値段はそれなりに張るものの、それでも前者に比べれば、比較的低価格に抑えられている。 更に、チムチムチェリー壱号に関しては、こんな声も耳にした。 「確かにあのパワーはすさまじい。それにあれほどの頑丈さなら、屋根や天井は勿論、高い城壁や果ては下水道まで、ありとあらゆる危険な場所にも対処できるでしょう。しかし、如何せん燃費がかかる。ただでさえ本体が高価なのに、更にそれを維持するための費用を毎月払わなければならないのですから。それならまだメイドか、必要に応じて煙突掃除夫でも雇った方が安いというものです。私なら今回の暴走がなくても、今すぐ欲しいとは思いませんね」 「成程……では、今回の暴走事件で該当機の危険性が明らかになったわけですが、万が一これが『本来の用途』以外の目的の為に利用される懸念はありませんかな? 例えば……軍事転用とか」 ボルツォーニに問われた若い貴族風の青年は、「軍事転用」の言葉に少し意外そうな顔をした。 「確かに、あれほどのものが暴走すれば大変危険なことは分かります。ただ……少なくとも開発者は、恐らくそんなことは考えても見なかったでしょう」 「ほう、それは何故?」 「この国ではここしばらく、大きな戦争がないからですよ。昔は周辺国との小競り合いもあったようですが、今はそれらの紛争も概ね収まり、蒸気機関車や飛行船といった交通手段の発達に伴い、貿易に留学にと国際交流も盛んになって、正に天下泰平の世を迎えているのです。この博覧会も、ロボット工学の発展がもたらす『輝かしい未来』の象徴でもあるのですよ」 自信に満ちた瞳で、希望溢れる未来像を熱弁する青年の隣で、やや年嵩の別の紳士が語る。 「むしろこのあたりで事件といったら、一部の科学者たちの妙な実験によるものが多いでしょうな。確かに彼らの頭脳は、我々には思い及ばぬ知識と発想の宝庫ではありましょうが、時折妙ちくりんな機械を作ったり、しょっちゅう研究室を爆発させたりと、騒動の種をまくことにも事欠かず、しかも『懲りる』ことを知りません。実際、先程の掃除ロボットの騒動などまだ可愛いものだと思うような事件を、次から次へと起こしてくれるのですから」 「そうそう、あれは私がまだ娘時代のことでしたかしら」 一連の会話を隣で聞いていた老婦人が、懐かしげな顔で話を切り出した。 「あれは丁度今日みたいな、よく晴れた日のことでした。人々が行き交う表通りに突然、白昼堂々『鉄の怪鳥』が現れましてね。ゴォーッとものすごい音を立てながら飛び回るものですから、皆すっかり恐れおののいて、私も生きた心地がしませんでしたわ」 「その怪鳥は、もしかしてここのロボットのように、蒸気を噴き出してはいませんでしたかな?」 「ええ、確かに尾の辺りから、白い煙の様なものを噴き出していましたわ。警官の銃弾も跳ね返し、もはや誰ひとり敵う者なしと絶望に打ちひしがれたその時、颯爽と現れた『英雄』がいましたの」 「英雄?」 「そう、それは正に英雄と呼ぶにふさわしい、威風堂々としたお姿でしたわ。精悍な顔立ちに眼鏡をかけた黒髪の君は『ペンは剣よりも強し』と叫ぶや否や、羽ペン一つであの大きな鉄の塊をバラバラにしてしまいましたの。あれから何十年も経った今でも忘れられません。あの憧れの君は、何て言ったかしら。そう、確かシドなんとかという名前の」 若かりし日の乙女心そのままにうっとりとした表情を浮かべる老婦人を見ながら、ボルツォーニは何かを思い出しかけたような気がした。ともあれ、このミスタ・テスラは、現状概ね平和とはいえ、退屈を打ち破るような事件には事欠かない世界であることは確かなようだ。 ◇ 一方ハーデは、しばらく聞き込みを行った後、博覧会場を抜けだし表通りへと歩み出た。 整然と整備された石畳の道を、紳士淑女や馬車、そして数こそ少ないものの、時折古めかしい蒸気自動車が煙を上げて行き交う中、隅の方ではみずぼらしい恰好をした花売りの少女や靴磨きの少年の姿もちらほらと見える。 「靴を、磨いてもらおうかな」 ハーデは一人の靴磨き少年に目をとめ、声をかけた。空腹で機嫌が悪いのか、少年は幾分かったるそうに「あいよ」と答えると、緩慢な動きで靴磨きを始める。 「そう言えば、今あそこのプラチナム・パレスでは『ロボット博覧会』が行われているようだけれど……」 「知らねえよ。どうせ金がなければ入れもしねえんだ。それにこの街じゃ、蒸気ロボットなんて別にそんな珍しいものでもないぜ?」 些かぶっきらぼうな少年の言葉通り、この表通りを歩いている間にも、比較的旧式であろう手動運転型のロボットに乗り込み様々な作業に従事する人々の姿を見ることが出来た。確かに、会場内で彼女やボルツォーニが取材したように、ロボットや自動車をはじめとする各種蒸気製品を自らの「所有物」と出来るのは、貴族や豪商など上流階級に限られる。しかし、実際にそれを運用しているのは、彼らの下で雇われ働く労働者たちだ。例えば、自動車であれば運転手。清掃ロボットなら掃除夫。高枝切り用の剪定ロボットなら庭師などなど。その意味では、この世界において蒸気科学は「広く人々の生活に密着している」と言える。 靴磨きを終え、少年に代金とチップを払って、ハーデは再び歩き出す。表通りを抜け、やがて彼女の足は、狭い裏通りへと向かって行った。 それまでの明るい雰囲気が嘘のように、裏通りは埃にまみれ、薄汚れた身なりの労働者や浮浪者たちがたむろしていた。先の靴磨きの少年のような貧民層の子供も、より多く見かけるようになった。 同じ境遇の者同士、兄弟のように身を寄せ合う、無垢で哀れな少年少女たち。しかし彼らの中には、生きてゆくためとはいえスリやかっぱらいに身をやつした者もいるかもしれない。そんな現実に微かな胸の痛みを覚え、しかし細心の注意を払いながら、ハーデは進む。 「思ったより激しいな、貧富の差が。蒸気機関の異常発達を除けば、本当に産業革命最中の英国をなぞっているんだな……」 上流層と下流層の間に、巨大な壁のように歴然として立ちはだかる極端な貧富の格差。それは、過去に依頼で何度か訪れたことのあるインヤンガイを思い出させる。 しかし、そんな貧困の中にあるというのに、ここの住民の表情は、インヤンガイの人々よりも遥かに気丈に感じられた。「前向き」或いは「負けん気」とでも言うのだろうか。確かに生活の苦しさや不安はあろうが、インヤンガイの貧困層に多く見られる「絶望的なまでの陰鬱さ」は薄いように思えた。 「落ち込んでいる暇があったら手を動かせ! 機械人形になんか負けてられっか!」 遠くでそんな怒号が聞こえる。新米の少年作業員たちがびくりと背を縮みこませるほどドスの利いた大声は、声の主である赤ら顔の棟梁の負けん気と威勢の良さを、何よりも雄弁に物語っていた。 インヤンガイではあまり見られなかった、この「前向きな気質」こそが、ミスタ・テスラに住む人々の、あるいはこの世界をここまで発展させた原動力なのかもしれない……そんな風にハーデは感じた。 「はっはっはっは、このおたからは、かいとーキュリオスがいただいた!!」 「うわー、やーらーれーたー」 「このキュリオスがいるかぎり、おまえたちあくとーどもにあすはない!」 路地裏の隅で、就労にはまだ早い5歳前後の子供たちが、何やらチャンバラごっこのような遊びに興じているのが見えた。幼子の他愛のない遊びの中に頻発する『キュリオス』という言葉が、何故かハーデの胸の内に引っかかる。 「君たち、『キュリオス』っていうのは一体何なんだい?」 「何だ兄ちゃん、キュリオスを知らないの?」 「俺たちには『怪盗キュリオス』という強い味方がいるんだぜ!盗みの手口も鮮やかに、目にもとまらぬ早業で悪い貴族をバッタバッタと懲らしめるんだ。俺も大きくなったらキュリオスみたいな怪盗になろうかなあ?」 「お前たち、こんなところでめったなことをお言いでないよ! おまわりに聞かれたらどうするんだい!」 突然、家の奥から母親らしい中年女性が飛び出し、子供たちの頭を小突く。そしてハーデの方を一瞥すると、あまり余計なことを言いふらしてくれるなと言わんばかりに踵を返し、子供たちを連れて家に戻って行った。無礼と言えば無礼な態度だが、人の親として自分の子供が犯罪者に憧れているなどと思われ、あらぬ誤解を受けてほしくないと思うのは、無理からぬところだろう。 「怪盗キュリオス……か」 庶民の英雄にして稀代の犯罪者。『怪盗』という言葉が含む謎めいた響きが、より一層件の人物の神秘性を引き立てる。 一度、詳しく調べてみる必要がありそうだ。 ◇ 「お疲れ様。どうだった?」 取材を終え、「コメット・エクスプレス」社に戻った二人を、一足先に戻ったメテオが出迎えた。ガルバリュートとイフリートは、山積みになった資料の束を片づける手伝いをさせられている。一枚一枚は薄い紙でも、分類され束ねられ、箱にぎゅうぎゅう詰めにされたそれは、結構な重さだ。 ハーデ達が外回りの取材をしている間、一足先に編集室に戻った三人は、部屋中に乱雑に積み上げられた資料の整理をすることになった。その際メテオは、過去に発行された新聞の閲覧をシドニーに頼み許可されている。ヴィクトリア朝ロンドンと同様、この世界は新聞による情報伝達が発達している。それら新聞が世に伝える膨大な情報の蓄積が、世界を理解する手助けになると彼女は考えたのだ。 「確かに、巨大蒸気メカによるものと思しき怪事件は、過去にも何度か起きているわね。それも、このコメット・エクスプレス社が設立される前から。首謀者は確か『パラケルシュタイン博士』とかいう名前の」 ボルツォーニの報告を受け、メテオは老舗の新聞社のかなり古いバックナンバーを指し示す。経年劣化によりすっかり黄ばんだその紙面には、確かにあの老婦人が話してくれた『鉄の怪鳥』の姿があった。 「話によると、確かその事件は羽ペンを操る英雄が解決したとか。決め台詞は確か、ペンは剣よりも……」 「……大昔の話だ。今頃はその英雄サマとやらも『若気の至り』とか何とか思ってるんだろ」 ボルツォーニが皆まで言うのを待たず、何故かシドニーは照れくさそうに明後日の方向を向く。 「そして『怪盗キュリオス』……ねえ。ちょっとこの記事を見てくれる?」 メテオがハーデに差し出した新聞の一面には、満月を背にした大きな屋敷の写真が掲載されていた。屋根の上に小さな人影が見えるような気がするが、あまりにも小さすぎて人相までは判別できない。 記事は、やり手の貿易商であるボルコス卿所有の秘宝『月の涙』が、神出鬼没の怪盗キュリオスにより盗まれたこと、またその際、ボルコスが裏で行っていた人身売買に関する証拠が見つかり、卿を含めた関係者が逮捕されたことなどを伝えていた。 「キュリオスがらみの事件は他にもいくつかあるんだけど、特筆すべきは『逃げるキュリオスの姿がまるで煙の、或いは幻のように消え去った』といった証言が多数あることと、盗まれた品が換金や横流しされることはまずなく、時には事件の翌日に警察へ送りつけられることさえあること、逆にこの記事のように、標的となった貴族や豪商が裏で行っていた悪事や不正が、キュリオスの起こす事件の過程で表沙汰となり、後に爵位を剥奪されたり警察に逮捕されたりといった事例が複数あることかしらね」 ふとデスクを見やると、そこには一台のダイヤル式電話機が置かれていた。白い本体に金の縁取りも優雅な、アンティークタイプのデザインだが、確か壱番世界の19世紀末に普及していた電話機は、もっと大きな箱状だったはずだ。しかしこれは、大きさや形状から見て、20世紀中頃のものに近い。不思議に思ったメテオが、シドニーに問う。 「この電話機……この時代のものにしては、随分と新しいデザインね」 「ああ、この世界に電話は、ない。正確には一部の好事家たちが『伝話機』を所有している程度で、広く一般層には普及していない」 「じゃあ、この電話はどうやって動いてるの? ただの置物なら、オリガさんが番号を教えたりはしないと思うけど」 「こいつを動かしているのは『魔道科学』ってやつだ」 魔道科学……初めて聞く言葉に、その場にいた全員が反応する。 「魔道……ってことは、この世界には『魔法』が存在してるの?」 「そう。蒸気科学の発展著しい一方で、この世界には昔から『魔法の力』が息づいている。壱番世界の中世時代に『魔女狩り』とか『錬金術』ってのがあったろ? この世界も似たような歴史を歩んできている。普段は見えないはずの妖精が見えたり、誰も触れていない物品がひとりでに動きだしたり、神隠しに遭った人間がある日突然戻ってきたり。そうした不可思議な現象を起こす『魔力』の源を、この世界では『エーテル』と呼ぶ。そして、魔術の弾圧や蒸気科学の発展により一度は廃れた錬金術の秘儀を応用し、そのままではすぐ拡散して不安定なエーテルを『賢者の石』に凝縮して、蒸気の力に替わる新たな動力源として使おうってのが、さっき言った『魔道科学』だ」 「科学とオカルトの融合……インヤンガイの霊力科学体系に近いもの、と考えていいのかしら?」 「飲み込みが速くて助かるな。ただ、決定的な違いがあるとすれば、あっちの『霊力』が人間の思念や怨念により生み出されることが多いのに対し、この世界のエーテル力は自然界に存在する太古の生命力をベースにしているらしい、ってとこだ。『らしい』ってのは、これがまだ発見されたばかりの新しい科学体系で、未だ解明されていない点も多いからなんだが……」 そしてシドニーは、長年使いなれたであろう自身の電話機を愛着深げに撫でながら続ける。 「もっとも『伝話機』のようなごく小規模なものであれば『賢者の石』がなくても何とかなる。空気中に漂っているエーテルを勝手に取り込んで動いてくれる。この電話機やお前らの持ち込んだ電化製品も同様だ。ただしこの『伝話機』ってやつは、恐ろしくノイズが酷い。しょっちゅう切れる。それでも数少ない遠距離連絡手段だから、ないよりはマシってなもんだが」 「小規模なものならってことは、逆に言えば自動車やロボットの様な大規模なものになると『賢者の石』が必要、ということになるのね」 「ああ。原理としてはそうなる。だが実のところ『賢者の石』の製造方法は未だ確立していない。元々が魔術の秘儀によるものだから、色々と謎の部分も多いしな。ごく小さなものがいくつか生成されたとは聞くが、大出力を可能にする程のものが作られたという話は、今のところ報告されていない」 「そうそう、そう言えば」 そう言ってガルバリュートが差し出した帽子には、大量の小銭や小額紙幣が詰まっていた。 「先刻の博覧会場で、随分と『おひねり』を貰ってしまった。一体どうしたものか」 「別に後ろめたい手段で得たわけじゃなし、適当に使っちまっていいんじゃねえのか? それでも余ってしまって扱いに困るなら『セレスト財団』に寄付するといい」 シドニーは積み上げられた新聞の束から、目的のものを引っ張り出して、一行に見せた。そこには上品なドレスに身を包んだ若き令嬢が、淑やかに微笑む写真が掲載されている。 「名門貴族のセレスト伯爵家は、昔から貧民救済のための慈善活動に力を入れていてね。半年ほど前に当主が亡くなって、今は御息女のミシェール嬢が活動を引き継いでいる。先代の頃から実績を上げているし、そこなら安心だろう。身元を明かすのに都合が悪いなら、うちの新聞社の名義ということにしてもいい」 「……キルケゴール」 それまで静かに話を聞いていたハーデが、ふと呟いた。その忌まわしい名を聞いた途端、それまでの穏やかな雰囲気の中に、緊張が走る。 キルケゴールの行方は、結局分からずじまいだった。異なる科学体系とは言え、もしこのミスタ・テスラでもインヤンガイと同様の『実験』を企んでいるとしたら……。想像しただけで怖気が走る。 「キルケゴールのことは、三人から大体の事情は聞いた。相当酷い奴だったらしいな。確かに、そんな奴が野放しになっているとすれば一大事だが、いきなり見知らぬ世界に飛ばされて現状把握に苦労しているのは向こうも同じだろう。何か事を起こす気だとしても、まずは拠点と資金源の確保に動くはずだ。奴のことはこちらでも調べておこう。何かあったら、必ず連絡する」 シドニーは一行に、今後の更なる協力を約束し、一人一人と固く握手を交わした。 「この世界を奴の好きにはさせない……必ず見つけ出す」 「さって、一通り『調査』の方も終わったことだし、ハーデさん、これ着てみない? 絶対似合うわよ!」 悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ハーデに向けてメテオが差し出したのは、色鮮やかな東洋風の婦人服だった。服と言っても、良く見ればそれは裁断も縫製もされていない、大きな一枚布である。壱番世界のインドの民族衣装「サリー」というものらしい。 「こんなものが……私に似合うだろうか?」 「大丈夫だって! ハーデさん、けっこう美人だし」 「しかし、今の私にそんな資格は……それにキルケゴ……」 「ストップ! その話は今は無し! そりゃ、キルケゴールがとても危険なことは確かよ。だけど情報がないうちは動きようがないし、それはこちらも向こうも同じ。それに僕たちは一人じゃない。いずれ他のロストナンバーたちもこの世界を訪れるだろうし、シドニーさんも協力してくれる。それに僕の知り合いにも『ハーデちゃんは独りじゃない事を知って欲しい』って気にしてた子がいたのよ? 時には仲間に肩の荷を預けて、力を抜くことも必要じゃないかしら?」 気さくな中にも、深くハーデを気遣うメテオの言葉に、ボルツォーニも深く頷いて、 「そうだな。帰りの出発予定までまだ時間はあるし、もう少しこの世界の『普段の生活』を経験してみるのも良いだろう」 「それなら、これから皆でディナーといかないか。何、今日は特別に俺の奢りだ。結構安くて美味い店、知ってるんだぜ?」 「おお、再び凱旋すると言うのか! ならば昼間の演武の再演といこうぞ、なあイフリート殿!」 「スーパー合点承知!」 「だからいいかげんにしなさいって。それに、今度はせめて服ぐらいは着なさいよ! いくら『旅人の外套』の効果があるからって、レストランで裸はまずいんだからねっ!」 そんな風に笑いあいながら、シドニーと共に街へ繰り出す準備を始める仲間たち。ふとハーデの方を振り返ったメテオは、それまでずっと険しかったハーデの表情が、ほんの少しだけ和らいだように思えた。その変化は、よく注意してみないと分からないほど、とてもとても微かなもので、もしかしたら「ただの気のせい」なのかもしれないけれど。 (大丈夫、僕たちは『仲間』なんだから……) 祈るように目を閉じる。ハーデの心を深く覆う闇を払うのは、もしかしたらハーデ自身以外の誰にも出来ないのかもしれない。それでも、とメテオは思う。彼女の側には今も『不可能を可能にする者たち』がいるのだから。 白く噴き出す蒸気の熱が重き鋼に力を与え、人と鋼が行き交う狭間に夢幻の力があまねく息づく、夢と鋼と浪漫の都『ミスタ・テスラ』。 未来への希望に満ちたこの世界で、運命の歯車が、今ゆっくりと動き出そうとしていた。 <了>
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