この地にあるものなべて血に染まりぬ人の心は魔のごとし血族を屠り 魔族との盟約の印となすこの地は人も魔も ひとしく穢れし 深き坩堝(CRUCIBLE)ーーーーーーークルーシブルワールドの「詩人」ヨシュアン・ケイリオ 最初に目にしたのは、突き抜けるような蒼い空。 輝く太陽。 ここは赤い岩に覆われた谷。ところどころ草や木があるため、乾ききってはいないが、からりとした陽光の地であることは間違いないようだ。 まるで壱番世界の平和な国に似たようなーーー が、次の瞬間、その思いは裏切られた。 翼を持つ馬に似たけものが空を横切り飛んでいく。 そのけものを見上げていると、ぽたぽたと何か雨粒のようなものが降ってきた。 ---赤い。 血であった。 よく見れば、空とぶ獣は、赤子らしきものをくわえていた。 赤子はもう死んでいるのか、泣き声も聞こえぬ。獣は、くしゃくしゃと咀嚼しながらうれしげに飛んでいる。 ぽたぽたと血の雨を、その下に降らしながら。 むごすぎる光景であった。『今、汝ノ捧シイケニエヲ、確カニ受ケ取ッタ! 血ノ盟約ニヨリ汝ニ魔力ヲ与エン!』 犠牲者を飲み込むと、獣は叫んだ。地上では、その獣を待ち受けている誰かがいるらしい。 この世界は、一体ーーー? セカンド・ディアスポラにより未知の異世界に飛ばされたクロウ・ハーベスト は目を見開いて、その光景を見極めようとしていた。 と、 何者かがクロウの腕を引っ張り、草陰へと引っ張り込んだ。 《丸腰でガミジンの真下に立つなど、無防備すぎますよ!》 その何者かは、二十台の後半ほどの青年に見えた。長い前髪で顔の右半分を隠している。頭からすっぽりかぶったマントのような布切れから時折のぞく右腕も、指先まで包帯のような布がぐるぐると巻きつけてある。左腕はふつうの青白い素肌をさらしているのに、そのコントラストは妙だった。 《ご存じないのですか? あれは『死霊を統べるもの』と呼ばれる恐るべき魔物ですよ!》 だが、クロウにはその警告が通じないようだった。無理も無い。彼は異世界の住人であり、しかも今は、世界図書館のチケットによって移動しているのでないため、異世界の言葉を解するすべが無いのだ。 マントの青年は、首をかしげた。目の前の若者は、「魔」を恐れる様子がなく、しかも「魔」には見えない。魔と契約した魔人ではない。この世界とは異なる存在だと、ヨシュアンの詩人としての直感が感じ取っていた。 もしかしたら我々の仲間ではないのか‥‥? マントの青年の瞳が期待に輝いた。 この世界は、「クルーシブルワールド」。魔が跳梁し、人を喰らうまがまがしい世界。だが、その魔よりも恐ろしいものがこの世界にはある。それすなわち、「魔人」。 この世界で生き抜くために、魔と契約して、その力を借りて生きる人間も少なくない。 人としての魂を捨てたそうした人間は、「魔人」と呼ばれる。 人の姿をしながら魂を魔に売り渡した人間たちは、なまじの魔ものよりも恐ろしい存在であるという。 何しろ、、友や恋人を騙して生け贄として捧げる魔人もいる。いや、もともと他人同士ならばまだしも、わが子を生け贄にする魔人もいるという。 マントの青年は、そのいずれにも属さぬ。 彼は『詩人』であった。名はヨシュアン・ケイリオという。 この世界における「詩人」とは、聖なる言葉を連ねて唱え、あるいは歌い、あるいは書き付けることで、『魔』を遠ざけ滅する存在である。 だが、まだヨシュアンの詩人としての力は未熟で弱く、自分の周囲に『魔』を寄せ付けないように、守るほどの「詩」が精一杯である。 仲間がいれば、と願いつつ生きてきたものの、仲間は見つからず、魔を滅するほどの強力な「詩」は完成せず。 絶望しかけていた折、クロウにばったり出会った。 と、同時にーー これは何かの啓示である、絶望してはならぬという天からのメッセージではあるまいかと、ヨシュアンは色めきたっていた。「私の出来る限りの力で貴方を守りましょう」 ヨシュアンは言った。クロウに通じないことは承知のうえであった。 だがーー驚いたことに、何事か感じ取ったものか、クロウがちらっと微笑した。 ◆ 世界図書館の司書という自覚があるのか、ないのかーー その少年は、ゆるゆると琴の音にあわせて舞っていた。 しずしずと舞い終えると、ようやく傍にあった「導きの書」を抱え、ロストナンバーたちの元にやってくる。「おお、そこにおったか」 さっきからあんたを待ってんだよ! という言葉をロストナンバーたちはかろうじて飲み込む。「私の舞はどうじゃった?」 端正な面差しに、壱番世界のジャパンの古風な衣装を思わせる典雅な身なり。手には香木で作られたらしい舞扇。 世界司書「蘭 陵 (ラン リョウ) 」は優雅な外見に似つかわしく、まったりとした性格であるらしい。 一人のロストナンバーがしびれを切らしたらしく、舞も結構なんだが、それよりも何か連絡があってロストナンバーたちを呼んだのではないかと問いかけた。「そうじゃった。例の、『せかんどでぃすぽら』のことじゃ」 ぽんと手を打つと、蘭は扇を口元にあて、くすくすと笑った。---危機感がまるでない。「クロウ・ハーベストの所在がようやく知れたゆえ、皆、救出に向かうてもらおうと思うての」 「導きの書」を広げ、手に持っている扇でページをぱしり、と押さえた。 「彼の所在は、『クルーシブルワールド』と呼ばれる世界じゃ。以前よりその所在は半ば伝説として伝えられておったが、『旅行者』が目の当たりにするのは初めてやもしれぬ。クロウが先行しておるとなれば、これは調査の絶好の機会」 蘭はちらりと切れ長の眼を狡猾そうにきらめかせた。「伝え聞くところによれば、魔物が人を喰らい、その魔物に生け贄を捧げて魔力を借りる魔人が権勢を振るうという、血で血を洗う残忍な世界じゃそうな。クロウの安否が楽し‥‥いや、心配なことよの」 咳払いをひとつして、蘭は言葉をつづけた。「この世界には『詩人』と呼ばれる、いわば『れじすたんす』のごとき存在がおり、幸運にも『詩人』のひとりがクロウと接触したようじゃ。『詩人』の協力があれば、この世界を調べる手助けになるやもしれぬの。そち達も、さっそく調査に向かってたもれ」 蘭は言い置いて、ぱたりと扇を閉じた。 <重要な連絡> 「クロウ・ハーベスト」さんは、このシナリオに参加しなくてもノベルなどに登場します。プレイング締め切り日時までに、NPC「エミリエ・ミイ」宛のメールという形式で、600字以内のプレイングにあたるものをお送りいただけましたら、それをもってこのシナリオのプレイングとして扱います。このメールの送信がなかった場合、「救出後すぐにロストレイルに収容され、調査には参加しなかった」ことになります。 エミリエ宛のメールはこのURLから! https://tsukumogami.net/rasen/player/mex?pcid=cttd4156 ※強制転移したロストナンバーの方は「世界図書館のチケットによって移動していない」ため、「現地の言葉を話せません」。この点のみ、ご注意下さい。
●邂逅 「やれやれ……どうやら随分と物騒な場所に飛ばされちまったみてえだな」 クロウ・ハーベストは嘆息する。空には奇妙な飛行生物。青年がなにやら必死の面持ちで語りかける。草むらに身を隠せと言っているようだ。 青年があまりに必死さで、思わず微笑してしまった。 青年は、クロウの表情をどう解釈したものか、木をくりぬいて作った水筒のようなものを差し出し、手まねで「飲め」と言っている。 だが、クロウはかぶりを振った。青年に敵意はないように見えるが、警戒しておくにこしたことはない。 (「ってか、なんでこいつ、マントですっぽり右半身だけを隠してるんだ? 右半身にヤバいもん隠してるとか? ‥‥人のこと、言えねーけど」) クロウは飄々と青年の後をついていく。 青年がクロウの左腕をつかんだ。恐怖にひきつった表情で、空を指差す。クロウたちのはるか頭上に、眼球の形をした魔物が数十体、ふわふわと浮かびながら何やら探している。眼球はやがてクロウたちを見出し、瞬きとともにビームのような光線を放つ。二人には当たらなかったが、ビームが足元の岩に当たると、じゅうっと音がして岩が溶け出した。 「ずいぶんと強烈なウィンクだな」 肩をすくめて、クロウは右腕の腕輪に触れる。 「とりあえず、伏せといて。さすがに見殺しは寝覚め悪いからな……って、通じないんだったか」 めきめきと筋肉が盛り上がり、クロウの右腕は怪物のそれに変じていた。青年が背後で小さく悲鳴を上げた。 ●予言 螺旋特急の車窓から見えるクルーシブル・ワールドにはみどりの森が広がり、滝が清冽なしぶきをあげて流れ落ちていたりする。 「ここだけ見てると、人の心を捨てた魔人の住む世界だなんて思えないね」 メテオ・ミーティアは感想を述べた。その隣で、ハーデ・ビラールは沈黙していた。 ここへ来る直前、彼女は世界図書館司書・蘭 陵に問いかけた。 『いわば、クルーシブルワールドでは、≪詩人≫が善の勢力、≪魔人≫が悪の勢力というわけだな。そして世界図書館は善に協力する』 『ま、そのようでおじゃるな。今のところは』 蘭はひらひらと扇を使いながら答えた。多少の脱力感を覚えながらハーデは食い下がった。 『もしも世界図書館が私たちの世界に介入するなら、貴方達は神と悪魔、どちらに肩入れするのだろう?』 『はて。我ら司書の役割は、導きの書の言葉をそち達に伝えることのみ』 『では何のために世界図書館は私たちを異世界に往かせる? 情報を集めるため、そのためだけに私たちを遣わすのか?』 少年司書は、ぱたりと扇を開いてひらひらと仰いだ。 『答えを出すのは図書館にあらず。世界を動かすのは常に旅人がどう動くか、その結果にしかないのじゃ』 言い捨てると、背中を向け、またしずしずと舞い始めた。同時に、螺旋特急出発駅のベルが鳴った。 (「ひとつの世界で善悪のいずれが勝とうと、世界図書館にとっては、ほんの小さな出来事なのか‥‥?」) いや、むしろ、自分に生きる価値などないのだとハーデは思う。自分を動かしているのは、ただ生への執着のみであると。ただ殴られ傷つけられることが怖かったからだ。 「‥‥って。ねえ? ハーデ? どうかしたの?」 「ああ、なんでもないよ、メテオ」 ハーデはメテオの声にはっと我に帰る。 「ヴァスティードさんが、この世界には海と空、ふたつの勢力があるみたいだって」 メテオが蒼い瞳を向ける方向を見れば、森の果てには雲を突き破るかと思える程の高い塔。その周りの城壁は、はるかに谷をへだてた海に向かい高く頑丈に築かれていた。海は蒼い水を湛えて静かに凪いでいるが、その奥に水棲の魔物たちが潜んでいるのだろうか。 「ここは魔が人々を支配する世界‥‥するとあれは、魔人の権勢の象徴といったところですか‥‥」 クアール・ディクローズが眼鏡の奥の瞳を城壁に向ける。 城も宮殿も、何度かの戦による破壊を経ながら、より強固に形を成していったものだろうと、がっしりとした腕を組みながらヴァスティードが分析してみせる。 だが、魔物たちの権勢は長くは保つまいと、彼は予言した。数多くの歴史を知る彼の、既に知るどこかの世界にもあった出来事なのかもしれない。 「強大な力は心を惑わし、破滅へと導く‥‥心を強く持てぬ者に、過ぎた力は毒にしかならないものだ。‥‥ん、どうした?」 ヴァスティードがまじまじと自分の顔を見つめるクアールに問いかけた。 「いえ、なんでもありません。実に的を得た表現だと思ったものですから‥‥いずれ、私の小説の中で使わせて頂こうか、などと」 力、そしてそれ故の破滅。その行く末を見届けることになるのか。かつて災禍の王と呼ばれた私が。波立つ感情を無表情の仮面の中に押し込めて、若き作家は答えた。 ハーデは車窓からの眺めをしっかりと見据えた。いずれわが世界と同じく、善と悪との最終戦争へと、この世界もなだれ込んでゆくのだろうか。 見極めさせて貰おう、この世界を‥‥ 最初期にこの世界を訪問出来た僥倖を、我等が明星に言祝ごう。 ●災禍 ロストレイルが停車したのは、「赤い谷」に近いとされる深い森。 「出来るだけ戦闘は避け、クロウさんの救出を優先させた方が良いでしょう。敵の力が未知数である以上、無闇な攻撃はこちらに甚大な被害を齎しかねませんから」 クアールの提案に、ハーデとヴァスティードは同意したが、メテオは異を唱えた。 「僕達には帰る場所がある。でも、『詩人』たちは? 魔の力に頼らず、平和に生きたいと願う人々の為に僕は戦う」 メテオの言葉を、ハーデが静かに遮った。今はクロウの救出と、それがための防御に徹するつもりだということ。魔物と交戦するとしてもただ一度だけである、とも。 「世界の望みは人の望みを凌駕する。世界が詩人の滅亡を望まないと、何故言い切れる? 我々が世界の大勢にまで係わるのは傲岸だ」 「だけど‥‥」 メテオが何か言いかけたとき、 「今は救出を優先させましょう、敵の力が未知数である以上、無闇な攻撃はこちらに甚大な被害を齎しかねません。クロウさんの無事が確認できてから情報を集め、対策を立てる方がよろしいのではありませんか?」 クアールが冷静に発言し、皆の行動指針は決まった。 メテオも提案を受け入れ、クアールは早速、使い魔たる妖精獣を召還した。 子犬に似た「ウルズ」と、子猫に似た「ラグズ」。妖精獣達を先行させ、クロウの居場所を探させるためだ。 続いてクアールはもうひとつ、呪文を唱えた。 きらきらと光の粒が空中から舞い降りて、皆の体に降りかかる。 「『プリズムコート』です。魔人たちの手先に見つからないほうが、クロウさんの救助には便利でしょうから」 「それは重畳。調査も目的の一つであるし、探索ついでにこの世界の歴史を無機物達に聴くとするか。‥‥魔人どもの成り立ちや、『詩人』とやらの由来を」 ヴァスティードがいざとなれば戦闘も辞さぬが貪欲にこの地の情報を手にしてやろうという不敵な面構えで、大またに周囲を歩き始める。 そうするうちに、ウルズとラグズが戻った。クアールがその情報を読み取り、クロウの位置を座標に変換して正確に皆に伝える。クロウの居場所は、今いる地点からはるかに見下ろせる谷底だった。 「ウルズの目撃情報によると、『詩人』は怪我をしているようです。少し急ぎましょう」 クアールは先にたって駆け出した。 急な崖を降りた先に、クロウの姿があった。眼球魔物に囲まれ、『詩人』らしき青年を連れて応戦している。 敵はどうやら『詩人』を狙い撃ちしているようだった。クロウの隙をついては、ヨシュアンを攻撃しようとする。 「僕たちの『プリズムコート』を解いて。僕たちが姿を見せて攻撃したほうが、敵をかく乱できるわ」 メテオはクアールに申し出た。 「出来れば戦闘は避けたかったのですが‥‥」クアールは残念そうに言いながら魔法を解いた。眼球魔たちもふいに目前に旅人たちが出現したのであわてふためき、その不意をついてかなりの数を滅することが出来たため、プリズムコートも決してムダではなく、むしろ戦略として有効だったといえる。 とはいえクアールも万一の戦闘には備えていたようで、無表情のままで別な呪文を唱えた。『詩人』の前に輝く壁が出現し、眼球魔のビームが撥ね返り、眼球魔の数体がそのビームで自滅した。 ハーデがパスホルダーをクロウに投げてよこした。 「2度もディアスポラに巻き込まれて大変なことだ。お前の救出を望んだ者は山のように居たが、今回は幸運にも我々がその役を得た。受け取れ‥‥恩義ある者に言葉もかけられないでは不便だろう?」 「おっ、サンキュ」 クロウは身軽に左手を伸ばし、ぱしっと空中でパスを受け取る。 「おーいメテオ、無茶はすんなよー」 クロウは、眼球魔たちの飛び交う中に切り込むメテオに向かい呼びかける。 「あ‥‥貴方達は一体‥‥?」 眼球魔たちを『ジャバウォックの腕輪』で怪物のそれに変えたクロウが鉤のように鋭い爪で切り裂き倒してゆく。『詩人』は旅行者達に恐る恐る聞いた。 「俺? クロウ・ハーベストって言うんだけど。ま、通りすがりの大学生ってとこ」 「私達はそちらの、クロウさんの仲間です。貴方と争うつもりはありません」 と、穏やかな声でクアールが言った。 なぜ言葉が急に通じるようになったのかと詩人は不思議に思っていたようだが、かいつまんでクアールが説明すると、詩人は驚きのあまり声も出ないといった有様で話しに聞き入った。クアールが防御魔法『ダンドリーウォール』で詩人を警護していたためもあり、詩人もまたクアールの問いに答える形でこの世界のことを話してくれた。 青年は、自分はヨシュアン・ケイリオという『詩人』だと名乗り、語った。 「私たち『詩人』は、この世界では忌むべき存在です。魔物たちに従わず、言葉の力で魔を浄化していくのが使命ですから。どうやらあなた方も私の同類として魔物たちに狙われています。クロウさんがこの世界へ現れるとき、紫色の光とともに出現されました。その光はなんだったのかと、魔物たちの斥候が調べに来ていたのです」 ちなみに彼は怪我をしていたが、クロウのトラベルギアによる変化を見て驚きすぎて自ら転倒したためだと、恥ずかしそうに語った。 「私たちは旅人だ‥‥ここの魔には疎い。もう少し説明をして貰えるか?」 ハーデが聞いた。 「この眼球魔たちは、魔人の斥候として使われる魔物です。眼球魔たちを攻撃したからには、魔人が貴方達を‥‥」 そのとき、翼ある馬にまたがった女性が、空中から舞い降りてきた。 旅行者達は全員武器を構えたが、ハーデだけは得物を出さず、ただ『詩人』を背後にかばうようにすっくと立った。戦いはせずとも、いざとなれば盾となるというように。馬に似た魔物が鮮血に染まった口で言う。 『無礼者。眼球魔達は、我らがドゥマン様の斥候なるぞ!!』 「あれは『死霊を統べる者にして、知識と魂を取引するもの』ガミジンと呼ばれる強力な魔物です!!」 ヨシュアンが叫ぶ。女性は嫣然と、 「わたくしはイゼルダ。赤い谷を支配する魔女ですわ。そこにいる薄汚い『詩人』をわたくしにお引渡しなさいませ」 「断る。『詩人』のほうがよほど興味深いのでな。借り物の力に驕る貴様などよりも」 ヴァスティードが無表情なままで言い捨てた。 「まあ、挑戦なさるの? おなかを痛めて生んだばかりの赤子を生け贄に差し出してガミジン様の力を手に入れたわたくしに?」 メテオが嫌悪の表情とともに叫ぶ。 「酷い‥‥自分の子を生け贄にするなんて‥‥!」 女性らしすぎるほど女性らしい魂を持つメテオにとって、イゼルダの言葉は邪悪そのものに感じられた。 クロウも、嫌悪のまなざしでイゼルダを見ている。 (「ダチや家族や恋人を売ってでも力を、か。そうでもしなきゃ生きられないのか、それともそうまでして力が欲しいのか……」) 大切な存在を亡くす痛みを、なぜ欲望と引き換えられる? クロウは自分の奥底で、怒りにわめく声を聞いた気がした。 が、イゼルダはメテオを鼻でふふんと笑い、クロウに目を向けた。 「あら? 貴方の背後にかわいい娘さんが見えますわ」 端正なクロウの頬がぴくっと引きつった。 「わたくし死者の『想い』を見えますの。その恋人を甦らせてあげましょうか? そしてわたくしと三人で楽しむ‥‥というのはいかが?」 イゼルダがにやりと笑うと口から赤い舌が伸び、クロウを絡めとろうとする。クロウの右腕が上がり、毒蛇のように巻きつこうとする赤い舌を鉤爪で切り裂いた。 亡き恋人の想い出を汚すものはなんであろうと許せなかった。怒りのあまりほとんど意識することなく、イゼルダに顔面を骨まで砕きかねない勢いでパンチを食らわせていた。もはや生きた恋人に愛を誓うことが出来ない今は、想い出を守ることだけが愛の証なのだから。 イゼルダがカエルのように跳び上がり、クロウに噛み付こうとする。彼の右腕につかまれ谷底にたたき付けられたイゼルダは罵りつつ起き上がってこようとしたが、メテオの熱戦銃による攻撃で完全に滅した。 「‥‥大丈夫?」 イゼルダの死体を見下ろして、肩で荒い息をついていたクロウは、メテオのかけた言葉に、顔をあげた。 「ってか、あんなのと3Pなんてマジ勘弁」 やや苦い微笑とともに。 『ふん、せっかく我と契約しながら、自分の魔力が我からの借り物であることを忘れ、自らを過信しおった』 ガミジンはイゼルダを見下ろしつつ舞い上がると、言い捨て、クアール達に向かって言った。 『ハハッ、お前らは全員、自分自身を怖がっているのだな。大いなる力を持ちながら、その大きさ故に悪夢から逃れられぬ臆病者。戦いの途中で目的を見失った女戦士。肉体は生ける武器に改造されながら、心はか弱き人間でしかないサイボーグ、か。我と契約すれば、その恐怖は無くなるぞ?』 魂を操る術を心得た魔物は旅行者達の弱みを突き、誘惑しにかかる。だが、心の傷を突かれて怯えるはずの人間達は、怯えるどころかむしろ様子で、ガミジンを正面から見据えていた。 「お言葉ですが、それは違います。私は臆病だからこそ、存分に戦えるのですよ。‥‥自らを律することが出来るからです。使うべきときにのみ力を解放するように、と」 クアールは静かに言った。 「今は、そのときです」 仲間を守ることと、正しい目的のために力を戦う。それが幼い日に招いた災禍の贖罪になるならば‥‥。 クアールの口調は静かなままに、手にしたブラストロッドから金色の魔弾が放たれる。ガミジンの胴に直撃し、ガミジンは吹っ飛んだ。 『何ぃ‥‥弱き人間めが‥‥なぜ堕ちぬ‥‥!』ガミジンの怒りに赤く燃える目がメテオを見据え、ガミジンは真っ赤な炎を口から吐いた。 「ついでに言っとくわ。僕の弱点もクアールさんと同じ。この弱い心があるからこそ戦える‥‥仲間が傷つくのがとても怖い、だからこそ仲間を守るためなら命を捨ててもいいって覚悟出来るのよ」 メテオの熱線銃がガミジンの炎にぶつかる。炎は熱線に撥ね返され、ガミジンは慌てて飛びのいた。 ガミジンはヴァスティードによろよろと近づいた。 『お前はどうなのだ。お前の欲しいものは『知識』であろうに。我は死霊の侯爵、死者の声をよみがえらせこの地にあるどんな歴史をもお前に聞かせてやることが‥‥』 「必要ない。亡者どもの声は生への執着で濁っているんでな。無機物たちの方が俺に真実を語ってくれるぜ」 ヴァスティードがふたふりの剣をガミジンの翼に向かい一閃させた。翼を切り落とされ、ガミジンが無様な格好で横ざまに倒れた。倒れた拍子に『詩人』の近くに転がり、ガミジンは『詩人』に牙を剥いた。 『貴様だけでも道連れに‥‥』 「お前は仲間を助けた…1度は恩義を返さねばなるまい」 『詩人』に寄り添うように立っていたハーデは呟くように言うと、自らの腕から光の刃を出現させ、矢のようにガミジンに駆け寄った。そのまま星が流れるように駆けつつわずかに両腕を動かすと、ガミジンの四肢が緑色の体液を振り撒きつつ吹っ飛んだ。まだもがきながら牙を剥くガミジンに、ハーデが駆け抜けたままの背を向けた姿勢で腕をわずかに振った。新たな光の刃が出現し、ガミジンに飛来した。研ぎ澄まされた光は魔物の首を一刀両断した。 見上げると、メテオが空中を舞いつつ、次から次へと襲ってくる眼球魔たちと応戦していた。 まさに舞うような動きで、足元から噴き出るジェットで岩壁を蹴ると、軽やかにターン。彼女に追いすがろうと飛来してきた眼球魔たちはそのすばやさについてゆけず、岩壁に激突して自滅してゆく。 それでも尚残る眼球魔たちはメテオを四方から囲むが、それとてもムダだった。メテオはくるくると高速回転しながら熱線銃で魔物たちを撃ち抜く。どうにか命だけは助かって地に落ちた魔物は、ヴァスティードのふた振りの剣、ラウスとイルーシュが切り裂く。クロウの鉤爪が襲い掛かる。防御に専従していたクアールも、必要とあれば魔弾を放った。 たちまち一体も残らず眼球魔を滅すると、メテオは髪をなびかせ舞い降りてきた。 その瞬間、『魔』の気配をハーデは感じた。 「メテオ、後ろだ!」 メテオを狙って彼女の背後に、流星のごとき速度で飛来してきた眼球魔物を、軽くジャンプしたハーデの光刃が切り裂く。光の刃は魔物よりさらに早い。 「ありがとう、ハーデ」 メテオの澄んだ目から、ハーデは瞳をそらして呟いた。 「やめてくれ。礼を言われるほどのことではない」 反射的に体が動いていただけだ、と。だが、同時に自問する。今、私は瞬時に眼球魔を『敵』と認識し、攻撃した。それは戦いの中で培ってきた『勘』と言うべきものだった。今の私にとり、メテオたち仲間を傷つけるものは『敵』なのだ。少なくともそう感じた‥‥ 『詩人』は、旅行者たちにひれ伏し言った。 「これでこの『赤い谷』は当面、安全な場所になるでしょう。あなた方は『救世主』だ」 乾いた声でハーデは否定した。 「私は違う。救世主なんかじゃない」 自分は元いた世界で悪魔軍の戦士だったのだとハーデは語った。そんな自分がこの世界へ来たのは、自分のあり方に迷っていたから、それだけ。世界を救う意図などなかったと。 「だが、その矛盾を抱く貴方だからこそ、ここへ答えを探しに来た。そしてここでガミジンを倒してくれた。すべては偶然のように見えても、きっと大いなるさだめの糸に結ばれているのです」 『詩人』は左目を輝かせながらそう語った。 「救世主どころか、私は生きる価値なんてない人間だ。なのに生き汚くて死ぬ勇気もない。殴られるの嫌さに必死で戦って、その結果が強攻偵察兵だ。笑えるだろう‥‥その程度の人間なんだよ、私は」 と、あくまでハーデは否定しようとした。 そんなハーデに、メテオは言葉をかけた。 「魔と交戦するのはただ一度だけ、って最初ここへ来た時、言ってたよね。でもその約束を自分から破って、僕を助けてくれた。少なくとも僕にとってハーデは‥‥恩人よ。そんな貴方が自分を貶めるなんて、間違ってる。ハーデ、貴女は生き汚くなんかない。貴女をそう罵る人がいたら、僕が許さないわ。貴 女に背中を預けられるから、僕は戦えるのよ」 メテオの言葉に込められた熱い思いが、ハーデの固く閉ざした胸にも沁みた。 いずれさだめの糸とやらが、あるべき位置に私を導くというなら‥‥ それは答えとは言えないが、答えにいたる道とは言えるのではないか。さだめに身を任せ、戦士としての勘が命じるままに戦う。それが私に示された道だというならば。 頬にかかる髪を、迷いそのものを吹っ切るかのように、ハーデは長い指でかきあげた。 『光まといて旅人あらわれぬ 光の盾は悪しき息吹も撥ね返し 不実な赤い舌は正義の爪にて断ち切らん 赤い谷は不浄の色を失わん』 『詩人』が澄んだよく通る声で唱えるごとに、乾いた『赤い谷』の、まがまがしいまでに赤い土が、白くさらさらとした土壌に変わってゆく。わずかに生えていた植物がすくすくと伸びだし、かぐわしい花をさえ開かせた。 「これが『詩人』の力か。おまえ達『詩人』が特殊な能力を持つのか、『詩』という物自体が特殊な力を持っているのか‥‥」 ヴァスティードが唸るように言い、どちらでもあると思う、とヨシュアンは答えた。 「『詩人』の魂を持つものが『詩』をつづることにより、『詩』は浄化の力を発揮します。しかし私も『霊感』と出会わなければ新たな詩を作ることができません。私が『詩』を作ることが出来たのはあなた方のおかげです」 『詩人』の唱える、あるいは歌う、あるいは書く『詩』は、魔を浄化する。だがその『詩』は、『霊感』と呼ばれる、なんらかの画期的な出来事と出会わなければ形成できないということらしい。 これまでヨシュアンは、誰とも出会うことなく、従って『霊感』を得られることもなくただ独りさまよってきたらしい。世界を浄化すべく仲間を集めようと改めて決意したと、『詩人』は語った。 「そうか。決心したからには、諦めるなよ」 ヴァスティードは言葉少なく励ました。彼自身、大いなる文明が滅びた後の、豪奢でうつろな都市が寂しくそびえ立つ、そんな絶望が支配する世界で、残された過去の遺産と向き合い、歴史の研究に身を費やしてきたのだ。 「なるほど……ヨシュアンはこの世界の『正義の花咲かじーさん』ってわけだ。悪かったな。俺、あんたの事疑ってたわ。なんせ、わけのわからん世界に来たと思ったら、いきなり手ぇ引っ張って隠れろ! だもんなあ」 クロウは握手をするつもりか、ヨシュアンに右手を差し出す。トラベルギアの力で怪物化していたため、シャツの右半身側がびりびりに裂けているが、今はその腕はすんなりとして色白で、文学青年のそれとしか見えない。 反射的に同じく右手を差し出しかけて、ヨシュアンは慌てて左手を差し出した。 「こちら側には、醜い傷跡があるのです。失礼しました」 「‥‥ああ、そうなんだ?」 クロウは相槌を打ちながらも、見逃さなかった。ヨシュアンが右手を動かしたとき、はらはらと碧緑色のうろこが地面に落ちたのを。 宝石のように輝くそれを、クロウはそっとポケットにしまいこんだ。世界図書館に預けたら、これが何なのか教えてくれるかもしれない。 「しかし『詩人』がレジスタンスとはな‥‥『言葉』の力をコトダマと称し、恐れ尊ぶ世界もあるそうだが」 いたく『詩人』という存在に興を催したらしく、ヴァスティードは語る。 「ところで、先ほどの魔物、眼球魔たちを『ドゥマン』の手の者‥‥と呼んでいたようですが、ドゥマンとはどのような存在なのでしょうか? 魔物たちを統一する存在なのですか?」 クアールはヨシュアンに問いかけた。 「私も詳しいことは知らないのですが、ドゥマンというのは『紅き疾風』と呼ばれるとても強力な魔物だそうです。高い城壁のある城に棲み、空を飛ぶ魔物をたくさん従えているとか‥‥」 すると、ロストレイルの車窓から見たあの宮殿は、ドゥマンのものだろうか。ドゥマンに対抗しているという海の魔人についても聞いてみたが、そこまでは行動範囲の狭いヨシュアンにはわからないらしかった。 次いで、この世界の魔人に対抗する術は『詩』以外に何かあるのかと問いかけると、ヨシュアンは、 「先ほどの貴方達のように、『魔人』たちの誘惑に負けないことでしょうね‥‥彼らは人間の魂を堕とす術に長けているのです」 と、ガミジンをはねつけたクアールに尊敬のまなざしを向けた。クアールは綺麗な字で、持参した紙に報告事項として聞いたことを書き留めた。 「貴方は私と同じように、ものを書く仕事をする人なのですね?」 ヨシュアンは、クアールに瞳を向ける。 「助言を聞かせて下さい。『詩』の力をもっと強くしたい。どうすればよいですか?」 「私の力は貴方とは少し違います。なので、確かなことは言い切れませんが‥‥常に自らの胸に問いかけることでしょう。『力の向く方向は間違っていないか』と」 ついでにウルズとラグズを撫でさせてくれと詩人は主張し、クアールは孤独な詩人の慰めになるならと了承したのだが。 妖精獣達は見知らぬやからに肉球をきゅっきゅすりすりされて若干嫌そうな表情だったと、かなり後になってクアールは冷静に述壊するのであった。 (「魔人たちがクロウさんの出現に警戒を強めているとしたら、他にも斥候が‥‥」) メテオは、姿は見えぬが、おそらく息をひそめて成り行きを見張っているであろう魔の斥候たちに聞こえるように、抑えた声ではあったが、はっきりと言った。 「魔物達よ、覚えておけ。僕達はまた必ずこの世界に戻ってくる。守るべき「人間」が一人でもいる限り!」 魔物達の屍で死山血河を築こうとも、牙無き無力な者達の盾となる。それがサイボーグ戦士としての僕の使命だと、メテオは想った。 息を潜め旅人達の動向をうかがう斥候たちを通し、谷に、森に、空に、そして‥‥はるかな海に、その声は響いていった。 ◆ 光をまといて「旅人」現るーー その知らせは、クルーシブルワールドを駆け巡り、この世界で実力者とされるモノも、興味深くその知らせに耳を傾けた。 『連中の中には空を翔るもの、風のごとき速さで動くものもいたとの、斥候からの報告があがっております!』 『あまつさえドゥマン様への挑戦を口にしていた者もいた由にございます!』 紅き疾風と呼ばれるモノは、翼をはためかせた。 『詩人どもを一日も早く滅するよう、斥候を増やせ。旅人どもへの警戒も怠るな』 ●帰還 ---世界図書館の、蘭 陵が根城にしているチェンバー。古風なジャパン風庭園に囲まれた寝殿造り風の御殿の中の部屋。 「面白き世界のようじゃの。で、ハーデよ。何やらふっきれたような顔に見ゆるが、先だっての答えが得られたのかな?」 蘭 陵が旅人達の報告に耳を傾けた後、言った。 「確かな答えが得られた訳ではない。‥‥だが、世界図書館の思惑など、もはやどうでもよい。私は自らの心にのみ従うつもりだ。敵がなんであろうと、戦士としての勘が命じるままに滅する」 たとえそのたびに自らの選択が正しいのかと、悩み苦しむことになっても。 ハーデは立ち上がり、すらりとした後姿を見せて去ってゆく。決然としたその姿は、たとえ世界図書館を敵に回しても屈さぬという強さが見て取れる。 「くわばらくわばら。恐るべきものに新たな火を点けてしもうたのかもしれぬのう」 蘭陵は、扇を開いて顔を隠した。が、その口元はうっすらと微笑していた‥‥ようだ。
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