突然の閃光に閉じていた目を開いた時、雪峰時光の視界が捕らえたのは煤けた建物郡と、それに囲まれている己の姿だった。黒々とした四つ辻の端に高く掲げられたひび割れ鏡に、呆然と立ちすくむ自分が丸く切り取られている。 道に引かれた白い平行線。その向こうにはひしゃげた看板のようなもの。装甲列車の無骨な車内は陰も形も消えている。「どこでござるか、ここは……?」 遠く、火薬のはじける音が響く。反射的に抜き身のままのトラベルギアを構えていた。だが高くそびえる建物郡に音源が散らされて、どこから聞こえてくるのかわからない。それでもその音は少しずつ確実に時光のほうへ近づいていた。(まさかカンダータ兵ではあるまいな……) 最悪の想像に時光が眉根を寄せた瞬間、路地の暗がりから土埃とともに何かが飛び出してくる。 それはぼろ布をまといつけた男だった。思わずギアの切っ先を向けた時光に気づくことなく、今しがた自身が転げ出てきた路地をきつく見据えるその造作は、時光と変わりない。いわゆる人間、コンダクターのそれだ。ただ一点を除いて。「……うさぎ?」 男の髪の間からは、うさぎのような白くて長い耳が二つ、立ち上がっていた。(……まあ、ターミナルでは珍しくもないでござるな) 無機物、妖精、喋る動物、神に植物なんでもござれのロストナンバーにとって、うさぎ耳の一つや二つ生やした人間など取り立てて騒ぐほどのことではない。時光を本当に驚かせたのは、こちらに気づいた男の口から発せられた言葉だった。「×××、×××××ッ!?」「……へっ? い、今何と?」 うさぎ耳の男の口からかけられたのは、全く聞き覚えの無い音の連なりだった。「……▲:+〝◎&≫#?」「あ、相すまぬ。拙者には貴殿が何と申しておるのかさっぱりわからぬのでござるが……」 何かを尋ねられていることだけは雰囲気で察知できるが、その内容と完全にお手上げだ。先刻とはがらりと調子の変わった響きだが……。 男の頭上でうさぎ耳がぴくりと動く。その耳が一瞬のうちに目の前で揺れていた。懐に入られた、と気づくまでにもう二瞬。飛びつかれた勢いのまま、ざらついた石の道に背中から叩きつけられる。至近距離から二回、火薬の音。「何をするでござるっ……か……?」 息を呑んだ。 うさぎ耳の男が、わき腹を押さえてうずくまっている。赤黒い液体がじわじわとぼろ布にしみを広げていた。数秒前までうさぎ耳の男が身をかがめていた場所には小さな穴が穿たれ、青く細い煙を吐き出している。もう一発は離れた位置に――丁度、うさぎ耳の男に押し倒される前の時光の身体を貫いていただろう角度で。「×××」 うさぎ耳の男の掠れた声に被さるようにして、慌しい足音が近づいてくる。 現れたのは五人組の男。全員が、黒硝子のような薄い板で目元を覆っていた。手に構えられているのは短銃。それはしっかりとうさぎ耳の男に、そして時光にまでも向けられている。(……拙者は一体、どういう状況に巻き込まれているのでござるか……?) ***「トレインウォーからの無事の帰還、何よりです」 リベルが硬く一礼する。 図書館ホールは慌ただしかった。あちこちで連絡を書きつけたメモが飛び交い、世界計の周囲には司書の人だかりができている。長机には誰のものとも知れない導きの書が置き去りにされ、その傍らではなぜか古びたラジカセがノイズ混じりのジャズを奏でていた。「キルケゴール博士の言う『タグブレイク』により強制転移されられた、ロストナンバー一名の居場所が判明しました。対象ロストナンバーは雪峰時光。皆様には予言をお伝え次第、ただちに現地へと飛んで彼を保護していただきます」「それで、彼は無事なのか!?」「一体どんな世界へ?」「残念ですが、その質問にはお答えしかねます」 リベルの突き放したような物言いに、ロストナンバーの間から困惑の声が上がる。「彼の居場所を突き止めたのは私ではないのです。よって詳細もその担当司書にお尋ね下さい。……ご紹介します、世界司書のE・Jです」 リベルの視線の先、ロストナンバーたちもつられて顔を向ける。だがその先には誰もいない。長机の上からは相変わらずノイズのひどい音楽が流れているし、導きの書の持ち主も現れていない。「……」 リベルが長机へ歩み寄る。いつの間に持っていたのだろう、彼女の手の中には導きの書が現れていた。 その角がガツンと、ラジカセにぶち当てられる。「仕事の時間です、E・J」 ジャズが止んだ。 デスメタルが流れる。『どぉぉぉぉぉぉも皆さん、こーんにーちはぁぁぁっ! 遊び心溢れる僕様ちゃんは世界司書のエコー・ジョイサウンッ! 気軽にE・Jって呼んでねぇぇぇっ!』 狂ったようなテンションの声がスピーカーを震わせる。周囲で忙しく立ち働いていた世界司書たちは騒ぎに気づいてこちらを見るも、叫んでいるのがラジカセだとわかるや、肩をすくめて各自の仕事に戻ってしまった。『ホントはそっち行って皆とねっちょり見つめあいながらお話したいんだけどさぁ、僕様ちょっと病弱な子だからSOUND ONLYで勘弁しろよぉぉぉっ!? あ、BGMのリクエストしたい人いる?』「もう一度言いますし、態度が改められない限り何度でも言いますが、E・J。仕事をして下さい」 思わぬ応対に動きを止めてしまったロストナンバーの中にあってもリベルは冷静だった。同僚のよしみというやつだろうか。『リベルちゃんは相変わらずくっそ真面目だねぇ、そんなんじゃ……あっやめてやめて、そんな硬くて大きいのだなんて僕様壊れちゃう』「では、仕事をして頂けますね」 リベルは振りかぶっていた導きの書を下ろし、E・Jは少しだけデスメタルの音量を下げた。『……まあそんなこんなで、時光を救出して欲しい訳なんですよ。ついでにさっきの質問に答えておくと、今のところは無事だぜぇ、時光。まー今後のアイツの行動によっちゃぁ、怪我の一つ二つ飛んで十くらいするかもしれないけどなぁ?』「どういうことだ?」『そのまんまの意味だぜぇ。どうも奴ぁ現地住民のトラブルに巻き込まれちまったらしくてなぁ、合流する頃にゃ最高潮にフィーバーしてるだろうぜぇぇぇっ。で、二つ目。時光の転移した世界はどんなとこかって質問だが』 E・Jが言葉を切る。『わかんね』 リベルが無言で導きの書を構えた。ラジカセの前面に取り付けられた計器の針がびくーんと振れる。『ぼ、僕様はちゃぁんと仕事しましたぁぁぁ! しっかたねぇだろぉ、時光がぶっ飛ばされたのってついさっき発見されたばっかの新世界なんだからさぁぁぁっ!?』「だとしてももう少し何かあるでしょう」『じゃぁ、軽ーく補足なぁ。時光がいるのは壱番世界の都会を軽ーく爆撃した感じの場所で、所在は判明してるからさくっと合流できると思うぜぇ。さっきも言ったが奴は現地住民と一緒にいる、場合によっちゃ話聞いたり恩売ったりできるかもしれねぇ。ついでに時光は言葉通じてねーから誰か通訳したきゃしろ。あとこの異世界が見つかったの今さっきだから、どんな社会で成り立ってんだとか、どんな文化でどんな情勢なのかとか、全て丸っと不透明なんで。時光と合流したらお前ら、この異世界がどんな所か、見て聞いて覚えて僕様に報告しろぉぉぉっ!』 ……長々とした補足もあったものである。 だがこれでE・Jの狂ったような哄笑に付き合うのも終わりだ。そそくさとホールを立ち去ろうとするロストナンバーの背中に、『あーいっけない、わっすれってたぁぁぁぁぁ!』とE・Jのわざとらしい絶叫が叩きつけられる。『お前らがこれから行く世界、〝秋葉原ジェノサイダーズ〟って名前だからぁぁぁっ! 精々チェックのシャツをインして歩けよぉぉぉっ!?』=========<重要な連絡>「雪峰時光」さんは、このシナリオに参加しなくてもノベルなどに登場します。プレイング締め切り日時までに、NPC「エミリエ・ミイ」宛のメールという形式で、600字以内のプレイングにあたるものをお送りいただけましたら、それをもってこのシナリオのプレイングとして扱います。このメールの送信がなかった場合、「救出後すぐにロストレイルに収容され、調査には参加しなかった」ことになります。エミリエ宛のメールはこのURLから!https://tsukumogami.net/rasen/player/mex?pcid=cttd4156※強制転移したロストナンバーの方は「世界図書館のチケットによって移動していない」ため、「現地の言葉を話せません」。この点のみ、ご注意下さい。=========
【1.銃×刀】 見知らぬ町並み、聞き知らぬ言葉。となれば、時光が未知の世界にいることは想像に難くなかった。緊張感に引きつり始めた空気の中、己が心を占めるのはかつて仕えた主君に似た少女の顔と、共に戦った戦友の安否だ。 (……お二方は無事でござろうか) 脳裏に浮かぶ面影はしかし、瓦礫を踏みしめる足音々にかき消される。男たちは時光とうさぎ氏――名を尋ねられないのでこう呼ぶしかない――を囲むように距離を詰めている。なには兎も角この状況を打破しないことにはどうにも動きのとりようがもない。 うさぎ氏と黒服の男たちがどのような関係にあるのか、時光にはさっぱりである。 もしかしたらうさぎ氏は、黒服の男たちに撃たれて然るべき何かをしでかしたのかもしれない。だがうさぎ氏が時光を庇ってくれたことは揺るぎない事実なのだ。我が身を呈して見知らぬ己を救ってくれた相手を見殺しにするほど、下種に成り下がった覚えはない。 「そこの五人組! 拙者が相手をいたそう!」 義を見てせざるは勇なき也と心中続けて立ち上がり、トラベルギア「風斬」を突きつける。刃はしゃなりと光を照り返し、黒服の男たちが短銃に指先をかける。足元にうずくまるうさぎ氏が何かを、おそらく先ほどと同じ言葉を切れ切れの息の元吐き出した。 見得を切ったは良いものの、状況は最悪に近い。わき腹を負傷したうさぎ氏に近接戦闘専門の時光が、飛び道具を持った五人組を相手取るのは無謀と言うより他になく。 (……一人、二人であれば不意をついて切り倒すことも不可能ではない、が……) それでも三人は残り、後には破れ障子の体になった時光とうさぎ氏が仲良くごみ捨て場に並ぶだけだ。黒服どもに増援が送られる可能性も十分にありうる。 ならばすることは決まったようなものだ。視界内に収まった黒服は四人。その全員が時光を見ている。負傷し動けないでいるうさぎ氏より明確な抵抗を示す己を警戒する、その判断は真っ当。 「悪いが、引かせて頂くでござる」 だが己を相手に戦う場合に限るなら、愚策極まりない。 切れ長の瞳から針のように鋭い光が放たれ、黒服の男たちを射抜く。男たちは縫い止められたように凍りつき、強張った指先が短銃の引き金から外れる。時光が「居竦」と呼ぶ技は、目線を交わした相手を一時的に縛り付ける効果を持っている。 その隙にうさぎ氏を抱きかかえ、後方へ飛び退る。一人、視界から外れた位置にいた黒服は急に動きを止めた仲間に最初こそ戸惑っていたものの、突っ込んでくる時光に怯えたか、喚き散らして滅多な方向へ短銃を向ける。 そんな弾に当たってやるほど時光はお人よしではない。首を振って直撃を回避。頬にぴりっとした痛み。無視。勢いを殺さず、下段から風斬を振り抜く。 噴出する血飛沫に一瞥をくれる間もなく、時光は駆け出していた。背後から黒服の怒鳴り声と放たれた銃弾が瓦礫を撃つ硬質な響きが聞こえてくるが、振り返る余裕はない。 今はとにかく逃げて、体制を整えなければならない。戦うにしてもこの体制では不利すぎる。 逃げている最中にうさぎ氏のお仲間とでも相まみえられれば御の字だが、さて。 【2.ディラックの空の王子様】 この世に「新世界」ほど心揺さぶられるフレーズがあるだろうか。 「秋葉原ジェノサイダーズかあ」 ツヴァイはうっとりと呟く。ロストレイルの車窓を流れゆく世界郡のきらめきに、酢こんぶを銜えて締まりなく笑う自分の顔が重なっていた。 新世界、ああ新世界、新世界。たった五文字の言葉は無限の可能性でもってツヴァイの心の中を跳ね回り、その度にウズウズ落ち着かない気分になる。 「ずいぶんご機嫌ですわね?」 向かいの席に座っていたマルフィカ……あれ、白蛇の娘だっけ? 桜貝の色をした爪で折りたたんだ紙束を広げる彼女は微笑んでいた。膝の上に置かれた一升瓶が、笑みにあわせてたぷりと揺れる。 「そんなに楽しみですの?」 「当然! だって新世界だぜ? これでワクワクすんなって方が無理だろ。怪獣とかいるかなー、怪獣!」 ツヴァイはうっとりと目を細める。脳裏で火花を散らすのは、怪しげな科学者の作った人造人間やグロテスクな巨大芋虫に三つ首の竜の群れ。それらが死闘を繰り広げるさまは、マルフィカが知ったら「まるで特撮ですわね」と言ったかもしれないが、妄想に夢中のツヴァイがそれを口にする暇はなく、代わりに口を開いたのはマルフィカだ。 「実は私も、この世界に行くのがちょっと楽しみですの。だってこの世界、とっても素敵な名前なんですもの」 「ふーん……?」 適当に相槌を打ってみたものの、マルフィカがどれを指して素敵と言っているのか、ツヴァイにはよくわからない。彼女が持っている地図に「萌えっと完全攻略だっちゃ秋葉原」とデフォルメされた少女の絵つきで描かれているのと、何か関係あるんだろうか? 「不謹慎なのですけどね、本当は。時光さんも大変な思いをなさっているでしょうし」 「でもあのラジカセ世界司書、時光とはすぐに会えるみたいなこと言ってたし案外大丈夫なんじゃねーの? なあ健?」 通路向かいの座席で難しそうな顔をしていた知り合いの名を呼べば、彼は「ん、ああ、そうだな」と生返事。坂上健はロストレイルに乗り込んでからずっとこんな調子だ。ピリピリしてて近寄りづらい。 「どうしたんだよ、健。なんかいつもと雰囲気違うぜ?」 「……悪い。着いた後のことを考えたら、どうしてもな。ジェノサイダーズとか、明らかにヤバ気な名前だし」 「え、そうなの」 その後、健は「ジェノサイド」が壱番世界の言葉で虐殺って意味だと教えてくれた。 ツヴァイは少し不思議な気分になる。新世界にいけるとはしゃぐ自分、素敵な名前だと嬉しがるマルフィカ、警戒する健。同じ場所に行くはずなのに、ディラックの空の向こうに見えているものが全然、違う。 「なーオルグ」 「ん?」 こうなると、オルグがどう思っているのか俄然気になってくる。健の向かいの席でうつらうつらしていたオルグは、目をつぶったまま器用に耳だけツヴァイの方へ向ける。 「オルグはさ、秋葉原ジェノサイダーズって名前についてどう思う?」 「草野球チームかよ」 やっぱり違っていた。 誰の想像が一番近いかな? どんなとこでも良いけど、できれば怪獣がいて欲しいな。そんなことを思っているうちに、ロストレイルは新世界の渦へと飛び込んでいた。 【3.狼とサングラス】 オルグ・ラルヴァローグの背後、意気揚々とタラップを降りていたツヴァイの「何これ」という声は、飯を食いっぱぐれた野良犬みてぇに萎んでいた。 ロストレイルは灰色の渓谷の底に停車中。石のような違うような、奇妙な材質の四角い塔が周囲を整然と取り囲んでいる。なだらかに上を向く坂道は長い。そこここに転がる岩の固まりからは鉄の骨が骨折しながら突き出ていて、まるで墓場みてぇだと、ぞっとしない考えが頭をよぎる。 「時光、どこにいる?」 辺りは雨上がりの朝に似た静けさだ。人影一つも見当たらない。 あの司書は、時光がトラブルに巻き込まれていると言っていた。果てしなくいかがわしい野郎だが、世界司書の予言は絶対だ。いやな汗が鬣を滑り落ちる。 トレインウォーの最中に起きたタグブレイク。時光が姿を消したあの現場に、オルグも居合わせていた……それも一歩間違えば、自分が吹っ飛ばされていたかもしれない近距離で。 あの時、時光がタグへ切りかかってくれたおかげでオルグ、そして居合わせた妹分もセカンドディアスポラを免れることができた。その借りを返すためにも、早く時光と合流したいが……。 風が吹く。灰色の渓谷の間を通り抜ける突風は埃の匂いがした。マルフィカが髪を押さえ、健の白衣は地面に垂直に垂れたまま微動だにしない。何キロあるんだあれ、と意識を取られたその時。 坂道の先から破裂音が響く。 一発目。 鋼と鋼のぶつかる音。 二発目。 そして、怒鳴り散らす男の声。 気づいたら地面を蹴っていた。視界の端で健も動く。マルフィカが何か叫んだようだが、今は耳に入らない。 走る。走る。走りすぎて、気づけば健の姿が見えなくなっていた。後方へ置き去りにしてきてしまったのかもしれないが、追いつくのを待つ暇さえ惜しい。 「時光!」 「その声、オルグ殿でござるな!」 坂の上、十字路を何個もくっつけたような開けた大通りに、奴はいた。 どんな反射神経をしてるんだか、背後に見える男がぶっ放す弾丸を器用に避けつつ後退している。その度に肩に乗ったボロきれ……じゃねえな、人だ。ウサギの耳を生やした人間が、危なっかしく上下する。 「何故貴殿がここに?」 「トレインウォーでの借りを返しにな! ……っと、話は後だ。とりあえずここは俺に任せな。おいアンタ、後で治療してやるからもうちょっと辛抱してくれ」 話している最中も、無粋な拳銃は火薬の無駄撃ちを止めようとしない。言葉の後半はウサギ耳の男へと投げつつ、時光と入れ替わりに前へ出る。すれ違いざま垣間見えたウサギ耳の男の顔は血の気が失せて真っ青だった。 時光を狙っていたのは黒いスーツ、黒いサングラスの男だった。牽制するようにトラベルギアの双剣「日輪」「月輪」を構える。目を凝らせばその肩越しに、大量生産された人形のように相似した人影が並んでいるのが見えた。しかしこちらを追ってこようという動きは見えない。 「貴様、あいつらの仲間だな?」 サングラスの男が横柄に叫ぶ。 「ああ、そうさ。で、テメェは俺たちの仲間をどうするつもりだったんだ、ああ?」 言い返しつつ切り込む。月輪が短銃の砲身とぶつかり合い、青白い火花が男との間に散る。サングラスの奥の瞳が忌々しげに細められる。 「反政府主義者どもめ……!」 「あ?」 突拍子もなく呟かれた呪詛の言葉に、オルグの耳がぴくりと動く。さっきのウサギ耳男のことかと思ったが、複数形で時光やオルグまで一括りにされているのはどういうことだ。 (カマかけてるって感じでもねーんだよなあ……) 一体いつ、そんなレッテルを貼られるようなことをしでかしてたのか。まるで記憶がない。 「俺らがいつんなことしたよ?」 「何を馬鹿なことを……! 貴様のその狼にしか見えぬ人相が何よりの証拠ではないか、この変態め!」 「へ、変態!?」 素顔に変態も馬鹿もないだろうが!? 「あの侍気取りもウサミミも、残らず矯正施設にブチ込んでくれる!」 オルグには理解しがたい内容を叫びつつ、男の拳銃が跳ね上がる。月輪が弾かれた。銃口はオルグの顎へ狙いを定めるが、それは右手の日輪を突き立て攻撃を防ぐ。 男の肩越しに、遠巻きに置かれていた大量生産人形が動き出しす。聞き出したいことは他にも山積みだが、そろそろ引き上げなければならないようだ。 銃口を割る日輪をさらに押し込み、バランスを崩した男の腹に膝をねじ込む。ぐぷともごぽともつかないうめき声を上げて崩れ落ちた男を蹴り飛ばし、オルグとサングラスの男たちの間に飛び込んでくる人影があった。 「オルグ目ぇ潰れぇっ!!!」 さきほど置き去りにしてしまった健だ。顔にはガスマスク頭上にはオウルフォームセクタン、手にはごつごつと黒い手榴弾が握り締められている。 健の手から放たれたそれはほとんど直線の軌道で、よろめき走るサングラスの男たちの間へ落ちる。 色が消える。白々とした閃光は爆薬にも似て、世界から明暗を吹き飛ばした。 サングラスの男たちが腕を掲げるさまが一瞬だけ見えたが、オルグに耐えられたのはそこまでだ。 「こっちだ」 閃光弾を投げ終わった健に腕を引かれるまま、足早にサングラスの男たちから遠ざかる。目を焼かれた彼らの呻き声が、歩くにつれて少しずつ小さくなっていった。 【4.サムライとウサギ】 肩の付け根が湿っている。うさぎ氏の血だ。呼吸は荒く、ツンとした赤錆の臭いが鼻腔を侵す。 坂を走る。途中で誰かとすれ違ったが、肩に担いだうさぎ氏の身体に隠れて誰だかわからない。七分目まで下ったあたりだろうか、どこかで会ったような気がする橙色の髪の青年と白髪の美女が時光を手招いていた。頭上に数字が見当たらないことに安堵する。 「こっちへ!」 招かれたのは坂の両側を挟む廃墟のひとつだった。元は飲食店だったのだろうか、丸いテーブルや椅子が部屋のあちこちに散乱している。室内を漂う空気はひどくかび臭かったが、身を隠すにはよさそうな場所だ。 「初めまして、時光。私はマルフィカ、あなたを迎えに来た者の一人よ。詳しい自己紹介は後でよろしいかしら?」 「無論でござる。マルフィカ殿、薬や包帯など持ってござらぬか。うさぎ氏が拙者を庇って銃に撃たれてしまったのでござる」 「任せて。ツヴァイ、ウサギ男の服を脱がせて」 マルフィカと名乗った女性は橙髪の青年――ツヴァイにてきぱきと指示を出し、携えていた一升瓶の蓋を開ける。ひやりとする発酵臭は、それが清酒であると時光に気づかせる。 「とても沁みると思いますが、我慢して下さいませ」 うさぎ氏が何かを呻く。時光にはわからない。マルフィカは一つ頷いて、あらわになった傷口にそろそろと清酒を流し清めていく。うさぎ氏の身体が俎上の魚のように跳ね、時光はきつく唇をかみ締めた。 「よお、時光」 自己嫌悪に暗くなった視界が開く。声をかけてきたのはツヴァイと呼ばれた青年だった。 「あんた、コレットとオルグを助けてくれたんだって? ありがとな」 「そんな……拙者こそ、わざわざ送迎に来て頂きかたじけない。……ところで、あの」 マルフィカが、今度は懐から赤い粒の薬を取り出す。一粒、二粒。うさぎ氏の喉仏が上下した。 「その、コレット殿は……ご無事でござるか?」 「ん、ああ、元気にしてるぜ?」 ツヴァイの語調は素っ気無かったが、時光は全身から力が抜けていくのを感じていた。今度は守れた、と頭の中でわんわんと同じ声がこだまして、不意に熱くなった目頭に慌てて下を向いた。 【5.旅行者たちの弁証論】 無鉄砲二人組が戻ってきたのは、マルフィカが消毒を終えて少ししてからだった。 「手ひどくやられたな……おい待ってろ、すぐに治してやるからな」 うさぎ男の傍らに膝をついたオルグが呪文を唱えると、指先に乳白色の炎が灯る。うさぎ男の患部に落とされたそれが、逆再生のDVDのように傷を塞いでいく。 先ほどの薬――マルフィカの同居人特製の増血剤だ――も利いてきたのか、青白かった頬にもわずか赤みが戻り、部屋のあちこちからほうと吐息の漏れる音がした。室内に弛緩した空気が漂う。和やかな雰囲気を打ち壊したのは、大通りから聞こえてくるサングラスの男たちの怒鳴り声だった。健が舌を打つ。 「チッ……もう復活しやがった」 サングラスが邪魔だったかと呟きつつ出て行こうとする彼の白衣を、掴む。 「どこへ行くつもりですの?」 「ちょっとゴミ掃除しに行くだけだって」 健が男くさく笑う。マルフィカは笑わない。 「何に巻き込まれているかもわからない内に、行動するのは危険ですわ」 「だからってあいつら放っておいたらロ……帰るとき面倒じゃねえか」 うさぎ男に聞こえぬよう、健の顔がマルフィカの耳元に寄せられる。 「ここで一発あのグラサンどもぶちのめして恩売っとこうぜ? どうせ助けるなら丸腰の相手に銃ぷっぱなすような奴より、仲間を助けてくれた奴の方がいいじゃねえか」 「それは、そうですが……」 健の言っていることが理解できない訳ではない。それどころか深く共感する気持ちさえある。 だが、行きの列車でツヴァイが言っていたようにここは「異世界」なのだ。何があるのか全くの未知、壱番世界の尺度が通じるかさえわからない。そんなところで、この世界の事情を何一つ知らない自分たちが不用意に現地人の問題へ首を突っ込むのは危険にもほどがある。最悪、うさぎ男は撃たれて当然の犯罪者ということもありうるかもしれないのだ。 考え込んでしまったマルフィカに焦れたのか、健が語調を強める。 「銃器を持った相手と丸腰の相手、どちらに味方する? 俺たちは軍隊じゃないし俺たちの行動がロストナンバーの総意でもない。だから俺は、この世界と敵対することになってもこれが総意と取られて全面戦争が起きても、自分が信じたもののために行動する」 「それは傲慢ですわ」 「クソくらえだね」 「っ、あなた……!」 「そこまでだ」 オルグが健の前へ進み出る。肉厚の手が彼の肩にかかった。 「今のは健、お前が悪い。気持ちもわかるが、マルフィカの言うことは最もだ。まずはウサギ耳男に詳しい話を聞かせてもらおうじゃねえか。それで改めて、どう動くか決めればいい。お前らもそれでいいだろ?」 今の今まで静かにしていたツヴァイと時光は、オルグに水を向けられた途端に猛然と首を縦に振った。 「お、おう。そうだぜそれがいいぜ! 時光も何か聞きたいこととか言いたいこととかあったら俺が通訳してやるからさ! ……ほ、ほら何か言えってほら早く!」 「え? ……ええと、ではうさぎ氏に『庇ってくれたこと誠に感謝至極』とお伝えしてもらえるでござるか?」 「ま、任せとけ!」 ツヴァイと時光がわたわたとうさぎ男の側に拠り、身振りを交えながら挨拶を交わす。空気を変えようと必死な様子に、気を使わせてしまったわ、と申し訳なさが湧き上がる。 と、オルグがぽんとマルフィカの肩を叩く。小さくウインクをして、彼はそのまま丸テーブルの影に陣取ってしまう。健もため息を一つ落とし離れた位置に腰掛け、なんとなく場が話を聞く雰囲気に傾いていた。マルフィカもそろそろとうさぎ男に近寄る。 気づけば、男たちの喧騒は過ぎ去っていた。 【6.真実はいつも一つしかなくて軌道修正したい健はすぐ頭痛がするの】 「……仲間割れは終わったか」 兎男の声は失血のせいかひび割れていた。 そういえば、まともに彼の声を聞いたのはこれが初めだ。ばさばさと伸びた髪の下、苦しげに潜められた眉と鋭い目つきが、まるでこちらを睨んでいるような印象を受ける。 が、頭上でぴこぴこ動く兎耳のせいで色々、半減していた。 「まずは礼を言わせてくれ。危ないところを助けてくれて感謝している」 兎男が頭上に手を伸ばし、兎耳を引っこ抜く。 「取れた!?」 こらえ切れなかったツヴァイが叫んでも、兎男は「当たり前だろう」みたいな表情を崩さない。よく見ると兎耳は本物ではなく、耳の根元は白いカチューシャにつながっていた。いやちょっと待て。 「おいおい、そりゃさっきまでピコピコ動いてたじゃねぇか。どうなってんだ?」 「どうと言われても。着けると自然に動いてしまうんだ」 オルグの言った通りである。ギミック仕掛けにしてはあの兎耳は軽そうだ、いや、本当に問題なのはそこではない。自分は問題から目をそむけている。 兎耳が種族的なものなら別に何の問題もない。そういうものなんだから、とやかく言うほうがナンセンスだ。 だが取り外しができるということはつまり、彼は好んでアレをつけているという話になる。健は横目で兎男を盗み見た。険しい顔つきを差し引けば、己とそう変わらない歳に見える。ここから先は考えたくない。 「自己紹介がまだだったな。俺の名はウサミミ。ここ秋葉原で、オタクの自由を勝ち取るための革命軍のリーダーを務めている」 「…………」 たとえ偽名だとしても、もう少しマシなものはなかったんだろうか。案の定マルフィカが酒を噴出しかけて、喉の奥で変な音を立てていた。 「かくめいぐん?」 「知らないのか?」 「あの、実は私たち旅をしているのですわ。こちらには先ほど着いたばかりで、まだ事情がよく……」 すかさずフォローを入れるマルフィカ。兎男……ウサミミの反応を見る限り、この世界で「革命軍」はありふれた存在らしい。 「そうか……わざわざ来てもらったのに、すまないな」 ウサミミの眉根がぎゅっと寄る。痛みをこらえるように、唇がかみ締められた。 「君たちも本当なら、今頃メイドさんにオムライスに名前を書いてもらっていただろうに」 ……うん? マルフィカが今度こそ噴出した。このネタがわかるということは多分、彼女は結構な日本通だ。 時光とツヴァイとオルグは「今何を言われた?」みたいな顔で固まっている。できれば健もそうしたかったが、常日頃慣れ親しんだ壱番世界の日本文化がそれを許さない。 「……君たちは本場のメイドさんに、オムライスに名前を書いて欲しくて秋葉原に来たんじゃないのか?」 マルフィカが床に両手をつく。肩がぴくぴくしていた。もう止めてくれ、彼女のライフはとっくにゼロだ。ツヴァイがおそるおそる手を挙げる。 「メイドの本場って、いぎりすって国なんじゃねーの……?」 「確かにメイドの本場はイギリスだ。だがメイド『さん』の本場は秋葉原に決まってる。だってイギリスのメイドは語尾に『にゃん☆』とは付けない」 マルフィカがブッ倒れた。今にも床を転がり掃除しそうな様子に、時光がおろおろと心配そうだ。今の彼女のライフゲージはおそらく、ゼロを通り越してマイナスまで落ち込んでいるに違いない。 ふと、視線を感じて顔を向けるとそこには四つの瞳があった。ツヴァイとオルグ。そのどれもが「話を進められるのはお前しかいない」と訴えかけてくるが、ちょっと待て。 「……」 オルグも時光もツヴァイも、ついでにマルフィカもツーリストだ。元の世界ではどうだか知らないが、壱番世界のニッチな趣味の知識がないのは当たり前と言えば当たり前。それにしては健よりマルフィカのほうがよほど詳しそうだが、この、何も知らない一般人に色々暴露されてしまったような悶絶ぶりでは、まともな受け答えは難しいだろう。 ごくり、喉が鳴った。 健は頑張った。 正体を隠すために知ったかぶりをしつつ、話の流れがそっちに傾いた時には恥ずかしさいっぱいに「イヌ耳とか結構好きなんです俺」と己の趣味を披露したり、涙なしには語れないあんなことやそんなことが、とにかく一杯あった。 その内に元気を取り戻したマルフィカの助けもあり(会話がディープ過ぎて健はたまについていけなかったが、さっきのいやな雰囲気がいつの間にか払拭できていたのはうれしかった)話の流れはようやく自分たちの知りたいほうへと導かれる。 【7.そして俺らは、】 「……つまりこのせ……じゃない、この国では、オタクが政府に無茶苦茶差別されてるのか?」 「その通りだ」 「じゃあさっきのサングラスの奴らは政府の人間か?」 これはオルグ。ウサミミは忌々しげに頷いた。髪に付け直されたウサミミも一緒に揺れる。 「あいつらは政府が俺たちを狩るのに設立したRIAという機関の構成員だ」 (……リアかあ) 「健殿、何か言ったでござるか」 「特に何も」 ウサミミが髪をかき回す。疲れたようなため息が漏れていた。 「たまにあるんだ、秋葉原全域を一層しよう、革命軍を廃絶しようってはた迷惑なイベントが。俺は部下を逃がそうと思ってあいつらを引き付けていたら……」 「時光に会ったのですわね?」 「ああ。最初はどこかの組織の奴かと思ったんだが、言葉が通じなくて焦ったよ」 「この争いはずっと続いておりますの?」 「十四年前から、かな。俺がガキの頃は平和なもんで、テレビをつければどっかの局で必ずアニメが放送されてたよ。当時、十四クール続いた大人気の大河アニメがあったんだが、その最終回の放送日にこんなことになっちまって……」 ウサミミがもう一度ため息を吐いた。オルグが控えめに声をかける。 「俺からも聞きたいんだが……RIA? っていうのか? 俺、あいつらに『変態』って言われちまったんだが」 「ぶっ!」 ツヴァイが笑いを噛み殺す。その背中をしょぼくれて細くなったオルグの尻尾がべちんと叩いた。ウサミミが小さく笑う。 「変態はRIA従どもの挨拶みたいなもんさ。あんたの変身が見事なもんだから、非難したくてもうまく言えなかったんだろう。気にすることはない、オルグの狼ぶりは見事だ。きれいでかっこいい」 「そ、そうか?」 尻尾にちょこっとつやが戻る。 「ああ、男前だ。触媒は耳か? それとも尾か? 見た感じからして、能力はパフォーマンス向上系だろう」 オルグがちらっと健とマルフィカを盗み見る。気力を吸い取られてぐったりした健と反比例して、生き生き元気なマルフィカが「合わせろ合わせろ」と目で合図。 「ソウダヨ、カラダヨクウゴクヨウニナルヨ」 「やっぱり。俺もそうなんだ。耳と足にしか強くならないし、オルグみたいに全身変わるって訳じゃないんだけど」 「……部分的には変わるのか?」 「尻尾が生える」 「……うーん」 ツヴァイが何かを考え込んで腕を組む。いい歳した男の尻にうさぎ尻尾をくっつけているなら、彼は相当な猛者だ。「ウサミミ殿はなんていったでござるか?」と時光がツヴァイの袖を引く。 つまり触媒とは、世界図書館で言うトラベルギアのようなものなのだろう。それを装備することでウサミミたちはさまざまな能力が得られ、その能力でRIAと戦っている。 ……頭に兎耳さえ乗っけていなければ、それなりにシリアスな場面なのだが。いや、政権打倒の理由からして締まらないから、修正は一生かかっても不可能だろう。 会話の切れ間に、ウサミミのうさみみがぴくりと動く。ウサミミから表情が消える。ここではないどこかに焦点の合った目で、何もないはずの空間を見ていた。 「……どうやらRIA従どもも引き上げたようだ。俺は部下が心配なので、そろそろ引き上げさせてもらうよ」 「……ところでさっきから気になってたんだけど、りあじゅうって何?」 「RIAに従事してる奴、の略」 ウサミミが廃ビルの外へ躍り出る。いつの間にこんなに話し込んでいたのだろう、ビルたちはどれも夕日色に染まっていた。 「途中までお見送りいたしましょうか?」 「俺は大丈夫。むしろ心配なのは君たちだ。この辺の地理にも明るくないようだし、むしろ俺が送ろうか?」 「! いや、大丈夫! 道順とかばっちりだから!」 ツヴァイがぶんぶんと首を振る。もし着いてこられて、ロストレイルを見つけられたらたまらない。ウサミミは「そうか」とだけ言って懐に手を突っ込む。 「何か困ったことがあればここを尋ねてくれ」 差し出されたのは皺になった紙切れだった。住所のようなものが書き付けてある。 「三月革命会の本部だ。俺は大体ここにいるから、困ったことがあったらいつでも来てくれ」 「……いいのか? そんな大事なもん、今日会っただけの俺たちに預けて」 「言っただろう? 感謝してるって。それに」 ウサミミが力強く笑う。 「オタク同士助け合うのはお互い様だ!」 「いや別に」 俺はオタクって訳では……と健が言い終わるより早くウサミミがその場に背を向ける。ぐっと力を込めた膝が伸び、向かいのビルの壁面に着地。そのままトントンとビルを伝い、視界から姿を消す。 こうして、五者五様の思いを胸に抱きながら、初めての「秋葉原ジェノサイダーズ」冒険は終わりを告げた。
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