巨大な柱のように聳え立つスーパーコンピュータの前で、彼は深紫の瞳をコンソールパネルからゆっくりと背後に移した。歳の頃は十八歳前後、白皙の美貌とも呼べるやたら整った顔立ちで中肉中背に白のフロックコートを纏った美丈夫だ。 彼の背後にはいつからそこにいたのか黒尽くめの男が音もなく跪いていた。顔をあげる。彼と瓜二つの男の面に相違点を挙げるとしたら、その瞳が浅紫であることくらいだろうか。 男が言った。「No.11〈イレブン〉――風見一悟の所在がわかりました」 テノールの声が朗として広いフロアに響き渡る。聞かれて困るものでもない。いやむしろ、そこには見当たらない誰かに聞こえるように話しているようだった。「そうか」 彼は男と同じ声で応え、感情をまるで映さぬ深紫の瞳をコンソールパネルへと戻した。緑と赤の輝線が明滅しているパネルに手を翳す。 男が彼の背に報告を続けた。「自然保護区域――OKUTAMA〈奥多摩〉です」 それに、淡々と事務的な声を返す。「斎と葵を回収に向かわせろ」「御意」 男は深々と頭を下げ音もなくフロアから出ていった。 ***「わかったよー! ディオン・ハンスキーさんの居場所がー!」 少年ブックキーパー――クサナギが『導きの書』を手に息を切らしながらその部屋に駆けこんできた。呼び出すだけ呼び出しておいて今まで不在だったのだ。果たして何をしていたのやら。 クサナギは『導きの書』を開くと中に挟まれたメモのようなものを見ながら、トレインウォーに於ける労いも、それまでの経緯についてもそこそこに、さくっと本題に入った。「んとね、壱番世界の日本に似た世界っぽくて、えぇっと今、OKUTAMA……奥多摩でいいのかな? ってところにいるらしいんだ」 そうして元気な笑顔を一同に向ける。「風見一悟さんって人がディオンさんを保護してくれてるらしいから、みんな迎えに行ってきて!」 なるほど。どうやらディオンが転移した世界は壱番世界の日本のような場所らしい。ついでに、世界図書館のチケットを持たず言葉の通じない彼を拾って面倒をみてくれている奇特な人間がいるようだ。彼は無事なのだろう。 だがクサナギは困ったように首を傾げてみせた。「ただね、『導きの書』によるとー、この風見さんって人、二体のバイオロイドに襲われるみたいなんだ」 バイオロイドという言葉に目を見張る。今の壱番世界にはバイオロイドなんてものは存在しない。「えぇっと、バイオロイドっていうのは一個中隊を1体で壊滅させちゃうくらい戦闘力に特化した人型人工生命体のことなんだって」 クサナギはメモを見ながら言った。 ふと気になって彼の持っているメモを覗いてみる。そこにはバイオロイドという言葉に注釈がついていた。アンドロイド、またはロボット、或いは電気仕掛けのからくり人形。もしかして彼はその言葉の意味を調べていたがために遅れて駆け込んできたのだろうか。 彼には『アホ』であるという致命的欠陥があった。さもありなん。「そんなのが2体で押しかけてきたら大変だよね。風見さんって人もバイオロイドに対抗出来るくらいのサイバノイドらしいんだけど、さすがにバイオロイド2体を相手にするのは大変みたいで……」 そこで途切れたクサナギの言葉の続きを想像するのは難くなかった。『導きの書』にはその先まで書かれていたのだろう。 何でもないことのようにさらりと語られたサイバノイドという言葉にはそれ以上一切触れることなく、クサナギはどんどん小さくなる声で呟くように続けた。「今回の主目的はディオンさんを迎えに行く事だから、バイオロイドに襲われる前にディオンさんと合流して風見さんとは別れてしまってもいいんだけど……」 それから俯けていた顔を「でも!」と上げる。「俺はさ! やっぱり勇者としては、ほっておけないと思うんだ!」 ――勇者? ほっておけないというのは同感だ。だが、突然何の脈絡もなく飛び出した勇者という言葉に、一同は呆気にとられた。「迷子になってるディオンさんを助けてもらった恩もあるし!」 クサナギが熱く語る。暑っ苦しいくらいの熱気を帯びた口ぶりに力強く握った拳まで振っていた。 新しく発見された世界だ。くだんの風見何某を助ければ、その世界に関する情報をいろいろ聞き出せるというメリットもある。だが、そんな事は微塵も思いついていない顔でクサナギは彼信じるところの正義感に目をキラキラさせながら言った。 なんと言っても“勇者”なのだ。「だからみんなで風見さんも助けてあげようよ! 俺もみんなが勝てるように応援するから!」 そう言って彼は、背中に担いでいた大剣の柄をぐっと握り締めてみせた。勿論ロストメモリーは、その大剣を振るうことはおろか異世界を旅することも出来ない。出来る事といえば遠くから勝利を祈ることぐらいだろう。 それでもクサナギは挫けなかった。ポケットから何やら取り出し手の平に広げてみせる。「これをみんなに渡しておくよ! Dr.ヴェルナーに作ってもらった『勇者バッヂ』だ!」 それは金色をした五芒星に、クサナギ言うところの勇者を現したとかいう謎の図が刻まれたバッヂであった。だが、それ以上に胡散臭いと思うのは、その製作者の名前の方かもしれない。世界司書にしてマッド・サイエンティストDr.ヴェルナー作。 複雑にバッヂを取り上げるとクサナギは自分の胸元を掲げて見せた。「ほら! 俺とお揃いなんだぜ!」 クサナギの胸に付けられたバッヂが部屋の明かりを受けてキランと光る。「これを付ければ、みんな勇者だ! テンションもやる気もあがるだろ!」 クサナギが意気揚々とサムズアップしてみせるのに、ロストナンバーはそれぞれにそれぞれの反応を返したのだった。 *** 大きな葉を広げ広葉樹が影を落す深緑に染まった森。小さなテントの前で1人の男がステンレスの食器を掲げていた。迷彩服に身を包んだ筋骨逞しい20代半ばくらいの男である。言葉は通じなかったがいろいろジェスチャーなども交えて会話を試みた過程でイチゴというのが彼の名前らしいと判明した。 言葉は通じないし、何よりこんな怪しい仮面を付けて森で迷子になっているような見るからに胡散臭い男を、イチゴは不審がるでもなく受け入れ、いろいろ世話を焼いてくれていたのだ。 朝食の用意が出来たのだろう。 小川で顔を洗っていたディオンが片手を挙げてそれに応える。 テントの前に戻ると食器からはコンソメの野菜スープが暖かそうな湯気を放っていた。岩の上に腰を下ろしてスプーンを取り、ディオンはスープを一口啜る。 どこか懐かしい味がした。 刹那、ホームシックならぬシスターシックが彼を襲う。 今頃、姉はちゃんと0世界で朝食を食べているだろうか。よもや変な虫がついて一緒に朝を迎えていたりはしないだろうか。想像しただけで動悸と息切れと激しい眩暈に意識が遠のきかける。「~~~~?」 イチゴが怪訝そうにディオンの顔を覗き込んだ。「大丈夫じゃないかもしれない!」 言葉は全く通じていないがディオンは力強く応えてみせた。 だからこそ早く姉の元に帰らなくてはならないのだ。その為にも今は元気にロストレイルの迎えを信じて待つほかない。 ディオンは木々の葉で切り取られた小さな空を見上げた。 トンビだろうか一羽の鳥が、何かを告げるように鳴いて西の空へと消えていった。*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・<重要な連絡>「ディオン・ハンスキー」さんは、このシナリオに参加しなくてもノベルなどに登場します。プレイング締め切り日時までに、NPC「エミリエ・ミイ」宛のメールという形式で、600字以内のプレイングにあたるものをお送りいただけましたら、それをもってこのシナリオのプレイングとして扱います。このメールの送信がなかった場合、「救出後すぐにロストレイルに収容され、調査には参加しなかった」ことになります。エミリエ宛のメールはこのURLから!https://tsukumogami.net/rasen/player/mex?pcid=cttd4156※強制転移したロストナンバーの方は「世界図書館のチケットによって移動していない」ため、「現地の言葉を話せません」。この点のみ、ご注意下さい。*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・
水の流れる涼やかな音が近づいていた。 確かにディオンの居場所ははっきりしていたし、合流するのはそう難しくないだろう。しかし、おのずからなる道もない森を歩くのは思いのほか疲れる。それでも蒸し蒸しとした初夏の陽射しを木々の葉が遮ってくれるだけましだろうか。じんわり滲む汗を拭ってルゼは一息吐いた。 「まだ?」 「どうやら、到着のようだ」 アインスが木々の先を指す。小さな川の傍にはテントを仕舞っている2人の男の姿が見えた。どちらがと尋ねるまでもないだろう。森の中で、迷彩の上下にジャングルブーツの男と、マントを風に翻しシルクハットを被った男。後者で間違い。という事は迷彩服が風見一悟というわけだ。 こちらに気付いたのか2人が振り返った。 「お前がディオン・ハンスキーか」 アインスが大上段に尋ねる。 敵ではありませんとでもいうように一悟を右手で制してディオンがアインスに歩み寄った。 「お迎えありがとうございます」 あくまで紳士的に礼を述べて、ディオンは視線を巡らせる。アインスの隣にはルゼが立っているだけだ。 「あの、姉を御存知ありませんか?」 「……ロストレイルまで迎えに来ている」 「そうですか!」 嬉しそうにディオンが声をあげる。 「やっぱり心配してくださっていたのですね。ああ、御心を煩わせてしまってすみません(以下略)」 意気込むディオンにルゼは何とも複雑そうに視線をさ迷わせた。本当のことをどこまで話していいのやら。 ディオンの姉オフェリアは自分に向かって言ったものだった。 『弟は助けなくても良いと言ったのに困ったお方ですわ』 知らぬが花というやつだろうか。その上ロストレイルの中では同行のベルダにディオンが無事かどうかという賭けを持ちかけられ、満面の笑顔でこう返していた。 『ではワタクシはディオンちゃんが無事じゃない方に酢昆布』 何故、酢昆布なのだろう。 とはいえその実彼女もこの任務に参加しているのだから、やはり口では何と言っても弟の事が心配なのかもしれない。そう思っていた、のだが……ロストレイルがこの世界に着くやいなや『ワタクシ、少し気分が悪くなってきましたわ。少し失礼しますの』と、彼女はどこかへ消えてしまった。ロストレイルの中に残っている様子はなかったから『私は1人で行動させて貰うよ?』と先に出ていったベルダ同様、ディオンよりも新しい世界に興味があったのかもしれない。勿論、ルゼとて新世界に興味がないわけではない。たとえばバイオロイドという種族。その体内はどうなっているのだろうか。怪我をすれば看るのは科学者……だとしたら自分はこの世界で暮らせば失業という事になるのか。そんな事を徒然考えないでもない。だが一応、主目的はディオンの救出だと思っている。 きっとそれだけディオンが信頼されているという事なのだろう、ルゼは自分にそう言い聞かせた。 ちなみにこれは余談だがこの件に関するアインスの見解は少し違っていた。彼は、重度のシスコンである弟が溺死しかけた人間の如く姉にしがみついて行動を阻害するのを彼女が嫌がったから、だと思っていた。 とにもかくにも、引きつりそうになる頬にルゼは取り繕った。 「そうだな」 「それよりも一悟とやら」 どこか独りの世界に入っているディオンにか、或いは互いに違う言葉を喋っているようなのに両者が意思を通じているのに驚いているのか、呆気にとられた風の一悟にアインスが声をかけた。 「こちらの情報では、もうすぐここにバイオロイドが来るらしい。心当たりはあるか?」 「バイオロイド?」 一悟の顔付きが変わる。その真偽を探るような視線を一瞬馳せて言った。 「そうか。ありがとう。君達は今すぐここから立ち去った方がいい。ヤツが狙っているのはこの俺だから」 そうして自分から3人を遠ざけようとする。 「何故、狙われている?」 アインスの言葉に一悟は早口に答えた。 「話している暇はない」 後どれくらいでバイオロイドが来るのかはわからない。しかし彼はきっぱりそう言った。或いは答えたくないのか。 アインスが首を捻っていると、一悟の言葉はわからないなりに彼の手が自分たちに逃げることを促しているのを感じとったのだろうディオンが割って入った。 「イチゴには助けて頂いた借りがあります。私が喜んで囮になりましょう」 咄嗟にルゼが通訳する。食事などの世話をしてもらったお礼に囮になる、と。 「なっ!?」 一悟が驚いたようにディオンを見返した。 「恩人を見捨てたとあっては姉さんに後で何を言われるかわかりません! ああ、でも、どうせならこの雄姿を姉さんにも…(中略)…すぐにでもそのバイオロイドという輩を倒し姉さんの元へ……」 途中から溢れんばかりの姉への思いに歯止めがきかなくなったディオンに、一悟が何を言ってるのかと言わんばかりの視線をルゼへ送ったが、ルゼはお手上げとばかりに両手の平を空に向けて首を振るしか出来なかった。 アインスがディオンを押しのける。 「これは、ほっておけばいい」 それよりも。 「バイオロイドとやらは是非にも解体してみたいので、出来れば体は傷つけない方向で捕縛してくれ」 アインスが言った。実は王宮のトマ・ロックと呼ばれたアインス的には、バイオロイドだけではなくサイバノイドも改造してみたいのだが。勿論、機会があれば。機会をくれれば。 「え? 今、してくれ、って言ったか?」 ルゼがさりげなく突っ込んだ。 「無論、私も助力は惜しまん」 アインスが答える。 「奴らはそんな簡単な相手じゃないぞ」 一悟が慌てたがルゼは気楽に請け負った。 「4人もいるんだ。何とかなるって」 ディオンは頷くと膝を付きマントで自身を覆った。スルリとマントが滑り落ちる。いや落ちた先に既にマントはない。立ち上がったディオンに一悟は言葉を失った。 マスクで覆われていたとはいえ優顔といった感じの輪郭はどこへやら、今は浅黒く日焼けした精悍な顔立ちに、それ以上に目を引く大きな傷跡が左頬に刻まれている。中肉中背は分厚い筋肉に覆われ、着ているのは迷彩の上下にジャングルブーツ。 「なっ!?」 寸分違わぬ自分に一悟は、彼が囮になるといった言葉の意味を漸く理解したようだった。 「行きましょう」 ディオンが促したのはアインスとルゼだ。 「へ? どこへ?」 「わざわざ待ってる必要はありません。先手必勝です」 *** ロストレイルを降りとりあえずコインを投げて出た目で行き先を決めて歩き出したベルダの前を、1台のトライクが土煙をあげて横切り、50mほど進んだところで止まってベルダの前まで引き返してきた。 顔を半分くらい覆う大きなサングラスをはずし切れ長の目をベルダに向ける。 「あなた、外国人?」 ヘルメットもかぶらず風になぶらせていた長い髪を掻き上げハスキーボイスで尋ねたのは、見た目はボンキュッボンの豊満な女――生まれたときは男――通り名は桜子という情報屋だった、とはベルダが後から知ったことである。 「まぁ、そんなところだよ」 ベルダは肩を竦めて答えた。確かにこの国の人間でないという意味ではそういう事になる。そもそもこの世界の人間でもないわけだが。 「どうやって入ったの?」 興味顔で桜子が尋ねた。これも後で知る事だが、この世界、否この国は現在他国と隔絶した状態にあるらしく、一切の国交が絶えて久しかったのだ。他国への往来はおろか他国が今どのような情勢なのかもわからないのだという。 かといってベルダには答える術がない。まさかロストレイルの話をするわけもにいかないのだ。 「さて?」 とぼけたように返すと桜子は残念そうに息を吐いた。 「そう」 「この辺りに村か町はないだろうか?」 今度はベルダが尋ねる。桜子は首を傾げて「さあ?」と答えた。本当に知らないのか、それともとぼけているだけなのか。 「この世界の……この国の事を知りたいんだが」 「私も情報屋でね。ただでは、教えられないかな」 「先立つもの……という事か」 「お金はいらないわよ。情報には情報ってね」 「それはこちらが少し分が悪いかな」 ベルダが話せる情報といえば、彼女とは無関係だろう風見一悟がバイオロイドに襲われるという事ぐらいだ。だが、こちらは聞きたい事が山ほどある。 「そう、それは残念ね」 桜子は商談不成立と取ったのかサングラスをかけるとハンドルを回してトライクのエンジンをかけた。ベルダがそれを止める。 「まぁ、待て。賭をしないか?」 「賭?」 「そう、賭だ」 数分後――。 「NIPPONの事を知りたいの?」 確認するように言った桜子にベルダは「ええ」と頷いた。 「この国を支配しているのはナギとナミ」 「ナギとナミ?」 「管理都市の連中はそれを神とでも思ってるんだろうけど、その実はSAI(Strong Artificial Intelligence:強人工知能)――スーパーコンピュータの事よ」 「では、この世界はコンピュータに支配されてるということかい? 誰もそれを疑問に思わないの?」 「この世界、というか、この国は、ね。マスターSAI=ナギ様とサブSAI=ナミ様に管理支配されてる。誰もが疑問を持たないわけじゃないわ。そこから逃げる者もいる。私みたいにね。でも、大多数は生まれたときに管理用チップを脳に埋め込まれ、疑問を持たぬよう教育される」 「どうしてそんな事が……」 「さあ?」 本当に知らないのか、それ以上は高くつく情報という事なのか、肩を竦めてみせる桜子だったが手がかりだけは教えてくれた。 「生まれた時からそうだったから、その辺の事情はFUJIコミューンの総帥カグヤ様なら知ってるかもね」 「コミューン?」 「SAIの管理都市から逃げてきた連中が細々と暮らしたり、SAIと戦うためのレジスタンス活動をしている共同体の事よ。中でもFUJIにあるコミューンは最大ね」 これでいいかしら、とばかりに桜子が言葉を切ってベルダを見た。今度は私が聞く番。そんな風情だ。ベルダは慌てて言葉を継いだ。 「もう1つ、バイオロイドとは何者だい?」 「あなた、バイオロイドに会ったの?」 桜子はベルダを頭のてっ辺から足のつま先までマジマジと見る。よく無事でいられたわね、といった顔付きだ。ベルダは複雑そうな笑みで先を促す。 「あれはナギとナミのインターフェイスとして人を管理する為にナギによって造られた人造人間よ。都市の者たちにとっては神であるナギとナミの使い――神使といったところかしらね」 「ならもしかしてサイバノイドはそれに対抗して?」 尋ねたベルダに1つじゃなかったの? という顔つきでそれでも桜子は丁寧に答えてくれた。 「サイバノイドはサイボーグ化されているだけで元は人間。バイオロイドだけでは足りない部分を補う、ま、管理者側の人間……っていうか狗ね」 桜子が忌々しげに吐き捨てるその言葉にベルダは目を見開いた。 「ならば風見一悟もか!?」 風見一悟もバイオロイド側の、管理者側の人間。だとするなら、どうして彼はバイオロイドに追われているのか。いや、その答えは1つしかないだろう。 「あなた、風見一悟を知ってるの!?」 桜子の顔色が明らかに変わった。ベルダの肩を痛いほど掴む。 「え? ……ええ」 「どこにいるか分かる?」 今、彼は仲間と一緒にいるはずだ。 「……彼のところまで案内したら、その風見一悟についても教えてもらえるのかい?」 「もちろん!」 *** ロストレイルを降りて、オフェリアは息を吐いて大きく伸びをした。人目もなく解放感に溢れた森の空気を肺いっぱいに吸い込む。 出発の際、『弟君が行方不明との事。私に力になれる事があれば幸いなのだが』と手馴れた感じでオフェリアの手を取りその甲に優雅に口づけてみせたアインスにお嬢様然とした笑みを返して『ワタクシの弟ディオンの救助に手を挙げて下さり感謝しておりますわ』と上品にのたまっていた姿はどこへやら、今は他人を出し抜き美しく犯罪を成立させる怪盗のそれだ。 楽しそうに微笑んでオフェリアは奥多摩に広がる森林を見渡した。盗むのは情報、忍びこむのは敵本拠地といったところか。彼女はこれからバイオロイドに変身して潜入、その主に会いに行こうと考えていたのだ。そのためにはまずバイオロイドに変身する必要がある。幸い奴らは皆、同じ姿形をしているようだ。だから一悟を襲いにきたバイオロイドをこっそりコピーしようと考えたのだった。 バイオロイドは一悟の元へ一直線に向かうはず。ならばその途中で待機。奴らとやり合う気はない。その始末はそれこそディオンに任せればいい。自分は奴らをやり過ごし本拠地へ向かう。 だが、世の中そううまくはいってくれないようだ。 「あらあら、フフフ」 見つかっちゃったわね、という態でオフェリアは木陰から顔を出した。 「なんだ、こいつ」 樹上を忍者のように軽やかに移動していたバイオロイド斎が足を止め、オフェリアを見下ろして不快そうに顔を歪めた。そこに立っていたのが自分と全く同じ顔をしていたから、というだけでもあるまい。 「ワタクシ、別に危害を加えるために来たわけじゃありませんのよ?」 「なら、何の用だ?」 「今追っている奥多摩の彼は何ゆえ追われているのかしら?」 彼らの主に聞いてみようと思っていた質問をオフェリアは斎に向かって投げてみた。 「彼は誰かのお人形? ふふ、少しお話しません事?」 尋ねたオフェリアに斎が口の端をあげて嗤う。 「俺を倒せたらな」 「斎!」 もう1体のバイオロイド葵の制止を振り切って斎が走った。 「すぐに終わらせるよ」 問答無用で斎の拳がオフェリアに襲いかかる。 「っ!?」 斎の体をコピーしていなければかわせなかったかもしれない。オフェリアは地面から木を蹴って斎の後方に飛んだ。来ると思った時には既に斎の体がすぐ傍にある。殺気だけを頼りにオフェリアは右手でそれをガードしていた。ずしりと重い蹴りがオフェリアをガードごと吹っ飛ばす。木の幹に叩きつけられるのを左手足をクッションに耐えてすぐに飛んだ。次の瞬間、その木は斎の拳でへし折られた。 間髪入れない斎の攻撃に完全にオフェリアは防戦一方だ。斎をコピーしている以上、反射速度は同じはず。だが、意識がオフェリアである限り、それはコンマ以下で遅れるらしい。それ故に後手にまわるしかなかったのだ。 「……なかなかやるわね」 間合いを開けてオフェリアは息を吐きながらもあくまで余裕の笑みをこぼす。とはいえこの程度の間合い、一瞬で詰められるだろう、性格まで同調するか。しかし互角ではあっても相手は後に葵が控えている。今は無表情でこちらを見ているだけだが、どう考えたって分が悪い。 何か策を立てないと。 そんな思考を斎のパンチが遮った。オフェリアの跳躍。視界の隅で葵が動くのが見えた。 まずい。 刹那、何かが視界を横切った。その白い線が包帯だとわかった時には、それが葵の体を絡めとっている。 微かに自分を呼ぶ弟の声がしたような気がして振り返った。 「抜け駆けってやつ?」 ルゼがひらひらと手を振っている。 オフェリアは斎がそちらに気を取られている隙に彼らの元へ移った。 「姉さん! ここにおられたのですね! このディオン(以下略)」 ディオンがオフェリアにダイブする勢いで抱きついてくる。オフェリアはそれをげしげしと足蹴にしながら満面の笑顔で返した。 「あらあらディオンちゃんお久しぶり? 生きてましたのね? あなたが居た事を忘れていましたわ。なんでしたら、あと数年くらいココにいても構いませんのよ?」 「あぁ……本物の僕の姉さんだ……!」 嬉しそうにディオンが言ったが、姿が自分と同じである一悟はかなり複雑な光景だったに違いない。 「今ので完全に貴様が風見一悟の偽物だとわかってしまったな」 アインスがやれやれと天を仰ぐ。 「ああっ!」 完全に囮作戦は潰えた。だが仕方がない。ディオンはずーっと姉さん欠乏症だったのだから。 というわけで、ルゼが胸に光る勇者バッヂを斎と葵に向けて言い放った。 「無実な風見さんを襲おうとする奴らは、月に代わって絞殺だよ!」 *** 葵を拘束していたはずの包帯がまるで紙のように引き裂かれた。 斎が木を蹴る。常人なら視認もままならないだろう加速に、しかしオフェリアはそれを見ようとはしなかった。ただ斎の拳の終着点を予測し紙一重でかわす。オフェリアのいた場所を斎の拳が閃光のように駆け抜けた。岩をも砕くというよりは、岩をも穿つ一点集中。 オフェリアがその一点を読んでいたようにその場所を予測していたアインスの炎の弾丸が斎に襲いかかる。斎は地面を蹴って逃れようとしたがホーミング誘導により弾が斎を追尾した。捉えた――と思われた刹那、炎の弾丸が爆煙をあげる。樹上の葵が右手の平を掲げていた。その右手の平から放たれた空気振動が弾丸を粉砕したのだ。 だがその葵も次の瞬間には枝を蹴る。 ミニガン秒間30発を越える弾が葵を追うように流れた。撃っているのは一悟、いや一悟に変身したディオンだ。 枝から枝へ飛ぶ葵の行く手を塞ぐようにアインスの炎弾。 挟み撃ちにルゼの包帯が葵へ伸びる。 その時には斎が強烈なパンチをアインスに向けて繰り出していたが、それをオフェリアが受け止めていた。 斎の舌打ちにオフェリアが笑みを零す。既に腕はボロボロだ。もし自分が斎に擬態していなければ、今頃腕の骨は粉々だったかもしれない。 アインスが斎をロックオンするのと、ルゼの包帯が葵を捕らえようとしたのはほぼ同時だった。 アインスが引き金を引く。 包帯が葵を捉える。 確かにその感触があった。 だが――。 ようやく炎弾が斎を捉えた時。 「なっ……!?」 ルゼの呟く先、空中で葵はその進行方向を変えて上へと逃れていた。 葵のいた場所を包帯が虚しく空を掴むと、ミニガンと炎弾が爆煙をあげ視界を覆った。 それを足元に上昇を続ける葵の背後に影。 一悟だった。 葵は一悟を振り返るでもなく、ただ地上に向けて右手を掲げただけだ。 「危ない!」 一悟の声に衝撃が重なった。 葵の右手から射出される振動波がまっすぐに地面を直撃し、そこに巨大な地割れを作ったのだ。 咄嗟にルゼが包帯を近くの木に投げつけながら飛んだ。 オフェリアとディオンはコピーした斎と一悟のそれぞれの身体能力で回避。アインスも一悟の声に反応して後方に飛んでいたおかげで何とか難を逃れた。 勿論それには葵の攻撃がすぐに止んだおかげというものもあるだろう、一悟が葵を後ろから羽交い絞めしていたのだ。 「撃て!」 という声にディオンがミニガンを構える。 しかしこのままでは後ろの一悟も無事ではすまない。一瞬の逡巡が葵に余計な時間を与えた。 「余興は終わりにしよう。思い出せ、ナンバーイレブン。貴様はこちら側の人間だ」 ――!? *** 桜子がハンドルを握るトライクの後ろにベルダが乗り込んだ。風見一悟の元へ向かう。桜子が話し始めた。 「風見一悟――管理者の連中は彼をイレブンなんて呼んでる。彼は数あるサイバノイドの中でもナンバーを持った上位のサイバノイドだったの」 「つまり彼も管理者側の人間って事かい」 「そう。管理者だった」 「それが同じ管理者のバイオロイドに追われている、と」 「奴らからすればそれがサイバノイドの唯一の欠点って事になるんでしょうね。元が人間である彼は人がコンピュータに管理されている事に疑問を持ってしまった」 そしてSAIの楔から逃げた。 下位のサイバノイドならそのまま放逐されたかもしれなかったが……。 「バイオロイドに弱点はないのかい?」 尋ねたベルダに桜子は肩を竦めて答える。 「それがわかってたら、苦労しないわ」 確かにそれもそうか。ベルダは息を吐く。 桜子は憐憫を帯びた口調で続けた。 「サイバノイドには一般人とは違う専用の特殊チップが埋め込まれているの。そのせいでナギの楔を完全に断ち切る事が出来ない」 「それは、まさか……」 「だからサイバノイドは特定のコミューンには所属せず一人で行動してるのよ。完全に断ち切れぬが故に、己の意志とは関係なくナギの狗に戻ってしまうから」 「…………」 *** 「うっ……に、逃げ……あぁぁぁぁぁぁぁ!!」 葵の声はすぐ傍にいた一悟にしか聞こえなかった。ただ、一悟が苦しそうに声をあげて葵から離れ失墜するのに驚く。 「イチゴ!?」 とっさに身構えるロストナンバーたちとは裏腹に、斎がつまらなさそうに葵の元へ戻っていった。 「もう、終わりにしちゃうのかよ」 「我々の任務はイレブンの回収だ」 応えた葵に斎はうんざりしたような顔で口の端の血を拭った。 「まだ借りを返してない」 ついうっかり食らってしまった、と斎は思っている炎弾に、アインスを睨みつける。 「ふん」 葵が鼻を鳴らすとそれを諾ととったのか斎がアインスに向かって駆け出した。オフェリアが援護に入ろうとする。葵が立ち塞がった。 姉の変わりに自分がと駆け出すディオンを視界に捉えて葵がその名を呼ぶ。 「イレブン」 ディオンの右脇から彼のこめかみを抉るように一悟の左の拳が走った。 殺気に足を止める。 後一歩踏み出していれば目の前に星が舞ったかもしれない。 「なっ!?」 驚くディオンに一悟が無造作に構えた。間髪入れず右ストレート。ディオンがバックステップでかわす。一悟の連撃。 味方だと思っていた。いきなり飛ばされ言葉も通じず、姉がいなくて心細いといえば嘘になるこの世界で、何でもないことのように手を差し伸べてくれた人だ。 パンチに気を取られてがら空きになっていた足を掬われディオンはもんどりうった。 馬乗りになろうとした一悟をルゼの包帯が絡め取る。 ディオンは体勢を立て直した。 一悟の瞳には確かにディオンの姿が映っているのに、何も見えてないような気がして、一悟の感情を失った目に、ディオンはゆっくり息を吐く。 「目を覚ましてください、一悟さん!!」 包帯で拘束されたままの一悟に、ディオンは全体重を乗せて渾身の一撃を放った。 一悟の体がいくつもの木をなぎ倒しながら吹っ飛ぶ。ディオンは吹っ飛ばされる一悟を追った。大木にしたたか背をぶつけ漸く止まった一悟が、自分を見下ろすディオンを見上げている。 「思い出してください」 その言葉は、きっと彼には通じない。けれど、彼の心には届くと信じて。何度でも繰り返す。 拳を握って一悟に歩み寄った。 葵がそれに気付いたように一気に2人の間に入ろうとする。 そこに一発の銃声。 葵の頬に赤い筋が出来た。 葵が足を止めて振り返る。 ディオンも一悟もルゼも。 「おや、さしづめ、私は勇者って感じかな?」 トライクから降り立ったベルダがおどけたようにそう言って、胸を張りわざとらしく勇者バッヂを見せつけた。 「まったくだ」 ルゼが片手をあげる。一悟の異変があった今、援軍は心強い。 「仕方ないね……あたしをコキ使ったら高くつくよ?」 にやりと返してベルダは再び銃を構え、照準もそこそこに続けざまに引き金をひいた。 葵が横に退きながら声をあげる。 「イレブン!」 「その呼び名、やめてくれないか」 一悟がゆっくり立ち上がった。葵の整った顔がイラついたように歪む。 「俺は、風見一悟だ」 「イチゴさん!」 ホッとしたようにディオンが駆け寄った。 「すまない」 「何を言ってるか何となくわかります。気にしないでください」 「…………」 「さぁ、反撃だ」 「月に変わって絞殺だよ!」 言うが早いかルゼの包帯が宙に舞った。 葵が後方へ。 そこに斎が飛び込んだのは葵を助けに入ったとか、そんな事ではない。だが、かといってたまたまだったわけでもないだろう。アインスとオフェリアが斎をそこに追い込んでいた。 「なっ!?」 包帯が斎を捉え、アインスのホーミング炎弾が炸裂した。 その時には既にディオンが駆け出している。腰に佩いたバイブレーションナイフが陽光を跳ね返したように光った。 それは葵の右腕を肘から綺麗に切断。これで葵お得意の空気振動波は使えない。 落ちた右手を拾って葵が後方にある木の枝まで飛び退いた。 「斎! 今日のところは退く」 葵が忌々しげに吐き捨てた。包帯を振り切って斎が荒い呼吸を吐きながらその隣に膝を付く。 「まさか。ここで逃すと思うなよ」 生きて捕らえ、解体、最後には改造までしてみたいと思っているアインスが、それを追うように一歩踏み出した。 葵が左手を突き出す。手の平をアインスに掲げるように。 「ダメだ!」 一悟が横っ飛びでアインスを伏せさせた。 何がそこを走ったのかわからない。それが葵の左手から発射されたマイクロ波だと知るのは、情報屋――桜子から聞いた後だ。 威嚇、のつもりだったのだろう。それはただ拡散し、アインスのいた場所をわずかに焦がしただけだったが、奴らが退くには充分な時間を稼げたようだった。 *** ベルダが自分の得た情報をかいつまんで皆に話した。 「バイオロイド。顔は同じだがいろいろなタイプがいるようだな」 次こそは捕縛して解体してみたい。そんな事を考えながらアインスが呟いた。 「彼らはユニークチップによって個々を判別してるようですわね」 「そのようです」 オフェリアの言にディオンが頷く。 だから変身しても彼らは全く惑わされてはくれなかった。決して、最初にオフェリアに抱きついたせいばかりではない、はずだ。 「取り敢えず奴らを撃退出来てよかったよ」 そうしてベルダがディオンに「はい」とそれを差し出した。 「これは?」 「帰りのチケットだよ。それがあれば話せるだろ」 そう言ってベルダがそちらに目配せしてみせる。そこには桜子と話をしている一悟がいた。 「あ……」 その事に気付いてディオンは一悟に駆け寄る。 「ありがとうございました」 「え? お前、言葉……」 きょとんとしている一悟にディオンは、もう大丈夫です、とばかりに頷く。 一悟は笑みを返して右手を差し出した。 「いや、礼を言うのは俺の方だ。ありがとう」 「はい」 握手を交わす。それから一悟はロストナンバーたちを改めて見返して、眩しそうに尋ねた。 「一体、お前たちは……何者なんだ?」 「あー、あれだ」 ルゼは胸のバッヂを掲げてみせる。 勇者バッヂがキランと光った。 「ヒーローさ」
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