「……今日もまた、か」 窓からは、青く晴れ渡った空と、真っ青に続く海原が見える。ここはジャンクヘヴン海軍の本拠、見るものが見ればすぐにここが上層部の人間が使用している部屋だとわかっただろう。部下から報告を受けた、部屋の主であるところの男は、呻くように呟くと不快そうに視線を細めた。彼の元に入った報告は、摘発対象の船が捕縛失敗という報告で、どうも最近、この類の報告が増えている気がしてならなかった。以前にももちろん無かったわけではない。トラブルというものは海の上にいる限り襲いかかってくるものだ。――しかし、と彼はここ数日ずっと考え続けていたこの事態に、苦々しく結論付けた。これは、少し他と話し合う必要がありそうだ……。 報告も終わり部下が部屋の戸を閉めて出て行く。知らず吐き出した溜息が、重く感じた。「――内通者が出るとはな」 あの死の商人に魂までもを売った奴が、この海軍内のどこかにいるのだ。そしてそれに飽き足らず、海軍の情報を売っている。 *「どこまでも続く青い海! ロマンだよね」 機嫌良く旅人達を出迎えた司書……鹿取燎は、相変わらず目元の見えない前髪で口元をにっこりとほころばせた。「というわけで、今回みんなに行ってもらうのは、ブルーインブルーだよ」 だがしかし、彼はいつものように導きの書を開くことをせずに表情を改めると、続けた。「ええと、今回は少し特別で、ジャンクヘヴン海軍の偉い人から内密の依頼が来ているんだ」 つまり、いつもの予言ではないということである。燎は、順を追って説明を始めた。「近頃海軍の摘発が、不自然に失敗するという事件が頻発しているらしい。それが特定の船……というか、海賊にかかわる事だったことから、ジャンクヘヴン海軍の上層部はどこかに情報を漏らしている人が……つまり、内通者が居るんじゃないかと考えたわけだ」 導きの書の表紙をするりと撫でながら、彼は続けた。「『特定の船』というのは、ガルタンロックの『営業船』だ。そして、海軍上層部は内通の容疑者を3人まで絞り込んだ」 指を三本立てた燎は、そのうちの二つを畳んだ。「そして、その内の一人をみんなに調査してほしいと思っている。他の二人は、しばらくは陸に居るから、軍の方で追跡調査できるらしい。ただ、問題の一人はタイミングが良いのか悪いのか、船に乗り込むことになっている。軍の人数を増やせば軍が疑っていることがばれてしまうと考えて、みんなに依頼が来たということだ」 燎は何か思うところがあるらしく少し悩んでいたが、思い切ったように続けた。「少し干渉しすぎなのではと思う人もいると思う。でも、我々世界図書館にとっても『ジャンクヘヴン』という『駅』を持つ以上、ジャンクヘヴン海軍との関係は保っておきたいものなんだ」 言ってから一つ息をついて、燎はぽんと導きの書の表紙を叩いた。「みんなが乗り込む船は、海軍がたびたびおこなう海賊摘発船のうちの一つ。今回も海賊がよく出るといわれている海域に行くことになっている」 そうしてから、彼は一枚の似顔絵を導きの書の間から取りだした。「そしてこれが、みんなに調査してもらいたい人物……ガストン・モルダー氏だ。船長である彼も含めた数人が、新しく海軍が営業船の航行日をつかんだ事を知っている。そして海軍は、今までの行動パターンの結果、海で海賊と接触した時に情報を漏らしているのだろうという結論に至った。ま、ある意味ではそこが一番、人目がないしね。今回彼が海軍の情報をリークしているとなった場合、海賊と一緒に捕縛してほしいらしい」 ただ、と燎は続けた。「疑いがかかっているだけで、そうだと決まったわけではないから……『動かぬ証拠』が必要なんだ。これは極端な話だけど、たとえば初対面で脅して見つけるわけにもいかない事に気をつけてほしい。それが出来るなら海軍もやっているだろうっていうのもあるけどね。……動くのなら出来るだけ秘密裏にってことだね」 燎は自分でもややこしさを感じているのか、考えながら言葉を紡ぐ「ええと、つまりは船に乗り込んで、モルダー氏が内通者である証拠を見つける。……もちろん状況証拠でもいいけど、それを確保し次第捕縛する、ってことだね」 あと、気をつけてほしいのは……と燎は続ける。「みんなの表向きの依頼は、海賊掃討への手伝いってことになってるけど、もちろんこれも建前とかじゃなく本当に海賊たちは暴れまわってるから、こちらへの対応も忘れないようにしてほしい。……こっちは、本当に捕まえるだけで良いけどね」 とにかく手がかりもなくて難しい話だと思うけど、と燎は頭を下げた。「よろしくお願いします。――旅人達に、祝福がありますように」 * 港を離れ揺れる船内では、文字は少々綴りづらい。モルダーは軍で支給されている簡素な便箋に記したとある日付に『嗅ぎつけた』の一言を書き添えると、それを畳んでポケットにしまおうとし……ふと手を止めた。「ふむ――」 メモの情報が最終的に行く相手……とモルダーは思っている……であるところのガルタンロックは、最近なにやら動きを見せているという話も聞く。ここはひとつ、もう少しごまをすっておいた方がいいかもしれない。あまりに摘発が失敗するのが目立って続いたために、海軍の内部が少々不穏なのだ。まあ今日は胡散臭い傭兵連中が乗っているからそうそう失敗はしないだろうが、こうも摘発が失敗すると海軍もいつか気付くだろう。いざというときにトンズラできないようでは困る…… 便箋をもう一枚取り出し、語彙を総動員して簡単な手紙を記す。最後署名を入れようとしたときにノックの音が響いてそれを日付のメモと一緒に即座にデスクに押し込んだ。幸いにも机上には、他の書き物が乗っている。「船長すみません! トラブルが起きまして……!」「わかった」 立ち上がって船員の後をついていく。……後で署名を入れて、いつも通りの内ポケットに入れておかねばなるまい。海賊船の出没することになっている水域まで、まだだいぶある。
船は海の上へゆっくりと滑りだす。今日は風も良いから、そう難航することなく問題の出没地域へ到着できそうだ。 「しまった……」 そんな中、日和坂綾は困ったように茶色の瞳をあちこちへやりながら、仲間たちが集まってくるのを待っていた。うっかり司書の顔ばかり見ていて、諜報の為の準備をなにもしてこなかったのだ。気まり悪げに綾はフォックスフォームのセクタンを抱き上げる。 「ど、どうしようエンエン? ぜ、全部鹿取さんがイケメンなのが悪いんだよね、ねっ?!」 エンエンはもふんと尻尾を揺らすのみ。そうこうしているうちに、旅人達が集まってきた。船が出たばかりの今なら、傭兵の一団が最後の打ち合わせをしていると言った程度にしか思わないだろう。だが今回の彼らの仕事は、傭兵だけではなかった。綾は仲間の話を聞きもらすまいと、エンエンを腕に抱き締めた。 「……全く理解できませんね。海賊摘発船船長と言う高い地位にいながら、なぜ海賊に尻尾を振るような真似をするのか――」 やってきたファレル・アップルジャックが小さく息をついてひとり言のように言い、紫色の瞳を細める。しかし、と彼は思った。海軍を敵に回すほどの裏切りにしては代償が高すぎる気がしてならない。あるいはあの……とファレルが思案を巡らせた先と同じものを、ハーデ・ビラールが口にした。 「この依頼の先は、いつかガルタンロックに通じるのだろう? あそこには殺しそこなった女がいるからな」 そしてやり損ねたのは私の弱さだ、と言って腕を組むハーデからぐるりを見渡し、ディーナ・ティモネンが少し首を傾げた。さらりと長い銀髪が揺れる。 「目下のモルダーの事だけれど、現場を押さえるか、情報を押さえないと意味がない。……自白させましょう」 「ん、どうやってだ?」 坂上健が凭れていた壁から身を起して訊ねた。肩のオウルフォームのセクタン……ポッポも一緒に身を乗り出す。 「私室、本人の服の隠し。私なら靴底も考えるかな。――見ればわかる可能性、私達にもある。そう言うところに、証拠の類を隠しているかも」 「カマを掛けてみるのはどうですか」 ファレルが軽く片手を上げて提案した。 「カマ?」 綾が繰り返す。 「ええ。貴方は海軍に疑われている、そして自分はガルタンロックの使いであると誰かが言って近づくんです。……まあ、あの雰囲気を見るに難しそうではありますが、揺さぶりをかける意味でも手っ取り早くはあります」 のちのち動きづらくなる可能性はありますが、とファレル。それに、ディーナがサングラスの奥の瞳を一回瞬いて考えていたようだったが、頷いた。 「そう……確かにいくつかアプローチがあるのも悪くないね。なら、キミはそれでお願い」 「えーと……ごめんっ、私諜報とかあまり得意じゃないんだ!」 ぱちっと手を合わせて、綾が告白する。 「協力できそうな事があったら言って。とにかくトラベルノートは細かく見るようにするから」 「わかった。じゃあ、とりあえず私はモルダーに付いて隙を探すから。……健、ハーデ、フォロー頼める?」 「いいだろう、協力しよう」 ハーデが頷き、健は手の中に隠れるほどの小さな包みをひらひらと振って応えた。そして彼は綾の方を見やる。 「あんたも一緒に厨房に手伝い、行かないか? 多い方が不自然に見えないだろうしな」 「うん。厨房なら普段の事も聞けそうだし、そうしようかな」 「モルダーだが」 ハーデが口を開いたので、そちらに注目が集まった。 「重要人物ではないだろう。しかしガルタンロックの絵師のようにテレポートで逃げるとも限らない。視線が通れば数キロ先からでも証拠を一瞬で持ち逃げされる可能性があることを、覚えておいてくれ」 あと、と彼女はファレルの方を向いた。 「海軍側の人間が必要になったら私だと匂わせて構わない。モルダーの目が私に向けばまだ他は動きやすい……違うか?」 異論がない様子を見てとると、彼女はポニーテールを翻して出て行く。では私も早速、とファレルが出ていくのを見送って、ディーナはこくんと頷いて見せた。 「頑張りましょう」 * 「ああ、今日はよろしく頼む」 ガストン・モルダーという男は、海の男らしい豪快さを持っていたが、常に何かを窺うような視線が小動物も想わせる、とファレルは第一印象を評した。傭兵として一般的な挨拶をした後、さりげなく切り出す。 「そう言えば、最近海賊の摘発が立て続けに失敗しているようですねぇ」 「ああ、遺憾なことだ」 「――海軍に疑われてますよ、モルダーさん」 声を顰めた囁きは、なかなか面白い効果をもたらした。態度はあくまで変わらなかったが、その目がせわしなくあたりを窺うように走る。彼が内通者と言う見立てはビンゴだろう―― 「私はガルタンロック様の使いです」 囁きを吹き込めば小動物めいた視線が何かを計算するように素早く動く。モルダーの頭の中のそろばんはそれでも、シラを切りとおす方をはじき出したらしい。 「ガルタンロック、だと?」 少しいびつだが、冗談だろうと言う表情を取り繕ってきた。疑ってかかれば丸わかりだが、そうでなければそれなりに成功はしたかもしれないほどには落ち着いて見せている。 「……冗談ですよ」 くすりと微笑んだファレルに、モルダーは何とも言えない視線を向けてきていた。使いと言う言葉が本当なら彼自身にとっては味方。使いであるのが嘘ならこのような事を言ってきたからには彼の敵の可能性もある、と考えているに違いない。 「では、私は少し見回ってきます」 かすかに微笑むように唇の端を釣り上げて軽く礼をすると、ファレルは踵を返した。背中の視線を嫌と言うほど感じつつ、適当に甲板へ向かう。ちょうど向こうからハーデがやってくるのが見え、ファレルはその視線を避けるようにすっと脇へ動いて見せた。ハーデの方も気付いているがあえて何のリアクションも返してこない。もちろんファレルの向こうのモルダーの様子が彼女には見えているだろう。そしておそらく、まるでファレルがハーデを警戒したように見える動きも、彼はしっかり見たに違いなかった。 しばらく歩き、人目のないところでトラベラーズノートを開くと、『当たりだったようだな』という、おそらくハーデのものだろう短い書き込みがあった。ファレルはペンをとる。 * 『証拠は手に入りませんでしたが、船長がスパイと言う見立てで間違いないでしょう。ハーデさんは多分警戒されるのでよろしくお願いします』 * 「やっぱりそうなんだ」 荷物を運ぶ途中でこっそりノートを覗いていた綾は、再び厨房へ戻った。 「――どうせ海賊と交戦するまで暇じゃん? 腹減ったし、ちょっとつまませてくれよぅ」 「駄目だ。お前の働きは認めるが、つまませてと言われてハイそうかと言えるものか」 「ちぇー」 帰ってくると、食事の下準備が始まった厨房で健がコックとやり取りをしていた。綾もそちらへよって行って覗き込むと、ちょうど魚が捌かれている所だ。隣の大鍋を見るに、多分これから煮込むのだろう。 「うっわー、美味しそう」 「お、戻ってきたか。じゃあ今度は向こう手伝ってもらえるか」 なかなか人使いの荒い料理長に指示を飛ばされて綾も皮むきの仕事をすることになった。そもそも料理をしている人数も少なかったことから、厨房を手伝うと言う申し出はすんなり受け入れられた。 「船長っていいもの食べてるかと思ったけど、皆と変わんないんだ?」 「ま、この船じゃそこまで差もつけられねぇし。陸じゃ上手いもん食ってるかもな」 隣で同じように皮むきをする船員が気さくに応えてきたので、綾はすこし聞きこんでみることにした。 「ねえ、この船って海賊摘発船なんだよね? じゃあ普段は海軍の人しか乗ってないの? やっぱりみんな、水兵さん?」 「ああ、まあそうだな。でもあんたらみたいな傭兵が乗ることもたまにあるぜ」 小さなナイフを器用に操りながらの船員の言葉に、綾は首を傾げた。 「ってことは、やっぱ偉い人は突撃~とか言うだけで、自分で戦わないの?」 「んー、そう言うやつも多いけどな。うちの船長は自分から前線に出る方だ。なんか叩きあげらしいって噂は聞いたが」 そうなんだ、と呟く綾の向こうでは、鍋を掻きまわす命を受けた健がぐるぐると大鍋をかきまぜながら、話声に集中していた。食事は、船員は取れるものからとるが、船長へは船長室へ運ぶらしい。となれば絶好のチャンスではないか。それを運ぶ役に名乗り出ればいいのだ。 「で……今日の当番だが」 「あ! それ俺が行ってもいいか?」 ぱっと振り向いた健に、料理長が眉根を寄せる。 「いや、一応傭兵は客人扱いしろって言われててな……実は厨房で手伝ってもらってるのがばれた時点でアウトなんだが」 「実は来た時に挨拶しそびれちゃってさー。良いきっかけだから、頼むよ。な?」 手を合わせれば、視線をうろうろさせた挙句頷いた。 「じゃあ、済まないが。……このことは、内密に頼むぞ?」 「勿論」 一方その船長のもとを、ディーナは訪れていた。接触する前から数度は目があっているので向こうもこちらが何かあるとは気付いていたのだろう。近づいていくと、明らかに少し警戒したのが見えた。とはいっても、ディーナがそれまでに送っていたのが疑いの視線などではなく流し目だったのもあって、いぶかしんでいる程度の警戒だ。ふわりと笑顔を浮かべて挨拶すれば、戸惑ったような反応が返ってきた。 「あの……さっきから私の方を見ていたようだが、何か?」 「やだ……気付かれてたんですね」 ほんの少し顔を伏せて恥じらって見せれば、ますます困惑した気配を見せる。 「だって……船長さん、なのよね? お給金だって、ずっと多いでしょう? 私……傭兵よりも良い職に就きたいの。――あなたみたいな人、好みなのよ」 でもごめんなさい、気に障ったかしらと呟くように付け足してちらりとまた上目づかいに視線を送れば、あたりを窺うように視線が泳いだ。勿論船員はそこら辺にいる。 「すまないが私は少し船員を見てこなければ……また」 その言葉にディーナはにっこりと微笑むと、ええと言って頷いて見送る……が、視界から出ないうちに、ふらりとまた歩き出す振りをしてその後を追うのだった。 * 「――ということは、疑問には思っていたわけだな?」 「そりゃ、まあな。……でもまあ、ちょっとなら良くある話なんだよ。噂なんてすぐひろまっちまうもんだしよ」 船倉で荷物の整理をしていた船員を捕まえて聞きこんでいたハーデは、普段の海賊船拿捕の様子……特にここ最近の失敗の原因について聞きこんでいた。 「討伐の時に同じ動きをしていた者はいないか?」 「同じ動きっつったって……まあ大体同じようなもんだぜ。船長とか、腕の良いやつらが戦闘に立って、毎度同じやつがバックアップに着くし……」 「なるほどな」 「ま、それにしたってこの間は酷かったな」 「何があった」 考え込もうとしたところの言葉に、興味をひかれて顔を上げる。 「何もなかったのさ。例の営業船が出るって聞いて行っても船一隻見当たらない。あれはこっちが情報つかんだのがばれて日にちを変えたんだろうな……」 「そうか……海賊船拿捕の失敗と言うのは、他には?」 「あんたも仕事熱心だな。――一般船に化けてたのが元からばれてたり、逆に数を揃えられてヤバかったこともあったな」 「なるほど。参考になった」 礼を言って別の船員を探しつつ、船内を回る。時折見かける船長の視線はどこか警戒しているらしく、事はうまく運んでいるらしい事を彼女に伝えていた。 船内を歩いていると、健が向こうからトレイを持ってやってくるところだった。食事を運んできたらしい。 「あ、ハーデさん」 「……もう食べられるのか?」 「時間がある奴からどんどん食っとけって、シェフは」 「わかった」 こくりと頷いて踵を返したハーデを見送ると、健は船長室を目指した。釣った魚がメインのスープにパンと言う判りやすいメニューではあるが、スープと言うのは大変に都合が良かった。人気がないのを見計らって上手くトレイを支え、睡眠薬をさらさらと溶かしこむ。万一毒見させられた時の為の抗睡眠薬は、先ほど飲んできてあった。 「これで、よし、と」 おそらく綾がノートでの連絡をやってくれているころだろう。あまり立ち止っていて誰かに見つかるとまずいので、健はトレイを持ち直すと船長室へ歩いていった。 * 『今、健さんが睡眠薬入りのスープ持って船長室に行ってるトコ。なんでも、食べてしばらくしたら効くくらいだから、その時に船長室を探れるだろうって。私はとりあえずこのまま厨房でいろいろ聞いてみるけど、健さんはそっちに行くって。――あと、船長はいつも前線に突っ込んでってるって話、……これってもしかして、海賊とその時接触してるんじゃないかな? って思うんだけどさ……』 * 「私も貰って来たのだけど……ご一緒してもいいかしら?」 「あ、ああ。――どうぞ、入ると良い」 船長室を訪れたディーナがその部屋を覗き込めば、ちょうど彼は食事をとり始めた所だったらしい。一瞬辺りをうかがって戸惑うそぶりを見せたものの、部屋に入れてくれる。どうやら見た目は豪快だが少々気の小さい男らしい、とその仕草を分析して、ディーナは微笑んだ。 「ありがとう。嬉しいわ」 スープはブルーインブルーらしく、魚といくばくかの野菜の煮込みだった。野菜はやはりそう多く栽培できるものでもなく心なしか少ないが、味はなかなかのものだった。 「そう言えば、傭兵よりいい職にと、仰ってましたね」 「ええ。私……お金が好きだわ」 ちらりとまた秋波を送る。スプーンを持った手がぴくりと止まったのは見逃さなかった。 「正義なんて、お腹の足しにならないじゃない。――いやだ、あなた軍人だったわね……忘れてちょうだい」 その言葉に何か返そうとしたモルダーは、しかし不意に数度まばたきをすると黙った。 「――いや、失礼。最近疲れがたまっているのかもしれない」 「身体は大事になさって」 気遣わしげに覗き込んで見れば、その視線がまた数度のまばたきと一緒に溶けそうになる。 「何だ……なんでこんなに、眠、――」 「どうしたの?!」 崩れそうになる身体を慌てた風を装って支え、目を閉じたのを見計らってすかさず掌に隠しこんで握っていた催眠スプレーを吹きかけた。これで当分は目を覚まさないだろう。 「助かったわ……いつ気絶させようか、悩んでたの」 「ディーナさん?」 ドアの外からそっと健の声が聞こえて、ディーナはドアを少し開けた。周りに人がいないと頷く健を中に招き入れる。 「外はポッポが見張ってるんで」 「じゃ、手分けして探しましょ」 「了解。……さすがに鑑識並みの捜査技術ないと思うんだよな~、ここ。手袋から染み出た汗で指紋取れちゃう、とかさ……」 健が頷きつつ手袋をはめる。その言葉に、椅子にかけて眠るモルダーの靴を探っていたディーナが振り向いた。 「でも嵌めるのね」 「あ、これは汚れたくないだけ」 応えて、健は机周り、壁の海図の裏などを見ていく。引き出しには書きかけのメモや便箋はあるが目立ったものは無い。と、モルダーの衣服の方を探っていたディーナが小さく声を上げた。 「あったわ」 翳されるのは折りたたまれたメモ。開けば暗号などでなくごく普通にブルーインブルーで使われている言葉だった。ご丁寧なことに最後にサインまで入っている。ディーナは素早く自分の靴のかかとの隠しを開くと、そこへおさめた。そして健が見つけた便箋へ、何かすらすらと書き記すとそれをモルダーの服の内へと戻す。 「これで……良し」 「この後はどうするんすか」 「証拠は掴んだけど、もう少し様子を見ましょう。どうやってこの手紙を受け渡ししてたのかも、知れるしね」 * 『証拠を見つけて回収成功。捕縛は少し様子を見たいと思うんだけど』 * ディーナの書き込みを見たファレルは、作戦が上手く言ったらしいことにひとまず小さく息をついた。証拠さえ手に入ればこちらのものだ。しかし捕縛の様子を見ると言うことは何かあるのだろうか、と彼が小さく眉根を寄せたところで、向こうから慌ただしさがやってきた。 「海域に到着! 海賊船を発見しました!」 「わかりました。今行きます」 行って知らせに走る彼とは入れちがいに甲板へ躍り出る。互いに近づくように動いている二つの船は、瞬く間に距離が詰まる。旅人達も、もちろん船員達もぞくぞくと甲板に集まってきていた。互いの船が近づき、海賊旗が強くはためく。海賊船の船員も相当な数でこちらへ乗り込む用意を始めていた。 「来るぞ!」 モルダーの声が甲板に響く。どこか足元がおぼつかない様子で現れた彼だったが、海賊船を前に意識をはっきりさせたようだ。剣に手を掛けて構える彼を、ディーナがじっと見つめている。 近づく海賊船を見据えたハーデが、青い瞳をすっと細めた。軽く駆け出すように数歩踏み出した。きらり、と片方の耳のピアスが赤色に煌めいた残滓だけを残して、彼女の姿は空気に掻き消える。――次の瞬間には、彼女の姿は海賊船の甲板にあった。どんっという衝撃とともに船同士がぶつかるほど近づき、双方の船員たちが武器を翻して相手の船目掛けて駆けだす。 「おやおや、ずいぶんと用大勢意しましたねぇ。折角総出でおいで下さったわけですし――」 早々に切り殺してしまいましょう。とどこか楽しげにファレルが呟き、すっとその細身の腕を翻すと彼の周りに空気分子で出来た不可視の刃が組みあがった。軽やかに、彼も海賊船へ乗り込むべく駆け出す。 すれ違った一人の腹に空気の刃は簡単に喰いつき、貫く。眼前を塞ぐように現れる一人の剣を、空気を固めた盾で受け、それを流すようにしてバランスを崩した所へ刃を突き込む。見えない武器を相手にして相手は全く歯が立たない。再び周りの空気から刃を生み出すと、ファレルは少しの助走とともに甲板へ飛び移った。 「海賊捕まえるのがお仕事だもんね! コッチの方が全然私向きだもん!」 綾が水を得たようににっと微笑うと肩のエンエンに声をかけた。 「行っけぇ、火炎弾ッ!」 セクタンが応えて炎の弾を吐き出す。立て続けに炎球が着弾した海賊船から、一層のどよめきが上がった。マストがぐらり、とよろけてばちばちとマストへ伸びたロープがその重さに耐えきれず弾け飛ぶ。そのマストを切断した光でできた刃を握るハーデが、低姿勢から瞬く間に距離を詰めて腕をふるうたび、海賊たちの武器が折れ飛んだ。彼女は重い踏み込みの音とともに滑らかに加速し、輝く刃を翻す。背後から間合いを詰めてきた相手へもくるりと身を翻すとその刃を軍靴で受け、跳ねるように振り向くその動きで武器を下へ叩きつけると、同時に頸骨を反対側の脚が捉える。降り立ったその低い姿勢からまた駆け出した彼女を追うように、ポニーテールを結わえた飾り紐が黒髪とともにふわりと揺れた。 連続した打撃音を尾のように引いて海賊の一人が倒れ伏す。ふっと詰めていた息を吐く綾の頭の上では、エンエンが狐火を放ち続けていた。横合いから雄叫びとともに突き出されたサーベルをすっとかわして、振り向きざまに身体のひねりの勢いを膝頭で叩きこむ。身体を折ったことで切っ先のぶれた剣の腹に横殴りに足を叩きつければ、ぴいんという甲高い音とともにその尖端が折れ飛ぶ。綾は勢いを殺さないまま、エンエンの炎を纏ったシューズを相手の急所へ叩きこんだ。みぞおちから折れたところで膝を叩いてそのまま落ちてきた喉を膝で蹴りあげる。倒れた男の向こうにもう一人。綾は駆け出すとそのままリズムを整えて踏み切った。ふわっと滞空した瞬間に短くした黒髪が舞い上がる。 「――逃がさないんだからね!」 あげられた宣言の声とともに、肋骨をとび蹴りで強打された海賊が呻きながらまた床と対面した。 「っと、あぶね!」 突き出されたダガーに、健は身を翻して避けると、手首を軽く翻した。ぱんっという軽やかな音とともに、トンファーがダガーを打ち払ってその手から飛ばす。相手がひるんだすきに踏み込んで胴を打ちすえるとそのまま肩へ腕をまわして引きずり倒し、甲板へ叩きつける。振り向けば横合いから振り下ろされる長剣も腕に沿わせたトンファーで受けてそのまま外へ向くように流す。下からすくい上げられるような一撃を反対の腕で受け、その隙に空いた手の手首を翻すとまるでばね仕掛けのように腕に沿っていたトンファーがくるりと回転して、狙いたがわず相手の頭を横殴りにする。それでも体勢を整えようとするその腹を思いっきり蹴飛ばして転ばせると、健は再びトンファーを構えてふんっと息をついた。 「近接でトンファーは最強なんだよ!」 ひときわ大きな音がして、海賊船が傾いた。 「いやぁん、火炎弾外しちゃった」 私ったらという綾の声が響き、海賊船に火柱が上がる。ウ・ソ☆ と小声でぺろりと舌を出した綾は、唇の端を釣り上げ斬りかかってきた相手の剣を蹴り飛ばすとエンエンに指示を出した。 「海賊船が燃えちゃえば、生き延びるためにコッチに乗り移らざるを得ないよねぇ? 目指せ海賊全員捕縛……燃えちゃえ、お船~っ!」 最早海賊の数も当初から見れば相当少ない。この戦闘が終わるのも、そろそろだろう。 モルダーから視線を放さない様にしていたディーナは、彼が海賊の一人と交戦しているときにふと気付いた。今まで彼の実力なら簡単にあしらえるように見えた相手ともみ合いになって、それを払いのける。相手は突き飛ばされたようによろけて海へと落ちていったが、ふと引っかかった。 「あ、傷……」 傷がなかったのだ。もみ合ったにしろその前の交戦にしろ、相手の海賊はその様子がなかった。つまりそいつはもみ合うふりをしてそして自分から海に落ちていったということになる。死んだふりをしてこっそりこの隙に逃げ出しているのかもしれない。まあいい、とにかくとディーナはモルダーのもとへ駆け寄った。そして素早く縛り上げる。 「っな、何を――!?」 「手紙、入れ替えたの」 ディーナの言葉に、モルダーの顔色がさっと変わった。その目線がファレルを探し、彼の姿を見つけると声も限りに叫んだ。 「たっ、頼む、助けてく――」 「残念ながら、あれは嘘です」 ただ、本当にガルタンロックの使者であればそれはそれでこのような状況で助けることもないでしょうけど、とファレルはさらりと言った。それに健が腰に手を当てる。 「もう認めたようなもんだな」 「……最初から海賊だった方がまだカッコ良かったのにね、オジサン?」 綾が振り向いて、にっと微笑った。 「――裏切られた者が裏切り者に追いついただけだ。結果は想像がつく」 沈みかける海賊船からそれを見たハーデが、ぽつりとつぶやいた。そろそろあちらへ戻ろうか。向こうの船の甲板から彼女の名を呼ぶ声に応えるように、彼女の姿は中空に掻き消えた。 * 「ふむ、これはまた……面白いものが届きましたね」 「は。あと、モルダーですが、傭兵達に捉えられたものと思われます」 血の富豪は、その沢山の指輪で飾り立てた指でぱちんとその紙をはじいた。そこにあったのは、本来ならば海軍が掴んでいるスケジュールをリークした情報のはずだった。しかし―― 「スパイなど替えが効く、といつもなら言うところですけれど。少し考えましょうか――」 下がって良いとの合図に、男が音もなく礼をして下がって行く。……独りになった部屋で、血の富豪が静かに微笑んだ。 『ガルタンロック、お前を滅ぼす……それが世界の範と知れ』 モルダーから受け渡された紙に書かれていたのは、その一文のみ。 「なかなか面白いご意見です。……さて、どうしましょうか」
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